明鏡の惑い

赤津龍之介

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第二十二章 秋晴れの野に

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 そしてまた日々刻々と高原の秋は深まっていった。夏鳥たちが立ち去った後の森を、留鳥のシジュウカラやアカゲラやカケスが賑わすように、中学生たちもまた英語に磨きをかけて競い合った。英語の時間が始まるとき、ムースで前髪をイワトビペンギンのように逆立てた金子芳樹先生は、結婚して幸せ太りしていたが、いつものように颯爽たる声で「Hello, everyone!」と呼びかけた。すると二年生のみんなもいつものように、「Hello, Mr. Kaneko!」と答えた。金子先生はいつものように「How are you?」と問うた。するとみんなもいつものように「Iʼm fine!」と答えた。だがその時間はいつもとは少し違っていた。学校行事は何かと続くもので、英語暗唱大会なるものの学年予選が行なわれたのである。何も英語弁論大会のような難しいものではなかった。その学年で使われる英語の教科書から、どこでも好きな一章を選んで暗記し、みんなの前でそらんじて聞かせるというだけのことであった。それだけのことであっても、小文字のbとdの区別がつかないような生徒にとっては、なかなか難しいに違いなかった。しかし佐原康雄や諸星真花名や真壁悠太郎ほどの生徒にとっては、何の造作もないことであり、むしろ少なからず楽しいことであった。
 康雄は浅黒い顔を輝かせながら、荒れた唇で質朴な英語を唱えてみせた。まだ小さかった頃から、農業を学びにアメリカへ行きたいと志していただけあって、その英語力はどうしてなかなか大したものであった。康雄の英語を聞きながら、悠太郎は過ぎ去った日々を懐かしく思い出していた。佐原の家では四つ年下の弟の拓也も一緒に、とうに穫り入れの終わった畑を駆けまわって遊んだものであった。康雄は悠太郎を見習って憶えたという英語を披露したが、それらは「キングスター!」とか「ゴールデンデリシャス!」とかいった林檎の品種の名前のほかに、なぜか「ジーザス!」とか「ガッデム!」とかいった涜神的な言辞を含んでいたものであった。「アメリカンドリームっていうのは、薄い夢っていう意味なんだぜ!」と康雄が言ったのも、あのときのことであった。「だってアメリカンコーヒーは薄いコーヒーだろう? だからアメリカンドリームは薄い夢なんだよ」と自説を根拠づける康雄の声を、悠太郎は忘れることができなかった。
 諸星真花名はわずかにしゃくれた顎を胸にくっつけるような姿勢で、ふるえがちな声を励ましながら美しい英語を披露した。その母音や子音の作り方とイントネーションは、康雄の英語の農民的な質朴さに比べて、より都会的に洗練されていた。何をそんなに緊張することがあるのだろう。どうして真花名さんはいつも思い詰めたように身をこわばらせているのだろう――。悠太郎はそんなことを考えながら、真花名の伏せられた目が時折思い切ったように上げられるのを見ていた。「面白そう。〈この悲嘆の嵐のすべては無駄ではない〉って、いい言葉だね」と諸星真花名はいつかの昼休みに、きらきら光る茶色の目を興味で輝かせながら、悠太郎が発音した英語を繰り返したものであった。「《マカベウスのユダ》か。ユウちゃんのためにあるような音楽だね。ユウちゃんはきっと出会うべくして出会ったんだよ」と言った真花名は、さらに悠太郎から何度か教わりながら、表彰式でお馴染みのメロディーに合わせて、

  見よ 勝利の勇者がやって来る!
  トランペットを吹き鳴らせ 太鼓を打ち鳴らせ
  祝祭の支度をせよ 月桂冠を持ってこい
  勝利の歌を彼にうたえ

と英語で軽やかに楽しそうに歌ったものであった。あのとき真花名さんがくれたミサンガは、自然と切れる前にお祖母様がゴミ燃し場で灰にしてしまったっけ――。ともあれヘンデルのオラトリオに小学校五年生で興味を示しただけあって、やはり真花名の英語は見事であった。
 さて悠太郎は、蚊に刺されてどうのこうのという教科書の一章を選んで、それを感情豊かに表現しようと努めた。康雄の質朴さや真花名の洗練に比べれば、あまり大袈裟なのは趣味が悪いとも思ったが、さりとてドイツ歌曲を愛する悠太郎にとって、生命の重さを持たない言語表現は考えられなかった。クラスのなかで――ということはつまり学年のなかで――芝居っ気を最も重視したのは、もちろんシェイクスピアを愛好する芹沢カイであった。カイはあたかもひとり芝居の舞台でのように、表情と声色をころころと切り替え、身振り手振りをたっぷりとつけて教科書の英語を演じた。カイの発表がモノオペラであるとすれば、悠太郎の発表は歌曲の一分野としてのバラードのように――例えばあの〈魔王〉のように――抑制されていた。そして悠太郎の言葉は、内臓から発せられるような重さにおいてカイに優っていた。誰しもその母語を話すのと同じようにしか、外国語を話せないものである。悠太郎の言葉は、いつでも何か重いものを含んでいた。それは重々しく落ち着いているということではなかった。聞く人が聞けば、それは天敵に襲われて死にゆく野獣の悲鳴に似ていた。どんなに静かに話しても、そういう切迫した響きは隠せなかった。深刻なものを忌み嫌う人々は、それゆえ悠太郎を離れた。そういう言葉しか話せない子供を、どんな程度にであれ愛することは、誰にとってもやはりひとつの敢為であった。だがそんな自覚もなしに悠太郎は低音の声で英語を唱え、教室の空気を振動させた。蚊に刺されて痒いというただそれだけのことが、悠太郎にかかれば世界の滅亡でも意味するかのように響いたのである。
 クラスのみんなが――ということはつまり学年のみんなが――各々の発表を評価して、金子先生がそれを集計すれば、その結果をもとに校内大会の代表が決まるわけであった。二年生からは康雄と真花名と悠太郎が、青いカーペットの敷かれた多目的室で開催される校内大会に送り込まれた。三人は学年を代表して全校生徒の前で英語を暗唱し、全校生徒の評価を受けるわけであった。過疎化する高原の中学校の、百人に満たない全校生徒は群れ集って整列し、演台を前にした代表たちの英語に耳を澄ましていた。だが真に人々の耳を澄まさせたのは、ただひとりの生徒のみであった。全校生徒と教師たちの耳目を最も引きつけたのは、驚くべきことに一年生の赤木美帆であった。
 演台についた美帆を見た悠太郎は、まずその立ち姿の隙のなさに目を瞠った。ただ単に姿勢がよいというばかりではなかった。前後左右の全方位に対して用意ができているとでもいうような、この多目的室を貫くあらゆる力の流れを感知しているとでもいうような姿勢であった。「My name is Miho Akagi」と名乗るその声は、いつものように静かであった。こんな小さな声で英語が暗唱できるのかと悠太郎は思ったが、そのときにはもう蠅が蜘蛛の巣にかかるように、美帆の術中に陥っていたのである。本文の暗唱が始まって、いつものように戦慄すべきピアニシモの声が、空手の技のように狂いのないアクセントとイントネーションを展開し始めたとき、悠太郎はそのことを悟った。「この静けさは、やはり美帆さんの戦い方なのだ」と悠太郎は考えた。「声を張ることなく、相手を聴き入らせる。やはりこれは最小限の労力で、最大限の伝達を実現しているということだ。それは組手のときに、最小限の動きで相手の隙を誘い出し、これを仕留めるのとやはり同じことなのだ。同じ道場で稽古していたあの頃は、美帆さんの敏捷さにばかり目が行って、俺はこのことに気づかなかった。筋肉の量ではやがて男たちに敵わなくなることを、美帆さんは意識していたに違いない。それで自分なりの戦い方を工夫していたのだ。なんと恐ろしいことだろう。この戦慄すべきピアニシモの声のなかに、俺の意識はすっかり吸い込まれている。この声によって、俺の聴覚は研ぎ澄まされている。もし今が晩秋で、乾いた楢の葉が一枚地面に落ちたとしても、俺はその音を聞き取れるような気がする。唐松の針葉が黄金の雨のように散ったとしても、今の俺にはその音を聞き取れるような気がする。こうして聞いている俺たちはみんな、美帆さんの間合いに入ってしまっているのだ。なんと恐ろしいことだろう……」
 ともあれ悠太郎は気を取り直して、蚊に刺されてどうのこうのという教科書の一章を堂々と暗唱し終えた。佐原康雄は元気よく質朴な英語を、諸星真花名はふるえがちな声を励ましながら洗練された英語をそれぞれ披露したが、多くの生徒は内臓から発せられるような悠太郎の言葉を評価したようであった。そして三年生からは「オハイオ州からおはようさん!」とでも言わんばかりの勢いで、シティボーイの竹渕智也も校内大会に出てきて、よく響く声で英語を暗唱することはしたが、その際両手を演台について寄りかかるような姿勢を取ったため、大いに減点されることになった。結局のところ三年生で佐藤留夏子に敵う者はいないのである。モンタナ州のリヴィングストンで鍛えられたその英語の響きは、夏の日射しを浴びて輝くイエローストーン川のように流れ、ヘラジカやバイソンやハヤブサのように力強く、色鮮やかな野生の花々のように香り、ハックルベリーの実のように甘酸っぱかった。さて結果はといえば、一年生の代表が赤木美帆に、二年生の代表が真壁悠太郎に、三年生の代表が佐藤留夏子に決まった。英語暗唱大会は、この校内大会をもって終わりではなかった。こうして選ばれた学年ごとの学校代表が、郡大会に出場するのである。県大会にまで進む資格があるのは三年生だけであったから、留夏子に大きな期待が寄せられたのは当然であった。「去年の合唱コンクール以来、留夏子さんは無敵だ。どこへ出たって負けようがない。合唱のときだって、チャンドラさんのときだって、俺がそばにいたのだ。今度の郡大会だって、俺がついている。俺がついている限り、留夏子さんを負けさせはしない」と悠太郎は思った。
 学校を代表する三人はしばしば放課後に集められて、職員室の奥にある宿直室で金子先生の指導を受けた。その際に悠太郎は卓球部の練習を、美帆は陸上部の練習を休むことになった。三年生の留夏子にとっては、本来ならば補習の時間であろうか。悠太郎はさして好きでもない卓球部を休んで、留夏子のそばにいられることが嬉しかった。それに宿直室はあまり広くない、観光ホテル明鏡閣の社員食堂よりも狭い畳の部屋であったから、余計に親密感も増すというものであった。金子先生が指導するほかに、三人の代表は互いの英語について意見を述べ合った。美帆の暗唱については、やはりもう少し声を張るべきではないかと留夏子は意見した。「郡大会の会場は、この学校の多目的室より広いでしょうから、そのやり方ではみんなを間合いに入れられないかもしれない」と留夏子が言うと、美帆は表情を変えずに「努力します」と言った。また留夏子は悠太郎に対しては、「子音が強く響きすぎるから、もう少し抑えたほうが流れはよくなると思う。そんなに子音が強いのは、ドイツ歌曲の聴きすぎじゃない?」と微笑みながら言った。悠太郎は苦笑して「努力します」と応じた。
 悠太郎が一般論として強調したのは、日本人のリズム感ではアウフタクトの発音や聞き取りが難しいということであった。「アウフタクトというのは、留夏子さんはご存知でしょうが、音楽で弱拍から始まることです。日本人にはその表現がなかなかできないんです。なぜなら日本語には、アウフタクトがないからです。だからアウフタクトがある言語を、正確に聞き取ることもできないんです。それが証拠に幕末の人は、Americanという単語をどう聞いたでしょうか? それはメリケンになってしまいました。アクセントのないAの音節が、なかったことにされてしまいました。こういうことが起こるのも、日本語にアウフタクトがないからなんです。英語やドイツ語には、それがあります。これは余談ですが、西洋人が話す日本語には、やっぱりアウフタクトがあるんです。ロックハート城に行ったとき、西洋人が受付で〈イラッサイマッセ〉と挨拶していましたが、イの音をアウフタクトのように前倒しにしていました。一緒にいた友人はそれを聞いて〈ラッサイマッセ〉と真似していました。やっぱりアウフタクトが聞こえていないので、イの音はなかったことにされてしまいました。そういうわけで、英語らしく発音するにはアウフタクトが重要だと思います。today とかan appleとか言うとき、単にアクセントのある音節を強く発音するだけでは、英語らしくならないんです。その前のアクセントのない弱音節を、前倒しにして発音しなければならないんです。そうすることで、リズム感と推進力が生まれます。その発音を身に着けておくことは、リスニング力の向上にも繋がります。そうですよね、先生」と悠太郎は、持論を述べた後で突然金子先生に問いかけた。金子先生は不意を衝かれた様子であったが、「そうだな。音楽のことはよく分からないが、Americanがメリケンになった話は、日本人の耳の傾向として、俺も実感していることだ。弱音節の前倒しか……。言われてみればその通りだな。そうか、言語と音楽は、そんなふうに繋がっているのか……。ではいま出された意見を踏まえて、それぞれもう一回練習しよう」と三人を励ました。
 そんな充実した練習もとうとう最後の一回が終わり、明日はいよいよ郡大会という夕方が来た。校舎の玄関を出た三人は、自転車置き場へ向かって並んで歩いていたが、西の空に鱗雲を染める血のような夕焼けを認めて、しばし立ちどまった。悠太郎の左側には美帆が、右側には留夏子が立っていて、それぞれ通学鞄を肩に掛けていた。悠太郎はその燃えるような空の色が、三人の不吉な運命を告げているように思った。その不吉な気分を追い払うために、悠太郎は何か前向きなことを言おうとした。そのとき思い浮かんだのが美帆のことであったから、悠太郎は考えがまとまらないままに、「美帆さんはやっぱりすごいな。空手が強くて、百人一首もあんなに取れて、英語暗唱大会の代表にまで選ばれた。勉強もずいぶん頑張っているそうだね。驚いたよ。俺はてっきり美帆さんは、何というか、その……」と言って言葉を詰まらせると、美帆は例の静かな声で「空手馬鹿だと思ったでしょう?」と言って、薄く笑った。「私ね、こう見えても、影響を受けたんですよ」と美帆が言うので、「誰の?」と悠太郎が問うと、「真壁先輩のです」と美帆が答えた。「俺の? 俺のどこに? 俺なんか、ただの弱い男じゃないか。きみのお父様に、ぼろくそ言われるだけの」と悠太郎は訝ったが、美帆は静かな声で答えた。「たしかに父はぼろくそに言いました。でも私まで同じ考えだったとは思わないでください。私は道場で真壁先輩に出会って、この世には様々な価値観の人々がいるんだって知ったんです。人間って、不思議ですね。どんな親に育てられ、どんな先生に教育されるかによって、価値の規範はだいたい決まってしまいます。でも異なる価値の規範を持った人と出会うことによって、つまりは他者を知ることによって、自分が持たされた価値の規範を超えた見方で、物事を見ることができるようになるんです。私はああいう父の娘です。空手で強くなることを第一に考えてきました。今では瓦を割れるし、生の林檎を握り潰せるし、漫画雑誌を背表紙から引き裂くことができます。でもそれだけがすべてじゃないってことも知ってます。力と勝利を際限もなく追求するだけでは、見えなくなってしまうような豊かさがこの世にはあるんです。ノコンギクが群れ咲いて、秋風に揺れている。西の空が夕焼けに燃える。夜空にアンドロメダ座の星々が瞬く。そうしたものを見ると、私は時々思うんです。私はこうして私でありながら、同時にノコンギクであり、夕焼け空であり、アンドロメダ座の星々なのではないかって。そんなとき私の意識はこの体からゆっくりと流れ出して、そうしたもののなかに溶け込んでゆくんです。そのとき感じるのは、静かな深い喜びです。宮沢賢治なんかを、ずいぶん読んだせいかもしれません。まあそういう喜びをいちいち感じていたら百人一首は取れませんから、そのときは封印してマシーンに戻るんですけど、本当は歌の意味だって、ちゃんと感じ取れるんですよ。私がそういう細やかな喜びに気づき始めるきっかけになったのは、真壁先輩がピアノを弾いてくれたことでした」
 「真似するわけじゃないけどさ」と悠太郎は言った。「人間って、不思議だね。人との出会い次第によって、どうにでもなってしまう。俺はあのとき、美帆さんがそんなふうになってしまうのを恐れていたんだよ。それじゃ空手は弱くなったでしょう」
 「そうでもないですよ」と美帆は答えた。「さっきも言ったように、それはそれ、これはこれと切り替えますから。空手機械にはいつでもなれます。父は私の人が変わったと言って、嘆きはしますけどね」
 「いろいろな意味で、お父様には申し訳ないな」と悠太郎は、燃える夕焼けを見ながら言った。「あれほど熱心に指導してくださったのに、もう俺は空手をすっかり忘れてしまった」
 「体で憶えたことは、案外忘れないものですよ」
 「そうだろうか」
 次の瞬間、美帆が殺気を帯んで腰を落とすのと、留夏子がとっさに飛び退るのと、悠太郎が平安ピンアン初段の最初の動作で美帆の突きを受けるのが、ほとんど同時であった。「せい!」という美帆の鋭い気合いが、高原の秋の静かな夕べを切り裂いた。放り出されたふたつの鞄が地面に落ちた。たまたま近くを歩いていたらしいモアイ隊の埴谷高志隊長は、何事が起こったのかと様子を見に来て、四角張った大きな顔の離れた両目をきょとんと見開いていた。美帆が発した気合いの声は、難聴の埴谷先生にも聞こえたわけであった。「何でもありません。異常なしです」と留夏子は埴谷先生に、わざと明るい調子で言った。三年生きっての俊英にそう断言されては、埴谷先生もそれを信じて引き下がるほかなかった。
 左側面から突き込んできた手を左手で受けるのが、平安初段の最初の動作の意味なのだと教えてくれたのは、誰あろう入江紀之であった。受けもまた攻撃であって、相手の腕を折るつもりで受けるべきことも紀之は教えた。そのことを思い出した悠太郎は、「腕、痛くしなかった?」と美帆に問うた。美帆は薄く笑って首を横に振った。幸いにしてエメラルドグリーンのジャージの下に、白いトレーナーを着ている季節であった。「当てるつもりだったね」と悠太郎は、もとの姿勢に戻りながら言った。「そうでもしなければ、真壁先輩に思い出してもらえなかったでしょう」と美帆は応じ、「平安系の形は、身に着ければどこから襲われても大丈夫だと思えるから、心が平安になるというので、そういう名前なんだそうですよ。真壁先輩の心も、これで平安ですね」と言った。「凡夫は平安にほど遠いよ。俺の心は揺れ惑ってばかりさ」と悠太郎は応じた。さて留夏子はほとんどなすすべもなく成り行きを見守っていたが、「美帆さん、私たちは学校を代表して大会に出るのよ。前日に怪我でもしたらどうするつもりだったの? 危険なじゃれ合いはやめて」と叱責した。「失礼しました。真壁先輩を、ちょっとお借りしました。これ以上お邪魔はしません。さようなら。また明日」と言うと、美帆は自分の鞄を拾い上げ、ひとりでさっさと行ってしまった。「変な子ね。まったくわけが分からない」と言った留夏子は「真壁、大丈夫? 怪我はない?」と悠太郎を気遣った。「大丈夫です。危なかったですけど」と悠太郎が答えて鞄を拾うと、「よかった。ところで真壁と話したいことがあるの。一緒に帰りましょう」と留夏子は言った。
 ふたりが並んで自転車を押しながら校門を出て間もなく、「浅間観光が危ないそうね」と留夏子が切り出した。努めて思い出すまいとしていたことに触れられて、悠太郎は心が波立つのを感じた。「もうその話が聞こえたんですね」と悠太郎が言うと、「このあたりでは、世間は狭いから」と留夏子が応じた。「うちの家族はみんなして、深刻な顔でその話ばかりです。会社のオーナーが言っていることは、馬鹿げていると思うでしょう?」と悠太郎が言えば、「ええ、まったく馬鹿げていると思う」と留夏子が応じた。彼方の浅間山に、蒼然と暮色が迫っていた。
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