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1巻
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◇◇◇
思いっきり泣いて少しはスッキリしただろうか?
随分溜め込んでいたみたいだったが、今は強張っていた身体から力が抜けている。
俺の腕の中で、安心したように身体を預けている小さな子供の存在がくすぐったくて温かい。
そのまま眠ってしまいそうなユーチの頭をそっと撫で、ホッと息を吐く。
「ごめんなさい。すみません」
突然ユーチが身体を起こして謝ってきた。
顔を真っ赤にして、恥ずかしがっているのがわかり、つい笑ってしまう。
居心地が悪そうに、俺の膝の上でもじもじしているユーチをしっかり抱え直して笑顔を向ければ、ますます狼狽えたようにあわあわする様子がおかしくて、また笑えた。
「あの、本当にもう大丈夫ですから。ありがとうございました」
そう言って再び俺の腕から抜け出そうとするユーチの頭を、わしゃわしゃと撫でて誤魔化す。
もう少しこのまま閉じ込めておきたくて、気になっていたことを切り出した。
「なあ、ユーチ。これからどうするんだ? 親や知り合いを探すのか?」
俺の言葉に、ユーチはハッとしたように息を呑む。
そして、しばらく考えてから、ぽつりぽつりと自分のことを話しはじめた。
ここは知らない場所で、所持金もなく親も頼れる知り合いもいないのだと、感情を見せない大人びた表情で淡々と言葉を続けるユーチに、俺の眉間に皺が寄るのがわかった。
「……なので、これから自立して生きていくためにどうすればいいか、できたらバルトさんに相談に乗っていただきたいです。ご迷惑とは思いますが……お願いします」
俺に相談に乗って欲しいと頼むときになって、ようやく表情を崩したユーチは、申し訳なさそうに頭を下げてくる。
眉間の皺がますます深くなった気がして慌てて笑顔を作った。ユーチの頼みが嫌だったわけじゃない。むしろ頼ってくれて嬉しくさえ思う。だけど、なんでこう苛立たしく感じるんだ。
妙に大人びたユーチの表情が無性に気に障る。
腹の中のぐちゃぐちゃした感情がどうにも抑えられなくて「大丈夫だ、心配ない」と適当な言葉を口にし、不安そうなユーチの頭を撫でることで誤魔化した。
一つ大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせてから、とりあえずユーチの年齢を聞くことにする。
簡単に答えられると思われた年齢を、しばらく考えてから口にしたユーチは、なぜか疑問形で十歳だと答えた。
「なんで疑問形なんだ?」
俺が怪訝に思い尋ねると「なんとなく、そのくらいかなと……」と小さく呟くのが聞こえた。
まさか、自分の年齢もわからないとかいうのか?
どんな育ち方をしたらそうなるんだ? 俺はユーチの境遇に不安を覚えた。
俺も孤児だったから、物心つく頃にはもう親や親戚はいなかったが、自分の年齢がわからないなんてことはなかったぞ。
確かに十歳からギルドに登録できるから、仕事をするつもりならその年齢に達していないとまずいが、今のユーチはどう見ても五歳か六歳ほどにしか見えねえ。鯖を読むにしても限度があるだろ?
なんとも言えない気持ちでユーチの顔を窺うと、にっこり笑って見返してきやがった。
俺は言おうとしていた言葉を呑み込み「……まあ、いいか」と、ため息を吐く。
その後は、それ以上追及するのをやめ、ユーチに必要な情報を教えてやることにした。
◇◇◇
ギルドには十歳から登録でき、そのときに貰えるギルド証が身分証を兼ねることや、登録後はギルドの依頼を受けられるから、子供でもお金を稼ぐことが可能だということを説明した。
ユーチはそれを聞くと、鯖を読んで良かったと言わんばかりにホッとした顔をして微笑んでいる。
ついでに、身寄りのない十歳以下の子供は、教会内にある孤児院で保護してもらえることを伝えた。
ユーチも保護の対象になるので「一年だけでも、そこで世話になるか?」と尋ねたんだが、ユーチは迷うことなく断ってきた。
何やら小さい声で「今の自分に、どんな仕事ができるかわからないけれど、サラリーマン歴三十八年の大人としては、子供と一緒に保護してもらうわけにはいかないですから……」などとブツブツ呟いていたが、聞き取れないところがあって意味をなさなかった。決意を固めたような顔で頷いているから、これからの意気込みでも語っていたんだろうか。
「子供が働くことに抵抗がないところのようなので良かったです」
ニコニコしながらそう言ったユーチは、ギルドの話をしてから表情があきらかに明るくなっている。
とりあえず街へ行ってギルトに登録し、仕事を斡旋してもらうつもりのようだが、ちっこいユーチにできる仕事はそれほどないだろう。
さっきも自立する方法を聞いてきたが、まさか最初から一人で暮らすつもりでいるわけじゃないよな。
教会の孤児院に世話になるのを断ったときも、何やら考えていたようだったが……目の前に俺がいるのに、なんで頼らないんだ?
