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第十七章 燃ゆる火
三
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二年生たちの合唱に陰ながら協力する一件がひと段落した後は、宿題や部活動の練習を織り込みながら、中学校で初めての夏休みは緩やかに過ぎていった。悠太郎は卓球部の練習が終わると、時々は自転車を〈くりの木プラザ〉まで走らせた。国道を北軽井沢の信号から少しばかり軽井沢方面に進んだところに、その小さなショッピングモールがオープンしたのは前の年であった。株式会社浅間観光の仕入れだけで、ひと夏に二千万円を売り上げるというスーパーのダイマルヤも〈くりの木プラザ〉内に移転していた。ほかにも焼肉屋があり、雑貨屋があり、ラーメン屋があり、カフェがあった。だが悠太郎がしばしば通ったのは本屋であった。豆書房という名のこじゃれた書店で、悠太郎はしばしば立ち読みしては本を買った。店主は額に巻いたバンダナでもっさりした髪を押さえた、頬ひげの剃り跡が濃い森の熊さんような男で、カウンターから時々立ち上がっては片足を引きずり引きずり、小太りの体を動かしては立ち働いていた。「おお悠太郎くん、また来てくれたね。今日は何を買ってくれるのかな? おお、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』か。きみはいつもいい本を選ぶね。おじさんはこの店を開いた甲斐があったよ」と南塚徹さんは会計をしながら言った。この徹さんこそ、観光ホテル明鏡閣の前支配人であった南塚亮平さんの息子であった。幼くして囲炉裏に落ち、全身に大火傷を負ったが、増田ケンポウの機転によって命を救われたというあの「倅」なのである。片足を引きずるのは、そのときに負った障害であった。悠太郎が豆書房に通うのは、もちろん店内の雰囲気や書籍の品揃えが気に入ってもいたからだし、また浅間観光ゆかりの人の店を応援したいからでもあった。
青空に湧き立つ眩しい雲が流れ、黄金の夕べが静かな夜になり、過酷な勉学の果てに精神を病んだハンス・ギーベンラートが破滅した後で、また別の日に悠太郎は豆書房で『ドクター・ヘリオットのおかしな体験』を買い求めた。イギリスの獣医ジェイムズ・ヘリオットが、田園地帯での実体験を書き綴った小説らしかった。「いいね悠太郎くん、この六里ヶ原の田園で夏休みに読むヘリオット先生なんて、一生の思い出になるね」と、よく動く目を微笑ませながら、少し割れた声で南塚澄江さんは言った。少し割れたように響いたが、しかし澄江さんの声は優しかった。その容姿にはこれといって幼いところはなかったが、細いサテンのカチューシャを髪に装った頭の動かし方は、時々どこか少女めいて若々しかった。この夫婦が営む書店を応援してゆこうと悠太郎は思った。
豆書房ではしばしばカイも、気に入った本を見つけては買っているようであった。それは例えばシェイクスピアの『リチャード三世』であったり『リア王』であったりするらしかった。カイはしばしば卓球部の練習の合間や帰りに、これらの戯曲が開き示してくれる虚無の深淵について熱く語った。「シェイクスピアの悲劇はまったくすごいね。善人も悪人も、片っ端からばたばた死んでさ。うまく言えないけど、人間や人生ってこういうものかと思わされるね。がらんとした虚無の暗黒のなかに、ほんのりと照明された舞台があって、その舞台の上を人間たちは、様々な役を演じながら通り過ぎてゆくんだ。喜んだり悲しんだり怒ったり狂ったりしながら、束の間の光芒を残してゆくんだよ。シェイクスピアの言う通り、人生は舞台なのかもしれないね」とカイは言い、国と引き換えに馬を求めるリチャード三世の台詞や、猛り狂えと風に呼びかけるリア王の台詞を、たっぷりの身振りや感情とともに再現してみせるのであった。カイのシェイクスピア熱は、まわりの生徒たちにも伝染していった。同じ体育館で練習をする卓球部やバレーボール部の生徒たちは、何のことやらよく分からないままにカイの真似をするのであった。
そんなカイはしばしば悠太郎と本を貸し借りした。カイは悠太郎から『車輪の下』を受け取ると、「おお、いつか親父が言っていたのは、これのことだったんだな!」と言って、雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせた。幼稚園の頃カイは、バス酔いしやすい悠太郎に、「タイヤの上の席には座らないほうがいいよ。車輪の上も車輪の下もよくないって親父が言ってた」と教えてくれたのである。一方で悠太郎は、夏の光のなかで樹々の葉叢が風にざわめくのを聞きながら、カイから借りた『リチャード三世』や『リア王』の文庫本を読んだが、それらの悲劇はあまりにも露悪的に過ぎるように思われた。人間の高貴さを信じさせてくれるような理想主義は、そこに微塵も存在しなかった。ただ人間の醜さや愚かしさが暴かれているばかりであることに、悠太郎は強い不満を抱いた。「いったいこれが劇聖と呼ばれる人の作品だろうか。シェイクスピアのどこがそんなに偉大なのだろう。人間の醜さや愚かしさを赤裸々に暴いて見せたところで、その醜さや愚かしさが改善されるだろうか。人間の醜さや愚かしさを治癒することこそ、芸術の仕事ではないのだろうか。いま俺にはシェイクスピアが分からない。もっと人生経験を積めば、あるいは分かるようになるのだろうか。これらの人物たちが織り成す人生模様を、俺は愛おしめるようになるのだろうか……」
