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第十章 星めぐり
一
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地上における人間たちの興亡にはまるで無関心な平静さで、また秋の星座が、冬の星座が、春の、夏の、秋の星座が、六里ヶ原の天空にめぐり来ては過ぎていった。一九九三年も終わりに近づいた冬の初めの照月湖の上でも、いつの冬に変わらぬあの星やこの星が、鷹繋山や浅間隠連山のある東の空から昇っては、闇のなかで煙を吐く浅間山を越え、西の空へと沈んでいった。あまり遅くない夜のあるひと時を、レストラン照月湖ガーデン前の駐車場広場に集まった小学校四年生たちは、ぽかんと口を開けながら星空を見上げて過ごした。浅間山はすでに三度の冠雪で山裾近くまで白く染まっていたが、里に雪はまだ積もるほど降っていなかった。雪が降るのは昔に比べて遅くなり、降雪量も少なくなっているように人々には思われた。冷たい夜風に揺らめいている照月湖が完全に結氷するのも、年々遅くなっているようであった。ことに前の冬などは記録的な暖冬で、スケートリンクが営業できた期間はかつてないほど短かった。それでもやはり標高およそ千メートルの高原のこととて、晴れた冬の夜の寒さは厳しかったので、児童たちはめいめいジャンパーやウインドブレーカーを着込み、あるいは耳当てを着け、あるいはフードを被り、毛糸やフリースやポリエステルの手袋を嵌めていた。そんな児童たちの姿や顔は、懐中電灯の光のなかにほの見えていた。
「皆さんいい顔ですよ。前にも言いましたが、人間は空を見上げると喉が突っ張ります。口を閉じておこうとしても顎の筋肉が疲れますから、どうしてもおのずと口が開いてきます。そうしていつしか馬鹿のようにぽかんと口を開けています。それが今の皆さんです」と、その年度から六里ヶ原第一小学校に赴任してきた理科の草壁敬子先生が話すと、児童たちのあいだには子供らしい笑いが起こった。大屋原第三集落の神川直矢は機関銃のように高笑いしたし、大屋原第一集落の佐原康雄は荒れた唇が切れるほど笑ったし、栗平の芹沢カイは雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせたし、甘楽集落の戸井田一輝は抱腹絶倒したし、佐藤隼平は斜視気味の目を細めて嘲笑的に吹き出したし、甘楽第二集落の金谷涼子は黒目がちな目を黒曜石のように光らせながら豪快に笑ったから、二重瞼の物問いたげな目を見開いて星空に見入っていた真壁悠太郎もまた、十歳の少年の胸に余る厳粛の念と虚無感と徒労感を、笑いのうちにいくらかは和らげることができた。しかし諸星真花名は恥ずかしそうな笑みを浮かべたきりで、わずかにしゃくれた顎を胸にくっつけるようにうつむいた。草壁先生はなおも話を続けた。「でもこの六里ヶ原の星空は、馬鹿のようにぽかんと口を開けてでも見上げるべきものです。ことに冴え冴えとした冬の夜の豪華絢爛な星空は格別です。それでこうして星を見る会を開いているわけです。もうすぐ新月ですから、細い月は昼間のうちに沈んでしまいました。星を見るにはちょうどいい夜です。さあ、あの天頂のあたりにあるのは……」と草壁先生は、手にした懐中電灯の光を夜空の高みに向けた。あたかも指示棒で黒板を指すように、夜空のなかへまっすぐに消えてゆく懐中電灯の光で、あの星やこの星を指しながら説明しようというのである。
