1 / 19
1
しおりを挟む
世界には、大きく分けて四つの種族が住んでいる。
人間、獣人、エルフ、魔族――
一番大きな大陸には、人間と獣人、そしてエルフたちが住み着き、それぞれ国を作って暮らしていた。
人間は頭が良くて様々な文明を生み出す種族。
獣人は身体能力が高く頑強で、どんな厳しい場所でも暮らしていける。
そして、エルフは文明を嫌う上に少人数だが、人の賢さと獣人の頑丈さを持ち、魔法が使える。
「つまり、エルフ最強。エルフ万歳。くそくらえ」
小さな獣人の国の一つ。その国境沿いにある小さな小屋の中で、淡い茶色の髪を持つ一人の小柄な少女が、自らの身に起きる理不尽をエルフのせいにして気を紛らわせていた。
この小屋は、彼女の仮の住まいである。
狭くてオンボロ、蜘蛛の巣まみれの木の天井を見上げながら、少女はエルフの悪口を言い続けている。
すると、ギイと今にも壊れそうな音を立てて部屋のドアが開いた。
「ちょっと、マルちゃん。口が悪いわよ? 女の子が『くそ』だなんて」
小柄な少女をたしなめたのは、彼女と同じ部屋に住む黒髪の少女だ。少しぽっちゃりした豚獣人で、名前はサラミという。彼女は品行方正で気立ての良い、女子の鏡のような人物だ。
ちなみに、マルと呼ばれた小柄な少女の方はハムスターの獣人だった。
「……だって、サラミ。本当のことじゃない。エルフのせいで、私たちはこんな場所での生活を余儀なくされているのよ?」
ベッドに突っ伏したマルは、ブーブーと文句を言う。
文句を言っても何も解決しないのだが、悪態でもついていないと、気が沈んでどうにかなってしまいそうなのだ。
「仕方ないわよ。私たちは、他の獣人から見て不要な存在ですもの」
夜の湖のように透き通った青い目を伏せたサラミは、悲しそうな顔をして近くの椅子に座る。
このボロい小屋が立ち並ぶ区域は、『家畜小屋』と呼ばれていた。
普通の獣人が住む場所からは隔離され、四方が透明な高い壁に覆われた、いわば牢獄。
そして、そこに放り込まれた者は、例外なくエルフたちへの生贄になるのだ。
「私たちは、家畜小屋に追いやられて、抵抗もできない。だから、小屋の中で文句を言うくらいは許されると思う」
「ええ、そうね。でも、あなたは口が悪すぎるのよ、マルちゃん。元お姫様だというのに……」
「そう言われても……不貞を働いた下っ端妃の娘だし。獅子や虎獣人ばかりの王族の中で、たった一人のハムスター獣人だし。獣人の国は、一刻も早く、私の存在を合法的に抹消したいんだと思うよ」
「……はぁ、否定してあげたいけれど。こうもやり方が、あからさまだとねえ」
二年に一度、獣人の国は、隣接するエルフの国へ女を差し出さなければならない。
過去にエルフの国との戦争に負け、その条件を飲まざるを得なくなってしまったのだ。
女を差し出せば、エルフの国が獣人の国を襲うことはない。それどころか、獣人の国が困った際は全面的に援助してくれる。
獣人の国は一も二もなく、エルフの国が出した要求を承諾したが、その中でいくつか条件を出した。
一・獣人の国は『エルフの国との間にある土地』に、二年に一度百人の若い女を用意する。
二・エルフはその中の女を自由に連れて行って良い。
三・連れて行って良いのは、その土地の女のみ。それ以外の女に手を出してはならない。
エルフの人口は、それほど多くない。彼らは、喜んでその条件に同意したという。
そして、獣人の国側の言う『エルフの国との間にある土地』こそが、今マルたちが収容されている区域、通称『家畜小屋』だった。
では、家畜小屋へ入れる女は、どうやって選ばれるのか。
答えは簡単――獣人側が不要と判断した女たちをこの場所に連れて来るのだ。
具体的には、生まれた時に届け出た書類で、国がその子を要か不要か判断する。
判断材料はただ一つ、優れた獣人であるか、否かだけだった。
不要の烙印を押された女児は、ある程度成長すると、役人に連行されて家畜小屋に放り込まれる。
その際に、家族には不要な人材を育てた褒美として報奨金が与えられた。
娘を手放すことを渋る親は、驚くほど少ない。
今の獣人の祖先には、もともと様々な種族があった。
