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第二章・少女剣士たちとの出会い

名前を馬鹿にするな

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 露天風呂での話し合いから一夜明けた翌朝、桔梗邸の居間にて朝食を取る燈たちの間には、微妙な空気が漂っていた。

 お互いが相手に突っかかることもなく、全く会話がないわけでもないのだが、どうにも壁を感じる。そんな独特な雰囲気。
 そんな中でもこころは心配そうに栞桜をちらちらと見やっていたり、逆に彼女のことを必要以上に気にかけないようにしている燈は黙々と箸を運び続けていたり、蒼もまた無言で出された食事を食べ続けていたりと、反応が皆無というわけでもなさそうだ。

 各員が各員、何か気がかりになることを抱いている。
 新たな出会いが生み出した険悪とも和やかともいえないこの空気を察知しながらも、桔梗は平然とした様子で居間に集まる面々に向けて口を開いた。

「燈と蒼だったね? 昼頃にあんたたちの採寸を行うから、それまでちと待っていておくれ」

「……うっす」

「わかりました」

 一流の仕立屋である桔梗からのありがたい申し出だが、今の二人は考え事に夢中になっているのか反応が薄い。
 その態度に苛立った栞桜は、彼らに一言文句を言ってやろうと口を開いたが、そこで自分を見つめるこころと目が合い、気まずそうに視線を泳がせた後で再び顔を伏せてしまった。

 結局、この微妙に緊張感が漂う空気は全員が朝食を食べ終わるまで続き、そこから解放されて自室に戻った燈は、大きく息を吐いてから同室の蒼へとこう零した。

「どうすりゃいいんだろうなぁ? なんか、あいつらとどう距離を詰めるべきかわかんねえよ」

「あいつらっていうより、栞桜さんとだろう? 彼女は僕たちのことを毛嫌いしている。強引に近づこうとしても、拒否されるだけだと思うよ」

「そりゃ、そうなんだけどよ……昨日のあいつの顔と、椿から聞いた話のことを思うとなんかほっとけねえっつーか……」

 昨夜、栞桜を追ったこころは、短い時間ながらも彼女と話すことが出来たらしい。
 その内容を少し躊躇いながらも燈に話してくれた彼女は、どうしても気になっていたことを彼と共有するようにして告げた。

「栞桜さん、自分のことを失敗作だって言ってた……あの人が燈くんを目の敵にする理由がそこにあるのかも……」

 失敗作……そのネガティブな言葉の意味は燈だって理解している。
 だが、それと栞桜がどう繋がるのかはまるで見えてこない。

 そもそも、燈を押すほどの剛力を持ち、剣の腕も十分に立つ彼女が失敗作と自分を定義する理由が燈には全く判らなかった。

「……でも、なんかちょっとだけわかるんだよ。あいつが何で悩んでるのかってのは……問題は、それをどうあいつに伝えるかって話なんだよな」

 やよいに言われてから、燈は一晩中栞桜が抱えている闇について考え続けた。
 その結果として、一つの結論を出すに至ったのだが……元来、お説教や人に何か伝えるという行為からは逃げ続けていた自分が、男性を忌避し続けている栞桜にその悩みを解消する答えを告げるのは難しいことだと燈は考える。

 ここはやはり、時間をかけてゆっくりと歩み寄るべきなのか。それとも多少は栞桜と打ち解けることが出来たこころに彼女とのことを託すべきなのか……と考えていた燈は、はたとあることに思い至ると相棒の方へと顔を向けた。

「なあ、ところでお前はどうだったんだよ? あの後、やよいとなんか話したのか?」

「ぶっ……!」

 不意を突いての燈からの追及についつい咳き込んでしまう蒼。
 珍しく彼が動揺したことを訝しんだ燈は、半分冗談、半分本気の感覚で更に蒼へと詰め寄る。

「もしかしてなんだが……俺に黙って、一段上の男になっちまったとかねえよな? 裸の男女が二人きりで……なんて、絶好のシチュエーションだしよ」

「なっ!? そんなわけないだろう!! 無防備な女性を襲うなんて真似、僕がするはずが――」

 燈の言葉を心外だとばかりに激高しながら否定した蒼は、自分が口にした言葉から昨晩のやよいの一言を思い出していた。

 蒼には裸の女を襲う度胸もなければ、裸の女を見ることも出来ない……行動として証明してしまったその事実を思い返した蒼は、自身の不甲斐なさにどよ~んとした空気を背中に漂わせる。

