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第十八章 森の葉隠れ
一
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高くなった青空の下でアキアカネが飛び交い二学期が始まって、佐藤留夏子が銀色に光る自転車で颯爽と通学路を走り抜けると、ススキの葉は風にさわさわと鳴って穂波は白く静かに揺れた。しかし合唱コンクールの自由曲の指揮者となった留夏子の心は、もはや騒ぎもしなければ揺らぎもしなかった。練習を導くに際して、すでに留夏子のなかには確固たる指針ができていたからである。二年生たちが実際に歌うことになる文語訳の歌詞、その口語訳、ドイツ語の歌詞、片仮名によるその発音、そしてドイツ語の歌詞の日本語訳という五行を連ねて印字された例の紙を、留夏子は担任の埴谷高志先生に頼んで藁半紙に印刷してもらい、クラスの――つまりは学年の――全員に配布した。埴谷先生もクラスのみんなも、歌詞の意味を一目瞭然たらしめるこの教材に驚いたものの、そうしたものが留夏子から出てきたことを別段怪しみはしなかった。留夏子の母の陽奈子先生がハンガリーに留学していたことや、昔そこはオーストリア゠ハンガリー帝国であったことや、それゆえ陽奈子先生が留学時代にドイツ語を使っていたことを、うっすらと知っている人は知っていたからである。「そうだ、これはいいぞ佐藤さん。教材というものは、何もかもがひとつにまとまっているのがいいんだな。これを調べるときにはあれを見ろ、あれを調べるときにはこれを見ろというんじゃあ、手間がかかって勉強する気が失せる。俺たち教員も見習って、こういう教材を作らなければならん。この歌詞のプリントは、俺たちの合唱を勝利へと導くぞ」と埴谷先生は、モアイのように四角張った大きな顔の離れた両目でプリントを見ながら、破れ鐘のようなでかい声で言って喜んだ。「六里ヶ原の明鏡が導いてくれるんです」と言いたい気持ちを留夏子は抑えると、眩しいものでも見るように切れ長の目を細めて、口許だけに微笑みを浮かべた。こうしてみんなに配られることを想定して、悠太郎はワープロ打ちで筆跡を隠したのであった。練習のたび楽譜とともに、みんなは歌詞のプリントを参照した。それはあまりにも便利であったから、その出どころを問題にする生徒は誰もいなかった。ただ音楽の棚橋晶子先生だけは、そのプリントを充血した目でちらと見て不審なものを感じた。「佐藤さんの母親がいくらピアノの先生で、ハンガリーに留学してドイツ語を使っていたとはいえ、今に至るまで昔使った言語を憶えているものだろうか。佐藤さんが〈流浪の民〉の原曲を聴きたいと言ったとき、私は面倒だと思って却下した。佐藤さんは、あれからどうにかしてドイツ語の歌詞とその訳を手に入れたのだ。原曲の音源も聴いたのかもしれない。ドイツ語? ドイツ語で〈魔王〉を歌った生徒がどこかにいたな。一年生の真壁くんだ。あいつは佐藤さんの母親にピアノを習っているというが、まさか他学年に協力することもあるまい。しかしいくら佐藤さんが優秀でも、独力でこんなプリントを作れるとはとても思えない。誰がいるのか? 森の葉隠れに誰がいるのか?」
しかし棚橋先生のそんな疑念もどこ吹く風と、秋の深まりとともに二年生たちは〈流浪の民〉を着実に習得していった。照月湖に中秋の名月が円かな姿を映した後で、畑にも牧草地にも初霜が降り、山林の樹木が冷涼の気のなかで燃えるように紅葉する頃には、姿と声で六里ヶ原を彩る冬鳥たちと競い合うように、少年少女たちは歌声とピアノに磨きをかけた。ゴミシの赤い実をついばむツグミの笑うような鳴き声や、唐松の種を食べる黄色いマヒワの高く澄んだ歌声や、青い色をしたルリビタキの愁いを帯びた地鳴きに負けじと、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者たちは練習を重ねた。初めのうちこそ留夏子は、悠太郎が練習に同席できないことを残念がり、なぜ一年早く生まれてくれなかったかと思いもした。しかし悠太郎が作ってくれた歌詞のプリントやアナリーゼを熟読し、それに基づいて練習を進めるうちに、悠太郎がその場にいないことから来る欠落感は、不思議と消えていった。
