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第一章 自転車になったお兄ちゃん
第3話 結菜と新しい自転車 3
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学校の校門から出ようとした結菜の走りはその手前で止まった。
「やあ、君が悠真の妹だな」
「はい、そうですけど」
校門のところで待っていた人がいたのだ。結菜の知らない背の高い女の人だった。声を掛けられて結菜は驚きながらも自転車を止めて足を下ろした。
彼女は男前の凛々しさを感じさせる見た目に似合ったしっかりとした声をしていた。
上級生かと思ったが、彼女はここの制服は着ておらず、私服だった。
知らない人に声を掛けられて結菜は戸惑ってしまったが、彼女のことは悠真が知っていた。
「葵」
「葵?」
悠真の呟いた言葉に結菜も釣られるように呟き返してしまう。
兄は普通に話しても気にされないだろうに声を潜めて教えてくれた。
「山本葵。俺と同じ大学の同級生で、サークルの仲間だ」
「お兄ちゃんと同じ大学のサークルの人ですか?」
聞いた情報を頼りに結菜が彼女に訊ねると、葵は少し驚いたようだった。
「よく知っているな。悠真から聞いていたのか。彼が家族に学校のことを喋るようなお喋りな男だったとは予想外だったな」
「ほっとけ」
兄の言葉が他人に聞こえないというのは本当のことだったようだ。葵は兄のぼやきを全く気に留めずに話を続けた。
「彼がサークルに来なかったので知り合いを訊ねてみたら、行方不明になっているという噂を聞いてな。妹さんの入学式に来ているのかと思ってこちらへ伺ったのだが」
「お兄ちゃんならここにはいませんよ。それにお兄ちゃんだったら、姫子さんの入学式の方に行くと思いますけど」
「実在しない人間のところには行けないだろう」
葵は苦笑したように言った。結菜も同じ気分だった。
「やっぱり実在しないんだ」
前からそう思っていたがやはりそうだったようだ。お兄ちゃんの彼女という存在は非実在少女だったのだ。
結菜は長年の疑問が解けて晴れ晴れとした気分だったが、葵は難しい顔をしていた。
「だが、ありえるか。思い悩んであっちの世界へ行ったとか」
「まさか、それで自転車に?」
「自転車?」
「いえ、こちらの話です。気にしないでください」
「ふーむ……」
葵はしばらく考え事をしていたが、やがて顔を上げて言った。
「ともあれ、あいつがいないとサークルの活動に支障が出る。帰ってきたら来るようにと言ってくれ」
葵はそう言い残し、自分の自転車に乗って走り去っていった。
「お兄ちゃん、頼りにされてるんだ」
「便利に使われてるだけだよ」
結菜は地面を蹴ってペダルをこぎ出した。学校に来た時と同じ道を走っていく。
国道に出て、兄はすぐに話しかけてきた。
「今度は別の道を通らないか?」
「別の道?」
「同じ道を通るだけというのも飽きるだろう?」
別に飽きてはいないが、まだ昼前で時間も早いし、結菜はせっかくだから兄の走りたい道を走るのも悪くないかと思った。
「どこかおすすめの道とかあるの?」
「ああ。ほら、そこの左の道に入ってみろ」
「うん」
結菜は言われたようにハンドルを切って左に曲がった。車が普通にすれ違えそうな普通の道だった。少し走った所で兄が再び言った。
「そこを右だ」
「オーケー」
言われたように右に曲がる。左右に見晴らしのいい畑が広がり、道の先が住宅街に入っているのが見えた。
結菜はペダルをこいで進めていく。道端で道路の工事をしていてそこで立っているおじさんの横を通り抜けて住宅街に入っていく。
「ここからどこへ行くの?」
「しばらく自分の好きなように走ってみろ」
「うん」
結菜は自宅のあるだろう方角へ向かって自転車をこいでいった。いくつかの小さい交差点を越えて行き止まりに当たった。
「行き止まりだ」
道は途切れ、目の前にも左右にも家がある。
結菜は少し戻って前の角を別の方向へ曲がることにした。しばらく走ったところで角に当たり、方向を変える。