獅子の獣人、虎の獣人、狼の獣人……犬に、猫に、鳥の獣人。
しかし、長い時を経てそれらは混じり合い、今では決まった種族というものが消えてしまっていた。
ある獣人は、先祖の豹の血が濃く表れ、その兄弟は狐の血が濃く表れるなんてことは普通にある。
獣人の国は、より強い種の血を引くものを残そうと、不要な血が濃く出た者を排除し始めた。
例えば、獅子の血を残し、兎の血を排除する。狼の血を残し、家鴨の血を排除する……などである。
排除対象になった獣人には、婚姻が許されない。
そして、それが年頃の女ならば、弱い種族の順に家畜小屋に放り込まれる。
マルも、サラミも不要と判断された獣人だった。
「でも、まさかマルちゃんのようなお姫様まで容赦なく家畜小屋行きなんてね」
「仕方ないよ。ハムスターの獣人が王族にいるなんて、恥以外の何物でもないもの」
王族の娘の一人として誕生したマルは、生まれながらにハムスターの血が濃く出ていた。
他の兄弟の多くは獅子や虎、最低でも豹や熊の特性が出た姿である。
王族は、強い種族の特性が現れる傾向が強いのだ。だからこそ、他の獣人たちに尊敬されていた。
そんな中に突然現れたハムスター。
マルの誕生時、周囲は大いに動揺したという。
そこで、彼女は不貞の子だということになった。
ハムスターを産んだ妃は、罰として大陸の外に追放されている。真実がどうなのかは未だにわからないが……
ハムスター獣人の姫は、城の奥にある小さな部屋に閉じ込められ、行事への参加は一切許されず、ひっそりと隠され、いないものとされて生きてきた。表向きは「病弱」という設定で。
そして、十八歳になると同時に、ひっそりとこの家畜小屋へ連れて来られたのである。
「ハムスター……可愛いのにね、私みたいな豚と違って」
サラミが、マルを慰めるようにそんなことを言った。
彼女は貴族の娘だが、家族から疎まれてこの小屋へ放り込まれた。
権力者ほど、自分の家に弱い獣の血が出ることを嫌う傾向がある。
「サラミは、頭もいいし可愛いよ。私はずっと城の奥に閉じ込められていたから、あんまり物事を知らない……ここで他の獣人と暮らすようになって、それが顕著になったから恥ずかしい」
家畜小屋には、獣人の国の至る所から百人の年頃の女が集まっている。
皆、獣人の国が不要と判断した獣人たちだ。
女たちは、王族も貴族も平民も関係なく、助け合いながらこの場所で生活している。
もともと、獣人の国の序列は弱肉強食。家畜小屋に集まる女性のレベルは、似たり寄ったりなのだ。
「皆、あなたの事情はわかっているわ。マルちゃんは、自分のペースで世界を知っていけばいいの」
「……ありがとう」
マルは、姉のように接してくれるサラミのことを慕っていた。
この一ヶ月間を家畜小屋で過ごし、他の女性たちのことも家族のように感じている。
「エルフから、あなたたちを守れたらいいのに……」
唇をかみしめて、マルは声を絞り出す。
無知で非力なハムスターは、王族として民を守ることすらできないのだ。
そんな自分が情けない。
「今までの例からすると……そろそろ、エルフたちがこの家畜小屋へやってくる時期ね」
「……この区域にいる女は百人――全員が連れて行かれるわけだね」
エルフが獣人の女を欲しがるのには、深い理由がある。
魔力の強いエルフは魔法によって繁栄した種族だが、その過程で獣人とは別の問題が生じていた。
――女のエルフが生まれなくなったのだ。
直接的な原因は不明だが、魔力の向上に重きを置きすぎた結果だと言われている。
そのため、エルフたちは、種族を問わず熱烈に女を求めていた。
ちょうどそんな折に、獣人の国と人間の国の連合軍がエルフの国に戦争を仕掛けたらしい。
エルフたちは、渡りに船とばかりに大喜びして魔法で両種族をボコボコにし、「停戦の条件として女を寄越すこと」というルールを取り付けた。
こうして、人間の国と獣人の国は、一年交代でエルフの国に百人の女を渡さなければならなくなったのである。
人間の国のことはわからないが、獣人の国では表向きは「家畜小屋の女をエルフが平和的に連れて行く」という形が取られている。
