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第十九章 荒涼楽土
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荒涼たる風に吹かれながら、ふるさとの血塗られた過去に触れ続けた後だけに、例年通り十二月に隣町の音楽ペンション〈アマデウス〉で、陽奈子先生のピアノ教室の発表会が開かれたことは、留夏子にとっても悠太郎にとっても救いとなった。食堂ホールには子供たちやその親たちが、それぞれに着飾って集まっていた。子供たちが前列で待機し、親たちが後列で鑑賞する客席の左手の明るい窓辺には、飾り棚にオーストリア産のワインの青い空き瓶が一列に並べられ、それらの瓶の青いガラスを透かして黄色い電飾が、いかにもクリスマスを待つ季節に相応しく明滅していた。悠太郎は毛深い手の指を鍵盤に置くと、ハイドンのピアノ・ソナタ第四二番ト長調から第一楽章を披露した。ハイドンを重点的に教えてくれた陽奈子先生に、悠太郎は深く感謝していた。このト長調のソナタは明るいけれど、それはけっして眩しすぎる光でも、羽目を外した有頂天の乱痴気騒ぎでもなかった。そこに満ちているのは節度ある活力であり、黄金の中庸が発する健やかな輝きであった。「いいかね諸君、この人生で大切なのは」と、その音楽を通じてパパ・ハイドンは教えているかのようであった。「この人生で大切なのは、常に程よく上機嫌でいることだ。上機嫌といっても、馬鹿笑いなどせんでよろしい。飛び跳ねるような大喜びなどせんでよろしい。諸君はそういうものが人生の楽しみだと思うかもしれない。特に若いうちはな。しかし馬鹿笑いも欣喜雀躍も、しょせんは突発的で一時的なものにすぎない。そんな楽しさはエネルギーを無益に消耗させるばかりで、長続きはしないのだよ。それよりはむしろ節度を持って、快活な上機嫌を保ちたまえ。この曲のようなコン・ブリオだ。こういう快活な足取りで、一歩一歩進んでゆきたまえ。飛んだり跳ねたりするのではなく、着実に一歩一歩進みながら、次々と課せられる義務や試練に、落ち着いて対処したまえ。時には暗いものに触れて気分が落ち込むこともあろう。悲しみに心が沈むこともあろう。しかし常日頃から程よい上機嫌を保っていれば、精神には弾力が生まれる。落ち着いて悲しいことや嫌なことに対処してしまえば、またすぐに程よい上機嫌に戻ることができるのだ。これがしばしば平凡でつまらないと言われる私の音楽の教えだよ。聴きたまえ諸君、聴きたまえ、聴きたまえ、聴きたまえ……」音の粒がよく揃った悠太郎のピアノ演奏を通じて、ハイドンが人々にそう語っているかのようであった。
陽奈子先生の講師演奏は、アマデウスおじさんの銀のフルートとの共演ともども、会場に相応しくモーツァルトに捧げられた。陽奈子先生は腕を生き生きと波打たせながら、K四八五のニ長調のロンドを弾いた。「この曲のなんという自在な喜戯だろう」と思いながら、悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いた。音符と音符のあわいを流動するこの世ならぬ光はどうだろう。その流動する光に乗って喜び戯れる音たちは、あの調からこの調へ、あの明からこの暗へと跳びまわるではないか――。さてモーツァルトを愛するあまり、髪の毛の生え際がM字型になってしまったアマデウスおじさんは、K一五のフルート・ソナタ第六番変ロ長調を吹いたが、例によって馬が臭いを嗅ぐときのように、歯茎を剥き出しにしながら息継ぎをした。「この優しく懐かしい息吹はどこから来るのだろう」と悠太郎は演奏を聴きながら思った。この優しさも、この懐かしさも、ほとんどこの世のものではないように思われる。