織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第三章 血路

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 清洲へ戻った信長は、一両日の後に、軍勢を整えて重臣・飯尾定宗いいのおさだむねを大将にして守山へ派遣した。
 末森の軍勢は、信勝自身は町を焼き払った後すぐに引き上げた。代わりに下社城から柴田勝家が駆け付け、勝家と蔵人の二人が総大将として厳重に城を囲んだ。こんなところへ信長自らが出ていくことはなく、むしろノコノコと出て行ったなら、血気盛んな勝家らにその場で弑逆される事態すらあり得るだろう。そんな事態になったら、帰蝶は信長の遺骨を蹴飛ばしたかもしれない。
 信長・信勝の兄弟仲がいかに悪いと言っても、互いの大将がいなければ滅多なことは起こらない。籠城を続ける喜左衛門たちを野放しにはしておけないという意識は、勝家も蔵人も定宗も共有している。末森・清洲の両軍は互いに張り詰めた緊張のなかで、時に上手く補い合って城を包んだ。守山城は平城だが、生前の信光が堅牢に改修させた堅城であり、力攻めはあり得ない。というよりも、そもそも元は味方なのだから、それを相手どっての殺し合いなど割に合わないことこの上ない。
 籠城軍の方でも、降伏の機運が高まってきていた。
『この不憫な自分たちを救うために、殿がひょっこり戻ってきてくれるかもしれない』
 当初は、淡い期待をしながら戦ってきた喜左衛門たちだったが、一月経ち、八月になっても信次の気配はないと感じるや主君への忠義の心も擦り切れた。とっくに見捨てられていたのだ。 
 しかし、「主の命なく城を明け渡すことは出来ぬ」と豪語した手前、どうも引っ込みがつかない。矛盾を抱えたまま、飢えて死ぬまで籠城するよりほかになかった。みっともないが、仕方ない。
 ところが、包囲軍の陣中にあって喜左衛門たちの心境を看破した者が居る。
 信勝軍の将として参陣していた佐久間信盛である。
 信盛はアタリを付け、大将であり同輩である勝家に献策する。
「籠城軍が討死覚悟で向かってくることは、まずない。弾みで犯した謀叛を惰性で続けているに過ぎないだろうと思う。ここは一つ、その顔を立ててやってはどうか。あの者らは「主の命なく城を明け渡すことはできぬ」と称しているとのことだが、それなら、こちらで勝手に新たに主君を立ててやり、それに仕えるよう促すのだ」
「確かに力攻めは下策と某も思うが。して、誰を城主に立てるつもりか」
「そうだな、信広殿はどうか。あのお方なら筋目から言っても申し分ない。信長さまとて下手な横やりを入れづらいところだろう」
 織田信広とは、かつて太原雪斎によって安城城を奪われ、松平竹千代との人質交換によって一命をとりとめた信長の異母兄である。信長の家督相続後にはこれといった働きはなく、一門衆の中にあっては、積極的に信長に近づいて動いた信光の陰に隠れていたが、ここに来てその筋目が信盛の目に留まった。
「ナルホド。貴殿の策は当たるやもしれぬな。手配してみよう」
 勝家はすぐさま末森城の信勝の元へ使いを走らせ、信盛の策を告げさせた。
 降伏勧告に際して新城主を差配してしまうというのは大胆な計略。勝家自らは思いつかなかったことだ。発想の手柄を信盛から横取りするようなことがあってはならないと考えた勝家は、それが信盛の献策であることも併せて信勝へ伝えたが、

「弟を殺したうえ、謀叛に及んだ守山衆を調略しようなどと、笑止千万の事である。佐久間信盛は恥を知らずもいいところだが、それをその場で叱責せずに、あまつさえ私の耳に入れた貴様の行いも奇妙である。津々木蔵人には相談したのか。きっとしていないのだろうな、蔵人が知ればそれが誤りだとすぐに即断したに違いない。何のために二人の大将を置いていると思っているのか、勝家は今一度よく考えよ。
 そもそも、織田信次などという大罪人に同心して籠城を始めた蒙昧の兵など、今さら味方につけたところで、大した働きをするはずもない。包囲を続け、機を見て信長より先に落城せしめ、家老衆どもの首級を上げる。貴様らが考えなければならないのは、ただそれだけだろう。
 信盛の言は弟・秀孝の死を侮辱するものであり、武士の風上にもおけぬ許されざる所業だ。二度と申すなと、信盛に伝えよ」

