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第一章 うつろの気
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信長は騎乗したまま、丘陵の上から、燃え出した古渡城下の町を見ていた。
するとそこへ、草むらから浅黒い肌の少年がはい出てきた。
「敵は二千はいますね。対するこっちは五十。それも子どもばっかりだ。いやあ、これは無謀というやつ。帰って餅でも食べましょうや」
「黙れ。キサマ、先の相撲にも顔を出していなかったな。おおかた、家で昼寝でもしていたのだろう」
「ひどいことを言う人ですね。この池田勝三郎、ひねもす遊んで暮らしている若殿とは違いますよ。その日は丸一日、剣術の鍛錬をしていました。それはすごい鍛錬だったから、まだ腕がうまく上がらないもの。イヤ実に残念。次の戦では、必ずやわたしの剣が火を吹くでしょう」
「剣が火を吹くか。攻められているときに戦わない奴が「鍛錬」などという言葉を二度と使うな」
池田勝三郎(後・恒興)は信長の二つ年少だが、一党の中でも指折りの手余し者である。彼の実母は、信長の乳母であり、また、夫に先立たれた後は信秀の側室となっていた。この母のおかげで、池田家は信秀配下において瞬く間に権勢を増したのだが、信長の小姓となって仕えた当の勝三郎は、主君にくっついて馬鹿なことばかりやっていた。曰く、
「池田家は、母様のおかげで余分に大きくなってしまったよ。分不相応というやつだから、私の悪評で元に戻しておこうかね。家臣団というのは不公平があってはいけないからな」
「火を吹くのはコイツさ。キサマのような怠け者には、ちょうど、うってつけだろう」
背中に引っ提げていた包みから細長い筒を取り出す。燃え盛る村の炎に照らされて、それはギラリと輝いた。紛れもない一丁の鉄砲である。
「アラ、物騒なものをお持ちだ」
「これで大膳を撃ち抜いたら、おもしろいぞ」
勝三郎はそれを取り落としそうになる。重く、冷たい。まるで亡者のようじゃないか。思わず腰が引ける。
「寡兵には寡兵のやり方があるものだ。陰謀家の鼻を明かしてやろうじゃないか」
鉄砲を構えて町を見据える。足軽たちの略奪から逃げ惑う民衆が見える。
しばらくの内談の後、格別の合図もないままに、信長はふらっと丘を駆け下りた。「大将に遅れをとるな」と皆、慌てて追いかけ、炎の壁を突き破って飛び込んでいった。
古渡城は堅牢な要塞とは言えない。熱田の港町に隣接し、東方の三河国に睨みを利かせた要所だが、ほとんど平地に築かれた館城だ。坂井大膳もそれを心得ていたからこそ、短期間での城攻めに成功の目があると踏んでいた。
大膳の予想した通り、清州衆は、ほとんど抵抗を受けることなく町を焼き払った。破城筒を牽いてきて、今にも城内に雪崩れ込まんとしている。守備兵も少ないようだ。城方から打って出る気配はない。
用意周到な大膳の策略と即断決行が信秀の虚を突いた結果だったが、それによる副作用も、すこしある。
「どうやら、ぬるい勝ち戦だ」
そんな気分が清洲の足軽たちに蔓延し始めていた。とりわけ、前線から離れた後陣の足軽は、古渡の町を逃げ惑う民衆らから乱取りを楽しもうと少しずつ姿を消していった。大膳はそれをいちいち切り捨てても良かったが、もう勝勢が揺るぎないことを思えば、そこまでする必要もない。元々が急ごしらえの烏合の衆だ。むしろ、城の中でやられるよりはマシだと考えた。
しかし、それらの足軽らが大膳の元へ戻ることは二度となかった。燃え盛る町の中には、炎に紛れて暴れまわる無数の鎌鼬の群れがいたからである。ばっさばっさと切られていく足軽らの悲鳴が無数に起こったが、それが味方によるものだとは、大膳は思いもよらない。彼の元に、「敵襲」という注進ないし断末魔が響いてきたときには、既に五十あまりの兵が討たれた後だった。