いつも孤高の人として敬して遠ざけられてきた留夏子は、次第にクラスメイトたちと心を通わせるようになっていった。「ルカの指揮はいいな。流れるような無駄のない動きだ。歌詞や楽譜の教え方は、さすがピアノの先生の娘だな。身も心も委ねて歌えば、俺たちのどこにこんな表現力が潜んでいたのかと驚くような音楽が出てくる」と竹渕智也は体育館練習のとき、しっかりとした顎の骨格ゆえか響きのよい声で留夏子を褒め称えたが、それは二年生みんなの偽らざる思いであった。「おいブチ公、ルカの指揮はもちろんいいが、ペトラのピアノも忘れちゃならねえぞ。ただおとなしく伴奏の音を埋めているだけじゃねえ。とんがるところはちゃんととんがって、歌と対等に自己主張しやがる。みんなもっと歌いながらペトラのピアノを聴きやがれ。正直に言うが、俺は学校の音楽でやるような歌で、こんなに愉快な思いを味わったことはねえよ。ルカが振ってペトラが弾けば、俺たちが勝てねえわけはねえ!」とマッシモ・ジョルジョこと真霜譲治が気炎を上げた。ペトラこと岩瀬麻衣が「あたしだってやるときはやるのさ」とのんびりした口調で言い、「誰にも文句は言わせまい!」と自分の名前に引っかけたギャグを付け加えると、みんなはどっと笑った。
昼休みや学校帰りに合唱についてふた言、三言話す機会を捉えては、留夏子は悠太郎の感じ方や考え方を身に着けていった。例えばこんなことがあった。放課後の廊下ですれ違いざま、「真壁、流浪の民が眠りに就くところだけど、リタルダンドの始まりを一拍早めたいの。どう思う?」と留夏子が問うた。悠太郎は物問いたげな目を見開きながら楽譜と歌詞を思い浮かべ、何秒か考えた後で「いいと思います。夢に落ちることを表すとともに、ドイツ語のdas glückliche Landを印象づけるためのリタルダンドですから、それに対応する訳語が出てくるところまで早めるのは、許容される処置だと思います」と答えた。「ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると思った」と留夏子は応じ、切れ長の目を細めて口許だけに微笑みを浮かべた。
こうしていつしか留夏子は、悠太郎の目で歌詞を追い楽譜を読み、悠太郎の耳で音の響きを聴くようになっている自分に気がついた。練習で合唱を指揮するあいだじゅう、留夏子はその場にいない悠太郎が自分を導いてくれるのを感じていた。「それにしてもアナリーゼの譜例に彼が書いてくれた音符は、なんと緻密で端正なのだろう。母さんに聴音を習い始めたばかりの彼は、お団子のような音符を五線紙ノートに書いていたのに」と留夏子は、一歳とはいえ年上の女の寛大さで思った。「なんと彼は成長したことだろう。私は音楽を学び始めたばかりの彼を知っている。たどたどしい手つきでピアノを弾き、聴音でお団子のような音符を書き取り、ソルフェージュで幼い声を張り上げていた彼を思えば、なんと微笑ましいことだろう。その彼が今や立派に成長し、こうして私を支えてくれている。幼稚園の園庭で〈アルプス一万尺〉の手遊びをしていた頃から、こうなることは決まっていたのだろうか。彼と一緒に私は成長した。彼はいつも私の近くにいてくれた。私はきっと彼に恥じない指揮ぶりを見せよう。この合唱をきっと成功させよう……」
あたり一面に散り敷いた楢の枯葉を縁取る霜が朝日に光り、唐松の樹々の針葉が黄金色に輝いて燃え上がる午前、石油ストーブで温められた体育館でニ長調の校歌の斉唱が終わった後、文化祭と合唱コンクールの開会を宣言して一席ぶったのは、大岡越前とあだ名される剣持校長先生であった。なぜそんなあだ名が囁かれたのかというと、筆と墨で書いたような黒々と太く長い眉毛や、面長で彫りの深い端正な顔立ちや、よく響く渋みのある低い声が、民放の時代劇で大岡越前守忠相を演じていた俳優にそっくりだったからである。剣持校長から見て前列には一年生、二年生、三年生が順に後方へと椅子を連ね、その後ろには親たちのための席が設けられていた。向かって左側には、スーツを着用した教員たちが勢揃いしていた。そして向かって右側の石油ストーブに近いあたりには、老人会のための席が設けられていた。そこに留夏子の祖父の佐藤今朝次さんは、険のある皺だらけの顔を見せてもいたし、神川直矢の祖母の小野屋ツギさんは、銀歯を光らせる笑顔を見せてもいたし、真壁千代次と親しい田茂喜三郎さんは、いつか胃癌で胃を摘出したために痩せたひょうたん顔を見せてもいたし、その妻のヨシノさんの古い麻袋のような姿と、左目の下に傷跡の残る顔が見られもした。千代次と梅子もそこにいた。音楽が好きな梅子は、パンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら合唱を楽しみにしていたが、そうでもない千代次は気乗りしない様子で、眼鏡の奥の極度に細い近視の目をしばたたいていた。
