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第三章 血路
一
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弾正忠家の当主である優秀な兄を持ったから、これに従う私はつくづく楽だった。自分でそう、思うのだ。
弟というイキモノは、兄のこさえた道を後ろからゆるゆるとついていくだけでいい。その轍を上手になぞることは、兄と同じ教育を受けた自分にとってそう難しくなかった。それでも兄は、「お前らのようなのが居ると、助かるなア」と言ってよく笑った。
私は兄の元で戦に明け暮れた。負けが込んだときも、すぐに気炎を吐いて蘇る兄の姿を見ているとフシギと怖くはなかった。やがて勝ちがいくらか重なり始めると、弾正忠家は父の代を越える隆盛を迎えた。私はまるで実感がないのだった。
織田信康という次兄が、かつて居た。この人などは純真を煮詰めたような男で、最期は、斎藤の軍勢から兄を守るために戦い、美濃の地に果てた。これこそ当主の弟として生まれた者の面目躍如だと思い、また、私もそうなりたいと思っていた。いずれ来る兄の重要な戦に采配を振るい殿として家を守るために死ぬのだ。
しかしながら、私は次兄のようになれなかった。兄への忠義心はそれは変わることがなかったが、それでも、どこか悔しい気持ちがこびりついて離れなかったのだ。とはいえども、面と向かって兄に歯向かうような能力、イヤ、そもそも心性自体が自分にないことはもっとよく知悉しており、そうして、うだうだと考えるうち、私は一種の技芸を見出すことになる。
私は、ひねた。
評定の折、いつも兄の反対を言ってやる。初めこそは怪訝に感じられた風だったが、いつしか暗黙に了解されるようになった。
「信光は仕様のない奴だ。アレはすこし変わっているな。父にも、俺にも似ていないよ」
兄は首を傾げながらも、深刻ということはなく苦笑する。まったくもって私という人間が分からないというカオをしていた。心からそう思っているらしい。
その姿は、私を随分と落ち着かせた。そうしておきながら、いざ戦が始まれば私は誰よりも兄の手足となって一途に戦うのだった。そうしているうちに、私は家中に妙な功名を築いた。
「普段は冗談を言いながらも戦場においては真っ先に敵へ打ち当たってみせる信光殿こそが、殿の最も信頼を寄せる家臣に他ならない」
この上ない賛辞をいただいた。これは、予想だにしないことだった。
稲葉地というところに城を構えていたとき、近くの寺へ兄の嫡男・信長――その頃は吉報師と言ったが――がよく手習いに来ることがあった。これは物心ついたときより一所にじっとしていることが苦手の気性らしく、家中に、また尾張に惨憺たる悪評を築き、兄も幾分か頭を悩ませるようになっていた。
私にとっては、この上ない良い玩具に見えた。
褒めてやると、吉報師は大層悦んだ。普段が傅役の平手たちに叱られ続きだからさもありなんと言ったところだ。幼い頃から神童と呼ばれた兄とは、似ても似つかない悪童だ。私は安堵した。
『この信長こそが、私の分身なのではないか』
そんなことを思うほどに。
出来の悪い半端者が兄の種から生まれ落ちたという事実が、私を強く抱きしめていた。
しかし、信長の初陣に私の期待は大きく裏切られた。兄の言いつけを破り、今川方の大浜城へ攻め寄せて、ほとんと命からがら帰ったという話だ。加減を知らない信長の所業に平手はしきりに頭を抱えたが、それとは別の苦悶が私を襲っていた。そんなホンモノの反抗は、私の流儀にはなかったから。
――アア、駄目だ――
暗い気持ちが芽生えている。この男も、やはり兄の種なのだ。それでは、私は、私という侍は一体――
「いかがでしょうかな」
信光はぼうっとしていた。
目の前の男のことなどまるで忘れていたが、そも懐旧の念に憑かれた発端はこの男が押しかけてきたからだ。
清洲織田氏の小守護代・坂井大膳。
「それで、信友さま、守護代殿は私に何をしてほしいと言われるのか」
「織田信長の、暗殺」
「馬鹿を言うな」
「と、言いたいところだが、これはもう芽がないでしょう」
「貴殿が二度もしくじったからな」
「やはり知っておられましたか。その通りです」
それは、村木砦での死闘から二月ほどの月日が経った同年三月のことだった。
月も出ていない深更に、大膳の突然の守山城訪問を信光は受け入れた。その場で斬って捨てるのが何よりも良かった気がいまでもしているが、何故かそうはしなかった。
一つには、この疑り深い男がとうとう自らの足で歩いて来たということだ。萱津の戦いで坂井甚助を、中市場の戦いで織田三位、河尻与一を失い、もはや使役できる手駒はない。滅多なことをさせられるような信頼できる家臣も元よりいない。自ら動くより他に成す術がないということだろう。駄目で元々、というような落ち着きがある。
こういう覚悟を決めているものを斬っても、大して面白くはないものだ。
しかし、それだけだろうか。
「何をしてくれというほどのことはありやしません。ただ、清洲城へ来て、我々に付いたということを信長に見せてやるのですよ」
「なぜ、私なのだ? 信長に対するなら末森もあるだろう。信勝をけしかけようとは思わなんだか」
「馬鹿をおっしゃい。儂にとってはアレも信長同様に青臭い匂いがするのですよ。子どもと遊ぶ趣味は当方にはありません。それに、信長を支えているのがあなただということは、もはや誰の目にも明らかでしょう。織田信光という最も大きな後ろ盾を失った信長は、必ずや焦るでしょうね」
最も大きな後ろ盾。それは本当に自分だろうか?
