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子供編・学園編(一年目一学期)まとめ
改・学生時代(ハートのJ)4
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殿下達とのピクニックが終わった晩、自室に戻った俺は、一人で深夜遅くまで本を読んでいた。内政関連の書物だ。
読書の最中に、近くに魔法の気配を感じたので、立ち上がって窓を開けて外を確認する。
すると、一羽の茶色い梟が窓のすぐ傍の木に止まってこちらを見ていた。
「……伝達魔法か」
城に勤めている知り合いから俺への伝達魔法らしい。
梟は、俺の手に止まった瞬間に姿を消して、伝達内容に変わる。
しかし、城からの伝達魔法を受け取った俺は凍り付いていた。
「……殿下が、城に戻る途中で誘拐された!?」
将来のために、俺は城中に伝手を作ってある。
なにかあれば、離れた場所にいても直ぐに情報が伝わるように。
今回の連絡も、本来ならばこちらには届かないであろう非公式な情報だった。
時刻は、もう真夜中だ。
ハート寮の生徒達は全員就寝しており、廊下は静まり返っている。
足音を立てないように気をつけながら、俺はカミーユの部屋へと向かった。
「カミーユ、カミーユ……起きて」
小声で囁きながら、カミーユの部屋の扉を控えめにノックする。
すぐに、寝ぼけ眼のカミーユが扉を開けた。彼女は、菫色の寝間着の上にローブを羽織っている。
俺は、周囲に人の気配がないことを確認し、小さな声で先程受け取った伝達魔法の内容を彼女に告げた。
「ろ……ロイス様は無事なの? 護衛の人も一緒だよね?」
「護衛は全滅。殿下だけが連れ去られたらしい……あと少しで城だという場所で」
カミーユは、狼狽えた様子でラズベリー色の瞳を揺らしている。
「……なんで、今頃連絡が来たの? ロイス様と別れたのは夕方。城とはそこまで離れていないし、遅くとも寝る前には連絡があったって良いはずだよね」
「後回しにされたんだろ。俺達はまだ学生だし、「殿下のお気に入り」というだけの存在だから……この情報だって、本来はこちらまで回って来ないはずのものだ」
「……アシルの伝手かぁ。おそらく、護衛職の黒の魔法使い達に城の重鎮達、騎士団の上層部には連絡が行っているだろうね……そこで、塞き止められているのだろうけれど」
彼女の言葉に、俺は小さく頷いた。その通りだ。
事態を大事にしたくないという上層部の考えで、俺やカミーユのところには情報が回って来なかったのだろう。
「アシル、ロイス様の部屋に行こう。私の探知魔法を使う」
「殿下を追う気?」
突然のカミーユの提案に、俺は彼女を凝視した。
「勿論だよ! だって……早く助けないと、ロイス様が危ないかもしれない」
「護衛を全滅させるような相手だよ? カミーユ、不安なのは分かるけど、一度落ち着いて」
取り乱したカミーユを、俺は背後から抱きしめる。
しばらくすると、腕の中のカミーユはいくらか冷静さを取り戻し始めた。
「大丈夫。敵は殿下を生きたまま攫ったんだから、すぐには殺したりしないはずだよ?」
「うん……でも、やっぱり心配だよ。私、ロイス様を助けたい」
カミーユは、俺の手を引っ張りながら、寮にある殿下の部屋へと向かった。
部屋の鍵は、彼女が魔法であっさりと解錠してしまう……見なかったことにしよう。
普段なら、部屋の前には護衛が二人ほど張り付いているのだが……今日は、殿下が留守なので部屋の周りも閑散としている。
殿下の部屋は他の生徒の部屋と比べて二周りほど大きな造りだ。内装もやたらと豪勢である。
「……これを借りよう。探索魔法に使える」
ぶつぶつ呟いているカミーユは、殿下の机の上から彼のメモ帳を手に取ると、探索魔法を発動させた。
メモ帳が光の玉に変わり、宙を舞う。
探索魔法とは、探索する相手の持ち物に付着する魔力を辿って、持ち主を捜し出す魔法のことだ。
「カミーユ、本当に今からいくつもりなの? 無謀だと思うけど」
「じゃあ、一人で行くよ」
薄情な婚約者は俺にそう言い捨てると、光の玉を追って殿下の部屋を出てしまった。
……これは、酷い。
「カミーユ、待って……!」
俺は、慌てて彼女の後を追い掛ける。
すると、廊下の曲がり角からカミーユの悲鳴が聞こえてきた。
「うぎゃあー!」
何かにぶつかって転びそうになっているカミーユを、すんでのところで後ろから支える。
……間に合って良かった。
カミーユにぶつかった背の高い何かは、暗闇の中で平然と立っている。
「あなたは……」
それは、この場所にいるはずのない人物だった。
「……ライガ様?」
ロイス殿下の従兄で、王弟の息子――ライガ・トランスバールが父親似の仏頂面で立ちはだかっている。
カミーユも、驚いた様子でライガを見つめていた。
「こんな時間にハートクラスの寮に侵入するなんて、何事ですか?」
「メイを見なかったか? 外出から帰ったら、姿が見当たらない」
ライガは、表情を変えないままカミーユに話しかけている。
