織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第三章 血路

十五

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 弘治二年(一五五六年)四月二十日明朝、登り始めた日差しをきらきらと反射させて輝く長良川を挟み、二つの軍が対峙している。
 川の南岸には、稲葉山より出立した斎藤高政の率いる一万五〇〇〇余の軍勢がある。兼ねてより着々と計画されていた謀叛は、道三の支配体制をそっくりそのまま奪い取った。当初は高政の調略に応じないものも居ないではなかったが、彼らは例外なく妻子を人質にとられ、やがて臣従を余技なくされた。つまり、今や美濃国の侍のほとんどすべてが高政の麾下に加わっているのである。
 川の北岸に布陣して対する斎藤道三の軍勢はおよそ三〇〇〇足らずに過ぎなかった。端から勝負にならないことは火を見るより明らかだった。

「ずいぶん、差が開いたものだね」

 道三は床几に腰かけ、対岸の敵を睨んで苦笑する。
 途方もない兵力差を直に目の当たりにしても退却の備えをするような素振りは微塵もなかった。
 これを不気味に思ったのは高政である。
――父上はすでに覚悟を決めている。そう言ってしまえばそれまでだ。戦場に死に花を咲かせようというのは、武士の自然な心性だ。そこまで訝るのは臆病が過ぎるのかもしれない。しかし、相手は斎藤道三――
 突撃の下知が下せない。
 そして、石橋を叩くような高政のこの態度に皆が同調した。
『もしも、自分の考えが及ばない策略が道三にあったなら、――』
 その懸念が消えてくれない。
『突撃を進言し、万一、反撃の憂き目に合うようなことになれば、たとえこの戦争には勝利したとしても、新政権下での自分の立場が危ぶまれる』
 そう考えて、皆ただ沈黙にその身を委ねていた。
 ところが、
「埒があきませんな。この機に川を渡って、萱場かやば早田そうでんの村々へと陣を移されてはいかがでしょう」
 それを破って守就がため息交じりに口を開いた。
「馬鹿が。それができれば当にやっているわな。道三めは我らが川を渡る隙を伺っておるのだよ」
 高政の返答を待たずして一徹がすかさず斬り返す。
「定石で言えばそうでしょう。川岸に布陣したからには、川へ入り動きの鈍った敵へ襲いかかるのが第一義。しかし、今のままに睨み合っていては、いずれよろしくない、これも事実でしょう。尾張の織田信長が美濃へ入ったとの報せもあります。私は一度、信長と直に言葉を交わしたことがあるが、アレと戦うとなれば、大勢には影響ないにしても、随分骨が折れるでしょうな」
「フン。折れるのは鍛錬の足らぬお主の兵の骨だけではないのかな」
「私の兵を揶揄うのは稲葉殿の勝手だが、私が言いたいのは、道三は、川岸に陣を張って我らとの決戦に及ぶ、その実、味方が増えるのを待っているのではないか、ということですよ」
「織田の加勢を待つなら道三は鷺山を下りぬわ。大桑城に籠っていれば、尚良かっただろう。出てきたということは、死ぬ覚悟を決めたということだ」
「道三が待っているのが織田だけなら、そうです」
「なに?」
 明快かに思われた一徹の整理に、守就が不穏な含みを持たせて一石を投じる。
「一体それはどういうことだね、守就よ」
 堪らず高政が割って入った。
「いえね、私は、道三は何か別の味方をも待っているのではないか、と考えているのですよ。いかがです、竹腰たけごし殿」
 突如、守就が名指ししたのは竹腰道鎮どうちんという男。美濃・大柿城主を務める大身で、兼ねてより明智光安みつやすと共に親道三派として幅を利かせていた一人であったが、此度の謀叛では高政の麾下に加わっている。
「ナ、何をッ?」
「竹腰殿は道三とずいぶん懇意でしたな。それに、此度はずいぶん参陣されるのが遅かったように記憶しておりますが」
 守就は挑発するように問いかける。
「何が言いたい」
「道三がこのように寡兵で無邪気に布陣しているのは、我らのなかに内通者が居るから。そう考えることもできますな」
「まさか、そのような根も葉もない話で某を愚弄するつもりではあるまいな」
「万一のことを申し上げているだけですよ。道三という男ならやりかねぬ」
 一徹は「くだらぬ」と一言だけぼやいたが、かと言って道鎮を擁護することもなかった。彼らは反道三の旗の元に結束しただけの、いわば烏合の衆である。各々が互い小さな疑心を抱いたまま、この戦場に顔を揃えている。
「止めよ。内々で争うことこそ父の思うツボである」
 珍しくも高政が声を張って制した。こうしてみると、やはりガタイが良いだけに威厳が備わっている。
「守就よ。お前の懸念も分からぬではないが、道鎮はそのような男ではない。だからこそ、私はこの戦の先鋒に命じているのだ」
「私の話には続きがあります」
「――、申してみよ」
 守就は、待っていました、と言わんばかりに作戦を滔々と語り始める。
「先にも申し上げた通り、渡河した先の村々へと本陣を移したい。が、しかし、これは稲葉殿の仰るように道三の反撃に合う危険があるので、全軍を一挙に渡らせるのは避けたいところです。そこで、まず、小さな隊を先に進めて相手の出方を見てはどうか。その大役を竹腰殿にお任せしたい」
「道鎮に毒見をさせようというのか」
「そうです。二心がなければ、先鋒の役目と大して変わらぬでしょう」
 道鎮は苛立ち、堪らず立ち上がったが、守就はここぞとばかりそれを押し返すように声を張った。
「何を憤っておられるのです。相手はかの斎藤道三。何をしてくるか見当がつかぬから困っているのです。それに、あなたの遅参は高政さまによって許されたが、しかし、我々の心情もご理解いただきたいものです。こういった戦では、一人ひとりの些細な行動が要らぬ疑義を生んでしまう。これが、私の杞憂に過ぎなければ良い、と私自身がそう思っていますよ。
 竹腰殿が無事に渡河を終えたなら、後は何のことはありません。もはや道三には窮鼠猫を噛む力の一片も残るまい。これほど楽な戦はないですよ。もし、道三が討って出てきたときは、こちらも後詰を出し、竹腰殿を救援しながらの決戦へと移りましょう。
  危険な役目には変わりないが、あなたがそれを果たすだけでこの戦の勝敗は決すると言っても過言ではありますまい。もし、役目を見事に完遂したなら、私たちは以後一切、あなたを疑うようなことはできぬでしょう」
 高政を含めた皆が、押し黙って道鎮を見つめた。
 道鎮がこの役を果たしてくれたなら確かにそれが最も良い、と一徹までもがそう確信していた。
「やってくれるな」
「ハ。この竹腰道鎮。新たなる美濃の国主にあらせられる高政さまの御為に陣替の役目、見事果たしてご覧に入れましょう」
 守就に上手く乗せられた形とはいえ、ここに至って道鎮はこれを承諾した。
「それでこそ、宇多うだ源氏より続く竹腰の名家を継ぐ者の働きにござる。先刻の非礼は詫びさせていただきたい」
 守就は空文を添え道鎮に頭を下げたが、道鎮はそれを見もしなかった。

