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26:<月曜日> キャベツ
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染が楓と出会ったのは、洋燈堂が開店して二ヶ月目のことだった。
祖父の営んでいたバーを軽く改装した染は、カレー屋で自由に好きな料理を作り、客に振る舞いたいと思っていた。しかし、現実は厳しい。
田中という常連客はできたが、店は閑古鳥が鳴いている状態。
そんな中、訪れたのが楓だった。
彼女が来たのは、秋の穏やかな日。開店前に階段の踊り場に所在なさげに立っていた。
店を観察しているのが窓越しに目に入り、飼っている兎のヘメンに雰囲気が似ていると思ったのを覚えている。
それで、気づいたら声をかけていたのだ。
おどおどした様子の楓は、カレーとチャイを注文し、興味深げに店内を見回していて――そんなところまで、ヘメンと似ていた。
カウンター越しに、染の作業する姿をじっと眺めているので、「カレーに興味があるの?」と聞いてみると、スパイスを合わせるのが面白いという答えが返ってきた。
カレー作りに興味を持ってくれるのは嬉しい。
チャイも作っていると、また視線を感じた。
(大学生かな?)
まだ、世慣れていない感じがする。
完成したカレーとチャイを出すと、彼女は「いただきます」と言って、勢いよく食べ始めた。気持ちいいくらいの食べっぷりで、その姿は、やはり兎のヘメンを彷彿とさせる。
しかも、田中には嫌がられる染のカレー語りも、楓は楽しそうに聞いてくれた。
(可愛いな)
それが、彼女の第一印象だった。
※
次に会ったとき、楓は駅の入り口で膝を抱え、小さくうずくまっていた。
明らかに体調が悪そうなのに、すぐに立ち上がろうと地面に片手をつく。
ふらつく彼女を慌てて呼び止めた。
手助けを遠慮し続ける楓を車に乗せ、近くの病院へ連れて行く。見捨てるという選択肢はなかった。
診察の間、店に戻って食べ物を用意した。タンドリーチキンとライス、そしてサブジだ。
治療が終わり、落ち着いた楓に渡すと、彼女はその日のうちに料理の入っていた容器を返しに来た。彼女の会社はハードで、朝早くから夜遅くまで働きづめだという。
休日出勤も多く、次にいつ来られるかわからないとのこと。
医師の診断は疲労と栄養失調、精神的な問題もあるかもしれないというものだ。
ブラックな会社で働き続ける彼女が心配だった。
これ以上体を悪くする前に会社を辞めて欲しいけれど、無責任な話はできない。
そのまま、何日か経ち――
次に会ったとき、無事な彼女の姿を目にして、思わず笑みがこぼれてしまったのは内緒だ。
店には、甘口スペシャルを食べる田中もいたが、染と楓のやり取りは気に留めていない模様。
田中が帰ったあとで話すと、楓は退職したのだと教えてくれた。
少しくらい休めばいいのに、彼女はもう次の仕事を探そうと動いている。
どこか焦燥に駆られる様子の楓を眺めていると、また同じことの繰り返しになるような悪い予感がした。
なので、つい、洋燈堂で働かないかと誘ってしまったのだ。それは、とても良い提案に思えた。
アルバイトでの採用だが、洋燈堂は祖父の持ち家だったので家賃がかからない。
一人くらいなら、問題なく雇える。家賃に困っている様子だったので、一階を貸すことも提案してみた。
もとは祖父が暮らしていたが、現在は誰もおらず、一階は倉庫と化している。
空き家のままより、誰かに住んでもらう方が、手入れも行き届くし良い。
そうして、楓の次の職が見つかるまでの間、染と彼女は一緒に洋燈堂で働く仲間になった。
二人での仕事が始まったわけだが、楓の働きは目を見張るものがあった。
次々に新しいアイデアうちだし、店は徐々に軌道に乗り始める。
彼女は、とても優秀な働き手だったのだ。
ホームページや名刺を作り、配達を始め、メニューやインテリアを変え、カレーフェスにエントリーする楓。
そして、ついに洋燈堂に雑誌の取材の人までやって来た。
でも、もうすぐ春。楓もそろそろ就職しなければならない時期だ。
ずっとずっと、彼女が店を出て行かないかと心配し、胸が締め付けられるような日々を過ごしていた。
けれど、楓は店に残ると言ってくれた。
いろいろな意味で、それが、どれほど嬉しかったか。
(そうだ。僕は、以前から自覚していた)
出会ったときから、楓が気になっていたことを。
そして、それを全く本人に伝えられていないことを。
だから、彼女が店を続けると話してくれた瞬間、つい口を滑らせてしまった。
もとを辿れば、好意を告げられない染が悪いのだが、楓が「業務上の理由だけで、染が自分を雇い続けたいと思っている」と勘違いしていたので、たまらなくなり、叫んでしまったのだ。
「僕は、楓ちゃんがいなくなってしまうのが寂しくて。楓ちゃん以外のバイトなんて考えられなくて……!」
どう考えても、いい大人の台詞ではない。
自分の恥ずかしい姿を思い出すだけで、ゴンゴンと壁に頭をぶつけたい衝動に駆られる。
(どうしよう、楓ちゃんと顔を合わせるのが気まずい)
なんとか当日の仕事は終わらせたものの、明日も仕事があるので楓と会わなければならない。
悶々とした気持ちのまま、染はヘメンにキャベツを与えるのだった。
祖父の営んでいたバーを軽く改装した染は、カレー屋で自由に好きな料理を作り、客に振る舞いたいと思っていた。しかし、現実は厳しい。
田中という常連客はできたが、店は閑古鳥が鳴いている状態。
そんな中、訪れたのが楓だった。
彼女が来たのは、秋の穏やかな日。開店前に階段の踊り場に所在なさげに立っていた。
店を観察しているのが窓越しに目に入り、飼っている兎のヘメンに雰囲気が似ていると思ったのを覚えている。
それで、気づいたら声をかけていたのだ。
おどおどした様子の楓は、カレーとチャイを注文し、興味深げに店内を見回していて――そんなところまで、ヘメンと似ていた。
カウンター越しに、染の作業する姿をじっと眺めているので、「カレーに興味があるの?」と聞いてみると、スパイスを合わせるのが面白いという答えが返ってきた。
カレー作りに興味を持ってくれるのは嬉しい。
チャイも作っていると、また視線を感じた。
(大学生かな?)