骸骨のようにげっそりとした草壁敬子先生は、蒼ざめて頬のこけた顔をしてはいたが、それでも理科室の動かない骨格標本とは対照的な熱心さと活動力を示していた。理科室前の壁際に設けられた長机の上には、児童たちが自由に読めるように、動物や植物や鉱物の様々な図鑑が置かれた。物の名前を知ることの大切さを説いて、草壁先生はある理科の時間に教室で、げっそりと頬のこけた顔をやや左に傾げながら言ったものであった。「いいですか、自然界のありとあらゆる動植物には、すべて名前がついています。鳥にも虫にも草にも木にも必ず名前があります。知られていなかった種が発見されれば、それは新種としてすぐさま名前がつけられます。いいですか、もし皆さんのうちの誰かが将来詩人や小説家になったら、名もなき花が咲いていたなどと間違っても書いてはいけませんよ。名前のない花はないんです。せめて名も知らぬ花と書いてください。でもいちばんいいのは、花の名前を知ることです」
たびたび印刷されて配られた「理科室だより」のプリントには、草花や野鳥や星のことが、熱心な真面目さのなかにもユーモアの混じる文章でたゆまず書き記されたし、また観察眼の鋭い児童たちの優れた投稿が掲載されもした。そして時々は休日の探鳥会や放課後の星を見る会さえ催され、その会場はしばしば照月湖のほとりであった。これらはすべて草壁先生が実行したある種の革新であり、実際これによって理科に興味を持つ児童は明らかに増えたと、教職員や父兄のあいだでも評判になった。悠太郎はそんな草壁先生をいくらか恐怖していたことがあった。ホルマリン漬けの動物標本や危険な薬品のある理科室に出入りする草壁先生の姿が、いかにもげっそりと骸骨じみてどこか不気味であったためばかりではなかった。授業以外でも児童の生活態度を厳しく指導する草壁先生は、大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて、児童のどんな逸脱をも見逃すまいとしているようなところがあった。四年生になった児童たちにも、ゆっくりと抑揚をつけた幼稚な話し方がなお時々は現れたが、あるとき草壁先生はそれを「ガキンチョ節!」というひと言で嘲弄的に切って捨てたことさえあったのである。そんな草壁先生に反感を持ち、陰で悪口を言う児童は、悠太郎の同級生にも少なくなかった。しかしみんなと同じように程なく悠太郎は、草花や野鳥や星空をして意味深いことを語らしめる草壁先生の知識と手腕に、感銘を受けるようになった。いくらか屈折して冷笑的ではあるが、実は自然と人間を愛しているに違いないその情熱に、悠太郎は共感し感化されていった。
「あの天頂のあたりにあるのは、アンドロメダ座です」と草壁先生が懐中電灯の光で夜空のいちばん高いあたりを指し示すと、四年生の児童たちはその導きの光を追って燦爛たる星空を見上げ、またぽかんと口を開けた。「アンドロメダ銀河がほら、あのあたりにぼんやりと広がっています。この地球は太陽のまわりを回っていますが、私たちの太陽は天の川銀河にあります。その天の川銀河の隣にあるのが、あのアンドロメダ銀河なのです。隣といっても二百五十万光年離れています。つまり光の速さで飛んでいっても、二百五十万年かかるわけです。ところでアンドロメダ銀河は、アンドロメダ大星雲とも呼ばれています。いつか教えた宮沢賢治の〈星めぐりの歌〉を憶えていますか? 賢治が歌っているのは、あれのことだと考えられます。皆さんにはあれが魚の口の形に見えますか? 私には見えません。肉眼で見てもぼんやりしているし、望遠鏡で見てもやっぱり無理があります。環状星雲だったらフィッシュマウスネビュラとも呼ばれますが、アンドロメダ銀河は環状星雲ではなく渦巻き銀河ですからね。なぜ賢治がそんな表現をしたのかは、ちょっとした謎です。そのあたりのことには教頭先生がお詳しいので、興味のある人は質問してみてください」と説明しながら草壁先生は、懐中電灯の光をぼんやりと広がる大星雲のあたりへ向けてぐるぐると回した。
