織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第二章 台風の目

十四

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 その日、どれだけ待っても、平手政秀は那古屋城へ来なかった。
「世話のかかる老人だ」
 主君が「明日」と言えば、それがいつだとか言わずとも、日の早いうちに訪れるのが筋である。信長とてその程度の常識は心得ている。一向に現れる様子がないことを怪訝に思い、馬で一っ走り志賀城まで駆けようかと屋敷を出たが、
「キサマは、……」
 そこで平手久秀と鉢会った。
「どうした。政秀は風邪でもやったか。今日は来ないか」
 信長には、昨日、志賀城でそうしたように腸を煮えくり返らせた様子など、もうなかった。腹の内ではどうだか知らないが、一晩が経ったことですべてを水に流したとでも言うように。あるいは自分自身に、そう信じ込ませようとしていたのかもしれない。
 しかし、その明るい態度は冷たい事実によって即座に打ちのめされた。
「父は、平手政秀は、切腹しました」
「なに」
『馬鹿を言うな』と言いたい信長だったが、目の前の男は冗談を言う家系ではない。何よりも、久秀の佇まいそのものが、宙から吊り下げられた人形のように独特の脱力を成しており、尋常の精神状態でないことを、しずかに物語っていた。信長は事実を疑うことさえ許されなかったのだ。言葉を押し込めると、その分だけ汗をかいた。
「案内せよ」
 そう言うしかなかった。

 平手が果てたのは、屋敷から独立した離の蔵である。平手家に代々受け継がれた古書のうち、既にほとんど読まれなくなった書物らがまとめられて、うずたかく積み上げられている。窓もなく日の当たらない、埃っぽい離だった。
 入ると、ほこりがぶわっと舞った。遺体はすでに久秀が運び出している。あるのは、夥しい量の、乾いているのだか、そうでないのだかわからない血だまり。不思議なことに、その血は、付近の書物に一滴も飛び散ってはいない。
「几帳面にもほどがある」
 信長は、ここでも平手の死が現実であることを突き付けられた。

 屋敷の奥の間。白装束の老人が目を瞑って横たわっていた。
『寝ているだけではないのか?』
 そう思えるほどに、安らかな顔である。切腹の苦悶などは影もない。
 信長には、遺体に会ってどうするという考えがなかった。死の事実を疑って自ら確認しにきたのでもなければ、遺された久秀らへ主君としての礼節を果たそうというのでもなかった。死んだというから、ただ見にきただけだった。
「死んでいるのか、これは」
「はい」
「傍目には、よくわからんな」
 半分は本当で、半分は嘘だ。
 信長には、平手の頬をつねってやろうという気さえも起きなかった。死というのは不思議だ。「死んだ」と聞かされ、こうして対面してみれば、ただ眠っているようなだけのからだが厳然としてあるのに、「本当は生きているのではないか?」などという気持ちは、かけらも生じやしない。見事に生物として朽ちているのが、誰の目にも分かるものだ。
「イヤ、アア、やはり、死んでいるな」
 悔恨に似た思いはあったが、噛み殺した。引け目も感じかけて、心から追い出した。信長は、涙を流す自分を想像した。その姿は、目の前の男たちへの手向けとなり得るかもしえない。泣こうと思えば泣けただろうが、しかし、何故だかそういう気にならなかった。
『今日は心底寒い。板張りの床が冷たくて仕方ない』
 そんなことばかり信長は考えていた。平手の死から目を逸らそうというのではなかった。ただ、ありとあらゆる情念が、平手政秀の死によって凍結されたようだった。
 縁から外を見る。空は鉛色。
『こんな日は雪が降る。いや、時折晴れ間が見えるから、それもないか』
 久秀は、信長のなかに、自分と同じ虚無の空白を感じ取った。話しかける機会だった。
「父が信長さまへ書き遺したものです」
 懐から取り出して、信長に渡す。これにも血がついていない。「切腹」という、生涯において最初で最後の行いに際し、予め「どの辺りまで血が及ぶだろうか」というような予測を立てて行為に及ぶ者がいるというのは、なんだか信長にとって可笑しかった。

