明鏡の惑い

赤津龍之介

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第十二章 人の望み

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 「面白そう。〈この悲嘆の嵐のすべては無駄ではない〉って、いい言葉だね」と諸星真花名は九月七日の昼休みに、きらきら光る茶色の目を興味で輝かせながら、悠太郎が発音した英語を繰り返した。「《マカベウスのユダ》か。ユウちゃんのためにあるような音楽だね。ユウちゃんはきっと出会うべくして出会ったんだよ」と言った真花名は、さらに悠太郎から何度か教わりながら、表彰式でお馴染みのメロディーに合わせて、

  見よ 勝利の勇者がやって来る!
  トランペットを吹き鳴らせ 太鼓を打ち鳴らせ
  祝祭の支度をせよ 月桂冠を持ってこい
  勝利の歌を彼にうたえ

と英語で軽やかに楽しそうに歌った。
 それから真花名はおずおずとあたりを見回して教室に人がいないことを確かめると、「ユウちゃん、お誕生日おめでとう。伯母さんのプレゼントには敵わないけど、これをあげる」と言いながら、ポケットから刺繡糸で編まれた環のようなものを取り出した。「ユウちゃんはこういうの知らないでしょう。ミサンガだよ。私が編んだの。着けていて自然に切れると、願い事が叶うんだって」と真花名は、ふるえがちな声を励ますようにして悠太郎に教えた。「ありがとう。こんなに細かく編めるなんてすごいな。ミサンガか。ぼくだってまったく知らないわけじゃないよ。ブラジルから来たサッカー選手が着けているようなやつだろう?」と悠太郎は大きな目を黒々と見開いて、色糸が代わる代わる現れるよう巧みに斜め編みされたミサンガに見入りながら言った。「そうだよ」と真花名は、児童たちがサッカーやドッジボールで遊ぶ校庭を見下ろしながら返事すると、「ユウちゃんの願い事は何?」と尋ねた。「ぼくの願い事?」と悠太郎は、さも意外そうに繰り返した。「ぼくの願い事? ぼくの願い事か……。果たしてそんなものがあるのかな」と悠太郎は同じく窓の外を眺めながら考え考え言った。「願い事ならたくさんあるよ。家族に恥をかかせない程度には速く走れるようになりたいとか、ピアノをうまく弾けるようになりたいとか、照月湖の水が昔のようにきれいになってほしいとか、そういうことは思うよ」と悠太郎が言うと、「照月湖といえば、夏休みのテニス部の合宿で明鏡閣に泊まったよ。和室も洋室も古い匂いがして、とても素敵なところだった。照月湖の水も元に戻るといいね」と思い出したように真花名が応じた。しかし悠太郎は続けた。「でも問題なのは、それがぼくの願い事なのかどうかってことだね。いま言ったようなことはみんな、祖父母や母の願い事なんじゃないだろうか。祖父母や母がぼくを通じて願っていることなんじゃないだろうか。祖父母や母の願い事から切り離された、ぼくだけの願い事なんてあり得るんだろうか。真花名ちゃんに言われてみて初めて気がついたよ。やっぱりぼくは祖父母や母の操り人形なんだ」と言って悠太郎は睫毛の長い目を伏せた。
