上 下
7 / 47

7:<水曜日> 楓のズボラカレー

しおりを挟む

 薄氷色の空が広がる水曜日。
 この日も、楓は朝から洋燈堂で働いていた。
 だんだん肌寒くなってきた近頃は、宅配の仕事で毎日が忙しい。

「あ、いらっしゃま~……」
「こんにちは、ウーバーイーツです!」
「いらっしゃいま~……」
「ウーバーイーツです!!」

 このところ、ウーバーイーツの注文がすごいのだ。
 楓も半分宅配要員と化しており、自転車で走り回る日々だった。
 店から離れていたり、件数が多かったりすると、染さんに単車を貸してもらう。
 そのほか、宅配員が店を見つけやすいよう、近所の人に許可を取り、曲がり角に看板を設置した。
 
(店が繁盛するのはいいことだよね。お店に直接来てくれると、もっと嬉しいけど)

 わかりにくい場所の上、内装は怪しげ。
 
(居着いてくれる客と、店の雰囲気に引いてしまう客が別れるみたい)

 働きながら、楓は客の様子を注意深く観察していた。
 臆病な性格ゆえに、つい他人の動向を窺ってしまう癖があるのだ。
 最近は、どもらずに会話できるようになってきたけれど。

「染さん、染さん」
 
 食器を洗いながら、楓は隣で調理中の染さんに声をかける。
 
「ん~? なんだい、楓ちゃん」
「内装、ちょっといじってみませんか? 今のままでも雰囲気があって素敵ですけど、初めてのお客さんはびっくりしちゃうと思うんですよね」

 かつての楓もそうだったし、宅配員の中にも驚きの表情で店内を見回している者がいる。
 ここは、適度に一般化を図った方が良いのではないだろうか。
 あくまで自分の好きな空間を維持したいなら、それでいいけれど、染さんは売り上げも気にしている様子なので……つい、提案してしまった。

「もちろん、ここは染さんのお店ですから、私が口を挟むことではないんですけど」

 慌てて言葉を付け足すと、染さんは少し思案する様子で楓を見た。
 
「楓ちゃんなら、どんなふうに店を飾る?」
「そうですね。独特な雑貨類を、カフェ寄りにしたり、照明をもう少し明るく変えたり……ですかね。カレー屋に馴染みのない人でも、過ごしやすいような空間にしたいです」
「そんなに、入りにくい? この店」
「えっと、女性一人だと、最初は戸惑うかと。私がそうだったので。今は、慣れましたけど」

 緊張しながら伝えると、染さんは「楓ちゃんの好きにいじってみて」と言ってくれた。
 とりあえず、楓はカウンター席の改善から試みようと決める。お客さんの目にとまりやすいからだ。
 
(最初は、簡素すぎるメニュー表を書き直そう)
 
 現在使っているメニュー表は、紙にマジックでメニューを書き、ラミネート加工しただけの代物。
 日替わりカレーのメニュー表記はされておらず、表に「今日のカレー」と記載されているだけ。
 入り口の看板には具体的な内容が書かれてあるけれど、店内の客から質問されることが多い。

 楓はメニュー表を家に持ち帰り、作り直そうと決めた。店内にもう一つ黒板を置くのもいいかもしれない。
 染さんには、雑貨の中でも特に怪しげな品を彼の部屋に運ぶよう頼む。
 新しく飾るものについては、全部楓に一任された。責任重大だ。
 ついでに、好きな皿やグラスも選んできてと言われてしまった。
 自分から言い出したことだけれど、こんなに自由にさせてもらえて「本当にいいの!?」と思ってしまう。

 洋燈堂は不定休で、明日の火曜はちょうど休日だ。
 隣の駅にある、お手頃価格なインテリアの店へ出向き、良いものがないか探してみようと決めた。
 染さんは部屋を片付けたり、行かなければならない場所があったり、忙しいそうだ。
 楓は一人で出かけることにした。

 ※
 
 隣駅のインテリア店は、とても大きかった。
 広大な敷地に建ち、一階には雑貨類、二階には大型家具が並べられている。
 悩みながら雑貨を見ていると、後ろから声をかけられた。

「カレー屋のお姉さん!」
「……っ!?」

 驚いて振り返ると、高校生くらいの女の子が微笑みながら佇んでいた。

(誰だっけ?)

 戸惑っていると、女の子の後ろから、よく知る背の高い男性が登場する。

「た、田中さん?」
「……おう」
「こんにちは、お買い物ですか?」
「妹の付き添いだ。平日だが、創立記念日で学校が休みなんだと。俺もたまたま休日だったから」
「そうなんですね。私も休みなので、お店の備品を買いに来たんです」
「買い出しは、仕事の範疇じゃないのか?」
 
 もっともなツッコミを受けていると、女の子がキラキラした目を向けてきた。
 
「ねえねえ! お姉さんは、お兄ちゃんの彼女!?」
「ええっ?」
 
 楓が驚くと同時に、田中が盛大にむせた。
 
「この馬鹿! 違うと言っているだろ! ……すまん、配達の日に話しているのを見て、勘違いしているようでな」

 慌てて妹に怒ったあとで、楓に向かって必死に謝罪する。
 微笑ましく思える光景だった。

(すごい誤解だな。どうして、そんな解釈に至ったの)