そう言えば以前、ライガの依頼を受けたカミーユが、彼の側仕えであるメイ・ザクロを捜索したことがあったような気がする。
王弟派であるライガやメイと、一応国王派のカミーユは、何故か親しいのだ。
「メイちゃんですか? 今日は見ていませんけど……?」
「探せ」
カミーユの返事を受けたライガは、すぐさま偉そうにそう命令した。
今回も、彼はメイを捜索しているようだ。
「分かりました、メイちゃんの魔力を辿ります。申し訳ないのですが、私達は別で急ぎの用があるので捜索へはライガ様一人で向かって下さい……こっちが片付いたら、メイちゃん捜索手伝います。ライガ様の方が早く解決する可能性大ですけど」
「かまわん、捜索魔法だけで充分だ」
殿下を追う気満々のカミーユは、ライガにそう断ってから探索魔法を発動させた。
探索魔法は、一度探索した相手なら何度でも探し出すことができるという、ある意味恐ろしい魔法なのだ。前回もメイを捜索したカミーユは、メイの持ち物がなくても彼女の魔力を辿ることができる。
ライガは、直ぐに踵を返すとメイを追う光を辿って去って行った。
寝間着姿のカミーユも、引き続き殿下の元へと向かう光を追跡する。
「カミーユは、何を言っても聞かないよね」
「……ごめん」
「でも、やめる気ないんでしょ? 本当にヤバくなったら無理矢理にでも止めるからね」
本当にカミーユは、俺が心配していることを全く分かっていない。
殿下の身の安全も勿論大事だが、俺は彼女にも危険な目に遭って欲しくはないのだ。
……ああ、イライラする。
カミーユは、俺のことを全く理解していないのだ。
「え、えっと……急がなきゃ……」
俺の放つ不穏な空気を感じ取ったのか、カミーユがコソコソと逃げるように、探索魔法の光を追い掛けて行く。
溜息をついた俺は、渋々彼女の後を追うことにした。大事な婚約者を一人で危険な目に遭わせるわけにはいかない。
真っ暗な廊下を仄かに照らす光を辿り、寮の中を進む。
メイを追う光は、ロイス殿下を追う光と同じ方向に進んでいるようで、ライガも俺達の前方を歩いていた。
光は廊下の窓に向かってまっすぐに進むと、勢いよく建物の外へと飛び出す。
メイの居場所を示す光は、窓の外に出ても殿下のものと同じ方向に向かっている。
カミーユと俺は、羽ペンを取り出して空中に浮かせた。ここからは空を飛んで行ったほうが早そうだ。
そんな俺達を見て、窓枠の内側で足止めを食らっている人物――ライガが、声を掛けてきた。
「おい、俺もそれに乗せろ。目的地は違うだろうから、途中までで良い」
頼み事をする側のくせに、彼は無駄に偉そうである。
ライガにそう言われたカミーユは、彼の言葉に仕方なく頷いた。
「途中までなら、ついでで運んでも大丈夫ですけど」
彼は武器による戦闘は得意だが、魔法全般は苦手なようである。
「後ろに乗って下さい」
ライガはためらうことなく、カミーユの羽ペンの後ろへ腰掛けた。
「……!」
ちょっと待て。そこに座るのか!? 一応カミーユは、俺の婚約者だぞ……!?
しかも……奴の手の位置が問題だ。
さり気なく、カミーユの腰を掴むなんて……その場所は、俺以外が触れて良い場所ではない!
けれど、俺の心の叫びも虚しく、カミーユ達は空へと飛び立ってしまった。
外は激しい雨が降っており、時折雷も鳴っている……まるで、俺の心の内を表しているかのようだ。
羽ペンを浮かした俺は、それに跨がりカミーユ達の後を追う。
雨除けと雷除けの魔法も使った。
「こんな時に、大雨だなんてついてないなあ~」
前を飛ぶカミーユの暢気な声が、こちらまで聞こえてくる。人の気も知らないで……
殿下とメイを追う二つの光は、王都の外れに向かって空中を飛び続けている。
どちらの光も、そのまま離れることなく王都の外れにある古い洋館へと向かっていた。
とても大きな建物だが、普段は使われていないのか庭が荒れている。
館の門の近くに着地する。羽ペンをしまい、濡れた地面を踏みしめる。
殿下を追う光も、メイを追う光も同じ場所を目指していたようだ。
「ライガ様……」
固い声を出すカミーユに向けて、ライガが鷹揚に頷く。
「ああ、犯人の目星がついた。俺の父親に取り入る連中の一人だろう」
この際だ、ライガにも手伝ってもらうのも良いかもしれない。
城に個人の騎士団を持つ彼は、自身も一流の険の使い手なのだ。
ライガは腰にさげている鞘からスラリと剣を引き抜いた。細くて真っすぐな長剣だ。
並の威力の魔法ならば全て無効にしてしまうという、かなり貴重な魔法アイテムの剣である。
「ライガ様、雷よけの魔法は施したままにしていますので、心置きなく暴れて下さい」
カミーユの言葉に、ライガはニヤリと笑った。
メイを攫った犯人達を、一人残らず血祭りにあげたいようだ。
その気持ちは良く分かる。俺も、カミーユが連れ去られたら同じ思いを抱くだろう。
「たーのーもー!」
目を離した隙に、カミーユが盛大に館の門を破壊する。
バカミーユめ……そんなに堂々と乗り込んでどうする気だ!