いや、これはむしろこの世の青空をいっそう澄み渡らせるような音楽だ。この世の風をいっそう優しくそよがせ、この世の樹々をいっそう輝かしく歌わせ、この世の野原をいっそう緑に息づかせ、この世の湖をいっそう賑やかに細波立たせ、この世の星々をいっそう深く物語らせるような音楽ではないか。フルートやピアノの楽句のひとつひとつに、青空の澄み渡りや風のそよぎや、樹々の歌や野原の息づきや、湖の波立ちや星々の物語が映っているではないか。ああ、これから幼年時代に帰って、それらのものを初めてのように見たり聞いたりできたなら、その素晴らしさをきっといつまでも忘れまいとするだろうに。水が澄んでいた照月湖で、ノリくんと初めてボートに乗ったあの日がもう一度戻ってくるなら、俺はどんなにその刻々の時を味わい尽くそうとするだろう。だがそれらの日々は失われなければならないのだ。あたかもそれらの日々の喪失を償うかのように、モーツァルトの音楽はいよいよ優しく懐かしく響き渡るのだ――。
陽奈子先生やアマデウスおじさんや留夏子が、みんなと椅子を並べ替えたりテーブルを運び込んだりして、いつしかお茶の会が始まった。ベイクドチーズケーキが皿に切り分けられ、紙ナプキンを敷いたバスケットにチョコレートが盛られ、花柄のティーポットからティーカップへと紅茶が注がれた。やや日の翳った窓辺では、ワインの青いガラス瓶を透かして黄色い電飾が明滅していた。「ところであのお話は本当なんですか?」と留夏子はアマデウスおじさんに質問した。留夏子が言うのは、幼いモーツァルトが王侯や侯妃たちの御前演奏でご褒美をもらったとき、「音楽だけではなく私のことも、うんと愛してくださいますか」と、小さな声で尋ねたという話であった。留夏子はそれを陽奈子先生が持っていた『音楽を愛する友へ』という文庫本で読んで知っていたのである。アマデウスおじさんは皺の寄った目尻をにこにこ笑わせながら、「さすがは読書家のルカちゃん。よく知っていますね。ピアニストのエトヴィン・フィッシャーが伝えている話ですね。フィッシャーはその話を知ったとき、万巻の書物を読むよりもよくモーツァルトの様式のことが分かったと書いていましたね。実は私もその典拠はまだ調べていないんです。知りたいとは思っているんですけどね、どうも不精なおじさんで……。しかしいかにもありそうな話だとは思いますよ。いかにもモーツァルトらしい」と答えて紅茶をひと口飲んだが、会話に傾聴する悠太郎に気がつくと、「そういえば陽奈子先生、ハイドンはオラトリオのなかに、モーツァルトのレクイエムを引用していましたね」と話題を変えた。留夏子と悠太郎の「そうなんですか?」という声が揃った。「ええ、そうよ」と陽奈子先生が答え、「オラトリオ《四季》のなかで、モーツァルトのレクイエムを引用しています。レクイエムの〈かつて御身がアブラハムとその子孫に約束したように〉という部分が、種蒔きを終えて豊かな実りを祈る農民たちの歌に変わっているの」と続けた。「そうか、モーツァルトはハイドンより後に生まれて、先に亡くなったんですね」と悠太郎が言うと、「若き天才の訃報を聞いたハイドンの胸中は、どんなだったでしょうね」とアマデウスおじさんが応じた。「もしハンガリーでハイドンの《四季》を聴かなかったら、私が六里ヶ原に来ることはなかったでしょうね」と陽奈子先生が言うと、留夏子と悠太郎とアマデウスおじさんの「そうなんですか?」という声が揃った。「そのことはいつか話す機会もあるでしょう」と陽奈子先生は言った。