さて剣持校長先生にはおかしな癖があった。話をするとき、よく響く渋みのある低い声で、頻繁に「えー」と言わずにいられないのである。悠太郎は入学式のときから、剣持校長の奇妙な口癖に気がついていた。「えー、新一年生のみなさん。えー、ご入学おめでとうございます。えー、皆さんはこれまで、えー、児童と呼ばれていましたが、えー、これからは、えー、生徒と呼ばれます。えー、中学生としての自覚を持って、えー、清く正しく……」と話す剣持校長の声を聞いているうちに、悠太郎は渋みがかったヴァイブレーションを帯びたその「えー」が、耳について離れなくなるような気がした。いつしか悠太郎の意識は「えー」にばかり集中され、「えー」以外の話の内容がほとんど記憶に残らなくなってしまった。毎週月曜日に多目的室で行なわれる朝礼のときも、終業式や始業式といった式典のときも同様であった。もっとも「えー」をおかしがっているのは悠太郎ばかりではなかった。「えー、皆さんは、えー、一学期の期末試験を終え、えー、解放感を、えー、味わっていると思います。えー、夏の季節には、えー、六里ヶ原を、えー、多くの避暑客や観光客が、えー、訪れます。えー、夏休みは、えー、誘惑の多い季節です。えー、皆さんは、えー、気を緩めすぎることなく、えー、志操正しい生活を、えー、心がけ、えー、また二学期が始まるときまで、えー、心身ともに健康で、えー、いてください」などと剣持校長が語るあいだ、学生服に身を固めた生徒たちの多くは、笑いを噛み殺していたのである。式典が終わった後で神川直矢は、白目の冴えた小さな目を面白そうに笑わせながら、「おい、今日の大岡越前は〈えー〉を何回言った?」と大柴映二に話しかけた。映二が細長い目を笑わせながら「途中まで数えていたんだが、そのうち意識が宇宙まで飛んだぜ」と答えると、直矢は機関銃のように高笑いした。このふたりほど露骨ではないまでも、多くの生徒が長い話の退屈しのぎに、やはり「えー」を数えては楽しんでいたのである。
さてその剣持校長が、文化祭と合唱コンクールの開会を宣言して一席ぶとうというのである。ステージ上には合唱のための雛段と指揮台とグランドピアノが用意されていたので、剣持校長はマイクを持ってみんなと同じ高さで前に立ち、一堂に会した人々を見渡した。生徒たちがいる。その親たちや祖父母たちがいる。それぞれに熱心な教員たちがいる。今日は入学式のように、新しい生徒たちを迎える緊張感はない。卒業式のように別れの悲しみもないから、涙を堪える必要はない。今日は祝祭なのだ。中学校の校長たることの静かな喜びは、文化祭が挙行される今日この日に極まるというものだ――。剣持校長は笑顔になりそうなのを抑えるために、筆と墨で書いたような黒々と太い眉毛をわざと寄せ、面長で彫りの深い端正な顔をわざと翳らせると、マイクで第一声の「えー」を渋く響かせた。
「えー、晴天のもと野菊の花咲き匂う秋のよき日に、えー、本校の文化祭と、えー、それに伴う合唱コンクールを、えー、開催できますことは、えー、大きな喜びであります。えー、長い二学期も、えー、早いもので半ばを過ぎました。えー、始まったときには、えー、まだ夏の名残が感じられましたが、えー、いつの間にか秋は深まり、えー、樹々の葉は赤に黄色に燃え上がったかと思うと、えー、散り急いでゆきました。えー、まことに時は留め難いものです。えー、少年老い易く、えー、学成り難しと申します。えー、生徒の皆さんには、えー、まだ分からないかもしれませんが、えー、若い日々は速やかに、えー、過ぎ去ってゆきます。えー、まことに青春は短く、えー、人生は長いのであります。えー、しかし過ぎ去る季節を、えー、思い出に留めることはできます。えー、生徒の皆さんは、えー、その時々を精一杯に生きています。えー、その時々を精一杯に生きたという事実こそが、えー、よき思い出として留まるのです。えー、今日展示されています絵画や書道の作品は、えー、生徒の皆さんがそうして日々を精いっぱい生きていることの、えー、証です。えー、この後で発表されます合唱も、えー、その証です。えー、歌う曲を決め、えー、役割を決め、えー、パート練習をし、えー、皆で合わせ、えー、歌詞について話し合い、えー、理解を深め、えー、表現を工夫する。