しかし、強引にこの場所に連れてこられた女が、一方的な行為に反発しないわけがなかった。
ここにいる女は、実際のエルフの姿を見たことはないが、恐ろしい種族だと言うことを知っている。
小さな頃に、マル自身もエルフの姿絵を見た。意地悪な兄たちが、エルフの姿絵でいたいけなハムスター獣人の妹を脅してきたのだ。
「ほら、お前はいずれ、こいつらへの生贄になるんだぞー!」
そこに描かれていたのは、鋭い牙に顔の三倍はある大きな耳、ギョロギョロとして血走った瞳の恐ろしい生き物だった。もはや、生き物と呼べるかも怪しい。
「お前のようなハムスターは、跡形もなく食われてしまうぞー!」
幼かったマルは、その絵を見て本気でビビって泣いた。
今では、さすがに「あの姿絵は大げさすぎるのではないか」と思っているが、心のどこかで本当にあのような姿だったらどうしよう怯えている。
ハムスターは、繊細で臆病な生き物なのだ。
「それにしても、お腹が空いたわねえ」
頬杖をついたサラミが、憂鬱そうに窓の外を見てそう言った。
「……食べ物が余っていないか、私が探してくるよ」
家畜小屋の住人の食事は、朝晩の二回だけ外から配給される。
しかし、最低限の食事しか与えられないため、皆いつもお腹を空かせていた。
外に食べ物を取りに行くにも、家畜小屋の周囲には透明な高い壁が設置されているので不可能。
この透明な壁は、エルフの魔法の力を借りて作られており、獣人の身体能力程度ではどうにもならないものだった。
外に出たマルは、家畜小屋と呼ばれる正方形の区域の中を歩き回った。
この中には、マルやサラミが住んでいるのと同じような家が、百十軒ほど立ち並んでおり、その他に配給所や集会所なども設けられている。
配給所に余った食材がないことを確認したマルは、そのまま家畜小屋の南のはずれに向かう。
前方には、透明な壁があり、明るい昼の光を反射していた。壁の向こうの景色は見えるのに、その外へ行くことは不可能だ。
(憎らしい壁、これさえなければ……)
行く手を阻む巨大な障壁をキッと睨みつけたマルは、その向こう側へ視線を移した。
目の前に広がっているのは、エルフの国の北側と家畜小屋の間に広がる広大な森だった。
エルフへの生贄収容場所は、獣人の国の南のはずれに設けられているのだ。
獣人側は、自国にエルフを侵入させることなく、家畜小屋の中だけでやり取りしたいのである。
森の木の一つに、美味しそうな果物がたくさん実っているのが見えた。
季節は初夏――一部の木は花を咲かせて実をつけ始める。
実物を見たのはこれが初めてだが、過去に城の部屋で読んだ本には、そのように書かれていた。
同じ本に、その木の実はとても美味だと書かれていたことも思い出す。
「サラミに食べさせてあげたいな……」
しかし、壁の外へ行けないマルには、不可能な話だった。
腹が減っているのに、友人が辛そうなのに、すぐ近くに食べ物がたくさん実っているのに――なにもできない。
ハムスター獣人は、自分の非力さを呪った。
透明な壁に背を預けて、空を見上げると、白く大きな鳥が空を舞っている。
「いいよな、自由に好きな場所へ行ける生き物は」
残念ながら、ハムスターに羽根はない。
それに、家畜小屋に入れられる鳥の獣人は、逃亡しないように風切羽根を切られて飛べなくなっている。
結局、食べ物を手に入れられなかったマルは、小さく縮こまって俯いた。
そっと目を閉じ、束の間思考を放棄する。
すると、不意に近くでコトリと音がなった。
慌てて顔を上げると、すぐ横に先ほど眺めていた木の実が二つ落ちている。
「えっ……? どうして?」
キョロキョロと周囲を確認したが、誰もいない……
「なんで?」
しばらく辺りを探ったが、結局何もわからない。
そろそろ、サラミも心配し出す頃なので、マルは二つの木の実を拾って自分の小屋に戻った。
美味しそうな木の実を受け取ったサラミは、手放しで喜んでくれた。
人間、獣人、エルフ、魔族――
一番大きな大陸には、人間と獣人、そしてエルフたちが住み着き、それぞれ国を作って暮らしていた。
人間は頭が良くて様々な文明を生み出す種族。
獣人は身体能力が高く頑強で、どんな厳しい場所でも暮らしていける。