なんだか、ユーチが描く未来に俺がいないような気がして苛立った。
知らない街で誰にも頼らず、五、六歳にしか見えない子供が一人で生きていく。それが難しいことくらいわかるだろうに。
俺は自分の子供の頃のことを棚に上げ、人に頼らず生きていこうとするユーチが危なっかしくて放っておけなくなった。
「バルトさんは、これからどうしますか?」
「どうしますかって、依頼のイノシンは確保済みだから、街に戻るだけだが?」
ユーチが何を言いたいのかわからず、顔を覗き込む。
何か俺に言いたいことがあるのかソワソワと落ち着かない様子で、窺うような視線を向けてくるユーチに、ピンときた。
なんだ、やっぱり俺に頼りたいんじゃねえか。そうならそうと早く言ってくれりゃあ俺も悩まずに済んだのによ。
すっかり機嫌がよくなった俺は、考えていたことをそのまま口にした。「俺の家に来るか?」と。
「少し狭いが使ってない部屋があるから、そこをユーチの部屋にすればいいだろ? ちょっとばかし片付けが必要だが、今から帰れば十分間に合う」
「へ?」
頼みづらそうにしているから俺から提案してやったんだが、ユーチは驚いたように目を見開き、間の抜けた顔をしている。
「なんだ、不満か?」
「い、いえ、そうではなくて、私の部屋って?」
「ギルドで登録したって、住むところは自分で用意しないとだからな。ちょうど俺の家に空いた部屋があるから、そこに住めばいいだろ? 一人暮らしなんで気兼ねはいらねえし、ギルドや商店街との距離もそんなに離れてねえから便利だぞ」
俺の言いたいことはわかったようだが、ユーチは口をパクパクしながら目をまん丸にして驚いている。
「もしかして一緒に暮らすとか、そういう話ですか? ……あの、私は、街に連れていっていただけるようにお願いするつもりだったのですが……」
「なに言ってんだ? ユーチが頼まなくたって、街には一緒に行くつもりだったぞ。まさか、俺が小さな子供を森に置き去りにするとでも思っていたのか?」
「いえ、そういうわけではなく、バルトさんなら連れていっていただけるだろうとは思っていました。嬉しいです。ありがとうございます」
ユーチは礼儀正しく俺に頭を下げると、真剣な表情で訴えてきた。
「でも、一緒に住むとかあり得ないですよ。今日会ったばかりの身元不明で怪しい子供ですよ。一緒に暮らすだなんて、どんな厄介ごとに巻き込まれるかわからないじゃないですか?」
必死に俺の心配をするユーチに、俺は声を立てて笑った。
「ユーチは、俺と一緒に暮らすことが嫌ではないんだよな」
「あ、はい。……この世界での知識が乏しくお金を持っていない今の私には、泊まる場所を提供してもらえる上に、頼りになるバルトさんにそばにいてもらえるというのは、ものすごくありがたい申し出で、喜ばしいことですけれど……さっき、教会の施設で保護されるのを断り、自立して生活する覚悟を決めたばかりなのに、イノシンから助けてもらっただけじゃなく、生活面でもお世話になるというのは、申し訳ないというか……」
つらつらと言葉を続けるユーチの言いたいことは大体わかった。
「結局、俺に遠慮しているだけで、嫌がってはいないってことだよな。だったら問題ない。日が暮れるまでに街に帰るぞ」
膝に乗せていたユーチを立ち上がらせ、街へ向かうことを伝えたが、ユーチはまだ躊躇っているようだった。
はっきり返事をしないユーチにしびれを切らし、顔を覗き込んで「何か、問題あるか?」と強気な姿勢で尋ねれば、ユーチは驚いたように息を呑んで慌てて首を横に振った。
俺はニヤリと笑い、「よし!」と気合を入れて立ち上がる。
すると、ユーチにズボンの布を遠慮がちに掴まれた。
「どうした?」
まだ何か言いたいことがあるのかと身体を屈めると、ユーチは小さい声で尋ねてきた。
「本当に、このまま甘えてしまっていいのでしょうか? あまりにも自分に都合が良すぎて不安になります。私と一緒にいたら迷惑を掛けることになるかもしれないのに……」
不安そうに俺の顔を見上げるユーチに笑顔を向ける。
「問題ない」と一言告げ、ユーチを軽々と抱き上げて腕に座らせると、首に掴まるように指示を出す。
突然持ち上げられたユーチは、高くなった視界に戸惑いながらもおずおずと従った。
落とさないようにがっちり抱え直し、ユーチの頭をガシガシとちょっと乱暴に撫でる。
「迷惑じゃない。ガキなんだからもっと甘えろ」
そう言ってやれば、「バルトさんが良い人すぎて困ります」と、ユーチは小さく呟き、控え目に微笑んだ。
その後、俺の首元にピトッとくっつき「……ありがとうございます。お世話になります」と感謝の言葉を告げられると、俺は自分の顔が熱くなるのがわかった。
甘えたその仕草が可愛くて、落ち着かなくなる。
そんな気持ちを誤魔化すように、俺は街に向かって足を踏み出した。
六、魔法と常識
バルトさんは私を抱えたままなのに、疲れた様子を見せずどんどん森の中を進んでいく。
私は、のんびり景色を堪能しながら、チラチラとバルトさんを観察していた。
身長は二メートル以上あるだろうか。
鍛えられた筋肉が服を着ていてもわかるほど、逞しい。
顔は彫りが深く怖い印象を受けるのだけれど、深い緑色の瞳が光の加減で鮮やかな美しい緑色に変わることに気付いてからは、それほど怖いと思わなくなった。それどころか、ついまじまじと覗き込んでしまいそうになる。
髪の色は落ち着いたブラウンで、無造作に掻き上げただけのような髪形なのに、なぜか恰好よく見えた。
どうせ変わるなら、私もバルトさんのような立派な体格の大人にして欲しかったと、ちょっと思ったけれど、私の性格ではせっかく強靱な肉体を手に入れたとしても、役に立ちそうにないと気付く。
バルトさんのように獣に立ち向かう勇気などないし、自分の手で生き物を仕留める覚悟もない。
真っ先に逃げ道を探すだろう。
それなら、今の身体で逃げ足を鍛える方がよっぽど有意義だと、情けないけれど思ってしまった。
◇◇◇
バルトさんにとって、この森は危険な場所ではないのだろう。警戒しているようには見えない。
これなら、疑問に思っていることを尋ねても大丈夫だろうか?
