明鏡の惑い

赤津龍之介

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第十三章 暗い道

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 ゴールデンウィークの暖かな日に、唐松は魔法のように一斉に芽を吹いていた。五月ともなれば六里ヶ原にも遅い春が訪れ、桜やコブシやタンポポやムスカリや水仙の花が、だんだん咲けばいいものを一斉に咲いた。草と樹々の緑が萌える一九九五年五月十六日、悠太郎と六年生のみんなは一時間目から、校舎の一階にある職員室からほど近い図工室で、愛鳥週間のポスターを描いていた。一時間目と二時間目は連続で図工の時間であったが、悠太郎は図画工作を図工と略すのが嫌いであったから、その科目を頑なに図画工作と呼んでいた。悠太郎は睫毛の長い目を悄然と伏せながら、暗い面持ちで画用紙に向かっていた。悠太郎が描きたかったのは、鳥籠から放たれて自由になった黄色いカナリアの絵であった。だが日本には野生のカナリアはいないから、そんな絵を描くことは生態系を乱す行為を助長する恐れがあった。それならばカモメの絵はどうか。山のデパートに取り寄せてもらって読んだ『かもめのジョナサン』に想を得て、純白に発光しながら紺碧の大空を飛翔する一羽のカモメを悠太郎は描こうとした。しかし海のないこの県の小学生が、カモメなんか描くのはどうかと思ったし、それに危険な教団に関係のありそうな絵なんか描いて、また先生方に睨まれてもいけないから、悠太郎はオナガを題材に選んだ。オナガは祖父の千代次が好きな鳥であった。翼と長い尾が淡い水色のこの鳥が、盛大な宴のように庭を乱れ飛ぶ様を見て、千代次はレンズの上部だけに黒い縁のある眼鏡の奥で、極度に細い近視の目をしばたたきながら、「まあず豪儀なもんだ」と独りごちていたものであった。しかし描いていて気がついたのだが、墨絵めいた淡い色彩のオナガは、ポスター映えのする鳥ではなかった。家の庭で見た餌台の記憶と図鑑の写真を頼りに、乱れ飛ぶ三羽のオナガを鉛筆で下描きしながら、これは絵の具で色を塗ったら失敗するなと悠太郎は思った。なぜもっと色鮮やかな鳥を選ばなかったのだろう。ゴールデンウィークには照月湖のほとりで探鳥会が催された。あの探鳥会で見た青い鳥を、なぜ選ばなかったのだろう――。
 アオコで濁ってしまった照月湖のほとりで、その五月にも理科の草壁敬子先生は、探鳥会を開催していた。小学生たちはそれぞれ双眼鏡を首から下げ、草壁先生お薦めの片手で扱える軽い図鑑を手にして、レストラン照月湖ガーデン前に集合した。湖を一周する遊歩道から学芸村の道にも立ち入りながら、一行はしばしば立ち止まっては、芽吹いたばかりの樹々の枝から聞こえてくる野鳥の声に耳を澄まし、草壁先生が鳥の名を告げる静かな声に注意しながら、先生が示す方向へ双眼鏡を向けた。探鳥会に欠かさず出てくる芹沢カイは、目許に静かな知性を光らせながら、雀斑の散った顔を注意深くあちらへこちらへ向けていたが、高く澄んだ美しいさえずりを聞きつけると、「先生、オオルリの声がします」と言った。草壁先生はげっそりと頬のこけた顔をやや左に傾けながら、「本当ですね。確かにオオルリです。もう渡ってきていたのですね。さすがは日本三大鳴鳥に数えられるだけあって、美しい声です。日本三大鳴鳥というのは皆さん分かりますか? ウグイス、オオルリ、それからコマドリのことですよ」と言い、大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせつつ、鳴き声のするほうへ双眼鏡を向けた。「ああ、いました。ほらあの楢の樹の突き出た枝の上です」と草壁先生が片手で指し示す方向を、悠太郎もまた双眼鏡で見た。