織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第三章 血路

二十七

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 年が明けた弘治三年(一五五七年)、真冬ながら雪でなく雨のしとしとと降るしずかな夕暮れのことだった。
 安食あじき村は福徳ふくとくの百姓・又左衛門またざえもんは、佐々成宗さっさなりむねの居城・比良ひら城下から村への帰路を急いでいた。突然の雨だから笠など持ち合わせていない。
 比良城の東には南北に長く伸びる土堤がある。これのさらに東の外側の芦原をグルリとまわるようにして村へ向かうのが又左衛門の常の道だ。堤の内側を通ってしまえば最も早いが、近隣の者たちは近づかない。堤の西には「あまが池」と呼ばれる大池があり、そこには恐ろしい大蛇が住んでいるという言い伝えがあったからだ。
 又左衛門とてこの地で育った手前、そんな話は親兄弟から耳にタコができるほど聞いてよく知っているが、今日に限っては寒雨に耐えられない。すこしだけ考えた挙句に近道をすることにした。
 あまが池に差し掛かる。池は大地に多量の墨をにじませたかのようにぼんやり闇にとけて広がっていた。
『この道は早え。これなら、晴れた日だってここを通るのがいいわ』
 そんなことを思ったときだった。
 今の今まで気がつかなかったが、唐突に、目の前に巨大な丸太のような影が横たわっていた。一抱え以上もあり、小走りで軽々と飛び越えることのできる大きさではない。又左衛門がよくよく目をこらして近づく。すると、何ということだろう、その丸太らしき影はずずっと土のうえを動いたのである。
――生きている!――
 は堤の外から堤の内側へ、つまりは、堤の外側からあまが池へと向かっている中途らしい。又左衛門は恐ろしくなって身をかがめる。その音を聞いたのか、瞬間、まさに池に入水しようとそれはゆっくりと首を持ちあげて又左衛門の方を向いた。
 顔は鹿のようであった。真っ赤な目と舌が光輝いて点滅している。
 又左衛門はこれ以上先へ進めず、元来た道を一散に引き返した。震えるのは寒さのためか、それとも、恐怖のためか? 大野木おおのぎというところで宿をとり、その日は村へ帰れなかったという。
「あまが池の大蛇の言い伝えは本当だった」
 と、噂はしきりに広まるかに見えた。

――

 時を同じくして、もう一つの風説が立っていた。
 あまが池に隣接する比良城の佐々成宗に信長への謀叛の準備があるという話である。成宗の次男・孫介まごすけは信長に付き従い、稲生原の戦いで討死を遂げたが、孫介を討った勝家を信長が赦免したので、そのことを恨んでいるという筋である。
「呆れた噂だな。根も葉もないことだ」
 信長は一蹴したが、主従の信頼関係など大衆には分からない。そこへ大蛇の噂が軽薄に絡み合う。
『あまが池の大蛇の噂話は、成宗殿が信長公を自らの城に来させぬように流したものらしい』
 いつしか尾ひれがつき、成宗の謀叛はまことしやかに囁かれるようになっていた。
 尚も一笑に付して差し支えのない信長であったが、馬鹿な噂をのさばらせておいて碌な結末を迎えなかった過去もある。もはや、信長は、一人のうつけとして放っておかれない存在だった。そうして、気を緩めれば何処からともなく魔手が伸びてくる立場にあることを、信長自らが既によく知っていたとも言えよう。

蛇替じゃがえをしよう。近隣の村々に触れを出して百姓たちを集めておけ。あまが池の大蛇とやらを探し出してやるよ」

 信長は又左衛門の話を聞いて、それから大蛇を捕まえる算段を付けた。近隣の五、六の村々の男たちに向けて水を汲み上げられる道具を持って集まるように命じておき、数百の人間で、朝から一斉にあまが池の水を掻き出しにかかった。昼になる頃には池の水は七割方減った。当初は怯えながら池に入っていた百姓の子どもたちも、これには拍子抜けした様子である。どう見たって又左衛門の話すような化物じみた大きさの蛇が潜める余地はもはや残っていない。
「ははん。さては織田信長の威光に恐れをなして、大蛇の奴ア、逃げちまったようですなア、皆の衆」
 恒興がわざとらしい口ぶりで見物人たちを盛り上げる。目撃者の又左衛門ですら、自分が見たものは幻だったのだろうか、と狐に摘まれたようにキョトンとしていた。大蛇の噂など、もはや消滅したも同然だったが、
「ひょっとすると、又左衛門の話が大げさにすぎるのかもしれないな。一抱えは居ないだろうが、もう少し小ぶりな奴が居ないか、見てきてやろう」
 信長は颯爽と着物を脱ぎ去り、褌一丁になると、脇差を口にかっと咥えて、水位の減った池のなかへと飛び込んだ。これにはさすがに、皆々、アッという声をあげたが、やがてしばしの水中探索を終えた信長が、首だけをぷかと水面に突き出して「居らんぞ」と呟くと辺りは喝采に包まれた。
 齢二十三、今川・斎藤といった猛者たちと斬り結び、実弟との決戦を制した織田信長だが、昔から知る者にとっては何も変わらないうつけの殿さまに見えたことだろう。
 信長は池から上がって、傍らの土手に座って休んでいた一人の百姓に声をかけた。
「オイ。そこのキサマ。さっき見ていたが、泳ぎがなかなかに上手いな。この脇差をやるから、オレの代わりにもう一度潜って来い」
「へえ。確かに泳ぎは得手ですが、しかし、信長さまが見られたなら、良いのではないですかい。いったい、何故、そのような――」
「もし、オレが臆病者の殿さまなら、うっかり大蛇と鉢合わせていたとしても「居なかった」とホラを吹くかもしれないぜ。だから、この地に暮らすキサマたちのその目でしかと確かめてくるのだよ」
 そう命じて男を潜らせると、いよいよ一分の隙もなく大蛇の存在を抹殺した。
 以後、人々はこの日の盛況を思い出しながら、むしろ好んでこの池の側を通るようになったという。それに伴い、成宗の謀叛の噂もほどなく消えた。まるですべてがマヤカシだったかのように。

――

 さて、あまが池から清洲へ帰る道すがらのこと、聴衆のなか、一際、小汚い恰好をした一人の男が信長たちの後ろを付いてくる。
 恒興は気味悪く思い、
「やい。何だ、テメエは。たたっ斬るぞ」
 とやや大仰に脅しつけたが、男はそれには答えず、信長に向かって粛々と語りかけた。
「怪しい男が居ましたが、取り逃がしました。申し訳ございません」
「バカヤロウ、誰に口聞いてやがんだ。それに、怪しいのはテメエだってんだ――、」
 とそう言いながら、その声にはどこか聞き覚えのある恒興だった。
 男は深く被っていた笠をとり顔を見せる。長秀であった。
「アッ! おまえッ。まったく、信長さま、また私に内緒で何かやりましたね」
 恒興の狼狽に、信長はもう興味を示すことがない。
「又左衛門という男がウソをついているようには見えなかったろう。アレの話に便乗し、オレと佐々成宗を離間させようとした小ぶりな蛇が居るようだ」
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