 「ユウちゃんもそうなんだ。私も似たようなものだよ」と真花名は、わずかにしゃくれた顎を胸にくっつけるようにうつむいて答えた。「どこにいたってみんなと同じじゃなきゃいけないんだもの。家にいても学校にいても。自分の考えや自分の願いなんか持とうものなら、それだけで責められる。先生たちはずっと前からそんな私に目をつけて、優等生を演じさせてきた。家族もそういう役割を私に期待する。それでみんなからはいい子ぶってるって攻撃される。毎年毎年その繰り返し。いつか自分の願い事なんて見えなくなっちゃった」と真花名は言って目を上げた。窓の外の校庭では、無邪気な児童たちが歓声を上げながら、ボールを投げたり蹴ったりして遊んでいた。高くなった青空へ向けて蹴り上げられたサッカーボールが、そうなるほかはありようがない放物線を描いて落ちるのを、ふたりは一緒に見ていた。「そうだ、こういうのはどう?」と真花名は不意に顔を悠太郎に向け、「自分の願い事が欲しいっていうのが、私たちの願い事」と提案した。「そりゃいいや。ぼくはぼくの願い事が欲しい。このミサンガが切れたら叶うかな?」と悠太郎は賛成した。「きっと叶うよ」と答えた真花名は、何となくぎこちない笑顔になった。
 「へえ、カンバーランドなんて現実にあるのかい。ゲームのなかにもあるぜ」と別の朝に芹沢カイは、浅間山を望む校庭を悠太郎と一緒に走りながら、雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせて言った。それは朝マラソンと呼ばれる毎朝の課業で、児童たちはトラックを何周走ったかに応じて、教室の壁に貼られたこの町の地図の升目を、鉛筆で塗り潰してゆくのである。長靴を逆さにしたような形のこの町を校庭で一周しよう、いや走れる人は何周でもしようというのが、六里ヶ原をランナーの天国と讃える丸橋清一先生のアイデアであった。体力がなく走ることが嫌いな悠太郎にとっては、実に迷惑な思いつきであった。しかし朝マラソンのとき悠太郎は、たいていカイと一緒であった。カイと並んで走りながら様々な話をしていれば、このつらい毎朝の課業もいくらかは楽しくなるというものであった。カイはことのほか野鳥が好きで、理科室前の図鑑コーナーに立ち尽くしては、色とりどりの羽を持つ鳥たちの名を熱心に記憶していたから、カワセミをいつ見たとかオオルリをどこで見たとか、ハシブトガラスとハシボソガラスはどう見分けるのかとかいった話を飽くことなく繰り出した。また草軽バスの整備士をしているカイの父親は、苦学の労働者であったから、カイはそんな父親から伝えられた知識を、しばしば悠太郎に話して聞かせた。だがこのときカイがカンバーランド公爵に食いついたのは、熱中しているスーパーファミコンのソフトにもカンバーランドという国があったからである。
 「カンバーランドへはね、早く行かないと駄目なんだぜ。フリーシナリオだから後回しにもできるんだけど、後回しにするとカンバーランドは滅亡しちゃうんだ。王位継承問題につけ込んで国を乗っ取る悪い奴がいるからね。イベントが起こったら早く行ってその悪者をやっつけないと、カンバーランドの聖騎士団は皇帝の仲間にならないんだよ。聖騎士団の男は初代がゲオルグ。ゲオルグはドイツ語で、英語ではジョージ、フランス語ではジョルジュ、イタリア語ではジョルジョなんだぜ。親父がそう言ってた」と軽く走りながらカイは話した。「そうか! だからドイツ生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、イギリス人になってジョージ・フレデリック・ハンドルになったんだね。それにしてもフリーシナリオ? 皇帝っていうのが主人公なのかい? 後回しにして国が滅亡するということは、ずいぶん長い時間が流れるんだね?」と問う悠太郎に、「そう、帝国の皇帝が主人公だよ。古代人の術でね、記憶や能力を次の皇帝に継承させながら、長い長い時間にわたって物語を続けていくのさ。それこそ何百年にもわたってね。ゲームスタート時点の皇帝の第一皇子が、七人の英雄のひとりにやられて死んでしまったから、優しいけれど弱かった第二皇子が、父親の力を継承する。その後はもう血の繋がりは関係なくなる。どんな職業の人物に伝承するかは、ある程度自由に決められる。シナリオもいくつかの分岐のなかから自分で進め方を選べる。だからフリーシナリオっていうのさ」とカイは説明した。