「ハッ。城方の寄越した兵か」
あざけるように鼻で笑うが、どこか苛立っている風でもある。自分たちが清洲を発ってからまだ数刻しか経っていないことを踏まえれば、それがあり得ないことだとわかってはいるが、織田信秀の影が意識の隅にチラついて消えないのだ。
「あるいは乱波か。ネズミの様子は私が見て参りましょう」
同族の坂井甚助という男が落ち着いて大膳に進言するが、
「いいや、儂がやろう。城はもはや放っておいても落ちよう。それに、この儂に寡兵で向かってくるツワモノがどんな面構えか気になるでな」
総大将自らネズミの駆除を買って出た。強気な武辺者の物言いに聞こえるだろうか。大膳自身もそう感じている。が、内実は逆である。綿密な計画を練る陰謀家ほど不足の事態を常に恐れているものだ。自らの計画に自信を持つからこそ、そこから外れた一切に過敏になる。
大膳は側近らを率いてネズミ狩りに馬を駆けたが、行ってみると、辺りはしんとして何事もなかった。
「怖気づいたか。先ほどまでの威勢はどうした。尾張小守護代・坂井大膳はここぞ」
その瞬間、一つの澄んだ銃声。
はて、弾丸は何を穿ったか? 誰の手により何処から放たれたか? 突然のことに、その場にいた誰の理解も追いつかない。焼け残った家屋の影から引き金を引いた織田信長と、そして、掠められた兜から伝わってくる振動に命の危機を直覚した坂井大膳の二人を除いては。
「クソ、外したよ、まったく」
大膳はゆっくり落馬した。腰が、抜けた。足腰が恐怖に震え、上手く立ち上がれないでいたが、「あそこの男を捕らえろ」と怒鳴り上げると、これが幸いしてからだの震えが払拭された。
信長はすぐさま馬に跳び乗る。
「馬鹿が。ここから逃げられると思うか」
既に敵勢に囲まれていた。足軽らが隙間なく槍衾を作ってにじりよるが、そんなことを一向に気にせず全速で馬を駆ける。
「突っ込むぞ。突き殺せ」
ところが、大膳が檄を飛ばしたまさにその時、信長の正面の槍衾がにわかに道を空けてしまった。
「何をしている!」
それだけではない。道を空けた足軽たちは、あろうことか、信長を追わんとする他の兵らを後ろから斬りつけて妨害しているではないか。混戦の中で誰も気がつくことはないが、信長を逃がし、同士討ちをおっぱじめた足軽たちの武具は、すべて炎に映える朱塗りである。
「これが池田勝三郎の剣術よ。やっぱり武士は刀、弓だね。鉄砲なんてキザなものを使っている人がいたが、外しているんだから世話ないよ。親分が命知らずだとその作戦に付き合う子分が大変だ」
『乱取りをお楽しみ中の足軽連中の具足を奪って近づくぞ。適当に暴れていれば、そのうち痺れを切らした旦那方が出てくるはずさ。大膳が栗毛の馬に乗っているのを、オレは直に見た。もし、こいつが出てくれば丸儲けだな。そのときは、キサマら、向こうの兵に紛れていろ。ただし、皆で一所に固まっているんだぜ。頃合いを見てオレがこいつを見舞ってやる。銃声がしたら、成否にかかわらず一斉に退け』
さて、予め示し合わされた行動だから、すべてが速い。
「臆病者が!」
馬をしゃにむに引っ叩き忘我で追いすがる坂井大膳だが、苦し紛れの罵倒は暖簾に腕押し。信長一党には、逃げることが恥だというような考えは毛ほどもない。非行少年にとって、逃走は慣れっこだった。偉ぶった大人の鼻っ柱を叩き割るというまっすぐな志の前では、逃走すら最も楽しい攻撃の一つなのだ。
古渡の町を北へ抜け、那古野に程近い林道に差し掛かり、大膳はいよいよあともう少しというところにまで肉薄したが、敵の逃げ行く方向に妙な土煙が上がっていることに気がつく。
「何だ?」
小勢には違いないが、れっきとした騎馬武者の横隊だった。
「何としても、若を逃がせ。逃がせ」
しわがれた声が林の闇にこだまする。平手政秀の手勢である。
