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5:<火曜日> キール
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楓の提案は受け入れられ、ウーバーイーツを試してみることになった。
店の中、閉店後にまかないを食べつつ、二人で色々調べたのだ。
「なるほど、手数料が取られてしまうんだね」
「配達する商品を決め、価格設定を高めにしなければなりませんね。原価ぶんはもちろん、配達用の容器代もかかりますし」
カレーがこぼれないよう、蓋の閉まる密閉容器をそろえないといけない。さらに中身が出ないよう、紙でできた固定用のカップ立てもあればいいだろう。
配達中に中身があふれ出すと悲劇が起こる。
ウーバーイーツに必要なiPadは店のものを使用。
見つけにくい店だから、配達員さん用に、詳しい説明も入れておく。
「ドキドキしますね」
価格は十パーセントほど高めに設定。
画面を見ながら、染さんが心配そうな声を上げる。
「ここ、けっこう田舎町だけど、配達員さんは来てくれるかなあ。数駅先は都会だけどさ」
「念のため、私も配達員登録しておきましょうか?」
言ってから、出しゃばりすぎたかなと焦る。
楓はカレー屋の接客要員であって、配達員ではないのだ。
けれど、染さんは怒りの声を上げることはなかった。
むしろ、申し訳なさそうですらある。
「お店のために、色々考えてくれてありがとう。楓ちゃんがいてくれてよかった」
「ほぇっ」
不意打ちの笑顔で、思わず頬が熱くなってしまう。
「僕一人では、こうはいかなかったよ。やっぱり、君に声をかけて正解だった」
「染さん……」
「そうと決まれば、頑張ろう。お店が繁盛したら、楓ちゃんのお給料もアップしてあげられるし」
染さんは冷蔵庫の中から、デザートの残りと少量の野菜を取りだした。
「楓ちゃん、よかったらデザートをどうぞ」
「いいんですか?」
「賞味期限が今日までだから」
日にちが過ぎれば、廃棄しなければならないのだ。それは、もったいない。
「ありがとうございます! あの、その野菜は? 染さんが食べるにしては、量が少ないような?」
「ああ、これ? 兎用」
「え? 兎……ですか?」
「部屋で飼っているんだ。よかったら、見に来る?」
「ぜひ!」
楓は、モフモフした動物が大好きだった。実家にも犬がいる。
わくわくしながら、デザートを頬張った。
「ん! おいしい。キールですね」
インドやパキスタンで食べられる、甘いミルク粥だ。
家庭で作られるデザートで、英語風に言うと、ライスプディング。
牛乳とお米と砂糖に、カルダモンパウダー。ドライフルーツやナッツも入れる。
温かくても冷たくてもおいしい。
「楓ちゃんは、キールが初めてだったね」
「ええ、はい。お店のデザート類を口にするのは初めてですね。お客様にお出しするものなので、名前と概要は覚えましたけど」
「インドには、他にもたくさんデザートがあるよ……っと、詳しく話したいけど、兎のご飯を持っていかなきゃ」
楓がキールを食べ終え片付けたところで、染さんは野菜を持って三階の部屋に上がっていく。
兎を見るため、楓もついて行った。
普通は、こんな時間に男性の部屋へ行くのを警戒するけれど、相手は染さんだし、彼は楓のことを子供扱いするので大丈夫だ。
店の奥には裏口があり、出るとまた鉄の階段が現れる。
それを上っていくと染さんの部屋というか家があった。
「おじゃまします……うっ!」
染さんの家は、店以上にカオスだった。
怪しげな置物、仏像ポスター、原色タペストリーの海である。
薄くだけれど、エキゾチックな、お香の匂いもする。
(インドが好きなんだなあ)
小さな玄関で靴を脱ぎ、細い廊下を進んですぐの部屋。どこかレトロさを感じる一室の隅に、大きめのゲージが置かれていた。
中にいるのは、ベージュの毛皮に黒い目の立ち耳兎。不思議そうに、楓を見上げている。