「どうかな。アレは心臓に毛の生えているような男だよ」
すこしの沈黙を経て、信光は思いついたように言葉をまくしたてる。
「ナア、大膳よ。清洲とてもうその信長に二度も負けたのだから、いい加減に懲りてはどうなのだ。アレは戦は弱くない。それは、お前も本当は分かっているのだろう。信友さまには恐縮だが「余計なことはせずにじっとしましょう」と、貴殿からそう伝えるのだ。その気があるなら、私が信長との仲立ちをしてやらないこともない」
わざと大膳の気持ちを逆なでしてやった。こういう芝居をさせれば信光は堂に入ったものがある。
「何を言われますかッ、信長の戦などは、あなたという友軍があって初めて勝利を収めるのではないですかな。儂は、あなたこそが弾正忠家の柱だと思っているのですよ。こう言うのも変ですがね、織田信秀の頃とはもう違う。あなたが信長を見限れば、弾正忠家は雪崩を打っておしまいでしょう。林兄弟の噂も聞き及んでいますよ。いよいよ信長の味方は誰もいなくなりましょうな。こうなってしまえば、心臓に毛が生えていようがいまいが、奴になす術はないのです」
何々でしょう、何々でしょう、としきりに言う男だ。要はすべてが想像である。
信長の最大の後ろ盾は誰の目にも美濃の斎藤道三ではないか。それに、信長はちっとも弱くない。村木砦の戦を直に見ていたなら、この男にすらよくわかっただろう。
大膳が口にすることは所詮は絵に描いた餅なのだ。餅は食えなければ意味がない。しかし、こいつは旨そうな餅を描くことが楽しくて仕方がないという困った性質の男らしい。この程度の男に仕切らせていたのでは、清洲も、兄上はおろか信長にさえ太刀打ちできる道理はない。
「死に体の清洲に同心して、私に一体何の得があるか」
信光はあえて嬲るように言うがここに来て大膳はニタと汚い笑みを見せた。哀れだから聞いてやっただけなのに、望みが見えたとでも思い込んだらしい。
「よくぞお聞きくださった。信光殿には格別の報恩、ずばり、守護代の座をご用意しております。信友さまとあなたで、この尾張の下四郡を統治なされませ」
これには信光もちょっとだけ驚いた。
だが、よくよく考えれば弾正忠家へ恨み骨髄の信友がそれを許すとも思えない。大膳が手前勝手に言っているだけだ。
「貴殿はどうする」
「私はいまのまま、小守護代で満足している。信長が死ねば、それでいいのだ」
なるほど、それは本心だろう。随分すっきりしていてわかりやすくて、良い。
――酒の肴にするにはちょうどいい滑稽な密談を楽しんだ。サテ、討ち取って信長に届けよう――
屋敷の裏手には信光の手勢が待機していた。合図を出せばすぐに討ち入って大膳を斬殺するという手筈を既に伝えてある。
冷静に考えれば、織田信長の治世にこれといった落ち度は今のところない。
今川との戦争に断固として反対しているものは信長と相容れないのは仕方がないが、それにしても、此度の村木砦攻めではその今川義元の高貴な尊顔に唾を吐きかけるごとき痛快な勝利を収めた。信勝とてヤキモキしているだろう、信長に対し反抗を企てられるような隙は日に日になくなってきている。これが勝ち馬だ。
――勝ち馬?――
信光は自らの言葉をすぐに反芻する。
自分は当初、判官贔屓で信長を可愛がっていたはずだったが、いつの間にそれが逆転していたのか。
そこへ行くと、いま敗勢なのは誰を置いてもこの坂井大膳だ。そう考えて信光は思わず吹き出してしまった。この狸に味方するとなると、いよいよそれは小手先の反抗遊びには留まってはくれないだろう。しくじったなら、確実に死ぬ。信長に殺されるのだ。崖のうえで逆立ちして、さらに猿楽をいくらか演じてみせるような無謀である。
しかし、自分がこの大膳を屋敷に招き入れたこと自体がすでにそうではなかったか。裏に兵を待機などさせず、この手で斬ってしまうのが普通ではないか。
――イヤ待て、私は、いま何を考えている?
