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第十章 星めぐり
三
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そんな富里先生は、秋の遠足で中学年の児童たちを隣町の観音堂へ引率したとき、悠太郎のあまりに暗い面差しを見ることになった。まだ緑の多い樹々に真っ赤なツタウルシが絡みつく道を、あるいは広々と開けたキャベツ畑の向こうに浅間山が大きく見える道を、児童たちはリュックサックを背負ってはしゃぎながら歩いた。樹々に覆い隠されんばかりの観音堂へ登る苔生した石段の前で、ユタカちゃんと同じく児童たちを引率してきた草壁敬子先生が、げっそりと頬のこけた顔をやや左に傾けながら説明した。「いいですか。皆さんが生まれる二百年ほど前、日本はまだ江戸時代でしたが、浅間山が大噴火を起こしました。それはもう歴史に残る物凄い噴火でした。天明三年の浅間焼けと呼ばれています。恐ろしい火砕流が発生しました。火砕流は山の北斜面を抉りながら流れ下って、川の水を蒸発させながら岩屑なだれとなり、麓の村々を飲み込みました。いちばんひどい被害を受けたのは、ここにあった村です。五百七十人いた村人が、九十三人だけを残してみんな死んでしまいました。その九十三人はどうして助かったかというと、この石段の上のお堂に集まっていたから、岩屑なだれに飲み込まれずに済んだのです。火砕流の後で溶岩が流れ出して、皆さんも知っているあの鬼押出しのごつごつした溶岩台地ができました。火砕流で千数百人もの犠牲者が出ただけではありません。噴き上がった火山灰は関東地方全体に降り注ぎ、また長らく太陽の光を遮って、天明の大飢饉を引き起こしました。農作物が被害を受けたわけですね。この災害が起こったことは江戸にも伝えられました。上野の寛永寺というお寺にいた輪王寺宮様という、当時いちばん偉かったお坊様が直々にここまでおいでくださり、亡くなった人たちを供養したということです……」
遠足ではしゃいでいた児童たちはこの話を聞くうちに、いつになく神妙な顔つきになっていた。悠太郎はあまりにも濃厚な死の気配に、睫毛の長い目を悄然と伏せてうつむいた。二百年前の阿鼻叫喚が、いま立っている足の下から聞こえるような気がした。だがもっと悠太郎を暗い思いに誘ったのは、観音堂の隣にある郷土資料館で見た白骨死体の写真であった。写っていたのは、石段を登る途中で岩屑なだれに埋まったふたりの遺体で、折り重なるように倒れていたその二体は調査の結果、年老いた女性と若い女性であったと判明したという。「娘が母親を背負って逃げる途中で、岩屑なだれに埋まったと考えられます」と、骸骨のようにげっそりとした草壁先生が説明した。すると戸井田一輝が手を挙げて、「先生、岩屑なだれに飲み込まれて死ぬ場合の死因は何ていうんですか? 焼死ですか? 溺死ですか? それとも圧死ですか? いずれにせよ俺は嫌だよ、マグマに埋まって死ぬなんて……」と言った。草壁先生は大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて、「マグマに埋まるというのは正確な言い方ではありませんね。マグマと溶岩は違うんです。地下でどろどろになっているのがマグマで、地上に出てくると溶岩になります。地上ではどろどろでも固まっていても溶岩です。ですから溶岩台地というものはあっても、マグマ台地というものはありません。『マグマ大使』という漫画なら昔ありましたけどね」と言って説明をユーモラスに締め括ったので、一輝は抱腹絶倒せんばかりに笑いこけた。そんなやり取りを聞いた悠太郎は、いくらか心が楽になるのを感じた。カズくんには幼稚園の頃からいつも救われてきたと、悠太郎は過ぎ去った日々を懐かしく思い出した。「人は誰でも一度死ぬよね。死ぬってことはつまり、何かの原因があって死ぬんだよ。死因っていうらしいぜ。ユウちゃんはどんな死因で死にたい? 俺はどんな死因で死ぬのかなあ? 餓死かなあ? 凍死かなあ? 水死かなあ? 墜死かなあ? 圧死かなあ? 俺は圧死だけは嫌だよ。圧死は苦しいもん。圧死は嫌だよ……」と一輝が話すあいだも、樹々に鳥は歌い笹叢は風にさらさらと鳴り、園庭の白い滑り台は眩しく光っていたっけ。今年はたまたま皇太子の成婚の日に、ロックハート城へ一緒に行った。あのときも楽しかった。それにしてもこの遠足は暗いな――。