遠ざかっている気がしたが、横に並ぶ家の向こうに結菜が目指したい方向に伸びている道が見えた。
「あの道路に出ればいいはずよね。よし」
結菜はそこを目指して自転車をこいでいった。だが、その道へ抜けるための道が見当たらなかった。結菜はとうとうあきらめてブレーキを引いて自転車を止めた。
「お兄ちゃん、どこへ行けばここを抜けられるの?」
「結菜、気づいたようだな」
「なにに?」
首を傾げる結菜。兄は自慢げに言った。
「ここにはさっき入ってきた道しか出る道がないんだ。面白い道だろう? あの向こうに見える行けそうな道とか実に嫌らしい引っ掛けだとお兄ちゃんはここに初めて来た時には感心したもんだ」
上機嫌な様子の兄の言葉に結菜は呆れた吐息をついた。
「面白くないよ。完全に無駄足だったんじゃない」
「結菜にはまだ道道は分からないか」
「ミチドーなんて聞いたこともないよ」
「お兄ちゃんのサークルではそれをテーマにしてるんだぞ」
「知らないよ。そんなことよりもっと便利な道を教えてよ」
「オーケー。それじゃあ向こうの角を右に曲がって元の道に戻りなさい」
「うん」
結菜は言われたように自転車を走らせ、来た時の道へ戻っていった。さっき通ったばかりの道を今度は住宅街から出る方向へ走っていく。工事現場のおじさんの横を抜けてその先の道へ戻っていく。
「うう、来たばかりですぐに引き返して、あのおじさん、絶対に変な目でわたしを見てたよ」
「自意識過剰だな。他人なんて案外人のことなんて気にしてないもんだぞ。それじゃあ、次の道へ行くか」
「もう帰りたいんだけど」
「若いのに覇気がないな。地域内の道ぐらい全部走破してやるぐらいの気位が無くてどうする。世界はもっと広いんだぞ」
「世界なんて知らないよ。家に帰りたいだけだし」
「今度は便利な道を教えてやるから安心しろ」
「うん」
「その道はここの右の方にあるんだ。走りながら右チェックしとけ」
結菜は言われたように右をちらちらとチェックしながら自転車を走らせていく。
いくつかの行き止まりの小道を横目にしてやってきたのは、今までよりはずっと向こうの方まで続いていそうな深い道だった。
「ここなの? なんだかさっきまで通り過ぎた小道とは道路のオーラが違うような」
「お前もオーラを感じたか。実はこの道は南の駅の方まで続いている凄い道なんだ」
「え? あんなところまで?」
結菜は驚いた。南の駅までは結構遠い距離があるのだ。来る途中に通った線路よりも一つ向こうの線路になる。
「途中で狭くなって車は通れなくなる場所があるけどな。歩行者と自転車専用の抜け道ってやつだな」
「へえ、じゃあお兄ちゃんもずっとここを通っていたんだ」
「いや、実はこの道には致命的な欠点があるんだ」
「欠点?」
やはりそう上手くはないらしい。兄はその理由を語った。
「この道は途中で小学校の前を通るんだ。すっげーじろじろ見られた。お兄ちゃんはただ近道をしたいだけなのに」
「自意識過剰じゃない? 他人なんて案外人の事なんて気にしないものよ」
ありそうなことだと思いつつ、結菜はさっきの仕返しのつもりで言ってやった。
「あの居心地の悪さは経験しないと分からないだろうな。お前なら大丈夫だろうが」
「まあ、わたしならね」
結菜は機嫌を良くしてその道を進んでいった。人通りも車も無く、ほどほどの広さの道でしばらくは快適だったが、学校の校門前を越えて、道が狭くなってきた辺りからそうも言ってられなくなった。
下校する子供が増えて道を塞ぎ、道が狭いこともあって追い越しが出来なくなったのだ。
大きな音が出るベルを鳴らして子供達を追い払うのも悪い気がして、結菜は子供集団の最後尾を見ながらペダルから地面に足を下ろした。
「この道、人多すぎじゃない?」
「今は下校時間帯だからな。今日は入学式だから帰る時間も一斉なのか。そこの細い道で曲がれ。いつもの国道に出られるぞ」
「うん」
地面を蹴って自転車を進ませ、言われた場所を曲がって自転車一台が通るのがやっとの細い道を進むと、登校する時に通った国道に出た。
「お疲れさん。後は同じ道だ」
「うん」