えー、そうした過程のなかには、えー、少なからぬ困難が、えー、あったと思います。えー、しかし樹々の葉が、えー、冷たい空気によって、えー、美しい紅葉を見せたように、えー、生徒の皆さんの合唱も、えー、様々な試練によって磨かれ、えー、美しさを増したことと思います。えー、紅葉といえば私の好きな樹木に、えー、ナナカマドがあります。えー、ナナカマドは秋に真っ赤な実をつけ、えー、その葉もまた真っ赤に色づきます。えー、しかし葉が散った後までも、えー、その赤い実は朽ちることなく、えー、枝に残っています。えー、驚くべきことに、えー、ソルビン酸という成分によって、えー、霜や雪に凍えながらも、えー、腐ることなく、えー、ヒレンジャクやキレンジャクといった鳥たちの、えー、餌となっているのです。えー、朽ちることなく試練に耐えたものこそが、えー、私たちの心を養い、えー、朽ちない心へと変えてくれるのです。えー、これから発表される合唱もまた、えー、そのようであってほしいと、えー、望みます。えー、ちなみにナナカマドの花言葉ですが、えー、これには〈慎重〉とか、えー、〈賢明〉とか、えー、〈安全〉とか、えー、〈用心〉とかいうものがあります。えー、生徒の皆さんは本番においても、えー、過度に緊張せず、えー、かといって情熱を暴走させることもなく、えー、賢い思慮分別を持って、えー、どうか歌ってください……」
詰襟の黒い学生服に身を固めた悠太郎は、椅子に座って剣持校長の荘重な話を聞いていたが、ナナカマドの赤い実からの連想で、それまで忘れていたことをふと思い出した。小学校からの帰り道にあったグミの樹から、入江いづみと一緒に赤い実を取って食べたことがあったのである。上級生たちはスポーツ少年団の活動があったり、よその通学班の誰かの家へ遊びに行ったりで、あの土曜日の集団下校ではいづみとふたりになったのであった。水面に揺らめく映像のように記憶は揺らいで定かではないが、あれは紀之が亡くなる直前の夏のことではなかっただろうか――。やんだばかりの雨に濡れて光っていた緑の葉と赤い実を、悠太郎はありありと思い出した。赤いランドセルを背負っていたいづみの目の気怠さも懐かしかった。いづみは弓なりのしなやかな眉を、目の開き具合は変えることなく水平に持ち上げながら、「ユウくん、グミの樹にグミの実がなるって、単純でいいわよね。そりゃひとつひとつの実をじっくり比べれば、より甘い実と甘くない実があるのかもしれないけど、私たちが食べる分には、どの実だってだいたい同じでしょう? 人間もこれくらい単純だったらいいのに」と言ったのであった。「そうかな? 人間だって、より高い存在から見れば――例えば神様から見れば――グミの実のように似たり寄ったりかもしれないよ」と悠太郎が答えると、「人間にとっての人間が問題なのよ。グミの実はお互いに争ったりしないでしょう? 俺のほうが甘いとか、俺のほうが大きいとか言わないでしょう? グミの実がグミの実を評価したりしないでしょう? グミの実がグミの実を妬んだりしないでしょう? でも人間は人間同士でそういうことをする。それが私は、とても嫌になったの」といづみは応じた。今にして思えば、いづみはあのとき兄の苦悩を知っていてあんなことを言ったのだ。照月湖がアオコで濁り、紀之が死んだ後では、いづみは亡き兄の代わりのように悠太郎を慕っていた。そんないづみの力になってやれなかったという悔恨が、今さらのように鋭い痛みとなって悠太郎の胸を刺した。いづみとの突然の別れはまだ去年のことなのに、その痛みは遥か時の彼方から来るように思われた。炭焼きをしていた木村ミツル爺さんは死んでしまった。湖の騎士のようだったノリくんは死んでしまった。剽軽者の橋爪進吉さんは死んでしまった。妹のようだったいづみも、気っ風のいい三池光子さんも、狐目の春藤秋男さんも遠くへ行ってしまった。なんと多くの人々が去っていったことだろう――。剣持校長が言った時の留め難さを、悠太郎は改めて痛いほど感じた。
