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第一章・はじまりの物語
救う者と掬おうとする者
しおりを挟む燈たち小間使い組の生徒たちの住処は、他の生徒たちの住まう邸宅からやや離れた位置にある。活動の拠点である学校に近い場所に建てられた粗末な小屋は、英雄組の生徒たちが暮らす家とは豪華さに雲泥の差があった。
それでも、男女別に分かれていたり、人数分の布団が用意されていたりするあたり、大和国側も最低限の扱いは弁えているのだろう。あくまで最低限ではあるが、気遣いされていないよりかはマシな話だ。
そんなことを考えながら、燈は女子寮への道をのんびりと歩み続ける。時間的距離にしておおよそ二、三分の道のりを進んでいた彼は、唐突に人の気配を感じて足を止めた。
「あぁん? なんだぁ……?」
物音を殺し、耳を澄ませれば、何処からか人の声が聞こえてくる。恐らくは男性の声、それも複数人のだ。
どうしてここで男の声が聞こえるのだろうか? この付近にあるのは燈たち小間使い組の小屋くらいのもので、わざわざこちらに人が来る理由は見当たらない。その小間使い組の面々も現在は小屋の中で休んでいるはずだ。声の主である男性たちは、完全に外部の人間であることは間違いない。
もしかしたら、先ほどの下男が仲間とばったり出会って話し込んでいるのかもしれないとも考えたが、去り際の彼はひどく急いでいる風に見えた。そんな彼が、道草を食うような真似をするだろうか?
どうにもその声が気になった燈は、女子たちへの伝言を後回しにして、声の主の様子を探ることを優先した。忍び足で声のする方向へと進み、それにつれて段々と大きくなっていくその声に耳を傾ければ、何やら不穏な会話の気配が察知出来た。
やがて、話し声がはっきりと聞こえる距離にまで近づいた燈は、視線の先に人影を捉えると、そっと物陰へと身を隠し、彼らが何をしているのかをこっそりと観察し始める。様子を窺った感じだと、三人の男子たちが一人の女子を取り囲み、何やら絡んでいるようだ。
「なあ、いいだろ? 俺たちの部屋に来いよ。朝までたっぷり可愛がってやるからさ」
「や、やめて、ください。私、そんなことしたくありません」
「はぁ? なに、逆らうわけ? あんた、気力が低い落伍者グループでしょ? 戦いでは役に立たないんだから、せめて俺たちが快適に過ごせるように一生懸命体を使ってよ!」
「た、確かに私は気力が低いから、他のみんなのサポートに回れって言われましたけど……そういうことをする義務は、ないと思います」
女子生徒と、彼女に詰め寄る男子の会話を聞いた燈は、露骨に嫌な顔をして溜息をついた。先ほどの正弘との会話でもあった、立場の差による見下しの影響が既に出始めているということを証明する場に出くわしてしまったからである。
どこからどう考えても、男子たちは小間使い組の女子に乱暴を働くつもりだ。彼らの言葉からは女子生徒への見下しの感情がありありと感じられるし、彼女が自分たちに逆らうことなどあり得ないことだという傲慢さも滲み出ている。その証拠に、自分たちの命令を拒否し続けている女子生徒に対する彼らの態度態度は、徐々に悪辣なものになっていた。
「義務とか必要性とか、そういうのどうでもいいから。お前は黙って俺たちの言うこと聞いてりゃいいの、わかる?」
「い、嫌です! 私は、そんなことしたくありません!」
「はぁ……あんま調子乗るなよ、クソが。俺たちがその気になりゃ、お前なんて簡単に殺せるんだぞ?」
「ひっ……!?」
低く唸るような声を発した男子の一人が、腰に差した刀を軽く抜き、銀色に光る刀身を見せつける。平和な世界では見たことのない、真剣の鋭い輝きを目の当たりにし、命の危険性を感じさせる脅し文句を耳にした女子は、小さな悲鳴を上げると共にびくっと体を震わせた。
「我儘ばっか言ってるとさ~、俺たちもどうするかわかんないよ? ムカつき過ぎて、ついうっかりあんたのことを斬っちゃうかも!」
「俺たちも本当はそんなことしたくないんだけどさ、奴隷が言うこと聞かないんならしょうがないよね?」
「なあ、どっちがいい? ここでレイプされた後で斬り殺されるのと、素直に言うこと聞いて、優しく抱かれるの……俺たちは優しいから、あんたに選ばせてあげるよ。好きな方、選びな」
「う、ぁ……」
男子生徒たちが野蛮な笑みを浮かべながら、徐々に女子へと近づいていく。その威圧感、脅し文句、そして人を殺せる凶器を彼らが有しているという状況に、女子生徒は完全に怯え切っており、瞳に涙を浮かべて震えることしか出来ないでいる。
男子たちは、そんな彼女の姿に優越感と興奮を感じていた。自分たちが得た力によって、力なき者を好きに出来るということに興奮を覚えている彼らは、湧き上がる欲望を女子生徒で満たさんとばかりに彼女へと手を伸ばしたのだが……
「おい、お前ら、そこまでにしとけ。流石にそいつは見過ごせねえよ」
自分たちの背後から響いた声を耳にして、不機嫌そうな表情を浮かべたままそちらへと振り向いた。