そんなことを考えながら悠太郎が、なかなか喉を通らない弁当のおにぎりや卵焼きを、水筒の麦茶で飲み下していると、紫色のジャージを着た富里先生が歩み寄ってきて、「悠太郎くん、浮かない顔ですね」と声をかけた。悠太郎は伏せていた目を上げると、「遠足って、もっと楽しいものだと思っていました。今日の遠足は、暗い遠足ですね」と沈んだ声で言った。富里先生は悠太郎のそばに腰を下ろしながら、「まあこれはこれで現実ですからね、仕方ありません。火山の麓で生きるわれわれが、見ておかなければならない現実です」と応じた。悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いて、「目を背けてはいけないと分かっていても、現実を直視するのはつらいです」と言った。富里先生は離れた両目を愛想よく笑わせながら、「きみの日記はいつも楽しみに見ているよ。いや、楽しみなんて言ったらおかしいな。悠太郎くんはいつも深刻なことを考えているんですね。人の命が一瞬のきらめきにすぎないなら、ぼくたちは何のために生きているのか。星でさえいつか死滅して無に帰するなら、そもそもなぜ宇宙がわざわざあるのか――。そんなことを考えて書き表すような小学生がいるとは思いませんでした。少なくともこの学年にはひとりもいませんよ。まあ五年生の留夏子ちゃんなら、あるいは書くかもしれないけどね。きみのような子に何を言ってあげたらいいのか、正直先生にも分からないんだ。四月に話した通り、ぼくは大学を出て先生になったばかりでね。ユタカちゃんの経験は、全然豊かじゃないのさ。まあぼくがこんなことを言ったって、草壁先生のように面白くはないだろうけどね。とにかくいきなりすごい子に当たってしまった。もっと教師としての経験を積んでから、きみと出会いたかったよ。まあこんなぼくでよかったら、これからも日記にいろいろ書いてください。ぼくも一緒に悩みますから」と話した。青空に鱗雲がゆっくりと流れ、観音堂と石段を覆い隠さんばかりの樹々や草が、秋の風に揺れてざわめいていた。
初々しくも誠実な富里先生と同じくらい、悠太郎は老練な教頭先生を好ましく思った。小林教頭の皺の多い額は広く、頭には雛鳥の羽毛のような髪の毛がちょこんと乗っていた。全校集会で児童たちの前に立って話すとき、教頭先生はしばしば痩せた首を突き出しながら、あまり通りのよくない細い声で話した。ところがその話し方はよくよく聞いてみれば、強弱と緩急の変化に富んだ生彩あるものであった。それは多くの児童たちによくよく聞いてみる気を起こさせるような、細い声のゆえにかえって静けさを味方につけるような話しぶりであった。そんな話し方でしばしば小林教頭は、宮沢賢治の童話を児童たちに読み聞かせた。もともと機械工学を専門とした教頭先生は、賢治における自然科学と詩の統合に限りない畏敬の念を抱いていた。理科に熱心で文学にも造詣の深い草壁先生による一連の革新を、梅干しでも食べたようにすぼめた口で微笑みながら後押ししたのも、この小林教頭にほかならなかった。片や草壁先生が探鳥会や星を見る会を催し、片や教頭先生が宮沢賢治を読み聞かせるということは、六里ヶ原の小学校教育において文理の統合を目指したある種の連携プレーであった。
散りやまぬ落ち葉が風に舞うある日の午後、四年生は図書室で教頭先生が読む「双子の星」を聞いていた。晩秋の静けさを味方につけた小林教頭の細い声は、強弱と緩急の変化も豊かに、チュンセ童子とポウセ童子のお話を物語った。透き通った水晶のお宮に住む双子の星の童子は、夜には空の星めぐりの歌に合わせて、ひと晩じゅう銀の笛を吹き鳴らすのだという。ふたりが連れ立って歩んでゆく空の銀の芝原や、天の川の西の岸からよほど離れたところにある泉や、西の空に消え残る銀色の月が吐いた林檎の香りを思い浮かべ、悠太郎は陶然として二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いた。悠太郎が〈星めぐりの歌〉の詩を初めから終わりまで知ったのは、この童話を聞いたときであった。