『織田弾正忠信長殿
 まずは、このようにお見苦しいお姿で殿の前に横たわることをお許しください。そして、先立つ罪を重ねて謝罪いたします。

 私がはじめて殿をご覧になったのは、勝幡城でお生まれになったときのことです。赤ん坊のあなたは乳母の乳首を噛んで笑っているところでした。「これは乱暴者になる」と信秀さまは豪気に笑っておられましたが、私はというと、その時、すでに傅役としてあなた様の教育に携わることが決まっておりましたので、果たして自分にそれが務まるだろうか、と気が気でない思いをしていました。

 やがてあなたは逞しく成長した。座学はほとんど放り出し、一所にじっとしていない。しかし、その代わりに、弓術、砲術、兵法は、面白くて仕方がないというように、取り組みましたね。とりわけ夏場のうちは水連に執心し、もう尾張であなたより泳ぎの上手い者というのは数えるほどしかおられますまい。周りが真っ暗に見えなくなるまでやめないので、私は、暗闇の中であなたの笑い声だけを頼りに、足を棒にしてあなたを探し回ったものでした。

 ちょうどその頃でしょうか、あなたが巷で「うつけ」などと呼ばれ始めたのは。私は初めてその事を聞いたとき、「とんでもない不届きを言う輩がいるな」と苦々しく思いましたが、やがて、似た声が日増しに増えて行きました。いつの間にやら、それを否定しようと躍起になっているのは私ぐらいのものとなり、愈々恥ずかしい思いがしてきたものです。

 それからのわたしは、ご存じの通り、あなたにそれを諭すことに奔走する毎日でした。なるほど、恰好や振舞いは野卑で、およそ武士の礼儀を外れていることは、紛れもない事実でした。だがあなたは、今日に至るまでそれを決して改めようとはなさらなかった。私にはそれが理解できずにたまりませんでした。武芸全般の才には家中の誰もが舌を巻いたもので、それは百姓どもが逆立ちしても体得しえない武士としての力量に他なりませんが、一方で、覚えさえすれば誰もがそれなりに形となる礼儀・作法にはとんと疎いときた。たったそれだけのことのために、あなたが村々の笑いの的に甘んじていることが、私にはずっとわからなかったのです。

 悩むことに辟易したのでしょうか。私は、あなたが「さてはうつけ者の振りをしているのだな」と自分に言い聞かせたこともありました。あなたを馬鹿にする者どもを私は馬鹿にし、「いまに、見かけも中身も立派な武士になるから、見ているがいい」と肩肘張っていたものです。
 ところが、あなたの行いは変わらなかかった。そればかりか、元服の近づいてきた頃、あなたは、我らのような家中の正当な家来でなく、どこの馬の骨だかわからないようなゴロツキの少年どもを引き連れて、村々を渡り歩いて遊ぶようになりました。「長じて人目を気にするようになれば、その佇まいも自然に正すだろう」と期待していた私は、これに大いに面食らいました。彼らはあなたの周りにあって同じような恰好をし、恥じらいを覚えるどころか、居直ってますますその勢いを盛んにしよう、とそういった体たらくにあったわけですから。

 果ては、その家来らは、初陣、三河・大浜おおはまにまで馳せ参じ、戦場において野犬のように駆けまわった。彼らを見ていると、何か、あなたという人が急にフッと尾張からいなくなり、彼らと共にどこかへ逐電してしまうのではないか? そんな悪い予感さえ起こるものでした。
 しばらくして信秀さまがご病気を患うようになると、私のその心配は一層深刻なものになりました。あなた自身を一角の人物にすることは元より、何より、弾正忠家の行く末すべてが私の肩にかかっているような、重大な責任を感じたからです。

 私は必死でした。何せ四方が敵でしたから。清洲へ行ったり、犬山へ行ったり、駿河へ行ったり、美濃へ行ったり、東奔西走の限りを尽くし、ようやっとのことで斎藤利政殿の息女との婚姻をとりつけたときは、年甲斐もなく、割にはしゃいでおりました。これですべてが上手くいくとは言えないものの、「織田信長が一端に嫁を貰う」ということそれ自体が、私にとっては、あなたが武士の常道に近づいているような気がして、喜ばしかったということなのでしょう。
 だが、その当ても簡単に外れるのだからひどいものです。美濃から来られた帰蝶殿は、あなたと同じ変わり者のようですな。あなたの尋常でない恰好を目にしてもケラケラ笑っておられるご様子。
 どうしてこうも織田信長の周りには奇妙な人間ばかりが集まるのですかな。これは今でも解明されていないことでしょう。