 「その七人の英雄っていうのが悪い奴等なんだね? でも不思議だなあ、何百年にもわたって物語を進めていくあいだに、そいつらは勝手に死んじゃったりしないの?」と走りながら怪訝そうに尋ねる悠太郎に、「それが死なないんだよ。それどころか英雄たちは時間が経つと強くなりさえするんだ。英雄たちは古代人の術を使ってね、魔物たちを自分に同化して、常に新しい肉体を得ているから、いつまでも生き続ける。皇帝は継承を繰り返しながら長い長い時間をかけて、世界各地で悪さをしている英雄たちを倒してゆくんだ」と答えた。「それじゃ皇帝継承も無限に続くわけだね?」と悠太郎は問うたが、「ところがそうじゃないんだ。古代人の女魔導士が教えた秘法には欠陥があって、ある段階で最後の伝承者が登場する。もうそれから先へは伝承できない。それが最終皇帝だよ。最終皇帝を男にするか女にするかは、ゲームが始まるときに選んでおくのさ。最終皇帝はそれぞれ固定装備の剣を持っている。男なら太陽光の剣、女なら月光の剣だ。その最終皇帝の命があるあいだに、残りの英雄たちをすべて倒して、さらに英雄たちが全員合わさった本体を倒さなければ駄目なんだ」というのがカイの答えであった。
 「最終皇帝? そりゃきっとラストエンペラーから来てるんだよ」
 「おっ、さすがはユウちゃんだな。攻略本の英語表記はLast Emperorだったぜ。どうして分かったんだい?」
 「ハイロンの田茂さんがいつか祖父と話していた。中国の清朝最後の皇帝が、日本軍に担ぎ出されて満洲国の皇帝になったんだって。ところで太陽光の剣と月光の剣なら、ぼくは月光の剣が欲しいな。男の最終皇帝で月光の剣を持つわけにはいかないのかい?」
 「いや、それはできない相談だな。男なら太陽光の剣、女なら月光の剣と決まっている。それが固定装備というものさ」
 「そうか、それは残念だな。いずれにせよ勝利する剣の栄光は偉大だね」
 ところでカイは、悠太郎とは違った先生についてピアノを習っていて、ウェーバーの〈狩人の合唱〉を得意なレパートリーとして持っていた。休み時間になると、カイはしばしば教室にある足踏みオルガンに向かい、力いっぱいペダルを踏み込んで大量の空気を送りながら、鋭角的な動きと鋭いタッチの弾き方で、楽器にニ長調の朗らかな歌をうたわせた。カイがオルガンで弾く〈狩人の合唱〉を聴くのが、悠太郎はとても好きであった。アウフタクトの属音から主音へと四度上行し、さらに五度上の属音まで音階で駆け上がるそのメロディーは、五年生の教室を狩人が集う緑の森に変えた。カイも悠太郎も、その曲がウェーバーの歌劇《魔弾の射手》から取られたものであることを知らなかったし、ましてや原曲で歌われるドイツ語の歌詞が、

  狩人の楽しみに勝るものがこの世にあろうか?
  狩人ほど豊かに泡立つ生命の杯を飲む者があろうか?
  角笛の響きを聞きながら緑のなかに横たわり
  茂みを抜け沼を越えて鹿を追いかける
  これぞ王者の喜び これぞ男子の求めるもの
  手足を鍛え食事をおいしくするもの
  森や岩山が谺しつつ俺たちを包むとき
  いよいよ憂いなく喜ばしく酒杯は打ち鳴らされる!
  ヨーホー! トラララララ!