多少おかしな質問をしたとしても、バルトさんなら受け入れてくれそうだし、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥!』とも言うしね。
私はバルトさんに、最も気になっていた魔法のことを尋ねることにした。
正直に全く魔法の知識がないことを打ち明けると、眉間に皺を寄せられてしまう。
「どんな環境で育てられたら、そんなことになるんだ? もしかしたら、子供でも知ってる常識すら知らなかったりするんじゃないのか?」
図星を指されドキッとした。確かにその通りなので言葉に詰まる。
この世界のことを知らないのだから、常識などわかるはずがない。
私は苦笑しながら「そうかもしれないので、そこら辺もあわせて教えていただけると助かります」と頭を下げ、バルトさんに丸投げした。
開き直ってにっこり笑う私を、バルトさんは呆れ顔で眺めてから「仕方ねえな」と呟き、口もとに笑みを浮かべて受け入れてくれた。……私は気付かれないようにホッと息を吐く。
最初に魔法の基礎である【生活魔法】のことを教えてもらった。
【生活魔法】は、簡単な計算や読み書きと同じように、生きるために必要な能力なのだそうで、早い者は五歳頃から習いはじめるらしい。
教会の施設では、魔法だけでなく勉強の方も無償で教えているようで、裕福な家庭の子供でなくても学ぶことができると聞き、ホッとした。
十歳以下の身寄りのない子供を保護してくれ、誰でも〝魔法〟や〝簡単な計算や読み書き〟を学べる環境が整っている街なら、安心して暮らしていけるかもしれない。
これから向かう〝イージトス〟という街が、なんとなく身近に感じられて嬉しくなる。
『魔法』を発動させるための力を『魔力』と言い、それは人間なら誰しも、生まれたときから一定量は備わっているのだという。
バルトさんの言うこの世界の常識は、私にも当てはまるのだろうか。
六十年間、魔力など知らない世界で生きてきたのだけれど……
不安になっている私の耳に「十歳になる頃には、簡単な【生活魔法】を一つや二つは使えるんじゃないか」と続けられた言葉に、ますます不安になる。
――子供が最初に覚える【生活魔法】は、マッチの炎のような『火』に、お猪口一杯ほどの『水』、豆電球くらいの『光』、そよ風程度の『風』を吹かすだけのようで、大して役には立たないそうだ。
実際にその【生活魔法】を見せてもらったわけではなく、バルトさんによって身振りで〝このくらい〟だと伝えられたそれを、私が勝手にイメージしたものなので〝マッチ〟や〝お猪口〟〝豆電球〟がこの世界にあるかはわからない。
ある程度【生活魔法】を使えるようになると、目に見える汚れを落とす『洗浄』という便利な魔法を覚えられるらしい。
目に見える汚れを落とせるということは、水を使わずに洗濯や掃除ができるということなのだろうか? そうだとしたら随分と便利そうだ。
魔法一つで、簡単に家事仕事を終えられるとなると、ちょっと腑に落ちない気持ちになるけれど、未知なる魔法に期待が高まる。
おまけに、その魔法を習得すれば一人前として扱われるのだと聞かされれば、私もそれを覚えたくなる。……私に魔力がなければ無理なのだけれど。
◇◇◇
「まず、魔力を感じることからだな」
バルトさんはそう言うと、私を地面に降ろし、手でみぞおち辺りを触れた。
触れられたところが、わずかだけれど温かくなってきたような気がする。
バルトさんが自分の魔力で、私の中にある魔力を刺激しているのだという。
そのまま、自分の身体に意識を向けていると、なんとなくだけれど何かがそこにあることが感じられた。
これが魔力なのかな?
