明鏡の惑い

赤津龍之介

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第二十一章 留まる夏

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 ふたりは坂道を降りると、掘っ立て小屋で営まれている戸井田農園の売店や、繫盛しているレストラン照月湖ポカラ・ガーデンの前を通過して、ベンチ代わりの大きな岩が置いてあるところまで歩いた。留夏子が近くに自転車を停めてヘルメットを脱ぐと、ふたりは並んで岩に座って、アオコで緑色に濁った湖を見下ろした。浅間隠の連山や、近々と迫る緑の鷹繋山を背景にした湖は、手漕ぎボートや足漕ぎのスワンボートをいくつも浮かべて、静かに賑やかに乱反射していた。別の一画ではへら鮒を狙う釣り人たちが、さわさわと風に鳴る樹々の音を聞きながら、釣り糸のウキを辛抱強く見つめていた。湖畔を一周する遊歩道の木陰を、多くの人々が様々に談笑しながら歩んでいた。そのなかをマラソンのランナーが時折走っていた。ほとんど無言で湖を見ていたふたりの背後を、ランナーはまた風のように走り過ぎていった。「より先とより後による運動の数を測っているのね」と留夏子が言うと、「ええ、そうです。ランナーたちは時間を測っているんです。私の祖父は、そのことをあまり喜んではいませんでした。ランニングコースを作るのはうまい思いつきだと、認めてはいたのですが……。この湖畔では時を測るのではなく、時を忘れてほしいというのが、祖父の願いだったようです」と悠太郎が応じ、千代次が好んでいた詩句を暗唱した。「祖父は幼かった私に、この湖畔で言いました。若い頃は勢いよく流れる熊川の水が好きだったが、年を取ってからはゆったりと留まる照月湖の水が好きになったと。次々と流れてやまない時を留めることが、太古からの人間の夢だったのではないかと。祖父はこの湖を、そういう場所にしたかったようです」と悠太郎は思い出し思い出し語り、それはトマス的な問題でもあるのかもしれないと思って、手にした本を膝の上に置いた。「素敵ね。この湖畔は、真壁のお祖父様が力を尽くして守ってこられた宝物なのね。六里ヶ原の宝物、訪れる人みんなの宝物……」
 するとそこへ、口まわりに黒々と濃いひげを生やした戸井田幹夫さんが近づいてきた。精悍な幹夫さんは、満面の笑みを湛えながら「ほれ!」というぶっきら棒なひと言とともに、ひと瓶ずつのラムネをふたりに差し出した。よく冷えた飲み物に喜んだふたりが礼を言うと、幹夫さんは照れ臭そうに無言で売店へと戻っていった。「真壁、これどうやって開けるんだっけ。栓になっているビー玉を、この突起で押し込んで落とせばいいのよね?」と留夏子は尋ねた。「普通はそうしますが、それだと中身が噴き出してきますから厄介ですよ。そうならない開け方があります。ほらこうして……プラスチックのキャップを逆ねじに回して、ビー玉を取り出すんです」と悠太郎が実演しながら教えると、留夏子もその方法を試して「器用なものね」と感心した。爽やかな炭酸飲料が、若いふたりの喉を潤した。「一輝に教わったんですよ。小学生の頃です。まだ何年も経っていないはずなのに、あれからいろいろなことが起こりました。次から次へと、いろいろなことが……。そういえば読みました、トマスの本。難しかったです、とても……」と悠太郎が言うと、留夏子との長い会話が始まった。
 「たしかに難しいわね。でも少しずつ読んでいるうちに、だんだん読みやすくなってはくるでしょう?」
 「それはたしかにそうです。一昨日より昨日、昨日より今日のほうが、より分かるようになっているような気はしました。文章の独特な言い回しや訳註のつけ方に親しむからでしょうか」
 「ハビトゥスが形成されるからよ」
 「ハビトゥスですか?」
 「そう。可能態と現実態の中間に形成されるという、あのハビトゥス。より現実態になりやすくなった可能態。はたらきを繰り返すことで、現実態に向けて調えられた可能態」
 「そうか。この場合には、トマスの文章を理解するということが現実態で、トマスの文章を理解し得るという能力が可能態に相当する……」
 「そうね。トマスの本が対象で、それを読むということがはたらきに相当する……」
 「トマスの本を苦労して読んでいるあいだ、トマスの文章を理解し得るという能力は、実際にいくらかはトマスの文章を理解することになる。可能態はいくらか現実態になる」
