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猫と散歩
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冬の夜、冷たい気持ちの良い風が吹く。
ビールが入ったビニール袋を片手に、コンビニを出た私の顔を夜風が撫でていく。
暖冬の影響か、ちょうどよい寒さ。
静かな暗さが、三十年も昔の、夜の散歩を思い出させる。
昔、猫を飼っていた。
春も終わりのころ、五つ上の姉が、子猫を三匹拾ってきた。どうやら捨て猫だったらしい。
両親は飼うことを反対し、姉はしぶしぶ三匹を元居たところに戻しに行った。
しかし、そのうちの一匹が、家に舞い戻ってきてしまった。
頭がよかったのか、どうやら捨てられた場所から家までの道を覚えてしまったらしい。
そうなれば、再度戻しても、また同じように戻ってくるだろう。そう思った両親はしょうがなく、飼うことを許可した。
私が小学五年生の時だった。
高校一年生だった姉が、猫の名前を「ユウ」と名付けた。
ユウと名付けられた猫は、茶色に黒の縞模様のいわゆるキジトラ系の雑種だった。
すっとした顔立ちに胸元の毛は白く、美人な顔立ちをしたメス猫だった。
私の家の一階部分の一部が駐車場で家の玄関がつながっており、シャッターを閉めれば、外から入れなくなるため、ユウは駐車場で飼うことになった。段ボールに古いタオルを敷き詰め、そこがユウの寝床となった。
首輪をつけたが、基本的に自由にさせていたため、駐車場の小さな隙間から自由に外に出かけていた。
田舎にあるわが家は、ちょうど隣が小さな林になっており、昼間は大体そこにいるような猫だった。
いま思えば、昭和のペットの飼い方だと思う。
特にペットフードを与えるわけでもなく、私たちのご飯の余り、特に魚が食卓に上ることが多かったので、魚の骨やアラの部分をあげていた。
子猫の時に一度連れられてきた家の道を覚えていたように、頭の良いユウはわが家が安全な寝床と食べ物を供給してくれる場所と理解したようだ。また、自分の名前をすぐに覚えたようで、私が名前を呼ぶとどこからともなく、「にゃー」と返事をしながら、私のそばにやってくる。
私が中学に上がり、思春期を迎えると、ユウは私の人に言えないような、両親や友人の不満を黙って聞いてくれる良き相手となっていた。
呼べば返事をして、私のそばに来てくれて、いつまでの私の隣にいてくれた。
頭の良い姉は、出来の悪い私に夜遅くまで勉強するように強制してきた。本人もそれなりに遅くまで勉強をしているのを知っていた私は、それを拒否することもできなかった。
姉が大学に進学した後も、私は両親が寝静まった夜遅くまで勉強をするようになっていた。
ある日、深夜零時も回ったころ、無性にコーラが飲みたくなってきた。
炬燵に入り、氷を入れたグラスにコーラを入れ、勉強をしながら飲む。
しかし、家にコーラが常備されているわけもなく、私が住んでいた家は田舎にあり、当時コンビニなど町内に一軒もなかった。
個人商店やスーパーもそんな遅くまで空いている店などなく、最寄りの自動販売機まで約一キロ。散歩がてら歩くと約三十分くらいで帰ってこれる。
気分転換にちょうど良い。
私は小銭をポケットに入れ、スニーカーを履き、どてらを着ていつものように私はそっと夜中の家を抜け出す。
車も通らぬ、片側一車線の田舎道。
街灯がぼんやりと道を照らしてくれるため、懐中電灯などは必要なかった。
冬の夜風がひんやりと顔を撫でる。雪の降るような地域ではないが、それでも冬の夜風は冷たい。
まるで、世界に自分しかいないような錯覚。
中学二年の思春期ど真ん中の男子にうってつけのシチュエーション。
黙って、歩き出す。
自分の足音が、小さく、そして確実に聞こえてくる。
何とも言えない、穏やかな心になる。
両親のこと、友人関係のこと、将来のこと、形にならない不満や不安を押し流してくれる真っ暗な夜の風。
空には煌々と丸い月が浮かんでいる。外に出て初めて今日が満月だと気づく。
得をした気分になる。
「にゃー」
月を見上げていた私は声を掛けられる。
すらりとした、胸の白い毛が美しい、キジトラ猫。
ユウが夜の猫集会から帰ってきたのか、前方かトコトコと私に近づきながら声をかけてくる。
私はいつものように頭を撫でてやる。
「ちょっと、ジュース買いに行ってくるから、先に家に戻ってな」
私はそう言うと自動販売機を目指して歩き始める。
ユウは家に戻るどころか、私に寄り添い、歩き始めた。私の車道側を。