「いや、それでいいじゃないか。裸の女性に目を奪われ続けるのもそれはそれで問題だろう……?」

「蒼? お~い、蒼さ~ん?」

 急にぶつぶつと自分の世界に閉じこもりながら何かを呟き始めた蒼の姿に、燈も昨夜の話し合いの中で彼が何か超えるべき課題を抱えてしまったことを感じ取った。

 兄弟子で頼りになるとはいえ、蒼もまた自分とそう歳の変わらない若者であることを悟った燈。
 彼もまた自分に敵意を向ける問題を抱えた女性との付き合い方というなかなかに難儀な課題を背負っていることに苦笑する中、その耳が聞き慣れない男の声を聴きとった。

「ごめんするで~! 桔梗はん、いるんやろ?」

 屋敷の玄関口から離れた燈たちの客室にまで届くその大声に自分の世界に入っていた蒼も顔を上げる。
 そして、互いに顔を見合わせた二人は、その声の主を確認すべく気配を消して居間へと向かっていった。

 そろり、そろりと足音を消し、慎重に玄関の様子を探る燈と蒼。
 ややあって、玄関の見える物陰に隠れた二人が見たのは、数名の供を引き連れた男性の姿だった。

 でっぷりと太った狸のようなその姿。着ている服は豪華絢爛な金ぴかの着物で、派手派手し過ぎて逆に趣味が悪く見える。
 その脇を固める男たちの腰に武神刀と思わしき物が下げられていることを見て取った二人の前に、屋敷の奥からやって来た桔梗が現れ、客人たちの相手をし始めた。

「また来たのかい? 悪いけど、私はあんたらと手を組むつもりはないって何回も言ってるだろう? 今日は大事な客が来てるんだ、とっとと帰りな」

「そう言わんといてくださいな! わしらかて、金は幾らでも出すから桔梗はんの作った衣服を卸してくれってず~っと頼んどりますやないか! 何だったら、この倍の金額を払ってもええ! 良い取引やと思うけどな~!」

「金の問題じゃあないと何度言えば理解するんだい? 私は今、弟子とその仲間たちのための戦装束を作ろうとしているところだ。ただの服の注文ならいざ知らず、他の奴らからの戦装束の注文を受けてる余裕はないんだよ」

「はっはっは! おもろいこと言いますな~! 桔梗はんのお弟子さん……え~っと、栞桜とやよいとかいいましたな? あいつらはウチのくちなわ兄弟にようけ負けとるやないですか! あんな女子のために戦装束作っても、な~んの意味もありまへんて!!」

「大旦那の言う通りだ。どれだけ修行を重ねようとも、女が男に刀の腕で勝てないのは自明の理……その証拠に、俺はあの栞桜とかいう女に一度も負けたことはない。あんな女に着せるための戦装束を作るよりも、俺たちのための戦装束を作るべきだ」

「兄上と違って俺はあの卑怯な女子に勝てていないが……あんなもの、正しい剣士としての戦いではない! 邪道極まる戦い方でしか勝利を掴めぬ者が、男と同じ舞台に立って戦おうなど笑止千万!」

 そう、狸男の言葉に同調して、そっくり瓜二つの青年たちが一歩前に出る。
 銀色の髪と切れ長の目、シャープな輪郭をした顔を持つやせ型体形の彼らは、どことなく蛇のようだなと燈は思う。
 右か左か、髪の分け目だけが違う彼らのことを頼もしく見つめた狸男は、豪快で下劣な笑い声を発しながら桔梗へと言い放った。

「そやそや! このくちなわ兄弟の言う通り、女子が男に勝てるわけあらへん! あの子たちも剣士としてでなく、針子として弟子に取ってやったらええやんけ! 何だったら、わしかこの二人の側室くらいの座も用意するで? がっはっはっは!!」

 男の言葉を耳にしていた燈は、流石の言い分に顔を顰めた。
 隣の蒼も同じように眉を顰め、男の発した言葉を理解出来ないとばかりに不機嫌な表情を浮かべている。

「言い過ぎだよな、間違いなく」

「ああ、同感だね」

 お互いの意思を確認し、物陰から一歩前へ。
 あの男の男女差別甚だしい言い分が栞桜たちの耳に届く前に片を付けたいと思っていた二人であったが、行動を起こすのが少し遅かったようだ。

「貴様らっ! よくも好き勝手に私たちのことを言ってくれたな!!」

「し、栞桜さんっ! 落ち着いてください!!」

 燈たちが男たちの前に飛び出すよりも早く、怒り心頭といった様子の栞桜が叫びを上げながら駆け出してきた。
 彼女を追ってこころとやよいも姿を現し、一気に姦しくなった玄関先で狸男がだらしなくいやらしい笑みを浮かべながら口を開く。