 「そう。それで読むというはたらきをやめると、現実態は可能態に戻るわけよね。」
 「しかしまったく純粋な可能態に戻るわけではなくて、前よりも現実態になりやすく調えられた可能態に戻るというわけですね」
 「その通りよ。そうして読むという同じはたらきを繰り返していると、その状態はますます強化されて、純粋な可能態と現実態のあいだに、ハビトゥスが形成されるというわけ」
 「何事も習慣化が大事というわけですね。中学校の勉強なんて、ハビトゥスの形成のほかに意味はないように思えてきました」
 「その本を読んで思い知った。英単語のhabitには、こんなに深い意味があったのかって」
 「英単語? 留夏子さんはこの本に出てきたラテン語を、英単語に結びつけて考えるんですか?」
 「考える。真壁もやってみなさいよ。面白いわよ。可能態のpotentiaはpotentialで、現実態のactusはactualityかしら。はたらきのactioはactionで、その対象のobiectumはobjectね。potentialがobjectへのactionによってactualityになり、actionをやめるとpotentialに戻る。でもそれは純粋なpotentialではなくて、そこにはhabitが形成されている。こうやって英単語を憶えるのは楽しいでしょう?」
 「いやはや、畏れ入りました。私も英語が苦手なほうではありませんが、留夏子さんには敵いません。ただモンタナへ少しばかり行っただけでは、そうはなりません。佐藤さんは早くも中学英語を優に超え出て、大学受験の英語にまで迫っていると金子先生が言っていましたが、お話を聞いて納得しました。ラテン語の語源にまで関心が行き届いているとは……」
 「興味の赴くままに学んでいるだけよ。本当はこれといった目標が定まっているわけではないの。形相の実現が生成の目的だってトマスは言うけど、本当なのかな?」
 「形相の実現ですか……。私たちにとっては、将来何かになるということですよね。ある人が会社員になる、公務員になる、酪農家になる、漁師になる、大工になる、小説家になる、彫刻家になる、作曲家になる……。私たちは何かになるために生きているのでしょうか? 必ず何かにならなければいけないのでしょうか?」
 「考えてみれば学校の進路指導なんて、ごりごりのアリストテレス主義ね」
 「アリストテレス主義といえば、質料形相論に限らず、時々息が詰まるというか、肩が凝るような思いがします。何であれAであると同時に非Aであるものはないという、割り切った論理が展開されますよね。 あるか、ないか。Aであるか、Aでないか。しかしこの世界は、人間の心は、そうきっぱりと割り切れるものでしょうか?」
 「あるようでないようなもの、AでありそうでAでなさそうなものを扱う余地は、たしかにアリストテレス主義にはなさそうね」
 「あるようでないようなもの、AでありそうでAでなさそうなものこそが、芸術の領分であるように思います」
 「やっぱり真壁はそういうことに携わりたいのね」
 「どうでしょう。よく分かりません……。そもそもできるかどうか……」
 「そういえば、トマスの前は何の話をしていたんだっけ?」
 「何でしたっけ? ええと……たしか、いろいろなことが起こったという話でした。次から次へといろいろなことが起こりました」
 「そうだった。次々と継起的に様々なことが起こるというのが、トマスによれば時間のあり方なのよね」
 「より先とより後による運動の数ですからね。ある部分が別の部分の後に来る。運動のうちにより先とより後を数えることによって、われわれはそこから時間を把握するとありました」
 「私たちが出会ったのは一九八八年だった。そのときの今は一九八八年だった。その後には一九八九年が来て、そのときの今は一九八九年だった」
 「本当に次々と時間は継起しましたね。様々な事件や災害とともに」
 「時間を水平的に見れば継起的で、垂直的に見れば〈今〉だとも書いてあったっけ」
 「ええ、時間と永遠の比較でした。継起的時間を永遠と比較するならば、継起的時間は全体がけっして同時にはあり得ない。これに対して永遠は、全体が同時にという仕方である」
 「そうだった。垂直的な時間である〈今〉と永遠を比較すれば、時間の〈今〉はいかなる〈今〉も次の〈今〉に移りゆくべき可能性を持っているから不完全なのよね。これに対して永遠は、いかなる〈今〉の断面においても充足していて完全なんだっけ」