セーラー服に身を包んだ留夏子はしかし、椅子に座って校長の長い話を注意深く聞きながら、気持ちを落ち着かせていた。留夏子ほどの生徒であれば、頻繁に繰り返される「えー」に気を取られることなく、話の要点を容易に掴むことができた。「その時々を精一杯生きたという事実こそが、過ぎゆく時のなかに思い出として留まるのか。大岡越前もいいことを言うじゃない。伊達に校長まで昇り詰めたわけじゃないのね。ナナカマドの花言葉なんて、なかなかロマンティックじゃない。〈慎重〉と〈安全〉と〈賢明〉と〈用心〉か。これは本番前にいいことを聞いたわ。たしかに時が過ぎるのは不思議ね。こうしているあいだにも、一年生たちがステージの袖に入る。ステージに登場する。雛壇に並ぶ。課題曲を歌う。指揮者と伴奏者が交代して、自由曲を歌う。ああ、あれは真壁の声だ。男子のなかでは真壁の声が不思議とはっきり聞こえる。取り立てて声が大きいわけではない。音程が外れているわけではもちろんない。だけどなぜか真壁の声は、ひとりだけよく通ってしまう。声変わりが終わらない男子もいるから、アンサンブルが揃わないのも無理はない。それにしても真壁ひとりがあんなに目立つのは気の毒だわ。あれではきっとまわりに溶け込めないんでしょうね。私もついこの前まではそうだった。でもそんな私を彼は変えてくれた。私たちの森の葉隠れには、彼がいてくれる。それにしてもひとまずはよかった。三年生に勝つ以前に、真壁のいる一年生に負けはしないかと案じたけど、これならまず大丈夫そうね。ああ、一年生の自由曲が終わった。みんなはそれなりに拍手をする。私も形ばかり拍手をする。一年生たちが舞台の袖に引っ込む。そこからまた自分たちの席に帰ってくる。次に歌うのは私たちだ。なんだか楽しみになってきた。いけない、浮かれてはいけない。〈慎重〉と〈安全〉と〈賢明〉と〈用心〉ね。ナナカマドの花言葉が、きっと私たちを守ってくれる。いざ行こう。過ぎ去りゆく今日この時を精一杯生きて、後の日々の思い出にしよう……」
しかし棚橋先生のそんな疑念もどこ吹く風と、秋の深まりとともに二年生たちは〈流浪の民〉を着実に習得していった。照月湖に中秋の名月が円かな姿を映した後で、畑にも牧草地にも初霜が降り、山林の樹木が冷涼の気のなかで燃えるように紅葉する頃には、姿と声で六里ヶ原を彩る冬鳥たちと競い合うように、少年少女たちは歌声とピアノに磨きをかけた。ゴミシの赤い実をついばむツグミの笑うような鳴き声や、唐松の種を食べる黄色いマヒワの高く澄んだ歌声や、青い色をしたルリビタキの愁いを帯びた地鳴きに負けじと、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者たちは練習を重ねた。初めのうちこそ留夏子は、悠太郎が練習に同席できないことを残念がり、なぜ一年早く生まれてくれなかったかと思いもした。しかし悠太郎が作ってくれた歌詞のプリントやアナリーゼを熟読し、それに基づいて練習を進めるうちに、悠太郎がその場にいないことから来る欠落感は、不思議と消えていった。
いつも孤高の人として敬して遠ざけられてきた留夏子は、次第にクラスメイトたちと心を通わせるようになっていった。「ルカの指揮はいいな。流れるような無駄のない動きだ。歌詞や楽譜の教え方は、さすがピアノの先生の娘だな。身も心も委ねて歌えば、俺たちのどこにこんな表現力が潜んでいたのかと驚くような音楽が出てくる」と竹渕智也は体育館練習のとき、しっかりとした顎の骨格ゆえか響きのよい声で留夏子を褒め称えたが、それは二年生みんなの偽らざる思いであった。「おいブチ公、ルカの指揮はもちろんいいが、ペトラのピアノも忘れちゃならねえぞ。ただおとなしく伴奏の音を埋めているだけじゃねえ。とんがるところはちゃんととんがって、歌と対等に自己主張しやがる。みんなもっと歌いながらペトラのピアノを聴きやがれ。正直に言うが、俺は学校の音楽でやるような歌で、こんなに愉快な思いを味わったことはねえよ。ルカが振ってペトラが弾けば、俺たちが勝てねえわけはねえ!」とマッシモ・ジョルジョこと真霜譲治が気炎を上げた。ペトラこと岩瀬麻衣が「あたしだってやるときはやるのさ」とのんびりした口調で言い、「誰にも文句は言わせまい!」と自分の名前に引っかけたギャグを付け加えると、みんなはどっと笑った。
昼休みや学校帰りに合唱についてふた言、三言話す機会を捉えては、留夏子は悠太郎の感じ方や考え方を身に着けていった。例えばこんなことがあった。放課後の廊下ですれ違いざま、「真壁、流浪の民が眠りに就くところだけど、リタルダンドの始まりを一拍早めたいの。どう思う?」と留夏子が問うた。悠太郎は物問いたげな目を見開きながら楽譜と歌詞を思い浮かべ、何秒か考えた後で「いいと思います。夢に落ちることを表すとともに、ドイツ語のdas glückliche Landを印象づけるためのリタルダンドですから、それに対応する訳語が出てくるところまで早めるのは、許容される処置だと思います」と答えた。「ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると思った」と留夏子は応じ、切れ長の目を細めて口許だけに微笑みを浮かべた。
