サイクリングストリート

けろよん

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第二章 新たな道へ

第46話 叶恵の流儀 美久の意地

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 美久と叶恵。第3走者のレースが始まった。
 今回は先の2レースと違い、随分と静かな戦いの幕開けとなった。
 美久は前を走る叶恵の後を追いかけて走る。
 大魔王の走り、それは一体どれほどの物だろうかと警戒したものの、叶恵のスピードはそう速くはなかった。
 差はすぐに詰まっていき、美久はいともあっさりと叶恵を抜き、前に立っていた。
 だが、油断は出来ない。叶恵はすぐ背後にいる。
 それに悪寒がするのだ。大魔王が何も仕掛けてこないはずがない。
 美久は自分の勘を信じていた。このままでは駄目だとその勘は警鐘を鳴らしていた。


 盛り上がっていた会場も随分と静かになっていた。
 前を走る美久のスピードは以前までのレースを引っ張ってきた走者達と比べると明らかに遅く迫力に欠け、後ろを走る叶恵にも何も仕掛ける様子が無いからだ。
 実況席でもそのことが話題になっていた。
 純星のスター候補生萌香は秀才の生徒会会計の掛太郎に訊いた。

「今回の走りは何だか随分と遅いですね」
「逆ですよ。今までが速すぎたんです。一般の高校生ならこれぐらいが普通ですよ」
「普通ですか」

 二人は会場の大型スクリーンに映されているレースの模様を見つめる。
 前を走る美久の後ろには叶恵がぴったりとマークに付いている。二人の距離は変わることのないままレースは続いている。
 今度は掛太郎が叶恵と同じ学校に所属している萌香に訊いた。

「叶恵さんには明らかに余力があるように感じられるのですが、なぜ前に出ないのでしょうか。何か考えがあるのでしょうか」
「さあ、わたしに訊かれても」

 萌香も困ってしまう。その質問に答えたのは渚だった。

「翼の差し金でしょうね」
「どういうことなんでしょう?」

 掛太郎と萌香は頭に「?」を浮かべる。渚は説明した。

「翼がこのレースを提案したのは元はといえば勇者の力を見るためよ。見るためには互角の勝負をしなければならない。だから、翼は叶恵さんには自分が勇者と戦えるように同着でゴールするようにと言い含めてあるはずよ」
「では、このレースはただの繋ぎ……というわけなんでしょうか」
「それは美久さんの頑張りしだいね。わたしはこのまま彼女が相手のいいようにされて終わるとは思っていないわ」


 戦いは静かだったが、ある種の緊張感を持ち始めてきていた。
 美久はこのままではいけないと判断した。
 まだ先は長いけれど、足を踏ん張る。

「ここから振り切る!」

 美久はスピードを上げていく。だが、叶恵はまだぴったりと後ろをついてきていた。
 どれだけ走っても振り切れない。
 それが大きなプレッシャーの影となって、美久の背中にのしかかっていく。
 美久は焦ってきていた。背後に迫る大魔王の影に怯えていた。
 後ろを振り返るとすぐ傍に叶恵がいる。
 美久は必死になって走っているのに、叶恵はまるで普通にサイクリングを楽しんでいるようにのんびりと涼し気な顔をしていた。
 美久はもう我慢出来ずに後ろに向かって言った。

「どうして抜かないの!?」
「抜いていいんですか?」

 叶恵は実にさらっと言ってのけた。その顔には何の悪意もない。
 だからこそ、たちが悪い。叶恵は美久のことなど全く相手にしていないのだ。
 美久は歯ぎしりして前を見た。
 抜かれていいわけが無い。美久はさらにスピードを上げる。
 その時、すぐ後ろから自転車のベルを鳴らす音とともに叶恵の声が届いてきた。
 距離が近い。

「そこをどいてくれないと抜けないんですけど」
「くっそ」

 美久は全力を出す。もうペースを気にして体力を温存している場合ではなくなっていた。
 大魔王の力を見るどころではない。このままではただ大魔王の手の上で遊ばれて終わってしまう。
 焦る美久の前に不意に人影が現れた。
 それは道を横切ろうとする老婆だった。
 なんでこんなところに、などと気にしている余裕はなかった。

「どけよ! そこのババア!」

 美久は気が付くとそんな暴言を吐いていた。
 驚いた婆さんはひっくり返り、美久は後悔を感じながらその横を走り抜けた。
 その時、後ろでブレーキの音がした。
 気が付いた美久が振り返ると、後ろでは自転車を降りた叶恵が倒れた老婆を助け起こしているところだった。
 美久はもうわけもわからず見ているしかなかった。気が動転して足もすっかり止まってしまっていた。
 老婆は叶恵に手を引かれていた。老婆は柔和な笑みを浮かべ、叶恵の顔にも優しい天使のような笑顔があった。