「おんやぁ? 初めて見る女子がおるやないですか。まさか、この子もこの二人と同じように剣士に育てる気でっか?」

「違う。この子は客人だ。そんな不躾な目で見るんじゃないよ」

「いやあ、すんまへんなぁ。あんまりにも可愛らしい娘やったから、つい……なあ、お嬢ちゃん。お小遣い欲しくあらへんか? ちょ~っとわしの言う事聞いてくれたら、たんまりお小遣いをあげるんやけどなぁ……!」

「ひっ!? や、やめてください……! 私、そんなつもりありませんから……!」

「その通りだ! この子にお前の醜い欲望を向けるな、ブ男がっ!!」

「ぶ、ブ男……っ!? んんっ! やっぱり女子は口がよう回るわ。腕では男に勝てへん分、言葉は達者でんな」

「なんだとぉ……!?」

「ふっ、悔しかったら俺に勝って自分の実力を証明してみろ。まあ、無理な話だと思うがな」

「その台詞、そっくりそのままあなたの弟さんに返してあげる。彼、一回もあたしに勝ててないじゃん」

「それは貴様があの手この手で俺の集中力を乱すからだ! まともな立ち合いなら、俺は女になど負けはせんっ!!」 

 やよいがくちなわ兄弟の弟を煽れば、彼もまた栞桜にも負けないくらいに顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
 どうやら、随分とやよいに胎を据えかねているようだなと思いながら、完全に出るタイミングを失った燈たちは玄関から離れた位置でそのやり取りをただ見守り続けていた。

「兎に角、今日は客人が来てるんだ。話はまたの機会にしてもらおうか」

「お前たちの師匠はそう言っているが、本当のところはどうなんだ? そろそろそのガキの卑怯な作戦が尽きてきたから、俺たちから逃げようとしているだけなんじゃないのか?」

「なにをっ!! お前たちなど怖れるものか! 今日こそは、私がお前を倒してやる!」

「はっ! そう言って何回俺に負けた? 所詮、女の剣の腕などその程度。口だけの猪武者と卑怯な手ばかりを使う小狡い剣士とも呼べぬ者どものお遊戯よ。……特に、貴様らは俺たちと違って失敗作なのだから、成功作である俺たちを超えることなど出来るはずがないんだよ!」

「自分の才能の無さを自覚して、とっとと武神刀を捨てるが良い! そうすれば、俺たちが娶ってやってもよいぞ! お前たちはその生意気な性格を除けば、顔も体も悪くないのだからな! フハハハハハ!!」

「き、さ、ま、らぁぁ……っっ!!」

 男たちの目的が挑発であり、自分を怒らせてうやむやの内に戦端を開かせることだというのは栞桜も理解していた。
 だが、それでも、彼女は湧き上がる怒りの感情を抑えられなかったのである。

 自分を見下し、やよいを嘲り、こころにまで醜い欲望を向けるこの男たちが許せない。
 何より、自分たちをここまで育ててくれた桔梗の行動を無意味だと嗤う彼らの言動を認めては、師匠である彼女に申し訳が立たないではないか。

 後で桔梗にどれだけ折檻されても構わないと、栞桜は思った。この行動が男たちの望み通りであることを判っていても、それでも良いと彼女は思う。
 腰に刺した『金剛』の柄へと手を伸ばし、それを握る。後はそれを引き抜いて、宣戦布告して……こいつらを叩きのめしてやると吼えればいい。

 幾度となく敗北を重ねても、今日こそは勝ってみせる……そう意気込んだ彼女が、動きを見せようとしたその時だった。

「そこまでにしとけ。んな安い挑発に乗る必要はねえだろ?」

「あっ……! 燈くん!!」

 そんな、呆れた口調の言葉と共に、燈が栞桜たちの前へと姿を現す。
 彼の一言に出鼻を挫かれた栞桜は動きを止め、次々と登場する新たな顔ぶれと、燈の凶悪な人相に面食らった狸男もまた面食らって押し黙ってしまった。

「好き勝手言われて腹が立つ気持ちはわかるけどよ、お前が挑発に乗ったらそれこそこいつらの思う壺だぜ? 少し頭を冷やして、落ち着けって」

「くっ……!!」

「……なんだ? ついにこの屋敷の主人も自分たちの弟子の不甲斐なさに呆れて助っ人を頼んだのか? やはり女が男の相手をするのは無理だと、ようやく理解したようだな!」

「ぐっ……!!」

 くちなわ兄弟の兄からの挑発に怒りを爆発させようとした栞桜の体を燈が抑える。
 明らかに彼女を狙い撃ちして煽り続けている彼の目論見を何となく理解しながら、燈は栞桜に変わって反撃の言葉を口にしてやった。