 辰の刻、兵五〇〇〇を預けられた竹腰軍が渡河を開始した。
 細心の注意を払い、敵の軍勢に目を光らせながら、しかし、堂々と、つぎつぎと川へ入って行く。中程まで入っても、道三の軍勢はいまだ河原で身じろぎせず、出撃してくる様子はなかった。
――どうやら、道三が織田信長を待っているというのは本当らしい。安藤めは憎らしいが、この戦で手柄を立てればあの小賢しい口も塞げよう――
 道鎮は冷や汗を拭って、一息を吐くと、いよいよ自らも川中にまで足を踏み入れた。
 しかし、その時だった。中州の鬱蒼と繁茂した草木の陰から、突如として人影がザッと現れ、すでに番えている矢を竹腰軍に向けて一斉に放った。
「なにッ」
 道三の伏兵である。
 道鎮はすぐさま太鼓を打ち鳴らさせ、背後の本隊に後詰の進軍を要求するが、
「ほうら、やはりあの草陰だ。我らは敵より先に布陣し、道三が鷺山城から降りてくるのを見ていた。以後一切、伏兵などを忍ばせる機などはなかったはずですが、ふふ、大方、夜半のうちに仕込んだのでしょうね。我々が長良川に布陣することは、織り込み済みというわけですな。まったく油断も隙もありやしない。竹腰殿を先に行かせて、実に正解でした」
 守就は子どもみたいに高政にケラケラ笑いかけた。
「お前は、悪い奴だな。道鎮は助けを求めているぞ」
「高政さまがそれを言われますか。ずいぶんお芝居が上手くなられたものです」
「あまり荷重をさせては、ほんとうに裏切るかもしれんから、あのぐらいはね」
「出撃しますか。あまり放っておいては、兵らが逃げ出してしまうかもしれませんが、」
 高政は、川中にこちらを振り向く道鎮の顔を見たような気がしたが、
「いいや。もう少し待つよ。いま大軍を使っては、父上はまた川岸に退き返してしまうかもしれないから。道鎮には撒き餌になってもらうほかあるまい」
 目を閉じて手を合わせた。
 配下を見殺にする苦悶に顔を歪ませているかのようだったが、口元だけがやや笑んでいた。