 取り付く島もない返答が返ってきた。
 信勝は怒りに任せて城を焼いたは良いが、その後の包囲戦を日がな続けているのは勝家たちである。力攻めを行って死んでいく兵隊も、彼らの配下だ。それを思うと、この日ばかりは勝家も少々酒をあおりすぎ、
「信勝さまはもう一月も戦場を直に見ておられぬ。某はいまでも貴殿の申す通りだと思うがなア。あるいは、某の伝え方に至らない部分があったのだろう。まったく、貴殿には悪いことをした。相すまぬ」
 主君と、自分の無力への愚痴をついこぼしたが、信盛は晴れやかな態度で勝家を気遣うように答える。
「信勝さまとて戦を知らぬわけはない。やはり、秀孝さまを失ったことがそれほどまでに堪えているということなのだろう。仕様のないことだ。こればかりは時間が経たねば、ナ」
 勝家はこの同僚を心底尊敬した。尤もな献策が一蹴され、なお且つ侮辱の言葉を浴びせられてなお、どこ吹く風、腐る様子がない。自分の心には義憤にも似た何かが渦巻いていたことを思うと、「いやはや、この男はよっぽど達観しているな」と、舌を巻いた。
――この男となら、戦続きの荒んだ日々をも歩み進んで行けるかもしれない――
 そんな感傷さえ抱いたのだった。

 信盛がひそかに陣中を抜け出し、清洲へ向かったのは翌日のことだった。

 まったく同じ内容を信長に献策すると、信長は「オモシロイ」とパチパチ手を叩いてはしゃいで見せた。策そのものというより、信盛が自分の元へやってきたということが愉快らしい。
 堪らず信盛は、
「私は信長さまと信勝さまのどちらの味方というのでもございませぬ。弾正忠家の利となると信じたことを、お二人に言上申し上げただけでござる」
 と付け加えたが、その生意気な言い方すら信長は気に入ったのか、「そうか、そうか」と言ってさらに上機嫌になった。
――これでよかったのだろうか?――
 信盛がそんなことを考えていると、まだ口角をゆるませたままの信長は唐突に、
「ウン、ただし、守山城主とするのは信広兄でなく、秀俊ひでとし兄にしようじゃないか」
「ハ?」
 重大なことをさらりと口にした。
「秀俊さま、ですか。イヤ、しかし、それではお筋目が」
 織田安房守あわのかみ秀俊という男は信広の同母弟である。信長から見れば、信広だろうと秀俊だろうとどちらも庶兄には違いないが、思えば信長が信広を押す訳はなかった。
 信広と竹千代の人質交換について家中で評議が行われた折、その場に割って入り「信広など見捨てるべきだ」と信秀に迫ったのが信長だ。無事に尾張へ戻ってきた信広がほどなくしてその一幕を知り、兼ねてよりうつけで噂の信長のことをより一層に軽蔑したことは言うまでもない。
 信勝に対しる信盛の献策は、そういった裏側の関係性による駆け引きまでをも含めてのことだ。守山城が無血開城し、信長を快く思っていない信広が城主に収まれば、一挙に信勝陣営が優勢になるという手筈だったのだ。
 ところが、そうはならなかった。怒りに心を支配された信勝には、そこまでの道程が見えなかった。
「筋目など、くだらないことだろう。とにかく、秀俊だ。話をつけてこい」
 弟の謀叛の気配を知らぬはずはない信長が「筋目など、くだらない」という言い方をしたのが、信盛にはちょっと奇妙に思えた。