といったような意味であることももちろん知らなかった。しかし悠太郎はカイが鳴らす朗らかなオルガンの音を聴いていると、深い森のなかから湧き上がるような喜びに全身が満たされるのを感じた。そしてまたいつか秀子から聞かされた頼朝の巻狩伝説が思い出されたりもするのであった。カイが弾く〈狩人の合唱〉は教室の人気をさらった。佐藤隼平は切れ長でいくらか斜視気味の目を笑わせながら、「カイくんのこれは実にいいなあ。ユウもこういう分かりやすいやつを弾けばいいのに。まあ最近じゃうちの母さんは堅苦しいようなものしか教えないから、無理な注文か。姉貴から聞いたぜ。母さんはシューマンの〈楽しき農夫〉を教えなかったんだってな。ユウは今インヴェンションとやらで忙しいんだろう」と言った。ジュンの言う通り、バッハとウィーン古典派を最上とする音楽観を持った佐藤陽奈子先生と、カイの先生は何から何まで対照的であった。カイの先生はピアノのほかに声楽も学んだ開けっ広げな気性の女性で、アニメや映画やテレビゲームの曲まで積極的に教材として用いたのだが、そういうことを謹厳な陽奈子先生は絶対にしないのであった。すると当然ながら人気はカイの先生のピアノ教室に集まることとなり、その大所帯の門下生たちは、隣の県の八風山はっぷうさんを望む市民ホールを借り切って、一日がかりで大規模な発表会を催すということであった。
 甘楽集落の広いトウモロコシ畑を抜けた先の母屋で、さほど生徒の集まらない陽奈子先生のピアノ・レッスンは続いていた。あれはまだ夏休みのあいだのことだったなと、悠太郎は巧みに編まれたミサンガを眺めながら思い出していた。隼平の話によると、留夏子は塞ぎ込んでソフトテニス部の練習にも行けず、家にいるということであった。「どうやら入江先輩のことがよっぽど応えたらしいんだ。姉貴が自分でそう言ったわけじゃないけど、様子がおかしくなったのはあの頃からだからな。一日じゅう今にも泣きそうなおっかない目で、何を見るともなく見ては思い詰めてるんだからたまらんよ。入江先輩のヴァイオリンを聴いて感激してたから、まあ憧れてたんだろうな。気の毒だが、ずっとあんな調子でいられたんじゃ俺まで滅入っちまう。ユウおまえ、どうにか姉貴を元気づけてやれないか?」と隼平は畑道を歩きながら、いくらか険のある顔を心痛に翳らせて言った。青空から日の光は惜しげもなく降り注ぎ、波音のように風にざわめくトウモロコシの葉を濃い緑に輝かせていた。「それは無理だよ。留夏子さんの心のなかに、ぼくなんかが立ち入れるもんか。余計なことは言えないよ」と悠太郎は答えたが、そう言う悠太郎自身が紀之の件では打ちのめされていたのである。だれも自分ほど紀之を悼んではいない、たとえ留夏子さんといえども自分ほど紀之を哀惜してはいないというのが、悠太郎の偽らざる思いであった。「それなら姉貴が前みたいに、ユウがレッスンを受けるところを見るのはいいか?」と尋ねる隼平に、「それは別に構わないよ。留夏子さんが見たければ見ればいいさ」と悠太郎は答えた。ふたりが母屋の前に着くと、コリー犬のバネットが重たい鎖をがちゃがちゃ鳴らしながら犬小屋から飛び出し、古タイヤの山に飛び乗って猛然と吠えまくった。
 レッスンが始まっても吠え続けるバネットに負けじと、『ハノンピアノ教本』の基礎練習で猛然と指を鍛えた後は、バッハのインヴェンションを弾く番であった。初めてインヴェンションの課題を与えられたとき、悠太郎は大いに面食らってまごついた。それまでは伴奏ばかりを弾いてきた左手にもメロディーが出てきて、右手のメロディーと掛け合うのである。右手と左手を別々の生き物のように扱うことが悠太郎には難しく思われて、ハ長調の第一番では片手ずつの練習を念入りにしなければならなかった。「バッハの一族は音楽家をたくさん輩出したの。今ユウくんが弾いているバッハはいちばん有名なバッハで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハというの。大バッハとも呼ばれるのよ。インヴェンションというのは発明というような意味で、創意曲とも訳されるの。バッハがユウくんくらいの息子のための教材として作曲したと伝わっているわ。