ほんの数秒ほどではあったが、双眼鏡の視界のなかに美しい瑠璃色の鳥の姿が留まり、それからまた見えない彼方へ飛び去っていった。カイが雀斑の散った顔をニヤリと笑わせながら、「ユウちゃん、見えたかい?」と尋ねたので、悠太郎が「うん、見えた」と答えると、オオルリの姿を捉え損なった小学生たちの羨望の声がふたりに注がれた。草壁先生は蒼ざめて頬のこけた顔を微笑ませながら、「それはよかった。オオルリは幸福の青い鳥です。今日この緑萌える五月のよき日に、青い鳥を見たあなた方の行く道は明るいでしょう」と、およそ理科の先生らしからぬ予言をしておどけてみせたので、みんなは乱反射する湖の水面のように笑いさざめいた。そうだった。あのオオルリをぼくはなぜ愛鳥週間ポスターの画題に選ばなかったのだろう。なぜってそんなことは疑わしくて信じられないからだ。本当にぼくの行く道は明るくて、行く手には幸せが待っているのだろうか。いや、そんなことはぼくにはとても信じられない。ぼくの歩む道は、きっと暗い道に違いない。あの教団の教祖や信者たちがたどったような暗い道を、きっとぼくもまたたどることになるような気がする――。そんな物思いに沈みながら悠太郎は、午前の図工室でオナガの愛鳥週間ポスターを描き進めつつ、その年の初めからのことを思い出していた。
 その年の元日にはある新聞が、富士山の麓に林立する真理教の教団施設の周辺から、猛毒ガスを生成した際の残留物質が検出されたとスクープした。ちょうど悠太郎が空手道場で入江紀之の指導を受けていた頃に、隣の県のある市で猛毒ガスが噴霧される事件が起こっていたが、その猛毒ガスを生成するときにできる物質が検出されたというのである。何人もの死者を出した毒ガス事件と教団を結びつける見解は、それまでにもごく一部に怪文書として出回ってはいたが、この元日の新聞報道によって教団への疑惑はにわかに高まった。それは一九九〇年の衆議院選挙のとき、長髪でひげもじゃの教祖のハリボテを被り、教祖の名前を連呼する歌に合わせて踊っていたあの教団であった。象の被り物を着けて風船を持った白いサテン服姿の信者たちが、音楽に乗せて拡声器で教祖の名前を連呼しながら、消費税廃止だとか教育改革だとか福祉推進だとか歌っていたのを、正子伯母様は荻窪の駅前で見たと言って気味悪がっていたものであった。あれからも信者を増やし続けていた真理教は、遠くではソヴィエト連邦が崩壊した後のロシアで勢力を伸ばし、近くでは悠太郎が通うことになる中学校からそれほど離れていないところに、六里ヶ原サティアンと称する教団施設を建設していた。それは富士山の麓に林立しているのと同じく、装飾を排した無機質な建物であった。教団に土地を提供したと噂されているのは、悠太郎の全然知らない人ではなかった。そのまま行けば浅間山麓が、第二の富士山麓にならないとも限らなかった。そうしたわけで六里ヶ原に暮らす人々にとって真理教は、単にテレビのなかの騒動であるに留まらない身近な脅威となっていた。
 緊張感の高まりとともに始まったその一月には、しかし株式会社浅間観光の社員旅行として、斑尾まだらお高原へのスキー旅行が実施された。寒冷地の長い冬休みのこととて悠太郎もまた、黒岩栄作支配人が運転するハイエースに乗り込んで同行していたが、その白いハイエースに青い文字で記された「照月湖温泉 観光ホテル明鏡閣」というロゴには、狐目の春藤秋男さんによって蛍光塗料が塗り重ねられていたから、照月湖モビレージの看板の文字と同様に、暗闇のなかで夜目にも光るわけであった。不景気とはいえ隣の県まで社員旅行をするだけの余裕が、まだ浅間観光には残っていたのである。サカエさんはサングラスの奥で注意深く目を光らせながら高速道路を運転した。黒縁の眼鏡の奥で狐目を吊り上げた春藤秋男さんが、何かに驚いたような不服そうな顔で、「俺たちの行くところでも毒ガスが出たりしてな」と言って口を尖らせると、林浩一さんが平たい顔を不安に曇らせながら、「嫌だなあ。