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20:<土曜日> バターチキンカレー

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 大変だ、理さんが倒れてしまった!
 染さんと楓は、慌てて彼に駆け寄った。

「理、理!?」
 
 元医者らしく、染さんは理さんの状態を確認している。
 
「念のため、病院へ連れて行こう」
  
 買い出し用の車に二人がかりで理さんを乗せ、楓と染さんは病院へ向かった。
 検査などを行った結果、彼は過労で倒れたとのこと。
 一日だけ入院できるそうなので、そのまま二人で病室についていく。
 ベッドの脇の椅子に座った染さんは、苦しげな表情で言った。
 
「僕のせいかもしれない。僕が何もかも捨てて逃げたから、理が全てを背負って……」
「染さんのせいじゃありませんよ。仕事が忙しいのかもしれません。理さんが店に来るのは、いつも遅い時間ですし」
「理は高校の数学教師なんだ。彼の職場は、この近所だよ。教師の仕事は特に大変みたいだ。時間に追われ、精神的にも参ってしまったんだろうね」
 
 少し固い理さんの口調を思い出した楓は、「確かに教師という雰囲気だ」と思った。
 きっと、熱心な先生なのだろう。
 けれど、そのぶん多くのことを抱え込み、しんどい思いをしていそうだ。
 心配していると、理さんが目を覚ました。彼は不思議そうに染さんや楓を見る。
 
「ここは……?」
「病院だよ。店で気を失ったの、覚えていない?」

 染さんが経緯を説明すると、理さんは驚いて起き上がった。

「気絶したとき、床で体を打ったみたいだけれど大丈夫?」
「ああ、体が痛むのは、そのせいか。問題ない」
「今日はここに泊まるといいよ」
「いや、帰らせてもらう。仕事が残っているからな」
 
 やる気満々の理さんだけれど、足下がふらついている。楓は慌てて彼をベッドへ押し戻した。

「何をするんだ!」
「駄目ですよ。無理をすれば、また倒れてしまいます。残っている仕事はなんですか?」
「採点業務と学級通信だ。全部鞄の中に入っている」
「回答があれば私でも採点できますけど。学級通信の方は……」
 
 何を書けばいいか見当もつかない。言い及んでいると、染さんが手を挙げた。

「僕がやるよ! スマホがあるし」
「はあっ!? 何を載せる気なんだ!」
「いいから、いいから。僕に任せて、理は寝ていなきゃ駄目だよ」
 
 とりあえず、採点の方は許可してもらえたので、病院の台を借りて丸をつけていく。
 染さんは、頼まれていないのに、勝手にスマホで学級通信を作り出した。
 
「理さんは休んでいてくださいね」
 
 楓の採点は問題なく進み、染さんは学級通信のテーマを「カレーの歴史」にしてしまった。
 夜も遅い時間帯だったので、作業を終えた楓たちは、ひとまず家へ帰る。病院に寝泊まりするわけにもいかないので。
 
 翌日退院できた理さんは、その足で自宅に戻り、準備して、いつも通り出勤したようである。
 ただ、楓が帰る直前に彼はつぶやいていた。
 こんな状態で教師を続けても生徒たちに申し訳ない、きりの良いところで辞めた方がいいかもしれないと。
 
 どこまでもまっすぐな理さんは、素敵な先生なのだと思う。
 今は余裕のない職場が多いので、体を壊すのは避けて欲しい。
 同じような目に遭った楓としては、理さんが元気になるのなら、別の仕事を探すのもありだと感じるのだった。
 
 ※
 
 数日後、フェスの申し込みを無事に終えた楓たちは、忙しい日々を送っていた。
 最近、お客さんが増えてきた。
 特に休日は、お店にお客さんが入りきらないときがあるのだ。
 そんな日は、楓も染さんもてんてこ舞い。

(副菜やドリンク作りを事前に教わっていて良かった)

 染さんは、カレーを作るので手一杯だ。
 配達もあるけれど、最近は忙しく、店を出られない。

(せめて、もう一人いればなあ)

 そんなことを思わずにはいられない楓だった。
 
 この日は理さんも来店していた。最近、彼の来る頻度が上がっている。

「理、体は大丈夫なの?」
「平気だ」
「学級通信なら書いてあげるよ」
「いらん! カレーの歴史は好評だったが、俺の学級にまでカレーを広めるな!」

 理さんは、前よりも元気そうだった。
 とはいえ、仕事は多いようで相変わらず忙しそうだ。

 遅い時間帯になると、雛ちゃんがやってくる。
 理さんを見るなり、雛ちゃんがあんぐりと口を開けた。

「あ、賀来先生だ!」
「えっ……!?」
 
 驚きに目を見張る理さんと楓。染さんも興味深そうにカウンターから顔を出した。
 
「あれ、雛ちゃんって、理の教え子だったの?」
「高校の、数学の先生だよ。格好いいって、女の子に人気なの」
 
 染さんの方から「ブフッ」と変な音がした。笑いをこらえるのに失敗したようだ。
 理さんは決まり悪そうに黙り込んでいたが、教師らしく雛ちゃんに質問した。
 
「どうして、君はこんな時間にカレー屋にいるんだ。早く家へ帰りなさい」
「いいんだよー。店長さんに英語を教えてもらっているんだもん! お兄ちゃんが迎えに着てくれるし!」
「は?」
 
 楓は、理さんに事のあらましを説明した。

「……というわけで、雛ちゃんはここへ勉強しに来ているんです」
「学年主任は、そんな授業をしているのか」
「ねー、賀来先生。授業中に立たせるのを辞めさせてよー」
「無理だ。彼に意見できる教師はいない」
「ヘタレー」
 
 もごもごと「ヘタレで結構だ」と答えた理さんは、カレーとチャイを注文した。
 理さんの職場のことは、染さんに聞いて知った。教師の世界にも色々あるようだ。
 
「今日はバターチキンカレーですね」
 
 ヨーグルトやスパイスに漬け込んだ鶏もも肉を使った、生クリーム入りの濃厚なカレーだ。タンドリーチキンを作った際、余ったソースにトマトやバターを混ぜて作ったのが発祥らしい。ムルグマカニとも呼ばれている。
 カシューナッツのペーストを加えれば、さらにまったりするという。
 
 時間が来たので、楓は店の看板を片付けた。
 混むのはいつも、昼と夜の早い時間。それから休日。
 
「そうだ、理。パニールいる?」
「……なんだそれは。聞く前に説明しろ」
 
 パニールは、インドのさっぱりしたチーズ。牛乳、レモン汁、水があれば作ることができる。
 染さんの代わりに、楓は理さんにパニールについて伝えた。

「加来先生とカレー屋さん、仲いいの?」
「……というか、双子の兄弟だよ。僕がお兄ちゃん」
「ええっ!?」

 にこやかな染さんと、ムッツリ顔の理さん。双子だけれど、中身は全然違う。
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