〈星めぐりの歌〉のことを、悠太郎はよく憶えていた。夏休みも間近いある日の理科の時間に、教室で草壁先生は星座について話していた。「皆さんは星座というのが何を意味するか知っていますか? 星座とは、星と星を結んで作る形のことではありません。いいですか、星と星を結んで作る形のことではありませんよ。星座とは、空の地図なんです。地球上にいて空を見る人が、ドッジボールでもバスケットボールでも、いま流行りのサッカーボールでも何でもいい、とにかくボールの中心にいるとします……」と草壁先生は言ったのだが、それというのもこの年に日本プロサッカーリーグが発足して空前のサッカーブームが巻き起こり、その熱狂は浅間山を望むこの小学校の校庭にも及んでいたからである。なかでも同級生きっての俊足で鳴る佐原康雄はとりわけサッカーを好み、浅黒い顔を輝かせながら巧みな足さばきでボールをドリブルしたりシュートしたり、ほかの児童のプレーに対して「ナイシュー!」とか「ナイボー!」とか叫んだりしていた。悠太郎はしかし、黒い五角形と白い六角形が組み合わされたサッカーボールの構造を、二重瞼の物問いたげな大きな目で不思議そうに眺めていた。
「このボールの球面を、その人は内側から見るわけです。この仮想の球面を天球と呼びます。太陽も月も惑星も恒星も、天体はすべてこの天球の上に乗っていると考えます。星座とは、この天球の区分なんです。全天は八十八の星座に区分されています。つまり空のどんな一点も、いずれかの星座に属しているわけです。ちょうど地上のどの一点も、いずれかの都道府県や市町村に属しているのと同じなんです。星座が空の地図だというのは、つまりそういうことです」と草壁先生は、げっそりと頬のこけた顔をやや左に傾げながら説明し、やがて夏の代表的な星座として蠍座を挙げた。蠍座のアルファすなわち最も明るい星はアンタレスで、夏の夜には南の空の低いところで赤く輝くのが見えるのだと教えた草壁先生は、こう続けたのである。「宮沢賢治に〈星めぐりの歌〉というのがあります。賢治が自分で詩を書いて作曲もしました。出だしのところで賢治は蠍の目玉と言っていますが、赤いアンタレスはむしろ蠍の心臓です。でもまあ賢治は詩人ですからね。目玉だと思えば目玉だと言って間違いだということはありません。ちなみにアンタレスは変光星といって、〇・九等から一・八等まで明るさが変わるんです……」
その話を悠太郎は、二重瞼の物問いたげな目を見開きながら興味深く聞いていた。宮沢賢治の名は、一年生のとき学習発表会で見た「よだかの星」の劇で知っていた。醜いよだか役をいじめる色とりどりの鳥たちの衣装は、青や緑や黄色といったカラフルなスピードスケートウェアをもとに作られていたものである。よだかの家を訪れて改名を迫る鷹の台詞を、悠太郎はよく憶えていた。こんなことならもう虫を食べないで飢えて死のう、遠くの空の向こうへ行ってしまおうと決意して旅立ったよだかが、何度目かの飛翔の末にとうとう願いを叶えられ、星になって燃えたその幕切れに、あの慕わしい湖の騎士が、ノリくんがヴァイオリンを携えて颯爽と登場すると、担任教諭のピアノ伴奏で観客の胸も裂けよとばかりに、フォーレの〈エレジー〉の哀切なメロディーを奏でたものである。嘆き訴えるようなその旋律は低く沈み込んでは浮かび上がりまた沈み、あたかも苦しみに満ちたこの地上から、よだかが上げられた星の世界の輝きを仰ぎ見るかのようであった。入江紀之の左手は、ヴァイオリンのネックの上で確実に音を捉え、聴く者の心を揺さぶるヴィブラートをかけていた。その右腕は伸びやかに弓を操っていた。明澄な光を湛えた円かなその目は、この世ならぬ世界へと見開かれていた。あの英姿をどうして忘れ得よう! 宮沢賢治の名をどうして忘れ得よう! その賢治が童話や詩を書くばかりでなく、みずから作曲もしていたと聞かされては、佐藤陽奈子先生のピアノ教室で『楽しく学べる楽典教室』の勉強も始めていた悠太郎が、興味を持たない道理はなかった。