まだ、世慣れていない感じがする。
完成したカレーとチャイを出すと、彼女は「いただきます」と言って、勢いよく食べ始めた。気持ちいいくらいの食べっぷりで、その姿は、やはり兎のヘメンを彷彿とさせる。
しかも、田中には嫌がられる染のカレー語りも、楓は楽しそうに聞いてくれた。
(可愛いな)
それが、彼女の第一印象だった。
※
次に会ったとき、楓は駅の入り口で膝を抱え、小さくうずくまっていた。
明らかに体調が悪そうなのに、すぐに立ち上がろうと地面に片手をつく。
ふらつく彼女を慌てて呼び止めた。
手助けを遠慮し続ける楓を車に乗せ、近くの病院へ連れて行く。見捨てるという選択肢はなかった。
診察の間、店に戻って食べ物を用意した。タンドリーチキンとライス、そしてサブジだ。
治療が終わり、落ち着いた楓に渡すと、彼女はその日のうちに料理の入っていた容器を返しに来た。彼女の会社はハードで、朝早くから夜遅くまで働きづめだという。
休日出勤も多く、次にいつ来られるかわからないとのこと。
医師の診断は疲労と栄養失調、精神的な問題もあるかもしれないというものだ。
ブラックな会社で働き続ける彼女が心配だった。
これ以上体を悪くする前に会社を辞めて欲しいけれど、無責任な話はできない。
そのまま、何日か経ち――
次に会ったとき、無事な彼女の姿を目にして、思わず笑みがこぼれてしまったのは内緒だ。
店には、甘口スペシャルを食べる田中もいたが、染と楓のやり取りは気に留めていない模様。
田中が帰ったあとで話すと、楓は退職したのだと教えてくれた。
少しくらい休めばいいのに、彼女はもう次の仕事を探そうと動いている。
どこか焦燥に駆られる様子の楓を眺めていると、また同じことの繰り返しになるような悪い予感がした。
なので、つい、洋燈堂で働かないかと誘ってしまったのだ。それは、とても良い提案に思えた。
アルバイトでの採用だが、洋燈堂は祖父の持ち家だったので家賃がかからない。
一人くらいなら、問題なく雇える。家賃に困っている様子だったので、一階を貸すことも提案してみた。
もとは祖父が暮らしていたが、現在は誰もおらず、一階は倉庫と化している。
空き家のままより、誰かに住んでもらう方が、手入れも行き届くし良い。
そうして、楓の次の職が見つかるまでの間、染と彼女は一緒に洋燈堂で働く仲間になった。
二人での仕事が始まったわけだが、楓の働きは目を見張るものがあった。
次々に新しいアイデアうちだし、店は徐々に軌道に乗り始める。
彼女は、とても優秀な働き手だったのだ。
ホームページや名刺を作り、配達を始め、メニューやインテリアを変え、カレーフェスにエントリーする楓。
そして、ついに洋燈堂に雑誌の取材の人までやって来た。
でも、もうすぐ春。楓もそろそろ就職しなければならない時期だ。
ずっとずっと、彼女が店を出て行かないかと心配し、胸が締め付けられるような日々を過ごしていた。
けれど、楓は店に残ると言ってくれた。
いろいろな意味で、それが、どれほど嬉しかったか。
(そうだ。僕は、以前から自覚していた)
出会ったときから、楓が気になっていたことを。
そして、それを全く本人に伝えられていないことを。
だから、彼女が店を続けると話してくれた瞬間、つい口を滑らせてしまった。
もとを辿れば、好意を告げられない染が悪いのだが、楓が「業務上の理由だけで、染が自分を雇い続けたいと思っている」と勘違いしていたので、たまらなくなり、叫んでしまったのだ。
「僕は、楓ちゃんがいなくなってしまうのが寂しくて。楓ちゃん以外のバイトなんて考えられなくて……!」
どう考えても、いい大人の台詞ではない。
自分の恥ずかしい姿を思い出すだけで、ゴンゴンと壁に頭をぶつけたい衝動に駆られる。
(どうしよう、楓ちゃんと顔を合わせるのが気まずい)
なんとか当日の仕事は終わらせたものの、明日も仕事があるので楓と会わなければならない。
悶々とした気持ちのまま、染はヘメンにキャベツを与えるのだった。
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