「素敵な発表会だったわね」と正子伯母様は、真壁の家に帰ると感想を述べた。正子は自衛隊を定年退職した夫の英久とともに、高崎に移り住んでいたのである。ヒデッサ伯父様の故郷である高崎の駅近くに、ふたりはマンションを購入していた。「現金払いで買ったのよ」と秀子はいつか、姉のことながら自慢げに悠太郎に話したことがあった。夫が自衛官で妻が薬剤師で、しかも子供がいないとあっては、お金の貯まらない道理はなかった。しかしふたりとも勤勉であったから、ヒデッサ伯父様は近くの銀行に、正子伯母様は近くの薬局に、それぞれ仕事を得ていた。その高崎からこの六里ヶ原までは、自動車で二度上峠を越えればよかった。ところがその自動車に問題があった。英久が選んだ自動車は緑色のミニクーパーで、洒落てはいるが山越えのパワーの点では甚だ心許なかった。大人ふたりを載せて山道を登るには、エアコンやカーラジオを切らなければならないのだという。「まったくなんであんな車を選んだのよ」と非難がましく言う正子に、「いいじゃないか。男のロマンなんだから」と英久はどこか上滑りするような声で答えた。その正子伯母様は秀子と悠太郎に付き添って、〈アマデウス〉での発表会を聴いていたのである。イタリア語のオペラが好きな正子はアマデウスおじさんと、モーツァルトの《フィガロの結婚》や《コシ・ファン・トゥッテ》や《ドン・ジョヴァンニ》の素晴らしさについて、ひとしきり話を弾ませていた。「素敵な発表会だったわね。ユウちゃんはよくやったし、あのペンションも温もりがあっていいところ」と、正子はすっかり満足した様子であった。
「ところで全然話は変わるけど、軽井沢にアウトレットモールがオープンしたんだよね。どうなの? 賑わってる?」と英久が出し抜けに言った。「そうね、結構人は来ているみたいだけど、私もまだ行ったことがなくて」と秀子が答えると、「今から行ってみましょうか」と正子が提案した。「ユウちゃんに手頃なコートの一着も買ってあげたいのよ。もう中学生なんだから、それなりのものを着てもいいでしょう? ピアノを頑張ったから、今日の思い出に」と正子はいつものように甥への慈しみを滲ませた。「そうね。冬の軽井沢見物もいいわね」と秀子が話に乗ると、「今日はお祭りみたいなもんだ。お祭りの日は楽しまなくちゃ。ユウちゃんが自分で選ぶ練習だ」と英久も乗り気であった。そういうわけで秀子は自分の自動車に、姉夫婦とわが子を乗せて軽井沢へと出発した。
服を選ぶことが悠太郎は苦手であった。自分にはファッションセンスのかけらもないと悠太郎は常々感じていたから、衣服にはまったく無頓着であった。祖父の千代次が昔着ていたセーターを譲られ、それを平気で着ているようなところがあった。ほかのどんな買い物よりも、服選びは悠太郎を悩ませ疲れさせた。だからこのときも伯母の心遣いに感謝はしながらも、悠太郎は車に揺られる道々いくらか憂鬱であった。もしも適当な品物を選び出すことができなかったら、大好きな伯母様を傷つけることにならないか――。
広大な駐車場に停められた車から四人が降り立ったとき、冬の日ははや暮れかけていた。クリスマスを待つ季節とて、賑やかにイルミネーションが施されたモール内を、悠太郎たちはあの店この店と歩きまわった。なんとまあ豊富な種類の服が売られていることであろう!――浅間山の北麓では見られないその圧倒的な物量に、悠太郎は目も眩む思いであった。赤や黒や黄色や青の服が、さながら幻灯のように悠太郎の視界を横切っていった。「しっかりしなければならない」と悠太郎は自分に言い聞かせた。目も綾な情報の洪水に幻惑されてはいけない。自分に相応しいものを、ひとつだけ見定めなければ――。
