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35:<木曜日> 牛・豚・鶏のカレー2
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しばらくすると開店時間になり、店の扉が音を立てて開いた。
従業員二人が、「お待たせいたしました~!」と、お客を中へ案内する。
しかし、全員は入りきらなかったのか、店へ入れたのは楓の前の客までだ。
席が空くまで待たなければならないので、楓は外から店の中を観察した。
洋燈堂よりも広めの店内には、びっしりと椅子が並び、狭い通路を通る従業員が、注文を聞いて回っている。
奥には階段があり、二階も客席になっているようだ。
人気店だけあって、たくさんの人が働いていた。
キッチンに二人、接客に三人、両方の橋渡しに一人という感じで配置されている。
しばらくすると、カレーのいい香りが店の外まで漂ってきた。
「お腹が空いてきました……」
「僕もだよ」
待つこと数十分、ようやく楓たちが店に入る番がくる。思ったより回転が速い。
案内されたのは、テーブルの並ぶ二階の窓際席だった。
少し昭和の香りを残す路地の風景がよく見える。
楓たちは三種の合い掛けカレーを頼む。やっぱり、いろいろな味を食べてみたいのだ。
カレーを待つ間、周りの客席を観察すると、カップルや夫婦や女性の集団など、様々なお客が座っているのが目に入る。
一階のカウンター席には、男性の一人客もいた。
(この店のスパイスカレーは、老若男女問わず愛されているんだな)
少し経つと、大皿に載ったカレーが運ばれてきた。
「わあ、おいしそう。豪華ですね」
黄色いご飯の周りに、濃厚ビーフカレー、豚のスペアリブカレー、鶏つくねカレーがそれぞれ入っている。上には煮卵とパクチーが飾られていた。
染さんも興味津々の様子で、カレーを眺めている。
「いただきます」
まずは、淡い色で、あっさりしていそうな鶏つくねカレーから。
和風出汁を使ったカレーで、上品だけれどしっかりとした味がついていた。
つくねがジューシーで、カルダモンの香りが立っている。
続いて豚のスペアリブカレーを食べるけれど、こちらはトマトが入っており、カレー全体が赤い。
ほんのり酸味が感じられ、噛み応えのある豚肉が味を引き立てている。
最後は濃厚ビーフカレー、その名の通り色が黒めで味が濃そうだ。
味は予想どおりまろやかで濃厚。牛肉も柔らかく、タマネギもおいしい。
「牛肉のカレーには、赤ワインが混じっているね」
染さんは、食べただけでカレーの中身がわかるようだ。
楓はまだ、その域まで到達していない。
あっという間に、二人ともカレーを完食し、満足しながら店を出た。
車に乗り込んで、喋りながら洋燈堂へ向かう。
(もうちょっと一緒にいたかったな……なんて、無理な話だよね)
あくまで、楓と染さんは仕事を通じた関係なのだ。
ただの雇い主と従業員よりは、仲がいいと思っているけれど、プライベートな関係とは言い切れない。
(私が一方的に、お世話になっているだけ)
けれど、寄り道せず目的地へ進む染さんの車が、不意に道路脇に止まる。
洋燈堂まで、あと少しという位置だ。
「染さん? どうかしましたか?」
顔を上げると、思いがけない事態になっていた。
何かを言いたそうな染さんが、楓をまっすぐ見つめている。
もしかして、具合が悪いのだろうかと心配していると、戸惑いがちに彼が口を開いた。
「あのね、楓ちゃん。前に話したことなんだけど」
「な、なんですか?」
ただならぬ雰囲気に、楓も困惑する。
「ええと、君に『好きな人がいない?』って、尋ねたときの話で……覚えていないかもしれないけれど」
「覚えています」
記憶はバッチリ、楓の頭に残っていた。
昨日、恋人の有無の話になり、彼から理さんを勧められたのだ。
(何も、今、蒸し返さなくてもいいのに)
不満に思う楓の気持ちとは裏腹に、染さんは話を続ける。
「その、楓ちゃんさえ良ければなんだけど」
「はい、なんですか?」
しかし、染さんはまた黙り込んでしまった。再び、長い沈黙が訪れる。
(弟と付き合ってくださいとでも言うつもりなの?)