それだけにヘリオット先生の健康的なユーモアは、悠太郎にとって救いになった。牛や馬や羊を相手に格闘する田園での獣医生活が、その小説からは匂い立ってくるように感じられた。悠太郎は作中の田園風景を、いつしか酪農家の多い六里ヶ原の風景と重ねて考えるようになっていた。この高原での出来事を文章で表現するなら、自分はどう書くか? 知らず知らずのうちに悠太郎はそんなことを考え、「また俺はそんな馬鹿なことを考えているのか」とその考えを打ち消した。それというのも担任の尾池賢一先生が、将来は物書きを目指せと悠太郎に言ったことがあったからである。「悠太郎くんの書く文章は、同年齢の生徒たちと比べれば飛び抜けています。たくさんの本を読んで、物書きになるのがいちばんいいと思います」と尾池先生は、二重にも三重にもだぶつく顎を引きつけながら、キューピー人形のようなぱっちりした目で悠太郎を見て言った。尾池先生は進路指導の担当でもあったから、これほど不適切な進路指導もほかにはあるまいと悠太郎には思われた。しかし進路指導の担当であればこそ、いい加減に生徒の素質を見極めるようなことはしないはずだとも思われた。小学校二年生のときの担任だった丸橋清一先生が、日記帳に赤ペンで書いてきたことが思い出された。「いつか自分のストーリーをワープロで打てるといいですね!」という言葉に、悠太郎の胸のなかはざわざわと騒いだのであった。軽薄な丸橋先生を、悠太郎はほとんど信用しなかった。しかし中学生になった自分を見て、より信頼できる尾池先生もまた同じことを言ったからには、悠太郎はやはりそのことを考えざるを得なかった。「俺が物書きになど、なれるはずがないではないか。だいたい俺は本を読むことだってそんなに好きではない。気に入ったものなら繰り返し読むが、文学少年というわけでは全然ない。だから俺はそういう馬鹿な夢は見ないつもりだ。しかし年を重ねてやむにやまれず何かを書く日が来たら、そのときはこの六里ヶ原のことを書こう。美しく波立ち揺らめいていた照月湖のことを書こう。湖畔にあった観光ホテルの人々が、本当に俺を愛してくれたことを書こう。手漕ぎボートやスワンボートが浮かぶ湖のまわりの遊歩道を、あるいは歩み、あるいは走った人々のことを書こう。レストラン照月湖ガーデンのことを書こう。戸井田さんが野菜を並べていた売店のことを書こう。クラシックカーの祭典で賑わったモビレージのことを書こう。もし俺がうまく作品に書ければ、それらのことどもは不滅になるのではないか。それを読む人は夢のように過ぎ去った輝かしい時代を、いつでも呼び戻せるのではないか。そんな小説がもし書けたら、どんなにか素晴らしいだろう。ああ、俺にそんな力があるだろうか。俺がそれだけの力をつけるまでに、あとどれほどの刻苦勉励が必要だろう……」
とはいえ現実の株式会社浅間観光は、まだ滅び去ったわけではなかった。地面まで届く緑の三角屋根を持った観光ホテル明鏡閣には、それなりの人数の宿泊客が訪れていた。日帰りで照月湖温泉に入浴に来る客も多かったので、古いボイラーは壊れそうになりながらも稼働を続けていた。社員たちが「弓場」と呼ぶ弓道場では、ゴールデンウィークのときよりもいっそう多くの人々が、袴姿も凛々しく弓を執っていたから、弓弦の鳴る音や的に矢が当たる音が、しんとした静けさのなかに厳しく響いていた。ランナーたちが湖畔の遊歩道を風のように走り抜けていた。照月湖モビレージも熊川リバーサイドモビレージも盛況であった。インド・ネパール料理店となったレストラン照月湖ポカラ・ガーデンは、五月の開店以来評判が評判を呼び、ほとんど常に満員の大人気であった。湖畔の賑わいは、もちろんバブル景気の絶頂期には及ばないにせよ、湖水がアオコで緑色に濁ってさえいなければ、ほぼ往年の輝きを取り戻したかに見えた。黒岩栄作支配人が中心となって立案した「奇岩作戦」によって、会社は業績を回復し始めた。新年度から社長となった松並木さんも、そのことにご満悦であった。
増田ケンポウの娘婿である鈴木前社長には、もともと浅間観光への関心が欠けていた。しばしば六里ヶ原を訪れた増田ケンポウやおイネさんとは対照的に、鈴木前社長はその在任中に高原まで出向いたことはほとんどなかった。時々は三池光子さんの兄である増田常務を遣わして事業を督励させたが、前社長自身にやる気はないのだということが、社員たちにはありありと伝わっていた。もちろんいくら関心がないといっても、自分の会社があまり損をしているのは困るから、業績回復計画を考えるようにサカエさんに指示することはした。しかし本来であれば一度でも前社長が自ら出向いてきて、老朽化した設備や濁った湖をよく調べ、その上で何か方向性を示すべきではないかというのがみんなの意見であった。鈴木前社長が「よきに計らえ」とばかり無関心を決め込んでいたおかげで、サカエさんがまとめた「奇岩作戦」がそのまま採用されたわけだが、これはひとえにサカエさんが有能だったから成功したのであって、そうでなければ今頃会社は滅亡していてもおかしくはなかったのである。ともあれそんな鈴木前社長は、松並木社長に職を譲った。社長職を譲ってもなお、鈴木前社長が会社のオーナーであり続けると聞いたとき、明鏡閣のみんなの胸には一抹の不安がよぎった。それでも新社長が六里ヶ原を愛してしばしば訪れることは、増田ケンポウやおイネさんの時代が再来したような印象を、昔を知る人に初めのうちは与えたものであった。だが――。