こうしていつしか留夏子は、悠太郎の目で歌詞を追い楽譜を読み、悠太郎の耳で音の響きを聴くようになっている自分に気がついた。練習で合唱を指揮するあいだじゅう、留夏子はその場にいない悠太郎が自分を導いてくれるのを感じていた。「それにしてもアナリーゼの譜例に彼が書いてくれた音符は、なんと緻密で端正なのだろう。母さんに聴音を習い始めたばかりの彼は、お団子のような音符を五線紙ノートに書いていたのに」と留夏子は、一歳とはいえ年上の女の寛大さで思った。「なんと彼は成長したことだろう。私は音楽を学び始めたばかりの彼を知っている。たどたどしい手つきでピアノを弾き、聴音でお団子のような音符を書き取り、ソルフェージュで幼い声を張り上げていた彼を思えば、なんと微笑ましいことだろう。その彼が今や立派に成長し、こうして私を支えてくれている。幼稚園の園庭で〈アルプス一万尺〉の手遊びをしていた頃から、こうなることは決まっていたのだろうか。彼と一緒に私は成長した。彼はいつも私の近くにいてくれた。私はきっと彼に恥じない指揮ぶりを見せよう。この合唱をきっと成功させよう……」
あたり一面に散り敷いた楢の枯葉を縁取る霜が朝日に光り、唐松の樹々の針葉が黄金色に輝いて燃え上がる午前、石油ストーブで温められた体育館でニ長調の校歌の斉唱が終わった後、文化祭と合唱コンクールの開会を宣言して一席ぶったのは、大岡越前とあだ名される剣持校長先生であった。なぜそんなあだ名が囁かれたのかというと、筆と墨で書いたような黒々と太く長い眉毛や、面長で彫りの深い端正な顔立ちや、よく響く渋みのある低い声が、民放の時代劇で大岡越前守忠相を演じていた俳優にそっくりだったからである。剣持校長から見て前列には一年生、二年生、三年生が順に後方へと椅子を連ね、その後ろには親たちのための席が設けられていた。向かって左側には、スーツを着用した教員たちが勢揃いしていた。そして向かって右側の石油ストーブに近いあたりには、老人会のための席が設けられていた。そこに留夏子の祖父の佐藤今朝次さんは、険のある皺だらけの顔を見せてもいたし、神川直矢の祖母の小野屋ツギさんは、銀歯を光らせる笑顔を見せてもいたし、真壁千代次と親しい田茂喜三郎さんは、いつか胃癌で胃を摘出したために痩せたひょうたん顔を見せてもいたし、その妻のヨシノさんの古い麻袋のような姿と、左目の下に傷跡の残る顔が見られもした。千代次と梅子もそこにいた。音楽が好きな梅子は、パンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら合唱を楽しみにしていたが、そうでもない千代次は気乗りしない様子で、眼鏡の奥の極度に細い近視の目をしばたたいていた。
さて剣持校長先生にはおかしな癖があった。話をするとき、よく響く渋みのある低い声で、頻繁に「えー」と言わずにいられないのである。悠太郎は入学式のときから、剣持校長の奇妙な口癖に気がついていた。「えー、新一年生のみなさん。えー、ご入学おめでとうございます。えー、皆さんはこれまで、えー、児童と呼ばれていましたが、えー、これからは、えー、生徒と呼ばれます。えー、中学生としての自覚を持って、えー、清く正しく……」と話す剣持校長の声を聞いているうちに、悠太郎は渋みがかったヴァイブレーションを帯びたその「えー」が、耳について離れなくなるような気がした。いつしか悠太郎の意識は「えー」にばかり集中され、「えー」以外の話の内容がほとんど記憶に残らなくなってしまった。毎週月曜日に多目的室で行なわれる朝礼のときも、終業式や始業式といった式典のときも同様であった。もっとも「えー」をおかしがっているのは悠太郎ばかりではなかった。「えー、皆さんは、えー、一学期の期末試験を終え、えー、解放感を、えー、味わっていると思います。えー、夏の季節には、えー、六里ヶ原を、えー、多くの避暑客や観光客が、えー、訪れます。えー、夏休みは、えー、誘惑の多い季節です。えー、皆さんは、えー、気を緩めすぎることなく、えー、志操正しい生活を、えー、心がけ、えー、また二学期が始まるときまで、えー、心身ともに健康で、えー、いてください」などと剣持校長が語るあいだ、学生服に身を固めた生徒たちの多くは、笑いを噛み殺していたのである。式典が終わった後で神川直矢は、白目の冴えた小さな目を面白そうに笑わせながら、「おい、今日の大岡越前は〈えー〉を何回言った?」と大柴映二に話しかけた。映二が細長い目を笑わせながら「途中まで数えていたんだが、そのうち意識が宇宙まで飛んだぜ」と答えると、直矢は機関銃のように高笑いした。このふたりほど露骨ではないまでも、多くの生徒が長い話の退屈しのぎに、やはり「えー」を数えては楽しんでいたのである。