教頭先生は「双子の星」を読み聞かせ終えると、残った時間で宮沢賢治についていくらかのことを話した。「賢治は岩手県の花巻に生まれました。農学校の教師を務める傍ら、たくさんの詩や童話を書きました。音楽を愛し、レコード会社から感謝状をもらうほどたくさんのレコードを集めました。作曲家のなかでは、とりわけベートーヴェンを尊敬していました。自分でもチェロを弾きました。岩手県は土地が瘦せていて、冷害や旱魃もある厳しい風土です。そういう地域にある農村の生活を改善するため、賢治は命懸けで働きました。農民たちのために肥料の指導をしたり、レコードコンサートを催したりしました。そうして働きすぎで健康を害し、若くして亡くなりました。どうやら賢治は、割合に裕福だった自分の生まれに負い目を感じていて、まあ負い目というのは後ろめたさというような意味ですが、それで命を縮めるほど献身的に働いたらしいのですね。賢治は愛するふるさとのことを、作品のなかでイーハトーブと呼びました。イーハトーブは賢治のユートピア、つまり理想の国です。そこでは動物や植物や鉱物が、人間たちと言葉を交わします。太陽も月も星も、風も光もお話します。山や野原を好んで歩きまわり、自然のことを深く知っていた賢治だからこそ、そういう世界を文学作品に書けたのです。皆さんは自然豊かなこの六里ヶ原で少年時代を過ごしています。どうか草花や野鳥や星のことをよく学んでください。そして宮沢賢治の童話や詩も読んでください。そうして豊かな心を育ててください」と静かな声で緩急をつけながら話した小林教頭は、梅干しでも食べたようにすぼめた口で微笑んだ。
そんなことを思い出しながら、悠太郎は照月湖のほとりでぽかんと口を開けて、宝石を砕いたような冬の夜空を見上げていた。大熊座の北斗七星やカシオペア座の星から北極星を見つける方法とか、双子座のカストルとポルックスは宮沢賢治の「双子の星」とは無関係なこととかを草壁先生は教え、また牡牛座のプレアデス星団が肉眼で六つ数えられるか試させたり、オリオン座の星々を懐中電灯で示しながらベテルギウスやリゲルの名を挙げたりしたが、そんな星を見る会もいつの間にか終わっていた。みんなは迎えに来た親たちの自動車に乗って、それぞれの家に帰っていった。夜道を歩いて帰れるほど家が近い悠太郎ばかりが、草壁先生と湖畔に残って星空を見上げていた。物問いたげな大きな目を黒々と見開いたまま悠太郎は言った。「先生、ぼくはこの頃思うんです、なぜ人は天球を区分したり、星を結んで形を作ったりしたんだろうって。昔のギリシャの人も宮沢賢治も、どうして星のお話を作ったんだろうって。きっとそうでもしなければ、人間は自分の無意味さに耐えられないからじゃありませんか? この宇宙の営みに比べれば、人の一生なんてほんの一瞬のきらめきです。どんなに勉強や運動やピアノを頑張ったって、それが何になるでしょう。人はみんな死んでゆきます。ぼくたちが今こうして見ている星だって、実は何万年も前に死んでいるかもしれないんですよね? 人も星も死んで無に帰するなら、どうしてわざわざこの宇宙はあるのでしょう? そんなことを考えると、やり切れなくなります。でも教頭先生が賢治の童話を読んでくださったとき、たしかにぼくは充実を感じました。こうして星座のことを学んでいても、同じように感じます。あまりにも大きな宇宙をどうにかして意味づけることは、虚しさを恐れる人間の本能じゃないかと思うんです……」
「驚きましたね。同じようなことを言っていた友達が昔いました」と草壁敬子先生は星空を見上げながら、大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて答えた。「私が大学生だった頃、星が好きな友達がいました。彼はいつでも馬鹿のようにぽかんと口を開けて、星を見上げてばかりいました。新しい星を見つけたことさえありました。そんなに空ばかり見上げていたら事故に遭うよと、私はあるとき注意しました。そうしたら彼は言いました。俺が星を見るのは人生の無意味さと戦うためだ、存在の虚しさを乗り越えるためだって。新しい星は発見したけれど、まだ人が生きる意味は見つからないって。星空を見れば見るほど虚しくなるのは分かっているが、そのくせ見ることはやめられないって。悠太郎くんは学生運動って知っていますか? 彼は学生運動に参加していました。どこか焦って生き急いでいるような感じの人でした。あるとき彼が属する学生のデモ隊と機動隊が衝突しました。人と人が入り乱れて、大変な揉み合いになりました。そのとき彼は、いなくなってしまいました。噓ではありませんよ。本当に彼の姿は見えなくなって、消息不明になりました。生きているのか死んでいるのか、今でも分かりません。悠太郎くんを見ていると、彼を思い出します……」