「わっはっは! そうです、私が社長です。わっはっは!」と松並木社長はその夏、スーツに包んだはち切れそうな太鼓腹を突き出し、ワインレッドの絨毯を敷いた明鏡閣のロビーで、黒い革張りのソファに座った客を相手にふんぞり返って笑っていた。「そうですとも。緑豊かな森があります。谷間を走る熊川の清流があります。満々たる湖水を湛えた照月湖があります。いいところでしょう? このユートピアのごとき場所は、まるごとわが社の所有なのです。そして私が社長なのです。そうです、私が社長です。わっはっは!」と松並木社長は、左目の下に大きなほくろのある顔に満面の笑みを浮かべるのであった。
ところで五十男の松並木社長は、着物の着付け師をしているという女性を、愛人として常に伴ってきた。美久さんと呼ばれるその愛人は、着付け師とはいえ普段は和装ではなく洋装で、長い黒髪を大輪の薔薇のように巻いていた。落ち着いた色の簡素な身なりをした美久さんと一緒に、松並木社長はしばしば社員食堂にいた。「いやはや、鈴木さんの時代には業績が悪化したと聞いていたから、どうなるかと思っていたんですよ。ところがところが、どうしてなかなかうまく行っているじゃありませんか。〈ポカラ〉のインドカレーも試食しましたがね、実にうまかったですよ。あれなら流行るのが当然ですな」と松並木社長は上機嫌で言った。「試食って、ただで食べたんですか?」とバイク好きの林浩一さんは、平たい顔から笑いを消して訊いた。「それはそうですよ。私は社長ですから。わっはっは!」と松並木社長は答えて呵々大笑した。「それから湖畔のランニングコースも思いつきでしたな。女性ランナーたちの引き締まった肉体には惹かれるものがありますな。しかしそれよりも弓道場ですよ。袴姿の凛々しい女性たちに、私はほとんど欲情しますな。わっはっは!」と松並木社長が下卑た話を展開すると、美久さんが瞼と唇の厚い肉感的な顔を膨れさせて、片手で松並木社長の福耳をつねった。「痛い、痛い。痛いよ美久さん。私が悪かった。どうか機嫌を直してくれたまえ。私が愛しているのは、あなただけですよ」と言いながら、松並木社長は美久さんの肩を抱いた。瞼の厚い目を細め、厚い唇を微笑ませた美久さんと一緒に、松並木社長は社員食堂を出ると客室へ消えていった。「何すか? 何なんすか、あれは? 社長があんなんでいいんすか?」と久世利文さんは肩をいからせ、その鷲鼻や喉仏のように鋭く尖った語調で憤懣を露わにすると、「くぜっ! くぜっ!」とばかり首を急激に後ろへ反らせた。かつてアルバイトで来ていた久世さんは、横浜の大学を卒業して浅間観光に就職したのである。「たしかに風紀は乱れるな」と応じた黒岩支配人の表情が暗かったのは、薄黒いサングラスのせいばかりではなかった。秀子の下膨れの顔も憂わしげであった。
秀子が憂慮していたのは、松並木社長のことばかりではなかった。大繁盛のレストラン照月湖ポカラ・ガーデンにも、秀子は何やら不穏なものを感じていたのである。店主の登原聖司さんも、手島妙子さんもチャンドラカルナ・ムリ・ギリさんも、照月湖温泉へ入浴に来なかった。夜遅くまでカレーを仕込んだりナンの生地を捏ねたりする仕事があって、温泉が閉まる時刻に間に合わないらしいのである。その代わりにレストランの脇にあるプレハブ小屋の陰で、三人がドラム缶のような容器にお湯を溜めて行水していることを秀子は知った。「あの人たちはいったい何をやっているのかしら。接客業なんだから、お風呂くらいちゃんと入ればいいのに。お店のなかでお香を焚いているのは、体臭を隠すためだったりして」と秀子は、あるとき夜遅く家に帰ると悠太郎に話した。またあるときは手島さんのことも話した。登原店主の正式な奥さんという人は東京にいて、手島さんはどうやら愛人らしかった。登原さんは手島さんを殴ることがあるが、手島さんは殴られても殴られてもネパールまでついてゆくし、六里ヶ原までついてくるのだという噂もあった。ネパール人青年のチャンドラカルナさんも、どうやら登原店主から相当に酷使されているらしかった。基本的に明鏡閣で働いている秀子にとって、〈ポカラ〉の三人衆は湖ひとつ隔てた人々であった。三人衆と至近の距離で夏の日々を過ごしていたのは、掘っ立て小屋の売店で高原野菜を商う戸井田幹夫さんとアオイさんであった。あるときは腫れぼったい顔をした色白の手島妙子さんが、奇妙にゆっくりした幽霊じみた動作でトウモロコシを買いに来た。あるときは小柄ながら筋肉質の登原聖司店主が、猛禽のような目で値踏みするように野菜を見てズッキーニを買い求めた。あるときは小麦色の肌をしたチャンドラカルナ・ムリ・ギリさんが、一重瞼の大きな目を怯えたように泳がせながら、瓶入りのラムネを買っていった。口まわりに黒々と濃いひげを生やした幹夫さんは、満面の笑みを湛えながらぶっきら棒に商売するばかりであったが、地母神のようなアオイさんは、ドングリまなこをくりくりと動かしながら奇妙な客とよく話した。「やっぱりあの人たち、変わっているわよねえ。チャンドラさんは大丈夫かしら。彼はたしかにあたしの目を見て〈ミスター・トバラ、マフィア、マフィア〉って言ったの」とアオイさんは秀子に話したのである。
