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第二章

月は見ている

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 催眠状態を解き、ガンドを呼ぶ。

「シャーロッド、魔法を使ってみてくれ。どんな魔法でもいいぞ」

 ガンドが見守るなか、シャーロッドは何かを言おうとして止まる。見開いた瞳から涙が溢れる。

「使えない。何かが邪魔して魔法が使えない」

 ガンドはジッと何も言わず、その様子を見ていたが、シャーロッドの手をそっと握った。

「ここから出よう。魔法が暴走しなくなったのなら、村に戻ろう」

 ガンドはシャーロッドをお姫様抱っこをする。

「ところであの魔物たちはどうにかならないのか?」
「わたしからマナの供給がなくなったので、一週間もしないうちに自然と消えてしまいます」

 シャーロッドはガンドの首に手を回したまま答える。

 あの地下へ落ちた怪物もそのうち朽ち果てるのか。

「大丈夫だったか?」

 俺はレイティアたちが待っている広場に戻ると、レイティアに声をかける。
 シリルは血を拭き取られ、新しい服に着替えさせられていた。姫鶴についた血はすでに乾いていたが、姫鶴は特に気にする様子もなかった。

「ガンド、助けられたのね。良かった。さあ、姫鶴ちゃん帰りましょう」

 姫鶴はレイティアに促されると黙って立ち上がった。シリルを抱きしめたまま。
 あれだけの戦いの後、いくらシリルが軽くても抱きかかえて運ぶのはつらいだろう。

「姫鶴、シリルは俺が運ぼう」

 そう言って差し伸べた手から無言で距離を取る。首を横に振りながら。

「……わかった。兼光、二人を乗せられるか?」
『全然大丈夫だよ。さあ、ママ、乗って!』
「姫鶴ちゃん」

 レイティアに手を取られ、ゆっくりと兼光の背中に乗る。

 そして俺たちは山を降りる。
 日が落ちようとするなか、相変わらず動物の気配のない山道を、みんな黙って歩く。来た時のような魔物の襲撃も無いどころか、出会うもの一つなく、順調に山を降りる。ドワーフの集落の入り口に到着した頃にはとっぷりと日が暮れていた。

「ガンド、村には宿はあるのか?」
「はい。行商の人もたまに訪ねて来るので、大きくはありませんがあります」
「兼光と俺は工房に泊まらせてもらうぞ。あとのみんなは宿に泊まらせてやってくれ。シリルとレイティアは同じ部屋にしてやってくれ」

 俺はガンドに十万マル渡す。

「食事も風呂もここから出してくれ。シャーロッドを送り届けてからでいいから、兼光と俺にも食事と水を持ってきてくれ」

 俺の指示に文句を言う者が二人。

「あたしもご主人様と一緒にいます」
「慣れない山登りで疲れただろう。ちゃんとした部屋で休め。これは命令だ」

 俺はソフィアの耳元で囁いた。
 それだけでソフィアは顔を赤らめて、何やら嬉しそうにしたがってくれた。

『なんで僕がおじさんと一緒なの~。ママと一緒がいい~』

 図体ばかり大きくなった子供が駄々をこねる。
 本当なら兼光も一緒がいいのだが、ドワーフを混乱させるわけにも行かない。かといって姫鶴は心身ともに限界だ。せめて風呂で体を流してゆっくりと休ませてあげたい。

「今日はシリルと二人にさせてやれ。代わりに余ったマナ石やるから」
『え~マナ石だけ? おじさんは食べちゃダメなの?』
「マナ石だけ! そのかわり、今度魔物見つけたら一番にあの球をやるから」
『本当! 約束だよ! おばちゃんたちと穴に落ちた時、黒いのいっぱいいたけど、ママに呼ばれて全部は食べられなかったんだよね~』

 そう、無邪気に話しているが、穴の底には魔物がいたのか。あの穴から出てきたとき成長してたのはそこで魔物の珠を食べていたからか。
 三人が上がって来れなかったのはそのせいなのか。しかし、三人とも無事でよかった。

「姫鶴。明日の朝、シリルの村に戻ろう。いいな」

 姫鶴はコクンと頭を下げた。

「レイティア、悪いが姫鶴を頼む」
「わかってるわ、任せて。キヨも無理しないでね」
「……ああ、大丈夫だ」

 大丈夫だ。俺は大丈夫だ。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。終わったことを考えるな。これから先、やらなければならないことだけに集中しろ。
 シリルは死んだ。俺の判断のせいなのか。ガンドの依頼を受けるべきではなかったのか? サイゾウを信用してしまったからか。サイゾウの相手をするより先に兼光を呼び戻させるべきだったのか。

 ああ、後悔の沼に陥る。
 考えるな。考えるな。沼に足を取られないように、慎重に、最善を探して選択してきたんじゃないか。

 キャラメルブラウンの髪の人懐っこい犬にような少年が姫鶴と手を繋いで楽しそうに話している。
 ああ、良かった。悪い夢か。
 さあ、明日は朝からダニエルのばあさんにどう言って、塩を売りつけようか。それこそ別の村に持っていくか?

「キヨさん」

 姫鶴と手を繋いだまま、シリルが話しかける。

「村を……僕たちの村を助けてください。お願いします」

 俺は、「わかった」と言おうとするが、なぜか声が出ない。

「姫姉ちゃんにありがとうと伝えて」

「隣にいるんだから、自分で言え」そう言おうとして、声が出ない。

 俺は目を覚ました。
 隣には兼光が丸くなって眠っている。

 ここはどこだ?

 見慣れない場所。
 色々な道具が置かれている。ハンマーやミノ、ドリルやノコギリ。
 釜や炭、冷却用のバケツに入った薄汚れた水。
 失敗先なのか、中途半端に作られた剣がそこらへんに捨てられていた。

 いつのまにか眠っていたようだ。

 ガンドの工房だと思い出すとテーブルの上に置かれた水を飲む。ぬるく、少し甘みとまろやかさを感じる。カルシウムかシリカが多く含まれているのだろう。

 最近、向こうの世界のことや知識が不意に思い出されることがある。

 兼光を起こさないように、外に出ると雲一つない空に大きな月が煌々と光っていた。
 昼間の太陽の熱を含んだ生暖かい風が吹き抜ける。
 夜の闇と太陽の光に照らされた木々の葉がざわめく。
 どこの世界も一緒だ。
 死は訪れる。
 他の命を喰らって生きる以上、喰らわれる可能性もある。
 別に他の命を喰らっているから聖人君子で生きなければいけないわけでもない。そんな馬鹿な事を考えるのは人だけだ。命を喰らって命を繋ぐ。いや、繋ぐ必要すらない。「生きる意味ってなんでしょうか?」そう聞かれることがよくあった。意味なんてない生きるという行為が生きている意味なのだから。
 わかっている。
 頭と心は別だ。理屈でわかっていても心が納得しない。
 だから母は壊れた。

 深く考えるな。思考の沼に足を取られるな。動けなくなる。

 月に背を押されて、俺は眠りについた。
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