悠太郎は星空を見上げたままで、胸を貫く痛いほどの哀切な思いに耐えていた。ヘルメットや棒で武装して旗を振り立てる学生たちの群れや、それを鎮圧しようとする機動隊の放水や催涙弾といった映像が、いつかテレビで見たままに悠太郎の脳裏を流れ過ぎていった。ブラウン管を一緒に見ていた航空自衛官のヒデッサ伯父様は、目許に酷薄さを漂わせながら上滑りするような声で、「頭のおかしい学生どもが昔いたんだよ」と蔑むように言ったものであった。だがそういう人々がかつており、そういうことがかつてあったという事実に、悠太郎は今さら強く打たれていた。機動隊と衝突する学生たちの頭上にも、今に変わらぬ星々がめぐっていたに違いない。いなくなったその彼は、きっと星空に飲み込まれたのだと悠太郎は思った。徒労感や虚無感と戦いながら星空ばかり見ているうちに、めぐる星々に拉し去られて、どこかの星座の星のひとつになったのだ。そして学生運動が鎮圧され、若かった草壁先生が生き残って年を重ねても、地上に何事もなかったかのように星は空をめぐっているのだ――。そう考えたとき悠太郎は、「建物は古くなるし、人も年を取る。始まったことは終わってゆく」というライサク老人の言葉を思い出した。そして昨年度末に観光ホテル明鏡閣で起こった一時代の終わりを思った。祖父の千代次の後任として明鏡閣の支配人を務めていた南塚亮平さんが、株式会社浅間観光を定年退職したのである。
「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いする南塚支配人は、すでに丈の長い黒いコートと、狐の毛皮のマフラーを身に着けていた。帰り支度を済ませた後で、もう一本だけ煙草を吸ってから、春まだ浅い夕暮れのなかへ出てゆこうとしていた。明鏡閣のロゴが入った陶器の灰皿で揉み消す煙草は、それが最後というわけであった。「いやはや感慨深いですなあ。どうにかこれまで勤めることができました。この会社で過ごした歳月が夢のように思い出されます。本当にこれで終わりなのですな」と南塚支配人は慇懃に言った。バイク好きの林浩一さんが平たい顔をにこやかに笑わせながら、「たまには遊びに来てくださいよ」と言うと、南塚支配人は煙草の煙を吐き出して、「いやいや、老兵は消え去るのみです。次の時代の人たちの邪魔になってはいけません。もうここへ来ることはないでしょう」と答え、「サカエさん、後は頼みましたよ。大工作業も電気工事も板前仕事も何でもござれのあなたが支配人なら心強い。明鏡閣も浅間観光もどうにか続いてゆくでしょう。老兵は安心して消え去ることができます」と言った。薄黒いサングラスをかけた黒岩栄作さんは頷いて、「はい。長いあいだ本当にお疲れ様でした」と答えた。煙草を灰皿で揉み消して丸椅子から立ち上がった南塚さんは、ゲジゲジ眉毛の橋爪進吉さんや、ギョロ目のライサク老人や、紫色の三角巾のおロク婆さんや、白い三角巾のおタキ婆さんや、下膨れの顔に愛想笑いを浮かべた秀子に見送られ、社員食堂という名の従業員詰所を出ようとした。
これを限りと振り返った南塚さんの目に、片えくぼを浮かべた豪快な恵比寿顔の写真が壁から笑いかけた。南塚さんはしばしのあいだ、無言でその写真を見つめていた。やがて「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いした南塚さんは、「そうでしたな、本当にそうでしたな。私は実に平々凡々たる者でしたな。あなたと比べても、あなたが絶大な信頼を寄せた前の支配人に比べても、実に私は平々凡々たる者でありました。力強く築き上げられ広げられたものを、平々凡々と守ることこそ、私の務めであったのです。そうは言ってもそんな自分が、時々は嫌になることがありました。平々凡々たる支配人でいることが、何やら皆さんに申し訳ないような気がしたのです。まだ景気がよかったあの頃、私はしばしば用事のついでに、ティラミスを皆さんに買って帰りました。皆さんのために私ができることは、そのくらいしかないと思ったのですな。皆さんにとって私の名前は、ティラミスとのみ結びついているのかもしれません。いや私の名前などじきに忘れ去られて、ティラミスばかりが記憶に残るのかもしれません。とにかく私はその程度のものでした。しかし」と半ば独り言のように述懐した南塚さんは、写真を見つめたまま改めて姿勢を正すと、「しかしかように平々凡々たる私をも、あなたは退けようとはなさらなかった。わが恩人にしてわが倅の命の恩人、増田ケンポウ社長」と呼びかけ、突然がばと身を折り曲げて深々と礼をし、「ありがとうございました……!」と涙声で言って、そのまま長いこと身をふるわせていた。いつも慇懃かつ紳士的な南塚亮平さんが、人前で感情をかくも激しく表したのは、後にも先にもそれきりであったと秀子は悠太郎に話したものである。