「帰ったよ~、ヘメン」
「変わった名前ですね。インドの名前ですか?」
「そう、金の王という意味なんだ」
「たしかに、毛色がそれっぽいですね」
ベージュだけれど、金でも通用しそうな色だ。
野菜をあげると、モシャモシャとおいしそうに食べ出す。
「この子は、知り合いにもらったんだよ。インド人のおじいさんで祖父の友人なんだけど。体を壊してしまって、僕が兎を引き取ったんだ。僕がインドへ旅に出たのも、その人の影響」
「え、インドを旅されていたんですか?」
「そういえば、楓ちゃんに言っていなかったね。僕は一時期、インドやネパール、東南アジアを回っていたんだよ。人生に迷っていて……」
自分探しの旅というやつだろうか。お金があれば、楓も一度してみたい。
「それで、カレーのお店を始めたんですか?」
「そう、すっかり嵌まっちゃって。飾りなんかも、インドの製品を買い集めた。店の奥や裏口を隠す暖簾は、カラムカリというインドの伝統的な染め付け技術が施されていてね。向こうのタペストリーはブロックプリントなんだけど……」
染さんが語り出した。料理だけではなく、雑貨類もインド風のものが好きなようだ。
話は、あちらこちらに飛んで、また兎に戻ってくる。
「月に兎がいるって話も、インド発祥だよ。ジャータカという話の中にあって」
「少しだけ、聞いたことがあるような。内容までは知りませんけど」
「昔、猿と狐と兎がいて、彼らは山で倒れている老人を助けようとしたんだ。猿は木の実を、狐は魚を持ってきたんだけど、兎は食べ物を集められなくて、自分で火に飛び込んで食料になるんだ」
「兎ー!? 体張り過ぎ!」
楓は思わず大きな声を出してしまう。
「実は老人は帝釈天で、その後、兎の慈悲の心を後世残すため月へ上らせた」
自己犠牲の精神を称えるなんて、楓は好きになれそうにない話だ。
会社でのあれこれが思い浮かび、ドヨンと暗い気分になってしまう。
「ちなみに、この話は世界中に広がっていて、兎が火に飛び込んでも焼けないバージョンや、飛び込む前に助かるバージョンもあるよ」
できれば、助かるバージョンの方を聞きたかったと思う楓であった。
※
そうしてまた翌日、この日も田中さんがやってくる。
相変わらず怖いけれど、楓も少しは接客に慣れてきた。
顔や雰囲気が威圧的なだけで、新人アルバイトにも親切なお客さんなのだ。
彼が来るのは、ランチ客の少ない時間帯。開店直後や遅めの昼時が多い。
「楓ちゃん、今のうちに奥で休憩しておいで」
「はい」
「今日のまかないは、スパイシー炒り卵とサモサだよ。今日までのキールもあるけど」
「いります!」
昨日もそうだったけれど、今日もキールは余っている。
デザートは、あまり売れ行きがよくないようだ。
(メニューに「キール」って書かれていても、何かわからないしなぁ……書き換えの提案をしてみようかな)
サモサは小麦粉と水と塩を練って作った皮で、スパイスで味付けされた野菜や肉を包んで揚げた料理だ。
染さん曰く、インドの屋台などで売られている、お手軽な食事とのこと。
とてもいい匂いで、一瞬で食べきる自信がある。
楓がサモサを食べる間に、田中さんも甘口スペシャルを完食したようだった。
後片付けに間に合うよう、早めにキールも食べきる。
「んん、今日もキールは甘くておいしいです」
楓の感想に、何故かカウンターの向こうから反応があった。
「甘いのか、そのキールとやらは」
田中さんが、興味津々といった様子で、カウンター越しに顔を出している。
彼の質問には、染さんが答えた。
「はい、甘いデザートですよ」
「ひとつ、くれ」
なんと、甘党の田中さんからキールの注文が入った。染さんは、心なしか嬉しそうである。
(染さん、あまり商売上手じゃないよね)
どちらかというと、半分趣味でやっている感覚である。
持ち家なので赤字にはなっていないが、儲かってもいない様子。
「おお、うまいな、これは」
田中さんは、キールに満足したみたいだ。