そして、エルフは文明を嫌う上に少人数だが、人の賢さと獣人の頑丈さを持ち、魔法が使える。
「つまり、エルフ最強。エルフ万歳。くそくらえ」
小さな獣人の国の一つ。その国境沿いにある小さな小屋の中で、淡い茶色の髪を持つ一人の小柄な少女が、自らの身に起きる理不尽をエルフのせいにして気を紛らわせていた。
この小屋は、彼女の仮の住まいである。
狭くてオンボロ、蜘蛛の巣まみれの木の天井を見上げながら、少女はエルフの悪口を言い続けている。
すると、ギイと今にも壊れそうな音を立てて部屋のドアが開いた。
「ちょっと、マルちゃん。口が悪いわよ? 女の子が『くそ』だなんて」
小柄な少女をたしなめたのは、彼女と同じ部屋に住む黒髪の少女だ。少しぽっちゃりした豚獣人で、名前はサラミという。彼女は品行方正で気立ての良い、女子の鏡のような人物だ。
ちなみに、マルと呼ばれた小柄な少女の方はハムスターの獣人だった。
「……だって、サラミ。本当のことじゃない。エルフのせいで、私たちはこんな場所での生活を余儀なくされているのよ?」
ベッドに突っ伏したマルは、ブーブーと文句を言う。
文句を言っても何も解決しないのだが、悪態でもついていないと、気が沈んでどうにかなってしまいそうなのだ。
「仕方ないわよ。私たちは、他の獣人から見て不要な存在ですもの」
夜の湖のように透き通った青い目を伏せたサラミは、悲しそうな顔をして近くの椅子に座る。
このボロい小屋が立ち並ぶ区域は、『家畜小屋』と呼ばれていた。
普通の獣人が住む場所からは隔離され、四方が透明な高い壁に覆われた、いわば牢獄。
そして、そこに放り込まれた者は、例外なくエルフたちへの生贄になるのだ。
「私たちは、家畜小屋に追いやられて、抵抗もできない。だから、小屋の中で文句を言うくらいは許されると思う」
「ええ、そうね。でも、あなたは口が悪すぎるのよ、マルちゃん。元お姫様だというのに……」
「そう言われても……不貞を働いた下っ端妃の娘だし。獅子や虎獣人ばかりの王族の中で、たった一人のハムスター獣人だし。獣人の国は、一刻も早く、私の存在を合法的に抹消したいんだと思うよ」
「……はぁ、否定してあげたいけれど。こうもやり方が、あからさまだとねえ」
二年に一度、獣人の国は、隣接するエルフの国へ女を差し出さなければならない。
過去にエルフの国との戦争に負け、その条件を飲まざるを得なくなってしまったのだ。
女を差し出せば、エルフの国が獣人の国を襲うことはない。それどころか、獣人の国が困った際は全面的に援助してくれる。
獣人の国は一も二もなく、エルフの国が出した要求を承諾したが、その中でいくつか条件を出した。
一・獣人の国は『エルフの国との間にある土地』に、二年に一度百人の若い女を用意する。
二・エルフはその中の女を自由に連れて行って良い。
三・連れて行って良いのは、その土地の女のみ。それ以外の女に手を出してはならない。
エルフの人口は、それほど多くない。彼らは、喜んでその条件に同意したという。
そして、獣人の国側の言う『エルフの国との間にある土地』こそが、今マルたちが収容されている区域、通称『家畜小屋』だった。
では、家畜小屋へ入れる女は、どうやって選ばれるのか。
答えは簡単――獣人側が不要と判断した女たちをこの場所に連れて来るのだ。
具体的には、生まれた時に届け出た書類で、国がその子を要か不要か判断する。
判断材料はただ一つ、優れた獣人であるか、否かだけだった。
不要の烙印を押された女児は、ある程度成長すると、役人に連行されて家畜小屋に放り込まれる。
その際に、家族には不要な人材を育てた褒美として報奨金が与えられた。
娘を手放すことを渋る親は、驚くほど少ない。
今の獣人の祖先には、もともと様々な種族があった。
獅子の獣人、虎の獣人、狼の獣人……犬に、猫に、鳥の獣人。
しかし、長い時を経てそれらは混じり合い、今では決まった種族というものが消えてしまっていた。
ある獣人は、先祖の豹の血が濃く表れ、その兄弟は狐の血が濃く表れるなんてことは普通にある。
獣人の国は、より強い種の血を引くものを残そうと、不要な血が濃く出た者を排除し始めた。
