紺碧の精霊使い

たたたかし

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1章-追放冒険者

6.波紋

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 スイはハレイと名乗る小さな少女に自分のぼんやりとした記憶を思い出させるように質問していった。

 質問をするたびに絡まっていた糸が解けるように記憶が鮮明に思い出して行く。

 御者を騙っていた盗賊ゼストと闘い、負けた…

 そして…発狂。

「俺は死ぬのが怖かったのか…」

 スイの記憶に思い起こされるのは闘いに負けて引きずられている時のこと。

 何もかもが無くなって、生を諦めた瞬間の出来事。

 その時に迫られた、生と死の究極の選択にスイがとった行動は発狂だった。

 生を諦めたはずのスイは死を選ぶことができなかった。

 刻一刻と死が訪れるその直前。
 コポリと溢れ出す悪魔的な生への渇望がスイの身体を満たし瞬時に膨れ上がり爆発。

 その渇望が自らの思考と理性の蓋を打ち破る。そして発狂へと至る。

 スイ自身も生をそこまで望むとは思ってもいなかった。

 ただ、スイすらも知り得ないほど深くに存在する心の奥底では滾らんばかりの生への渇望があったのだ。
 
 スイはその時の事を思い出す。

 発狂して訳が分からなくなった時、力が溢れるのを感じた。
 人を超越した凄まじい力が体中から湧き出していたのだ。

 ただその力はスイのものではない。ハレイの魔法によるものだ。

 このハレイという少女はどうやら精霊という存在らしいのだ。

 精霊というのは万物に宿る魂が霊魂となり意思を宿し、力を得た存在のこと…らしい。

 ハレイ曰く、精霊になり得る魂は万物に宿るが精霊という存在は少ない…らしい。

 らしいというのも、その辺の知識はスイには無かった。
 ないと言っても記憶の何処かにあるのかもしれないのだが、記憶を失ってなお、残る知識の中には存在しなかった。

 兎にも角にも、人間では理解し得ないハレイという超常的存在の精霊がスイに手を貸してくれたおかげで盗賊を退けたという話だ。

 つまりそういう事…らしい。

 目まぐるしく増える知らない情報のオンパレードでスイの頭は言葉の意味を理解せずそのまま飲み込んだ。

 あれもこれも全て精霊の奇跡なのだ。
 でなければ説明がつかない事がいくつもあった。

 ゼストとの闘いで、異常な耐久を見せた事も、止まった呼吸が動いた事も、傷だらけだった体の治癒も説明がつかない事だ。

 ギルファスのパーティにもリアナという回復魔法を使う魔法使いがいたが、回復魔法は傷跡は残るし、止まった呼吸を、つまり一度死んだ人間を蘇らせることは不可能だった。
 そもそもそんな魔法はこの六年、聞いた事がない。

 つまり精霊とはそういう存在なのだろう。

 よくわからないままだが、ハレイのおかげで助かったことは納得した。

 スイは話を聞き終えたところで、次の疑問が浮かんだ。

(ハレイは偶然俺の元に居合わせたのか?そんな偶然があるのか?)

 否、ハレイは少なくとも盗賊と出会う以前から俺の近くにいた。

 ハレイは俺が話をかける前から俺の名前を知っていた。
 とするならば…
 
「ハレイ…君はいつから俺の近くにいたんだ?」

 そう聞くとハレイはピクリと体を震わせた。
 顔にしがみつく力が少し強くなる。

『スイが…知らない頃から…』

 その言葉を聞いたスイはしばらくの間、思考する。

 単純に考えるとスイが知らない頃とはハレイの事を知る前の頃からって事になる。だがそれでは質問の答えになっていない。
 だがスイにはハレイのその言葉は質問の答えになりえた。

 スイには自分自身ですら知らない頃があるから。

 つまりその言葉が指し示す意味はスイが記憶喪失になる前という事になる。

 すると瞬時に二つの疑問が浮かんだ。

(俺の無くなった記憶を知っているのか)

(どうして今更になって助けたのか)

 しかし、スイはその疑問を聞くことは無かった。

 ハレイの体は震えていた。
 ハレイが今どんな表情をしているのかは、わからない。でも何か自分を思い詰めるように、苦しむように震えていた。

 そして何より、この二つな疑問を聞いてはいけないような気がした。

 理性だとか思考だとかそう言った物事ではない。
 心が。本能が何か知るのを拒ばんでいた。

 ポチャリ

 洞穴にある大きな水面みなもに雫が落ちた。
 雫が落ちると水面みなもは揺れて波紋の円となり広がって行く。

 ヒュルリ

 洞穴に鬱蒼と生い茂る森から風が吹いた。
 風が吹くと水面みなもの波紋は円を崩し、風に呑み込まれていった。

 数秒の沈黙の後にスイは顔にしがみつき震えるハレイに一言だけ呟いた。

「そっか」

 気にならないわけではない。ただ、知ろうとは思わなかった。


 スイは気持ちを切り替えてこれからどうするかを考える事にした。

 顔にへばりついていたハレイも震えが治り落ち着いたのか、ようやく顔から離れてくれた。

(俺の顔がなんか濡れてる気がするが気にしないでおこう)