ところで戸井田農園が野菜を売るに際して、浅間観光との結びつきが有利に働いたことは間違いなかった。〈ポカラ〉の野菜カレーには、幹夫さんが丹精したナスやズッキーニがしばしば使われた。観光ホテル明鏡閣では、緑濃いモロヘイヤが評判を呼んだ。茹でたモロヘイヤを刻んで粘りを出したものが、納豆とともに朝食に供せられると、ある品のよい初老の婦人が感激して、「これはいったい何というもの? こんなにおいしいものは食べたことがないわ。是非買って帰りたいのだけれど、どこで買えるか教えてくださる?」と秀子に尋ねたのである。それはモロヘイヤというエジプト原産の夏野菜であり、レストランの近くにある売店で買えると秀子が説明すると、婦人は早速戸井田農園の顧客となった。このようにして幹夫さんの高原野菜は、着実に消費者を増やしていた。そうしたこともあってアオイさんは、ときどき上機嫌で枝豆やプッチーニを明鏡閣へ差し入れては、忙しい秀子とふた言、三言話すことがあった。そんなあるときアオイさんは、最近《マディソン郡の橋》の映画をビデオで繰り返し観ていると語った。ところがアオイさんは「マディソン郡」と発音できず、浅い呼吸で「マジソン郡の橋、マジソン郡の橋」と連呼しては、陽気にころころと笑うのであった。そういう話を秀子から聞いた悠太郎は、少しでも母を明るくしてくれるアオイさんに心のなかで感謝した。
そうしたわけで夏休みも終わりに近くなった頃、宵闇のなか照月湖モビレージに集った中学校一年生たちが、金網に乗せて赤々と熾る炭火でグリルした野菜は、戸井田農園の産物であった。そうして焼けたナスやピーマンやズッキーニやトウモロコシを、育ち盛りの少年少女たちは割り箸で紙皿に取ると、焼肉のタレをつけて食べた。しかし戸井田農園の野菜がいかにおいしくても、肉の魅力を前にしてはその豊かな彩りも色褪せるほかはなかった。豚肉が金網に乗せられると、熱せられた脂肪が滴り落ちて炎のなかでじゅうじゅうと音を立てた。食べ盛りの少年少女たちは巻き上がる煙に咳き込みながら、焼き上がった肉を我勝ちに貪り食った。それは一年生の学校行事としての一泊のキャンプで、みんなはテントで眠ることになっていた。
みんなのお腹がいっぱいになると、暗闇のなかで怪談話が始まった。この企画を主導したのは、幼い頃からお化けも恐れぬ金谷涼子であった。涼子は懐中電灯で自らの首から上を照らし出すと、黒曜石のように光る目でみんなを見据えながら語った。「あるところに兄と弟がおりました。兄は小学校五年生で、弟は小学校三年生でした。ふたりは同じゲームソフトに、それぞれの冒険の書を作って遊んでおりました。兄のデータはレベル二十三で、弟のデータはレベル十五でした……」するとやはり自らの首から上を懐中電灯で照らし出した佐藤隼平が、いくらか斜視気味の目でみんなを見ながらその先を続けた。「あるとき弟がゲームのカセットを本体に差し込んで電源を入れました。するとどうでしょう。空白になっているはずの冒険の書に、見知らぬ名前が書かれているではありませんか。しかもレベルは九十九まで上がっています。〈兄さん、兄さん、ちょっと見てよ。変なデータができているよ〉と弟は言いました。呼ばれた兄はテレビの前に飛んでくると、画面を見てぎょっとしました。〈この名前は、ぼくたちの兄さんのものだ。ぼくの前に生まれたけれど、病気ですぐに死んでしまったんだよ〉と兄は言いました。〈ロードしてみようよ。レベル九十九だよ。きっとすごく強いよ〉と弟が言いました。〈やめたほうがいい〉と兄は言いました。しかし弟はコントローラーを取って謎のデータを選択し、Aボタンを押してしまいました……」語りは再び涼子に移った。「するとどうでしょう。暗転した画面のなかに、真っ白な骸骨が浮かび上がりました。ウインドウが開いてメッセージが表示されます。〈おれは しんでいるのに おまえたちは いきている。おれは くらくて つめたいところで しんでいるのに おまえたちは あかるくて あたたかいところで いきている。おまえたちを くらくて つめたいところへ ひきずりこんでやる!〉屍はふたつになり三つになりどんどん増えて、とうとう画面じゅうを埋め尽くしてしまいました。呪われるときの効果音がデロデロと鳴りやみません。兄も弟も顔から血の気が引いて、恐怖のあまりがくがくふるえました。兄はやっとの思いで電源を切りました。しかしまもなく兄弟は原因不明の高熱を発し、相次いで亡くなってしまいました……」そこへ隼平が「わあっ!」と叫んだものだから、一年生の男女は恐慌を来たして悲鳴を上げた。