たいして役に立つことは教えてもらえなかった気がしたが、結菜は兄の言っていた道道の面白さは分かった気がした。
いつもと同じ道を通っているだけでは今日知ったことを知ることは無かったのだから。
「やあ、君が悠真の妹だな」
「はい、そうですけど」
校門のところで待っていた人がいたのだ。結菜の知らない背の高い女の人だった。声を掛けられて結菜は驚きながらも自転車を止めて足を下ろした。
彼女は男前の凛々しさを感じさせる見た目に似合ったしっかりとした声をしていた。
上級生かと思ったが、彼女はここの制服は着ておらず、私服だった。
知らない人に声を掛けられて結菜は戸惑ってしまったが、彼女のことは悠真が知っていた。
「葵」
「葵?」
悠真の呟いた言葉に結菜も釣られるように呟き返してしまう。
兄は普通に話しても気にされないだろうに声を潜めて教えてくれた。
「山本葵。俺と同じ大学の同級生で、サークルの仲間だ」
「お兄ちゃんと同じ大学のサークルの人ですか?」
聞いた情報を頼りに結菜が彼女に訊ねると、葵は少し驚いたようだった。
「よく知っているな。悠真から聞いていたのか。彼が家族に学校のことを喋るようなお喋りな男だったとは予想外だったな」
「ほっとけ」
兄の言葉が他人に聞こえないというのは本当のことだったようだ。葵は兄のぼやきを全く気に留めずに話を続けた。
「彼がサークルに来なかったので知り合いを訊ねてみたら、行方不明になっているという噂を聞いてな。妹さんの入学式に来ているのかと思ってこちらへ伺ったのだが」
「お兄ちゃんならここにはいませんよ。それにお兄ちゃんだったら、姫子さんの入学式の方に行くと思いますけど」
「実在しない人間のところには行けないだろう」
葵は苦笑したように言った。結菜も同じ気分だった。
「やっぱり実在しないんだ」
前からそう思っていたがやはりそうだったようだ。お兄ちゃんの彼女という存在は非実在少女だったのだ。
結菜は長年の疑問が解けて晴れ晴れとした気分だったが、葵は難しい顔をしていた。
「だが、ありえるか。思い悩んであっちの世界へ行ったとか」
「まさか、それで自転車に?」
「自転車?」
「いえ、こちらの話です。気にしないでください」
「ふーむ……」
葵はしばらく考え事をしていたが、やがて顔を上げて言った。
「ともあれ、あいつがいないとサークルの活動に支障が出る。帰ってきたら来るようにと言ってくれ」
葵はそう言い残し、自分の自転車に乗って走り去っていった。
「お兄ちゃん、頼りにされてるんだ」
「便利に使われてるだけだよ」
結菜は地面を蹴ってペダルをこぎ出した。学校に来た時と同じ道を走っていく。
国道に出て、兄はすぐに話しかけてきた。
「今度は別の道を通らないか?」
「別の道?」
「同じ道を通るだけというのも飽きるだろう?」
別に飽きてはいないが、まだ昼前で時間も早いし、結菜はせっかくだから兄の走りたい道を走るのも悪くないかと思った。
「どこかおすすめの道とかあるの?」
「ああ。ほら、そこの左の道に入ってみろ」
「うん」
結菜は言われたようにハンドルを切って左に曲がった。車が普通にすれ違えそうな普通の道だった。少し走った所で兄が再び言った。
「そこを右だ」
「オーケー」
言われたように右に曲がる。左右に見晴らしのいい畑が広がり、道の先が住宅街に入っているのが見えた。
結菜はペダルをこいで進めていく。道端で道路の工事をしていてそこで立っているおじさんの横を通り抜けて住宅街に入っていく。
「ここからどこへ行くの?」
「しばらく自分の好きなように走ってみろ」
「うん」
結菜は自宅のあるだろう方角へ向かって自転車をこいでいった。いくつかの小さい交差点を越えて行き止まりに当たった。
「行き止まりだ」
道は途切れ、目の前にも左右にも家がある。
結菜は少し戻って前の角を別の方向へ曲がることにした。しばらく走ったところで角に当たり、方向を変える。
遠ざかっている気がしたが、横に並ぶ家の向こうに結菜が目指したい方向に伸びている道が見えた。
「あの道路に出ればいいはずよね。よし」
