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第三章 妖刀と姉と弟

忌むべき壁として

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「……嵐と私は、ずっと二人で生きてきた。子供の頃に両親が妖に殺されてから、私たちはずっと一緒……先生と出会って、内に眠る気力と剣の才能を見出された時も、私たちは一緒だった」

 大きな木陰の下で、ざわざわと草木を揺らして吹き抜ける風の心地よさに目を細めながら、涼音が昔を懐かしむように過去を振り返る。
 彼女の向かい側に胡坐をかいて座る燈は、黙ってその話に耳を傾け続けた。

「正直、私は武士団の結成なんて興味はなかった。父と母を殺した妖を一匹でも多く殺せるならそれでいいと、本気でそう思っていたから。私が戦う理由は、復讐。私たちから平穏な日常を奪った妖を殺し尽くすために、私は強くなろうとした。……我ながら、身勝手な願望ね」

 小さく、自嘲気味に……自らの戦う理由を述べた涼音が呟く。
 そんな彼女の言葉を否定も肯定もせず、燈は彼女の話を聞き続ける。

「私は身勝手で、過去を振り切れない人間。どうしても、戦う理由に憎しみが絡んでしまう。でも……嵐は違った。あの子は本当に優しく、立派で、誰かのために頑張れる子だった。嵐は自分だけのために戦う私とは違って、真の意味で優れた武士に相応しい心構えを持っていた。それ、なのに……!!」

 涼音に声に悲しみと怒りの感情が滲む。
 それは自らの心の弱さに負け、妖刀を手にしてしまった弟に向けた感情ではない。
 それより前の、何かどうしようもない運命に対する怒りが、彼女の中から発せられていた。

「……天は、才能を与えるべき人間を間違った。私よりもあの子の方が、剣士として生きるに相応しい人間だったというのに……」

 ぼそりと呟いた涼音の声には、その小ささに反して今までで一番の感情が込められていた。
 自分ではどうしようもない、神に対する怨嗟の想い。
 どうして望まれるべき形に自分たちの才を割り振ってくれなかったのかと、そんなどうしようもない怒りと悲しみを滲ませながら、彼女は語る。

「……決して、嵐が無才だったわけじゃない。あの子も人並み以上の才能は有していた、それは先生も認めている。でも、それ以上に……私は、天才だった。あまりにも恵まれた剣の才能を持ってしまっていた……」

 そう、自慢にも聞こえる言葉を口にしながら、涼音が開いた掌を見やる。
 ゆっくり、ゆっくりと開いた掌を握り締めながら、彼女はもう戻らない過去を追想する。
 そこに眠る、自らの過ちと神の残酷さに怒りを抱きながら。





 





 彼女は、鬼灯涼音は……天才だった。
 気力の扱い方も、技の習得も、刀の振るい方も、教えれば即座に完璧に習得し、一歩先の次元へと昇華させる。
 一を聞いて十を知るという言葉があるが、涼音の場合は一が百にも千にもなるような、それほどの才能を感じさせる成長ぶりを見せていた。

 だが、なにより彼女を成長させたのは、その才能に満足しない向上意欲の高さだ。
 まだ幼く、両親を殺した妖への復讐に燃えていた涼音は、仇を取るための戦闘技術を一つでも多く習得したいという意欲に燃えていた。

 だから、百元から引き出せる技術は全て継承するつもりで自分を鍛え上げたし、技も研磨し続けた。
 復讐のために強くなりたい……そんな思いが彼女を支え、強さへの飽くなき探求心を生み出していたのである。

 百元曰く、千年に一人の天才。
 燈たち同様に常人を遥かに超えた気力を持ち、一度見た技を即座に習得し、昇華させるだけの才覚を持ち、決してそれに奢らぬ向上心を持つ。
 正に、怪物。努力する天才……それが、鬼灯涼音という少女だ。

 対して、その弟である鬼灯嵐は、非凡な才能を持ちながらも姉に勝つことが出来ずにいた。
 彼が一の技術を身につける頃には、姉は百の技を習得している。
 どれだけ努力してもその差は埋まらず、逆に広がる一方で、その差は年月が過ぎるほどに広がりを見せていった。