確認するようにバルトさんに視線を向ければ、ニヤリと笑い「感じたか?」と聞かれた。
「多分……」と私が自信なさそうに答えると、バルトさんは「多分かあ」と納得がいかない表情で呟き、首を傾げる。
「じゃあ、今度はこっちから試してみるか」
そう言うと、バルトさんは私の背中に手を当てた。
どうするのかと不思議に思っていると、突如何かが全身に流れ出す気持ち悪さに蒼白になる。
バルトさんが何かをしたのだろうと思い彼の服を掴み、首を横に振って、止めてくれるように頼んだ。
その間、呼吸が思うようにできず釣り上げられた魚のように喘いでしまう。
私の反応に驚いたバルトさんは、すぐに背中から手を離してくれたので、時間にしたら短い間だったのだと思う。
けれど、初めての感覚に強い衝撃を受けた私は、しばらく呆然としていたらしい。
バルトさんが何か言っているのはわかったけれど、言葉として理解できなかった。
気持ちが悪い感覚がなくなり、落ち着きを取り戻した私の視界に、申し訳なさそうな顔をしたバルトさんが映る。どうやらかなり心配させてしまったようだ。
気落ちしているのは、私が予想外に激しく反応したことが原因なのだと思う。
なんでも、肩こりなんかは魔力の刺激で良くなるらしく、仲間内では気楽にする行為だったようなのだ。
「苦しい思いをさせて悪かった」と神妙な顔で謝ってきたバルトさんに、私は笑顔を向ける。
驚いたけれど、バルトさんのお陰で魔力をはっきり感じられるようになったのだ。感謝こそすれ、文句などあるはずがない。
『終わりよければすべてよし』ってことで、早く立ち直ってもらいたい。
六十歳なのに子供の姿をしているだけでも十分異質なのに、誰もが持っているという魔力を持っていないなどと言われたら、一歩も前に進めなくなるところだった。
ゼロからのスタートだけれど、ここの人たちと一緒に歩むことを許されたような気がして、気持ちが軽くなったのがわかる。
実際に魔法を使えるようになったわけではなくても、私にも魔力があることがわかり、一つの大きな懸念が消えたのに、バルトさんに暗い顔をされていたら喜びたくても喜べない。
「バルトさんのお陰で、魔力を認識できるようになりました。ありがとうございます」
私は満面の笑みを浮かべ、バルトさんに感謝の気持ちを伝える。
嘘偽りのない私の気持ちが伝わったのか、バルトさんもやっと笑顔を向けてくれた。
せっかく魔力を意識できるようになったのだから次に進みたいと言うと、バルトさんも気持ちを切り替えたのだろう。
「そうか、それならまた歩きながら説明するかな」と、私を持ち上げ、腕に座らせた。
「魔力が意識できたら、後は発現させたい魔法を頭の中で明確に思い描けるようにする必要がある。そのときに、イメージしやすい言葉も一緒に考えておくといいだろう。イメージが未熟でも、詠唱することで魔法が発動する場合もあるからな」
なるほど。
私にも魔力が備わっていることがわかったからか、バルトさんの説明をワクワクしながら聞くことができた。
けれど、バルトさんが言うイメージして詠唱というのは……実際の魔法を見たことがない私では難しい気がする。
『百聞は一見にしかず』という言葉の通り、見せてもらった方がイメージしやすいはずだ。
そう思い、バルトさんに【生活魔法】を見せて欲しいと頼むと、バルトさんはとても良い笑顔で「おお、任せとけ!」と引き受けてくれた。
私はドキドキしながら、バルトさんの行動を見守る。
バルトさんは、森の中の少し開けた場所で立ち止まると、私を抱えたままの状態でなぜか右手を突き出した。
『火』の魔法を見せてくれるという。
緊張している私と違い、バルトさんはとてもリラックスしている。
というか、ニヤニヤと締まりがない顔をしたまま、私がちゃんとバルトさんの右手を見ていることを確認すると、突然炎を噴出させた。
「っ!?」
驚いて引きつったような悲鳴を上げ、私の腕は力一杯バルトさんの首を絞めてしまう。非力な私でもいざとなれば力が発揮されるのか、「ぐぉっ」といううめき声がバルトさんの口から漏れていたけれど、それは仕方がない。自業自得だと思う。
マッチの火ほどだと勝手に思い込んでいたせいもあるけれど、詠唱のような言葉もなく、突然手の平から炎である。
驚くなという方が無理だ。
ドキドキする心臓を押さえながら驚かされたことに抗議をすれば「悪かった」と、しおらしく頭を下げて謝ってくれた。
けれど、「俺の得意は『風』だからなあ」と言って「ブウォン!」と突風を前方に打ち出し、またも私を驚かせることになったのだから、先ほどの謝罪はなんだったのかと思ってしまう。
目を見開いて息を呑む私の反応が面白かったのか、悪戯が成功した子供のように声を立てて笑うバルトさんを、私は、呆けた顔で眺めてしまった。
――私がそれまで抱いていた、落ち着きのある頼もしいバルトさんはどこへ行ってしまったのか。
しばらくして、バルトさんは私の冷ややかな視線に気付いたのだろう、焦った様子で謝罪してきた。
逞しい体格のバルトさんがオロオロする姿が、見かけを裏切っていておかしくて、つい我慢できず噴き出してしまう。
――このときから、私の中のバルトさんの印象が大きく変わったのだと思う。
その後、バルトさんが披露してくれた魔法は【生活魔法】を発展させた【攻撃魔法】だったのだと知らされた。
さすがにあの魔法を生活で使うことはないと思うから、当然そうなのだろう。
けれど、私はバルトさんに【生活魔法】を見せてくれるように頼んだはずなのだ。なのに、なんでいきなり【攻撃魔法】をぶっ放すことになるのか。ただ、私を驚かせたかっただけなのではと思ってしまう。これからの参考にするつもりだったのに、あれでは全く参考になどできないではないか。
心の中で愚痴ってしまう。
バルトさんに教えてもらおうかと思っていたものの、ちゃんと【生活魔法】を習得するためには、教会の施設、孤児院で習う方がいいかもしれないと強く感じた。
バルトさんにそのことを伝えると、頭を抱えて残念がっていたけれど、真面目に教える気があったのか怪しいので放置でいいだろう。
孤児院では、簡単な計算や読み書きも教えてくれるというので、ちょうど良かったかもしれない。
言葉が理解できても、ここの国の文字が読めるかはわからないし、簡単な計算がどのようなものか知っておくのもいいだろう。
未だに落ち込んでいるバルトさんに声を掛け、先ほどの続きを頼んだ。
張り切って魔法の説明を始めたバルトさんによると、イノシンの傷口に使った『浄化』は、【生活魔法】の『洗浄』を進化させた上位魔法らしい。
『浄化』まで進化させるのは、なかなか大変なようで、使える人は多くないのだと自慢げに付け加えられた。
目に見える汚れを落とす『洗浄』と違い、『浄化』は目に見えない身体に悪い物も取り除くことができる魔法だというのだから、当然かもしれない。
思いっきり泣いて少しはスッキリしただろうか?