草壁先生にさようならを言って湖畔を辞した悠太郎は急な坂道を登り、おととしや去年の落ち葉に今年の落ち葉が重なった林間の道を、家に向かって歩いた。振り仰げば裸木の枝を透かして、数知れぬ星々が瞬いていた。《竜の戦士》のあの恐ろしい言葉と宮沢賢治の〈星めぐりの歌〉は、学生のデモ隊と機動隊が争うように、悠太郎の心のなかで入り乱れて相争った。だがそんなことにはまるで無関心な平静さで、大犬座の冴え冴えと蒼白いシリウスや、小犬座の白いプロキオンは今しも昇ってきて、巨大なオリオン座の赤いベテルギウスと、冬の大三角を寒天に輝かせつつあった。
遠足ではしゃいでいた児童たちはこの話を聞くうちに、いつになく神妙な顔つきになっていた。悠太郎はあまりにも濃厚な死の気配に、睫毛の長い目を悄然と伏せてうつむいた。二百年前の阿鼻叫喚が、いま立っている足の下から聞こえるような気がした。だがもっと悠太郎を暗い思いに誘ったのは、観音堂の隣にある郷土資料館で見た白骨死体の写真であった。写っていたのは、石段を登る途中で岩屑なだれに埋まったふたりの遺体で、折り重なるように倒れていたその二体は調査の結果、年老いた女性と若い女性であったと判明したという。「娘が母親を背負って逃げる途中で、岩屑なだれに埋まったと考えられます」と、骸骨のようにげっそりとした草壁先生が説明した。すると戸井田一輝が手を挙げて、「先生、岩屑なだれに飲み込まれて死ぬ場合の死因は何ていうんですか? 焼死ですか? 溺死ですか? それとも圧死ですか? いずれにせよ俺は嫌だよ、マグマに埋まって死ぬなんて……」と言った。草壁先生は大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて、「マグマに埋まるというのは正確な言い方ではありませんね。マグマと溶岩は違うんです。地下でどろどろになっているのがマグマで、地上に出てくると溶岩になります。地上ではどろどろでも固まっていても溶岩です。ですから溶岩台地というものはあっても、マグマ台地というものはありません。『マグマ大使』という漫画なら昔ありましたけどね」と言って説明をユーモラスに締め括ったので、一輝は抱腹絶倒せんばかりに笑いこけた。そんなやり取りを聞いた悠太郎は、いくらか心が楽になるのを感じた。カズくんには幼稚園の頃からいつも救われてきたと、悠太郎は過ぎ去った日々を懐かしく思い出した。「人は誰でも一度死ぬよね。死ぬってことはつまり、何かの原因があって死ぬんだよ。死因っていうらしいぜ。ユウちゃんはどんな死因で死にたい? 俺はどんな死因で死ぬのかなあ? 餓死かなあ? 凍死かなあ? 水死かなあ? 墜死かなあ? 圧死かなあ? 俺は圧死だけは嫌だよ。圧死は苦しいもん。圧死は嫌だよ……」と一輝が話すあいだも、樹々に鳥は歌い笹叢は風にさらさらと鳴り、園庭の白い滑り台は眩しく光っていたっけ。今年はたまたま皇太子の成婚の日に、ロックハート城へ一緒に行った。あのときも楽しかった。それにしてもこの遠足は暗いな――。
そんなことを考えながら悠太郎が、なかなか喉を通らない弁当のおにぎりや卵焼きを、水筒の麦茶で飲み下していると、紫色のジャージを着た富里先生が歩み寄ってきて、「悠太郎くん、浮かない顔ですね」と声をかけた。悠太郎は伏せていた目を上げると、「遠足って、もっと楽しいものだと思っていました。今日の遠足は、暗い遠足ですね」と沈んだ声で言った。富里先生は悠太郎のそばに腰を下ろしながら、「まあこれはこれで現実ですからね、仕方ありません。火山の麓で生きるわれわれが、見ておかなければならない現実です」と応じた。悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いて、「目を背けてはいけないと分かっていても、現実を直視するのはつらいです」と言った。富里先生は離れた両目を愛想よく笑わせながら、「きみの日記はいつも楽しみに見ているよ。いや、楽しみなんて言ったらおかしいな。悠太郎くんはいつも深刻なことを考えているんですね。人の命が一瞬のきらめきにすぎないなら、ぼくたちは何のために生きているのか。