エディー・バウアーの店に入ったとき、悠太郎の目を引いたものがあった。それは暗い緑色を基調とするコートで、袖の折り返しと襟は深い茶色であった。新品ながら年古りたような風合いのメタルボタンが、いくつかついていた。華美なところのない、質実で落ち着いたその雰囲気が悠太郎の気に入った。「私を着るがいい」とそのコートは悠太郎に語りかけるかのようであった。「私を身に着けて、来たるべきいくつもの冬を乗り越えるがいい。私を着て、おまえの大切な人の隣に並ぶがいい。六里ヶ原の荒涼たる吹雪からも、高崎を吹く赤城おろしのからっ風からも、私はきっとおまえを守ろう……」
外はすっかり暗くなって、イルミネーションばかりがいよいよ明るかった。悠太郎は選んだコートが入った紙袋を手に、母と伯母と伯父について歩いた。そのとき悠太郎の胸を痛いように貫く思いがあった。音楽ペンション〈アマデウス〉での温かなひとときも、家族とのそれなりに幸せなひとときも、もうこれきり終わってしまうのではないか。一年後の今頃は、留夏子さんが高校受験を控えることになる。その一年後は俺の番だ。来年までピアノを続けるとすれば、〈アマデウス〉はもう一度ある。だがその場にはもう留夏子さんは来ないだろう。そして留夏子さんはどこへ行くのだろう。そして俺はどこへ行くのだろう。荒涼たるふるさとの記憶を背負って、俺たちはどこへ行くのだろう――。イルミネーションの明るみのなかで小雪が舞っていた。降る雪は落ちることを拒むかのように舞い上がりながら、結局はやはり後から後から落ちてくるのであった。
陽奈子先生の講師演奏は、アマデウスおじさんの銀のフルートとの共演ともども、会場に相応しくモーツァルトに捧げられた。陽奈子先生は腕を生き生きと波打たせながら、K四八五のニ長調のロンドを弾いた。「この曲のなんという自在な喜戯だろう」と思いながら、悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いた。音符と音符のあわいを流動するこの世ならぬ光はどうだろう。その流動する光に乗って喜び戯れる音たちは、あの調からこの調へ、あの明からこの暗へと跳びまわるではないか――。さてモーツァルトを愛するあまり、髪の毛の生え際がM字型になってしまったアマデウスおじさんは、K一五のフルート・ソナタ第六番変ロ長調を吹いたが、例によって馬が臭いを嗅ぐときのように、歯茎を剥き出しにしながら息継ぎをした。「この優しく懐かしい息吹はどこから来るのだろう」と悠太郎は演奏を聴きながら思った。この優しさも、この懐かしさも、ほとんどこの世のものではないように思われる。いや、これはむしろこの世の青空をいっそう澄み渡らせるような音楽だ。この世の風をいっそう優しくそよがせ、この世の樹々をいっそう輝かしく歌わせ、この世の野原をいっそう緑に息づかせ、この世の湖をいっそう賑やかに細波立たせ、この世の星々をいっそう深く物語らせるような音楽ではないか。フルートやピアノの楽句のひとつひとつに、青空の澄み渡りや風のそよぎや、樹々の歌や野原の息づきや、湖の波立ちや星々の物語が映っているではないか。ああ、これから幼年時代に帰って、それらのものを初めてのように見たり聞いたりできたなら、その素晴らしさをきっといつまでも忘れまいとするだろうに。水が澄んでいた照月湖で、ノリくんと初めてボートに乗ったあの日がもう一度戻ってくるなら、俺はどんなにその刻々の時を味わい尽くそうとするだろう。だがそれらの日々は失われなければならないのだ。あたかもそれらの日々の喪失を償うかのように、モーツァルトの音楽はいよいよ優しく懐かしく響き渡るのだ――。
