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7:<水曜日> 楓のズボラカレー
しおりを挟む薄氷色の空が広がる水曜日。
この日も、楓は朝から洋燈堂で働いていた。
だんだん肌寒くなってきた近頃は、宅配の仕事で毎日が忙しい。
「あ、いらっしゃま~……」
「こんにちは、ウーバーイーツです!」
「いらっしゃいま~……」
「ウーバーイーツです!!」
このところ、ウーバーイーツの注文がすごいのだ。
楓も半分宅配要員と化しており、自転車で走り回る日々だった。
店から離れていたり、件数が多かったりすると、染さんに単車を貸してもらう。
そのほか、宅配員が店を見つけやすいよう、近所の人に許可を取り、曲がり角に看板を設置した。
(店が繁盛するのはいいことだよね。お店に直接来てくれると、もっと嬉しいけど)
わかりにくい場所の上、内装は怪しげ。
(居着いてくれる客と、店の雰囲気に引いてしまう客が別れるみたい)
働きながら、楓は客の様子を注意深く観察していた。
臆病な性格ゆえに、つい他人の動向を窺ってしまう癖があるのだ。
最近は、どもらずに会話できるようになってきたけれど。
「染さん、染さん」
食器を洗いながら、楓は隣で調理中の染さんに声をかける。
「ん~? なんだい、楓ちゃん」
「内装、ちょっといじってみませんか? 今のままでも雰囲気があって素敵ですけど、初めてのお客さんはびっくりしちゃうと思うんですよね」
かつての楓もそうだったし、宅配員の中にも驚きの表情で店内を見回している者がいる。
ここは、適度に一般化を図った方が良いのではないだろうか。
あくまで自分の好きな空間を維持したいなら、それでいいけれど、染さんは売り上げも気にしている様子なので……つい、提案してしまった。
「もちろん、ここは染さんのお店ですから、私が口を挟むことではないんですけど」
慌てて言葉を付け足すと、染さんは少し思案する様子で楓を見た。
「楓ちゃんなら、どんなふうに店を飾る?」
「そうですね。独特な雑貨類を、カフェ寄りにしたり、照明をもう少し明るく変えたり……ですかね。カレー屋に馴染みのない人でも、過ごしやすいような空間にしたいです」
「そんなに、入りにくい? この店」
「えっと、女性一人だと、最初は戸惑うかと。私がそうだったので。今は、慣れましたけど」
緊張しながら伝えると、染さんは「楓ちゃんの好きにいじってみて」と言ってくれた。
とりあえず、楓はカウンター席の改善から試みようと決める。お客さんの目にとまりやすいからだ。
(最初は、簡素すぎるメニュー表を書き直そう)
現在使っているメニュー表は、紙にマジックでメニューを書き、ラミネート加工しただけの代物。
日替わりカレーのメニュー表記はされておらず、表に「今日のカレー」と記載されているだけ。
入り口の看板には具体的な内容が書かれてあるけれど、店内の客から質問されることが多い。
楓はメニュー表を家に持ち帰り、作り直そうと決めた。店内にもう一つ黒板を置くのもいいかもしれない。
染さんには、雑貨の中でも特に怪しげな品を彼の部屋に運ぶよう頼む。
新しく飾るものについては、全部楓に一任された。責任重大だ。
ついでに、好きな皿やグラスも選んできてと言われてしまった。
自分から言い出したことだけれど、こんなに自由にさせてもらえて「本当にいいの!?」と思ってしまう。
洋燈堂は不定休で、明日の火曜はちょうど休日だ。
隣の駅にある、お手頃価格なインテリアの店へ出向き、良いものがないか探してみようと決めた。
染さんは部屋を片付けたり、行かなければならない場所があったり、忙しいそうだ。
楓は一人で出かけることにした。
※
隣駅のインテリア店は、とても大きかった。
広大な敷地に建ち、一階には雑貨類、二階には大型家具が並べられている。
悩みながら雑貨を見ていると、後ろから声をかけられた。
「カレー屋のお姉さん!」
「……っ!?」
驚いて振り返ると、高校生くらいの女の子が微笑みながら佇んでいた。
(誰だっけ?)