だが涼子と隼平による息の合った怪談話がもたらした恐怖も、キャンプファイアーの光によってたちどころに追い払われた。井桁に組み上げられていた薪に、担任の尾池賢一先生が盛大に灯油を撒いて火をつけると、紅蓮の炎が夏の暗闇に潜む死霊の気配を浄化した。尾池先生が器用なところを見せてかき鳴らすギターを伴奏に、みんなは〈燃えろよ燃えろ〉を合唱した。しかし悠太郎は燃え上がり渦巻く炎を見つめながら、いつしか〈流浪の民〉のことを考えていた。テノールとアルトとソプラノが模倣風に重なるあの箇所は、燃える炎を描写したある種の音画ではないかと、悠太郎は留夏子やペトラに渡したアナリーゼで指摘していた。いま眼前に燃え盛る炎の幻惑的なダンスを見て、悠太郎はその指摘が正しかったという思いを強くした。二年生の合唱に悠太郎が関わっていることを、まだ一年生の誰ひとりとして知る者はなかった。
青空に湧き立つ眩しい雲が流れ、黄金の夕べが静かな夜になり、過酷な勉学の果てに精神を病んだハンス・ギーベンラートが破滅した後で、また別の日に悠太郎は豆書房で『ドクター・ヘリオットのおかしな体験』を買い求めた。イギリスの獣医ジェイムズ・ヘリオットが、田園地帯での実体験を書き綴った小説らしかった。「いいね悠太郎くん、この六里ヶ原の田園で夏休みに読むヘリオット先生なんて、一生の思い出になるね」と、よく動く目を微笑ませながら、少し割れた声で南塚澄江さんは言った。少し割れたように響いたが、しかし澄江さんの声は優しかった。その容姿にはこれといって幼いところはなかったが、細いサテンのカチューシャを髪に装った頭の動かし方は、時々どこか少女めいて若々しかった。この夫婦が営む書店を応援してゆこうと悠太郎は思った。
豆書房ではしばしばカイも、気に入った本を見つけては買っているようであった。それは例えばシェイクスピアの『リチャード三世』であったり『リア王』であったりするらしかった。カイはしばしば卓球部の練習の合間や帰りに、これらの戯曲が開き示してくれる虚無の深淵について熱く語った。「シェイクスピアの悲劇はまったくすごいね。善人も悪人も、片っ端からばたばた死んでさ。うまく言えないけど、人間や人生ってこういうものかと思わされるね。がらんとした虚無の暗黒のなかに、ほんのりと照明された舞台があって、その舞台の上を人間たちは、様々な役を演じながら通り過ぎてゆくんだ。喜んだり悲しんだり怒ったり狂ったりしながら、束の間の光芒を残してゆくんだよ。シェイクスピアの言う通り、人生は舞台なのかもしれないね」とカイは言い、国と引き換えに馬を求めるリチャード三世の台詞や、猛り狂えと風に呼びかけるリア王の台詞を、たっぷりの身振りや感情とともに再現してみせるのであった。カイのシェイクスピア熱は、まわりの生徒たちにも伝染していった。同じ体育館で練習をする卓球部やバレーボール部の生徒たちは、何のことやらよく分からないままにカイの真似をするのであった。
そんなカイはしばしば悠太郎と本を貸し借りした。カイは悠太郎から『車輪の下』を受け取ると、「おお、いつか親父が言っていたのは、これのことだったんだな!」と言って、雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせた。幼稚園の頃カイは、バス酔いしやすい悠太郎に、「タイヤの上の席には座らないほうがいいよ。車輪の上も車輪の下もよくないって親父が言ってた」と教えてくれたのである。一方で悠太郎は、夏の光のなかで樹々の葉叢が風にざわめくのを聞きながら、カイから借りた『リチャード三世』や『リア王』の文庫本を読んだが、それらの悲劇はあまりにも露悪的に過ぎるように思われた。人間の高貴さを信じさせてくれるような理想主義は、そこに微塵も存在しなかった。ただ人間の醜さや愚かしさが暴かれているばかりであることに、悠太郎は強い不満を抱いた。「いったいこれが劇聖と呼ばれる人の作品だろうか。シェイクスピアのどこがそんなに偉大なのだろう。人間の醜さや愚かしさを赤裸々に暴いて見せたところで、その醜さや愚かしさが改善されるだろうか。人間の醜さや愚かしさを治癒することこそ、芸術の仕事ではないのだろうか。いま俺にはシェイクスピアが分からない。もっと人生経験を積めば、あるいは分かるようになるのだろうか。これらの人物たちが織り成す人生模様を、俺は愛おしめるようになるのだろうか……」