兄が死んで、私は生涯の拠り所をなくした。忠義も反発も、すべては織田信秀という存在があってこそのものだったのだ。
そして、私は次にそれを信長に見出そうとした。
しかし、その生き方自体が、誤りだったのではないか? 誰かをアテにしてこの身を立てるのでは、私の胸に空いた穴が埋められようはずはない。
幼い頃、早くにひねて尻尾を巻いた山気が、にわかに、沸き立ってきている。
――兄に続き、信長までもがいなくなったとき、私は一体どうするのだろう?――
「良かろう。大膳の望む通りにしてやろう」
信光は静かに答えた。
大膳は「やはりあなたは物の分かるお方です。信友さまも、あなたには敵うまい」などと安易な工夫のない世辞を言い、信光のうちに響く余韻を台無しにした。
後日、信光は大膳の要求に従い、起請文を書いて清洲城へと届けさせた。「二心はない」、「坂井大膳を裏切らない」、などという趣旨の約定を、言葉だけを変えていろいろに書かせられた。要約すれば数行で事足りるだろうに、結局七枚も書いた。とかく疑り深いその気性が、こんな土壇場でもこびりついているのだから筋金入りだと信光は思った。
四月十九日、織田信光は妻子、家臣ともどもを引き連れて守山城から清洲城へと居を移した。
弟というイキモノは、兄のこさえた道を後ろからゆるゆるとついていくだけでいい。その轍を上手になぞることは、兄と同じ教育を受けた自分にとってそう難しくなかった。それでも兄は、「お前らのようなのが居ると、助かるなア」と言ってよく笑った。
私は兄の元で戦に明け暮れた。負けが込んだときも、すぐに気炎を吐いて蘇る兄の姿を見ているとフシギと怖くはなかった。やがて勝ちがいくらか重なり始めると、弾正忠家は父の代を越える隆盛を迎えた。私はまるで実感がないのだった。
織田信康という次兄が、かつて居た。この人などは純真を煮詰めたような男で、最期は、斎藤の軍勢から兄を守るために戦い、美濃の地に果てた。これこそ当主の弟として生まれた者の面目躍如だと思い、また、私もそうなりたいと思っていた。いずれ来る兄の重要な戦に采配を振るい殿として家を守るために死ぬのだ。
しかしながら、私は次兄のようになれなかった。兄への忠義心はそれは変わることがなかったが、それでも、どこか悔しい気持ちがこびりついて離れなかったのだ。とはいえども、面と向かって兄に歯向かうような能力、イヤ、そもそも心性自体が自分にないことはもっとよく知悉しており、そうして、うだうだと考えるうち、私は一種の技芸を見出すことになる。
私は、ひねた。
評定の折、いつも兄の反対を言ってやる。初めこそは怪訝に感じられた風だったが、いつしか暗黙に了解されるようになった。
「信光は仕様のない奴だ。アレはすこし変わっているな。父にも、俺にも似ていないよ」
兄は首を傾げながらも、深刻ということはなく苦笑する。まったくもって私という人間が分からないというカオをしていた。心からそう思っているらしい。
その姿は、私を随分と落ち着かせた。そうしておきながら、いざ戦が始まれば私は誰よりも兄の手足となって一途に戦うのだった。そうしているうちに、私は家中に妙な功名を築いた。
「普段は冗談を言いながらも戦場においては真っ先に敵へ打ち当たってみせる信光殿こそが、殿の最も信頼を寄せる家臣に他ならない」