戸惑っていると、女の子の後ろから、よく知る背の高い男性が登場する。
「た、田中さん?」
「……おう」
「こんにちは、お買い物ですか?」
「妹の付き添いだ。平日だが、創立記念日で学校が休みなんだと。俺もたまたま休日だったから」
「そうなんですね。私も休みなので、お店の備品を買いに来たんです」
「買い出しは、仕事の範疇じゃないのか?」
もっともなツッコミを受けていると、女の子がキラキラした目を向けてきた。
「ねえねえ! お姉さんは、お兄ちゃんの彼女!?」
「ええっ?」
楓が驚くと同時に、田中が盛大にむせた。
「この馬鹿! 違うと言っているだろ! ……すまん、配達の日に話しているのを見て、勘違いしているようでな」
慌てて妹に怒ったあとで、楓に向かって必死に謝罪する。
微笑ましく思える光景だった。
(すごい誤解だな。どうして、そんな解釈に至ったの)
彼女ではないと、ようやく納得した女の子は、「残念だ」と唇を尖らせている。
「ねえねえ、お姉さん。今度、お店に行ってもいーい?」
「もちろんです」
お客さんが増えるのは大歓迎なので、楓は懐からお店の名刺を出して女の子に渡した。
これも、何かできないかと楓が新しく作ったものだ。
染さんには、店に置くことを了承してもらっている。
それから、紺色のお皿と茶色く透き通ったグラス、さりげなく飾れそうな雑貨を買った楓は、単車に乗ってインテリア店をあとにした。大荷物だ。
以前は会社が大嫌いで、休日に仕事をするなんて考えられないと思っていた。
けれど今は毎日が充実していて、今も店をどのように変えてみようかと、ワクワクしている。
これからすぐにでも店へ出て、インテリアを並べたい気分だ。
楓は、自分の心境の変化に驚いていた。
※
大荷物を持って自室に帰り、時計を見る。まだ、時刻は昼前だ。
(お腹空いたな。何か作ろうかな)
自分で料理をしよう思い始めたのも、楓に起きた変化の一つだ。
前までは、コンビニのパンとおにぎりしか食べていなかった。
今や、楓の健康は染さんに管理されていると言っても過言ではない。
(自分でも、カレー、作ってみようかな)
手順などは、働いているときに染さんを観察して覚えた。
彼みたいに上手にはできないけれど、客に出すわけではないので大丈夫。
失敗しても、楓が食べるだけだ。
(スーパーでスパイスを買っちゃったんだよね)
棚から取り出したのは、ガラムマサラというスパイス。
実はこれ、数種類のスパイスをブレンドさせたものなのだ。
様々なタイプが売られているが、楓が手にしているのは「コリアンダー、クミン、スターアニス、ターメリック、カルダモン、クローブ、カイエンペッパー」が含まれている。
会社によって、入っているスパイスは違う。
蓋を開けると、カレーそのものといった香りが鼻腔をくすぐった。
(あとは、カレー粉)
染さんのように、一からスパイスは使わず、楓はカレー粉を使った時短料理を作ることにした。
これでも、レトルト人生を送ってきた楓からすれば、進歩である。
カレー粉の中身は「ターメリック、コリアンダー、クミン、フェネグリーク、胡椒、赤唐辛子、ちんぴ」などだった。
ガラムマサラと被っているスパイスもある。不思議だ。
今回は、小麦粉や油を極力使わない作り方に決める。
具は特売の豚肉とタマネギだ。チューブの生姜やにんにくも入れた。
それらを合わせて焼いて、カレー粉を入れて、トマト缶を投入して、味を調えて、最後にガラムマサラをふって、はい完成。
楓オリジナル、その名も適当ズボラカレーだ。
だが、適当に作ったとは思えないほどの、スパイシーな良い香りが部屋中に広がっている。
味見をしようと恐る恐る口へ運ぶと……
「おいしい!!」
しっかりとスパイスの風味が口に広がり、飴色のタマネギにも味が染みている。
豚肉からは、ほんのりとトマトの香りもした。
(私にも、スパイスカレーが作れた! 簡易版だけど)
もともと、楓は料理ができないわけではない。
実家にいたときは、時折食事を用意することもあったのだ。
それをしなくなったのは、就職して余裕がなくなった頃から。
食べるという動作に時間を割くのがおっくうで、なんでもいいから早く休みたくて、何も口にしない日さえあった。
今思えば、不摂生の極みである。
ライスは普通の白米だけれど、今まで作った料理の中でも特においしいと感じた。
染さんには及ばないながらも、実家で出ていたカレーよりは上手にできたと満足する楓だった。
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