陽奈子先生やアマデウスおじさんや留夏子が、みんなと椅子を並べ替えたりテーブルを運び込んだりして、いつしかお茶の会が始まった。ベイクドチーズケーキが皿に切り分けられ、紙ナプキンを敷いたバスケットにチョコレートが盛られ、花柄のティーポットからティーカップへと紅茶が注がれた。やや日の翳った窓辺では、ワインの青いガラス瓶を透かして黄色い電飾が明滅していた。「ところであのお話は本当なんですか?」と留夏子はアマデウスおじさんに質問した。留夏子が言うのは、幼いモーツァルトが王侯や侯妃たちの御前演奏でご褒美をもらったとき、「音楽だけではなく私のことも、うんと愛してくださいますか」と、小さな声で尋ねたという話であった。留夏子はそれを陽奈子先生が持っていた『音楽を愛する友へ』という文庫本で読んで知っていたのである。アマデウスおじさんは皺の寄った目尻をにこにこ笑わせながら、「さすがは読書家のルカちゃん。よく知っていますね。ピアニストのエトヴィン・フィッシャーが伝えている話ですね。フィッシャーはその話を知ったとき、万巻の書物を読むよりもよくモーツァルトの様式のことが分かったと書いていましたね。実は私もその典拠はまだ調べていないんです。知りたいとは思っているんですけどね、どうも不精なおじさんで……。しかしいかにもありそうな話だとは思いますよ。いかにもモーツァルトらしい」と答えて紅茶をひと口飲んだが、会話に傾聴する悠太郎に気がつくと、「そういえば陽奈子先生、ハイドンはオラトリオのなかに、モーツァルトのレクイエムを引用していましたね」と話題を変えた。留夏子と悠太郎の「そうなんですか?」という声が揃った。「ええ、そうよ」と陽奈子先生が答え、「オラトリオ《四季》のなかで、モーツァルトのレクイエムを引用しています。レクイエムの〈かつて御身がアブラハムとその子孫に約束したように〉という部分が、種蒔きを終えて豊かな実りを祈る農民たちの歌に変わっているの」と続けた。「そうか、モーツァルトはハイドンより後に生まれて、先に亡くなったんですね」と悠太郎が言うと、「若き天才の訃報を聞いたハイドンの胸中は、どんなだったでしょうね」とアマデウスおじさんが応じた。「もしハンガリーでハイドンの《四季》を聴かなかったら、私が六里ヶ原に来ることはなかったでしょうね」と陽奈子先生が言うと、留夏子と悠太郎とアマデウスおじさんの「そうなんですか?」という声が揃った。「そのことはいつか話す機会もあるでしょう」と陽奈子先生は言った。
「素敵な発表会だったわね」と正子伯母様は、真壁の家に帰ると感想を述べた。正子は自衛隊を定年退職した夫の英久とともに、高崎に移り住んでいたのである。ヒデッサ伯父様の故郷である高崎の駅近くに、ふたりはマンションを購入していた。「現金払いで買ったのよ」と秀子はいつか、姉のことながら自慢げに悠太郎に話したことがあった。夫が自衛官で妻が薬剤師で、しかも子供がいないとあっては、お金の貯まらない道理はなかった。しかしふたりとも勤勉であったから、ヒデッサ伯父様は近くの銀行に、正子伯母様は近くの薬局に、それぞれ仕事を得ていた。その高崎からこの六里ヶ原までは、自動車で二度上峠を越えればよかった。ところがその自動車に問題があった。英久が選んだ自動車は緑色のミニクーパーで、洒落てはいるが山越えのパワーの点では甚だ心許なかった。大人ふたりを載せて山道を登るには、エアコンやカーラジオを切らなければならないのだという。「まったくなんであんな車を選んだのよ」と非難がましく言う正子に、「いいじゃないか。男のロマンなんだから」と英久はどこか上滑りするような声で答えた。その正子伯母様は秀子と悠太郎に付き添って、〈アマデウス〉での発表会を聴いていたのである。イタリア語のオペラが好きな正子はアマデウスおじさんと、モーツァルトの《フィガロの結婚》や《コシ・ファン・トゥッテ》や《ドン・ジョヴァンニ》の素晴らしさについて、ひとしきり話を弾ませていた。「素敵な発表会だったわね。ユウちゃんはよくやったし、あのペンションも温もりがあっていいところ」と、正子はすっかり満足した様子であった。
