上 下
56 / 143
第7話:海から来るもの

Bパート(2)

しおりを挟む

 火星革命戦線が独立戦争を始め、首都攻略部隊が壊滅してから一月が過ぎていた。
 ガオガオの襲撃以後、革命軍の動きは沈静化していた。しかしそれは軍事的な面であり、火星各都市を巡る政治的な戦争は海面下で激しく行われていた。

 そんな時、首都の北部にあるヘリオス港で、大きな問題が発生していた。

 ヘリオス港に入港したロボット操船のタンカーを見上げ、二人の男性がため息をついていた。
 一人はヘリオス港長であり、もう一人はタンカーの船主であるマーズ海運会社の社員であった。マーズ海運会社は、火星の海運業で最大手の企業である。

 大異変の後の火星は、豊富な水を抱えた、地球を超える水の星となっていた。火星の各都市は海と運河で繋がっており、ロボット船による水上輸送が盛んになるのは当然であった。

このところの騒ぎ独立運動で、すっかり忘れていたが、あいつら・・・・が現れる時期になったのか」

「そういえば、そろそろ繁殖期でしたね~」

 二人の目の前にある、入港したタンカーは、何物かに襲われたのか、ぼろぼろの状態であった。

「いつもなら、連邦軍にタンカーの航路を確保してもらうんだが…」

「連邦軍、そんな暇ないでしょうね~」

「この前大きく負けて兵隊が足りないし、革命軍に備えなきゃいけないからな」

「仕方ありませんね~。繁殖期が終わるまで、タンカーの航路は陸寄りに変更せざるを得ませんわ。そうなると燃料バッテリー代がかさむ事になるので、運送料が跳ね上がるでしょうね~」

 マーズ海運会社の社員は、他人事のように言うが、

「そうなると、各都市との流通に混乱が生じるぞ。陸路はあちこちで革命軍に抑えられているし、海路がヘリオスの命綱なのだ。このままじゃヘリオスは干上がってしまう」

 ヘリオス港長の方は、それを聞いて大慌てである。何しろ海運にヘリオスの命運がかかっているのだ、そう抗議の声を上げるが、

「しかたありませんよ。我が社としてもタンカーを失う訳にはいきませんから」

 マーズ海運会社の社員は、そんな事を言われてもと、知らん顔を決め込む。

「ヘリオス市民の生活とタンカーのどちらが大事なんだ」

「我が社にとっては、タンカーの方が大事ですが。それともタンカーが沈められた場合、首都の連邦政府は保証してくれますか? タンカー一隻を作るのにどれだけかかるか分かっておられます?」

「くっ、お前はそれで良いのか」

「会社勤めのサラリーマンに何を期待するのですか。文句はマーズ海運うちの上層部に言ってくださいよ」

 マーズ海運会社の社員の正論に、ヘリオス港長は押し黙るしかなかった。


 ◇


「火星タコが襲ってきたですって? どうしてこんな時にそんな事が起こるのよ~」

 火星行政府の主席、レイコ・チシマは、ヘリオス港長から上がってきた報告書を読み、悲鳴を上げた。レイコがドシンとテーブルを叩いた衝撃で、お茶を入れたカップが皿の上で踊った。

「主席、火星タコではありません。学術名は、火星・頭足綱・鞘形亜綱・十二腕形上目、マーズ・クラーケンです。主席は火星タコ…いえ、マーズ・クラーケンに付いて御存じないようなので、説明させていただくと…」

 ジャパニーズ・ビジネスマンのような黒いスーツに身を固め、黒縁眼鏡・・・・をかけた年齢不詳の容姿を持つ男性。レイコの秘書であるサイゾウが、有り難い事に火星タコについて説明してくれた。


 火星が大異変によって人類が住めるようになった時、植物と微生物以外の生命体は当初発見されなかった。陸にも海にも脊椎動物のような生命体は存在しなかった。
 そこで人類は、地球から様々な生物を持ち込んだ。もちろん科学者からは火星の生態系を守るべきだと大反対されたが、移民するためには地球と同じ生態系を構築する必要があったのだ。それに植物や微生物などは地球の物と酷似しており、地球から持ち込んでも影響は小さいと強引に押し切り、移民は進められた。

 そして、移民からしばらくして、今度は生命不在の火星の海に魚介類などの海棲動物を持ち込むための調査が始まった。そして、その時になってようやく火星タコが人類の目の前に姿を現したのだった。