 「流れる今が時間を造り、留まる今が永遠を造る。このボエティウスという人の言葉が、私はとても好きです」
 「ああ、それね。私も好き。母さんもそこに赤鉛筆で傍線を引いていたでしょう」
 「引いてありました」
 「何を考えていたのかしらね、小難しい本なんか読んで……。母さんはいつか言っていた。トマスが一歳の年に、アッシジの聖フランシスコが亡くなったんだって。フランシスコ様は母さんにとって大切な聖者みたいなんだけど、このふたりが短期間とはいえ同時代に生きていたという事実が、母さんの音楽にとっては重要みたいなの。太陽を兄弟と呼び、月を姉妹と呼ぶフランシスコの神秘体験も、神と被造物の一切を明晰な論理で掴もうとするトマスの理性も、両方とも音楽には必要なんですって」
 「音楽は時間芸術なんて言われますからね。水平的に見れば、音は次々と継起します。垂直的に見れば、流れる今の連続です」
 「ピアノを弾くことで、その流れる今に没入し、あるいは聴く人を没入させ、流れる今を留まる今へと変化させようというのかしら。その今が永遠への入口になるように……。無茶をするわね」
 「……留夏子さん、今のお話で思ったことがあるんですけど……。留夏子さんの名前にも、留まるという字がありますよね。今は夏です。流れる今と留まる今があるように、流れる夏と留まる夏を考えることはできないでしょうか」
 「答えて言わなければならない。流れる夏と留まる夏があることは、一向に差し支えない」
 「では流れる夏が時間を造り、留まる夏が永遠を造るのではないでしょうか」
 「流れる夏が時間を造り、留まる夏が永遠を造る……。私の名前は、永遠の印を帯びているというの?」
 「ふとそう思ったんです。そう言ってしまった後では、そうとしか思えません」
 「流れゆくいくつもの夏の彼方にある、ひとつの留まる夏……。凋落しない季節のために、かりそめの夏を断念させるストア主義のことが、『星の輝きを宿した無知』という本に書いてあった。かりそめの夏が流れる夏だとすると、凋落しない季節というのが留まる夏なのね」
 「ひとつの留まる夏が、流れるあの夏やこの夏として現れているのかもしれません」
 「複合されたものではない単純な留まる夏のなかに、複数の流れる夏があるのね。一なる神のうちに、複数のイデアがあるようなものかしら」
 「範型としての個物のイデアがあるのなら、私たちにめぐり来たひと夏ひと夏のイデアもまた、光り輝きながらあるのではないでしょうか」
 「トウモロコシ畑を通って、私があなたを母さんのところへ連れていった、あの夏のイデアも……」
 「私たちがこうしてラムネを飲みながら、湖のほとりで永遠について語り合っている、この夏のイデアも……」
 「イデアによって造られたどんな個物も可滅的で、私たちの流れる〈今〉は不完全なのね。だから時間のなかではどんな夏も終わってゆくのね」
 「しかし留まる夏のなかでは、永遠の夏のなかでは、この地上で過ぎたあらゆる夏があります。次々と継起的にあるのではなくて、同時的に、光り輝きながら……。そこにはみんながいます……」
 「剽軽者の橋爪進吉さんも、炭焼きの木村さんもいるわね」
 「バネットもいますね」
 「入江先輩もいるわね」
 「私たちの流れる夏は不完全です。しかしこの流れる夏を通して留まる夏を思うとき、今この時のなんという美しさでしょう。湖は光り、万緑は輝いています」
 「真壁、私たちは、また会えるかな?」
 「それは会えるでしょう。ピアノのレッスンを受けにお宅へうかがいます」
 「そうじゃないの」
 「二学期が始まれば、また学校で……」
 「そうじゃないの」
 「高校生になったら、また渋川で……」
 「私が言うのは、そうじゃないのよ。あのね、私たちがそれぞれの道を歩んで、それぞれの人生を終えて、いつか世界が終末を迎えて……。そうしたら永遠のなかで、私たちはまた会えるかな? そのとき私たちは、どんなふうに変容しているんだろう? 永遠のなかで、お互いが分かるのかな?」
 「……会えると思いたいです。でも私は、そういう信仰を持っていません……」
 「私も持っていません」
 「そうなんですか?」
 「驚いた?」
 「てっきり陽奈子先生が、幼児洗礼でも受けさせたと思っていました」
 「母さんは何かと信仰のことを私に教えたがるけど、押しつけはしないの。大人になって、自分で考えられるようになってから決めるように言われている。それで迷ってもいるの」
 「これは意外でした。留夏子さんには揺るぎない信仰があるのかと思っていました」
