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2章

14.べモスと家族

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 埃を被った窓から差し込む月光が足元を照らす。
 徐々に暗闇に慣れてきた僕の瞳はその惨状を丁寧に映し出す。

 床に転がる酒瓶から生まれたガラスが僕の存在を辺りに知らしめる。
 食べかすがついた食器が食卓に放置され、汚れた皿たちが流し台に積み上げられている。おそらく購入したときから幾年も経っているのに数えるほどしか洗われていないであろう衣類は薄汚れ、凶悪な異臭を発していて、思わず僕は呻吟しんぎんしてしまう。

 僕はローズルの家に訪れていた。曲がりなりにも上位の守護者が住むような場所ではないし、この様子だと数日どころか数週間この家には帰ってきていないのだろう。

 アリアとの仲直りを果たした晩、ローズルから譲り受けたあの紙片。
 僕を未知の世界へといざなったあの紙片について聞きたかったのだが、いないならしょうがない。

 ローズルの家を出て、空気の美味しさを噛み締める僕は、澄んだ青空を見上げ、ここにくるまでの衝撃的な出来事を想起し直していた。


 商人たちが最後の踏ん張りとばかりに声を荒らげる、夕闇に包まれ、茜色に染まる迷宮ダンジョン都市エデンの東地区ヤマト区画、その一角に僕は訪れていた。
 ベヒモスの出現場所と言われているクラスメイト、べモスの自宅だ。
 事情を伺いたかったのもあるが、何よりも謝りたかったのだ。
 聞けば、ベヒモスが消えたのとほぼ同時刻に殺されたと思われていたべモスと1人の娼婦はここべモスの家の庭に意識がない状態で現れたらしい。
 目を覚ました本人らは当時のことはほとんど覚えていないらしく、娼婦に関しては何故自分がここにいるのかすら分からなかったそうだ。

 緊張を滲ませたまま、年季の入った木製の引き戸を数度ノックする。
 数秒ののち、はぁーい、という可憐な声とともに現れたのは巨人かと見間違うほどの3Mメルにも及ぶ巨躯を誇るはかま姿の武人だった。
 長い黒髪を後ろで一つに縛り上げ、緩い服の上からでも分かるほど隆起した筋肉は逞しい。
 その出で立ちはべモスをそのまま大人にしたかのようだった。

 さっきの声はもしかしてこの人が……!?

 小からず衝撃を受け、固まる僕のから先ほどと同じく可憐な声が響く。
 驚きに咄嗟に距離を取りながら、声の主を確認すると、子どもと間違えそうな、いや見た目だけで言えば、教会の子たちと然程さほど差は見受けられない、そんな幼女と読んで然るべき少女がそこにはいた。

「あらあら、どうしたの?そんなに驚いて」

 うふふ~、と微笑む彼女に一瞬引き込まれそうになるが、なんとか踏みとどまる。
 僕の本能が告げていた。
──この女は危険だ、と。

「いえ、なんでもありません。ところでべモス君はご在宅でしょうか?」

 僕の言葉に目を細める2の武人に冷や汗をかくが、ここまできたのだ。今さら引き返せない。それにこの女性の前で背中を見せることは僕にはどうしてもできなかった。

「べーちゃんは庭で剣を振っているわ。けど、ベーちゃんに殺意を向けた殿方が一体何の用だと言うのかしらぁ~?」

 べモスに対する呼び名は非常に気になるところではあるが、今は頭の片隅に置いておく。
 艶やかな黒髪をツインテールにし、黄色を基調とした色鮮やかな牡丹ぼたんが散りばめられた美しい着物を纏う女性が放つ殺気でそれどころではないのだ。

「謝罪にきました」

 一声。
 それで十分だった。
 この場合求められているのは謝罪の言葉でも、詫びの品でもない。誠意だ。
 ならば余計な言葉は不要。
 声で語らず心で語る。

 その意はちゃんと向こうにも伝わったのか辺りを包んでいた剣呑けんのんな雰囲気はまるで潮が引くように消えていく。
 そして完全にのどかな日常の一コマと化した僕の目の前にはただ可憐なだけの少女がいた。

「なーんだ、案外いい子じゃないの。……ちょっとでも納得できなかったら私の玩具にしていたんだけど、良かったわねボ・ウ・ヤ」

 いや、違う。前言撤回だ。この女性は可憐な少女などではない。悪辣あくらつな悪魔だ!
 
 そう言って背伸びしながら僕の胸を指でツン、とする姿は非常に愛らしいものがあるが、本性をさらけ出したいま、僕はこの少女がただただ恐ろしかった。

「じゃあ、庭まで案内するわね」

 月光に彩られ鮮やかな着物をなびかせながら後ろに巨躯の男を連れて家の奥に姿を消す少女の姿はさながら噂に聞く極東のヒミコを想像させた。



「ベーちゃん、お友達よー」

 剣を振っていたべモスは突然のことに剣を落としてしまう。地についた重厚な大剣は僅かばかり大地に沈み込み、少量の砂煙を発生させる。

っ!人前でその呼び方はやめて欲しいとなん……ど……も、……なぜお前がここにいるオズ・ルルファッ!」

 僕の姿をとらえた瞬間、激昂げっこうするべモス。

「こらっ!ベーちゃん、せっかく来てくれたお友達になんて口をきくの!私はそんな風に育てた覚えはありません!」

「い、いや、しかし、こいつは──」

「しかしもうましもありませんっ!ほら、ちゃんと謝りなさい!」

 二の句も紡がせず、まくし立てる母親に逆らうのとは無駄だと悟り、べモスは頭を下げ、謝罪の意を述べる。その顔は屈辱と羞恥に歪んでいた。

 そして、いつの間にか謝罪を受けていた僕はというと、色々なことがありすぎて混乱していた。

 着物の少女が母親で……?謝りにきた僕が何故か謝られていて……?

 ごちゃ混ぜになっていく思考の中、絞り出すように僕は言う。

「えっと、つまり、あなたはべモス君の妹──」

「ん?」

「──ではなく、お母様ということですねッ!」

 そう早口でまくし立てた僕は有無を言わさぬ迫力と共にこの日1番の殺気に襲われた。
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