星でさえいつか死滅して無に帰するなら、そもそもなぜ宇宙がわざわざあるのか――。そんなことを考えて書き表すような小学生がいるとは思いませんでした。少なくともこの学年にはひとりもいませんよ。まあ五年生の留夏子ちゃんなら、あるいは書くかもしれないけどね。きみのような子に何を言ってあげたらいいのか、正直先生にも分からないんだ。四月に話した通り、ぼくは大学を出て先生になったばかりでね。ユタカちゃんの経験は、全然豊かじゃないのさ。まあぼくがこんなことを言ったって、草壁先生のように面白くはないだろうけどね。とにかくいきなりすごい子に当たってしまった。もっと教師としての経験を積んでから、きみと出会いたかったよ。まあこんなぼくでよかったら、これからも日記にいろいろ書いてください。ぼくも一緒に悩みますから」と話した。青空に鱗雲がゆっくりと流れ、観音堂と石段を覆い隠さんばかりの樹々や草が、秋の風に揺れてざわめいていた。
初々しくも誠実な富里先生と同じくらい、悠太郎は老練な教頭先生を好ましく思った。小林教頭の皺の多い額は広く、頭には雛鳥の羽毛のような髪の毛がちょこんと乗っていた。全校集会で児童たちの前に立って話すとき、教頭先生はしばしば痩せた首を突き出しながら、あまり通りのよくない細い声で話した。ところがその話し方はよくよく聞いてみれば、強弱と緩急の変化に富んだ生彩あるものであった。それは多くの児童たちによくよく聞いてみる気を起こさせるような、細い声のゆえにかえって静けさを味方につけるような話しぶりであった。そんな話し方でしばしば小林教頭は、宮沢賢治の童話を児童たちに読み聞かせた。もともと機械工学を専門とした教頭先生は、賢治における自然科学と詩の統合に限りない畏敬の念を抱いていた。理科に熱心で文学にも造詣の深い草壁先生による一連の革新を、梅干しでも食べたようにすぼめた口で微笑みながら後押ししたのも、この小林教頭にほかならなかった。片や草壁先生が探鳥会や星を見る会を催し、片や教頭先生が宮沢賢治を読み聞かせるということは、六里ヶ原の小学校教育において文理の統合を目指したある種の連携プレーであった。
散りやまぬ落ち葉が風に舞うある日の午後、四年生は図書室で教頭先生が読む「双子の星」を聞いていた。晩秋の静けさを味方につけた小林教頭の細い声は、強弱と緩急の変化も豊かに、チュンセ童子とポウセ童子のお話を物語った。透き通った水晶のお宮に住む双子の星の童子は、夜には空の星めぐりの歌に合わせて、ひと晩じゅう銀の笛を吹き鳴らすのだという。ふたりが連れ立って歩んでゆく空の銀の芝原や、天の川の西の岸からよほど離れたところにある泉や、西の空に消え残る銀色の月が吐いた林檎の香りを思い浮かべ、悠太郎は陶然として二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開いた。悠太郎が〈星めぐりの歌〉の詩を初めから終わりまで知ったのは、この童話を聞いたときであった。
教頭先生は「双子の星」を読み聞かせ終えると、残った時間で宮沢賢治についていくらかのことを話した。「賢治は岩手県の花巻に生まれました。農学校の教師を務める傍ら、たくさんの詩や童話を書きました。音楽を愛し、レコード会社から感謝状をもらうほどたくさんのレコードを集めました。作曲家のなかでは、とりわけベートーヴェンを尊敬していました。自分でもチェロを弾きました。岩手県は土地が瘦せていて、冷害や旱魃もある厳しい風土です。そういう地域にある農村の生活を改善するため、賢治は命懸けで働きました。農民たちのために肥料の指導をしたり、レコードコンサートを催したりしました。そうして働きすぎで健康を害し、若くして亡くなりました。どうやら賢治は、割合に裕福だった自分の生まれに負い目を感じていて、まあ負い目というのは後ろめたさというような意味ですが、それで命を縮めるほど献身的に働いたらしいのですね。賢治は愛するふるさとのことを、作品のなかでイーハトーブと呼びました。イーハトーブは賢治のユートピア、つまり理想の国です。そこでは動物や植物や鉱物が、人間たちと言葉を交わします。太陽も月も星も、風も光もお話します。山や野原を好んで歩きまわり、自然のことを深く知っていた賢治だからこそ、そういう世界を文学作品に書けたのです。皆さんは自然豊かなこの六里ヶ原で少年時代を過ごしています。どうか草花や野鳥や星のことをよく学んでください。そして宮沢賢治の童話や詩も読んでください。そうして豊かな心を育ててください」と静かな声で緩急をつけながら話した小林教頭は、梅干しでも食べたようにすぼめた口で微笑んだ。