随分溜め込んでいたみたいだったが、今は強張っていた身体から力が抜けている。
俺の腕の中で、安心したように身体を預けている小さな子供の存在がくすぐったくて温かい。
そのまま眠ってしまいそうなユーチの頭をそっと撫で、ホッと息を吐く。
「ごめんなさい。すみません」
突然ユーチが身体を起こして謝ってきた。
顔を真っ赤にして、恥ずかしがっているのがわかり、つい笑ってしまう。
居心地が悪そうに、俺の膝の上でもじもじしているユーチをしっかり抱え直して笑顔を向ければ、ますます狼狽えたようにあわあわする様子がおかしくて、また笑えた。
「あの、本当にもう大丈夫ですから。ありがとうございました」
そう言って再び俺の腕から抜け出そうとするユーチの頭を、わしゃわしゃと撫でて誤魔化す。
もう少しこのまま閉じ込めておきたくて、気になっていたことを切り出した。
「なあ、ユーチ。これからどうするんだ? 親や知り合いを探すのか?」
俺の言葉に、ユーチはハッとしたように息を呑む。
そして、しばらく考えてから、ぽつりぽつりと自分のことを話しはじめた。
ここは知らない場所で、所持金もなく親も頼れる知り合いもいないのだと、感情を見せない大人びた表情で淡々と言葉を続けるユーチに、俺の眉間に皺が寄るのがわかった。
「……なので、これから自立して生きていくためにどうすればいいか、できたらバルトさんに相談に乗っていただきたいです。ご迷惑とは思いますが……お願いします」
俺に相談に乗って欲しいと頼むときになって、ようやく表情を崩したユーチは、申し訳なさそうに頭を下げてくる。
眉間の皺がますます深くなった気がして慌てて笑顔を作った。ユーチの頼みが嫌だったわけじゃない。むしろ頼ってくれて嬉しくさえ思う。だけど、なんでこう苛立たしく感じるんだ。
妙に大人びたユーチの表情が無性に気に障る。
腹の中のぐちゃぐちゃした感情がどうにも抑えられなくて「大丈夫だ、心配ない」と適当な言葉を口にし、不安そうなユーチの頭を撫でることで誤魔化した。
一つ大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせてから、とりあえずユーチの年齢を聞くことにする。
簡単に答えられると思われた年齢を、しばらく考えてから口にしたユーチは、なぜか疑問形で十歳だと答えた。
「なんで疑問形なんだ?」
俺が怪訝に思い尋ねると「なんとなく、そのくらいかなと……」と小さく呟くのが聞こえた。
まさか、自分の年齢もわからないとかいうのか?
どんな育ち方をしたらそうなるんだ? 俺はユーチの境遇に不安を覚えた。
俺も孤児だったから、物心つく頃にはもう親や親戚はいなかったが、自分の年齢がわからないなんてことはなかったぞ。
確かに十歳からギルドに登録できるから、仕事をするつもりならその年齢に達していないとまずいが、今のユーチはどう見ても五歳か六歳ほどにしか見えねえ。鯖を読むにしても限度があるだろ?
なんとも言えない気持ちでユーチの顔を窺うと、にっこり笑って見返してきやがった。
俺は言おうとしていた言葉を呑み込み「……まあ、いいか」と、ため息を吐く。
その後は、それ以上追及するのをやめ、ユーチに必要な情報を教えてやることにした。
◇◇◇
ギルドには十歳から登録でき、そのときに貰えるギルド証が身分証を兼ねることや、登録後はギルドの依頼を受けられるから、子供でもお金を稼ぐことが可能だということを説明した。
ユーチはそれを聞くと、鯖を読んで良かったと言わんばかりにホッとした顔をして微笑んでいる。
ついでに、身寄りのない十歳以下の子供は、教会内にある孤児院で保護してもらえることを伝えた。
ユーチも保護の対象になるので「一年だけでも、そこで世話になるか?」と尋ねたんだが、ユーチは迷うことなく断ってきた。
何やら小さい声で「今の自分に、どんな仕事ができるかわからないけれど、サラリーマン歴三十八年の大人としては、子供と一緒に保護してもらうわけにはいかないですから……」などとブツブツ呟いていたが、聞き取れないところがあって意味をなさなかった。決意を固めたような顔で頷いているから、これからの意気込みでも語っていたんだろうか。
「子供が働くことに抵抗がないところのようなので良かったです」
ニコニコしながらそう言ったユーチは、ギルドの話をしてから表情があきらかに明るくなっている。
とりあえず街へ行ってギルトに登録し、仕事を斡旋してもらうつもりのようだが、ちっこいユーチにできる仕事はそれほどないだろう。
さっきも自立する方法を聞いてきたが、まさか最初から一人で暮らすつもりでいるわけじゃないよな。
教会の孤児院に世話になるのを断ったときも、何やら考えていたようだったが……目の前に俺がいるのに、なんで頼らないんだ?