土煙で平手がどこにいるのだか分からなかった信長は、騎馬隊とのすれ違いざま、夜空に向かって「大義」と叫んだ。
弾正忠家の老臣が現れたのを見て、清州衆は、ようやく、ネズミの正体に気がついた。なるほど、あの蛮勇とも言うべき振舞いは尋常の神経ではない。思い起こすと、いくらか腑に落ちるところがあるが、それだけに、大膳はいよいよ収まらない。大うつけに殺されかけたという屈辱である。
信長の姿が見えなくなると、平手もすぐさま退却を始めた。尚も追撃の構えを見せる大膳だったが、あまりに苛烈な走行が続いたために、馬が泡を吹いて倒れた。
「甚助! キサマの馬を寄越せ」
憎悪に溢れた狂気の形相だが、それを受けても甚助は取り乱さない。大膳に無理やり馬を奪われぬよう、来た道を数歩引き返す。すでにここは那古野城と目と鼻の先。それだけで、もう追いつく目はなくなった。
「止しましょう。あれだけ脅かしてやったのです。あの野良犬もしばらくは軒下で震えて暮らすことになりますよ。織田信長の首など、お命じくだされば、私がいつでも刎ねてご覧に入れます。しかし、城の方はこの機を逸するわけにはいきません」
清洲衆は、坂井大膳が取り纏めているには違いないが、団結はそれほど固くない。従軍した清洲の家老の中には、大膳、甚助のほかに、織田三位、河尻与一と呼ばれる者たちがいた。彼らは、あくまで「打倒信秀」に目的の一致をみるだけの集団である。大うつけの信長のごときは逃げていくならどうでもいい。もし、甚助が大膳を制止しなければ、
『坂井大膳の私怨に付き合う義理はない。我らが為すべきことを忘れたか』
件の二人などが、そう賢しらに言ったに違いない。彼らには、大膳を追い落として自らが小守護代に収まるという思惑すらあるのだから。
「そうだな。城を落としてしまいさえすれば、信秀だろうが信長だろうが、後から好きにできるわな」
ここに至って大膳は平静を取り戻し、清洲衆は再び古渡城攻めへと戻って行ったが、ついに落城させるには至らなかった。急報を受けた織田信秀の本隊が美濃から飛んで帰ってきたからである。
するとそこへ、草むらから浅黒い肌の少年がはい出てきた。
「敵は二千はいますね。対するこっちは五十。それも子どもばっかりだ。いやあ、これは無謀というやつ。帰って餅でも食べましょうや」
「黙れ。キサマ、先の相撲にも顔を出していなかったな。おおかた、家で昼寝でもしていたのだろう」
「ひどいことを言う人ですね。この池田勝三郎、ひねもす遊んで暮らしている若殿とは違いますよ。その日は丸一日、剣術の鍛錬をしていました。それはすごい鍛錬だったから、まだ腕がうまく上がらないもの。イヤ実に残念。次の戦では、必ずやわたしの剣が火を吹くでしょう」
「剣が火を吹くか。攻められているときに戦わない奴が「鍛錬」などという言葉を二度と使うな」
池田勝三郎(後・恒興)は信長の二つ年少だが、一党の中でも指折りの手余し者である。彼の実母は、信長の乳母であり、また、夫に先立たれた後は信秀の側室となっていた。この母のおかげで、池田家は信秀配下において瞬く間に権勢を増したのだが、信長の小姓となって仕えた当の勝三郎は、主君にくっついて馬鹿なことばかりやっていた。曰く、
「池田家は、母様のおかげで余分に大きくなってしまったよ。分不相応というやつだから、私の悪評で元に戻しておこうかね。家臣団というのは不公平があってはいけないからな」
「火を吹くのはコイツさ。キサマのような怠け者には、ちょうど、うってつけだろう」
背中に引っ提げていた包みから細長い筒を取り出す。燃え盛る村の炎に照らされて、それはギラリと輝いた。紛れもない一丁の鉄砲である。
「アラ、物騒なものをお持ちだ」
「これで大膳を撃ち抜いたら、おもしろいぞ」
勝三郎はそれを取り落としそうになる。重く、冷たい。まるで亡者のようじゃないか。思わず腰が引ける。
「寡兵には寡兵のやり方があるものだ。陰謀家の鼻を明かしてやろうじゃないか」