彼女の魔法に気が付いたのだろう、館の中から兵士と思しき男達がわらわらと庭に出てきた。
総勢三十名くらいだ。
……ほら、言わんこっちゃない。
兵士達は、濡れた地面を蹴ってこちらを目指して駆けて来る。
それを見たカミーユが、敵に向けて雷の魔法を放った。
雨に濡れた地面を伝って電流が迸り、庭全体が金色に光る。
俺達は、三人共雷よけの魔法を施しているので無傷だ。怒りに燃えるライガを先頭に、動かなくなった兵士達を跨いで館の中へと侵入する。
「カミーユ、いきなり門を破壊するなんて無茶し過ぎだよ。たまたま地面が濡れていたから一気に攻撃できたけれど、そうじゃなければ……」
「大丈夫だよぉ、アシル。今のできっとロイス様に助けにきたことが伝わったと思う」
「敵にも筒抜けになったけれどね。カミーユ、俺達はまだ学生でこういった戦闘は本職じゃないから無理はしないで。さっき伝達魔法を城へ送っておいたから、危なくなったら先へ進まずに援軍が来るのを待つよ?」
「平気だよ、十年前とは違う。私は強くなったもの」
「それでも心配。もう、二度とあんな怪我はさせないから」
カミーユは、平気そうに微笑むけれど……俺は心配過ぎて気が気でない。
十年前の事件で、カミーユは敵に腹を刺されて倒れた。
運良く、彼女の体内に宿る魔力が敵の武器を伝って、相手を丸焦げにしたおかげで助かったが……そうでなければ、カミーユはあの時、命を落としていたことだろう。
俺は、それが怖くて仕方がない。
あの事件は俺に大きなトラウマを残し、それは今でも消えないのだった。
※
探索魔法の光を追いながら、俺達は誰もいない通路を抜けて石で出来た階段を上がる。
いつ、敵が現れてもいいように、全員が気を張りつめていた。
館の一回の階段から上階へ上がろうとしたところへ、上から矢が振ってくる。敵の罠だ。
「危ない!」
カミーユが魔法で透明な壁を張って矢を防ぐ。
その隙に、俺は射撃してきた相手を魔法で攻撃した。
この分では待ち伏せされていそうだ。慎重に足を進めなければならない。
二階に上がると、廊下の至る所に罠が仕掛けられていた。
俺は、それに気付かずに進むカミーユの腕を引っ張る。
「わっ……とっとっと。何すんの、アシル」
「……足下見て」
言われた通りに足下に目を向けたカミーユは、一瞬にして青ざめた。
彼女のすぐ前に、透明な糸が張られている。糸を切ると、なんらかの仕掛けが発動するのだろう。
「アシル、ありがとう……」
罠に恐れを成したカミーユは、魔法で風の刃を作り出すと、通路に向けてそれを放った。
ブツン、ブツンと糸が切れる音がして、矢の雨やら斧やら落とし穴が現れる。
彼女は、廊下にあった罠を全て破壊し、今は全身を防御魔法で固めて羽ペンで宙に浮いていた。
よほど、罠が嫌だったらしい。
罠が張り巡らされていたエリアを抜けると、予想通りこの館を守る兵達が待ち構えている広間に出た。
広間の中央に五十人、物陰に三十人ほど……
ここの主は、かなりの数の兵士を雇っているようだ。
「ロイス様はどこだー!」
またもやカミーユが、叫びながら羽ペンごと敵に突っ込んで行った。
ライガも走り出し、猛烈な勢いで長剣を振るっている。
……仕方がない。俺も行くか。
カミーユは羽ペンを乗り回して、敵を翻弄しながら風の魔法を放っていた。
風に吹き飛ばされた男達が壁にぶつかり意識を失っていく。
俺は、暴走する二人が取りこぼした敵を確実に仕留めることに専念した。
後で言質を取るために、敵は全員氷付けにしている。氷を溶かせば、中の者は元に戻る仕組みの魔法だ。
十年前とは違う。成長したのだ……俺も、カミーユも。
僅か数分足らずで、俺達は広間を制圧した。
敵の兵士は、最近雇われた者達なのだろう。統率が取れておらず強さもまちまちだ。
訓練されているプロではない。
「早く光を追うぞ」
焦った表情のライガが先を急ぐ。
俺とカミーユも、頷いて彼の後に続こうとしたのだ……が。
広間の中で、今まで一緒に進んできた光の行き先が二つに別れてしまった。
メイの行き先を示す光は真っすぐ奥へと進んでおり、殿下の光は広間の中央付近をウロウロしている。
殿下とメイは、館の中の別々の場所にいるらしい。
「俺のことは構わない。お前達は別の目的でここへ来たのだろう。魔法馬鹿の言動から察するに、ロイスもここにいるのだな……俺はこのままメイを追う」
魔法馬鹿と呼ばれたカミーユは、ライガの言葉にすまなさそうに頷いた。
「すみません、ライガ様。私達はロイス様を追いますね」
この部屋に来てから、殿下を追う光の動きが少し不安定になっている。
あちらこちらを彷徨いている……かと思えば、床に向かって進み出すという、不思議な現象が起こっていた。
「おかしいな、動きが変だ。床に向かって進もうとしてるよ?」
カミーユも、不思議そうに首を傾げている。
「殿下が移動しているのかもしれないね」
ロイス殿下が場所を移されているのならば、急がなければならない。
俺達が来たことに気付いた敵が、殿下を移動させようとしている恐れがある。
そう思って、カミーユの方を振り返ったその時……
俺の目は、部屋の隅でうつ伏せに倒れながら、何らかの魔法アイテムを弄る一人の敵の兵士を捕えた。
瞬間――カミーユの立っていた地面が消失する。
「カミーユ!」
叫んだ時には、既に手遅れだった。
彼女は悲鳴を上げながら階下へと落下している。
俺はすぐさま、カミーユの落ちた穴へと飛び込んだ。
真っ暗な穴に吸い込まれていくカミーユは、恐怖のためかきつく目を閉じていた。
俺は、彼女の腕を掴んで体を反転させる。
そのまま、カミーユの下敷きになる形で床へと落下した。
――痛っっ……!