 そして、信秀さまが亡くなられました。
 葬儀の一件は改めて書きつけるまでもなく、いまや尾張では童までもが知っていることです。
 はっきり申し上げれば、あの時、私にはもうあなたに怒る体力さえ残っていなかったのかもしれない。あべこべに、どこか肩の荷が下りたような想いすらあったのです。これまで、最もあなたの側に長くいた私が、最もあなたの振舞いに頭を悩ませてきたわけですが、私のこの悩みが、ついに万人に理解される日が来たのではないか、と浅はかにも心が緩みました。勿論、これが楽天的な私の思い込みであったことは言うまでもありません。私を気遣う者などは、もう家中にほとんどおりませんでした。何せ織田信長はもう弾正忠家の当主だったのですから。「きかん坊のどら息子」なんていう風に、百姓が勝手な風に笑っていたのは既に過去の話で、いまや、彼らの生活に直接に支配する領主ということになると、あなたのおかしな行動を、誰も笑って済ましてくれる者はいませんでした。

 もはや隠し立てするには及びますまい。あなたもお気づきのように、信勝殿を後継に盛り立てようとする一派が現れ始めています。
 その彼らの目に、最も邪魔に映っているのが私でしょう。彼らは、最近、私をも信勝殿の陣営に引き入れようと勧誘してきましたが、やがてこの老人の頑固頭に筋金が入っていることが理解されると、つぎは、私があなたから少しずつ離れていくように、いろいろと脅しやら嫌がらせやらを始めました。私は胃を病むようになりましたが、目に見えて苦しみ始める姿が、きっと彼らにとって愉快に写ったことでしょう。

 いまだからこそ白状しますが、長政は私に対し、「信長さまから離れ、信勝さまに従われませ」と幾度も意見していました。私の身の上を、そして、平手家を案じてのことでしょうが、私には受け入れられませんでした。イヤ、今更こんな紙の上で忠義面をして殿に哀れんでもらおうというのではありませんが。

 私はきっと怖かった。あなたが本当のうつけだったならどうしようと恐怖していたのです。「吉法師さまは大うつけだ」ということを、皆が言っている。最も身近で見てきた私こそが、最も織田信長のことを知っているはずだと長いこと自分に言い聞かせてきましたが、真実はそうではなく、最も身近で見てきた私だけが、織田信長を買いかぶっていたのではないか? と。
 しかし、事ここに至って、その事実を認めることは到底できませんでした。もし、そうなら、あなたと私が歩んだ十数年の月日が水泡に帰してしまうからです。私は、私のために、卑怯にもあなたを信じようと思ったのです。

 ですから、今日、あなたと捕らえられた長政の姿を目の当たりにしたときには、そのまま、気を失ってしまいそうなほどに狼狽いたしました。事態の仔細は飲み込めないままに、だが、ただ、私が目を背けてきた矛盾が今まさに現出しているということだけが直覚されたからです。
 平手五郎衛門長政は、私が手塩にかけて育てた自慢の息子でした。恥ずかしい言い方をしますが、長政は一を聞いて十を知るような理知に長けた子どもだったのです。私は長政に教えたことと同じことを、また、あなたにも教えましたが、あなたの方はというと、一つ教えればそれに反論し、二つ教えればまたそれに反論し、ちっとも勝手が違っておりました。親馬鹿ながら長政の成長を決して疑わなかった私は、その度、あなたの器量に疑いを投げかけずはいられませんでしたが、それでも、先述の通り、私はあなたを信じなければならない立場にあったのです。

 そして、今日、遂に、私が生涯において信じようとした、異なる二つのものが真っ向から衝突した。
 あなたのいうことを信じるか、息子の言うことを信じるか、これは、あなたから渡された例の証文を読んだいまでは、まったくもって弁明のしようもないほどに滑稽なことです。
 私はハッキリ間違えた。それも、苦渋のすえに誤ったというのではないところが救えないところでしょう。私の心は、すぐに息子の言葉に真実があると決めつけていました。