これ以上傷つかないように、楓は息を呑んで身構える。
しかし、返ってきたのは、意外な言葉だった。
「君さえ良ければ、僕と……お付き合いしてくれませんか?」
目を見張った楓は、予想外の答えに思考を停止させる。
(聞き間違い? 染さんが今、「僕と」って、口にしたような)
瞬きを繰り返す楓に向かって、彼は言葉を続ける。
「やっぱり、駄目だよね。僕と付き合うなんて」
どうして一人で完結させるのだろう、この人は。
「出会ったときから、僕は君のことを可愛いと思っていて……一緒に働くうちに、どんどん惹かれていって。昨日も一昨日も、君が理と喋っているだけで嫉妬してしまうし」
話している途中で、染さんは「僕は何を言っているんだろう」と、耳をを真っ赤にしながら目をそらす。
楓は慌てて彼に声をかけた。
「染さん、落ち着いてください。私、まだお返事をしていないです」
楓自身も混乱していた。
ずっと自分を子供扱いしてきた人物が、まさかの告白をしてきたのだから。
冗談かとも思ったが、染さんはそんな真似ができる人ではない。
(怖がって、逃げていい場面じゃないよね)
恥ずかしいし、怖い……
けれど、勇気を出して、楓は息を吸い込んだ。
従業員二人が、「お待たせいたしました~!」と、お客を中へ案内する。
しかし、全員は入りきらなかったのか、店へ入れたのは楓の前の客までだ。
席が空くまで待たなければならないので、楓は外から店の中を観察した。
洋燈堂よりも広めの店内には、びっしりと椅子が並び、狭い通路を通る従業員が、注文を聞いて回っている。
奥には階段があり、二階も客席になっているようだ。
人気店だけあって、たくさんの人が働いていた。
キッチンに二人、接客に三人、両方の橋渡しに一人という感じで配置されている。
しばらくすると、カレーのいい香りが店の外まで漂ってきた。
「お腹が空いてきました……」
「僕もだよ」
待つこと数十分、ようやく楓たちが店に入る番がくる。思ったより回転が速い。
案内されたのは、テーブルの並ぶ二階の窓際席だった。
少し昭和の香りを残す路地の風景がよく見える。
楓たちは三種の合い掛けカレーを頼む。やっぱり、いろいろな味を食べてみたいのだ。
カレーを待つ間、周りの客席を観察すると、カップルや夫婦や女性の集団など、様々なお客が座っているのが目に入る。
一階のカウンター席には、男性の一人客もいた。
(この店のスパイスカレーは、老若男女問わず愛されているんだな)
少し経つと、大皿に載ったカレーが運ばれてきた。
「わあ、おいしそう。豪華ですね」
黄色いご飯の周りに、濃厚ビーフカレー、豚のスペアリブカレー、鶏つくねカレーがそれぞれ入っている。上には煮卵とパクチーが飾られていた。
染さんも興味津々の様子で、カレーを眺めている。
「いただきます」
まずは、淡い色で、あっさりしていそうな鶏つくねカレーから。
和風出汁を使ったカレーで、上品だけれどしっかりとした味がついていた。
つくねがジューシーで、カルダモンの香りが立っている。
続いて豚のスペアリブカレーを食べるけれど、こちらはトマトが入っており、カレー全体が赤い。
ほんのり酸味が感じられ、噛み応えのある豚肉が味を引き立てている。
最後は濃厚ビーフカレー、その名の通り色が黒めで味が濃そうだ。
味は予想どおりまろやかで濃厚。牛肉も柔らかく、タマネギもおいしい。
「牛肉のカレーには、赤ワインが混じっているね」
染さんは、食べただけでカレーの中身がわかるようだ。
楓はまだ、その域まで到達していない。
あっという間に、二人ともカレーを完食し、満足しながら店を出た。
車に乗り込んで、喋りながら洋燈堂へ向かう。
(もうちょっと一緒にいたかったな……なんて、無理な話だよね)
あくまで、楓と染さんは仕事を通じた関係なのだ。
ただの雇い主と従業員よりは、仲がいいと思っているけれど、プライベートな関係とは言い切れない。
(私が一方的に、お世話になっているだけ)
けれど、寄り道せず目的地へ進む染さんの車が、不意に道路脇に止まる。
洋燈堂まで、あと少しという位置だ。
「染さん? どうかしましたか?」
顔を上げると、思いがけない事態になっていた。
何かを言いたそうな染さんが、楓をまっすぐ見つめている。
もしかして、具合が悪いのだろうかと心配していると、戸惑いがちに彼が口を開いた。
「あのね、楓ちゃん。前に話したことなんだけど」
「な、なんですか?」
ただならぬ雰囲気に、楓も困惑する。
「ええと、君に『好きな人がいない?』って、尋ねたときの話で……覚えていないかもしれないけれど」
「覚えています」
記憶はバッチリ、楓の頭に残っていた。
昨日、恋人の有無の話になり、彼から理さんを勧められたのだ。
(何も、今、蒸し返さなくてもいいのに)
不満に思う楓の気持ちとは裏腹に、染さんは話を続ける。
「その、楓ちゃんさえ良ければなんだけど」
「はい、なんですか?」
しかし、染さんはまた黙り込んでしまった。再び、長い沈黙が訪れる。
(弟と付き合ってくださいとでも言うつもりなの?)
これ以上傷つかないように、楓は息を呑んで身構える。
しかし、返ってきたのは、意外な言葉だった。
「君さえ良ければ、僕と……お付き合いしてくれませんか?」
目を見張った楓は、予想外の答えに思考を停止させる。
(聞き間違い? 染さんが今、「僕と」って、口にしたような)
瞬きを繰り返す楓に向かって、彼は言葉を続ける。
「やっぱり、駄目だよね。僕と付き合うなんて」
どうして一人で完結させるのだろう、この人は。
「出会ったときから、僕は君のことを可愛いと思っていて……一緒に働くうちに、どんどん惹かれていって。昨日も一昨日も、君が理と喋っているだけで嫉妬してしまうし」
話している途中で、染さんは「僕は何を言っているんだろう」と、耳をを真っ赤にしながら目をそらす。
楓は慌てて彼に声をかけた。
「染さん、落ち着いてください。私、まだお返事をしていないです」
楓自身も混乱していた。
ずっと自分を子供扱いしてきた人物が、まさかの告白をしてきたのだから。
冗談かとも思ったが、染さんはそんな真似ができる人ではない。
(怖がって、逃げていい場面じゃないよね)
恥ずかしいし、怖い……
けれど、勇気を出して、楓は息を吸い込んだ。
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