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19:<土曜日> トリプル掛け三色カレー

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 理は、黙々と作業する染を観察し、その様子を見た楓が解説を始める。

「あの緑色のドロドロは、ほうれん草と青唐辛子とバジルですね」
「食べるのを躊躇する色だな」

 フライパンに油を引き、謎のスパイスを炒め始める染。
 生姜やにんにく、タマネギを入れ、最後に緑の物体を投入した。
 さらに、潰したトマトを放り込んでいる。
 緑と赤が渦を巻いて混じり合い、えもいわれぬ様相を呈し始めた。そこにパウダー状のスパイスと塩が加えられていく。

「おい、あれは本当に食べられるんだろうな」
「大丈夫ですよ。マイルドでおいしいカレーですから」
 
 染は別で炒めた鶏肉をフライパンに入れ、砂糖やバターを混ぜ始めた。
 
(なんでもありなのか、カレーというのは)
 
 バターとスパイスの混じり合った、なんとも言えない香りが広がる。
 楓が盛り付けを手伝いに行き、カウンターにサグカレーを運んできた。
 
「どうぞ。いい匂いでしょう?」
 
 理はカレーを見ながら頷いた。
 
「見た目はあれだが、バターの香りは好きだ」
「生クリームを使っても合うし、チーズも合います」
 
 さっそく一口掬って食べてみると、楓の言ったとおり、甘くてまろやかな味わいだ。
 ほんのりと、ほうれん草の香りもする。

「ね、おいしいでしょう?」
 
 素直に答えるのも癪なので、黙って口を動かし続ける。
 そんな理の態度も彼女はお見通しのようで、微笑みながらキッチンへ帰っていった。
 入れ替わりに、カウンターの向こうから染が顔を出す。

「理、珍しいね。仕事帰り?」
「……ああ」
「忙しそうだね。なんだか、顔色が良くないけど」

 そう言われ、理は急に腹が立った。

「お前には関係ないだろう」

 お気楽な染に、理の置かれた立場が理解できるわけがない。
 
 理が欲しくて仕方がなかった才能を無駄にして、祖父の店にすがって、調理師学校も出ていないのにカレー店など始めて。こんなにも、楽しそうに暮らしていて。

「染はずるい」

 つい、そんな言葉が口から漏れてしまった。
 心の中がドロドロと渦を巻き、息が苦しくなる。
 
 そうだ、薄々気づいていたのだ。自分はどこかで染を羨ましく思っていると。
 理だって毎日楽しく働きたいし、好きなことを仕事にしたかった。何が好きなのかは、わからないけれど。
 もちろん、世の中、理想通りの仕事に就けない人が大半だ。だけど皆、頑張って働いている。
 
「理は前にも、そんな話をしていたね」
「は? 話した覚えはないが」
「覚えていないのかな。前に店に来たとき、僕に色々教えてくれたでしょう? 学年主任のおじいさんがワガママだとか、同僚の尻拭いはもう嫌だとか、問題のある生徒は親も話が通じないとか」
 
 染に言われて、理は黙り込んだ。これらは、日頃から自分が思っていた内容だからだ。
 そういえば、前に店を訪れたら酒を飲まされた。
 酔ってしまったあと、しばらく記憶が飛んでいるので、その際のことだろう。不覚だった。
 
 カレーを食べ終えた理は、染に会計を渡して席を立つ。
 しかし、染が理の腕をとって言った。

「またおいでよ、理」
「忙しいから無理だ。それより染、カレーフェスの申し込みは明日までだろ。準備しなくていいのか?」
「それなら、奥で楓ちゃんが……」

 染が話し始めた瞬間、キッチンから楓が飛んできた。

「そ、染さん、これ、どうですか? 写真のカレーに、サグカレーを合わせて……赤、白、緑の三色にするんです。ご飯黄色だし、素敵な感じになるかと。名付けて、トリプル掛け三色カレーです」
 
 カウンターの上に置かれたのは、紙に色鉛筆で描かれた簡単なイラストだ。
 
(メニューといい、微妙に絵が上手いんだよな)
 
 楓がちらりと理を見た。これは、意見を聞かれているのか。

「インパクトはあるんじゃないか?」

 応えると、楓は嬉しそうに表情を崩した。
 いつもは接客用の笑顔が多いが、こういう顔も出来るのかとまじまじ眺めてしまう。
 すると、隣から染の咳払いが聞こえた。
 
「……なんだ?」
「別に?」
 
 理の様子を窺った染は、少し間を置いて口を開く。

「ねえ、理。この店で働かない?」
「何言ってんだ? 働くわけがないだろ」
 
 一体、染は何を言い出すのだ。簡単に教師を辞められるとでも思っているのか。
 
「俺は、お前とは違う」
 
 やるべき仕事を投げ出したりしない。
 だいたい、今、理がいなくなったら、生徒たちはどうなる。
 せめて三学期が終わってからでないと……
 
(あれ、俺、なんで辞める方向で考えているんだ?)
 
 この店に来て染に会うと、自分までおかしくなってしまいそうだ。
 足早に店を出ようとした理だが、視界がぐらついた。
 染と楓の声が聞こえるが、何を言っているのかわからない。床に膝をついたまま、意識は遠ざかっていった。
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