だがその理科の時間には、〈星めぐりの歌〉の話はそれきりで打ち切られ、星占いの話題に移った。「ところで蠍座は夏の星座だと言いましたが、皆さんはおかしいと思いませんか? 星占いでは蠍座は、十月から十一月のあたりで生まれた人の星座です。これはどういうわけでしょう? 星占いの星座は黄道十二星座といいます。さっき教えた天球で太陽の通り道を黄道といいます。黄道十二星座とは、太陽の通り道にある十二の星座です。星占いの星座は、誕生日に太陽がある星座です。つまり蠍座の人の誕生日には、太陽は蠍座にあります。つまり蠍座は昼間に出ているんです。だから夜には見えません。ほかの十一の星座でも同じことです。双子座の人の誕生日には、夜に双子座は見えません。獅子座の人の誕生日には、夜に獅子座は見えません。そういうことです」と草壁先生が教えてくれたので、ぼくの誕生日の九月七日には乙女座は見えないのかと悠太郎は思った。すると草壁先生のユーモアは、話を思わぬ方向へ飛ばした。「ところで〈さそり座の女〉という歌がありますね。蠍の毒は後で効きません。刺された直後に症状が出ます。悪くするとすぐに死にます」と草壁先生がいくらか嘲弄的に言うと、四年生の教室に笑いが起こった。神川直矢は機関銃のように高笑いしたし、佐原康雄は厚ぼったい荒れた唇が切れるほど笑ったし、芹沢カイは雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせたし、戸井田一輝は抱腹絶倒せんばかりだったし、佐藤隼平は斜視気味の目を細めて嘲笑的に吹き出したし、金谷涼子は豪快に笑ったし、諸星真花名は笑みを浮かべて顎を胸にくっつけるようにうつむいた。悠太郎はしかし二重瞼の物問いたげな目を黒々と見開きながら、死について考えることを恐れた。
その年の夏は記録的な冷夏で、雨が多く日照が少なかった。夏休みを迎えてなお梅雨は明けず、照月湖の橋には乗り手のいない手漕ぎボートやスワンボートやコーヒーカップボートが、係留されたままで虚しく揺れていた。へら鮒釣りを楽しむ客の姿もまばらであったし、レストラン照月湖ガーデンのソフトクリームの売れ行きも振るわなかった。防水仕様の作業服を着たライサク老人こと桜井謙助さんは、桟橋の上でギョロ目を見開いて額に三筋の横皺を寄せながら、「おいおい、何だこりゃあ。なんちゅう天気だ。なんちゅう夏だ。ひでえ冬に続いて、ひでえ夏だ。こんなことは今までになかった。いったい地球はどうなってるんだ。これも時勢かのう……」と独りごちては、雨滴が次々と波紋の環を広げる水面を見つめていた。紫色の三角巾のおロク婆さんと、白い三角巾のおタキ婆さんは、照月湖モビレージから観光ホテル明鏡閣の社員食堂へえっちらおっちら歩いてきて、こんなに暇な夏はなかったとお茶を飲みながら言い合った。新たな支配人になっていたサカエさんこと黒岩栄作さんが、溜息とともに煙草の煙を口から吐き出しながら、「ホテルの宿泊もおめえ、さっぱりだものを。この夏はわが社にとって大打撃だよ」とこぼして、薄黒いサングラスの奥の目を曇らせつつ、七三に分けたふさふさの黒髪を搔き乱した。そのとき窓の向かいにやや前傾して取りつけられた長方形の鏡は、ヒマワリとサルビアが咲く円形の花壇のある駐車場に、ハイエースが入ってくる様を映していた。浮かない顔つきをしていた橋爪進吉さんは、「西軽の兄貴だんべえ。愉快な話のひとつも聞かせてくれるかのう」と言って、ゲジゲジ眉毛の顔を少しだけひしゃげたように笑わせた。
