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第三章 妖刀と姉と弟

交錯する風

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 狂気に満ちた嵐の姿に一瞬だけ涼音が歯を食いしばるも、この心の乱れは刀を振るうのに邪魔なものだと即座に切り捨てる。
 精神を研ぎ澄まし、必要以上に力を籠めることも脱力することもなく『薫風』を握り締めた彼女は、肺から全ての空気を吐き出しながら鍔迫り合いをしている『禍風』を強く押し、嵐を押し飛ばすようにして距離を取った。

「ふ、ははっ! 流石は姉さん! 闇雲に力を入れるんじゃなく、ほんの一瞬、最上の瞬間に全力を込めることで男である僕の腕力を上回ったんだね! やっぱり、姉さんは凄いや……!!」

 性別による腕力の差を覆す見事な力の使い様。
 また、勢いに任せて自分と斬り結び続けるのではなく、一旦冷静になるために敢えて距離を取るという判断を下した涼音の戦術的センスを感じ取った嵐が、敵だというのにも関わらず嬉しそうな声で姉を褒め称える。

 かつては何度も聞いた弟からの賞賛の言葉だが、今の嵐は昔の彼ではない。
 妖刀に手を出し、真っ直ぐだった性根を歪ませてしまった現在の嵐の姿に歯軋りするまでの口惜しさを感じながら、涼音は彼に向って叫びかける。

「嵐! 私を恨んでいるというのなら、私だけを狙えばいい! これ以上、むやみに関係ない人の命を奪うのは止めなさい!」

「姉さん。姉さん姉さん姉さん! 誤解しないでくれ、僕は姉さんを恨んでなんかいない! 師匠のことだってそうさ! 二人のことは尊敬してるし、感謝だってしてる! 僕はただ、弟子として、弟として、相応しい存在になろうとしただけなんだよ!」

 熱弁。そして、狂騒。
 執着とも、没頭ともまた違う、歪な愛情。
 自身が超えるべき壁として抹殺の対象としながら、嵐が涼音に対して抱いている心情の中には確かな敬愛の感情がある。
 心の底から彼女を尊敬し、愛しているからこそ、自らの手で殺さなければならないという思いを抱いているのだ。

「……気づいたんだよ、姉さん。僕は今まで、姉さんに追い付こうと必死だった。天才的な剣の才能を持つ姉さんに負けじと、僕も全力で努力を重ねてきた。だけど……それじゃ駄目だったんだ。まともなやり方じゃあ凡人は努力する天才に追い付けはしない。追い付くだけで追い越そうとしないなら、もうその時点で心が負けているってことにね」

 生温く冷たい風が、嵐の周囲を吹き荒ぶ。
 それは暴風や豪風のような、激しい強さを持った風ではない。
 敵対する者の体に纏わりつき、狂気とおどろおどろしさを感じさせた上で綺麗に首だけを斬り落とす鋭さを持った……とでもいうべき陣風だ。

「だから、僕はまともじゃないやり方に手を出した! 追い越そうとするのならば、殺すまでやると決めた! 強くなるんだ、僕は! 誰の命を糧にしてでも! どれだけこの手を血に染めようとも! 僕は姉さんを殺し、その上の領域に行くんだよ!!」

 嵐が『禍風』を振り上げ、唐竹割りを繰り出す構えを取る。
 妖しく光る刀に気力を込め、黒と緑色の輝きを放つそれを強く握った嵐は、不敵な笑みを見せると共に遠く離れた涼音に向けて渾身の一撃を放った。

「しぇやああっっ!!」

 ひゅるん、という空を薙ぐ音が響き、気力の輝きが夜の闇を文字通り斬り裂いて斬撃の跡を光として残す。
 その動きと共に、縦に空間を裂いて生み出された風の刃が一直線に涼音へと飛んでいく。

 己の気力をかまいたちへと変換し、距離のある位置にいる相手を斬り捨てる……風の気力を持つ剣士の基本の技の一つであるそれは、燈の放つ【焔】と同じく、習熟した者が最適な気力を以て放つことで、奥義と見紛わんばかりの威力を誇るようになる。
 長年の修練に『禍風』の魔力を加え、更にそこに何人もの人間の命を奪った経験を凄味として乗せた嵐の一撃は、唸りを上げて涼音へと迫っていったのだが……。

「しっっ!!」

 迷うことも、手古摺ることもなく、涼音は一刀の下に目に見えない風の刃を弾き、鋭い眼光を嵐へと向けてみせた。
 その際、彼と同じように気力を込めた『薫風』での【鎌居太刀】を放ち、嵐の攻撃を防御すると共に反転して攻撃を行うという攻防一体の動きを見せた彼女は、軽い牽制として放った風の刃が嵐の頬を裂き、赤い血を噴き出させた様を目にしながら静かに呟く。

「嵐……あなたがそうなってしまった責任は、私にある。これ以上、あなたに罪を重ねさせるわけにはいかない……ここで、止めるわ。あなたを斬って、終わりにしましょう」

 鋭く、冷たく……普段通りの平坦な口調で自分に対して言葉を投げかける姉の姿に愉悦に塗れた笑みを浮かべた嵐は、手の甲で頬の血を拭い、それを舐め取りながら、嬉しさを抑えきれないといった様子で一人呟いた。

「流石だよ、姉さん……! やっぱりあなたは、最高の剣士だ……!!」
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