体中に響き渡る衝撃に、全身の骨が悲鳴を上げている。
あまりの痛みに、意識が飛びそうになった。
――そうだ、カミーユは……
うっすらと目を上げると、ピンク色の髪が見えた。体全体に彼女の重みを感じる。
どうやら、無事にカミーユを守ることができたようだ。
安心した瞬間、俺の意識は急速に遠ざかって行った。かろうじて周囲の音だけが聞こえる。
起き上がったカミーユが、俺の名前を呼んでいる。
「アシル、アシル! 起きてよう……」
カミーユは、泣きそうな声を上げながら、大量の魔力を要する最上級の回復魔法を俺に掛けまくっていた。
下手をすると、魔力枯渇を起こしかねない。
「アシル、起きて、死んじゃ嫌だよう!」
いや、死んでいないから。痛みで動けないだけだから。
俺が話せない間も、彼女は泣きそうな声を出しながら回復魔法を掛け続けている。
……まずい。早くなにか話さないと、カミーユは本当に魔力が枯渇するまで魔法を掛け続けそうだ。
幸い、彼女の魔法が効いてきたようで、俺の感じていた痛みが急速に引いて行った。
「……っ、カミーユ」
声を絞り出してカミーユに声をかけると、彼女はぴたりと動きを止めた。
目を開けると、涙を浮かべているカミーユと目が合う。
「アシル?」
「そんな、悲壮な顔をしなくてもいいよ。ただの打撲だから……カミーユが完治させちゃったからもう平気だけど」
「本当の本当に大丈夫なの? 無理してない?」
俺の言葉に、カミーユが心配そうに問い返した。
「してないよ。咄嗟に衝撃緩和の魔法を使ったから。カミーユこそ、打撲ごときでパニック起こして、そんな上級治癒魔法をバンバン使って大丈夫なの? 立てる?」
どちらかというと、その方が気がかりだ。
予想通り……立ち上がろうとしたカミーユは、魔力消費が多すぎた反動でふらつき、俺の上にダイブした。
今回に限っては、彼女の魔法節約の刺青もあまり意味がなかったらしい。
「う……ご、ごめん」
必死で俺から距離を取ろうとするカミーユだが、腕をついて体を起こそうにも、力が入っていない様子である。
「まったく、後先考えないんだから。でも、俺のために一生懸命魔法を掛けてくれたんだよね……ありがとう」
俺は、倒れた状態で上に乗り掛かっているカミーユを抱きしめると、ぐるりと半転した。
自分のために、魔力枯渇になるまで回復魔法を掛けてくれた彼女が愛おしい。
俺は、反転して仰向けになったカミーユの体を跨いだ。
押し倒されたような体勢になった彼女が、ラズベリー色の瞳を潤ませながら俺を見つめている。
「えっと、あの……アシル?」
「魔力。もうないんでしょ? 俺のをあげるから、大人しくしていて?」
俺の魂胆に気付いたのだろう、カミーユの顔が既に茹で蛸のようになっている。
「ま、魔力受け渡しって……薬でなく直接?」
「直接の方が回復が早いでしょ? 俺が今持っている魔力回復薬は、効果の弱いものばかりだし」
魔力がなくなってしまった場合、薬で回復する他に原始的だが人から人へ魔力を受け渡す方法がある。
方法が方法なだけに、魔法使いの間でも実戦する人間は少ないが……
俺も、カミーユ以外の相手には行わないだろう。
その方法とは、人の体内から体内へ直接魔力を流し込む――即ち、魔力の経口摂取だ。
「あ、アシル待っ……」
俺は、慌てるカミーユにゆっくりと覆い被さると、彼女がが全てを言い終える前に、問答無用でその唇を塞いだ。カミーユは、声にならない叫びを上げている。
「ん……んんーっ!」
弱弱しく抵抗するカミーユの手首を優しく拘束し、彼女の唇を堪能する。役得だ……
「あしる、もっ、やめ……んうっ!」
舌っ足らずなカミーユが抗議の声を上げた瞬間、彼女の口内に下を滑り込ませる。
そうしているうちに、カミーユの体中に俺の魔力が行き渡った。
「っあの、アシル、ちょっと退いて……」
唇を離すと、息も絶え絶えのカミーユが、俺を見つめながら懇願する。
「もう少しだけ魔力を回復させようか」
なんだかカミーユと離れ難くなった俺は、彼女に最後まで言わせず再び唇を奪おうとして……
「あー、コホンコホン。二人とも、その辺にしておいてくれるかな。目の前でそれ以上の事をされたら反応に困ってしまうよ。あとアシル、ここは敵地だって事を忘れないように」
ちっ……横やりが入ったか。
「……知っていますよ」
突如響いた聞き覚えのある声に向かって、返事を返す。
良いところを邪魔されたが、彼が無事で良かった……
カミーユは、俺の隙を見逃さずに体の下から這い出している。
そのまま、彼女は声の主に向かって一目散に駆け出した。
「ロイス様~!」
「アシル、カミーユ! ありがとう、二人が来てくれるなんて……」
碧色の瞳を揺らしながら、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて殿下がこちらへ歩いて来る。
「当たり前じゃないですか! ロイス様をこんなところで一人にはしませんよ!」
殿下の言葉を受けたカミーユが、力強くそう宣言した。
「ところで、殿下。どうしてこんな所を彷徨いているのですか? 俺は、てっきりどこかに拘束されているかと思っていたのですが……」
「そうだよ? もともと地下牢に閉じ込められていたんだけど、外で爆発音が聞こえたから脱走してみたんだ。警備がゆるゆるだったからすんなりここまで来れた。誰も箱入り王子が脱獄するなんて思ってもみなかったのだろうね」
敵を出し抜いた殿下は、ご満悦のようだ。
「これから、どうしましょうか?」