「へえ、へえ、へえ、どうもどうも」と言いながら入ってきた西軽井沢物産流通の営業の兄貴であったが、その声は沈んでいた。「こちらさんも景気はよかああんめえね? おかげさんでおめえ、うちもいっこう駄目なんさあ。この冬はおめえ、記録的な暖冬だったものを。野沢菜の出来がよくねえつうこと! 霜に当たらなけりゃあおめえ、野沢菜はうまくねえつうこと! うまくねえ野沢菜はおめえ、いっこう売れねえつうこと!」と浅間山の北麓と南麓の方言をチャンポンにして西軽の兄貴は、キャップから盛大にはみ出したもみあげをぼりぼりと掻きながら痛嘆しつつ、造作の大きな顔を破壊的に歪めた。「まあまあ兄貴。これでも食べて元気を出してくださいよ」と林浩一さんが平たい顔をにこやかに笑わせながら、冷たい月見うどんを盛った器を素早く調理場から運んでくると、「まあず照月湖さんはいつもありがてえつうこと! しかしこの世界はどうなっちまうだい? まあず嫌な予感がするつうこと!」と西軽の兄貴は言って、ぐちゃぐちゃに潰した卵の黄身を絡めた麺を、盛大な音を立てて啜った。「愉快な話はいずこにもなし、ちゅうわけか」と橋爪さんは丸椅子から立ち上がって、痒い背中をぎざぎざの柱に熊のようにこすりつけた。
するとそこへ売店前の廊下を社員食堂に向かって、体を左右に揺らしながら大儀そうに歩いてきた小柄な老婦人が、入口のドアを開けて姿を現した。ブロッコリーのような髪型をした森山伸代さんは、相変わらず愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負っていた。学芸村の水道屋たる森山サダム爺さんの奥方は、甘ったるい声で「皆さん、おこんにちは。ねえ今日はなさらない?」と言いながら、手で何かを掻き回すような仕草をした。しかし黒岩サカエ支配人はサングラスの奥の目を据えて、「麻雀どころじゃねえだよ」と低い声で素っ気なく告げた。伸代さんは「あら、まあ!」と驚いたようだったが、やがて思い出したように「そうだ、サカエさん。馬肉は入荷したかしら? ちょっぴり分けてくださらない? うちのアンちゃんは馬刺しが大好物なの」と言った。サカエさんは苦々しげな声をやや荒らげて「それどころじゃねえだよ!」と突き放した。気まずい沈黙が社員食堂という名の従業員詰所に訪れると、一同には強まってくる雨の音がよく聞こえた。袋のなかのポメラニアンは、困惑したようにあたりを見回していた。やがて西軽の兄貴が「へえ、へえ、へえ、まあずこりゃ不景気だつうこと。カオスだった昔の活気がおめえ、懐かしいつうこと」と力ない声で言った。壁に飾られた増田ケンポウ社長の写真は、片えくぼを浮かべた豪快な恵比寿顔でそんな光景を見守っていた。これらのことを悠太郎は母の秀子から聞かされていた。観光ホテル明鏡閣から帰宅し、激しく叩きつけるように自動車のドアを閉め、玄関のドアをがばと開けバタンと閉め、廊下をドスン・ドスン・ドスン・ドスン・ドスンと五歩踏み鳴らし、居間への引き戸をガラガラと開けると、秀子は何よりもまず職場で起こったことを、悠太郎に吐き出してしまうことを常としたのである。
「皆さんいい顔ですよ。前にも言いましたが、人間は空を見上げると喉が突っ張ります。口を閉じておこうとしても顎の筋肉が疲れますから、どうしてもおのずと口が開いてきます。そうしていつしか馬鹿のようにぽかんと口を開けています。それが今の皆さんです」と、その年度から六里ヶ原第一小学校に赴任してきた理科の草壁敬子先生が話すと、児童たちのあいだには子供らしい笑いが起こった。大屋原第三集落の神川直矢は機関銃のように高笑いしたし、大屋原第一集落の佐原康雄は荒れた唇が切れるほど笑ったし、栗平の芹沢カイは雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせたし、甘楽集落の戸井田一輝は抱腹絶倒したし、佐藤隼平は斜視気味の目を細めて嘲笑的に吹き出したし、甘楽第二集落の金谷涼子は黒目がちな目を黒曜石のように光らせながら豪快に笑ったから、二重瞼の物問いたげな目を見開いて星空に見入っていた真壁悠太郎もまた、十歳の少年の胸に余る厳粛の念と虚無感と徒労感を、笑いのうちにいくらかは和らげることができた。