彼の甘いレパートリーに、新しくキールが追加された。
そして、楓は閉店後にたびたび、兎のヘメンに会いに行くようになった。
店の中、閉店後にまかないを食べつつ、二人で色々調べたのだ。
「なるほど、手数料が取られてしまうんだね」
「配達する商品を決め、価格設定を高めにしなければなりませんね。原価ぶんはもちろん、配達用の容器代もかかりますし」
カレーがこぼれないよう、蓋の閉まる密閉容器をそろえないといけない。さらに中身が出ないよう、紙でできた固定用のカップ立てもあればいいだろう。
配達中に中身があふれ出すと悲劇が起こる。
ウーバーイーツに必要なiPadは店のものを使用。
見つけにくい店だから、配達員さん用に、詳しい説明も入れておく。
「ドキドキしますね」
価格は十パーセントほど高めに設定。
画面を見ながら、染さんが心配そうな声を上げる。
「ここ、けっこう田舎町だけど、配達員さんは来てくれるかなあ。数駅先は都会だけどさ」
「念のため、私も配達員登録しておきましょうか?」
言ってから、出しゃばりすぎたかなと焦る。
楓はカレー屋の接客要員であって、配達員ではないのだ。
けれど、染さんは怒りの声を上げることはなかった。
むしろ、申し訳なさそうですらある。
「お店のために、色々考えてくれてありがとう。楓ちゃんがいてくれてよかった」
「ほぇっ」
不意打ちの笑顔で、思わず頬が熱くなってしまう。
「僕一人では、こうはいかなかったよ。やっぱり、君に声をかけて正解だった」
「染さん……」
「そうと決まれば、頑張ろう。お店が繁盛したら、楓ちゃんのお給料もアップしてあげられるし」
染さんは冷蔵庫の中から、デザートの残りと少量の野菜を取りだした。
「楓ちゃん、よかったらデザートをどうぞ」
「いいんですか?」
「賞味期限が今日までだから」
日にちが過ぎれば、廃棄しなければならないのだ。それは、もったいない。
「ありがとうございます! あの、その野菜は? 染さんが食べるにしては、量が少ないような?」
「ああ、これ? 兎用」
「え? 兎……ですか?」
「部屋で飼っているんだ。よかったら、見に来る?」
「ぜひ!」
楓は、モフモフした動物が大好きだった。実家にも犬がいる。
わくわくしながら、デザートを頬張った。
「ん! おいしい。キールですね」
インドやパキスタンで食べられる、甘いミルク粥だ。
家庭で作られるデザートで、英語風に言うと、ライスプディング。
牛乳とお米と砂糖に、カルダモンパウダー。ドライフルーツやナッツも入れる。
温かくても冷たくてもおいしい。
「楓ちゃんは、キールが初めてだったね」
「ええ、はい。お店のデザート類を口にするのは初めてですね。お客様にお出しするものなので、名前と概要は覚えましたけど」
「インドには、他にもたくさんデザートがあるよ……っと、詳しく話したいけど、兎のご飯を持っていかなきゃ」
楓がキールを食べ終え片付けたところで、染さんは野菜を持って三階の部屋に上がっていく。
兎を見るため、楓もついて行った。
普通は、こんな時間に男性の部屋へ行くのを警戒するけれど、相手は染さんだし、彼は楓のことを子供扱いするので大丈夫だ。
店の奥には裏口があり、出るとまた鉄の階段が現れる。
それを上っていくと染さんの部屋というか家があった。
「おじゃまします……うっ!」
染さんの家は、店以上にカオスだった。
怪しげな置物、仏像ポスター、原色タペストリーの海である。
薄くだけれど、エキゾチックな、お香の匂いもする。
(インドが好きなんだなあ)
小さな玄関で靴を脱ぎ、細い廊下を進んですぐの部屋。どこかレトロさを感じる一室の隅に、大きめのゲージが置かれていた。
中にいるのは、ベージュの毛皮に黒い目の立ち耳兎。不思議そうに、楓を見上げている。
「帰ったよ~、ヘメン」
「変わった名前ですね。インドの名前ですか?」
「そう、金の王という意味なんだ」
「たしかに、毛色がそれっぽいですね」
ベージュだけれど、金でも通用しそうな色だ。