 混乱を極める竹腰軍へ、今度は岸の方から鉄砲の雨が打ちつける。立ち込める硝煙の中に、いつの間にやら道三の鉄砲隊が横隊を組んでズラリと並んでいた。
「サテ、行こうかね」
 道三自身が鉄砲を取り換えては撃ち、取り換えては撃ち、自ら多くの敵兵を撃ち抜いていく。奇しくも、それはかつて村木砦で織田軍が取った鉄砲の連射法に一致している。
 川の流れに足をとられた竹腰軍の兵らは倒れ込まないのが精一杯、ほとんど棒立ちであり、撃ち手からすればこんなに都合の良い的はない。
 粗方打ち尽くすと、
「鉄砲はもういい、全軍を竹腰道鎮にぶつけよッ!」
 号令一下、道三は一生のうちで最も機嫌が良い。澄み切った気分はまるでこの晴れ渡る空と同じようである。
「お待ちください。すでに織田信長は美濃に入り、大浦おうらに砦をこさえているとの報せが入りました。竹腰隊に痛手を負わせ、合戦の面目はすでに十分立っております。ここは一度大浦へ退き、信長殿と共に砦で敵を迎え撃つべきです。さすれば、万一の折は、尾張へ落ち延びることもできましょう」
 三河からひとっ走り、戻ってきた猪子が信長接近の報を道三に伝え、高政との決戦を避けるよう諫めたが、
「お前の言うことなど聞くものかい、馬鹿。私の許しなく信長のところへなんか行ったろう。困った奴め。息子に灸を据えるのに婿の手を借りる父親なぞ、とんだ笑い種だぜ」
 道三は聞く耳を持たず、自ら下馬して川へ走った。
「道三さまッ」
 およそ三〇〇〇の兵が一体となり川へ飛び込む。
 竹腰軍は鉄砲や弓によって負傷した兵らを担ぎながら、必死に岸への退却を試みるが、すぐに追いつかれて首を獲られた。道三の兵はなぜか激流に足をとられることもなく、まるで水面を走るかの如き恐るべき速力で押し寄せる。
「ナッ、何だ、あの動きはッ」
「ウワハハハ、陰陽術よ」
 あっけにとられる敵勢の驚愕を見て、道三はますます機嫌良く哄笑した。
 道三の兵たちが突き進む経路の水底には、大岩が沈められている。彼らはこの岩を足場に水面を駆けたが、それが水面を走るように竹腰軍の兵らの目には映ったのである。此度の戦に備え蓄えられた足場か、はたまた、元より大岩の豊富なこの場所に目をつけて布陣したのか、それは斎藤道三のみぞ知るところ。
 いよいよ竹腰道鎮、斎藤道三の両大将ともが中州の中で向かい合う。何時、何の間違いで、どちらが死んでもおかしくはない。それどころか、もはや無傷での撤退など望めないだろうことは、互いに、容易に了解されている。
「何故だッ、味方は、高政さまは何故動かぬッ」
 何とかこの窮地を逃れようとした道鎮が背後の本軍に再び目をやったその一瞬の隙を突き、
「余所見厳禁」
 道三が道鎮に組み付いて、これを押し倒す。よもや老齢の道三が自ら突っ込んでくるとは道鎮は夢にも思わない。
「道鎮よ、地獄で待っておれい」
 脇差を掌で腹で押し切り、道鎮の首と落とした。
 道三はしわがれ声を振り絞り、大将首を高く掲げた。まるで照り付ける太陽でそれを焼くかのように。兵たちは呼応して叫ぶと、恐れ慄き逃げて行く竹腰軍に尚も追い打ちをかけ、一人足りとも漏らさぬ勢いで追いすがる。
 竹腰軍はほとんど霧散の有様だったが、それを対岸から冷ややかに眺めている男が居る。
「ウン、今でござる。深入りした斎藤道三を岸へ帰すな。進め」
 落ち着き払った高政の指図で、いよいよ本隊一万余が一気呵成に進軍する。