 ハレイは顔から離れてふわふわと浮かぶ。

 と思ったが、スイの顔を見るなりまだ満足いかないのかスイの枝のように細い腕に巻き付いた。

 どうしてこれほどまで懐かれているのだろうか。

 ハレイにとってスイは記憶がなくなる前から見知った存在なのかもしれないが、スイから言わせればつい先ほど出会った初対面の謎生物なのだ。

(別に嫌ではない。寧ろ妙に肌になじんでいる気さえする)

 スイはそんな事を腕に自分の体を無言で擦り付けるハレイを見ながら考えた。

(さて、これからどうするか)

 すでにスイにはやりたい事が二つできていた。

 一つはこの開いた眼であらゆる景色を見る事。

 もう一つは強くなる事だ。

 前者は願望。
 暗闇しか知らぬ自分の望み。色と物で溢れかえる世界の景色を眺めたいという夢。

 後者は野望。
 誰もが見捨てる事も出来ないほど強くならなければいけないという義務。弱いものは淘汰されるという現実。

 外に出る。そして強くなるのだ。

 まずは…

「やられたらやり返す」

 まずは盗賊どもを葬る。

(そして今となっては意味が反対に変わるがルマリアの顔を拝むとしよう)

 しかしなんだろうか、今までの自分ならばこんな事を考えたのだろうか。
 やはり何かうまく言えないが、自身に違和感のない違和感を感じる。

 目覚める前のスイとここで目覚めた後のスイの違い。
 スイ自身も何かを感じてはいるが、やはり気づく事が出来なかった。

 スイは気づかない。いままでの自分という存在が違和感であったことに。違和感が無くなった違和感に気づけない。

 スイは盗賊たちを倒す事を決めたが、それは今すぐにではない。

 今行けば間違いなく瞬殺だろう。
 こんな細い腕や足では鍬を持った農夫にすら殺されるだろう。

 食べ物と強くなる環境が必要だ。

(今は眼が見えている。人里に降りて飯と住む場所を手に入れるか?いや、それじゃあ仕事に時間が割かれて強くなれない)

 しばし思考し、腕にしがみつく少女をみやる。

 そこでスイは思い至る。

(俺が人里に降りるならばハレイはどうするのだろうか)

 ついて行くのだろうか。
 スイは少女が自分の顔に張り付きながらも街を歩く自分の姿を思い浮かべて、震え上がりその光景を振り払うように頭を全速力で振る。

「ハレイ?」

 ハレイのしがみつく腕を自分の顔まで持ち上げて引きつった笑みをハレイに浮かべる。
 心なしか声も裏返ってしまった。

『ん?』

 ハレイはしがみついて、スイの腕に擦り付けていた顔を上げて小さなキラキラとした紫水晶アメジストのような瞳でこちらを見る。
 
「ハレイは俺が街に出たいって言ったらどうするんだ?」

『…ハレイは許されるなら…ずっとスイのそばにいたい…』

「…許される?」

 ハレイの言葉の意味を測りかねているとハレイはしがみつく力を強めて悲しそうな顔をした。

『ハレイ、魔法使えるよ?だから側にいるとね、魔法も教えてあげられるよ?あとね、スイを空に飛ばす事もできるよ?あとね、ーー』

 突然、ハレイは必死にスイに自分を売り込むように自分ができる事をスイにアピールしていく。

 ハレイの言葉からは何か焦りのようなものを感じる。

「ハレイ?」

 困惑気味に名を呼ぶも、逆に焦るように口の周りが早くなる。

『あ、あとね!物凄く早く走れるよ!ーー』

 アピールしているのだ。
 捨てられたくない。側に居たいと。

 スイはその姿を呆然と眺めながら、いつかの誰かと重ねていた。

(その時の彼はこれほどまでに必死だっただろうか。
 涙の代わりに鼻水を垂れ流しながらただ跪いていた彼はこんな眼が出来ていたのだろうか。
 勿論、眼は閉じていたのでわからないが、眼が開いていてもきっとこんな眼はしていなかっただろう。
 見れば見る程まるで違うではないか)

「ははっ」

『…!?うぅ、あどねびがるまぼうが…うぅぅ…うわぁぁぁあああん!!』

 重ねていたことがバカらしくなり思わず笑みを浮かべてしまい、その笑みを見たハレイは泣いてしまった。泣いた姿を見たスイは今度は慌てて撫でるように慰めた。

「大丈夫!側にいるから!な?」

『うわぁぁぁあああん!!!』

 しばらく時間が過ぎて、ハレイは落ち着きを取り戻す。

『ずっと側に居ていい?』

「うん。いいよ」

『本当に?』

「うん」

『嘘じゃない?』

「嘘じゃない」

『…ごめんなさい。ありがとう』

 二つの言葉を言い残して、ハレイは泣き疲れたのか腕に巻きついたまま眠りだす。

 その姿をみて、スイも気を失う。

 頭と目から入る情報で頭の痛みも限界を越していたのだ。

 洞穴にポカリと空いた穴から月明かりが差していた。

 チャプン

 洞穴に静寂が訪れた時、小石が落ちた。
 小石が落ちると水面みなもに静かに力強い波紋の円を作った。
 その波紋の円はやがて大きく広がって大きな水面みなもの全てを満たした。
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