 信盛はすぐに秀俊のところへ行き、事の次第を告げた。
 秀孝の事故死、信次の逐電、それらの不幸を経て、今なお籠城を続ける守山城は、言ってみれば既にいわくつきの近寄りがたい城ではあったが、
「それは良い! よく取り次いでくれた」
 秀俊は簡単に了承した。要領のいい男であった。
 世渡り上手な佇まいがどことなく雰囲気が信光に似ているが、歳が若い分、性根はもっと純真で、信長の兄弟のなかでは最も信長に好意的と言えるかもしれない。夙に、信長が恒興らと河原で駆けまわっているのを羨ましそうに眺めながら、しかし、自分は一応は信長の兄であるから、外聞なく「混ぜてくれ」などと言い出すこともできないというような、寂しがり屋の青年だったのだ。
 今回の件で守山城主に抜擢されれば、それは兄である信広の頭を飛び越える。若い野心にも、火が点いた。
 信盛は東奔西走、守山へと取って返して、改めて勝家に相談を持ち掛けた。
「やはり、力攻めなど出来やしない。信勝さまは立腹されるだろうが、例の策を断行するよりほかはない。勝家殿に迷惑はかけぬ。知らぬ存ぜぬで通していただければ良い。信勝さまとていずれ我が真意を汲んでくださると信じている」
 信盛の暗躍など勝家は知る由もない。
「相分かった。すべてが終わったなら、信勝さまへは某から口添えいたす」
 そうして信盛はするすると城内へ侵入する。織田秀俊を城主にして降伏するよう、喜左衛門たちに勧めると、絶望の淵にあった守山城の家老衆たちは、渡りに舟とばかり、喜んで開城を決断した。信盛はこの忠節によって、後に、守山と那古野のちょうど間の下飯田しもいいだ村に百石の知行を、秀俊から与えられた。

 信盛の所業に、信勝はいよいよ怒髪天を突き、その責を勝家に負わせたことは言うまでもない。勝家は信じられないといった様子で、ただただ唖然とするばかりであった。
 素直に信盛の案を呑んで信広を守山城主に据えていたなら、信勝派にとっては丸儲けだったにも関わらず、それがそっくりそのまま信長の手に落ちてしまった。逐電した信次とて信長派だったから、元の木阿弥だと言えないこともないが、政権奪回の好機を信勝はみすみす逃した格好となった。

 弾正忠家がこんな悠長な内輪揉めを続けていられたのにも、理由がないわけでもなかった。目下、敵対者は尾三国境地帯に蔓延る今川勢だが、ここのところでは彼らも勢いを失くしていた。
 九月、守山城の開城と時をほぼ同じくして、西三河は加茂郡の足助城主・鱸信重すずきのぶしげが蜂起し、阿摺あずり衆と呼ばれる今川方の軍勢と小競り合いを起こす。信重は美濃岩村いわむら遠山影前とおやまかげさきらと結んで反今川の旗幟を示したが、この遠山の背後にあるのは、信長の対今川路線を支えようとする同盟者・斎藤道三が居た。北方で反今川の狼煙が上がると、今度は南の同盟者・水野信元が動く。信元は、元来今川の主筋でありながらもその地位を追われていた吉良義安の心をくすぐり、これを反今川として決起させた。
 西三河の南北に同時多発的に起こった反今川の機運に付け込み、信長は鳴海北方へ出陣すると、兼ねてより近辺に残存していた今川勢を駆逐した。
 義元から絶対的な信頼を寄せられ、西三河の支配を一任されていた太原雪斎は、当然、この劣勢の中での巻き返しを期待されたし、雪斎ならばやるだろう、と義元も、今川家中も、はたまた信長ですらも思っていた。
――打倒義元。言うは易いが道のりは遠いなア。知っているさ、いまにあの黒坊主が出て来るってとこだ。まずはアレを討ち取って駿府へ首を届けるしかないね。でないと、義元を引きずり出せもしない――
 ところが、歴史というのは時に奇妙な飛躍を見せる。
 奇しくも「弘治こうじ」への改元が成された翌月、天文二十四年検め、弘治元年閏十月十日のこと、太原雪斎は突如その生涯を閉じた。享年・六十。信長の父・信秀の代より弾正忠家を最も苦しめた今川義元の右腕は、あたかも信長の躍進を是認するかのように息を引き取ってしまったのである。
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