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第1話 帰ってきた故郷
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波を蹴立て、船は港へ近づいていく。
上空には抜けるような青空が広がり、そこから降り注ぐ陽光が海の波間へときらきらとした揺らめきを投げかけている。
舞い飛ぶ海鳥達は気持ち良さそうに鳴き声を上げ、海を渡る風は心地よい潮の匂いを人々の元へ運んでいく。
季節は夏だ。
〈この島に帰ってくるのも久しぶりだな〉
神崎次郎太(かんざきじろうた)は長い夏休みを利用して久しぶりに故郷の島へと帰ってきた。
船のデッキに立つ彼の前には故郷の島の風景がゆったりと横たわっている。それほど大きな島ではない。人口わずかばかりの穏やかな小島だ。
その懐かしい景色を眺めながら、彼は久しぶりに帰ってきた故郷を前にかつての記憶に思いを馳せていた。
この島で暮らしている祖父と姉は元気にしているだろうか。
あれは次郎太がまだ小学校に上がったばかりの幼い少年の頃のことだった。両親が島を出て都会で暮らそうと言い出したのは。
その意見に対し、祖父は自分は島に残ると言い、昔からおじいちゃん子だった姉の沙耶も迷いながらも残ることに決めたようだった。そのことで両親は特に何も言わなかった。
幼心に次郎太は家族が別れ別れになりたくないと思ったが、両親が次郎太は連れていくと言い、祖父と姉にも薦められては彼に選択の権利はなかった。
次郎太は両親とともに島を出て都会へ行くことにした。
それから数年後のことだった。沙耶が自分の実の姉ではないと聞かされたのは。彼女はずっと以前に祖父が山で見つけてきた子だったのだ。
事情を聞いたことで次郎太は何故沙耶のことに両親が固執しないかに合点がいったが、彼女は次郎太が物心付いた時からずっと彼の姉であり続けたし、本人もあけっぴろげなく明るい性格だったので次郎太がそのことを意識することはなかった。
そう知ってからも田舎にはたまに帰って来てはいる。そう頻繁に行き来できるような近い場所ではないけれど。
船の汽笛が鳴り、到着が告げられる。
次郎太は物思いをやめ、荷物を持って出口へと向かった。
タラップを降りた次郎太は久しぶりの大地の感触を踏みしめる。本州を出て数時間ぶりのしっかりとした地面に不思議な心地強さを感じる。
<何回乗っても船と言うのは慣れないな>
別に船酔いするとか揺れが我慢できないということはないが、やはりどこか不安定な海の上の旅である。しっかりとした地面の上の方が落ち着くというものだ。人はやはり陸の上で生きる生き物であると感じる。
そんなことを思いながら、しばらく景色を眺めながら歩いた。思ったより人の数が多い。
<この辺りは変わらないな。いや、前に来た時よりは賑やかになったかな>
近代化の波は田舎であるこの島にも序々にやって来ている感じはする。まあ、それでも田舎は田舎。次郎太が日頃住み慣れた都会の華やかさとは比べるべくもないけれど。
でも、その土地柄の割りに人が多いのは、今が帰郷シーズンだからか、それともしばらく離れている間にこの島は思ったよりも人気になったのか。
立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回してみる。迎えは来ていないみたいだ。電話では姉が迎えに来ると言って本人しきりに張り切っていたけど……まあいいか。
家の場所は知っているし、普通に歩いて普通に着ける距離だ。いわゆる勝手知ったる道というもの。姉とも途中で出会えるだろう。
なんとなくそう決意をして歩みを進めようとすると、人垣の向こうから聞こえてくる声があった。
「待って、次郎太、次郎太!」
聞き覚えのある少女の声。呼び止めようとするその声の方を向くと、一人の小学生ぐらいの小柄な女の子が人ごみをかきわけて出てくるところだった。
長いさらさらとした金色の髪を振り乱し、ゆったりとした薄手のワンピースを身にまとっている少女。小さな手をあたふたと振っている。愛くるしいという表現がしっくりと来る顔を今では目を回しそうなほうほうの体で歪めている。
かわいらしくも大儀そうなその少女は、ちょうど通りかかった人にぶつかって危うく転びかけるところだった。
「どうして今日はこう人が多いの。次郎……キャア!」
「危ない!」
次郎太はとっさに手を出して彼女の体を支えてやった。
さほど大きくもない彼の腕に、彼女の体がすっぽりと収まる。抱きとめられた少女は驚いたように2,3回目をぱちくりさせてから、にっこりとした笑みを浮かべて次郎太を見上げた。
「ないすキャッチ。おかえり、次郎太」
「ただいま。沙耶姉は相変わらず小さいね~」
「小さいは余計よー!」
彼女はそう言って次郎太の腕から離れた。人ごみにもまれて少し乱れた髪と服を直し、胸を張って口を開く。
「まったく久しぶりに帰ってきて最初に言うことがそれなの? 相変わらず口が減らないんだから」
困った弟だと言わんばかりの彼女の態度に、次郎太はいつものようにあやまる。
「僕は思ったことを言っただけなんだけどね。気を悪くしたならごめん」
「まあいいわ。さ、行こっか」
身をひるがえしてさっさと行こうとする沙耶。
「行くってどこに?」
「もー、家へ帰るに決まってるじゃない。何しに来たのよ」
「ああ、うん、そうだね。家に帰らないとね」
帰るというんだろうか。田舎を出て今では両親と一緒に都会で暮らしている僕が。そう思うと次郎太はなんだか奇妙な感じがするのだった。
「早く来ないと置いていくわよ」
「今行くよ」