鉄砲を構えて町を見据える。足軽たちの略奪から逃げ惑う民衆が見える。
しばらくの内談の後、格別の合図もないままに、信長はふらっと丘を駆け下りた。「大将に遅れをとるな」と皆、慌てて追いかけ、炎の壁を突き破って飛び込んでいった。
古渡城は堅牢な要塞とは言えない。熱田の港町に隣接し、東方の三河国に睨みを利かせた要所だが、ほとんど平地に築かれた館城だ。坂井大膳もそれを心得ていたからこそ、短期間での城攻めに成功の目があると踏んでいた。
大膳の予想した通り、清州衆は、ほとんど抵抗を受けることなく町を焼き払った。破城筒を牽いてきて、今にも城内に雪崩れ込まんとしている。守備兵も少ないようだ。城方から打って出る気配はない。
用意周到な大膳の策略と即断決行が信秀の虚を突いた結果だったが、それによる副作用も、すこしある。
「どうやら、ぬるい勝ち戦だ」
そんな気分が清洲の足軽たちに蔓延し始めていた。とりわけ、前線から離れた後陣の足軽は、古渡の町を逃げ惑う民衆らから乱取りを楽しもうと少しずつ姿を消していった。大膳はそれをいちいち切り捨てても良かったが、もう勝勢が揺るぎないことを思えば、そこまでする必要もない。元々が急ごしらえの烏合の衆だ。むしろ、城の中でやられるよりはマシだと考えた。
しかし、それらの足軽らが大膳の元へ戻ることは二度となかった。燃え盛る町の中には、炎に紛れて暴れまわる無数の鎌鼬の群れがいたからである。ばっさばっさと切られていく足軽らの悲鳴が無数に起こったが、それが味方によるものだとは、大膳は思いもよらない。彼の元に、「敵襲」という注進ないし断末魔が響いてきたときには、既に五十あまりの兵が討たれた後だった。
「ハッ。城方の寄越した兵か」
あざけるように鼻で笑うが、どこか苛立っている風でもある。自分たちが清洲を発ってからまだ数刻しか経っていないことを踏まえれば、それがあり得ないことだとわかってはいるが、織田信秀の影が意識の隅にチラついて消えないのだ。
「あるいは乱波か。ネズミの様子は私が見て参りましょう」
同族の坂井甚助という男が落ち着いて大膳に進言するが、
「いいや、儂がやろう。城はもはや放っておいても落ちよう。それに、この儂に寡兵で向かってくるツワモノがどんな面構えか気になるでな」
総大将自らネズミの駆除を買って出た。強気な武辺者の物言いに聞こえるだろうか。大膳自身もそう感じている。が、内実は逆である。綿密な計画を練る陰謀家ほど不足の事態を常に恐れているものだ。自らの計画に自信を持つからこそ、そこから外れた一切に過敏になる。
大膳は側近らを率いてネズミ狩りに馬を駆けたが、行ってみると、辺りはしんとして何事もなかった。
「怖気づいたか。先ほどまでの威勢はどうした。尾張小守護代・坂井大膳はここぞ」
その瞬間、一つの澄んだ銃声。
はて、弾丸は何を穿ったか? 誰の手により何処から放たれたか? 突然のことに、その場にいた誰の理解も追いつかない。焼け残った家屋の影から引き金を引いた織田信長と、そして、掠められた兜から伝わってくる振動に命の危機を直覚した坂井大膳の二人を除いては。
「クソ、外したよ、まったく」
大膳はゆっくり落馬した。腰が、抜けた。足腰が恐怖に震え、上手く立ち上がれないでいたが、「あそこの男を捕らえろ」と怒鳴り上げると、これが幸いしてからだの震えが払拭された。
信長はすぐさま馬に跳び乗る。
「馬鹿が。ここから逃げられると思うか」
既に敵勢に囲まれていた。足軽らが隙間なく槍衾を作ってにじりよるが、そんなことを一向に気にせず全速で馬を駆ける。
「突っ込むぞ。突き殺せ」
ところが、大膳が檄を飛ばしたまさにその時、信長の正面の槍衾がにわかに道を空けてしまった。
「何をしている!」