 彼女ではないと、ようやく納得した女の子は、「残念だ」と唇を尖らせている。

「ねえねえ、お姉さん。今度、お店に行ってもいーい?」
「もちろんです」
 
 お客さんが増えるのは大歓迎なので、楓は懐からお店の名刺を出して女の子に渡した。
 これも、何かできないかと楓が新しく作ったものだ。
 染さんには、店に置くことを了承してもらっている。

 それから、紺色のお皿と茶色く透き通ったグラス、さりげなく飾れそうな雑貨を買った楓は、単車に乗ってインテリア店をあとにした。大荷物だ。
 
 以前は会社が大嫌いで、休日に仕事をするなんて考えられないと思っていた。
 けれど今は毎日が充実していて、今も店をどのように変えてみようかと、ワクワクしている。
 これからすぐにでも店へ出て、インテリアを並べたい気分だ。
 楓は、自分の心境の変化に驚いていた。

 ※

 大荷物を持って自室に帰り、時計を見る。まだ、時刻は昼前だ。

(お腹空いたな。何か作ろうかな)

 自分で料理をしよう思い始めたのも、楓に起きた変化の一つだ。
 前までは、コンビニのパンとおにぎりしか食べていなかった。
 今や、楓の健康は染さんに管理されていると言っても過言ではない。

(自分でも、カレー、作ってみようかな)

 手順などは、働いているときに染さんを観察して覚えた。
 彼みたいに上手にはできないけれど、客に出すわけではないので大丈夫。
 失敗しても、楓が食べるだけだ。

(スーパーでスパイスを買っちゃったんだよね)

 棚から取り出したのは、ガラムマサラというスパイス。
 実はこれ、数種類のスパイスをブレンドさせたものなのだ。
 様々なタイプが売られているが、楓が手にしているのは「コリアンダー、クミン、スターアニス、ターメリック、カルダモン、クローブ、カイエンペッパー」が含まれている。
 会社によって、入っているスパイスは違う。
 蓋を開けると、カレーそのものといった香りが鼻腔をくすぐった。

(あとは、カレー粉)

 染さんのように、一からスパイスは使わず、楓はカレー粉を使った時短料理を作ることにした。
 これでも、レトルト人生を送ってきた楓からすれば、進歩である。
 カレー粉の中身は「ターメリック、コリアンダー、クミン、フェネグリーク、胡椒、赤唐辛子、ちんぴ」などだった。
 ガラムマサラと被っているスパイスもある。不思議だ。

 今回は、小麦粉や油を極力使わない作り方に決める。
 具は特売の豚肉とタマネギだ。チューブの生姜やにんにくも入れた。
 それらを合わせて焼いて、カレー粉を入れて、トマト缶を投入して、味を調えて、最後にガラムマサラをふって、はい完成。
 
 楓オリジナル、その名も適当ズボラカレーだ。
 だが、適当に作ったとは思えないほどの、スパイシーな良い香りが部屋中に広がっている。
 味見をしようと恐る恐る口へ運ぶと……

「おいしい!!」

 しっかりとスパイスの風味が口に広がり、飴色のタマネギにも味が染みている。
 豚肉からは、ほんのりとトマトの香りもした。

(私にも、スパイスカレーが作れた! 簡易版だけど)

 もともと、楓は料理ができないわけではない。
 実家にいたときは、時折食事を用意することもあったのだ。
 それをしなくなったのは、就職して余裕がなくなった頃から。
 食べるという動作に時間を割くのがおっくうで、なんでもいいから早く休みたくて、何も口にしない日さえあった。
 今思えば、不摂生の極みである。

 ライスは普通の白米だけれど、今まで作った料理の中でも特においしいと感じた。
 染さんには及ばないながらも、実家で出ていたカレーよりは上手にできたと満足する楓だった。
 
 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

スパイス料理を、異世界バルで!!

遊森謡子
ファンタジー
【書籍化】【旧題「スパイス・アップ!~異世界港町路地裏バル『ガヤガヤ亭』日誌~」】熱中症で倒れ、気がついたら異世界の涼しい森の中にいたコノミ。しゃべる子山羊の導きで、港町の隠れ家バル『ガヤガヤ亭』にやってきたけれど、店長の青年に半ば強引に料理人にスカウトされてしまった。どうやら多くの人を料理で喜ばせることができれば、日本に帰れるらしい。それならばと引き受けたものの、得意のスパイス料理を作ろうにも厨房にはコショウさえないし、店には何か秘密があるようで……。 コノミのスパイス料理が、異世界の町を変えていく!?

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

初愛シュークリーム

吉沢 月見
ライト文芸
WEBデザイナーの利紗子とパティシエールの郁実は女同士で付き合っている。二人は田舎に移住し、郁実はシュークリーム店をオープンさせる。付き合っていることを周囲に話したりはしないが、互いを大事に想っていることには変わりない。同棲を開始し、ますます相手を好きになったり、自分を不甲斐ないと感じたり。それでもお互いが大事な二人の物語。 第6回ライト文芸大賞奨励賞いただきました。ありがとうございます

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

伊緒さんのお嫁ご飯

三條すずしろ
ライト文芸
貴女がいるから、まっすぐ家に帰ります――。 伊緒さんが作ってくれる、おいしい「お嫁ご飯」が楽しみな僕。 子供のころから憧れていた小さな幸せに、ほっと心が癒されていきます。 ちょっぴり歴女な伊緒さんの、とっても温かい料理のお話。 「第1回ライト文芸大賞」大賞候補作品。 「エブリスタ」「カクヨム」「すずしろブログ」にも掲載中です!

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...