上 下
6 / 99

5:花の祝福と幼なじみの地雷

しおりを挟む
 塔に到着したクレアは、サイファスに手を繋がれて上階へ進む。
 そのまま大きなベランダに二人で出ると、方々から歓声が上がった。人々の撒いた花弁が風に舞っている。

 塔の周囲に集まっているのは、サイファスの結婚を祝福する領民たちだ。
 今の辺境伯は領民にとって本当に良い領主なのだろう。
 やまない拍手の中、クレアはじっとその場に佇んでいた。

「クレア、手を振ってあげて?」
「あ、ああ」

 サイファスに指示され慌てて手を振ると、さらに歓声が大きくなった。

「皆、君を歓迎しているんだよ」

 澄んだ空色の瞳に見つめられ、クレアは少し居心地が悪くなった。

(俺には、本気でこの領地と向き合う覚悟がない。領民たちもサイファスも、辺境伯夫人となる花嫁を待ち望んでいたというのに)

 領民たちは心から花嫁を歓迎している。だというのに、自分はクレオに戻ることしか考えていない。
 芽生えた罪悪感に蓋をし、沈んだ気持ちで塔を後にする。
 自分がとんでもない間違いを犯した気がした。

(アデリオの言った通り、逃げたら良かったのかもしれない。未練を断ち切って、異国で自由に生きる道もあったのに)

 そんな気持ちなど知らず、サイファスは優しくクレアの肩を抱き寄せた。



 辺境伯の屋敷に戻ったクレアは、今後のために情報収集を開始した。
 ずっとここに居座る気はないが、せめて辺境伯夫人をやる間くらいは役に立とうと思ったのだ。
 事前に嫁ぎ先について調べているものの、現地でしかわからないこともある。
 密偵時代に培った技能をクレアはさっそく活用した。とはいえ、情報収集は拍子抜けするほど楽だ。

 基本家族を放置する方針のミハルトン伯爵家とは違い、アリスケレイヴ辺境伯家では会う者が皆親切で、待望の花嫁をひ弱な令嬢と思い込み世話をやきたがる。クレアは激しく困惑した。

 用意された「奥様用」の部屋は、これぞ令嬢の部屋というような、ひらひらのレースやリボンつきのクロスに埋め尽くされた未知の空間だ。ピンク色の壁、猫足の白い長椅子にテーブル、丸みを帯びた白い家具類に同じくふわふわの白いカーペット。
 ちなみに、寝室のカーテンや寝具のカバーもレースやリボンにまみれている。

(誰の趣味だよ……)

 入った瞬間、うめき声が出そうになった。
 とはいえ、見た目を気にしなければ不便はない。
 クレアは、部屋を覆い尽くす怒涛のフリフリについて敢えて考えないようにした。
 諸々の情報収集を終え、フリルまみれのベッドに倒れこんだクレアに向かって、アデリオがため息を吐きながら指摘する。

「ほら、言わんこっちゃない。俺と逃げればよかったろ?」

 長い付き合いの彼は、誰よりもクレアのことをわかっていた。
 アデリオは、クレアの従者という立ち位置で、一緒にサイファスの屋敷――アリスケレイヴ辺境伯家に滞在する予定だ。
 他の使用人や護衛は王都に帰ってしまったので、この領地に残った唯一の知り合いと言える。

「なあ、アデリオ。お前はいいのか? こんな辺境の地まで俺についてきて……他の奴らと一緒に帰っても良かったんだぞ?」
「バカなことを言わないでくれる? 俺は好きでクレアについて来ているの。クレアのいる場所が俺の居場所」

 ふいとそっぽを向いた彼は、従者らしく部屋の点検を済ませると、未だベッドに倒れたままのクレアの横に腰掛けた。
 普段は体裁を取り繕うものの、スラム街で育ったクレアやアデリオは、行儀作法を無視することが多い。
 ここでも、誰も見てないから良いだろうと自由奔放に過ごしていた。
 今は休息していい時間なのだ。

「というか……クレアこそ、本当に辺境伯夫人をやるつもり? このままいけば、今夜あたりに初夜の儀式が」
「なんだと!? 初夜!?」
「クレア、そういうの疎いでしょ? そっち方面の教育係もいなかったのに大丈夫?」
「どうにかなるだろ……」

 と言いつつ、クレアは焦っていた。
 男として育っているので、そっち方面の話はよく耳に入った。
 娼婦と寝たことはないが、歓楽街に足を運んだことはある。

 しかし、それはあくまでクレオとしてだった。こんな時、令嬢がどうすべきなのかはわからない。
 けれど、正直に話してアデリオに馬鹿にされるのは癪だ。
 遠回しに情報を得ようと、クレアは悪あがきする。

「……そういうアデリオこそ、どうなんだ? 浮いた話は聞かないが、俺のことをとやかく言えるのか?」

 すると、アデリオの機嫌が目に見えて悪くなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...