何も気にすることなくただ上機嫌な顔で振り返る沙耶を、次郎太は小走りで追いかけた。
上空には抜けるような青空が広がり、そこから降り注ぐ陽光が海の波間へときらきらとした揺らめきを投げかけている。
舞い飛ぶ海鳥達は気持ち良さそうに鳴き声を上げ、海を渡る風は心地よい潮の匂いを人々の元へ運んでいく。
季節は夏だ。
〈この島に帰ってくるのも久しぶりだな〉
神崎次郎太(かんざきじろうた)は長い夏休みを利用して久しぶりに故郷の島へと帰ってきた。
船のデッキに立つ彼の前には故郷の島の風景がゆったりと横たわっている。それほど大きな島ではない。人口わずかばかりの穏やかな小島だ。
その懐かしい景色を眺めながら、彼は久しぶりに帰ってきた故郷を前にかつての記憶に思いを馳せていた。
この島で暮らしている祖父と姉は元気にしているだろうか。
あれは次郎太がまだ小学校に上がったばかりの幼い少年の頃のことだった。両親が島を出て都会で暮らそうと言い出したのは。
その意見に対し、祖父は自分は島に残ると言い、昔からおじいちゃん子だった姉の沙耶も迷いながらも残ることに決めたようだった。そのことで両親は特に何も言わなかった。
幼心に次郎太は家族が別れ別れになりたくないと思ったが、両親が次郎太は連れていくと言い、祖父と姉にも薦められては彼に選択の権利はなかった。
次郎太は両親とともに島を出て都会へ行くことにした。
それから数年後のことだった。沙耶が自分の実の姉ではないと聞かされたのは。彼女はずっと以前に祖父が山で見つけてきた子だったのだ。
事情を聞いたことで次郎太は何故沙耶のことに両親が固執しないかに合点がいったが、彼女は次郎太が物心付いた時からずっと彼の姉であり続けたし、本人もあけっぴろげなく明るい性格だったので次郎太がそのことを意識することはなかった。
そう知ってからも田舎にはたまに帰って来てはいる。そう頻繁に行き来できるような近い場所ではないけれど。
船の汽笛が鳴り、到着が告げられる。
次郎太は物思いをやめ、荷物を持って出口へと向かった。
タラップを降りた次郎太は久しぶりの大地の感触を踏みしめる。本州を出て数時間ぶりのしっかりとした地面に不思議な心地強さを感じる。
<何回乗っても船と言うのは慣れないな>
別に船酔いするとか揺れが我慢できないということはないが、やはりどこか不安定な海の上の旅である。しっかりとした地面の上の方が落ち着くというものだ。人はやはり陸の上で生きる生き物であると感じる。
そんなことを思いながら、しばらく景色を眺めながら歩いた。思ったより人の数が多い。
<この辺りは変わらないな。いや、前に来た時よりは賑やかになったかな>
近代化の波は田舎であるこの島にも序々にやって来ている感じはする。まあ、それでも田舎は田舎。次郎太が日頃住み慣れた都会の華やかさとは比べるべくもないけれど。
でも、その土地柄の割りに人が多いのは、今が帰郷シーズンだからか、それともしばらく離れている間にこの島は思ったよりも人気になったのか。
立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回してみる。迎えは来ていないみたいだ。電話では姉が迎えに来ると言って本人しきりに張り切っていたけど……まあいいか。
家の場所は知っているし、普通に歩いて普通に着ける距離だ。いわゆる勝手知ったる道というもの。姉とも途中で出会えるだろう。
なんとなくそう決意をして歩みを進めようとすると、人垣の向こうから聞こえてくる声があった。
「待って、次郎太、次郎太!」
聞き覚えのある少女の声。呼び止めようとするその声の方を向くと、一人の小学生ぐらいの小柄な女の子が人ごみをかきわけて出てくるところだった。
長いさらさらとした金色の髪を振り乱し、ゆったりとした薄手のワンピースを身にまとっている少女。小さな手をあたふたと振っている。愛くるしいという表現がしっくりと来る顔を今では目を回しそうなほうほうの体で歪めている。
かわいらしくも大儀そうなその少女は、ちょうど通りかかった人にぶつかって危うく転びかけるところだった。
「どうして今日はこう人が多いの。次郎……キャア!」
「危ない!」
次郎太はとっさに手を出して彼女の体を支えてやった。
さほど大きくもない彼の腕に、彼女の体がすっぽりと収まる。抱きとめられた少女は驚いたように2,3回目をぱちくりさせてから、にっこりとした笑みを浮かべて次郎太を見上げた。
「ないすキャッチ。おかえり、次郎太」
「ただいま。沙耶姉は相変わらず小さいね~」
「小さいは余計よー!」
彼女はそう言って次郎太の腕から離れた。人ごみにもまれて少し乱れた髪と服を直し、胸を張って口を開く。
「まったく久しぶりに帰ってきて最初に言うことがそれなの? 相変わらず口が減らないんだから」
困った弟だと言わんばかりの彼女の態度に、次郎太はいつものようにあやまる。
「僕は思ったことを言っただけなんだけどね。気を悪くしたならごめん」
「まあいいわ。さ、行こっか」
身をひるがえしてさっさと行こうとする沙耶。
「行くってどこに?」
「もー、家へ帰るに決まってるじゃない。何しに来たのよ」
「ああ、うん、そうだね。家に帰らないとね」
帰るというんだろうか。田舎を出て今では両親と一緒に都会で暮らしている僕が。そう思うと次郎太はなんだか奇妙な感じがするのだった。
「早く来ないと置いていくわよ」
「今行くよ」
何も気にすることなくただ上機嫌な顔で振り返る沙耶を、次郎太は小走りで追いかけた。
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