本来ならばここで、殿下を外へ連れ出して任務完了である。
城へ伝達魔法を飛ばしているので、放っておいても城から派遣された兵達が殿下を攫った犯人を捕えるだろう。
しかし、今ここにはライガとメイがいるのだ。俺は、黙って殿下の出方を伺った。
「メイ・ザクロを助けに行くんだよね?」
殿下の言葉に、カミーユが目を見張る。
「ロイス様、何故それを……」
「見張りの兵達が、彼女が連れて来られたと話していたのを聞いたよ。犯人は野心家の貴族だ。彼の狙いは分かっている。僕を人質にして、王弟に王位を渡せと父に迫ろうとしているんだ」
「ロイス様? ……それなのに、メイちゃんを助けに行っても良いんですか?」
カミーユの言葉に、殿下は爽やかな笑顔で頷いた。
「うん。今、ライガ達に恩を売っておいたら、後々楽しそうじゃない?」
殿下が、俺のようなことを言っている。
しかし、俺も殿下の意見に賛成だ。
「カミーユ、もう魔力は大丈夫なの? アシルにだいぶ回復してもらった?」
「あ……はい。大丈夫ですとも!」
カミーユの顔が、再び茹で蛸状態になっている。先程の出来事を思い出しているようだ。
「あのさ……僕を狙った犯人なんだけど、異様に強い男だったな……それに、顔を隠していたけれど、なんだか見覚えがあるんだよねえ」
「……犯人は、知り合いということでしょうか」
「かもね。黒幕を問いつめればきっと分かるよ」
殿下と合流した俺達は、三人で再び上階を目指すことにした。
読書の最中に、近くに魔法の気配を感じたので、立ち上がって窓を開けて外を確認する。
すると、一羽の茶色い梟が窓のすぐ傍の木に止まってこちらを見ていた。
「……伝達魔法か」
城に勤めている知り合いから俺への伝達魔法らしい。
梟は、俺の手に止まった瞬間に姿を消して、伝達内容に変わる。
しかし、城からの伝達魔法を受け取った俺は凍り付いていた。
「……殿下が、城に戻る途中で誘拐された!?」
将来のために、俺は城中に伝手を作ってある。
なにかあれば、離れた場所にいても直ぐに情報が伝わるように。
今回の連絡も、本来ならばこちらには届かないであろう非公式な情報だった。
時刻は、もう真夜中だ。
ハート寮の生徒達は全員就寝しており、廊下は静まり返っている。
足音を立てないように気をつけながら、俺はカミーユの部屋へと向かった。
「カミーユ、カミーユ……起きて」
小声で囁きながら、カミーユの部屋の扉を控えめにノックする。
すぐに、寝ぼけ眼のカミーユが扉を開けた。彼女は、菫色の寝間着の上にローブを羽織っている。
俺は、周囲に人の気配がないことを確認し、小さな声で先程受け取った伝達魔法の内容を彼女に告げた。
「ろ……ロイス様は無事なの? 護衛の人も一緒だよね?」
「護衛は全滅。殿下だけが連れ去られたらしい……あと少しで城だという場所で」
カミーユは、狼狽えた様子でラズベリー色の瞳を揺らしている。
「……なんで、今頃連絡が来たの? ロイス様と別れたのは夕方。城とはそこまで離れていないし、遅くとも寝る前には連絡があったって良いはずだよね」
「後回しにされたんだろ。俺達はまだ学生だし、「殿下のお気に入り」というだけの存在だから……この情報だって、本来はこちらまで回って来ないはずのものだ」
「……アシルの伝手かぁ。おそらく、護衛職の黒の魔法使い達に城の重鎮達、騎士団の上層部には連絡が行っているだろうね……そこで、塞き止められているのだろうけれど」
彼女の言葉に、俺は小さく頷いた。その通りだ。
事態を大事にしたくないという上層部の考えで、俺やカミーユのところには情報が回って来なかったのだろう。
「アシル、ロイス様の部屋に行こう。私の探知魔法を使う」
「殿下を追う気?」
突然のカミーユの提案に、俺は彼女を凝視した。
「勿論だよ! だって……早く助けないと、ロイス様が危ないかもしれない」
「護衛を全滅させるような相手だよ? カミーユ、不安なのは分かるけど、一度落ち着いて」
取り乱したカミーユを、俺は背後から抱きしめる。
しばらくすると、腕の中のカミーユはいくらか冷静さを取り戻し始めた。
「大丈夫。敵は殿下を生きたまま攫ったんだから、すぐには殺したりしないはずだよ?」
「うん……でも、やっぱり心配だよ。私、ロイス様を助けたい」
カミーユは、俺の手を引っ張りながら、寮にある殿下の部屋へと向かった。
部屋の鍵は、彼女が魔法であっさりと解錠してしまう……見なかったことにしよう。
普段なら、部屋の前には護衛が二人ほど張り付いているのだが……今日は、殿下が留守なので部屋の周りも閑散としている。
殿下の部屋は他の生徒の部屋と比べて二周りほど大きな造りだ。内装もやたらと豪勢である。
「……これを借りよう。探索魔法に使える」
ぶつぶつ呟いているカミーユは、殿下の机の上から彼のメモ帳を手に取ると、探索魔法を発動させた。
メモ帳が光の玉に変わり、宙を舞う。
探索魔法とは、探索する相手の持ち物に付着する魔力を辿って、持ち主を捜し出す魔法のことだ。
「カミーユ、本当に今からいくつもりなの? 無謀だと思うけど」
「じゃあ、一人で行くよ」
薄情な婚約者は俺にそう言い捨てると、光の玉を追って殿下の部屋を出てしまった。
……これは、酷い。
「カミーユ、待って……!」
俺は、慌てて彼女の後を追い掛ける。
すると、廊下の曲がり角からカミーユの悲鳴が聞こえてきた。
「うぎゃあー!」
何かにぶつかって転びそうになっているカミーユを、すんでのところで後ろから支える。
……間に合って良かった。
カミーユにぶつかった背の高い何かは、暗闇の中で平然と立っている。