例えば、獅子の血を残し、兎の血を排除する。狼の血を残し、家鴨の血を排除する……などである。
排除対象になった獣人には、婚姻が許されない。
そして、それが年頃の女ならば、弱い種族の順に家畜小屋に放り込まれる。
マルも、サラミも不要と判断された獣人だった。
「でも、まさかマルちゃんのようなお姫様まで容赦なく家畜小屋行きなんてね」
「仕方ないよ。ハムスターの獣人が王族にいるなんて、恥以外の何物でもないもの」
王族の娘の一人として誕生したマルは、生まれながらにハムスターの血が濃く出ていた。
他の兄弟の多くは獅子や虎、最低でも豹や熊の特性が出た姿である。
王族は、強い種族の特性が現れる傾向が強いのだ。だからこそ、他の獣人たちに尊敬されていた。
そんな中に突然現れたハムスター。
マルの誕生時、周囲は大いに動揺したという。
そこで、彼女は不貞の子だということになった。
ハムスターを産んだ妃は、罰として大陸の外に追放されている。真実がどうなのかは未だにわからないが……
ハムスター獣人の姫は、城の奥にある小さな部屋に閉じ込められ、行事への参加は一切許されず、ひっそりと隠され、いないものとされて生きてきた。表向きは「病弱」という設定で。
そして、十八歳になると同時に、ひっそりとこの家畜小屋へ連れて来られたのである。
「ハムスター……可愛いのにね、私みたいな豚と違って」
サラミが、マルを慰めるようにそんなことを言った。
彼女は貴族の娘だが、家族から疎まれてこの小屋へ放り込まれた。
権力者ほど、自分の家に弱い獣の血が出ることを嫌う傾向がある。
「サラミは、頭もいいし可愛いよ。私はずっと城の奥に閉じ込められていたから、あんまり物事を知らない……ここで他の獣人と暮らすようになって、それが顕著になったから恥ずかしい」
家畜小屋には、獣人の国の至る所から百人の年頃の女が集まっている。
皆、獣人の国が不要と判断した獣人たちだ。
女たちは、王族も貴族も平民も関係なく、助け合いながらこの場所で生活している。
もともと、獣人の国の序列は弱肉強食。家畜小屋に集まる女性のレベルは、似たり寄ったりなのだ。
「皆、あなたの事情はわかっているわ。マルちゃんは、自分のペースで世界を知っていけばいいの」
「……ありがとう」
マルは、姉のように接してくれるサラミのことを慕っていた。
この一ヶ月間を家畜小屋で過ごし、他の女性たちのことも家族のように感じている。
「エルフから、あなたたちを守れたらいいのに……」
唇をかみしめて、マルは声を絞り出す。
無知で非力なハムスターは、王族として民を守ることすらできないのだ。
そんな自分が情けない。
「今までの例からすると……そろそろ、エルフたちがこの家畜小屋へやってくる時期ね」
「……この区域にいる女は百人――全員が連れて行かれるわけだね」
エルフが獣人の女を欲しがるのには、深い理由がある。
魔力の強いエルフは魔法によって繁栄した種族だが、その過程で獣人とは別の問題が生じていた。
――女のエルフが生まれなくなったのだ。
直接的な原因は不明だが、魔力の向上に重きを置きすぎた結果だと言われている。
そのため、エルフたちは、種族を問わず熱烈に女を求めていた。
ちょうどそんな折に、獣人の国と人間の国の連合軍がエルフの国に戦争を仕掛けたらしい。
エルフたちは、渡りに船とばかりに大喜びして魔法で両種族をボコボコにし、「停戦の条件として女を寄越すこと」というルールを取り付けた。
こうして、人間の国と獣人の国は、一年交代でエルフの国に百人の女を渡さなければならなくなったのである。
人間の国のことはわからないが、獣人の国では表向きは「家畜小屋の女をエルフが平和的に連れて行く」という形が取られている。
しかし、強引にこの場所に連れてこられた女が、一方的な行為に反発しないわけがなかった。
ここにいる女は、実際のエルフの姿を見たことはないが、恐ろしい種族だと言うことを知っている。
小さな頃に、マル自身もエルフの姿絵を見た。意地悪な兄たちが、エルフの姿絵でいたいけなハムスター獣人の妹を脅してきたのだ。