そんなことを思い出しながら、悠太郎は照月湖のほとりでぽかんと口を開けて、宝石を砕いたような冬の夜空を見上げていた。大熊座の北斗七星やカシオペア座の星から北極星を見つける方法とか、双子座のカストルとポルックスは宮沢賢治の「双子の星」とは無関係なこととかを草壁先生は教え、また牡牛座のプレアデス星団が肉眼で六つ数えられるか試させたり、オリオン座の星々を懐中電灯で示しながらベテルギウスやリゲルの名を挙げたりしたが、そんな星を見る会もいつの間にか終わっていた。みんなは迎えに来た親たちの自動車に乗って、それぞれの家に帰っていった。夜道を歩いて帰れるほど家が近い悠太郎ばかりが、草壁先生と湖畔に残って星空を見上げていた。物問いたげな大きな目を黒々と見開いたまま悠太郎は言った。「先生、ぼくはこの頃思うんです、なぜ人は天球を区分したり、星を結んで形を作ったりしたんだろうって。昔のギリシャの人も宮沢賢治も、どうして星のお話を作ったんだろうって。きっとそうでもしなければ、人間は自分の無意味さに耐えられないからじゃありませんか? この宇宙の営みに比べれば、人の一生なんてほんの一瞬のきらめきです。どんなに勉強や運動やピアノを頑張ったって、それが何になるでしょう。人はみんな死んでゆきます。ぼくたちが今こうして見ている星だって、実は何万年も前に死んでいるかもしれないんですよね? 人も星も死んで無に帰するなら、どうしてわざわざこの宇宙はあるのでしょう? そんなことを考えると、やり切れなくなります。でも教頭先生が賢治の童話を読んでくださったとき、たしかにぼくは充実を感じました。こうして星座のことを学んでいても、同じように感じます。あまりにも大きな宇宙をどうにかして意味づけることは、虚しさを恐れる人間の本能じゃないかと思うんです……」
「驚きましたね。同じようなことを言っていた友達が昔いました」と草壁敬子先生は星空を見上げながら、大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて答えた。「私が大学生だった頃、星が好きな友達がいました。彼はいつでも馬鹿のようにぽかんと口を開けて、星を見上げてばかりいました。新しい星を見つけたことさえありました。そんなに空ばかり見上げていたら事故に遭うよと、私はあるとき注意しました。そうしたら彼は言いました。俺が星を見るのは人生の無意味さと戦うためだ、存在の虚しさを乗り越えるためだって。新しい星は発見したけれど、まだ人が生きる意味は見つからないって。星空を見れば見るほど虚しくなるのは分かっているが、そのくせ見ることはやめられないって。悠太郎くんは学生運動って知っていますか? 彼は学生運動に参加していました。どこか焦って生き急いでいるような感じの人でした。あるとき彼が属する学生のデモ隊と機動隊が衝突しました。人と人が入り乱れて、大変な揉み合いになりました。そのとき彼は、いなくなってしまいました。噓ではありませんよ。本当に彼の姿は見えなくなって、消息不明になりました。生きているのか死んでいるのか、今でも分かりません。悠太郎くんを見ていると、彼を思い出します……」
悠太郎は星空を見上げたままで、胸を貫く痛いほどの哀切な思いに耐えていた。ヘルメットや棒で武装して旗を振り立てる学生たちの群れや、それを鎮圧しようとする機動隊の放水や催涙弾といった映像が、いつかテレビで見たままに悠太郎の脳裏を流れ過ぎていった。ブラウン管を一緒に見ていた航空自衛官のヒデッサ伯父様は、目許に酷薄さを漂わせながら上滑りするような声で、「頭のおかしい学生どもが昔いたんだよ」と蔑むように言ったものであった。だがそういう人々がかつており、そういうことがかつてあったという事実に、悠太郎は今さら強く打たれていた。機動隊と衝突する学生たちの頭上にも、今に変わらぬ星々がめぐっていたに違いない。いなくなったその彼は、きっと星空に飲み込まれたのだと悠太郎は思った。徒労感や虚無感と戦いながら星空ばかり見ているうちに、めぐる星々に拉し去られて、どこかの星座の星のひとつになったのだ。そして学生運動が鎮圧され、若かった草壁先生が生き残って年を重ねても、地上に何事もなかったかのように星は空をめぐっているのだ――。そう考えたとき悠太郎は、「建物は古くなるし、人も年を取る。始まったことは終わってゆく」というライサク老人の言葉を思い出した。そして昨年度末に観光ホテル明鏡閣で起こった一時代の終わりを思った。祖父の千代次の後任として明鏡閣の支配人を務めていた南塚亮平さんが、株式会社浅間観光を定年退職したのである。