もう一度、「家に戻りな」と言っても、にゃーと返事をするだけで戻る気配がない。
私はあきらめて、この小さな同行者と自動販売機までの旅をすることにした。
お互いに何かしゃべるでもなく、静かな秋の夜道を歩く。
時折、遠くで虫の音と風の声が聞こえる。
緩やかに流れる二人の夜の散歩。
その心地よい、静かな時間が破られる。
ユウが突然立ち止まり、にゃーにゃーと鳴く。
まるで、ユウが私にそれ以上行くなと言っているように。
普通の道路。
アスファルトの道路わきには家が数件立ち並び、その家と家の境界線で座り込む猫。
私が数歩前で待っていても、決してユウは私の元に来ようとはしない。
街灯に照らされてじっと私を見るユウ。
自動販売機までもう少しだ。
私は早足で自動販売機に向かい、お目当てのコーラを買って、ユウと別れた場所に戻る。
時間にして十分はたっていないだろう。
そこにはもう、ユウの姿はなかった。
満月に照らされた、涼しい暗闇で私は一人に戻った。いつものように。
ひとりの夜の散歩。
ただ、いつもの散歩に戻っただけ。
無性に孤独と不安が押し寄せてくる。
家を出たときは夜の世界に一人だけの王だったのが、今や危険な夜の世界に一人放り出された孤独な中学生になっていた。
月は雲に隠れて、影を落とす。
手に持っているコーラが、やけに冷たく感じる。
「ユウ」
気まぐれな猫がもうそこにはいないと思いながらも、期待を込めて小さな声で、呼んでみる。
「にゃー」
すぐに返事が来た。
それと同時に家と家の境界線のブロック塀の上から、しなやかで長い尻尾を振りながらユウはやってきた。
ブロック塀から、音もなく降りると、さあ帰るよっと言うように、ひと鳴きして家に向かって少し歩くと、私の方を振り返る。
つられて歩き出す私。
帰ってきた穏やかな夜道。
きゅっと引き締まった冷たい風がさらりと流れ、夜の世界は月明かりを取り戻す。
そんな夜の散歩から三年後のある日を境に、ユウはいくら呼んでも現れなくなった。
今思えば、ユウは夜に出かける私を心配してついてきたのだろう。テリトリー外に行く、私を呼び止めていたのだろう。私の保護者のつもりだったのだろうか。
コンビニ帰りの冷たい夜風が、記憶を呼び起こす。
明るい街灯りの中、私は数年ぶりに夜空を見上げる。
ああ、今日は満月だったんだな。
どこかで、猫の鳴き声が聞こえた気がした。
ビールが入ったビニール袋を片手に、コンビニを出た私の顔を夜風が撫でていく。
暖冬の影響か、ちょうどよい寒さ。
静かな暗さが、三十年も昔の、夜の散歩を思い出させる。
昔、猫を飼っていた。
春も終わりのころ、五つ上の姉が、子猫を三匹拾ってきた。どうやら捨て猫だったらしい。
両親は飼うことを反対し、姉はしぶしぶ三匹を元居たところに戻しに行った。
しかし、そのうちの一匹が、家に舞い戻ってきてしまった。
頭がよかったのか、どうやら捨てられた場所から家までの道を覚えてしまったらしい。
そうなれば、再度戻しても、また同じように戻ってくるだろう。そう思った両親はしょうがなく、飼うことを許可した。
私が小学五年生の時だった。
高校一年生だった姉が、猫の名前を「ユウ」と名付けた。
ユウと名付けられた猫は、茶色に黒の縞模様のいわゆるキジトラ系の雑種だった。
すっとした顔立ちに胸元の毛は白く、美人な顔立ちをしたメス猫だった。
私の家の一階部分の一部が駐車場で家の玄関がつながっており、シャッターを閉めれば、外から入れなくなるため、ユウは駐車場で飼うことになった。段ボールに古いタオルを敷き詰め、そこがユウの寝床となった。
首輪をつけたが、基本的に自由にさせていたため、駐車場の小さな隙間から自由に外に出かけていた。
田舎にあるわが家は、ちょうど隣が小さな林になっており、昼間は大体そこにいるような猫だった。
いま思えば、昭和のペットの飼い方だと思う。
特にペットフードを与えるわけでもなく、私たちのご飯の余り、特に魚が食卓に上ることが多かったので、魚の骨やアラの部分をあげていた。
子猫の時に一度連れられてきた家の道を覚えていたように、頭の良いユウはわが家が安全な寝床と食べ物を供給してくれる場所と理解したようだ。また、自分の名前をすぐに覚えたようで、私が名前を呼ぶとどこからともなく、「にゃー」と返事をしながら、私のそばにやってくる。
私が中学に上がり、思春期を迎えると、ユウは私の人に言えないような、両親や友人の不満を黙って聞いてくれる良き相手となっていた。
呼べば返事をして、私のそばに来てくれて、いつまでの私の隣にいてくれた。