ピアノを習う子はたいてい嫌がる曲だけど、ユウくんはじっくり学んで対位法の奥深さを感じ取ってね」と陽奈子先生は教えながら、赤鉛筆で楽譜の余白に「J・S・バッハ」とか「対位法」とか書き込みつつ、音楽における音の垂直的融合と水平的融合について、またバッハがいかに和声的対位法を完成へともたらしたかについて熱心に語った。バッハの鍵盤音楽がいかに宇宙の秩序や調和を表現しているかを語りながら、陽奈子先生はガラス扉のついた本棚から、表紙の端や背表紙がぼろぼろになった楽譜本を一冊取り出した。それはブダペスト留学時代に陽奈子先生が買い求めた、ハンガリー語の序文がついたバッハの『平均律クラヴィーア曲集』の第一巻であった。陽奈子先生にフーガのページを見せられた悠太郎は、驚きのあまり目を瞠った。声部が四つある! つまりはふたつの手で四つのメロディーを弾き分け追いかけ合わせるのだ。インヴェンションは二声だから、ひとつの手でひとつのメロディーを弾けばよい。悠太郎は前途の遼遠さを思いながら、ハ長調の第一番を練習し終えた。
 そんなことを思い出しながら、さらにその日はニ短調の第四番にも合格をもらった。そして次に与えられたのは、ト長調の第十番であった。すでにこの頃になると陽奈子先生は、新たに与えられた曲を初見で弾くことを悠太郎に求めていた。ト長調の主和音の構成音が八分の九拍子で踊り始める第十番をゆっくりと弾いていると、悠太郎はその曲を知っているような気がした。「先生、ぼくこの曲を聴いたことがあります。有名な曲ですよね? たしかオーケストラで聴いたことがある気がします」と悠太郎が言うと、陽奈子先生はしばらく考えるようであったが、やがて「それはこの曲じゃないかしら。ちょっといい?」と言って悠太郎を立ち上がらせると、左隣の椅子から悠太郎が座っていた椅子に移って、鍵盤に両手の指を置いた。鳴り始めたのはなんという浄福の音楽であったことか! 喜びに満ちて空を舞い飛ぶ天使の羽ばたきのように、高音部では三つずつの音が寄り合って音階となり、また離れては分散和音となって、あるときは昇りあるときは降りながら間断なく流れるあいだ、低音部ではほとんど永遠のような悠久の時間が、舞曲のステップを踏みながらひとところに留まっているかのようであった。「ああ、そうです。この曲に間違いありません」と悠太郎は言ったが、しかし陽奈子先生は弾くのをやめず、ついに現れたコラール旋律に合わせて凛とした澄んだ声で歌い始めた。
 ピアノの音と歌声が織り成す清らかな力に満ちた音楽に、悠太郎は陽奈子先生の横顔を見つめながら聴き入った。後奏の響きが遥か彼方へすっかり消え去ってしまってからも、ふたりはしばらく無言であった。やがて静けさのなかにすすり泣きが聞こえたので、悠太郎は我に返って部屋のなかを見た。いつの間にか留夏子が昔のようにソファに座って、切れ長の目から涙を流れるに任せながら聴いていたのである。陽奈子先生は娘を認めてやや驚いたようであったが、ふたりの生徒にまとめて教え聞かせるように、「これは〈主よ、人の望みの喜びよ〉という曲よ。もともとは教会カンタータ第一四七番のなかの合唱曲なの。オーケストラでもピアノでも演奏される」と言って、「ドイツ語の歌詞の意味はね、イエスは変わらぬ私の喜び、私の心の慰めにして……ええと、Saftという単語は何て訳せばいいのかしら? 汁というわけにもいかないし、ジュースでもおかしいし……」と悩んだので、悠太郎はふと電力会社からの「貢ぎ物」を思い出して「果汁ではいかがですか?」と提案した。「それはいいアイデアね。イエス様は葡萄の樹だと聖書にあるから、ぴったりだわ。イエスは変わらぬ私の喜び、私の心の慰めにして果汁、イエスはあらゆる悩みから守ってくださる、彼は私の生きる力、私の目の楽しみにして太陽、私の魂の宝にして歓喜、だから私はイエスを放さない、心からも顔からも」と陽奈子先生は、悠太郎の提案を採用して訳し終えた。「ドイツ語ですか。力強い響きですね。でもイエス様の名前のほかは、全然分かりませんでした」と言う悠太郎に、「それだけでも聞き取れれば大したものよ」と陽奈子先生は驚いて答え、「ドイツ語はハンガリー留学時代にはよく使ったんだけどね。