なんだか、ユーチが描く未来に俺がいないような気がして苛立った。
知らない街で誰にも頼らず、五、六歳にしか見えない子供が一人で生きていく。それが難しいことくらいわかるだろうに。
俺は自分の子供の頃のことを棚に上げ、人に頼らず生きていこうとするユーチが危なっかしくて放っておけなくなった。
「バルトさんは、これからどうしますか?」
「どうしますかって、依頼のイノシンは確保済みだから、街に戻るだけだが?」
ユーチが何を言いたいのかわからず、顔を覗き込む。
何か俺に言いたいことがあるのかソワソワと落ち着かない様子で、窺うような視線を向けてくるユーチに、ピンときた。
なんだ、やっぱり俺に頼りたいんじゃねえか。そうならそうと早く言ってくれりゃあ俺も悩まずに済んだのによ。
すっかり機嫌がよくなった俺は、考えていたことをそのまま口にした。「俺の家に来るか?」と。
「少し狭いが使ってない部屋があるから、そこをユーチの部屋にすればいいだろ? ちょっとばかし片付けが必要だが、今から帰れば十分間に合う」
「へ?」
頼みづらそうにしているから俺から提案してやったんだが、ユーチは驚いたように目を見開き、間の抜けた顔をしている。
「なんだ、不満か?」
「い、いえ、そうではなくて、私の部屋って?」
「ギルドで登録したって、住むところは自分で用意しないとだからな。ちょうど俺の家に空いた部屋があるから、そこに住めばいいだろ? 一人暮らしなんで気兼ねはいらねえし、ギルドや商店街との距離もそんなに離れてねえから便利だぞ」
俺の言いたいことはわかったようだが、ユーチは口をパクパクしながら目をまん丸にして驚いている。
「もしかして一緒に暮らすとか、そういう話ですか? ……あの、私は、街に連れていっていただけるようにお願いするつもりだったのですが……」
「なに言ってんだ? ユーチが頼まなくたって、街には一緒に行くつもりだったぞ。まさか、俺が小さな子供を森に置き去りにするとでも思っていたのか?」
「いえ、そういうわけではなく、バルトさんなら連れていっていただけるだろうとは思っていました。嬉しいです。ありがとうございます」
ユーチは礼儀正しく俺に頭を下げると、真剣な表情で訴えてきた。
「でも、一緒に住むとかあり得ないですよ。今日会ったばかりの身元不明で怪しい子供ですよ。一緒に暮らすだなんて、どんな厄介ごとに巻き込まれるかわからないじゃないですか?」
必死に俺の心配をするユーチに、俺は声を立てて笑った。
「ユーチは、俺と一緒に暮らすことが嫌ではないんだよな」
「あ、はい。……この世界での知識が乏しくお金を持っていない今の私には、泊まる場所を提供してもらえる上に、頼りになるバルトさんにそばにいてもらえるというのは、ものすごくありがたい申し出で、喜ばしいことですけれど……さっき、教会の施設で保護されるのを断り、自立して生活する覚悟を決めたばかりなのに、イノシンから助けてもらっただけじゃなく、生活面でもお世話になるというのは、申し訳ないというか……」
つらつらと言葉を続けるユーチの言いたいことは大体わかった。
「結局、俺に遠慮しているだけで、嫌がってはいないってことだよな。だったら問題ない。日が暮れるまでに街に帰るぞ」
膝に乗せていたユーチを立ち上がらせ、街へ向かうことを伝えたが、ユーチはまだ躊躇っているようだった。
はっきり返事をしないユーチにしびれを切らし、顔を覗き込んで「何か、問題あるか?」と強気な姿勢で尋ねれば、ユーチは驚いたように息を呑んで慌てて首を横に振った。
俺はニヤリと笑い、「よし!」と気合を入れて立ち上がる。
すると、ユーチにズボンの布を遠慮がちに掴まれた。
「どうした?」
まだ何か言いたいことがあるのかと身体を屈めると、ユーチは小さい声で尋ねてきた。
「本当に、このまま甘えてしまっていいのでしょうか? あまりにも自分に都合が良すぎて不安になります。私と一緒にいたら迷惑を掛けることになるかもしれないのに……」
不安そうに俺の顔を見上げるユーチに笑顔を向ける。
「問題ない」と一言告げ、ユーチを軽々と抱き上げて腕に座らせると、首に掴まるように指示を出す。
突然持ち上げられたユーチは、高くなった視界に戸惑いながらもおずおずと従った。
落とさないようにがっちり抱え直し、ユーチの頭をガシガシとちょっと乱暴に撫でる。
「迷惑じゃない。ガキなんだからもっと甘えろ」
そう言ってやれば、「バルトさんが良い人すぎて困ります」と、ユーチは小さく呟き、控え目に微笑んだ。
その後、俺の首元にピトッとくっつき「……ありがとうございます。お世話になります」と感謝の言葉を告げられると、俺は自分の顔が熱くなるのがわかった。
甘えたその仕草が可愛くて、落ち着かなくなる。
そんな気持ちを誤魔化すように、俺は街に向かって足を踏み出した。
六、魔法と常識
バルトさんは私を抱えたままなのに、疲れた様子を見せずどんどん森の中を進んでいく。
私は、のんびり景色を堪能しながら、チラチラとバルトさんを観察していた。
身長は二メートル以上あるだろうか。
鍛えられた筋肉が服を着ていてもわかるほど、逞しい。
顔は彫りが深く怖い印象を受けるのだけれど、深い緑色の瞳が光の加減で鮮やかな美しい緑色に変わることに気付いてからは、それほど怖いと思わなくなった。それどころか、ついまじまじと覗き込んでしまいそうになる。
髪の色は落ち着いたブラウンで、無造作に掻き上げただけのような髪形なのに、なぜか恰好よく見えた。
どうせ変わるなら、私もバルトさんのような立派な体格の大人にして欲しかったと、ちょっと思ったけれど、私の性格ではせっかく強靱な肉体を手に入れたとしても、役に立ちそうにないと気付く。
バルトさんのように獣に立ち向かう勇気などないし、自分の手で生き物を仕留める覚悟もない。
真っ先に逃げ道を探すだろう。
それなら、今の身体で逃げ足を鍛える方がよっぽど有意義だと、情けないけれど思ってしまった。
◇◇◇
バルトさんにとって、この森は危険な場所ではないのだろう。警戒しているようには見えない。
これなら、疑問に思っていることを尋ねても大丈夫だろうか?