あり得ないとは言い切れませんからね、こんな世のなかですから」と応じた。サカエ支配人はしかし、「そうすりゃあおめえ、そのときはそのときだ。みんなしてバターリ倒れて、お陀仏になるしかあるめえ」と言ってのけた。するとみんなはこの軽口にいくらか気が楽になったし、秀子もまた下膨れの顔に笑いを浮かべながら、「まあ障害でも負って生き残るよりはね、いっそお陀仏になったほうが」と言った。鋏を使うのが得意な板前の新海岳史さんがいれば、そうなったらもう仕方がないとばかり、にかっと歯を見せて泣き笑いのような顔をしたに違いないが、スキーは不得手ということで留守番であった。その妻でたらこ唇のマッちゃんこと松子さんも、ギョロ目のライサク老人こと桜井謙助さんも、紫色の三角巾のおロク婆さんも、白い三角巾のおタキ婆さんも同じく留守番であった。
 車に揺られた長い旅路の疲れもものかは、チェックインしたリゾートホテル〈テセラクト〉でめいめいがスキーウェアを身に着けると、斑尾山の北斜面にあるゲレンデに積もった上質なパウダースノーに、みんなはそれぞれのシュプールを描いて滑りに興じた。林さんは平たい顔を雪焼けに赤く火照らせながら、両足のスキー板を平行に揃えて華麗にターンしつつ雪飛沫を撒き散らした。春藤さんも若い者には負けじとばかり、口を尖らせて急斜面を滑り降りた。秀子は時々転倒しながら、スキー板をハの字型にしてボーゲンでゆっくりと滑った。悠太郎もまたボーゲンでおっかなびっくり滑っていたが、そのうちにサカエ支配人が少しずつパラレルターンのやり方を教えたので、十一歳の少年はサングラスの奥で優しく光る目に見守られながら、滑走技術のより高い段階へと進んでいった。空は清々しく晴れていた。照りつける太陽が雪に反射するので眩しがる悠太郎に、春藤さんが面白いものを手渡してくれた。それはピンクのテンプルがついたサングラスであったが、度のない左右のレンズには、椰子の樹が生えた海辺の砂浜が、色鮮やかに描かれていたのである。「ほっほい、このトロピカルグラスをユウちゃんにやろう。沖縄旅行の収穫だよ。それをかければ雪のゲレンデも、南の島に早変わりだ」と春藤さんが言うので、悠太郎はそれを装着してみた。もちろんレンズに描かれた絵が内側の至近距離から見えようはずはなかった。しかし白一色のゲレンデの雪は、ステンドクラスを透かしてでも見るかのように、とりどりに色づいた。リフトを降りると悠太郎は、毎度この奇妙なサングラスの奥で物問いたげな目を見開いて、雪に白く光る北信五岳や、ところどころ結氷した野尻湖を遠望したのである。
 ゲレンデでスキーを楽しみ、リゾートホテルの大浴場で弱アルカリ性の温泉に浸かり、和洋中華の料理が食べ放題のバイキングで、サーモンの寿司や鶏肉のフレンチサラダやエノキの梅肉和えを食べる一行を、幸いにして毒ガスが襲うことはなかった。しかし一夜明けた朝には、柔らかなベッドを備えた客室のテレビから、衝撃的なニュースが流れることになった。神戸の街が、西宮の街が、芦屋の街が炎上していた。家屋は倒れ、窓ガラスは砕けて飛散していた。高速道路が倒壊し、トラックはひしゃげて貨物は散乱していた。鉄道も損壊し、列車が脱線していた。淡路島北部を震源とするマグニチュード七・二の直下型地震が、早朝に兵庫県南部を襲ったのである。テレビに映し出される光景は、いかにも世紀末めいてこの世の終わりを思わせた。身支度して食堂に集まった一行は、大正時代の関東大震災以来と言われるこの震災のことを話し合った。「ひどい火事ね。みんな朝食の支度でもしていたのかしら」と低い声で秀子が言えば、「それもあるんべえ。だがまだ暗かったろうし、揺れが収まったんで蝋燭に火をつけたらおめえ、漏れていたガスに引火したのかもしれねえ」とサカエ支配人が応じた。