しかし諸星真花名は恥ずかしそうな笑みを浮かべたきりで、わずかにしゃくれた顎を胸にくっつけるようにうつむいた。草壁先生はなおも話を続けた。「でもこの六里ヶ原の星空は、馬鹿のようにぽかんと口を開けてでも見上げるべきものです。ことに冴え冴えとした冬の夜の豪華絢爛な星空は格別です。それでこうして星を見る会を開いているわけです。もうすぐ新月ですから、細い月は昼間のうちに沈んでしまいました。星を見るにはちょうどいい夜です。さあ、あの天頂のあたりにあるのは……」と草壁先生は、手にした懐中電灯の光を夜空の高みに向けた。あたかも指示棒で黒板を指すように、夜空のなかへまっすぐに消えてゆく懐中電灯の光で、あの星やこの星を指しながら説明しようというのである。
骸骨のようにげっそりとした草壁敬子先生は、蒼ざめて頬のこけた顔をしてはいたが、それでも理科室の動かない骨格標本とは対照的な熱心さと活動力を示していた。理科室前の壁際に設けられた長机の上には、児童たちが自由に読めるように、動物や植物や鉱物の様々な図鑑が置かれた。物の名前を知ることの大切さを説いて、草壁先生はある理科の時間に教室で、げっそりと頬のこけた顔をやや左に傾げながら言ったものであった。「いいですか、自然界のありとあらゆる動植物には、すべて名前がついています。鳥にも虫にも草にも木にも必ず名前があります。知られていなかった種が発見されれば、それは新種としてすぐさま名前がつけられます。いいですか、もし皆さんのうちの誰かが将来詩人や小説家になったら、名もなき花が咲いていたなどと間違っても書いてはいけませんよ。名前のない花はないんです。せめて名も知らぬ花と書いてください。でもいちばんいいのは、花の名前を知ることです」
たびたび印刷されて配られた「理科室だより」のプリントには、草花や野鳥や星のことが、熱心な真面目さのなかにもユーモアの混じる文章でたゆまず書き記されたし、また観察眼の鋭い児童たちの優れた投稿が掲載されもした。そして時々は休日の探鳥会や放課後の星を見る会さえ催され、その会場はしばしば照月湖のほとりであった。これらはすべて草壁先生が実行したある種の革新であり、実際これによって理科に興味を持つ児童は明らかに増えたと、教職員や父兄のあいだでも評判になった。悠太郎はそんな草壁先生をいくらか恐怖していたことがあった。ホルマリン漬けの動物標本や危険な薬品のある理科室に出入りする草壁先生の姿が、いかにもげっそりと骸骨じみてどこか不気味であったためばかりではなかった。授業以外でも児童の生活態度を厳しく指導する草壁先生は、大きなレンズの眼鏡の奥で目を光らせて、児童のどんな逸脱をも見逃すまいとしているようなところがあった。四年生になった児童たちにも、ゆっくりと抑揚をつけた幼稚な話し方がなお時々は現れたが、あるとき草壁先生はそれを「ガキンチョ節!」というひと言で嘲弄的に切って捨てたことさえあったのである。そんな草壁先生に反感を持ち、陰で悪口を言う児童は、悠太郎の同級生にも少なくなかった。しかしみんなと同じように程なく悠太郎は、草花や野鳥や星空をして意味深いことを語らしめる草壁先生の知識と手腕に、感銘を受けるようになった。いくらか屈折して冷笑的ではあるが、実は自然と人間を愛しているに違いないその情熱に、悠太郎は共感し感化されていった。