多少おかしな質問をしたとしても、バルトさんなら受け入れてくれそうだし、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥!』とも言うしね。
私はバルトさんに、最も気になっていた魔法のことを尋ねることにした。
正直に全く魔法の知識がないことを打ち明けると、眉間に皺を寄せられてしまう。
「どんな環境で育てられたら、そんなことになるんだ? もしかしたら、子供でも知ってる常識すら知らなかったりするんじゃないのか?」
図星を指されドキッとした。確かにその通りなので言葉に詰まる。
この世界のことを知らないのだから、常識などわかるはずがない。
私は苦笑しながら「そうかもしれないので、そこら辺もあわせて教えていただけると助かります」と頭を下げ、バルトさんに丸投げした。
開き直ってにっこり笑う私を、バルトさんは呆れ顔で眺めてから「仕方ねえな」と呟き、口もとに笑みを浮かべて受け入れてくれた。……私は気付かれないようにホッと息を吐く。
最初に魔法の基礎である【生活魔法】のことを教えてもらった。
【生活魔法】は、簡単な計算や読み書きと同じように、生きるために必要な能力なのだそうで、早い者は五歳頃から習いはじめるらしい。
教会の施設では、魔法だけでなく勉強の方も無償で教えているようで、裕福な家庭の子供でなくても学ぶことができると聞き、ホッとした。
十歳以下の身寄りのない子供を保護してくれ、誰でも〝魔法〟や〝簡単な計算や読み書き〟を学べる環境が整っている街なら、安心して暮らしていけるかもしれない。
これから向かう〝イージトス〟という街が、なんとなく身近に感じられて嬉しくなる。
『魔法』を発動させるための力を『魔力』と言い、それは人間なら誰しも、生まれたときから一定量は備わっているのだという。
バルトさんの言うこの世界の常識は、私にも当てはまるのだろうか。
六十年間、魔力など知らない世界で生きてきたのだけれど……
不安になっている私の耳に「十歳になる頃には、簡単な【生活魔法】を一つや二つは使えるんじゃないか」と続けられた言葉に、ますます不安になる。
――子供が最初に覚える【生活魔法】は、マッチの炎のような『火』に、お猪口一杯ほどの『水』、豆電球くらいの『光』、そよ風程度の『風』を吹かすだけのようで、大して役には立たないそうだ。
実際にその【生活魔法】を見せてもらったわけではなく、バルトさんによって身振りで〝このくらい〟だと伝えられたそれを、私が勝手にイメージしたものなので〝マッチ〟や〝お猪口〟〝豆電球〟がこの世界にあるかはわからない。
ある程度【生活魔法】を使えるようになると、目に見える汚れを落とす『洗浄』という便利な魔法を覚えられるらしい。
目に見える汚れを落とせるということは、水を使わずに洗濯や掃除ができるということなのだろうか? そうだとしたら随分と便利そうだ。
魔法一つで、簡単に家事仕事を終えられるとなると、ちょっと腑に落ちない気持ちになるけれど、未知なる魔法に期待が高まる。
おまけに、その魔法を習得すれば一人前として扱われるのだと聞かされれば、私もそれを覚えたくなる。……私に魔力がなければ無理なのだけれど。
◇◇◇
「まず、魔力を感じることからだな」
バルトさんはそう言うと、私を地面に降ろし、手でみぞおち辺りを触れた。
触れられたところが、わずかだけれど温かくなってきたような気がする。
バルトさんが自分の魔力で、私の中にある魔力を刺激しているのだという。
そのまま、自分の身体に意識を向けていると、なんとなくだけれど何かがそこにあることが感じられた。
これが魔力なのかな?