さてその剣持校長が、文化祭と合唱コンクールの開会を宣言して一席ぶとうというのである。ステージ上には合唱のための雛段と指揮台とグランドピアノが用意されていたので、剣持校長はマイクを持ってみんなと同じ高さで前に立ち、一堂に会した人々を見渡した。生徒たちがいる。その親たちや祖父母たちがいる。それぞれに熱心な教員たちがいる。今日は入学式のように、新しい生徒たちを迎える緊張感はない。卒業式のように別れの悲しみもないから、涙を堪える必要はない。今日は祝祭なのだ。中学校の校長たることの静かな喜びは、文化祭が挙行される今日この日に極まるというものだ――。剣持校長は笑顔になりそうなのを抑えるために、筆と墨で書いたような黒々と太い眉毛をわざと寄せ、面長で彫りの深い端正な顔をわざと翳らせると、マイクで第一声の「えー」を渋く響かせた。
「えー、晴天のもと野菊の花咲き匂う秋のよき日に、えー、本校の文化祭と、えー、それに伴う合唱コンクールを、えー、開催できますことは、えー、大きな喜びであります。えー、長い二学期も、えー、早いもので半ばを過ぎました。えー、始まったときには、えー、まだ夏の名残が感じられましたが、えー、いつの間にか秋は深まり、えー、樹々の葉は赤に黄色に燃え上がったかと思うと、えー、散り急いでゆきました。えー、まことに時は留め難いものです。えー、少年老い易く、えー、学成り難しと申します。えー、生徒の皆さんには、えー、まだ分からないかもしれませんが、えー、若い日々は速やかに、えー、過ぎ去ってゆきます。えー、まことに青春は短く、えー、人生は長いのであります。えー、しかし過ぎ去る季節を、えー、思い出に留めることはできます。えー、生徒の皆さんは、えー、その時々を精一杯に生きています。えー、その時々を精一杯に生きたという事実こそが、えー、よき思い出として留まるのです。えー、今日展示されています絵画や書道の作品は、えー、生徒の皆さんがそうして日々を精いっぱい生きていることの、えー、証です。えー、この後で発表されます合唱も、えー、その証です。えー、歌う曲を決め、えー、役割を決め、えー、パート練習をし、えー、皆で合わせ、えー、歌詞について話し合い、えー、理解を深め、えー、表現を工夫する。えー、そうした過程のなかには、えー、少なからぬ困難が、えー、あったと思います。えー、しかし樹々の葉が、えー、冷たい空気によって、えー、美しい紅葉を見せたように、えー、生徒の皆さんの合唱も、えー、様々な試練によって磨かれ、えー、美しさを増したことと思います。えー、紅葉といえば私の好きな樹木に、えー、ナナカマドがあります。えー、ナナカマドは秋に真っ赤な実をつけ、えー、その葉もまた真っ赤に色づきます。えー、しかし葉が散った後までも、えー、その赤い実は朽ちることなく、えー、枝に残っています。えー、驚くべきことに、えー、ソルビン酸という成分によって、えー、霜や雪に凍えながらも、えー、腐ることなく、えー、ヒレンジャクやキレンジャクといった鳥たちの、えー、餌となっているのです。えー、朽ちることなく試練に耐えたものこそが、えー、私たちの心を養い、えー、朽ちない心へと変えてくれるのです。えー、これから発表される合唱もまた、えー、そのようであってほしいと、えー、望みます。えー、ちなみにナナカマドの花言葉ですが、えー、これには〈慎重〉とか、えー、〈賢明〉とか、えー、〈安全〉とか、えー、〈用心〉とかいうものがあります。えー、生徒の皆さんは本番においても、えー、過度に緊張せず、えー、かといって情熱を暴走させることもなく、えー、賢い思慮分別を持って、えー、どうか歌ってください……」