「ところで全然話は変わるけど、軽井沢にアウトレットモールがオープンしたんだよね。どうなの? 賑わってる?」と英久が出し抜けに言った。「そうね、結構人は来ているみたいだけど、私もまだ行ったことがなくて」と秀子が答えると、「今から行ってみましょうか」と正子が提案した。「ユウちゃんに手頃なコートの一着も買ってあげたいのよ。もう中学生なんだから、それなりのものを着てもいいでしょう? ピアノを頑張ったから、今日の思い出に」と正子はいつものように甥への慈しみを滲ませた。「そうね。冬の軽井沢見物もいいわね」と秀子が話に乗ると、「今日はお祭りみたいなもんだ。お祭りの日は楽しまなくちゃ。ユウちゃんが自分で選ぶ練習だ」と英久も乗り気であった。そういうわけで秀子は自分の自動車に、姉夫婦とわが子を乗せて軽井沢へと出発した。
服を選ぶことが悠太郎は苦手であった。自分にはファッションセンスのかけらもないと悠太郎は常々感じていたから、衣服にはまったく無頓着であった。祖父の千代次が昔着ていたセーターを譲られ、それを平気で着ているようなところがあった。ほかのどんな買い物よりも、服選びは悠太郎を悩ませ疲れさせた。だからこのときも伯母の心遣いに感謝はしながらも、悠太郎は車に揺られる道々いくらか憂鬱であった。もしも適当な品物を選び出すことができなかったら、大好きな伯母様を傷つけることにならないか――。
広大な駐車場に停められた車から四人が降り立ったとき、冬の日ははや暮れかけていた。クリスマスを待つ季節とて、賑やかにイルミネーションが施されたモール内を、悠太郎たちはあの店この店と歩きまわった。なんとまあ豊富な種類の服が売られていることであろう!――浅間山の北麓では見られないその圧倒的な物量に、悠太郎は目も眩む思いであった。赤や黒や黄色や青の服が、さながら幻灯のように悠太郎の視界を横切っていった。「しっかりしなければならない」と悠太郎は自分に言い聞かせた。目も綾な情報の洪水に幻惑されてはいけない。自分に相応しいものを、ひとつだけ見定めなければ――。
エディー・バウアーの店に入ったとき、悠太郎の目を引いたものがあった。それは暗い緑色を基調とするコートで、袖の折り返しと襟は深い茶色であった。新品ながら年古りたような風合いのメタルボタンが、いくつかついていた。華美なところのない、質実で落ち着いたその雰囲気が悠太郎の気に入った。「私を着るがいい」とそのコートは悠太郎に語りかけるかのようであった。「私を身に着けて、来たるべきいくつもの冬を乗り越えるがいい。私を着て、おまえの大切な人の隣に並ぶがいい。六里ヶ原の荒涼たる吹雪からも、高崎を吹く赤城おろしのからっ風からも、私はきっとおまえを守ろう……」
外はすっかり暗くなって、イルミネーションばかりがいよいよ明るかった。悠太郎は選んだコートが入った紙袋を手に、母と伯母と伯父について歩いた。そのとき悠太郎の胸を痛いように貫く思いがあった。音楽ペンション〈アマデウス〉での温かなひとときも、家族とのそれなりに幸せなひとときも、もうこれきり終わってしまうのではないか。一年後の今頃は、留夏子さんが高校受験を控えることになる。その一年後は俺の番だ。来年までピアノを続けるとすれば、〈アマデウス〉はもう一度ある。だがその場にはもう留夏子さんは来ないだろう。そして留夏子さんはどこへ行くのだろう。そして俺はどこへ行くのだろう。荒涼たるふるさとの記憶を背負って、俺たちはどこへ行くのだろう――。イルミネーションの明るみのなかで小雪が舞っていた。降る雪は落ちることを拒むかのように舞い上がりながら、結局はやはり後から後から落ちてくるのであった。
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