「あなたは……」
それは、この場所にいるはずのない人物だった。
「……ライガ様?」
ロイス殿下の従兄で、王弟の息子――ライガ・トランスバールが父親似の仏頂面で立ちはだかっている。
カミーユも、驚いた様子でライガを見つめていた。
「こんな時間にハートクラスの寮に侵入するなんて、何事ですか?」
「メイを見なかったか? 外出から帰ったら、姿が見当たらない」
ライガは、表情を変えないままカミーユに話しかけている。
そう言えば以前、ライガの依頼を受けたカミーユが、彼の側仕えであるメイ・ザクロを捜索したことがあったような気がする。
王弟派であるライガやメイと、一応国王派のカミーユは、何故か親しいのだ。
「メイちゃんですか? 今日は見ていませんけど……?」
「探せ」
カミーユの返事を受けたライガは、すぐさま偉そうにそう命令した。
今回も、彼はメイを捜索しているようだ。
「分かりました、メイちゃんの魔力を辿ります。申し訳ないのですが、私達は別で急ぎの用があるので捜索へはライガ様一人で向かって下さい……こっちが片付いたら、メイちゃん捜索手伝います。ライガ様の方が早く解決する可能性大ですけど」
「かまわん、捜索魔法だけで充分だ」
殿下を追う気満々のカミーユは、ライガにそう断ってから探索魔法を発動させた。
探索魔法は、一度探索した相手なら何度でも探し出すことができるという、ある意味恐ろしい魔法なのだ。前回もメイを捜索したカミーユは、メイの持ち物がなくても彼女の魔力を辿ることができる。
ライガは、直ぐに踵を返すとメイを追う光を辿って去って行った。
寝間着姿のカミーユも、引き続き殿下の元へと向かう光を追跡する。
「カミーユは、何を言っても聞かないよね」
「……ごめん」
「でも、やめる気ないんでしょ? 本当にヤバくなったら無理矢理にでも止めるからね」
本当にカミーユは、俺が心配していることを全く分かっていない。
殿下の身の安全も勿論大事だが、俺は彼女にも危険な目に遭って欲しくはないのだ。
……ああ、イライラする。
カミーユは、俺のことを全く理解していないのだ。
「え、えっと……急がなきゃ……」
俺の放つ不穏な空気を感じ取ったのか、カミーユがコソコソと逃げるように、探索魔法の光を追い掛けて行く。
溜息をついた俺は、渋々彼女の後を追うことにした。大事な婚約者を一人で危険な目に遭わせるわけにはいかない。
真っ暗な廊下を仄かに照らす光を辿り、寮の中を進む。
メイを追う光は、ロイス殿下を追う光と同じ方向に進んでいるようで、ライガも俺達の前方を歩いていた。
光は廊下の窓に向かってまっすぐに進むと、勢いよく建物の外へと飛び出す。
メイの居場所を示す光は、窓の外に出ても殿下のものと同じ方向に向かっている。
カミーユと俺は、羽ペンを取り出して空中に浮かせた。ここからは空を飛んで行ったほうが早そうだ。
そんな俺達を見て、窓枠の内側で足止めを食らっている人物――ライガが、声を掛けてきた。
「おい、俺もそれに乗せろ。目的地は違うだろうから、途中までで良い」
頼み事をする側のくせに、彼は無駄に偉そうである。
ライガにそう言われたカミーユは、彼の言葉に仕方なく頷いた。
「途中までなら、ついでで運んでも大丈夫ですけど」
彼は武器による戦闘は得意だが、魔法全般は苦手なようである。
「後ろに乗って下さい」
ライガはためらうことなく、カミーユの羽ペンの後ろへ腰掛けた。
「……!」
ちょっと待て。そこに座るのか!? 一応カミーユは、俺の婚約者だぞ……!?
しかも……奴の手の位置が問題だ。
さり気なく、カミーユの腰を掴むなんて……その場所は、俺以外が触れて良い場所ではない!
けれど、俺の心の叫びも虚しく、カミーユ達は空へと飛び立ってしまった。
外は激しい雨が降っており、時折雷も鳴っている……まるで、俺の心の内を表しているかのようだ。
羽ペンを浮かした俺は、それに跨がりカミーユ達の後を追う。
雨除けと雷除けの魔法も使った。
「こんな時に、大雨だなんてついてないなあ~」
前を飛ぶカミーユの暢気な声が、こちらまで聞こえてくる。人の気も知らないで……
殿下とメイを追う二つの光は、王都の外れに向かって空中を飛び続けている。
どちらの光も、そのまま離れることなく王都の外れにある古い洋館へと向かっていた。
とても大きな建物だが、普段は使われていないのか庭が荒れている。
館の門の近くに着地する。羽ペンをしまい、濡れた地面を踏みしめる。
殿下を追う光も、メイを追う光も同じ場所を目指していたようだ。
「ライガ様……」
固い声を出すカミーユに向けて、ライガが鷹揚に頷く。
「ああ、犯人の目星がついた。俺の父親に取り入る連中の一人だろう」
この際だ、ライガにも手伝ってもらうのも良いかもしれない。
城に個人の騎士団を持つ彼は、自身も一流の険の使い手なのだ。
ライガは腰にさげている鞘からスラリと剣を引き抜いた。細くて真っすぐな長剣だ。
並の威力の魔法ならば全て無効にしてしまうという、かなり貴重な魔法アイテムの剣である。
「ライガ様、雷よけの魔法は施したままにしていますので、心置きなく暴れて下さい」
カミーユの言葉に、ライガはニヤリと笑った。
メイを攫った犯人達を、一人残らず血祭りにあげたいようだ。
その気持ちは良く分かる。俺も、カミーユが連れ去られたら同じ思いを抱くだろう。
「たーのーもー!」
目を離した隙に、カミーユが盛大に館の門を破壊する。
バカミーユめ……そんなに堂々と乗り込んでどうする気だ!