詰襟の黒い学生服に身を固めた悠太郎は、椅子に座って剣持校長の荘重な話を聞いていたが、ナナカマドの赤い実からの連想で、それまで忘れていたことをふと思い出した。小学校からの帰り道にあったグミの樹から、入江いづみと一緒に赤い実を取って食べたことがあったのである。上級生たちはスポーツ少年団の活動があったり、よその通学班の誰かの家へ遊びに行ったりで、あの土曜日の集団下校ではいづみとふたりになったのであった。水面に揺らめく映像のように記憶は揺らいで定かではないが、あれは紀之が亡くなる直前の夏のことではなかっただろうか――。やんだばかりの雨に濡れて光っていた緑の葉と赤い実を、悠太郎はありありと思い出した。赤いランドセルを背負っていたいづみの目の気怠さも懐かしかった。いづみは弓なりのしなやかな眉を、目の開き具合は変えることなく水平に持ち上げながら、「ユウくん、グミの樹にグミの実がなるって、単純でいいわよね。そりゃひとつひとつの実をじっくり比べれば、より甘い実と甘くない実があるのかもしれないけど、私たちが食べる分には、どの実だってだいたい同じでしょう? 人間もこれくらい単純だったらいいのに」と言ったのであった。「そうかな? 人間だって、より高い存在から見れば――例えば神様から見れば――グミの実のように似たり寄ったりかもしれないよ」と悠太郎が答えると、「人間にとっての人間が問題なのよ。グミの実はお互いに争ったりしないでしょう? 俺のほうが甘いとか、俺のほうが大きいとか言わないでしょう? グミの実がグミの実を評価したりしないでしょう? グミの実がグミの実を妬んだりしないでしょう? でも人間は人間同士でそういうことをする。それが私は、とても嫌になったの」といづみは応じた。今にして思えば、いづみはあのとき兄の苦悩を知っていてあんなことを言ったのだ。照月湖がアオコで濁り、紀之が死んだ後では、いづみは亡き兄の代わりのように悠太郎を慕っていた。そんないづみの力になってやれなかったという悔恨が、今さらのように鋭い痛みとなって悠太郎の胸を刺した。いづみとの突然の別れはまだ去年のことなのに、その痛みは遥か時の彼方から来るように思われた。炭焼きをしていた木村ミツル爺さんは死んでしまった。湖の騎士のようだったノリくんは死んでしまった。剽軽者の橋爪進吉さんは死んでしまった。妹のようだったいづみも、気っ風のいい三池光子さんも、狐目の春藤秋男さんも遠くへ行ってしまった。なんと多くの人々が去っていったことだろう――。剣持校長が言った時の留め難さを、悠太郎は改めて痛いほど感じた。
セーラー服に身を包んだ留夏子はしかし、椅子に座って校長の長い話を注意深く聞きながら、気持ちを落ち着かせていた。留夏子ほどの生徒であれば、頻繁に繰り返される「えー」に気を取られることなく、話の要点を容易に掴むことができた。「その時々を精一杯生きたという事実こそが、過ぎゆく時のなかに思い出として留まるのか。大岡越前もいいことを言うじゃない。伊達に校長まで昇り詰めたわけじゃないのね。ナナカマドの花言葉なんて、なかなかロマンティックじゃない。〈慎重〉と〈安全〉と〈賢明〉と〈用心〉か。これは本番前にいいことを聞いたわ。たしかに時が過ぎるのは不思議ね。こうしているあいだにも、一年生たちがステージの袖に入る。ステージに登場する。雛壇に並ぶ。課題曲を歌う。指揮者と伴奏者が交代して、自由曲を歌う。ああ、あれは真壁の声だ。男子のなかでは真壁の声が不思議とはっきり聞こえる。取り立てて声が大きいわけではない。音程が外れているわけではもちろんない。だけどなぜか真壁の声は、ひとりだけよく通ってしまう。声変わりが終わらない男子もいるから、アンサンブルが揃わないのも無理はない。それにしても真壁ひとりがあんなに目立つのは気の毒だわ。あれではきっとまわりに溶け込めないんでしょうね。私もついこの前まではそうだった。でもそんな私を彼は変えてくれた。私たちの森の葉隠れには、彼がいてくれる。それにしてもひとまずはよかった。三年生に勝つ以前に、真壁のいる一年生に負けはしないかと案じたけど、これならまず大丈夫そうね。ああ、一年生の自由曲が終わった。みんなはそれなりに拍手をする。私も形ばかり拍手をする。一年生たちが舞台の袖に引っ込む。そこからまた自分たちの席に帰ってくる。次に歌うのは私たちだ。なんだか楽しみになってきた。いけない、浮かれてはいけない。〈慎重〉と〈安全〉と〈賢明〉と〈用心〉ね。ナナカマドの花言葉が、きっと私たちを守ってくれる。いざ行こう。過ぎ去りゆく今日この時を精一杯生きて、後の日々の思い出にしよう……」
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