「あの天頂のあたりにあるのは、アンドロメダ座です」と草壁先生が懐中電灯の光で夜空のいちばん高いあたりを指し示すと、四年生の児童たちはその導きの光を追って燦爛たる星空を見上げ、またぽかんと口を開けた。「アンドロメダ銀河がほら、あのあたりにぼんやりと広がっています。この地球は太陽のまわりを回っていますが、私たちの太陽は天の川銀河にあります。その天の川銀河の隣にあるのが、あのアンドロメダ銀河なのです。隣といっても二百五十万光年離れています。つまり光の速さで飛んでいっても、二百五十万年かかるわけです。ところでアンドロメダ銀河は、アンドロメダ大星雲とも呼ばれています。いつか教えた宮沢賢治の〈星めぐりの歌〉を憶えていますか? 賢治が歌っているのは、あれのことだと考えられます。皆さんにはあれが魚の口の形に見えますか? 私には見えません。肉眼で見てもぼんやりしているし、望遠鏡で見てもやっぱり無理があります。環状星雲だったらフィッシュマウスネビュラとも呼ばれますが、アンドロメダ銀河は環状星雲ではなく渦巻き銀河ですからね。なぜ賢治がそんな表現をしたのかは、ちょっとした謎です。そのあたりのことには教頭先生がお詳しいので、興味のある人は質問してみてください」と説明しながら草壁先生は、懐中電灯の光をぼんやりと広がる大星雲のあたりへ向けてぐるぐると回した。
〈星めぐりの歌〉のことを、悠太郎はよく憶えていた。夏休みも間近いある日の理科の時間に、教室で草壁先生は星座について話していた。「皆さんは星座というのが何を意味するか知っていますか? 星座とは、星と星を結んで作る形のことではありません。いいですか、星と星を結んで作る形のことではありませんよ。星座とは、空の地図なんです。地球上にいて空を見る人が、ドッジボールでもバスケットボールでも、いま流行りのサッカーボールでも何でもいい、とにかくボールの中心にいるとします……」と草壁先生は言ったのだが、それというのもこの年に日本プロサッカーリーグが発足して空前のサッカーブームが巻き起こり、その熱狂は浅間山を望むこの小学校の校庭にも及んでいたからである。なかでも同級生きっての俊足で鳴る佐原康雄はとりわけサッカーを好み、浅黒い顔を輝かせながら巧みな足さばきでボールをドリブルしたりシュートしたり、ほかの児童のプレーに対して「ナイシュー!」とか「ナイボー!」とか叫んだりしていた。悠太郎はしかし、黒い五角形と白い六角形が組み合わされたサッカーボールの構造を、二重瞼の物問いたげな大きな目で不思議そうに眺めていた。
「このボールの球面を、その人は内側から見るわけです。この仮想の球面を天球と呼びます。太陽も月も惑星も恒星も、天体はすべてこの天球の上に乗っていると考えます。星座とは、この天球の区分なんです。全天は八十八の星座に区分されています。つまり空のどんな一点も、いずれかの星座に属しているわけです。ちょうど地上のどの一点も、いずれかの都道府県や市町村に属しているのと同じなんです。星座が空の地図だというのは、つまりそういうことです」と草壁先生は、げっそりと頬のこけた顔をやや左に傾げながら説明し、やがて夏の代表的な星座として蠍座を挙げた。蠍座のアルファすなわち最も明るい星はアンタレスで、夏の夜には南の空の低いところで赤く輝くのが見えるのだと教えた草壁先生は、こう続けたのである。「宮沢賢治に〈星めぐりの歌〉というのがあります。賢治が自分で詩を書いて作曲もしました。出だしのところで賢治は蠍の目玉と言っていますが、赤いアンタレスはむしろ蠍の心臓です。でもまあ賢治は詩人ですからね。目玉だと思えば目玉だと言って間違いだということはありません。ちなみにアンタレスは変光星といって、〇・九等から一・八等まで明るさが変わるんです……」