「明鏡閣も防災のことを考えなくちゃなりませんね」と雪焼けした平たい顔を曇らせて林さんが言えば、「防災ったってあんなおんぼろホテルじゃあ、今さら手の施しようがあるめえ。モビレージのバンガローだってあれほどの地震が来りゃあ、あっという間に丸太の山よ」と狐目の春藤さんが応じて不服そうに口を尖らせた。悠太郎は食べかけのパンとスペイン風オムレツの上に、睫毛の長い目を悄然と伏せていた。真理教の施設から見つかった毒ガスの残留物質といい、阪神・淡路の大震災といい、この一九九五年はあまりにも不吉な感じがした。一九九九年の七月に世界が滅亡するという大予言のことを、悠太郎は思い出さずにはいられなかった。あと四年でぼくは死ぬのか、あと四年でみんな死ぬのか、あと四年で何もかもが滅びてしまうのかと悠太郎は暗い考えをめぐらせた。
 そうだった。世界の滅亡を気に懸けているのはぼくだけではなかった。五年生のときにぼくたちの学年の担任だったダンベヤー先生だって、やっぱりそうではなかったか――。悠太郎は図工室で間違いなく失敗するオナガの絵を描きながら、まだ五年生だった頃のことを思い出していた。五年生のときの担任は、せき先生という逞しい大柄な中年男性で、額から頭頂部にかけて広がった禿を隠すように、左右の側頭部から細くて柔らかそうな髪を撫でつけ、バーコード状にしていた。ドラム缶のような体に共鳴させた大声を発する関先生は、荒れた小学校の児童たちを力ずくで押さえつけるための、ある種の暴力装置として赴任してきたに違いなかった。関先生が六里ヶ原第一小学校で初めて担任したのは、中島猛夫がいたあの学年であった。前代未聞なまでに荒れた学年として悪名高かった彼ら彼女らの猛威は、最高学年に昇り詰めたことによって絶頂に達していた。日常的に猖獗しょうけつを極める暴力に対抗すべく、関先生はしばしばその腕力に訴えなければならなかった。猛夫は鼻の穴を膨らませて粗野な声で喚き散らし、眉間に皺を寄せて産毛だらけの猿めいた顔を歪め、中指を突き上げて下級生を虐げたが、あるとき関先生に首を絞められて泣いた。だがこの学年の荒れようはそんなものではなかった。彼ら彼女らは徒党を組んで授業をボイコットし、テスト用紙をみんなして無解答で提出しては関先生を悩ませた。「おいこら、おまえたち! こんなことをしてどうするんだやあ! そんなことじゃあ駄目だんべやあ!」と関先生が、いくらドラム缶のような体に共鳴させた大声で怒鳴りつけてみても甲斐はなかった。そうした様子を二級下の悠太郎は、噂話に伝え聞いて思い描くばかりであった。しかし彼ら彼女らの卒業式のとき、PTA会長だという女性が挨拶のなかで、「先生方のご指導には、しばしば目に余るものがありました!」と教師たちを非難するのを悠太郎は聞いた。そのPTA会長の息子も卒業生のなかにいたが、彼は髪の生え際に鬼の角のような剃り込みを入れていた。三月の寒い体育館で椅子に座っていた悠太郎は、そのとき横目を使って関先生のほうを窺い見た。重戦士のような大男は、落胆と怒りに身をふるわせながら、がっくりとうなだれ肩を落としていた。
 そんな一年の後だけに関先生は、悠太郎たちの担任に決まったことでようやく人心地がついたようであった。たしかにこの学年の児童たちにも、先生の仕草や口癖を真似して面白がるような子がいないではなかったが、それでも学級崩壊というべき惨状を来たした前の年の児童たちに比べれば、まだしも可愛いものであった。隼平の家庭訪問で甘楽集落にある佐藤農園を訪ねたとき、猛然と吠えまくるコリー犬のバネットに足首を噛まれたくらいは、災難のうちに全然入らなかった。だから関先生はからかわれることを承知の上で、重戦士としての役割の陰に隠れていた茶目っ気を発露させることがあった。例えば算数の時間に割合の単元を教えるとき、「いいかおまえたち、しっかりと俺の話を聞けよ。