昔あそこはオーストリア゠ハンガリー帝国だったから、私のいた頃もそれなりにドイツ語が通じたの。でも今ではこういう歌詞のほかにはすっかり忘れちゃった」と述懐した。「だってイエスは英語でジーザスでしょう? 康雄くんが学校でよく言っています。それにユダは英語でジューダスだから、イエスがドイツ語でイェーズスになってもおかしくないと思ったんです」と悠太郎は説明した。「言葉に対しても音楽に対しても、ユウくんはやっぱり耳がいい。この曲もインヴェンションと同じト長調で三拍子系だし、似ていると感じても不思議はないわ」と陽奈子先生が褒めると、「そんなこと私お母さんより先に知ってた」と留夏子は混ぜ返し、「人の望みの喜び……。また悠太郎のおかげで、いい言葉と音楽を知った。生きる力が果汁のように心を満たしていくみたい」と神妙な声で言った。そういえばバネットはさっきから静かだな、きっと吠えるのに疲れて昼寝でもしているのだろうと悠太郎は思った。
 そういえば悠太郎が放課後の放送室で探し物をしていたとき、テニスラケットを担いだ留夏子が話しかけてきたことがあった。放送室は赤と灰色の市松模様の絨毯を敷いた二階の多目的スペースから、大きな防音ガラスの窓が嵌まった壁ひとつ隔てたところにあった。悠太郎が様々なカセットテープやCDを再生してはまた機械から取り出す姿を、ガラス窓越しに切れ長の目で見た留夏子は、その後ろ姿があまりにも思い詰めたような深刻さを帯びているように見えたので、放送委員会の委員長として勝手知ったる灰色のドアを開けて入りしな、「悠太郎、何かを探しているの? この頃ずいぶん熱心ね」と、いつもはマイクで響かせ慣れた静かで爽やかな声をかけたが、そのとき悠太郎には緑の唐松林を朝風が吹き渡ってゆくような感じがした。しかし悠太郎は留夏子には目もくれず、カセットテープやCDのケースに記された曲名と再生された音楽を確認しながら、「ぼくが一年生だった頃に、掃除の時間に流れていた音楽を探しているんです。作曲者も曲名も一度教えてもらいましたが、忘れてしまいました。メロディーのひと節さえ、どうしても思い出せません。あの曲を探し出したくて放送委員会に入ったのですが、まだ見つかりません」と答えた。留夏子はいくらか不機嫌になった。上級生のレディーが心配してわざわざ話しかけているのに、顔も上げないなんてそんな態度があるかしら? だいたい放送委員会に入ったのは、私と一緒に活動がしたいからじゃなくて、全然別のそんな目的があったなんて、それも気に入らないといえば気に入らない――。そんな思いに襲われた留夏子は、「そうやって何かを探しているうちに、おまえの人生は終わるんだわ」とつい意地悪なことを言ってしまった。すると悠太郎は初めて留夏子に顔を向け、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開きながら、「それは誰の人生でも、多かれ少なかれそんなものじゃありませんか?」と問い返した。その面差しと声色の冷静さに留夏子はたじろぎ、「主が早く召したもう顔」という言葉を思い出し、そんな言葉を思い出したことにまたたじろいだ。〈主よ、人の望みの喜びよ〉を得意としたある夭折のピアニストについて、「主が早く召したもう顔」であったといつか母親が評したのである。悠太郎について何か不吉なことを予言してしまったような気がした留夏子は、「そうかもね。とにかくあまり根を詰めないように」と言い置くと、早々に放送室を立ち去ってテニスコートへ向かっていった。悠太郎は木洩れ日の印象としてしか思い出せない、あの燦々たる光が喜戯するような、澄み渡る天空から明るい風が吹き通うような音楽をひたすら探し続けた。それが器楽曲であることは確かであったから、声楽を伴いそうな音源は、予め取り除けておいて再生しなかった。ビゼーの歌劇《カルメン》の抜粋とか、山田耕筰の歌曲集とか、歌詞対訳のついたシューマンの合唱曲集とかいったCDは見向きもされないのであった。
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