この上ない賛辞をいただいた。これは、予想だにしないことだった。
稲葉地というところに城を構えていたとき、近くの寺へ兄の嫡男・信長――その頃は吉報師と言ったが――がよく手習いに来ることがあった。これは物心ついたときより一所にじっとしていることが苦手の気性らしく、家中に、また尾張に惨憺たる悪評を築き、兄も幾分か頭を悩ませるようになっていた。
私にとっては、この上ない良い玩具に見えた。
褒めてやると、吉報師は大層悦んだ。普段が傅役の平手たちに叱られ続きだからさもありなんと言ったところだ。幼い頃から神童と呼ばれた兄とは、似ても似つかない悪童だ。私は安堵した。
『この信長こそが、私の分身なのではないか』
そんなことを思うほどに。
出来の悪い半端者が兄の種から生まれ落ちたという事実が、私を強く抱きしめていた。
しかし、信長の初陣に私の期待は大きく裏切られた。兄の言いつけを破り、今川方の大浜城へ攻め寄せて、ほとんと命からがら帰ったという話だ。加減を知らない信長の所業に平手はしきりに頭を抱えたが、それとは別の苦悶が私を襲っていた。そんなホンモノの反抗は、私の流儀にはなかったから。
――アア、駄目だ――
暗い気持ちが芽生えている。この男も、やはり兄の種なのだ。それでは、私は、私という侍は一体――
「いかがでしょうかな」
信光はぼうっとしていた。
目の前の男のことなどまるで忘れていたが、そも懐旧の念に憑かれた発端はこの男が押しかけてきたからだ。
清洲織田氏の小守護代・坂井大膳。
「それで、信友さま、守護代殿は私に何をしてほしいと言われるのか」
「織田信長の、暗殺」
「馬鹿を言うな」
「と、言いたいところだが、これはもう芽がないでしょう」
「貴殿が二度もしくじったからな」
「やはり知っておられましたか。その通りです」
それは、村木砦での死闘から二月ほどの月日が経った同年三月のことだった。
月も出ていない深更に、大膳の突然の守山城訪問を信光は受け入れた。その場で斬って捨てるのが何よりも良かった気がいまでもしているが、何故かそうはしなかった。
一つには、この疑り深い男がとうとう自らの足で歩いて来たということだ。萱津の戦いで坂井甚助を、中市場の戦いで織田三位、河尻与一を失い、もはや使役できる手駒はない。滅多なことをさせられるような信頼できる家臣も元よりいない。自ら動くより他に成す術がないということだろう。駄目で元々、というような落ち着きがある。
こういう覚悟を決めているものを斬っても、大して面白くはないものだ。
しかし、それだけだろうか。
「何をしてくれというほどのことはありやしません。ただ、清洲城へ来て、我々に付いたということを信長に見せてやるのですよ」
「なぜ、私なのだ? 信長に対するなら末森もあるだろう。信勝をけしかけようとは思わなんだか」
「馬鹿をおっしゃい。儂にとってはアレも信長同様に青臭い匂いがするのですよ。子どもと遊ぶ趣味は当方にはありません。それに、信長を支えているのがあなただということは、もはや誰の目にも明らかでしょう。織田信光という最も大きな後ろ盾を失った信長は、必ずや焦るでしょうね」
最も大きな後ろ盾。それは本当に自分だろうか?