 道三にはもはや撤退の意思などなかった。
 敵勢の押し寄せるまでの数十秒の間、両手いっぱいに水をすくって、道鎮の返り血をいっぱいに浴びた顔をジャブジャブ洗ってニカッと笑う。被っている母衣が風にそよいで、ぱたりぱたりと揺れていた。
「竹腰道鎮を捨て石に、私を川中まで引きずり出したという訳だな。天晴よ。血は争えんということか。ウワハッハッハ、褒めて遣わす。お前は紛れもなく斎藤道三の息子だね」
 騎馬武者同士の一騎打ちを合図に、いよいよ兵と兵とがぶつかった。
 土煙が起こる。水飛沫も、血飛沫も、すべてがない交ぜになって兵らの顔に吹き付けた。そこかしこで起こる鍔迫り合いの金属音がときに彼らの鼓膜を破り、火花が散った刹那、首が無数に落ちていく。まさに乱戦である。
 ここに至っては、道三軍に勝ち目は一つも残されていない。それでも、道三は一人でも多くの者を道連れにすることに余念がなかった。
『高政さまよりご通達。斎藤道三は生け捕り、斎藤道三は生け捕りにせよ。殺すな、道三は殺さず生け捕りにせよ』
――これだ!――
 道三は自らが生け捕りの対象であることをしかと認識するや、敵の渦中へあえて飛び込んだ。生け捕りの命令に忠実な高政の兵らは、力加減に手を拱ているうち、瞬く間に道三によって首を獲られた。
「私は結構強いよ。知らんのかね?」
 鳶が鷹を生む。道三の父は元は京の油売りであったが、彼はその父が武士となって生ませた鷹であった。いや、生んだ鳶を鷹にしたというべきか。彼は自らが武士の出自でないことを口惜しく思っていたからこそ、生まれた我が子・道三に武芸の粋を惜しみなく教育した。道三は、武士の常道を逸した手段で国を奪い、悪逆非道の誹りを受けながらも、その実、茶の湯から剣術に至るまで一流の武士教養を備えていたのである。
 十人、二十人と討ち取って、齢の所為かいくらか身体がフラついてきたところへ、敵方の兵が組み付いてきた。
――ムッ、こいつはなかなか力があるな、しかし、これも生け捕りの念につかれているぞ。上手くその隙を――
 そう考えたところで、駆け付けてきたもう一人の敵兵に脛を刀で薙ぎ払われた。道三は水面に突っ伏してしまう。
 グウ、と呻き声を漏らして、顔を上げる。
 燦燦と輝く太陽の中から、銀色に光る一筋の太刀が降りて来て道三の頭を割った。



 思い残すことなど、何があろうか。私は、私の思うようにやってきた。
 というよりも、そうすることしかできなかったのだ。

 父は長井という家に武士として仕えて、出世のさなか私を生んだ。
「俺は京都の坊主から身を起こして、長井の家に拾われたが、さて、お前はどこまで行けるかねエ」
 幼い私に、父はそんな話をよくしていた。
『だったら、私も武士をやめて仏門に入っても良いだろうか?』
 私は父にそう聞いてみたいようなときがあったが、ほどなくして父は死に、その機会はとうとう失われた。