確認するようにバルトさんに視線を向ければ、ニヤリと笑い「感じたか?」と聞かれた。
「多分……」と私が自信なさそうに答えると、バルトさんは「多分かあ」と納得がいかない表情で呟き、首を傾げる。
「じゃあ、今度はこっちから試してみるか」
そう言うと、バルトさんは私の背中に手を当てた。
どうするのかと不思議に思っていると、突如何かが全身に流れ出す気持ち悪さに蒼白になる。
バルトさんが何かをしたのだろうと思い彼の服を掴み、首を横に振って、止めてくれるように頼んだ。
その間、呼吸が思うようにできず釣り上げられた魚のように喘いでしまう。
私の反応に驚いたバルトさんは、すぐに背中から手を離してくれたので、時間にしたら短い間だったのだと思う。
けれど、初めての感覚に強い衝撃を受けた私は、しばらく呆然としていたらしい。
バルトさんが何か言っているのはわかったけれど、言葉として理解できなかった。
気持ちが悪い感覚がなくなり、落ち着きを取り戻した私の視界に、申し訳なさそうな顔をしたバルトさんが映る。どうやらかなり心配させてしまったようだ。
気落ちしているのは、私が予想外に激しく反応したことが原因なのだと思う。
なんでも、肩こりなんかは魔力の刺激で良くなるらしく、仲間内では気楽にする行為だったようなのだ。
「苦しい思いをさせて悪かった」と神妙な顔で謝ってきたバルトさんに、私は笑顔を向ける。
驚いたけれど、バルトさんのお陰で魔力をはっきり感じられるようになったのだ。感謝こそすれ、文句などあるはずがない。
『終わりよければすべてよし』ってことで、早く立ち直ってもらいたい。
六十歳なのに子供の姿をしているだけでも十分異質なのに、誰もが持っているという魔力を持っていないなどと言われたら、一歩も前に進めなくなるところだった。
ゼロからのスタートだけれど、ここの人たちと一緒に歩むことを許されたような気がして、気持ちが軽くなったのがわかる。
実際に魔法を使えるようになったわけではなくても、私にも魔力があることがわかり、一つの大きな懸念が消えたのに、バルトさんに暗い顔をされていたら喜びたくても喜べない。
「バルトさんのお陰で、魔力を認識できるようになりました。ありがとうございます」
私は満面の笑みを浮かべ、バルトさんに感謝の気持ちを伝える。
嘘偽りのない私の気持ちが伝わったのか、バルトさんもやっと笑顔を向けてくれた。
せっかく魔力を意識できるようになったのだから次に進みたいと言うと、バルトさんも気持ちを切り替えたのだろう。
「そうか、それならまた歩きながら説明するかな」と、私を持ち上げ、腕に座らせた。
「魔力が意識できたら、後は発現させたい魔法を頭の中で明確に思い描けるようにする必要がある。そのときに、イメージしやすい言葉も一緒に考えておくといいだろう。イメージが未熟でも、詠唱することで魔法が発動する場合もあるからな」
なるほど。
私にも魔力が備わっていることがわかったからか、バルトさんの説明をワクワクしながら聞くことができた。
けれど、バルトさんが言うイメージして詠唱というのは……実際の魔法を見たことがない私では難しい気がする。
『百聞は一見にしかず』という言葉の通り、見せてもらった方がイメージしやすいはずだ。
そう思い、バルトさんに【生活魔法】を見せて欲しいと頼むと、バルトさんはとても良い笑顔で「おお、任せとけ!」と引き受けてくれた。
私はドキドキしながら、バルトさんの行動を見守る。
バルトさんは、森の中の少し開けた場所で立ち止まると、私を抱えたままの状態でなぜか右手を突き出した。
『火』の魔法を見せてくれるという。
緊張している私と違い、バルトさんはとてもリラックスしている。
というか、ニヤニヤと締まりがない顔をしたまま、私がちゃんとバルトさんの右手を見ていることを確認すると、突然炎を噴出させた。
「っ!?」
驚いて引きつったような悲鳴を上げ、私の腕は力一杯バルトさんの首を絞めてしまう。非力な私でもいざとなれば力が発揮されるのか、「ぐぉっ」といううめき声がバルトさんの口から漏れていたけれど、それは仕方がない。自業自得だと思う。
マッチの火ほどだと勝手に思い込んでいたせいもあるけれど、詠唱のような言葉もなく、突然手の平から炎である。
驚くなという方が無理だ。
ドキドキする心臓を押さえながら驚かされたことに抗議をすれば「悪かった」と、しおらしく頭を下げて謝ってくれた。
けれど、「俺の得意は『風』だからなあ」と言って「ブウォン!」と突風を前方に打ち出し、またも私を驚かせることになったのだから、先ほどの謝罪はなんだったのかと思ってしまう。
目を見開いて息を呑む私の反応が面白かったのか、悪戯が成功した子供のように声を立てて笑うバルトさんを、私は、呆けた顔で眺めてしまった。
――私がそれまで抱いていた、落ち着きのある頼もしいバルトさんはどこへ行ってしまったのか。
しばらくして、バルトさんは私の冷ややかな視線に気付いたのだろう、焦った様子で謝罪してきた。
逞しい体格のバルトさんがオロオロする姿が、見かけを裏切っていておかしくて、つい我慢できず噴き出してしまう。
――このときから、私の中のバルトさんの印象が大きく変わったのだと思う。
その後、バルトさんが披露してくれた魔法は【生活魔法】を発展させた【攻撃魔法】だったのだと知らされた。
さすがにあの魔法を生活で使うことはないと思うから、当然そうなのだろう。
けれど、私はバルトさんに【生活魔法】を見せてくれるように頼んだはずなのだ。なのに、なんでいきなり【攻撃魔法】をぶっ放すことになるのか。ただ、私を驚かせたかっただけなのではと思ってしまう。これからの参考にするつもりだったのに、あれでは全く参考になどできないではないか。
心の中で愚痴ってしまう。
バルトさんに教えてもらおうかと思っていたものの、ちゃんと【生活魔法】を習得するためには、教会の施設、孤児院で習う方がいいかもしれないと強く感じた。
バルトさんにそのことを伝えると、頭を抱えて残念がっていたけれど、真面目に教える気があったのか怪しいので放置でいいだろう。
孤児院では、簡単な計算や読み書きも教えてくれるというので、ちょうど良かったかもしれない。
言葉が理解できても、ここの国の文字が読めるかはわからないし、簡単な計算がどのようなものか知っておくのもいいだろう。
未だに落ち込んでいるバルトさんに声を掛け、先ほどの続きを頼んだ。
張り切って魔法の説明を始めたバルトさんによると、イノシンの傷口に使った『浄化』は、【生活魔法】の『洗浄』を進化させた上位魔法らしい。
『浄化』まで進化させるのは、なかなか大変なようで、使える人は多くないのだと自慢げに付け加えられた。
目に見える汚れを落とす『洗浄』と違い、『浄化』は目に見えない身体に悪い物も取り除くことができる魔法だというのだから、当然かもしれない。
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