「そんな吠えんなよ、弱く見えんぞ。くちなわだかなげなわだか知らねえが、弱い犬ほどよく吠えるって言葉がぴったりだな」

「何だと? 天下に名高いくちなわ兄弟の長男、毒島 斑ぶすじま まだらを負け犬と呼ぶか、貴様は!?」

「……って言ってるけどよ、こいつそんなに有名なのか?」

「ううん、全然。いいところで昇陽の用心棒界で名が通ってるくらいじゃない?」

「あ、兄者を愚弄するなっ!! 兄者は武神刀を用いての立ち合いでは負け無し! 直に大和国に名を轟かせる、最強の剣豪となる男だぞ!」

「なら、こんなところで女相手に粋がってんじゃねえよ。さっきからうだうだと怠い絡みしやがって……クソダサい以外の言葉が出て来ねえぜ」

 やよいの援護を受けつつ、くちなわ兄弟にお返しの挑発口撃を喰らわせる燈。
 煽ることは得意でも煽られることは許せないのか、兄弟は細い顔を真っ赤にして怒りの眼差しを燈へと向けていた。

「貴様……腕に自信があるようだな? そこまで俺を愚弄したんだ、立ち合いで腕前を証明してみせろ!」

「や~なこった! お前みたいな奴の相手してるほど、俺も暇じゃないんだよ。ほら、この屋敷の主が帰れって言ってるんだ。素直に従って、とっととこの家から出て行けよ」

 燈はあくまでのらりくらりと斑の言葉を躱し、ひらひらと手を振って彼らに退散するよう促す。
 ぞろぞろと連れ立って出て来た新顔たちに調子を崩されたことを感じたのか、狸男は見るからに不快感を露わにした表情を浮かべるとくちなわ兄弟へと声をかけ、この場を退くことを告げた。

「……まあ、ええやろ。今日はこの辺にしときます。でも、また明日もお邪魔しまっせ。その次の日も、そのまた次の日も……桔梗はんがわしらの仕事を受けてくれるまで、何度だってわしらはここに来ます」

「私も何度だって伝えてやるよ。お前さんたちの依頼を受けるつもりはないってね」

「……ふんっ」

 ちょっと腕が立つからっていい気になるなよ、女が。
 そんな、言葉にこそしないものの狸男の本心が漏れ出すような憮然とした鼻息を残し、男たちが踵を返す。

 本当に不快で嫌な奴らだったが、これで取り敢えずは一安心か……と、嫌なものをからとっとと視線を外したかった燈は、狸男たちの一団に背を向けて屋敷の中に戻ろうとしたのだが、その背に聞き逃すことが出来ない言葉が投げかけられた。

「……燈、か。ふふっ、名前を聞いた時は女かと思ったが、随分と名前に似合わない男が出て来たものだ。親は、子供に付ける名前を誤ったな」

 ぴしりと、空気がひび割れた。
 その感覚を感じ取ったのは玄関の内側にいる人間たちだけで、今しがた屋敷から退散しようとしている男たちには急速に冷えていく空気が判らないらしい。

 燈を憎らしく思っている栞桜も、ニコニコとした笑みを絶やさないやよいも、あの桔梗ですらも、燈の急な雰囲気の変化に表情を強張らせ、言葉を失っていた。
 
「……今、何つった? 俺の名前が、何だって?」

 静かに、先ほどとあまり変わらない口調で、燈が斑へとそう問いかける。
 散々に馬鹿にされた仕返しとばかりに言い逃げをしようとしていた彼は、おくびもなく燈の名前へと罵倒を繰り返した。

「なんだ、聞こえなかったのか? お前の親の趣味は随分と悪いなと言ったんだ。燈などという女と間違えられるような気持ちの悪い名前を男に付けるだなんて、どうかしている以外の感想が出て来ないな」

「……へぇ、ほぉ? ふぅん……」

 冷えていた空気が、突如として熱く燃え上がっていく。
 激怒、その言葉の意味を体現するかのような燈の様子を見つめながら、こころは前に学校で聞いた噂を思い出していた。

 学校一の不良、虎藤燈。彼に関する唯一の、絶対に守らなけらばならないルール。
 何があっても、どんなことがあったとしても……彼の名前を馬鹿にするな。この禁忌を破った者は、絶対に後悔することになるから。

 こころは、初めてそのルールが存在している意味を知った。同時に、そのルールを破った斑へと声にならない警告を発しようとするが――

「……喜べ。たった今、猛烈に気が変わった。喧嘩、買ってやるよ」

 もう、遅かった。火山は噴火してしまった。
 眉間に青筋を浮かべ、口の端を吊り上げて、ただでさえ鋭い眼光に凶悪な光を宿らせながら振り向いた燈は、自分に対する最大の禁忌を犯した斑の目を真っ直ぐに見つめ、般若のような表情のまま、言い放つ。

「てめえは、絶対に……ぶっ潰す!!」
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