それだけにヘリオット先生の健康的なユーモアは、悠太郎にとって救いになった。牛や馬や羊を相手に格闘する田園での獣医生活が、その小説からは匂い立ってくるように感じられた。悠太郎は作中の田園風景を、いつしか酪農家の多い六里ヶ原の風景と重ねて考えるようになっていた。この高原での出来事を文章で表現するなら、自分はどう書くか? 知らず知らずのうちに悠太郎はそんなことを考え、「また俺はそんな馬鹿なことを考えているのか」とその考えを打ち消した。それというのも担任の尾池賢一先生が、将来は物書きを目指せと悠太郎に言ったことがあったからである。「悠太郎くんの書く文章は、同年齢の生徒たちと比べれば飛び抜けています。たくさんの本を読んで、物書きになるのがいちばんいいと思います」と尾池先生は、二重にも三重にもだぶつく顎を引きつけながら、キューピー人形のようなぱっちりした目で悠太郎を見て言った。尾池先生は進路指導の担当でもあったから、これほど不適切な進路指導もほかにはあるまいと悠太郎には思われた。しかし進路指導の担当であればこそ、いい加減に生徒の素質を見極めるようなことはしないはずだとも思われた。小学校二年生のときの担任だった丸橋清一先生が、日記帳に赤ペンで書いてきたことが思い出された。「いつか自分のストーリーをワープロで打てるといいですね!」という言葉に、悠太郎の胸のなかはざわざわと騒いだのであった。軽薄な丸橋先生を、悠太郎はほとんど信用しなかった。しかし中学生になった自分を見て、より信頼できる尾池先生もまた同じことを言ったからには、悠太郎はやはりそのことを考えざるを得なかった。「俺が物書きになど、なれるはずがないではないか。だいたい俺は本を読むことだってそんなに好きではない。気に入ったものなら繰り返し読むが、文学少年というわけでは全然ない。だから俺はそういう馬鹿な夢は見ないつもりだ。しかし年を重ねてやむにやまれず何かを書く日が来たら、そのときはこの六里ヶ原のことを書こう。美しく波立ち揺らめいていた照月湖のことを書こう。湖畔にあった観光ホテルの人々が、本当に俺を愛してくれたことを書こう。手漕ぎボートやスワンボートが浮かぶ湖のまわりの遊歩道を、あるいは歩み、あるいは走った人々のことを書こう。レストラン照月湖ガーデンのことを書こう。戸井田さんが野菜を並べていた売店のことを書こう。クラシックカーの祭典で賑わったモビレージのことを書こう。もし俺がうまく作品に書ければ、それらのことどもは不滅になるのではないか。それを読む人は夢のように過ぎ去った輝かしい時代を、いつでも呼び戻せるのではないか。そんな小説がもし書けたら、どんなにか素晴らしいだろう。ああ、俺にそんな力があるだろうか。俺がそれだけの力をつけるまでに、あとどれほどの刻苦勉励が必要だろう……」
とはいえ現実の株式会社浅間観光は、まだ滅び去ったわけではなかった。地面まで届く緑の三角屋根を持った観光ホテル明鏡閣には、それなりの人数の宿泊客が訪れていた。日帰りで照月湖温泉に入浴に来る客も多かったので、古いボイラーは壊れそうになりながらも稼働を続けていた。社員たちが「弓場」と呼ぶ弓道場では、ゴールデンウィークのときよりもいっそう多くの人々が、袴姿も凛々しく弓を執っていたから、弓弦の鳴る音や的に矢が当たる音が、しんとした静けさのなかに厳しく響いていた。ランナーたちが湖畔の遊歩道を風のように走り抜けていた。照月湖モビレージも熊川リバーサイドモビレージも盛況であった。インド・ネパール料理店となったレストラン照月湖ポカラ・ガーデンは、五月の開店以来評判が評判を呼び、ほとんど常に満員の大人気であった。湖畔の賑わいは、もちろんバブル景気の絶頂期には及ばないにせよ、湖水がアオコで緑色に濁ってさえいなければ、ほぼ往年の輝きを取り戻したかに見えた。黒岩栄作支配人が中心となって立案した「奇岩作戦」によって、会社は業績を回復し始めた。新年度から社長となった松並木さんも、そのことにご満悦であった。
増田ケンポウの娘婿である鈴木前社長には、もともと浅間観光への関心が欠けていた。しばしば六里ヶ原を訪れた増田ケンポウやおイネさんとは対照的に、鈴木前社長はその在任中に高原まで出向いたことはほとんどなかった。時々は三池光子さんの兄である増田常務を遣わして事業を督励させたが、前社長自身にやる気はないのだということが、社員たちにはありありと伝わっていた。もちろんいくら関心がないといっても、自分の会社があまり損をしているのは困るから、業績回復計画を考えるようにサカエさんに指示することはした。しかし本来であれば一度でも前社長が自ら出向いてきて、老朽化した設備や濁った湖をよく調べ、その上で何か方向性を示すべきではないかというのがみんなの意見であった。鈴木前社長が「よきに計らえ」とばかり無関心を決め込んでいたおかげで、サカエさんがまとめた「奇岩作戦」がそのまま採用されたわけだが、これはひとえにサカエさんが有能だったから成功したのであって、そうでなければ今頃会社は滅亡していてもおかしくはなかったのである。ともあれそんな鈴木前社長は、松並木社長に職を譲った。社長職を譲ってもなお、鈴木前社長が会社のオーナーであり続けると聞いたとき、明鏡閣のみんなの胸には一抹の不安がよぎった。それでも新社長が六里ヶ原を愛してしばしば訪れることは、増田ケンポウやおイネさんの時代が再来したような印象を、昔を知る人に初めのうちは与えたものであった。だが――。
「わっはっは! そうです、私が社長です。わっはっは!」と松並木社長はその夏、スーツに包んだはち切れそうな太鼓腹を突き出し、ワインレッドの絨毯を敷いた明鏡閣のロビーで、黒い革張りのソファに座った客を相手にふんぞり返って笑っていた。「そうですとも。緑豊かな森があります。谷間を走る熊川の清流があります。満々たる湖水を湛えた照月湖があります。いいところでしょう? このユートピアのごとき場所は、まるごとわが社の所有なのです。そして私が社長なのです。そうです、私が社長です。わっはっは!」と松並木社長は、左目の下に大きなほくろのある顔に満面の笑みを浮かべるのであった。