 そんな状況でも、決して姉である涼音が彼を見下していただとか、師匠である百元が彼を見放したということはない。
 むしろ、彼女たちは嵐を買っていた。今は姉に負けているが、たゆまぬ鍛錬を続けていれば必ず嵐は涼音に追い付き、その背を追い越すであろうと、そう信じていた。

 姉の涼音が天才であるように、弟の嵐もまた彼女とは別の形の天才……早熟型の姉に対して、嵐は大器晩成型の天才だったというわけだ。
 そのことは常に、百元が嵐に伝え続けていた。
 いつか必ず、その才能が花開く時が来ると。その日まで、地道な努力を続けることこそが成功の秘訣であると。そう言い聞かせ続け、姉に負けて凹む彼を励ましては、日に日に強くなっていく彼の成長を楽しみにしていたのは、なにも百元だけではない。

 実際に彼のすぐ傍で修業を重ね、彼と手合わせをしていた涼音は、嵐の成長を誰よりも実感出来る人間であった。
 立ち会う度に強くなり、自分の技を防ぐ手立てを考え、それを実行する。
 じわじわと足元に迫る弟の姿に、姉として喜びと興奮を感じてはいた涼音であったが、彼女はその感情を表に出すことも、嵐に伝えることもしなかった。

 涼音は、敢えて弟に何も語ろうとしなかった。
 自分との手合わせで敗北した弟を励ますでもなく、その実力を賞賛するでもなく、敢えて彼を放置し続けたのだ。

 いつか必ず、弟は自分を超える強さを身につけるだろう。
 その日まで、自分は彼が乗り越えるべき壁として立ちはだかり続ける。

 勝利した自分が、今はまだ嵐よりも実力がある自分が、彼を励ましたりなどすれば、それは逆に彼のプライドを傷つけてしまうと判っていたから。
 だから敢えて彼女は何も言わなかった。嵐の心のケアを百元に任せ、自分は彼の超えるべき目標として在り続ければいいと考えていた。

 ……今となって彼女は、その選択を心の底から後悔している。

 彼女は気が付かなかった。嵐が、自分の想像を遥かに超えたコンプレックスを抱いていたことに。
 どれだけ努力を重ねても、どれだけ月日が経ても、自分は姉に近づくことすら出来ていない。

 ただただ実力に差をつけられ、自らの弱さを突きつけられる日々。
 そんな毎日の中で投げかけられる師匠からの励ましの言葉も、嵐の心には空しく響くだけだった。

 自分の前に立ちはだかり続ける、姉という名の巨大な壁。
 その存在を心苦しく思い、それでも懸命に努力を重ねてきた嵐であったが、遂にその鬱憤が爆発してしまう時が来る。

 それは、いつも通りの手合わせのはずだった。
 いつも通りに姉弟で勝負をし、いつも通りに涼音が勝利して、いつも通りに敗れた彼を放置して修行を再開する。
 ただ、その日がいつもと違ったのは、近いうちに武士団を結成する仲間と合流することを二人が百元から知らされていたことだ。

 百元の下に弟子入りしてから数年、嵐は必死に努力を重ねてきた。
 しかし、どんなに時間が過ぎても自分は姉に勝つことが出来ない。それどころか、実力の差が付けられっぱなしだ。

 これまでずっと、彼は必死に努力を重ねてきた。
 師匠の言葉を信じ、自分自身を信じて、一瞬たりとも気を抜かず、立ち合いの際にも全力を以て姉とぶつかり、それでも勝つことが出来なかった。

 そうした結果が積み重なった時、嵐の心に深い疑念が生まれる。
 自分はもしや、この数年間で何一つとして成長していないのではないか?
 じっくりと成長していけばいいという師匠の言葉は、才能のない自分を励ますためだけの優しい嘘なのではないか? と……。