 「カトリックの信仰に、心惹かれなくはない。でも母さんがカトリックゆえに苦しんでいる姿も見ているし、信仰だけではどうにもならない問題も世界にはたくさんあるし」
 「そうでしたか。では今日こうして話したことは、なおのこと思い出深くなりますね。カトリックではないふたりが、トマスを通じて永遠の夏に思いを致したのですから。トマスの本はお返しします。勉強になりました。ありがとうございました」
 するとそのとき、レストラン照月湖ポカラ・ガーデンの勝手口から走り出た男が、「Help me! Please help me!」と絶叫しながらふたりの後ろを通り、観光ホテル明鏡閣を目指して猛然と疾駆していった。「何かしら?」と顔を険しくして留夏子は怪しんだ。「チャンドラさんだ。〈ポカラ〉で働いているネパール人の店員さんです」と悠太郎は答えた。「ただ事じゃなさそうね。観光ホテルへ助けを求めにでも行くのかな?」と留夏子は言った。「まずいな……。ただでさえチャンドラさんは、日本語があまり得意ではないんです。そこへあんなに興奮して……。このままでは明鏡閣が混乱に陥るかもしれない」と悠太郎は懸念を示した。すると留夏子は決然として「それなら私たちの出番ね」と言った。「一緒に来てくれますか?」と問う悠太郎に、「もちろん」と留夏子は答えて微笑んだ。
 ふたりはラムネの空き瓶を、とりあえず留夏子の自転車の前籠に放り込むと、明鏡閣まで一緒に走ってゆくことにした。留夏子ひとりが自転車で早く着いたところで、社員の親族である悠太郎が一緒にいなければ、明鏡閣では部外者であって話になるまいとふたりは考えた。それもくだくだしい言葉を交わして考えたのではなく、暗黙のうちに一瞬にして合意したのである。湖畔を周回するマラソン選手も驚くほどの速さで、若いふたりは走った。照月湖を左手に見ながら観光ホテル明鏡閣へ向かったふたりは、煙を噴き出す浅間山の側の入口へ回った。ふたりはキャノピーをくぐってフロントに通じる正面玄関を入ることはせず、その西側にあるコンクリートの段に登った。白いペンキの剥げかけた扉の黒い取っ手を、悠太郎は手前に引いた。幼かったかつての日のようには、その取っ手は高くもなければ、その扉は重くもなかった。そこから入れば社員食堂はすぐ左にあると、悠太郎は留夏子に教えた。
 さてその狭苦しい社員食堂には、煙草の煙が充満するどころではなく、ちょっとした混乱が持ち上がっていた。ガーデンから逃げてきたチャンドラカルナ・ムリ・ギリさんが恐慌を来たし、誰彼構わず肩を揺さぶり胸倉を掴み、ネパール語や英語や片言の日本語で、思いのたけをぶちまけるかのように何事かを訴えているのである。チャンドラさんの一重瞼の大きな目には怯えが湛えられ、頬骨の張った小麦色の顔は恐怖に歪んでいた。「まあまあ、落ち着けや。落ち着いてくれや」と黒岩栄作支配人が宥めようとすればするほど、気の毒なチャンドラさんはますます興奮し激昂したので、「参ったなこりゃ」と言いながらサカエさんは、七三に分けたふさふさの黒髪を搔き乱した。林浩一さんが平たい顔を努めてにこやかに笑わせながら「イージー、イージー」と言い、いかり型の久世利文さんが「クワイエット、クワイエット」と言って落ち着かせようとしたが、効果はなかった。困った久世さんは、首を急激に後ろへ「くぜっ! くぜっ!」とばかり反らせた。秀子は下膨れの顔を憂いに曇らせながら、こんなとき息子が来てくれたらと思わずにはいられなかった。
 するとそのとき開かれたドアから「失礼します」と、緑の唐松林を吹き渡る朝風のような声が吹き込み、その声はそのまま爽やかな英語に変わった。「落ち着いてください、ミスター・チャンドラカルナ・ムリ・ギリ、どうか落ち着いて。あなたの害になる人は、ここにはいません。落ち着いて、何があったか話してください」と留夏子は静かに、しかし決然と言った。すると興奮して騒いでいたチャンドラさんは、一瞬自分の聞いた声を信じられない様子であったが、次の瞬間には目に見えて落ち着きを取り戻した。まるで自分が取り乱していたことを恥じる人のようであった。「ミスター・チャンドラ、私はサトウです。ここにいるマカベの友人です。彼のことは、あなたも知っているでしょう? 私たちが話を聞いて、観光ホテルの人たちに伝えます。だからどうか話してください、何があったのか……」
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