 火星・頭足綱・鞘形亜綱・十二腕形上目、マーズ・クラーケン、通称火星タコ。地球のタコそっくりな姿をした、全長十数メートルはある軟体動物が、調査船を襲ったのだ。
 初めて火星で発見された巨大な生命体に、地球では「火星人発見」と大々的に報道され、火星への移民が一時中断されてしまうほどの騒ぎとなった。

 連邦政府は、急ぎ火星に生物学者を送り、火星タコの調査を行った。しかし火星タコは火星の海でも深海を住み処として自由に泳ぎ回っており、調査しようにも見つけることすら困難であった。
 なかなか調査がなかなか進まず数年が過ぎ去ったとき、再び火星タコが人類の前に姿を現した。火星タコは、前回と同じように調査船を襲ってきたのだった。
 調査船が襲われる中、乗船していた科学者は火星タコと意思疎通できないか試みたのだが、それは徒労に終わった。火星タコが興味を示したのは、船だけで人には全く興味を示さなかった。火星タコによって調査船は沈められ、危険な生物であると言われるようになった。その為、火星への移民についてすら、中止すべきだと世論が傾きかけたのだった。

 しかし、火星タコと接触した生物学者は、火星タコの危険性を否定した。彼は粘り強く火星タコの生態を研究し、火星タコには高度な知性は無く、船を襲ったのは繁殖期における縄張り争いのためと、研究結果を発表した。
 火星タコの繁殖期は火星の公転周期(六百八十七日)で、二~五年の周期で発生することも分かった。一ヶ月ほどの繁殖期以外は、火星の海の深海に火星タコは潜み、海面には上がってこない。つまりその期間さえ注意すれば危険はないと分かったのだった。

 火星タコの生態が明らかになると、それを保護するかどうかで、また一悶着あったのだが、結局地球連邦政府は火星の海に海棲動物を持ち込むことをあきらめ、火星タコを保護すると決めたのだった。


「どう見てもビジュアル的に、タコじゃないの!」

 レイコは、端末に表示された地球のタコと火星タコ…マーズ・クラーケンの比較写真を見て、抗議の声を上げた。
 確かにマーズ・クラーケンは地球に生息するタコにそっくりであった。違っているのは手の数が十二本あることと、そのサイズが二十メータ近くあるという点だけだった。

「そうですが、政治家はくだらない揚げ足をとられないように、メディアで発表する際には正式名称を使うべきです。過去には単語漢字の読み違えだけで盛大にメディアに叩かれた政治家もいるのです。しかも今の火星の状況を考えると、発現には注意された法が良いと思われます」

 革命軍によって火星が大混乱となっている現状、メディアは主席であるレイコの一挙手一投足に注目している。革命軍寄りのメディアは、レイコが何か言うたびに批判につなげているのだ。

「そんな事は分かってるわ。それより、今繁殖期が始まったことが問題だわ。このままだと水上運送が止まって、火星の経済が大混乱になってしまうわね」

「独立運動のおかげで、ただでさえ混乱している経済にとって、致命傷となりかねませんね」

 冷静に分析するサイゾウを、レイコは睨み付ける。

「本当なら連邦軍に船の航路の確保を依頼すれば済む話なのに、革命軍の動きを牽制するのに手一杯で、火星タコを何とかする戦力は無いわね」

 レイコは、机に手をついて眉間にしわを寄せ考え込む。

「主席、取りあえず連邦軍に依頼してみてはどうでしょうか」

「きっと断られるわよ?」

「もし断られても、連邦軍に依頼することで、主席が「何も対策を打たなかった」という批判は回避できます。市民の批判は連邦軍に向かうでしょう。そして火星タコの被害が酷くなれば、その原因が革命軍による独立運動のためであると世論を持って行く方がよろしいかと」 

 サイゾウの提案に、レイコの眉間しわが一気に消え去る。

「その案で進めましょう。私は直ぐに連邦軍に依頼を行うから、貴方は関係各省庁への根回しとマスゴミの対応案について検討して頂戴」

「了解しました」

 結局、火星行政府は火星タコの処理を連邦軍に丸投げする事で決定した。それは政治的な思惑が優先され、火星市民の受ける被害は無視された決定であった。
しおりを挟む

処理中です...