それだけではない。道を空けた足軽たちは、あろうことか、信長を追わんとする他の兵らを後ろから斬りつけて妨害しているではないか。混戦の中で誰も気がつくことはないが、信長を逃がし、同士討ちをおっぱじめた足軽たちの武具は、すべて炎に映える朱塗りである。
「これが池田勝三郎の剣術よ。やっぱり武士は刀、弓だね。鉄砲なんてキザなものを使っている人がいたが、外しているんだから世話ないよ。親分が命知らずだとその作戦に付き合う子分が大変だ」
『乱取りをお楽しみ中の足軽連中の具足を奪って近づくぞ。適当に暴れていれば、そのうち痺れを切らした旦那方が出てくるはずさ。大膳が栗毛の馬に乗っているのを、オレは直に見た。もし、こいつが出てくれば丸儲けだな。そのときは、キサマら、向こうの兵に紛れていろ。ただし、皆で一所に固まっているんだぜ。頃合いを見てオレがこいつを見舞ってやる。銃声がしたら、成否にかかわらず一斉に退け』
さて、予め示し合わされた行動だから、すべてが速い。
「臆病者が!」
馬をしゃにむに引っ叩き忘我で追いすがる坂井大膳だが、苦し紛れの罵倒は暖簾に腕押し。信長一党には、逃げることが恥だというような考えは毛ほどもない。非行少年にとって、逃走は慣れっこだった。偉ぶった大人の鼻っ柱を叩き割るというまっすぐな志の前では、逃走すら最も楽しい攻撃の一つなのだ。
古渡の町を北へ抜け、那古野に程近い林道に差し掛かり、大膳はいよいよあともう少しというところにまで肉薄したが、敵の逃げ行く方向に妙な土煙が上がっていることに気がつく。
「何だ?」
小勢には違いないが、れっきとした騎馬武者の横隊だった。
「何としても、若を逃がせ。逃がせ」
しわがれた声が林の闇にこだまする。平手政秀の手勢である。
土煙で平手がどこにいるのだか分からなかった信長は、騎馬隊とのすれ違いざま、夜空に向かって「大義」と叫んだ。
弾正忠家の老臣が現れたのを見て、清州衆は、ようやく、ネズミの正体に気がついた。なるほど、あの蛮勇とも言うべき振舞いは尋常の神経ではない。思い起こすと、いくらか腑に落ちるところがあるが、それだけに、大膳はいよいよ収まらない。大うつけに殺されかけたという屈辱である。
信長の姿が見えなくなると、平手もすぐさま退却を始めた。尚も追撃の構えを見せる大膳だったが、あまりに苛烈な走行が続いたために、馬が泡を吹いて倒れた。
「甚助! キサマの馬を寄越せ」
憎悪に溢れた狂気の形相だが、それを受けても甚助は取り乱さない。大膳に無理やり馬を奪われぬよう、来た道を数歩引き返す。すでにここは那古野城と目と鼻の先。それだけで、もう追いつく目はなくなった。
「止しましょう。あれだけ脅かしてやったのです。あの野良犬もしばらくは軒下で震えて暮らすことになりますよ。織田信長の首など、お命じくだされば、私がいつでも刎ねてご覧に入れます。しかし、城の方はこの機を逸するわけにはいきません」
清洲衆は、坂井大膳が取り纏めているには違いないが、団結はそれほど固くない。従軍した清洲の家老の中には、大膳、甚助のほかに、織田三位、河尻与一と呼ばれる者たちがいた。彼らは、あくまで「打倒信秀」に目的の一致をみるだけの集団である。大うつけの信長のごときは逃げていくならどうでもいい。もし、甚助が大膳を制止しなければ、
『坂井大膳の私怨に付き合う義理はない。我らが為すべきことを忘れたか』
件の二人などが、そう賢しらに言ったに違いない。彼らには、大膳を追い落として自らが小守護代に収まるという思惑すらあるのだから。
「そうだな。城を落としてしまいさえすれば、信秀だろうが信長だろうが、後から好きにできるわな」
ここに至って大膳は平静を取り戻し、清洲衆は再び古渡城攻めへと戻って行ったが、ついに落城させるには至らなかった。急報を受けた織田信秀の本隊が美濃から飛んで帰ってきたからである。
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