頭の良い姉は、出来の悪い私に夜遅くまで勉強するように強制してきた。本人もそれなりに遅くまで勉強をしているのを知っていた私は、それを拒否することもできなかった。
姉が大学に進学した後も、私は両親が寝静まった夜遅くまで勉強をするようになっていた。
ある日、深夜零時も回ったころ、無性にコーラが飲みたくなってきた。
炬燵に入り、氷を入れたグラスにコーラを入れ、勉強をしながら飲む。
しかし、家にコーラが常備されているわけもなく、私が住んでいた家は田舎にあり、当時コンビニなど町内に一軒もなかった。
個人商店やスーパーもそんな遅くまで空いている店などなく、最寄りの自動販売機まで約一キロ。散歩がてら歩くと約三十分くらいで帰ってこれる。
気分転換にちょうど良い。
私は小銭をポケットに入れ、スニーカーを履き、どてらを着ていつものように私はそっと夜中の家を抜け出す。
車も通らぬ、片側一車線の田舎道。
街灯がぼんやりと道を照らしてくれるため、懐中電灯などは必要なかった。
冬の夜風がひんやりと顔を撫でる。雪の降るような地域ではないが、それでも冬の夜風は冷たい。
まるで、世界に自分しかいないような錯覚。
中学二年の思春期ど真ん中の男子にうってつけのシチュエーション。
黙って、歩き出す。
自分の足音が、小さく、そして確実に聞こえてくる。
何とも言えない、穏やかな心になる。
両親のこと、友人関係のこと、将来のこと、形にならない不満や不安を押し流してくれる真っ暗な夜の風。
空には煌々と丸い月が浮かんでいる。外に出て初めて今日が満月だと気づく。
得をした気分になる。
「にゃー」
月を見上げていた私は声を掛けられる。
すらりとした、胸の白い毛が美しい、キジトラ猫。
ユウが夜の猫集会から帰ってきたのか、前方かトコトコと私に近づきながら声をかけてくる。
私はいつものように頭を撫でてやる。
「ちょっと、ジュース買いに行ってくるから、先に家に戻ってな」
私はそう言うと自動販売機を目指して歩き始める。
ユウは家に戻るどころか、私に寄り添い、歩き始めた。私の車道側を。
もう一度、「家に戻りな」と言っても、にゃーと返事をするだけで戻る気配がない。
私はあきらめて、この小さな同行者と自動販売機までの旅をすることにした。
お互いに何かしゃべるでもなく、静かな秋の夜道を歩く。
時折、遠くで虫の音と風の声が聞こえる。
緩やかに流れる二人の夜の散歩。
その心地よい、静かな時間が破られる。
ユウが突然立ち止まり、にゃーにゃーと鳴く。
まるで、ユウが私にそれ以上行くなと言っているように。
普通の道路。
アスファルトの道路わきには家が数件立ち並び、その家と家の境界線で座り込む猫。
私が数歩前で待っていても、決してユウは私の元に来ようとはしない。
街灯に照らされてじっと私を見るユウ。
自動販売機までもう少しだ。
私は早足で自動販売機に向かい、お目当てのコーラを買って、ユウと別れた場所に戻る。
時間にして十分はたっていないだろう。
そこにはもう、ユウの姿はなかった。
満月に照らされた、涼しい暗闇で私は一人に戻った。いつものように。
ひとりの夜の散歩。
ただ、いつもの散歩に戻っただけ。
無性に孤独と不安が押し寄せてくる。
家を出たときは夜の世界に一人だけの王だったのが、今や危険な夜の世界に一人放り出された孤独な中学生になっていた。
月は雲に隠れて、影を落とす。
手に持っているコーラが、やけに冷たく感じる。
「ユウ」
気まぐれな猫がもうそこにはいないと思いながらも、期待を込めて小さな声で、呼んでみる。
「にゃー」
すぐに返事が来た。
それと同時に家と家の境界線のブロック塀の上から、しなやかで長い尻尾を振りながらユウはやってきた。
ブロック塀から、音もなく降りると、さあ帰るよっと言うように、ひと鳴きして家に向かって少し歩くと、私の方を振り返る。
つられて歩き出す私。
帰ってきた穏やかな夜道。
きゅっと引き締まった冷たい風がさらりと流れ、夜の世界は月明かりを取り戻す。
そんな夜の散歩から三年後のある日を境に、ユウはいくら呼んでも現れなくなった。
今思えば、ユウは夜に出かける私を心配してついてきたのだろう。テリトリー外に行く、私を呼び止めていたのだろう。私の保護者のつもりだったのだろうか。
コンビニ帰りの冷たい夜風が、記憶を呼び起こす。
明るい街灯りの中、私は数年ぶりに夜空を見上げる。
ああ、今日は満月だったんだな。
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