 実際は、嵐は目覚ましい成長を遂げてはいた。がしかし、彼がそれを実感することは一度たりともなかった。
 涼音の視点から見れば理解出来る彼の成長も、彼自身からすれば毎回の如く姉に敵わず、何一つ自分の技が通用せずに敗北し続けているという、自らの無力さを突きつけられているようにしか思えなかったのである。

 もしも涼音が実戦の中で感じた嵐の成長を直接彼に伝えていたのならば、あるいは、百元が涼音以外の剣士と嵐を立ち会わせてさえいれば、彼がここまで思い悩むことはなかったかもしれない。
 しかして、姉である涼音が無言を貫いた結果、嵐はと思い込んでしまったのである。

 繊細で、自分自身に自信が持てずにいた彼の心の機敏に涼音や百元が気が付くことが出来れば、話は変わっていたはずだ。
 だが、自分はそれをしなかった。天才的な才能を持つ姉と自分を比べ、自信喪失に陥っていた嵐の異変に気が付くことが出来なかった。

「私の、せいだ……! 私が、嵐を……!!」

 言ってあげればよかった。励ましてあげればよかった。
 たとえそれが嵐の心を一時的に傷つけたとしても、そうすれば彼が自分がまるで成長していないとは思いこむことはなかったはずだ。

 いつも傍にいたのに、たった一人の家族なのに……嵐は常に、孤独を抱えていた。
 姉との実力差を感じ、自分には才能が無いと思い込み、まるで彼女と自分の間に大きな溝が出来てしまったかのような、そんな孤独感に苛まれていた弟の苦しみに気が付いてやることが出来なかった。

 姉が自分に何も言わないのは、自分の弱さが原因だと。
 もう既に彼女の眼中に自分の姿は無いのだと、そう嵐に思い込ませるだけの孤独感を涼音は与えてしまっていた。

 そんな状況から更に四人、姉と同等の実力を持った仲間が加わる。
 そうなったら、強い五人の仲間と弱い自分一人という明確な実力差がある集団が誕生し、自分が感じている孤独感はより強いものになってしまうだろう。

 嫌だ、そんな苦しい日々は。
 置いていかれたくない。孤独になりたくない。自分も姉と同じくらい強くなって、彼女と共に生きていきたい。

 足手まといだと切り捨てられるかもしれないという恐怖が、姉に置いていかれるかもしれないという怯えが、嵐の心を崩壊させてしまった。
 その心の乱れが、彼の未来を奪う選択……妖刀を手にするという愚行を招いたという事実に、涼音の心もまた押し潰されそうなくらいの苦しみを覚える。

 嵐は、自らの弱さに負けた。
 自信を喪失し、終わりのない苦しみから抜け出したかった彼は、誤った道と理解しながらも強さを得るために許されざる手段を取ってしまった。

 だが……そこまで嵐を追い込んだのは、姉である涼音だ。
 自分の想像よりもずっと繊細だった嵐の心を粉々に打ち砕いたのは、他ならぬ自分自身だ。

 親を亡くしてからずっと一緒に生きてきた弟の気持ちを考えようともしなかった自分自身への怒りと憎しみに押し潰されそうになりながら、妖刀などに手を出さずにいれば、自分を超える剣豪へと成長したであろう嵐の未来が消え去ってしまった悲しみに心を締め付けられながら、涼音は決めた。

 きっと嵐は、姉のことを憎んでいる。
 既に自分のことなど眼中にないと、彼を励ますことも慰めることもしなかった涼音のことを心の底では恨んでいるだろう。

 ならばもう、彼に許しなど請わない。自分を超えるために妖刀の力を手にした弟に、今更優しい姉として接するつもりはない。
 最後の最後まで、嫌われ続けよう。自らの弱さに負けた弟を殺める、無慈悲で冷徹な姉として、弟の命に終止符を打とう。

 誤った道に進んでしまった彼に討たれるわけにはいかない。
 その原因を作り上げた自分が許しを得て、楽になるわけにはいかない。

 最後まで巨大で分厚い忌むべき壁として嵐の前に立ちはだかる。
 それが、彼をここまで追い込んでしまった自分自身が果たすべき責任だと信じて……涼音は、弟殺しの咎を背負おうとしていた。
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