彼らが目にしたのは、呆れと怒りの感情を半々程度に入り混じらせた様子の燈の姿。自分たちの服装をちらりと観察した燈は、はあと溜息を吐いてから言う。
「ネクタイの色が緑ってことは、一年生かよ。物騒な玩具を貰ったからってはしゃいでんじゃねえぞ、シャバ僧共が」
「……なに、あんた? 俺らにお説教するわけ?」
「気力の低い奴隷のくせしてさ……俺たちに逆らっていいと思ってるの?」
「逆に、気力なんてもんがあるからって人様を脅して言いなりにして良いと思ってんのか? あんま調子に乗って粋がるんじゃねえよ、ターコ」
三対一、しかも相手は武器を持っているという不利な状況でも強気な姿勢を崩さない燈。
彼のその様子に苛立ちを募らせた男子たちの内の一人が、吼えるようにして威勢のいい言葉を叫びかける。
「調子乗ってんのはどっちだ!? そこまで言ったんだ、それなりの覚悟は――がべっ!?」
台詞の途中で顔面に何かが直撃した男子は、それまで口にしていた言葉を中断させて痛みを感じる顔を両手で覆った。左右の二人は突然の彼の動きに驚き、顔をそちらに向けて何が起きたのかがわからない様子でいる。
が、しかし、そんな隙だらけになった彼らを見逃す燈ではない。というより、彼らの隙を強引に作り出した彼は、一気に男子たちとの距離を詰めると唖然としている彼らに容赦の無い拳と蹴りを見舞ってやった。
「おら、よっと!!」
「ぐげっ!?」
「ぎゃっ!!」
突進の勢いを乗せた右ストレートで一人をなぎ倒し、もう一人を前蹴りで吹き飛ばす。
顔を覆っていた最後の一人の胸倉を掴んだ燈は、空いている手の中にある石ころをチャカチャカと鳴らしながら言った。
「てめえらこそ、覚悟はあったのか? 貰った刀で、誰かを斬り殺すだけの覚悟がよ。適当にちらつかせてるだけで誰もが言うことを聞く脅しの道具としてしか思ってねえから、こういう痛い目に遭うんだぜ?」
「ひっ……!?」
ぐいっ、と自分の側に男子の顔を寄せてからの脅し文句。獰猛に、冷徹に、慣れた感じで燈が男子を威圧してやれば、彼の喉から怯え切った声が小さく漏れ出した。
そのままぽいと掴んだ胸倉を放して男子を放り投げ、地面に尻もちをついた彼を上から見下ろしてやる。
強面で喧嘩慣れした燈の威圧感たっぷりの態度に怖れをなしたのか、三人の男子たちは悪態をつきながら一目散に逃げだしていった。
「お、覚えてやがれよ! 役立たずがっ!!」
「おーおー、忘れねえ内にリベンジに来いよ~!」
小悪党の捨て台詞なんて似たようなものだ。ああ言っておきながら、再び燈の前に顔を出すことなんてそうそう無い。
そう思いながら逃げ去る下級生たちに手を振り、呑気にその姿を見送った後で、燈は彼らに絡まれていた女子へと声をかける。
「おい、大丈夫か? 災難だったな」
「え? あ、はあ……あ、助けてくれて、ありがとうございました」
「気にすんなよ。たまたまだ、たまたま。女子たちに言伝を頼まれてそっちに向かってたら……って、ああ、そうだった!」
そこでポン、と両手を叩いた燈は、自分が女子たちの住まう小屋を目指していた理由を思い出し、目の前の女子へと下男からの伝言を伝えた。
やや手間がかかったが、これですべきことは終わらせた。自分たちの小屋に戻って休もうと踵を返し、女子へとひらひらと手を振りながら歩み去る。
「んじゃ、そういうことで伝言頼んだぜ。あと、さっきみたいなことがあるから、あんまり一人で夜に出歩くなよ」
「は、はい! 本当に、ありがとうございました!」
成り行きとはいえ、人から感謝されるのは気分が良い。先の正弘との会話でもそうだったが、自分はどうにも頼りにされたり感謝されるのに弱いみたいだ。
そんなことを考え、今日は久々にいい気分で床につけそうだと思いながら、燈は大和国に来てから初めて感じる胸の高揚に、空に浮かぶ月を見上げながら口元をわずかに歪めるのであった。
「……くそっ! なんなんだよ、あいつ……!?」
同時刻、人の気配のない裏庭にて、燈に追い散らされた男子三名が悪態をついていた。
やれ稽古だ、やれ規則だのと口うるさい生活の中で溜まったストレスを発散出来るいい機会だったというのに、燈のせいで全てが台無しだと彼らが不平不満を呟いていると……
「なあ、おい。お前も虎藤の奴に恨みがあるのか?」
「!?!?!?」
自分たちのものでは無い、新たな声に気が付いてはっと顔を上げれば、そこにはニタニタと薄気味の悪い笑みを浮かべる男子の姿があった。
「俺もあいつには恨みがあるんだ。役立たずのくせして、偉そうにしやがって……! ああいう奴がいると、絶対に面倒が起こる。そう思わないか?」
燈への憎しみと怒りを孕んだ声で、正義面をして下級生たちへと囁いた男子生徒は、彼らの肩を叩きながらこう誘い文句を口にした。
「だからよ、俺たちであいつを排除しようぜ。力を持ってる奴が、強い奴が、本当に偉いんだってことをあの馬鹿に教えてやるんだ」
瞳に憎悪の炎を宿しながら、かつて燈に辛酸を舐めさせられたその男子生徒……竹元順平は、闇の中で笑った。
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