彼女の魔法に気が付いたのだろう、館の中から兵士と思しき男達がわらわらと庭に出てきた。
総勢三十名くらいだ。
……ほら、言わんこっちゃない。
兵士達は、濡れた地面を蹴ってこちらを目指して駆けて来る。
それを見たカミーユが、敵に向けて雷の魔法を放った。
雨に濡れた地面を伝って電流が迸り、庭全体が金色に光る。
俺達は、三人共雷よけの魔法を施しているので無傷だ。怒りに燃えるライガを先頭に、動かなくなった兵士達を跨いで館の中へと侵入する。
「カミーユ、いきなり門を破壊するなんて無茶し過ぎだよ。たまたま地面が濡れていたから一気に攻撃できたけれど、そうじゃなければ……」
「大丈夫だよぉ、アシル。今のできっとロイス様に助けにきたことが伝わったと思う」
「敵にも筒抜けになったけれどね。カミーユ、俺達はまだ学生でこういった戦闘は本職じゃないから無理はしないで。さっき伝達魔法を城へ送っておいたから、危なくなったら先へ進まずに援軍が来るのを待つよ?」
「平気だよ、十年前とは違う。私は強くなったもの」
「それでも心配。もう、二度とあんな怪我はさせないから」
カミーユは、平気そうに微笑むけれど……俺は心配過ぎて気が気でない。
十年前の事件で、カミーユは敵に腹を刺されて倒れた。
運良く、彼女の体内に宿る魔力が敵の武器を伝って、相手を丸焦げにしたおかげで助かったが……そうでなければ、カミーユはあの時、命を落としていたことだろう。
俺は、それが怖くて仕方がない。
あの事件は俺に大きなトラウマを残し、それは今でも消えないのだった。
※
探索魔法の光を追いながら、俺達は誰もいない通路を抜けて石で出来た階段を上がる。
いつ、敵が現れてもいいように、全員が気を張りつめていた。
館の一回の階段から上階へ上がろうとしたところへ、上から矢が振ってくる。敵の罠だ。
「危ない!」
カミーユが魔法で透明な壁を張って矢を防ぐ。
その隙に、俺は射撃してきた相手を魔法で攻撃した。
この分では待ち伏せされていそうだ。慎重に足を進めなければならない。
二階に上がると、廊下の至る所に罠が仕掛けられていた。
俺は、それに気付かずに進むカミーユの腕を引っ張る。
「わっ……とっとっと。何すんの、アシル」
「……足下見て」
言われた通りに足下に目を向けたカミーユは、一瞬にして青ざめた。
彼女のすぐ前に、透明な糸が張られている。糸を切ると、なんらかの仕掛けが発動するのだろう。
「アシル、ありがとう……」
罠に恐れを成したカミーユは、魔法で風の刃を作り出すと、通路に向けてそれを放った。
ブツン、ブツンと糸が切れる音がして、矢の雨やら斧やら落とし穴が現れる。
彼女は、廊下にあった罠を全て破壊し、今は全身を防御魔法で固めて羽ペンで宙に浮いていた。
よほど、罠が嫌だったらしい。
罠が張り巡らされていたエリアを抜けると、予想通りこの館を守る兵達が待ち構えている広間に出た。
広間の中央に五十人、物陰に三十人ほど……
ここの主は、かなりの数の兵士を雇っているようだ。
「ロイス様はどこだー!」
またもやカミーユが、叫びながら羽ペンごと敵に突っ込んで行った。
ライガも走り出し、猛烈な勢いで長剣を振るっている。
……仕方がない。俺も行くか。
カミーユは羽ペンを乗り回して、敵を翻弄しながら風の魔法を放っていた。
風に吹き飛ばされた男達が壁にぶつかり意識を失っていく。
俺は、暴走する二人が取りこぼした敵を確実に仕留めることに専念した。
後で言質を取るために、敵は全員氷付けにしている。氷を溶かせば、中の者は元に戻る仕組みの魔法だ。
十年前とは違う。成長したのだ……俺も、カミーユも。
僅か数分足らずで、俺達は広間を制圧した。
敵の兵士は、最近雇われた者達なのだろう。統率が取れておらず強さもまちまちだ。
訓練されているプロではない。
「早く光を追うぞ」
焦った表情のライガが先を急ぐ。
俺とカミーユも、頷いて彼の後に続こうとしたのだ……が。
広間の中で、今まで一緒に進んできた光の行き先が二つに別れてしまった。
メイの行き先を示す光は真っすぐ奥へと進んでおり、殿下の光は広間の中央付近をウロウロしている。
殿下とメイは、館の中の別々の場所にいるらしい。
「俺のことは構わない。お前達は別の目的でここへ来たのだろう。魔法馬鹿の言動から察するに、ロイスもここにいるのだな……俺はこのままメイを追う」
魔法馬鹿と呼ばれたカミーユは、ライガの言葉にすまなさそうに頷いた。
「すみません、ライガ様。私達はロイス様を追いますね」
この部屋に来てから、殿下を追う光の動きが少し不安定になっている。
あちらこちらを彷徨いている……かと思えば、床に向かって進み出すという、不思議な現象が起こっていた。
「おかしいな、動きが変だ。床に向かって進もうとしてるよ?」
カミーユも、不思議そうに首を傾げている。
「殿下が移動しているのかもしれないね」
ロイス殿下が場所を移されているのならば、急がなければならない。
俺達が来たことに気付いた敵が、殿下を移動させようとしている恐れがある。
そう思って、カミーユの方を振り返ったその時……
俺の目は、部屋の隅でうつ伏せに倒れながら、何らかの魔法アイテムを弄る一人の敵の兵士を捕えた。
瞬間――カミーユの立っていた地面が消失する。
「カミーユ!」
叫んだ時には、既に手遅れだった。
彼女は悲鳴を上げながら階下へと落下している。
俺はすぐさま、カミーユの落ちた穴へと飛び込んだ。
真っ暗な穴に吸い込まれていくカミーユは、恐怖のためかきつく目を閉じていた。
俺は、彼女の腕を掴んで体を反転させる。
そのまま、カミーユの下敷きになる形で床へと落下した。
――痛っっ……!