野菜をあげると、モシャモシャとおいしそうに食べ出す。
「この子は、知り合いにもらったんだよ。インド人のおじいさんで祖父の友人なんだけど。体を壊してしまって、僕が兎を引き取ったんだ。僕がインドへ旅に出たのも、その人の影響」
「え、インドを旅されていたんですか?」
「そういえば、楓ちゃんに言っていなかったね。僕は一時期、インドやネパール、東南アジアを回っていたんだよ。人生に迷っていて……」
自分探しの旅というやつだろうか。お金があれば、楓も一度してみたい。
「それで、カレーのお店を始めたんですか?」
「そう、すっかり嵌まっちゃって。飾りなんかも、インドの製品を買い集めた。店の奥や裏口を隠す暖簾は、カラムカリというインドの伝統的な染め付け技術が施されていてね。向こうのタペストリーはブロックプリントなんだけど……」
染さんが語り出した。料理だけではなく、雑貨類もインド風のものが好きなようだ。
話は、あちらこちらに飛んで、また兎に戻ってくる。
「月に兎がいるって話も、インド発祥だよ。ジャータカという話の中にあって」
「少しだけ、聞いたことがあるような。内容までは知りませんけど」
「昔、猿と狐と兎がいて、彼らは山で倒れている老人を助けようとしたんだ。猿は木の実を、狐は魚を持ってきたんだけど、兎は食べ物を集められなくて、自分で火に飛び込んで食料になるんだ」
「兎ー!? 体張り過ぎ!」
楓は思わず大きな声を出してしまう。
「実は老人は帝釈天で、その後、兎の慈悲の心を後世残すため月へ上らせた」
自己犠牲の精神を称えるなんて、楓は好きになれそうにない話だ。
会社でのあれこれが思い浮かび、ドヨンと暗い気分になってしまう。
「ちなみに、この話は世界中に広がっていて、兎が火に飛び込んでも焼けないバージョンや、飛び込む前に助かるバージョンもあるよ」
できれば、助かるバージョンの方を聞きたかったと思う楓であった。
※
そうしてまた翌日、この日も田中さんがやってくる。
相変わらず怖いけれど、楓も少しは接客に慣れてきた。
顔や雰囲気が威圧的なだけで、新人アルバイトにも親切なお客さんなのだ。
彼が来るのは、ランチ客の少ない時間帯。開店直後や遅めの昼時が多い。
「楓ちゃん、今のうちに奥で休憩しておいで」
「はい」
「今日のまかないは、スパイシー炒り卵とサモサだよ。今日までのキールもあるけど」
「いります!」
昨日もそうだったけれど、今日もキールは余っている。
デザートは、あまり売れ行きがよくないようだ。
(メニューに「キール」って書かれていても、何かわからないしなぁ……書き換えの提案をしてみようかな)
サモサは小麦粉と水と塩を練って作った皮で、スパイスで味付けされた野菜や肉を包んで揚げた料理だ。
染さん曰く、インドの屋台などで売られている、お手軽な食事とのこと。
とてもいい匂いで、一瞬で食べきる自信がある。
楓がサモサを食べる間に、田中さんも甘口スペシャルを完食したようだった。
後片付けに間に合うよう、早めにキールも食べきる。
「んん、今日もキールは甘くておいしいです」
楓の感想に、何故かカウンターの向こうから反応があった。
「甘いのか、そのキールとやらは」
田中さんが、興味津々といった様子で、カウンター越しに顔を出している。
彼の質問には、染さんが答えた。
「はい、甘いデザートですよ」
「ひとつ、くれ」
なんと、甘党の田中さんからキールの注文が入った。染さんは、心なしか嬉しそうである。
(染さん、あまり商売上手じゃないよね)
どちらかというと、半分趣味でやっている感覚である。
持ち家なので赤字にはなっていないが、儲かってもいない様子。
「おお、うまいな、これは」
田中さんは、キールに満足したみたいだ。
彼の甘いレパートリーに、新しくキールが追加された。
そして、楓は閉店後にたびたび、兎のヘメンに会いに行くようになった。
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