「すまないねえ、渡る道が見つからなくて」
「いいえ、このような勝手な催しを開いて町のみんなにはご迷惑をお掛けしています」
「いいのよ。ありがとう、叶恵さん」

 道を渡してもらって、老婆は笑顔でお辞儀をして去っていった。

「さすが叶恵さん」
「なんてお優しい人なんだ」

 周囲の観客からは拍手が上がった。 
 老婆が去るのを見届けて、叶恵は自分の自転車のところへと戻ってきた。
 そこから美久に向かって言う。

「待っててくれたんですか?」
「どうして……」
「?」
「どうして、あなたが人を助けているの?」
「だって、それは人として当然のことじゃないですか」

 美久は金づちで殴られた気分だった。
 だったら、助けなかった自分は何だったのだろうか。
 結菜とともに戦える仲間と言えるのだろうか。
 叶恵は自転車に乗って催促してくる。

「再スタートをどうぞ。あなたが走り出すと同時にわたしも走りますから」

 だが、そう言われても美久にはもう自分が走る意味が感じられなくなっていた。
 どうしようもない自己嫌悪に囚われそうになるそんな時、

「惑わされては駄目よ」

 道路脇の観客の間から掛けられた声があった。それは麻希の声だった。
 麻希はここまで自転車で走ってきたのだった。

「あなたは……」

 叶恵の目が麻希を見る。麻希は構わず美久に言った。

「叶恵はこのまま素直に後ろを走っている奴じゃない。必ずどこかで仕掛けてくる。自分のやるべきことを思い出しなさい」
「わたしのやるべきこと……」

 その言葉に麻希を見る叶恵の目が細められた。

「あなた、わたしの何を知っているんですか?」

 麻希は叶恵の目を見返して答えた。

「何も知らないわ。今のあなたのことはね。でも、あなたのやりそうなことは分かっているわ」
「なるほど……態度に出てしまっていたのかもしれませんね」

 叶恵は冷めた目で自分の握る自転車のハンドルを見て、ペダルを一蹴り回転させた。

「マッキー、わたしは……行ってきます!」

 美久は発進する。自分の役目を果たすために。
 同時に叶恵も発進する。
 再びレースが再開する。
 状況が変わらないまま第3のレースは中盤を超えた。


 会場のスクリーンでそれを見ていた翼は自分の自転車へと乗った。

「いよいよですわね。決着を付けますわよ」

 強気な視線で結菜に挑戦する、その時の翼は誰よりも美しかった。
 結菜は今までに何度も彼女と会っていたのに、この時ほどそう感じたことはなかった。
 相手は威厳と高貴さを感じさせる美しい王者だ。
 それはこの戦いの重み、みんなの想いを背負う覚悟がそう思わせたのかもしれない。

「はい!」

 今度は結菜も伝説の勇者として強い返事が出来た。
 前は返事が出来なくて、渚に気迫が無ければ勝てないと言われていた。
 今の結菜には決戦に挑む覚悟が出来ていた。
 その返事に翼は満足気な笑みを浮かべ、二人は最後の出発点へと向かっていった。


 第3レースは終盤を迎えていた。ここで叶恵が仕掛けてきた。
 右から抜こうとしてくるのを美久は右へ行ってブロックする。
 左へ切り返すのを左に行ってブロックした。

「わたしの進路を邪魔するつもりですか?」
「マッキーが忠告してくれた。お前を前には行かせない!」
「それで邪魔をしているつもりなら……甘いですよ」

 凍えるような冷たい声と凄まじい切り返しだった。美久は背筋を斬られるような感覚を覚えた。
 防御など何の意味も持たなかった。
 大魔王は僅かな隙に食らいつき、右から美久を抜きに掛かってくる。
 美久の自転車の後輪を抜き、さらに前輪までをも抜かそうとしてくる。
 もうブロックは出来ない。
 ゴールまではごく僅か。
 叶恵に求められたのは美久と同時にゴールすること。
 だが、その時にはもう美久は気づいていた。叶恵の真の狙いに。
 麻希が教えてくれた。叶恵はいつまでも人の後ろにいることを良しとする人間ではない。
 叶恵は抜くつもりなのだ。ゴール寸前で。美久の自転車を。ごく僅かの差で。自分が勝利したという自尊心を満たすために。
 そんなことを許すわけにはいかない。勝てないまでも徹底的に抗い抜く。
 勇者がゴールで待っている。思いを繋げるために。

「最後のチカラアアアアアアアア!!」

 美久は全力を振り絞った。美久の自転車の前輪までをも抜こうとしてくる大魔王の車輪に抗う。
 だが、叶恵の自転車の方が速い。距離がどんどん縮まり、それは徐々に前へとその牙を突き立てに掛かってくる。
 だが、ゴールまでの距離ももう僅かだ。
 美久は必死になって叫んだ。ペダルを漕いだ。
 二人の距離が縮まっていく。
 ゴールを駆け抜け、最後の走者が出発した。
 ゴールしたのは同時。
 鷹の右腕としては完璧な仕事、だが大魔王の野望は阻止していた。
 叶恵が自転車を降りて話しかけてくる。

「あなた、やりますね」
「ハハ……」

 そんなことを言われても何も嬉しくはなかった。
 美久はもう全力を出し切ってへとへとになっていた。今すぐにでも地面に身を投げ出して休みたい気分だった。
 対して叶恵はまだ涼しい顔をして立っていた。
 勝負は引き分けだったが、力の差は歴然としていた。
 ともあれ勝負は最後の走者に託された。
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