結菜はそこを目指して自転車をこいでいった。だが、その道へ抜けるための道が見当たらなかった。結菜はとうとうあきらめてブレーキを引いて自転車を止めた。
「お兄ちゃん、どこへ行けばここを抜けられるの?」
「結菜、気づいたようだな」
「なにに?」
首を傾げる結菜。兄は自慢げに言った。
「ここにはさっき入ってきた道しか出る道がないんだ。面白い道だろう? あの向こうに見える行けそうな道とか実に嫌らしい引っ掛けだとお兄ちゃんはここに初めて来た時には感心したもんだ」
上機嫌な様子の兄の言葉に結菜は呆れた吐息をついた。
「面白くないよ。完全に無駄足だったんじゃない」
「結菜にはまだ道道は分からないか」
「ミチドーなんて聞いたこともないよ」
「お兄ちゃんのサークルではそれをテーマにしてるんだぞ」
「知らないよ。そんなことよりもっと便利な道を教えてよ」
「オーケー。それじゃあ向こうの角を右に曲がって元の道に戻りなさい」
「うん」
結菜は言われたように自転車を走らせ、来た時の道へ戻っていった。さっき通ったばかりの道を今度は住宅街から出る方向へ走っていく。工事現場のおじさんの横を抜けてその先の道へ戻っていく。
「うう、来たばかりですぐに引き返して、あのおじさん、絶対に変な目でわたしを見てたよ」
「自意識過剰だな。他人なんて案外人のことなんて気にしてないもんだぞ。それじゃあ、次の道へ行くか」
「もう帰りたいんだけど」
「若いのに覇気がないな。地域内の道ぐらい全部走破してやるぐらいの気位が無くてどうする。世界はもっと広いんだぞ」
「世界なんて知らないよ。家に帰りたいだけだし」
「今度は便利な道を教えてやるから安心しろ」
「うん」
「その道はここの右の方にあるんだ。走りながら右チェックしとけ」
結菜は言われたように右をちらちらとチェックしながら自転車を走らせていく。
いくつかの行き止まりの小道を横目にしてやってきたのは、今までよりはずっと向こうの方まで続いていそうな深い道だった。
「ここなの? なんだかさっきまで通り過ぎた小道とは道路のオーラが違うような」
「お前もオーラを感じたか。実はこの道は南の駅の方まで続いている凄い道なんだ」
「え? あんなところまで?」
結菜は驚いた。南の駅までは結構遠い距離があるのだ。来る途中に通った線路よりも一つ向こうの線路になる。
「途中で狭くなって車は通れなくなる場所があるけどな。歩行者と自転車専用の抜け道ってやつだな」
「へえ、じゃあお兄ちゃんもずっとここを通っていたんだ」
「いや、実はこの道には致命的な欠点があるんだ」
「欠点?」
やはりそう上手くはないらしい。兄はその理由を語った。
「この道は途中で小学校の前を通るんだ。すっげーじろじろ見られた。お兄ちゃんはただ近道をしたいだけなのに」
「自意識過剰じゃない? 他人なんて案外人の事なんて気にしないものよ」
ありそうなことだと思いつつ、結菜はさっきの仕返しのつもりで言ってやった。
「あの居心地の悪さは経験しないと分からないだろうな。お前なら大丈夫だろうが」
「まあ、わたしならね」
結菜は機嫌を良くしてその道を進んでいった。人通りも車も無く、ほどほどの広さの道でしばらくは快適だったが、学校の校門前を越えて、道が狭くなってきた辺りからそうも言ってられなくなった。
下校する子供が増えて道を塞ぎ、道が狭いこともあって追い越しが出来なくなったのだ。
大きな音が出るベルを鳴らして子供達を追い払うのも悪い気がして、結菜は子供集団の最後尾を見ながらペダルから地面に足を下ろした。
「この道、人多すぎじゃない?」
「今は下校時間帯だからな。今日は入学式だから帰る時間も一斉なのか。そこの細い道で曲がれ。いつもの国道に出られるぞ」
「うん」
地面を蹴って自転車を進ませ、言われた場所を曲がって自転車一台が通るのがやっとの細い道を進むと、登校する時に通った国道に出た。
「お疲れさん。後は同じ道だ」
「うん」
たいして役に立つことは教えてもらえなかった気がしたが、結菜は兄の言っていた道道の面白さは分かった気がした。
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