ところで五十男の松並木社長は、着物の着付け師をしているという女性を、愛人として常に伴ってきた。美久さんと呼ばれるその愛人は、着付け師とはいえ普段は和装ではなく洋装で、長い黒髪を大輪の薔薇のように巻いていた。落ち着いた色の簡素な身なりをした美久さんと一緒に、松並木社長はしばしば社員食堂にいた。「いやはや、鈴木さんの時代には業績が悪化したと聞いていたから、どうなるかと思っていたんですよ。ところがところが、どうしてなかなかうまく行っているじゃありませんか。〈ポカラ〉のインドカレーも試食しましたがね、実にうまかったですよ。あれなら流行るのが当然ですな」と松並木社長は上機嫌で言った。「試食って、ただで食べたんですか?」とバイク好きの林浩一さんは、平たい顔から笑いを消して訊いた。「それはそうですよ。私は社長ですから。わっはっは!」と松並木社長は答えて呵々大笑した。「それから湖畔のランニングコースも思いつきでしたな。女性ランナーたちの引き締まった肉体には惹かれるものがありますな。しかしそれよりも弓道場ですよ。袴姿の凛々しい女性たちに、私はほとんど欲情しますな。わっはっは!」と松並木社長が下卑た話を展開すると、美久さんが瞼と唇の厚い肉感的な顔を膨れさせて、片手で松並木社長の福耳をつねった。「痛い、痛い。痛いよ美久さん。私が悪かった。どうか機嫌を直してくれたまえ。私が愛しているのは、あなただけですよ」と言いながら、松並木社長は美久さんの肩を抱いた。瞼の厚い目を細め、厚い唇を微笑ませた美久さんと一緒に、松並木社長は社員食堂を出ると客室へ消えていった。「何すか? 何なんすか、あれは? 社長があんなんでいいんすか?」と久世利文さんは肩をいからせ、その鷲鼻や喉仏のように鋭く尖った語調で憤懣を露わにすると、「くぜっ! くぜっ!」とばかり首を急激に後ろへ反らせた。かつてアルバイトで来ていた久世さんは、横浜の大学を卒業して浅間観光に就職したのである。「たしかに風紀は乱れるな」と応じた黒岩支配人の表情が暗かったのは、薄黒いサングラスのせいばかりではなかった。秀子の下膨れの顔も憂わしげであった。
秀子が憂慮していたのは、松並木社長のことばかりではなかった。大繁盛のレストラン照月湖ポカラ・ガーデンにも、秀子は何やら不穏なものを感じていたのである。店主の登原聖司さんも、手島妙子さんもチャンドラカルナ・ムリ・ギリさんも、照月湖温泉へ入浴に来なかった。夜遅くまでカレーを仕込んだりナンの生地を捏ねたりする仕事があって、温泉が閉まる時刻に間に合わないらしいのである。その代わりにレストランの脇にあるプレハブ小屋の陰で、三人がドラム缶のような容器にお湯を溜めて行水していることを秀子は知った。「あの人たちはいったい何をやっているのかしら。接客業なんだから、お風呂くらいちゃんと入ればいいのに。お店のなかでお香を焚いているのは、体臭を隠すためだったりして」と秀子は、あるとき夜遅く家に帰ると悠太郎に話した。またあるときは手島さんのことも話した。登原店主の正式な奥さんという人は東京にいて、手島さんはどうやら愛人らしかった。登原さんは手島さんを殴ることがあるが、手島さんは殴られても殴られてもネパールまでついてゆくし、六里ヶ原までついてくるのだという噂もあった。ネパール人青年のチャンドラカルナさんも、どうやら登原店主から相当に酷使されているらしかった。基本的に明鏡閣で働いている秀子にとって、〈ポカラ〉の三人衆は湖ひとつ隔てた人々であった。三人衆と至近の距離で夏の日々を過ごしていたのは、掘っ立て小屋の売店で高原野菜を商う戸井田幹夫さんとアオイさんであった。あるときは腫れぼったい顔をした色白の手島妙子さんが、奇妙にゆっくりした幽霊じみた動作でトウモロコシを買いに来た。あるときは小柄ながら筋肉質の登原聖司店主が、猛禽のような目で値踏みするように野菜を見てズッキーニを買い求めた。あるときは小麦色の肌をしたチャンドラカルナ・ムリ・ギリさんが、一重瞼の大きな目を怯えたように泳がせながら、瓶入りのラムネを買っていった。口まわりに黒々と濃いひげを生やした幹夫さんは、満面の笑みを湛えながらぶっきら棒に商売するばかりであったが、地母神のようなアオイさんは、ドングリまなこをくりくりと動かしながら奇妙な客とよく話した。「やっぱりあの人たち、変わっているわよねえ。チャンドラさんは大丈夫かしら。彼はたしかにあたしの目を見て〈ミスター・トバラ、マフィア、マフィア〉って言ったの」とアオイさんは秀子に話したのである。