 父が死ぬと、いよいよ一人で何かを成し、生きて行かねばならなくなった。
 しかし、私には、私自身の幸せというものがまるでわからなかったのである。
 仕方なく、父と同じように出世に繋がることだけを繰り返した。中でも、目上の人間を殺すというのが最も手っ取り早い手段で、敢行するに些かの良心の呵責もなかった。
 私は、戦争においては格別、平素は計算高い人間では決してなかった。我慢というのが大の苦手だったから。世間の人々が噂するような忍耐強い狡猾さを、私は持ち合わせていないのである。とある権力者に悪意を持って近づいて昵懇となり、その寝首を掻く。こういった芸当はとても出来ないものだ。
 その代わり、私は昨日まで愛していた人を殺すことに何の執着も躊躇もないのだった。

――この主君は私を良く思ってくれている。私もこの人を好いている。でも殺してみたらどうだろう、この人の地位から見る世界は、どんなだろうか――

 憎しみで人を殺したり、何か目的のために人を騙したり、そういったことは私の行いになかったように思う。
 ただ、「乱世」などと称されながら幕府の封建制を半ば引き継いでいるような締りの悪い世界を揶揄ってやりたいような気持ち、それだけはちょっとあったのかもしれぬ。
 私が地位を高める度、人々は私を散々にこき下ろした。
「悪党」と言う。聞いて私は失笑してしまう。私とて、好き好んでこういった心性となったのではないから、そんなことを言われても困る。むしろ、私のような悪党が居ると知ったなら、銘々が頑張って力をつけ、そういった者を締め出していくしかないではないか。だのに、奴らときたら努力が足りず、苦し紛れに陰口を叩くほかないときている。何と哀れな人生か。
 弱く生まれ、いつまで経っても弱いまま。呆れたものだ。弱く生まれたなら、その不足を補うための一層の研鑽が必要であるのに、それを知らない。かといって身の程も知らないから、強者への妬み嫉みが止まず、周りを見渡して使えそうな道具、つまりは在りものの価値、言葉、規範を切り貼りして御旗に掲げ、それで強者に何か一矢報いたような気になっているから甘ったれも度が過ぎている。
 私はこういう輩が何よりキライであったし、率先して殺してやった。
 
 しかし、やがてその弱虫を象徴する者が自らの種から現れてしまった。
 生まれながらに気弱な馬鹿。病に蝕まれてすっかり気を落とし、卑屈に、その日その日を生き抜いて布団のなかでようやく息をついているような木偶の坊。私はこれがイヤでイヤで溜まらなかった。自らの弱さがそこに形を持って顕現したようで、いじめずにはいられなかったものだ。
 一方、正室に産ませた娘の方はずいぶん自分に似ている気がした。世の中を白眼視し、いつ死んでも良いというような虚無のなかに生きていた。男だったなら、これに跡を継がせただろうことは疑いようがないが、運命というのはときに思惑とややズずれながらも、おもしろい回転を見せることがある。
 近隣に風変わりな悪童が居ると知ったとき、これに私の結晶のような娘をぶつけてやることを企んだ。利口になろうと四苦八苦する木偶の坊に宛て付けてやろうと思ったわけだ。もっとも賢い、もっとも美しい娘を、あの悪評並々ならぬ織田信長にくれてやり、自らの義息子むすこにしてしまう。
 やがて信長が今川を相手に攻勢に転じたとき、私は息子に信長の凄さを語り聞かせてやった。
 
「あれこそ、私のむすこだよ。果てはあの信長に美濃をくれてやっても良い」

 あの耄者をいじめぬくための最も苛烈な遊びだった。
 そんな台詞、どれだけ本気で言ったのだか、私にも分かってはいなかったが、これがどうやら木偶の坊にようやく火を付けさせたらしい。
 奴が私を殺しに来ることを、私はずっと望んでいたのかもしれないな。

――私は、ほんとうに織田信長に入れ込んでいたのか?――
――私は、ほんとうに斎藤高政を耄者だなどと思い込んでいたのか?――



「そんなこと、今更になって考えさせるな。手のかかる子どもたちだよ、まったく」

 道三の細いひ弱な首はいとも容易く切断された。
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