「ほら、お前はいずれ、こいつらへの生贄になるんだぞー!」
そこに描かれていたのは、鋭い牙に顔の三倍はある大きな耳、ギョロギョロとして血走った瞳の恐ろしい生き物だった。もはや、生き物と呼べるかも怪しい。
「お前のようなハムスターは、跡形もなく食われてしまうぞー!」
幼かったマルは、その絵を見て本気でビビって泣いた。
今では、さすがに「あの姿絵は大げさすぎるのではないか」と思っているが、心のどこかで本当にあのような姿だったらどうしよう怯えている。
ハムスターは、繊細で臆病な生き物なのだ。
「それにしても、お腹が空いたわねえ」
頬杖をついたサラミが、憂鬱そうに窓の外を見てそう言った。
「……食べ物が余っていないか、私が探してくるよ」
家畜小屋の住人の食事は、朝晩の二回だけ外から配給される。
しかし、最低限の食事しか与えられないため、皆いつもお腹を空かせていた。
外に食べ物を取りに行くにも、家畜小屋の周囲には透明な高い壁が設置されているので不可能。
この透明な壁は、エルフの魔法の力を借りて作られており、獣人の身体能力程度ではどうにもならないものだった。
外に出たマルは、家畜小屋と呼ばれる正方形の区域の中を歩き回った。
この中には、マルやサラミが住んでいるのと同じような家が、百十軒ほど立ち並んでおり、その他に配給所や集会所なども設けられている。
配給所に余った食材がないことを確認したマルは、そのまま家畜小屋の南のはずれに向かう。
前方には、透明な壁があり、明るい昼の光を反射していた。壁の向こうの景色は見えるのに、その外へ行くことは不可能だ。
(憎らしい壁、これさえなければ……)
行く手を阻む巨大な障壁をキッと睨みつけたマルは、その向こう側へ視線を移した。
目の前に広がっているのは、エルフの国の北側と家畜小屋の間に広がる広大な森だった。
エルフへの生贄収容場所は、獣人の国の南のはずれに設けられているのだ。
獣人側は、自国にエルフを侵入させることなく、家畜小屋の中だけでやり取りしたいのである。
森の木の一つに、美味しそうな果物がたくさん実っているのが見えた。
季節は初夏――一部の木は花を咲かせて実をつけ始める。
実物を見たのはこれが初めてだが、過去に城の部屋で読んだ本には、そのように書かれていた。
同じ本に、その木の実はとても美味だと書かれていたことも思い出す。
「サラミに食べさせてあげたいな……」
しかし、壁の外へ行けないマルには、不可能な話だった。
腹が減っているのに、友人が辛そうなのに、すぐ近くに食べ物がたくさん実っているのに――なにもできない。
ハムスター獣人は、自分の非力さを呪った。
透明な壁に背を預けて、空を見上げると、白く大きな鳥が空を舞っている。
「いいよな、自由に好きな場所へ行ける生き物は」
残念ながら、ハムスターに羽根はない。
それに、家畜小屋に入れられる鳥の獣人は、逃亡しないように風切羽根を切られて飛べなくなっている。
結局、食べ物を手に入れられなかったマルは、小さく縮こまって俯いた。
そっと目を閉じ、束の間思考を放棄する。
すると、不意に近くでコトリと音がなった。
慌てて顔を上げると、すぐ横に先ほど眺めていた木の実が二つ落ちている。
「えっ……? どうして?」
キョロキョロと周囲を確認したが、誰もいない……
「なんで?」
しばらく辺りを探ったが、結局何もわからない。
そろそろ、サラミも心配し出す頃なので、マルは二つの木の実を拾って自分の小屋に戻った。
美味しそうな木の実を受け取ったサラミは、手放しで喜んでくれた。
0
お気に入りに追加
484
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される
安眠にどね
恋愛
社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。
婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!?
【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる