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第二十二章 秋晴れの野に
一
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高くなった青空がよく晴れた九月七日は日曜日であった。真壁悠太郎の十四歳の誕生日には、いくつかの重要なことが起こった。それらの出来事について、悠太郎はしばしば思いめぐらしたし、今もまた思いめぐらしたかった。しかし今は、かるたの札を取ることに集中すべきときであった。九月半ばの中学校では、青いカーペットが敷かれた多目的室で、百人一首大会が開催されていたのである。悠太郎とて百人一首が苦手なわけではなかった。古語を理解する力もあったし、歌が喚起する詩情を感じ取る力にも欠けてはいなかった。学年のなかでも全校でも、悠太郎はかなり上位に食い込むことができた。しかし古語への理解力と詩情への感性が、競技かるたにおいては弱点になることもあるのだと、悠太郎は思い知った。
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
と、国語のタヌキ先生こと角刈りの綿貫正先生が、色眼鏡の奥から全校生徒を見渡しながら朗唱するとき、悠太郎は秋の野で玉のように風に吹き散らされる露を思い浮かべ、そのイメージのうちに留まりたいと願った。だから決まり字を聞き取って下の句の札を探し、それを取りにゆくという動きは、どうしても遅れがちになるわけであった。タヌキ先生は予め百人一首の小冊子を作って、国語の時間に生徒たちに配っていた。そこには百首すべての歌とその意味に加えて、決まり字というものが記されてあった。ある音節まで聞けば、探すべき札を一枚に確定できるということらしかった。この歌なら「しら」まで聞けば、「つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」の札を取るべきことが決定されるというのである。しかしこうした決まり字を悠太郎は好まなかった。声となってゆっくりと立ち昇る歌に聴き入り、その詩情のうちに留まりたゆたうことこそ悠太郎の願いであった。三字決まり、二字決まり、一字決まりなどと、急き立てられるようで俺は嫌だ。そうなると俺は、競技かるたそのものを憎んでいるのかもしれない。そんなに急いで札を取ったところで何になろう。札を取る速さを追求すればするほど、歌の意味や詩情は見失われてゆくのではないか。藤原定家が小倉山で百人一首を選んだまではよかった。だがそれを競技かるたにした者は呪われてあれ! 決まり字は歌をスポーツと化してしまった。俺はスポーツとしての百人一首に徹し切れない。俺は全校の一位にはなれないだろう。だがスポーツに徹し切ることで歌の詩情を忘れるくらいなら、低い順位に甘んじているほうがいいのだ――。
その点において三年生の佐藤留夏子は、悠太郎より一枚上手であった。昔々の幼稚園で悠太郎と〈アルプス一万尺〉の手遊びをしながら、「いちいち意味なんか考えないで、歌って手を動かすの。意味なんか考えてるから、ユウちゃんはどんくさいのよ」と言って、悠太郎がついてこられないほど歌の速度を上げただけのことはあった。たまたま同じグループにあって競い合いながら、悠太郎はかつて留夏子に言われたことを懐かしく思い出していたし、留夏子もかつて悠太郎に言ったことを思い出していた。
秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の 影のさやけさ
とタヌキ先生が朗唱すると、悠太郎が秋の月を映した照月湖のように揺れ惑っているあいだに、留夏子は「あきか」まで聞くや、すぐに過たず札を取った。留夏子は歌の詩情を愛しはするものの、それはそれ、これはこれと割り切り、なるべくスポーツに徹しようとする分だけ、悠太郎より多くの札を取るわけであった。
では留夏子が優勝するのであろうか? ところが上には上がいるもので、全校生徒の心胆を寒からしめたのは、一年生の赤木美帆であった。かつて悠太郎は小学生の頃、この中学校の体育館で開かれていた空手道場に通わされたことがあったが、赤城篤師範の弟の赤木駿副師範には娘があった。その娘は道場で唯一の女子として、敏捷な動きで男の門弟たちを圧倒していたものであった。今こうして感情のない機械のように、圧倒的なスピードで札を次々とせしめているのが、その美帆であった。空手道場で出会ったとき、悠太郎は美帆の年齢を測りかねた。同い年なのか上なのか下なのか、悠太郎は知らなかったし尋ねてみるつもりもなかった。年がいくつであれ、あんなに強いうえに副師範の娘なのだから、敬わなければならないと悠太郎は思っていた。だから悠太郎は美帆に対して敬語を使ったし、美帆からの無理な要求にも従って、みんなの前でピアノを弾いたのであった。ところが道場をやめ、空手のことなど忘れ果てて中学校二年生になったとき、その美帆が新入生として現れたのだから、悠太郎は奇妙な感じを覚えた。俺より一つ年下だったか。話す機会があったら、どう話そう? 今になってなお敬語を使うのも、変なものだろうな――。幸いにして美帆は陸上部に入ったので、卓球部の悠太郎とはこれといった接点もなかった。ところがこれまた悠太郎たちと同じグループで百人一首の札を囲んでいる美帆は、空手道場で組手をしたときと同様の殺気を帯んでいた。そういえばあの頃、美帆は見た目がどこか留夏子に似ていると悠太郎は思っていた。切れ長の目といい、薄い笑いといい、頭の後ろでひとつに束ねた髪型といい、実際並んだところを見てみれば、やはり似通うものがあった。ただ髪を束ねる位置が、留夏子よりはよほど高かった。
村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
と綿貫正先生が朗唱した。「む」の音節がほとんど半分しか発音されないうちに、美帆は瞬時にして過たず動いた。カワセミがきらめきながら一瞬にして湖の魚を捕えるように、その右手の指は「霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」の札に触れた。通り雨に濡れた槇の葉も、秋の夕暮れに立ち昇る霧の物寂しさも、美帆にはどうでもよいに違いなかった。機械のように決まり字に反応して瞬時に動くことは、美帆にとって空手で相手の隙をついて、突きや蹴りを入れることと変わらなかった。異様なほど静かな美帆は、札を取るとき「はい!」という掛け声を発しようとはせず、その代わり「シュッ!」という短い歯擦音を漏らしたから、なおのこと異様であった。もし「はい!」と言えば、空手のときの「せい!」という気合いのように大きな声になってしまうのだろうと、悠太郎はその速さと殺気に気圧されながら考えた。
結局は全校生徒のなかで悠太郎が三位に、留夏子が二位になり、そこから大きく差をつけて美帆が一位になった。遠からずこの顔ぶれは、別の機会に再び集まってこの中学校を代表することになるのであるが、このときはまだ誰もそれを知り得ようはずがなかった。ともあれ大会が終わった後の休み時間に、三人は集まって言葉を交わした。「美帆さんは、すごいな。相変わらず速い。とても敵わないよ。あの頃と同じで、今も」と悠太郎は、努めて友好的に言った。「真壁は意味なんか考えてるからどんくさいの。昔からそうだった」と留夏子が言い添えると、美帆は「知ってます、私も。ある程度は」と囁き声で言って薄く笑った。この戦慄すべきピアニシモの声は、いったいどういう仕組みになっているのかと悠太郎は思った。ほんの小さな囁き声なのに、それでいてこんなにもはっきりと聞こえるのはなぜなのか。これは静けさを味方につけた話し方だ。静かな声を出すことで、かえって聞く者の聴覚を鋭敏にしているのだろうか。最小限の労力で最大限の伝達を実現しているとすれば、それは空手で相手の隙を誘発して仕留めるやり方と同じなのだろうか――。そのように思いめぐらして悠太郎は余計に恐ろしくなったが、気を取り直して「人のことが言えるんですか? 留夏子さんだって、美帆さんにはてんで敵わなかったじゃありませんか」と混ぜっ返した。「あら、私が言葉の意味を考えてどんくさくなったのは、真壁の影響でしょうが」と留夏子はやり返した。そんなふたりを薄く笑いながら見ていた美帆は、「仲がいいんですね、おふたりは」と囁き声で冷やかし、「でも私だって知ってます。真壁先輩のことを、ある程度は。立ち方の癖も、突きや蹴りの癖も、知ってます」と戦慄すべきピアニシモで続けた。留夏子がそのとき感じたほどには、初秋の六里ヶ原はまだうすら寒くはなかった。留夏子は弟の隼平から空手道場でのことを聞いていたが、自分でその場に居合わせたことはなかった。悠太郎がどんなふうに形の演武を行ない組手を戦ったのか、自分で見たことはないのであった。「この美帆は私の知らない真壁を知っているのね」と留夏子は考え、初秋のよく晴れた高原の昼間には不似合いなうすら寒さを感じたのである。
そして日々刻々と高原の秋は深まっていった。道端には紫がかった花びらのノコンギクが、花占いにでも使われたそうに群れ咲いていた。そんなノコンギクたちはしかし、走り抜ける中学生たちが起こす風にふるえるばかりであった。学校行事は何かと続くもので、今度はマラソン大会というわけであった。マラソンといっても「吾妻牧場碑」や郵便局の方面をぐるりと回って学校へ戻ってくるコースは、たったの二キロしかなかった。まだ緑の多い樹々に絡みつくツタウルシが紅葉する道を、あるいは広々と開けた畑の向こうに浅間山が見える道を生徒たちは走った。小学校一年生から六年生まで、六里ヶ原マラソンの五キロを走らされてきた悠太郎にとって、それは何ほどのこともなかった。それに中学生になってから毎朝続けていた自主的な走り込みは、着実に悠太郎の持久力を高めていた。もちろん大屋原第一集落の佐原康雄には敵いようがなかった。康雄は荒れた唇を得意げに笑わせながら、三年生にも負けじと先頭を疾駆していった。大屋原第三集落の神川直矢もまた速かった。直矢は白目の冴えた小さな目で先頭集団を見据えながら、彼らに遅れまいと走っていた。御所平の大柴映二はしかしコースの半ばで疲れてしまい、走りながら細長い目を白黒させていた。そこへ猛然と悠太郎が追い上げてきたのだから映二は驚いた。「ゲターンの野郎はこんなに速かったか?」と思うあいだに、映二は悠太郎に追い抜かれたのである。ひょろ長い手足を持て余したように走る佐藤隼平も、むっちりと発育のよい体つきをした戸井田一輝も、未熟児として生まれたために体が小さい芹沢カイも、信じ難いことに悠太郎の後ろを走っていた。ゴールして結果を渡されてみれば、なんと悠太郎の順位は全校の男子のなかでちょうど真ん中であった。
「するとこれが俺の体力のピークなのだろうか」と悠太郎は、マラソン大会が終わった後の校庭にしばし佇んで考えていた。見上げれば高い青空に、鱗雲が広がっていた。三年生になれば、一学期で部活動は終わる。受験勉強に重点を置くようになれば、どうしても運動量は減らざるを得ない。そうすれば体力が落ちるのは当然だ。俺のような虚弱な生徒が、全校の男子のなかでちょうど真ん中まで食い込めたのも、部活動を引退して久しい三年生たちが、体力を落としたからではないか――。体力といえば、もうひとつ気懸かりなことを悠太郎は思い出した。健康診断の血液検査で、コレステロール値が高く出たのである。担任の市川悟先生は、従兄弟である明鏡閣の黒岩栄作支配人にどこか似たような調子で、「真壁くんは、普段何を食ってるんだ?」と言って怪しんだ。保健室の篠原豊子先生はしかし、「家族性っすね。脂っこいもの食ってなくても、上がる人は上がるっす。まあまだ若いっすから、よく運動でもしていれば、大丈夫っす」と言って、色褪せた髪に囲まれた顔のなかにある目を笑わせた。聞けば祖母の梅子も母の秀子も、コレステロール値が高いのだという。薬剤師として働いている伯母の正子は、「あんまり高くなるようなら、薬を飲めばいいだけのことよ」と言って安心させてくれた。「これが俺の体力のピークだろう。だが走り込みは、これからも続けよう。三年生になっても、部活動を引退しても……」と悠太郎は考えた。
そのとき、「あっはっは! マッカベさん! やったじゃないか!」という華やかな声がした。悠太郎が振り向くと、そこにはペトラこと岩瀬麻衣先輩がいた。マッシモ・ジョルジョこと真霜譲治先輩も一緒であった。悠太郎が折り目正しく頭を下げると、ペトラはその折り目正しさをおかしがってジャンプしたので、そのツインテールがぴょこりと跳ねた。「マッカベさん、全校の男子のちょうど真ん中なんて、すごいじゃないか。体力をつけたね」とペトラは真面目な顔で、虚弱であった後輩を慈しむように言った。「しかし……」と悠太郎は言いかけてやめた。しかしただの真ん中であって、一等ではありません。祖父にとって一等でないものは、何の価値もありません――。そんな言葉を悠太郎は飲み込んで、「ありがとうございます」とだけ言った。「てめえはまったく努力家だよ。強くなりやがったな、真壁」と、瞼の厚い眠たげな目をした丸顔のジョルジョが、どすの利いた声で言った。「マッカベさん、これは記念すべきことだよ。ルカもきっと喜ぶよ」とペトラが言った。「そこは関係ないでしょう」と悠太郎は言い返した。「それはどうかな? これから関係あるようになるかもしれない」とペトラは、真面目な顔のままで言った。「おい真壁、勉強するのも体を鍛えるのも結構だ。だが人として向き合うべきものからは、絶対に逃げやがるんじゃねえぞ。いいな!」とジョルジョは、どすの利いた声を一段低めて言い聞かせた。
ペトラとジョルジョの言葉は、誕生日に起こったことを改めて悠太郎に思い出させた。その年の九月七日は日曜日で、穏やかに晴れた午後の青空の下を、悠太郎は甘楽集落の佐藤農園へと歩んだ。その日のピアノのレッスンでは、十二月に隣町の音楽ペンション〈アマデウス〉で発表する連弾曲を決めることになっていた。高校入試を目前にした三年生の冬まで、ピアノを続けていることは考えにくかった。だから今年が最後の発表会になると思うほかなかった。「〈アマデウス〉はとても素敵なところだった。だがライサク老人の言うように、始まったことは終わってゆくのだ。最後の連弾で、俺は何を弾くことになるのだろう」と考えていた悠太郎に、「たまにはフランスものでもやりましょう」と陽奈子先生は提案した。陽奈子先生が差し出したのは、ドビュッシーの《六つの古代碑銘》と、フォーレの《ドリー》と、ラヴェルの《マ・メール・ロワ》の楽譜であった。とはいえ日本語訳のついていない輸入楽譜で、悠太郎はもちろんフランス語を全然解さなかったから、陽奈子先生に説明されてそういう意味だと知ったのである。
悠太郎はドビュッシーの六曲の題名を、〈夏の風の神パンの加護を祈るために〉〈無名の墓のために〉〈夜が幸いであるために〉〈カスタネットを持つ踊り手のために〉〈エジプト女のために〉〈朝の雨に感謝するために〉と陽奈子先生にいちいち訳してもらいながら、楽譜を読んではピアノで音を鳴らしてみた。透明な色彩を持った骨のないクラゲたちが、柔らかく波打ちながら水中を漂っているような印象であった。題名の詩的なことは気に入ったが、その音響は慣れ親しんできたバッハやウィーン古典派の音楽に比べて、あまりにも捉えどころがなさすぎるように思われた。
その次に悠太郎は、ラヴェルの楽譜を検討した。《マ・メール・ロワ》とは、イギリスの伝承童話である『マザー・グース』のフランス語訳で、ここでは単におとぎ話といった程度の意味なのだと陽奈子先生は教えた。やはり〈眠れる森の美女のパヴァーヌ〉〈親指小僧〉〈パゴダの女王レドロネット〉〈美女と野獣の対話〉〈妖精の庭〉と五曲の題名をいちいち訳してもらいながら、悠太郎は楽譜を読んで音を鳴らした。ドビュッシーの捉えどころのなさに比べて、ラヴェルの曲は明快な構造を備えているように思われた。しかし童話的な題名を持ったそれらの曲は、しばしば奇怪なほどに明晰であった。最後の〈妖精の庭〉にはいくらか惹かれはしたものの、悠太郎はこれらの曲のなかにも、自分の意に適うものを見つけることができなかった。
最後に残されたのはフォーレであった。「ドリーって何ですか? 人形ですか?」と悠太郎は問うたが、それは英単語のdollから連想してのことであった。「ドリーって、実在した少女のあだ名なのよ。本名はエレーヌ・バルダックっていうの。エレーヌのお母さんはエンマ・バルダックといって、フォーレが歌曲を捧げたり、ドビュッシーの妻になったりした人よ。フォーレはドリーの誕生日のプレゼントとして、あるいは新年のお祝いとして、これらの曲を一曲ずつ贈ったそうよ」と陽奈子先生は教えてくれた。それで悠太郎はイメージを掴みやすくなった。そうか、これらは愛らしい少女への贈り物なのか――。〈子守歌〉〈ミ・ア・ウ〉〈ドリーの庭〉〈キティ・ワルツ〉〈優しさ〉〈スペインの踊り〉と、また陽奈子先生にいちいち題名を訳してもらいながら、悠太郎は楽譜を読み、音を鳴らした。そのなかに一曲、特に悠太郎の琴線に触れた曲があった。
「……これです。これがいいです。これにします」と悠太郎は言った。「〈ドリーの庭〉で決まり? 悠太郎くんは、案外夢想家なのね。やっぱりと言うべきかしら」と陽奈子先生は応じた。「さっきもラヴェルの曲に出てきましたけど、この単語は何て読むんですか? これはつまりガーデンのことですよね」と悠太郎はjardinという単語を指さし、「ラヴェルの庭は、最後があまりにも華やかすぎました。私にとって庭はこの曲のように、穏やかに夢見ていられるような場所でなければならないんです」と言った。そんなことを言いながら、悠太郎はかつてレストラン照月湖ガーデンにいた入江紀之のことを思い、紀之に憧れていたであろう留夏子のことを思っていた。そうだ、ノリくんが「よだかの星」の劇の最後にヴァイオリンで弾いたのは、フォーレの〈エレジー〉だったではないか――。少女への贈り物と聞いて、悠太郎は留夏子のことを思わずにはいられなかった。たとえ受験生の留夏子さんが〈アマデウス〉に来てくれなくても、俺はあの人にこの演奏を捧げよう――。陽奈子先生は指さされたフランス語単語を発音し、たしかにそれは庭を意味するのだと教えた後で、「発表会には、ルカも呼びましょう」と言った。悠太郎は心を読まれたように感じて一瞬うろたえたが、落ち着き払ったふりをして、「でも受験生でしょう。風邪でも引いたらどうするんですか? 人が集まるところへ来て、インフルエンザにでも罹ったら大変です」と応じた。しかし陽奈子先生は、「十二月なら受験当日までまだ時間があるでしょう。一週間かそこら寝込んだところで、あの子が試験に落ちると思う?」と反論した。「それはそうですね。落ちませんね。落ちようがありません」と、悠太郎は認めざるを得なかった。留夏子さんが聴いてくれる。あの素敵な〈アマデウス〉の食堂ホールで、留夏子さんがこの曲を聴いてくれる。客席の左手の明るい窓辺には、飾り棚にオーストリア産のワインの空き瓶がずらりと並べられ、それらの瓶の青いガラスを透かして黄色い電飾が、いかにもクリスマスを待つ季節に相応しく明滅しているだろう。俺はその時間と空間に、穏やかな光に満たされた夢の庭を、あの人のために広げよう。あの人がしばしのあいだ認識の苦悩を和らげ、少女らしい夢想のうちに安らげるように――。
そうしたことがあった誕生日の夜に、悠太郎にとってもうひとつの忘れ難い出来事があった。秀子が自分の両親の目を盗んで、結婚式のときの記念写真を悠太郎に見せたのである。白いウェディングドレスを着た若き日の秀子は、今よりもよほどふっくらとしていた。そんな秀子と並んでいるのは、黒いタキシードを身に着けた痩身の男であった。髪と眉と目鼻立ちの濃い、睫毛の長いその男は、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いていた。悠太郎は瞬時にそれが自分の父親だと悟った。自分がその写真の男であるのか、その写真の男が自分であるのか判然としなかった。人間が生まれてくる仕組みを知っていた悠太郎は、自分にも父親がいたのだと頭では理解していたが、さりとてその姿を一度も見たことがない以上、いまひとつ実感が伴わなかったのも事実であった。そのときようやく悠太郎は、自分のなかで空白になっていた部分が、試験の解答欄に正解を書き込んだように埋まったのを感じた。
「この人ね、武家の末裔だったのよ。秋田藩の下級武士の家で、貧しいけれど誇りだけは高い一族だったみたい。この人のお父様は、つまりおまえの父方のお祖父様は、物書きだったみたいなの。小説家だか何だかよく知らないけど、とにかく売れない文筆家だった。この人も本を読むのが好きで、頭もよくてね。最初は私が就職していた小さな眼鏡会社に入ってきたんだけど、〈俺の人生はこんなところで終わらない〉とか言い始めてね。武家の誇りにかけて猛勉強して、なんと外務省に入ったの。それを機に結婚したんだけど、あちらの家は猛反対だったわね。どこの馬の骨とも知れない女を娶るのかって言われたみたい。うちのお祖父様は旅籠屋の一族だから、商人でしょう? 士農工商の身分制度でいえばいちばん低いわけだから、武家の一族が反対するのも無理はないわね。そんなふうに蔑まれては、お祖父様だってお祖母様だって、この結婚に反対せざるを得なかった。結局は両家の猛反対を押し切って、駆け落ち同然に結婚したの。ところがこの人は、外務省での激務の重圧に耐えかねたのかしらね。ちょっと精神がおかしくなって、よくお酒も飲むようになって、そのうちに通勤電車をひと駅ごとに駆け降りては下痢をするようになったの。それでおまえが生まれてすぐに離婚した。おまえの語学力や文章力は、この人譲りね。よくない性質まで似ないといいんだけど。もう十四歳になったことだし、一応教えておくわ」と秀子は、懐かしそうに記念写真を見ながら物語った。悠太郎は訪れたことのない秋田の地に思いを馳せた。冷たい曇天を噛むような日本海の荒波を聞きながら、父方の先祖たちは何世代にもわたって、四書五経を素読していたに違いなかった。清楚な武家の妻たちは、鞘に花模様をあしらった懐剣を帯びていたに違いなかった。そうした幾世代もの結びつきの末に、自分の父親が生まれたのだと悠太郎は思った。その父がまた母を愛したように、俺も誰かを愛することになるのだろうか――。悠太郎はそうしたことを、留夏子に話したいと思った。それゆえマラソン大会が終わった後の校庭で、ペトラとジョルジョが留夏子のことを言ったとき、悠太郎は誕生日に起こった出来事を思い出したのである。
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
と、国語のタヌキ先生こと角刈りの綿貫正先生が、色眼鏡の奥から全校生徒を見渡しながら朗唱するとき、悠太郎は秋の野で玉のように風に吹き散らされる露を思い浮かべ、そのイメージのうちに留まりたいと願った。だから決まり字を聞き取って下の句の札を探し、それを取りにゆくという動きは、どうしても遅れがちになるわけであった。タヌキ先生は予め百人一首の小冊子を作って、国語の時間に生徒たちに配っていた。そこには百首すべての歌とその意味に加えて、決まり字というものが記されてあった。ある音節まで聞けば、探すべき札を一枚に確定できるということらしかった。この歌なら「しら」まで聞けば、「つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」の札を取るべきことが決定されるというのである。しかしこうした決まり字を悠太郎は好まなかった。声となってゆっくりと立ち昇る歌に聴き入り、その詩情のうちに留まりたゆたうことこそ悠太郎の願いであった。三字決まり、二字決まり、一字決まりなどと、急き立てられるようで俺は嫌だ。そうなると俺は、競技かるたそのものを憎んでいるのかもしれない。そんなに急いで札を取ったところで何になろう。札を取る速さを追求すればするほど、歌の意味や詩情は見失われてゆくのではないか。藤原定家が小倉山で百人一首を選んだまではよかった。だがそれを競技かるたにした者は呪われてあれ! 決まり字は歌をスポーツと化してしまった。俺はスポーツとしての百人一首に徹し切れない。俺は全校の一位にはなれないだろう。だがスポーツに徹し切ることで歌の詩情を忘れるくらいなら、低い順位に甘んじているほうがいいのだ――。
その点において三年生の佐藤留夏子は、悠太郎より一枚上手であった。昔々の幼稚園で悠太郎と〈アルプス一万尺〉の手遊びをしながら、「いちいち意味なんか考えないで、歌って手を動かすの。意味なんか考えてるから、ユウちゃんはどんくさいのよ」と言って、悠太郎がついてこられないほど歌の速度を上げただけのことはあった。たまたま同じグループにあって競い合いながら、悠太郎はかつて留夏子に言われたことを懐かしく思い出していたし、留夏子もかつて悠太郎に言ったことを思い出していた。
秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の 影のさやけさ
とタヌキ先生が朗唱すると、悠太郎が秋の月を映した照月湖のように揺れ惑っているあいだに、留夏子は「あきか」まで聞くや、すぐに過たず札を取った。留夏子は歌の詩情を愛しはするものの、それはそれ、これはこれと割り切り、なるべくスポーツに徹しようとする分だけ、悠太郎より多くの札を取るわけであった。
では留夏子が優勝するのであろうか? ところが上には上がいるもので、全校生徒の心胆を寒からしめたのは、一年生の赤木美帆であった。かつて悠太郎は小学生の頃、この中学校の体育館で開かれていた空手道場に通わされたことがあったが、赤城篤師範の弟の赤木駿副師範には娘があった。その娘は道場で唯一の女子として、敏捷な動きで男の門弟たちを圧倒していたものであった。今こうして感情のない機械のように、圧倒的なスピードで札を次々とせしめているのが、その美帆であった。空手道場で出会ったとき、悠太郎は美帆の年齢を測りかねた。同い年なのか上なのか下なのか、悠太郎は知らなかったし尋ねてみるつもりもなかった。年がいくつであれ、あんなに強いうえに副師範の娘なのだから、敬わなければならないと悠太郎は思っていた。だから悠太郎は美帆に対して敬語を使ったし、美帆からの無理な要求にも従って、みんなの前でピアノを弾いたのであった。ところが道場をやめ、空手のことなど忘れ果てて中学校二年生になったとき、その美帆が新入生として現れたのだから、悠太郎は奇妙な感じを覚えた。俺より一つ年下だったか。話す機会があったら、どう話そう? 今になってなお敬語を使うのも、変なものだろうな――。幸いにして美帆は陸上部に入ったので、卓球部の悠太郎とはこれといった接点もなかった。ところがこれまた悠太郎たちと同じグループで百人一首の札を囲んでいる美帆は、空手道場で組手をしたときと同様の殺気を帯んでいた。そういえばあの頃、美帆は見た目がどこか留夏子に似ていると悠太郎は思っていた。切れ長の目といい、薄い笑いといい、頭の後ろでひとつに束ねた髪型といい、実際並んだところを見てみれば、やはり似通うものがあった。ただ髪を束ねる位置が、留夏子よりはよほど高かった。
村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
と綿貫正先生が朗唱した。「む」の音節がほとんど半分しか発音されないうちに、美帆は瞬時にして過たず動いた。カワセミがきらめきながら一瞬にして湖の魚を捕えるように、その右手の指は「霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」の札に触れた。通り雨に濡れた槇の葉も、秋の夕暮れに立ち昇る霧の物寂しさも、美帆にはどうでもよいに違いなかった。機械のように決まり字に反応して瞬時に動くことは、美帆にとって空手で相手の隙をついて、突きや蹴りを入れることと変わらなかった。異様なほど静かな美帆は、札を取るとき「はい!」という掛け声を発しようとはせず、その代わり「シュッ!」という短い歯擦音を漏らしたから、なおのこと異様であった。もし「はい!」と言えば、空手のときの「せい!」という気合いのように大きな声になってしまうのだろうと、悠太郎はその速さと殺気に気圧されながら考えた。
結局は全校生徒のなかで悠太郎が三位に、留夏子が二位になり、そこから大きく差をつけて美帆が一位になった。遠からずこの顔ぶれは、別の機会に再び集まってこの中学校を代表することになるのであるが、このときはまだ誰もそれを知り得ようはずがなかった。ともあれ大会が終わった後の休み時間に、三人は集まって言葉を交わした。「美帆さんは、すごいな。相変わらず速い。とても敵わないよ。あの頃と同じで、今も」と悠太郎は、努めて友好的に言った。「真壁は意味なんか考えてるからどんくさいの。昔からそうだった」と留夏子が言い添えると、美帆は「知ってます、私も。ある程度は」と囁き声で言って薄く笑った。この戦慄すべきピアニシモの声は、いったいどういう仕組みになっているのかと悠太郎は思った。ほんの小さな囁き声なのに、それでいてこんなにもはっきりと聞こえるのはなぜなのか。これは静けさを味方につけた話し方だ。静かな声を出すことで、かえって聞く者の聴覚を鋭敏にしているのだろうか。最小限の労力で最大限の伝達を実現しているとすれば、それは空手で相手の隙を誘発して仕留めるやり方と同じなのだろうか――。そのように思いめぐらして悠太郎は余計に恐ろしくなったが、気を取り直して「人のことが言えるんですか? 留夏子さんだって、美帆さんにはてんで敵わなかったじゃありませんか」と混ぜっ返した。「あら、私が言葉の意味を考えてどんくさくなったのは、真壁の影響でしょうが」と留夏子はやり返した。そんなふたりを薄く笑いながら見ていた美帆は、「仲がいいんですね、おふたりは」と囁き声で冷やかし、「でも私だって知ってます。真壁先輩のことを、ある程度は。立ち方の癖も、突きや蹴りの癖も、知ってます」と戦慄すべきピアニシモで続けた。留夏子がそのとき感じたほどには、初秋の六里ヶ原はまだうすら寒くはなかった。留夏子は弟の隼平から空手道場でのことを聞いていたが、自分でその場に居合わせたことはなかった。悠太郎がどんなふうに形の演武を行ない組手を戦ったのか、自分で見たことはないのであった。「この美帆は私の知らない真壁を知っているのね」と留夏子は考え、初秋のよく晴れた高原の昼間には不似合いなうすら寒さを感じたのである。
そして日々刻々と高原の秋は深まっていった。道端には紫がかった花びらのノコンギクが、花占いにでも使われたそうに群れ咲いていた。そんなノコンギクたちはしかし、走り抜ける中学生たちが起こす風にふるえるばかりであった。学校行事は何かと続くもので、今度はマラソン大会というわけであった。マラソンといっても「吾妻牧場碑」や郵便局の方面をぐるりと回って学校へ戻ってくるコースは、たったの二キロしかなかった。まだ緑の多い樹々に絡みつくツタウルシが紅葉する道を、あるいは広々と開けた畑の向こうに浅間山が見える道を生徒たちは走った。小学校一年生から六年生まで、六里ヶ原マラソンの五キロを走らされてきた悠太郎にとって、それは何ほどのこともなかった。それに中学生になってから毎朝続けていた自主的な走り込みは、着実に悠太郎の持久力を高めていた。もちろん大屋原第一集落の佐原康雄には敵いようがなかった。康雄は荒れた唇を得意げに笑わせながら、三年生にも負けじと先頭を疾駆していった。大屋原第三集落の神川直矢もまた速かった。直矢は白目の冴えた小さな目で先頭集団を見据えながら、彼らに遅れまいと走っていた。御所平の大柴映二はしかしコースの半ばで疲れてしまい、走りながら細長い目を白黒させていた。そこへ猛然と悠太郎が追い上げてきたのだから映二は驚いた。「ゲターンの野郎はこんなに速かったか?」と思うあいだに、映二は悠太郎に追い抜かれたのである。ひょろ長い手足を持て余したように走る佐藤隼平も、むっちりと発育のよい体つきをした戸井田一輝も、未熟児として生まれたために体が小さい芹沢カイも、信じ難いことに悠太郎の後ろを走っていた。ゴールして結果を渡されてみれば、なんと悠太郎の順位は全校の男子のなかでちょうど真ん中であった。
「するとこれが俺の体力のピークなのだろうか」と悠太郎は、マラソン大会が終わった後の校庭にしばし佇んで考えていた。見上げれば高い青空に、鱗雲が広がっていた。三年生になれば、一学期で部活動は終わる。受験勉強に重点を置くようになれば、どうしても運動量は減らざるを得ない。そうすれば体力が落ちるのは当然だ。俺のような虚弱な生徒が、全校の男子のなかでちょうど真ん中まで食い込めたのも、部活動を引退して久しい三年生たちが、体力を落としたからではないか――。体力といえば、もうひとつ気懸かりなことを悠太郎は思い出した。健康診断の血液検査で、コレステロール値が高く出たのである。担任の市川悟先生は、従兄弟である明鏡閣の黒岩栄作支配人にどこか似たような調子で、「真壁くんは、普段何を食ってるんだ?」と言って怪しんだ。保健室の篠原豊子先生はしかし、「家族性っすね。脂っこいもの食ってなくても、上がる人は上がるっす。まあまだ若いっすから、よく運動でもしていれば、大丈夫っす」と言って、色褪せた髪に囲まれた顔のなかにある目を笑わせた。聞けば祖母の梅子も母の秀子も、コレステロール値が高いのだという。薬剤師として働いている伯母の正子は、「あんまり高くなるようなら、薬を飲めばいいだけのことよ」と言って安心させてくれた。「これが俺の体力のピークだろう。だが走り込みは、これからも続けよう。三年生になっても、部活動を引退しても……」と悠太郎は考えた。
そのとき、「あっはっは! マッカベさん! やったじゃないか!」という華やかな声がした。悠太郎が振り向くと、そこにはペトラこと岩瀬麻衣先輩がいた。マッシモ・ジョルジョこと真霜譲治先輩も一緒であった。悠太郎が折り目正しく頭を下げると、ペトラはその折り目正しさをおかしがってジャンプしたので、そのツインテールがぴょこりと跳ねた。「マッカベさん、全校の男子のちょうど真ん中なんて、すごいじゃないか。体力をつけたね」とペトラは真面目な顔で、虚弱であった後輩を慈しむように言った。「しかし……」と悠太郎は言いかけてやめた。しかしただの真ん中であって、一等ではありません。祖父にとって一等でないものは、何の価値もありません――。そんな言葉を悠太郎は飲み込んで、「ありがとうございます」とだけ言った。「てめえはまったく努力家だよ。強くなりやがったな、真壁」と、瞼の厚い眠たげな目をした丸顔のジョルジョが、どすの利いた声で言った。「マッカベさん、これは記念すべきことだよ。ルカもきっと喜ぶよ」とペトラが言った。「そこは関係ないでしょう」と悠太郎は言い返した。「それはどうかな? これから関係あるようになるかもしれない」とペトラは、真面目な顔のままで言った。「おい真壁、勉強するのも体を鍛えるのも結構だ。だが人として向き合うべきものからは、絶対に逃げやがるんじゃねえぞ。いいな!」とジョルジョは、どすの利いた声を一段低めて言い聞かせた。
ペトラとジョルジョの言葉は、誕生日に起こったことを改めて悠太郎に思い出させた。その年の九月七日は日曜日で、穏やかに晴れた午後の青空の下を、悠太郎は甘楽集落の佐藤農園へと歩んだ。その日のピアノのレッスンでは、十二月に隣町の音楽ペンション〈アマデウス〉で発表する連弾曲を決めることになっていた。高校入試を目前にした三年生の冬まで、ピアノを続けていることは考えにくかった。だから今年が最後の発表会になると思うほかなかった。「〈アマデウス〉はとても素敵なところだった。だがライサク老人の言うように、始まったことは終わってゆくのだ。最後の連弾で、俺は何を弾くことになるのだろう」と考えていた悠太郎に、「たまにはフランスものでもやりましょう」と陽奈子先生は提案した。陽奈子先生が差し出したのは、ドビュッシーの《六つの古代碑銘》と、フォーレの《ドリー》と、ラヴェルの《マ・メール・ロワ》の楽譜であった。とはいえ日本語訳のついていない輸入楽譜で、悠太郎はもちろんフランス語を全然解さなかったから、陽奈子先生に説明されてそういう意味だと知ったのである。
悠太郎はドビュッシーの六曲の題名を、〈夏の風の神パンの加護を祈るために〉〈無名の墓のために〉〈夜が幸いであるために〉〈カスタネットを持つ踊り手のために〉〈エジプト女のために〉〈朝の雨に感謝するために〉と陽奈子先生にいちいち訳してもらいながら、楽譜を読んではピアノで音を鳴らしてみた。透明な色彩を持った骨のないクラゲたちが、柔らかく波打ちながら水中を漂っているような印象であった。題名の詩的なことは気に入ったが、その音響は慣れ親しんできたバッハやウィーン古典派の音楽に比べて、あまりにも捉えどころがなさすぎるように思われた。
その次に悠太郎は、ラヴェルの楽譜を検討した。《マ・メール・ロワ》とは、イギリスの伝承童話である『マザー・グース』のフランス語訳で、ここでは単におとぎ話といった程度の意味なのだと陽奈子先生は教えた。やはり〈眠れる森の美女のパヴァーヌ〉〈親指小僧〉〈パゴダの女王レドロネット〉〈美女と野獣の対話〉〈妖精の庭〉と五曲の題名をいちいち訳してもらいながら、悠太郎は楽譜を読んで音を鳴らした。ドビュッシーの捉えどころのなさに比べて、ラヴェルの曲は明快な構造を備えているように思われた。しかし童話的な題名を持ったそれらの曲は、しばしば奇怪なほどに明晰であった。最後の〈妖精の庭〉にはいくらか惹かれはしたものの、悠太郎はこれらの曲のなかにも、自分の意に適うものを見つけることができなかった。
最後に残されたのはフォーレであった。「ドリーって何ですか? 人形ですか?」と悠太郎は問うたが、それは英単語のdollから連想してのことであった。「ドリーって、実在した少女のあだ名なのよ。本名はエレーヌ・バルダックっていうの。エレーヌのお母さんはエンマ・バルダックといって、フォーレが歌曲を捧げたり、ドビュッシーの妻になったりした人よ。フォーレはドリーの誕生日のプレゼントとして、あるいは新年のお祝いとして、これらの曲を一曲ずつ贈ったそうよ」と陽奈子先生は教えてくれた。それで悠太郎はイメージを掴みやすくなった。そうか、これらは愛らしい少女への贈り物なのか――。〈子守歌〉〈ミ・ア・ウ〉〈ドリーの庭〉〈キティ・ワルツ〉〈優しさ〉〈スペインの踊り〉と、また陽奈子先生にいちいち題名を訳してもらいながら、悠太郎は楽譜を読み、音を鳴らした。そのなかに一曲、特に悠太郎の琴線に触れた曲があった。
「……これです。これがいいです。これにします」と悠太郎は言った。「〈ドリーの庭〉で決まり? 悠太郎くんは、案外夢想家なのね。やっぱりと言うべきかしら」と陽奈子先生は応じた。「さっきもラヴェルの曲に出てきましたけど、この単語は何て読むんですか? これはつまりガーデンのことですよね」と悠太郎はjardinという単語を指さし、「ラヴェルの庭は、最後があまりにも華やかすぎました。私にとって庭はこの曲のように、穏やかに夢見ていられるような場所でなければならないんです」と言った。そんなことを言いながら、悠太郎はかつてレストラン照月湖ガーデンにいた入江紀之のことを思い、紀之に憧れていたであろう留夏子のことを思っていた。そうだ、ノリくんが「よだかの星」の劇の最後にヴァイオリンで弾いたのは、フォーレの〈エレジー〉だったではないか――。少女への贈り物と聞いて、悠太郎は留夏子のことを思わずにはいられなかった。たとえ受験生の留夏子さんが〈アマデウス〉に来てくれなくても、俺はあの人にこの演奏を捧げよう――。陽奈子先生は指さされたフランス語単語を発音し、たしかにそれは庭を意味するのだと教えた後で、「発表会には、ルカも呼びましょう」と言った。悠太郎は心を読まれたように感じて一瞬うろたえたが、落ち着き払ったふりをして、「でも受験生でしょう。風邪でも引いたらどうするんですか? 人が集まるところへ来て、インフルエンザにでも罹ったら大変です」と応じた。しかし陽奈子先生は、「十二月なら受験当日までまだ時間があるでしょう。一週間かそこら寝込んだところで、あの子が試験に落ちると思う?」と反論した。「それはそうですね。落ちませんね。落ちようがありません」と、悠太郎は認めざるを得なかった。留夏子さんが聴いてくれる。あの素敵な〈アマデウス〉の食堂ホールで、留夏子さんがこの曲を聴いてくれる。客席の左手の明るい窓辺には、飾り棚にオーストリア産のワインの空き瓶がずらりと並べられ、それらの瓶の青いガラスを透かして黄色い電飾が、いかにもクリスマスを待つ季節に相応しく明滅しているだろう。俺はその時間と空間に、穏やかな光に満たされた夢の庭を、あの人のために広げよう。あの人がしばしのあいだ認識の苦悩を和らげ、少女らしい夢想のうちに安らげるように――。
そうしたことがあった誕生日の夜に、悠太郎にとってもうひとつの忘れ難い出来事があった。秀子が自分の両親の目を盗んで、結婚式のときの記念写真を悠太郎に見せたのである。白いウェディングドレスを着た若き日の秀子は、今よりもよほどふっくらとしていた。そんな秀子と並んでいるのは、黒いタキシードを身に着けた痩身の男であった。髪と眉と目鼻立ちの濃い、睫毛の長いその男は、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いていた。悠太郎は瞬時にそれが自分の父親だと悟った。自分がその写真の男であるのか、その写真の男が自分であるのか判然としなかった。人間が生まれてくる仕組みを知っていた悠太郎は、自分にも父親がいたのだと頭では理解していたが、さりとてその姿を一度も見たことがない以上、いまひとつ実感が伴わなかったのも事実であった。そのときようやく悠太郎は、自分のなかで空白になっていた部分が、試験の解答欄に正解を書き込んだように埋まったのを感じた。
「この人ね、武家の末裔だったのよ。秋田藩の下級武士の家で、貧しいけれど誇りだけは高い一族だったみたい。この人のお父様は、つまりおまえの父方のお祖父様は、物書きだったみたいなの。小説家だか何だかよく知らないけど、とにかく売れない文筆家だった。この人も本を読むのが好きで、頭もよくてね。最初は私が就職していた小さな眼鏡会社に入ってきたんだけど、〈俺の人生はこんなところで終わらない〉とか言い始めてね。武家の誇りにかけて猛勉強して、なんと外務省に入ったの。それを機に結婚したんだけど、あちらの家は猛反対だったわね。どこの馬の骨とも知れない女を娶るのかって言われたみたい。うちのお祖父様は旅籠屋の一族だから、商人でしょう? 士農工商の身分制度でいえばいちばん低いわけだから、武家の一族が反対するのも無理はないわね。そんなふうに蔑まれては、お祖父様だってお祖母様だって、この結婚に反対せざるを得なかった。結局は両家の猛反対を押し切って、駆け落ち同然に結婚したの。ところがこの人は、外務省での激務の重圧に耐えかねたのかしらね。ちょっと精神がおかしくなって、よくお酒も飲むようになって、そのうちに通勤電車をひと駅ごとに駆け降りては下痢をするようになったの。それでおまえが生まれてすぐに離婚した。おまえの語学力や文章力は、この人譲りね。よくない性質まで似ないといいんだけど。もう十四歳になったことだし、一応教えておくわ」と秀子は、懐かしそうに記念写真を見ながら物語った。悠太郎は訪れたことのない秋田の地に思いを馳せた。冷たい曇天を噛むような日本海の荒波を聞きながら、父方の先祖たちは何世代にもわたって、四書五経を素読していたに違いなかった。清楚な武家の妻たちは、鞘に花模様をあしらった懐剣を帯びていたに違いなかった。そうした幾世代もの結びつきの末に、自分の父親が生まれたのだと悠太郎は思った。その父がまた母を愛したように、俺も誰かを愛することになるのだろうか――。悠太郎はそうしたことを、留夏子に話したいと思った。それゆえマラソン大会が終わった後の校庭で、ペトラとジョルジョが留夏子のことを言ったとき、悠太郎は誕生日に起こった出来事を思い出したのである。
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