ところで戸井田農園が野菜を売るに際して、浅間観光との結びつきが有利に働いたことは間違いなかった。〈ポカラ〉の野菜カレーには、幹夫さんが丹精したナスやズッキーニがしばしば使われた。観光ホテル明鏡閣では、緑濃いモロヘイヤが評判を呼んだ。茹でたモロヘイヤを刻んで粘りを出したものが、納豆とともに朝食に供せられると、ある品のよい初老の婦人が感激して、「これはいったい何というもの? こんなにおいしいものは食べたことがないわ。是非買って帰りたいのだけれど、どこで買えるか教えてくださる?」と秀子に尋ねたのである。それはモロヘイヤというエジプト原産の夏野菜であり、レストランの近くにある売店で買えると秀子が説明すると、婦人は早速戸井田農園の顧客となった。このようにして幹夫さんの高原野菜は、着実に消費者を増やしていた。そうしたこともあってアオイさんは、ときどき上機嫌で枝豆やプッチーニを明鏡閣へ差し入れては、忙しい秀子とふた言、三言話すことがあった。そんなあるときアオイさんは、最近《マディソン郡の橋》の映画をビデオで繰り返し観ていると語った。ところがアオイさんは「マディソン郡」と発音できず、浅い呼吸で「マジソン郡の橋、マジソン郡の橋」と連呼しては、陽気にころころと笑うのであった。そういう話を秀子から聞いた悠太郎は、少しでも母を明るくしてくれるアオイさんに心のなかで感謝した。
そうしたわけで夏休みも終わりに近くなった頃、宵闇のなか照月湖モビレージに集った中学校一年生たちが、金網に乗せて赤々と熾る炭火でグリルした野菜は、戸井田農園の産物であった。そうして焼けたナスやピーマンやズッキーニやトウモロコシを、育ち盛りの少年少女たちは割り箸で紙皿に取ると、焼肉のタレをつけて食べた。しかし戸井田農園の野菜がいかにおいしくても、肉の魅力を前にしてはその豊かな彩りも色褪せるほかはなかった。豚肉が金網に乗せられると、熱せられた脂肪が滴り落ちて炎のなかでじゅうじゅうと音を立てた。食べ盛りの少年少女たちは巻き上がる煙に咳き込みながら、焼き上がった肉を我勝ちに貪り食った。それは一年生の学校行事としての一泊のキャンプで、みんなはテントで眠ることになっていた。
みんなのお腹がいっぱいになると、暗闇のなかで怪談話が始まった。この企画を主導したのは、幼い頃からお化けも恐れぬ金谷涼子であった。涼子は懐中電灯で自らの首から上を照らし出すと、黒曜石のように光る目でみんなを見据えながら語った。「あるところに兄と弟がおりました。兄は小学校五年生で、弟は小学校三年生でした。ふたりは同じゲームソフトに、それぞれの冒険の書を作って遊んでおりました。兄のデータはレベル二十三で、弟のデータはレベル十五でした……」するとやはり自らの首から上を懐中電灯で照らし出した佐藤隼平が、いくらか斜視気味の目でみんなを見ながらその先を続けた。「あるとき弟がゲームのカセットを本体に差し込んで電源を入れました。するとどうでしょう。空白になっているはずの冒険の書に、見知らぬ名前が書かれているではありませんか。しかもレベルは九十九まで上がっています。〈兄さん、兄さん、ちょっと見てよ。変なデータができているよ〉と弟は言いました。呼ばれた兄はテレビの前に飛んでくると、画面を見てぎょっとしました。〈この名前は、ぼくたちの兄さんのものだ。ぼくの前に生まれたけれど、病気ですぐに死んでしまったんだよ〉と兄は言いました。〈ロードしてみようよ。レベル九十九だよ。きっとすごく強いよ〉と弟が言いました。〈やめたほうがいい〉と兄は言いました。しかし弟はコントローラーを取って謎のデータを選択し、Aボタンを押してしまいました……」語りは再び涼子に移った。「するとどうでしょう。暗転した画面のなかに、真っ白な骸骨が浮かび上がりました。ウインドウが開いてメッセージが表示されます。〈おれは しんでいるのに おまえたちは いきている。おれは くらくて つめたいところで しんでいるのに おまえたちは あかるくて あたたかいところで いきている。おまえたちを くらくて つめたいところへ ひきずりこんでやる!〉屍はふたつになり三つになりどんどん増えて、とうとう画面じゅうを埋め尽くしてしまいました。呪われるときの効果音がデロデロと鳴りやみません。兄も弟も顔から血の気が引いて、恐怖のあまりがくがくふるえました。兄はやっとの思いで電源を切りました。しかしまもなく兄弟は原因不明の高熱を発し、相次いで亡くなってしまいました……」そこへ隼平が「わあっ!」と叫んだものだから、一年生の男女は恐慌を来たして悲鳴を上げた。
だが涼子と隼平による息の合った怪談話がもたらした恐怖も、キャンプファイアーの光によってたちどころに追い払われた。井桁に組み上げられていた薪に、担任の尾池賢一先生が盛大に灯油を撒いて火をつけると、紅蓮の炎が夏の暗闇に潜む死霊の気配を浄化した。尾池先生が器用なところを見せてかき鳴らすギターを伴奏に、みんなは〈燃えろよ燃えろ〉を合唱した。しかし悠太郎は燃え上がり渦巻く炎を見つめながら、いつしか〈流浪の民〉のことを考えていた。テノールとアルトとソプラノが模倣風に重なるあの箇所は、燃える炎を描写したある種の音画ではないかと、悠太郎は留夏子やペトラに渡したアナリーゼで指摘していた。いま眼前に燃え盛る炎の幻惑的なダンスを見て、悠太郎はその指摘が正しかったという思いを強くした。二年生の合唱に悠太郎が関わっていることを、まだ一年生の誰ひとりとして知る者はなかった。
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