「どうかな。アレは心臓に毛の生えているような男だよ」
すこしの沈黙を経て、信光は思いついたように言葉をまくしたてる。
「ナア、大膳よ。清洲とてもうその信長に二度も負けたのだから、いい加減に懲りてはどうなのだ。アレは戦は弱くない。それは、お前も本当は分かっているのだろう。信友さまには恐縮だが「余計なことはせずにじっとしましょう」と、貴殿からそう伝えるのだ。その気があるなら、私が信長との仲立ちをしてやらないこともない」
わざと大膳の気持ちを逆なでしてやった。こういう芝居をさせれば信光は堂に入ったものがある。
「何を言われますかッ、信長の戦などは、あなたという友軍があって初めて勝利を収めるのではないですかな。儂は、あなたこそが弾正忠家の柱だと思っているのですよ。こう言うのも変ですがね、織田信秀の頃とはもう違う。あなたが信長を見限れば、弾正忠家は雪崩を打っておしまいでしょう。林兄弟の噂も聞き及んでいますよ。いよいよ信長の味方は誰もいなくなりましょうな。こうなってしまえば、心臓に毛が生えていようがいまいが、奴になす術はないのです」
何々でしょう、何々でしょう、としきりに言う男だ。要はすべてが想像である。
信長の最大の後ろ盾は誰の目にも美濃の斎藤道三ではないか。それに、信長はちっとも弱くない。村木砦の戦を直に見ていたなら、この男にすらよくわかっただろう。
大膳が口にすることは所詮は絵に描いた餅なのだ。餅は食えなければ意味がない。しかし、こいつは旨そうな餅を描くことが楽しくて仕方がないという困った性質の男らしい。この程度の男に仕切らせていたのでは、清洲も、兄上はおろか信長にさえ太刀打ちできる道理はない。
「死に体の清洲に同心して、私に一体何の得があるか」
信光はあえて嬲るように言うがここに来て大膳はニタと汚い笑みを見せた。哀れだから聞いてやっただけなのに、望みが見えたとでも思い込んだらしい。
「よくぞお聞きくださった。信光殿には格別の報恩、ずばり、守護代の座をご用意しております。信友さまとあなたで、この尾張の下四郡を統治なされませ」
これには信光もちょっとだけ驚いた。
だが、よくよく考えれば弾正忠家へ恨み骨髄の信友がそれを許すとも思えない。大膳が手前勝手に言っているだけだ。
「貴殿はどうする」
「私はいまのまま、小守護代で満足している。信長が死ねば、それでいいのだ」
なるほど、それは本心だろう。随分すっきりしていてわかりやすくて、良い。
――酒の肴にするにはちょうどいい滑稽な密談を楽しんだ。サテ、討ち取って信長に届けよう――
屋敷の裏手には信光の手勢が待機していた。合図を出せばすぐに討ち入って大膳を斬殺するという手筈を既に伝えてある。
冷静に考えれば、織田信長の治世にこれといった落ち度は今のところない。
今川との戦争に断固として反対しているものは信長と相容れないのは仕方がないが、それにしても、此度の村木砦攻めではその今川義元の高貴な尊顔に唾を吐きかけるごとき痛快な勝利を収めた。信勝とてヤキモキしているだろう、信長に対し反抗を企てられるような隙は日に日になくなってきている。これが勝ち馬だ。
――勝ち馬?――
信光は自らの言葉をすぐに反芻する。
自分は当初、判官贔屓で信長を可愛がっていたはずだったが、いつの間にそれが逆転していたのか。
そこへ行くと、いま敗勢なのは誰を置いてもこの坂井大膳だ。そう考えて信光は思わず吹き出してしまった。この狸に味方するとなると、いよいよそれは小手先の反抗遊びには留まってはくれないだろう。しくじったなら、確実に死ぬ。信長に殺されるのだ。崖のうえで逆立ちして、さらに猿楽をいくらか演じてみせるような無謀である。
しかし、自分がこの大膳を屋敷に招き入れたこと自体がすでにそうではなかったか。裏に兵を待機などさせず、この手で斬ってしまうのが普通ではないか。
――イヤ待て、私は、いま何を考えている?
兄が死んで、私は生涯の拠り所をなくした。忠義も反発も、すべては織田信秀という存在があってこそのものだったのだ。
そして、私は次にそれを信長に見出そうとした。
しかし、その生き方自体が、誤りだったのではないか? 誰かをアテにしてこの身を立てるのでは、私の胸に空いた穴が埋められようはずはない。
幼い頃、早くにひねて尻尾を巻いた山気が、にわかに、沸き立ってきている。
――兄に続き、信長までもがいなくなったとき、私は一体どうするのだろう?――
「良かろう。大膳の望む通りにしてやろう」
信光は静かに答えた。
大膳は「やはりあなたは物の分かるお方です。信友さまも、あなたには敵うまい」などと安易な工夫のない世辞を言い、信光のうちに響く余韻を台無しにした。
後日、信光は大膳の要求に従い、起請文を書いて清洲城へと届けさせた。「二心はない」、「坂井大膳を裏切らない」、などという趣旨の約定を、言葉だけを変えていろいろに書かせられた。要約すれば数行で事足りるだろうに、結局七枚も書いた。とかく疑り深いその気性が、こんな土壇場でもこびりついているのだから筋金入りだと信光は思った。
四月十九日、織田信光は妻子、家臣ともどもを引き連れて守山城から清洲城へと居を移した。
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