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第六話

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 次の日、宇土は悩んでいた。
 飾り彫りの職人として頑張ろうと決意している。しかし、具体的にどうしたらよいか分からなかった。相変わらず、怒鳴られ、馬鹿無いされながら昼九つ12時になると、甚六からいつものように声をかけられた。

「おい、宇土、道具片付けておけよ」
「はい。あっ、棟梁」
「なんでえ?」

 切りのいいところまで仕事をして、昼飯を食べに行こうとする甚六を呼び止めた。宇土には相談できる人間と言えば、棟梁である甚六しか思い浮かばなかった。
 しかし、飾り彫り一本でやっていきたいと言うと、怒鳴られるのではないかと思うと、思わず二の足を踏んでしまう。

「用事はなんでえ、こっちとら腹が減ってるんだ。早く言いな」
「あ、あのですね……」
「さっさと言わねえなら、飯食いに行っちまうぞ!」
「ぼく、飾り彫り職人になりたいんです」
「飾り彫りだぁ?」

 腹が減っていらいらしている甚六の顔は、宇土の予想通り険しい顔になっていった。
 飾り彫りは一人前の大工の内、腕に自信がある者が行うことが普通である。それを宇土が行いたいと言ったのだから、甚六が怪訝な顔をするのも当たり前だった。

「もう昼だってんのに、寝ぼけてるのか? まあ、どっちにしろ飯が先だ」

 そう言って、甚六は宇土の必死な相談をにべもなく聞き流すと、昼飯を食いに行こうとする。
 その背中を捕まえるように、宇土は必死で言葉を投げかけた。

「ぼくは本気なんです」
「しつけえな。こっちとら、腹が減っていらいらしてるんだ。これ以上言うと、木槌で頭をかち割るぞ」

 宇土の言葉に空かした腹を立てた甚六に、老人が声をかけた。

「棟梁、腹を空かしてるんですか? ちょうど良かった。饂飩は如何ですか?」
「なんでぇ、あんたは?」
「俵さん、なんでここに?」

 担ぎ屋台で現れたのは、昨日、宇土に生きる方向を示してくれた俵だった。
 二つの台を棒で繋ぎ担いで移動出来る担ぎ屋台には、丼や饂飩麺、つけ汁などが用意されていた。

「門外漢の儂がお前さんに偉そうな事を言った手前、師匠に筋を通しておいた方がいいかと思ってな」
「俵さん……」
「じゃあ、何かい、あんたがこの宇土に、飾り彫りをやれなんてそそのかしたのは」
「まあ、その話は饂飩でも食べながら話しませんかね。他の皆さんの分も用意させて貰いましたから」

 そう言うと俵は有無を言わせず、甚六に饂飩を渡す。
 それを見た他の大工も次々と、俵から饂飩を渡された。
 甚六はつやつやとした饂飩を、勢いよく腹に収めていく。

「こんなに美味い饂飩を食わして貰ったんだ。話を聞かなきゃ、江戸っ子が廃るな。それで、宇土、なんで急に飾り彫りをやりたいって言い始めたんだ?」

 腹が満たされた甚六は、腰を据えてキセルに火をつけながら尋ねた。
 宇土はたどたどしいながらも、大工になりたての頃から飾り彫りに興味があった事。昨日、俵に言われてその道を究めようと心に決めた事をたどたどしく、要領を得ないながらも、自分の言葉で甚六に伝えた。
 それをじっと聞いていた甚六は、三回目の葉っぱに火をつける。

「話は分かった。だが、俺は反対だ。普通の仕事が出来るのようになるのに人一倍かかるおめえが、飾り彫りなんぞやってたら、一人前になる前にお迎えが来ちまうぞ」
「へえ、しかし……」
「おめえも早く一人前になって、田舎のおっかあを安心させたいだろう」
「そりゃ……そうです」
「じゃあ、この話はこれで終わりだ。仕事に戻れ」
「……」

 宇土は黙ってしまった。自分が要領が良ければ、いや、普通の人であればこんな事は言われなかっただろう。それに、棟梁にもっと上手く気持ちを伝えられたのかもしれない。しかし、宇土には甚六の言葉に反論が出来なかった。
 宇土は――。

「棟梁、江戸っ子だね」
「なんでえ、俵さん。俺は曾じいさんの前からずっと江戸っ子でぇ。それが何か?」
「いやね。江戸っ子は気が短いって聞いてたんだが、本当なんだな。儂は京生まれなもんで、歴史も気も長いんでね。宇土がたかだか五年や十年、他の人間から遅れたからってどうだって、思うんですが、棟梁はそんなに待てないのは、江戸っ子だからなんですかねぇ」
「まあな、江戸っ子は気が短いんでね」
「ああ、やっぱり、だから江戸の町っていうのは、薄っぺらいというか、腰の据えた職人が少ねえんですな」
「何を! 饂飩屋風情が、俺達大工の何が分かるって言うんだ! あんたはなんでか、宇土の肩を持っているようだが、こいつに何の才能があるって言うんだ!?」

 甚六は怒りにまかせて、カンッと煙草の葉を落とした。甚六だけでなく話を聞いていた、他の大工も俵に詰め寄る。しかし、俵は落ち着いた様子で言葉を続けた。

「そうだな、儂はただの饂飩屋だ。宇土に飾り彫りの才能があるかどうかなんて分かりゃしねえ」
「だったら……」
「でもな、短い付き合いだが、儂はこいつの才能を一個だけ信じているんだよ」
「こいつの才能? そいつはなんでぇ」

 甚六は聞き直した。そして宇土の兄弟子達も弟弟子達も、宇土の才能は何かあったかとザワついていた。それは宇土自身にも分からなかった。

「馬鹿みたいにまっすぐで素直なところだ。そして、これと決めたことを諦めずにコツコツやり続ける。あんたら、出来る出来ねえはともかく、こいつが途中で投げ出したのを見たことがあるのかい。これが才能でなくてなんて呼ぶんだい。道って言うのはまっすぐ続いているもんだろう。そこにたどり着くのには、早い遅いはあっても、歩みを止めねえ奴は、そこにたどり着くていうのが通りじゃねえのかい。棟梁さんよ」

 江戸っ子は気が短く、さっぱりとしていることが粋だというが、裏返すと飽きっぽいと言う意味でもある。
 はっきり言って、甚六は宇土が大成するとは思えない。しかし、たかだか饂飩屋にこうまで言われるのもしゃくだ。まあ、どちらにしろ、力仕事や掃除くらいしか役に立たない。だったら、その仕事の合間に飾り彫りをさせてもさほど影響はないだろう。しかし、他の弟子達の手前もある。
 そう考えた甚六は、一つの提案を出した。

「分かった。じゃあ、宇土。何でもいいから、自信がある飾り彫りを持ってきてみろ」
「流石、棟梁。話が分かるね。ところで、昨日、饂飩代の代わりに貰ったこれはどんなんだい?」

 手の平大の木片に彫られた一匹の龍。その龍は全身躍動しているのような姿で、鱗の一つ一つ丁寧に彫られていた。
 それを見た甚六は唸った。
 宇土にこんな才能があったとは。その身体の大きさと力ばかりに気が行ってしまい、宇土がこんなに器用だとは気がついていなかった。仕事ぶりは丁寧なのだが、時間がかかるのと、出来る事と出来ないことが極端なのである。だから、宇土にこんな事が出来るとは思ってもみなかったのである。
 甚六は他の弟子達にも見せると、誰もが息をのんだ。
 その姿を見て、甚六は宇土に言った。

「分かった、宇土。おめえは飾り彫りの職人になれ」
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