体中に響き渡る衝撃に、全身の骨が悲鳴を上げている。
あまりの痛みに、意識が飛びそうになった。
――そうだ、カミーユは……
うっすらと目を上げると、ピンク色の髪が見えた。体全体に彼女の重みを感じる。
どうやら、無事にカミーユを守ることができたようだ。
安心した瞬間、俺の意識は急速に遠ざかって行った。かろうじて周囲の音だけが聞こえる。
起き上がったカミーユが、俺の名前を呼んでいる。
「アシル、アシル! 起きてよう……」
カミーユは、泣きそうな声を上げながら、大量の魔力を要する最上級の回復魔法を俺に掛けまくっていた。
下手をすると、魔力枯渇を起こしかねない。
「アシル、起きて、死んじゃ嫌だよう!」
いや、死んでいないから。痛みで動けないだけだから。
俺が話せない間も、彼女は泣きそうな声を出しながら回復魔法を掛け続けている。
……まずい。早くなにか話さないと、カミーユは本当に魔力が枯渇するまで魔法を掛け続けそうだ。
幸い、彼女の魔法が効いてきたようで、俺の感じていた痛みが急速に引いて行った。
「……っ、カミーユ」
声を絞り出してカミーユに声をかけると、彼女はぴたりと動きを止めた。
目を開けると、涙を浮かべているカミーユと目が合う。
「アシル?」
「そんな、悲壮な顔をしなくてもいいよ。ただの打撲だから……カミーユが完治させちゃったからもう平気だけど」
「本当の本当に大丈夫なの? 無理してない?」
俺の言葉に、カミーユが心配そうに問い返した。
「してないよ。咄嗟に衝撃緩和の魔法を使ったから。カミーユこそ、打撲ごときでパニック起こして、そんな上級治癒魔法をバンバン使って大丈夫なの? 立てる?」
どちらかというと、その方が気がかりだ。
予想通り……立ち上がろうとしたカミーユは、魔力消費が多すぎた反動でふらつき、俺の上にダイブした。
今回に限っては、彼女の魔法節約の刺青もあまり意味がなかったらしい。
「う……ご、ごめん」
必死で俺から距離を取ろうとするカミーユだが、腕をついて体を起こそうにも、力が入っていない様子である。
「まったく、後先考えないんだから。でも、俺のために一生懸命魔法を掛けてくれたんだよね……ありがとう」
俺は、倒れた状態で上に乗り掛かっているカミーユを抱きしめると、ぐるりと半転した。
自分のために、魔力枯渇になるまで回復魔法を掛けてくれた彼女が愛おしい。
俺は、反転して仰向けになったカミーユの体を跨いだ。
押し倒されたような体勢になった彼女が、ラズベリー色の瞳を潤ませながら俺を見つめている。
「えっと、あの……アシル?」
「魔力。もうないんでしょ? 俺のをあげるから、大人しくしていて?」
俺の魂胆に気付いたのだろう、カミーユの顔が既に茹で蛸のようになっている。
「ま、魔力受け渡しって……薬でなく直接?」
「直接の方が回復が早いでしょ? 俺が今持っている魔力回復薬は、効果の弱いものばかりだし」
魔力がなくなってしまった場合、薬で回復する他に原始的だが人から人へ魔力を受け渡す方法がある。
方法が方法なだけに、魔法使いの間でも実戦する人間は少ないが……
俺も、カミーユ以外の相手には行わないだろう。
その方法とは、人の体内から体内へ直接魔力を流し込む――即ち、魔力の経口摂取だ。
「あ、アシル待っ……」
俺は、慌てるカミーユにゆっくりと覆い被さると、彼女がが全てを言い終える前に、問答無用でその唇を塞いだ。カミーユは、声にならない叫びを上げている。
「ん……んんーっ!」
弱弱しく抵抗するカミーユの手首を優しく拘束し、彼女の唇を堪能する。役得だ……
「あしる、もっ、やめ……んうっ!」
舌っ足らずなカミーユが抗議の声を上げた瞬間、彼女の口内に下を滑り込ませる。
そうしているうちに、カミーユの体中に俺の魔力が行き渡った。
「っあの、アシル、ちょっと退いて……」
唇を離すと、息も絶え絶えのカミーユが、俺を見つめながら懇願する。
「もう少しだけ魔力を回復させようか」
なんだかカミーユと離れ難くなった俺は、彼女に最後まで言わせず再び唇を奪おうとして……
「あー、コホンコホン。二人とも、その辺にしておいてくれるかな。目の前でそれ以上の事をされたら反応に困ってしまうよ。あとアシル、ここは敵地だって事を忘れないように」
ちっ……横やりが入ったか。
「……知っていますよ」
突如響いた聞き覚えのある声に向かって、返事を返す。
良いところを邪魔されたが、彼が無事で良かった……
カミーユは、俺の隙を見逃さずに体の下から這い出している。
そのまま、彼女は声の主に向かって一目散に駆け出した。
「ロイス様~!」
「アシル、カミーユ! ありがとう、二人が来てくれるなんて……」
碧色の瞳を揺らしながら、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて殿下がこちらへ歩いて来る。
「当たり前じゃないですか! ロイス様をこんなところで一人にはしませんよ!」
殿下の言葉を受けたカミーユが、力強くそう宣言した。
「ところで、殿下。どうしてこんな所を彷徨いているのですか? 俺は、てっきりどこかに拘束されているかと思っていたのですが……」
「そうだよ? もともと地下牢に閉じ込められていたんだけど、外で爆発音が聞こえたから脱走してみたんだ。警備がゆるゆるだったからすんなりここまで来れた。誰も箱入り王子が脱獄するなんて思ってもみなかったのだろうね」
敵を出し抜いた殿下は、ご満悦のようだ。
「これから、どうしましょうか?」
本来ならばここで、殿下を外へ連れ出して任務完了である。
城へ伝達魔法を飛ばしているので、放っておいても城から派遣された兵達が殿下を攫った犯人を捕えるだろう。
しかし、今ここにはライガとメイがいるのだ。俺は、黙って殿下の出方を伺った。
「メイ・ザクロを助けに行くんだよね?」
殿下の言葉に、カミーユが目を見張る。
「ロイス様、何故それを……」
「見張りの兵達が、彼女が連れて来られたと話していたのを聞いたよ。犯人は野心家の貴族だ。彼の狙いは分かっている。僕を人質にして、王弟に王位を渡せと父に迫ろうとしているんだ」
「ロイス様? ……それなのに、メイちゃんを助けに行っても良いんですか?」
カミーユの言葉に、殿下は爽やかな笑顔で頷いた。
「うん。今、ライガ達に恩を売っておいたら、後々楽しそうじゃない?」
殿下が、俺のようなことを言っている。
しかし、俺も殿下の意見に賛成だ。
「カミーユ、もう魔力は大丈夫なの? アシルにだいぶ回復してもらった?」
「あ……はい。大丈夫ですとも!」
カミーユの顔が、再び茹で蛸状態になっている。先程の出来事を思い出しているようだ。
「あのさ……僕を狙った犯人なんだけど、異様に強い男だったな……それに、顔を隠していたけれど、なんだか見覚えがあるんだよねえ」
「……犯人は、知り合いということでしょうか」
「かもね。黒幕を問いつめればきっと分かるよ」
殿下と合流した俺達は、三人で再び上階を目指すことにした。
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