 私は一人寝室で真実を知りました。しかし、その時、これほど滑稽な罪を犯しながらも、傍目に想像されるほどの恥辱というのを、私は感じなかった。どうしてか、お分かりですか。坂井大膳へと宛てられた織田信長暗殺を計画する書状の筆跡が間違いなく長政のものだとわかったとき、今まで私の心を縛り付けていた世間の風聞やら己の猜疑心やらが、すべて消え去り、同時に覚悟が決まったからです。
 私の心はずっ、とあなたを疑っていた。頭では「信じなければ」と思いつつも、そうできなかった。私の心はいつも、世間と共にしかなかったのです。
 それが、最後の最後で、ついに立場と決別し、己の本心に立ち返りました。そして、自らが完璧な間違いを犯したことで以て、ようやく辿りついた。あなたは決してうつけなどではなかったという事実に、です。
 私にはあなたのことが分からなかった。そして、これから、例え生き続けたときても、ついに分かることはないのでしょう。だが、それでいいのです。次男の久秀が、あなたのことを「大器」だと言いました。私や長政に分からなかったことが、奴にはわかっているようなのです。
 私はあなたを理解できなかったが、しかし、あなたのことを信じきっている者が確かに居ること、彼らが我々にも劣らぬ忠義の士であることだけは、少し知っているのです。あなたの配下の、そのゴロツキの少年らの中には、ひょっとすると、私などには見当もつけられない優秀な人間が幾人もいるのかもしれません。そういうことを、いま、ようやく思っています。

 サテ、すこし書きすぎた気がいたします。元来、私は筆まめで、文章というのが好きでした。こうして人生を終えるとき、自らの語りたいことを書き尽くそうとしたならば、全く時間が足りません。やがて朝になり、登城しない私を不審に思ったあなたが、ここまでやってきたときに生きていては格好がつきませんから、ね。そろそろ、逝きます。
 もし、生まれ変わることがあるならば、つぎはそのゴロツキのなかに私もいられると、おもしろいかもしれません。どうか、ご達者でやってください』

 信長は遺書を懐にしまった。
「長いナ。生きていたときにこんな話をされても、オレはきっと半分も聞いていられなかっただろう」
 そう呟く信長に対し、久秀は気の利いたことが思いつかず、ただ黙っていた。
「平手の家はお前が継げ」
「承知いたしました」
 ただ一つ久秀が気がかりだったのは、
「して、兄上は、どうなりましょうか」
「責任をとらせるだけさ」
 信長はそう言って志賀城を後にした。

 平手長政は那古屋城内の土牢に捕らえられていた。すべてが失敗したこの男に、もはや希望はなかった。
 そこへ信長がやってきて、木格子越しにペタリと座ってあぐらをかいた。
「政秀が腹を切った」
 一切の希望を喪失し、もはやこれ以上、何事にも反応を示さないほどに衰弱し切っていた長政だが、その事実を聞いたときだけは、さすがに呆然とし、そして、しずかに涙を流した。
「小牧の山の近く、小木に寺をつくる」
 信長が何の話を始めたのだか、長政にははじめ分からなかった。
政秀せいしゅう寺という寺だ。沢彦たくげんというキサマもよく知っている男を開山としようと思っている」
 美濃に住む名僧で、平手からの呼びかけにより平手自身と共に信長の教育係を務めた男である。彼は後々に至るまで、平手を失った信長の補佐役として、その重役を担うが、今はまだ一人の僧侶に過ぎない。
「平手の家は、久秀を嫡流として継がせることにした。キサマは剃髪し、政秀寺に入って父の菩提を弔え。オレの息のかかった者を付近に置いておくから、不穏な動きをすれば即座に首を刎ねられるというつもりで居よ。心苦しければ、そこで父と共に死ぬがいい。オレは止めも、勧めもしない」
 有無を言わせない命令であった。だが、それこそが、長政にとっての救いとなった。謀反を働きながら助命され、肉親の菩提を弔うことができるというのは、出来すぎた話で、まるで信じがたいことではあったが、疑う意味も、すでにないのだ。
 長政はただ声を漏らして泣いていただけだった。返事ができないのは不忠だが、信長は気にしない。すでにこの男と信長は、主従ではないのだから。
「キサマのことを、オレはよく知らない。だが、平手政秀という男を死なせたことは、悔やんでいる。すまなかった」
 以降、信長と長政は互いに会うことはなかったという。
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