「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いする南塚支配人は、すでに丈の長い黒いコートと、狐の毛皮のマフラーを身に着けていた。帰り支度を済ませた後で、もう一本だけ煙草を吸ってから、春まだ浅い夕暮れのなかへ出てゆこうとしていた。明鏡閣のロゴが入った陶器の灰皿で揉み消す煙草は、それが最後というわけであった。「いやはや感慨深いですなあ。どうにかこれまで勤めることができました。この会社で過ごした歳月が夢のように思い出されます。本当にこれで終わりなのですな」と南塚支配人は慇懃に言った。バイク好きの林浩一さんが平たい顔をにこやかに笑わせながら、「たまには遊びに来てくださいよ」と言うと、南塚支配人は煙草の煙を吐き出して、「いやいや、老兵は消え去るのみです。次の時代の人たちの邪魔になってはいけません。もうここへ来ることはないでしょう」と答え、「サカエさん、後は頼みましたよ。大工作業も電気工事も板前仕事も何でもござれのあなたが支配人なら心強い。明鏡閣も浅間観光もどうにか続いてゆくでしょう。老兵は安心して消え去ることができます」と言った。薄黒いサングラスをかけた黒岩栄作さんは頷いて、「はい。長いあいだ本当にお疲れ様でした」と答えた。煙草を灰皿で揉み消して丸椅子から立ち上がった南塚さんは、ゲジゲジ眉毛の橋爪進吉さんや、ギョロ目のライサク老人や、紫色の三角巾のおロク婆さんや、白い三角巾のおタキ婆さんや、下膨れの顔に愛想笑いを浮かべた秀子に見送られ、社員食堂という名の従業員詰所を出ようとした。
これを限りと振り返った南塚さんの目に、片えくぼを浮かべた豪快な恵比寿顔の写真が壁から笑いかけた。南塚さんはしばしのあいだ、無言でその写真を見つめていた。やがて「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いした南塚さんは、「そうでしたな、本当にそうでしたな。私は実に平々凡々たる者でしたな。あなたと比べても、あなたが絶大な信頼を寄せた前の支配人に比べても、実に私は平々凡々たる者でありました。力強く築き上げられ広げられたものを、平々凡々と守ることこそ、私の務めであったのです。そうは言ってもそんな自分が、時々は嫌になることがありました。平々凡々たる支配人でいることが、何やら皆さんに申し訳ないような気がしたのです。まだ景気がよかったあの頃、私はしばしば用事のついでに、ティラミスを皆さんに買って帰りました。皆さんのために私ができることは、そのくらいしかないと思ったのですな。皆さんにとって私の名前は、ティラミスとのみ結びついているのかもしれません。いや私の名前などじきに忘れ去られて、ティラミスばかりが記憶に残るのかもしれません。とにかく私はその程度のものでした。しかし」と半ば独り言のように述懐した南塚さんは、写真を見つめたまま改めて姿勢を正すと、「しかしかように平々凡々たる私をも、あなたは退けようとはなさらなかった。わが恩人にしてわが倅の命の恩人、増田ケンポウ社長」と呼びかけ、突然がばと身を折り曲げて深々と礼をし、「ありがとうございました……!」と涙声で言って、そのまま長いこと身をふるわせていた。いつも慇懃かつ紳士的な南塚亮平さんが、人前で感情をかくも激しく表したのは、後にも先にもそれきりであったと秀子は悠太郎に話したものである。
草壁先生にさようならを言って湖畔を辞した悠太郎は急な坂道を登り、おととしや去年の落ち葉に今年の落ち葉が重なった林間の道を、家に向かって歩いた。振り仰げば裸木の枝を透かして、数知れぬ星々が瞬いていた。《竜の戦士》のあの恐ろしい言葉と宮沢賢治の〈星めぐりの歌〉は、学生のデモ隊と機動隊が争うように、悠太郎の心のなかで入り乱れて相争った。だがそんなことにはまるで無関心な平静さで、大犬座の冴え冴えと蒼白いシリウスや、小犬座の白いプロキオンは今しも昇ってきて、巨大なオリオン座の赤いベテルギウスと、冬の大三角を寒天に輝かせつつあった。
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