割合は難しいぞ」と言って、みんなを乱反射する湖の水面のように笑わせたことは、関先生が抱いていた安心感を考えなければ説明のつかないことであった。また別のときにはこういうこともあった。国語の時間に和語・漢語・外来語という三つの層を教えていたとき、関先生が「ところでおまえたち、ラブレターという外来語を和語で何と言うか知っているか?」と質問すると、男の子たちも女の子たちも一様にくすくす笑いを漏らした。そこへ悠太郎が、物問いたげな表情を少しも変えずにすかさず手を挙げ「こいぶみ」と答えた。関先生が呆れたように笑いながら、禿げ上がった額に片手を当て、「まったく悠太郎くんは、どうしてそういうことを知っているんだやあ」と言ったので、みんなはまた乱反射する湖の水面のように笑いさざめいた。髪の短い諸星真花名は、しかし思い詰めたように幸薄そうな顔をうつむけ、わずかにしゃくれた顎を胸にくっつけるようにして身をこわばらせていた。
 浅間山が三度の冠雪で山裾まで白く染まり、里にも雪が降って五年生の二学期も終わりに近づいたあるとき、牧の宮神社での初詣のことに話が及んだ。そのとき関先生は「牧の宮神社というからには、牧場を造った宮様を祀っているんだんべやあ」と言った。「浅間牧場のことですか?」と芹沢カイが質問すると、先生は「いや、今に残る浅間牧場だけじゃないぞ。先生もよそから来ているから詳しくは知らないが、昔はこのあたり一帯が巨大な牧場だったんだんべやあ」と答えた。ともかくも二学期の終わりを待つまでもなく、初めからずっとそんな調子だった関先生は、その口癖から「ダンベヤー」というあだ名をつけられていた。関先生の目を盗んで神川直矢は堂々と胸を張り、握り拳を固め、肘を軽く突き出すように腕を曲げて体を大きく見せながら、「関ダンベヤー! 先生はラーメンが好きダンベヤー!」などと物真似してはみんなを笑わせ、自分でも機関銃のように高笑いした。
 元日に毒ガス残留物質検出の報道があり、長い冬休みのあいだに阪神・淡路大震災が起こり、やがて本格的に三学期が始まったが、その頃のある昼休みに、関ダンベヤー先生は直矢を叱りつけた。直矢の叱られた理由というのが、悠太郎には実にくだらないと思われた。そんなことで叱られたのではたまったものではあるまいと、悠太郎は直矢を同情的に見ていた。直矢は別に児童たちにも先生たちにも悪を働いたわけではなかった。ただ高校生のバスケットボールを描いたテレビアニメのエンディングテーマ〈世界が終わるまでは〉を、ひと節歌っただけなのである。ところがただこれだけのことが、関ダンベヤーの逆鱗に触れた。先生は教室に置かれた教師用の机に向かって、赤ペンで児童たちの宿題の丸つけをしていたが、直矢の歌を聞くや否や弾かれたように立ち上がると、「おい直矢! くだらねえ歌をうたうんじゃねえよ! 世界は終わらねえんだんべやあ! 世界は続いていくんだんべやあ!」と、ドラム缶のような体に共鳴させた大声で怒鳴りつけたのである。呆気にとられた直矢は、白目の冴えた小さな目を見開いてきょとんとしていた。自分のどこに落ち度があり、この歌の何がいけなかったのか、飲み込めていないことは明らかであった。悠太郎はそんな直矢を気の毒に思うと同時に、バーコード頭の大男の心中をもまた推し量った。世界が終わるかもしれないという予感は、大の男である先生にもまたあるのだ、世界は終わらずに続いてゆくと、先生は自分に言い聞かせたのだと悠太郎は思った。そしてそんな関ダンベヤーに共感もすれば反感も抱いた。滅亡の予感を紛らわすためか知らないが、何も児童に八つ当たりのような真似をしなくてもよいではないか、そんなことだからPTA会長に、先生のご指導は目に余るなどと言われてしまうのだと悠太郎は考えた。
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