その話を悠太郎は、二重瞼の物問いたげな目を見開きながら興味深く聞いていた。宮沢賢治の名は、一年生のとき学習発表会で見た「よだかの星」の劇で知っていた。醜いよだか役をいじめる色とりどりの鳥たちの衣装は、青や緑や黄色といったカラフルなスピードスケートウェアをもとに作られていたものである。よだかの家を訪れて改名を迫る鷹の台詞を、悠太郎はよく憶えていた。こんなことならもう虫を食べないで飢えて死のう、遠くの空の向こうへ行ってしまおうと決意して旅立ったよだかが、何度目かの飛翔の末にとうとう願いを叶えられ、星になって燃えたその幕切れに、あの慕わしい湖の騎士が、ノリくんがヴァイオリンを携えて颯爽と登場すると、担任教諭のピアノ伴奏で観客の胸も裂けよとばかりに、フォーレの〈エレジー〉の哀切なメロディーを奏でたものである。嘆き訴えるようなその旋律は低く沈み込んでは浮かび上がりまた沈み、あたかも苦しみに満ちたこの地上から、よだかが上げられた星の世界の輝きを仰ぎ見るかのようであった。入江紀之の左手は、ヴァイオリンのネックの上で確実に音を捉え、聴く者の心を揺さぶるヴィブラートをかけていた。その右腕は伸びやかに弓を操っていた。明澄な光を湛えた円かなその目は、この世ならぬ世界へと見開かれていた。あの英姿をどうして忘れ得よう! 宮沢賢治の名をどうして忘れ得よう! その賢治が童話や詩を書くばかりでなく、みずから作曲もしていたと聞かされては、佐藤陽奈子先生のピアノ教室で『楽しく学べる楽典教室』の勉強も始めていた悠太郎が、興味を持たない道理はなかった。
だがその理科の時間には、〈星めぐりの歌〉の話はそれきりで打ち切られ、星占いの話題に移った。「ところで蠍座は夏の星座だと言いましたが、皆さんはおかしいと思いませんか? 星占いでは蠍座は、十月から十一月のあたりで生まれた人の星座です。これはどういうわけでしょう? 星占いの星座は黄道十二星座といいます。さっき教えた天球で太陽の通り道を黄道といいます。黄道十二星座とは、太陽の通り道にある十二の星座です。星占いの星座は、誕生日に太陽がある星座です。つまり蠍座の人の誕生日には、太陽は蠍座にあります。つまり蠍座は昼間に出ているんです。だから夜には見えません。ほかの十一の星座でも同じことです。双子座の人の誕生日には、夜に双子座は見えません。獅子座の人の誕生日には、夜に獅子座は見えません。そういうことです」と草壁先生が教えてくれたので、ぼくの誕生日の九月七日には乙女座は見えないのかと悠太郎は思った。すると草壁先生のユーモアは、話を思わぬ方向へ飛ばした。「ところで〈さそり座の女〉という歌がありますね。蠍の毒は後で効きません。刺された直後に症状が出ます。悪くするとすぐに死にます」と草壁先生がいくらか嘲弄的に言うと、四年生の教室に笑いが起こった。神川直矢は機関銃のように高笑いしたし、佐原康雄は厚ぼったい荒れた唇が切れるほど笑ったし、芹沢カイは雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせたし、戸井田一輝は抱腹絶倒せんばかりだったし、佐藤隼平は斜視気味の目を細めて嘲笑的に吹き出したし、金谷涼子は豪快に笑ったし、諸星真花名は笑みを浮かべて顎を胸にくっつけるようにうつむいた。悠太郎はしかし二重瞼の物問いたげな目を黒々と見開きながら、死について考えることを恐れた。
その年の夏は記録的な冷夏で、雨が多く日照が少なかった。夏休みを迎えてなお梅雨は明けず、照月湖の橋には乗り手のいない手漕ぎボートやスワンボートやコーヒーカップボートが、係留されたままで虚しく揺れていた。へら鮒釣りを楽しむ客の姿もまばらであったし、レストラン照月湖ガーデンのソフトクリームの売れ行きも振るわなかった。防水仕様の作業服を着たライサク老人こと桜井謙助さんは、桟橋の上でギョロ目を見開いて額に三筋の横皺を寄せながら、「おいおい、何だこりゃあ。なんちゅう天気だ。なんちゅう夏だ。ひでえ冬に続いて、ひでえ夏だ。こんなことは今までになかった。いったい地球はどうなってるんだ。これも時勢かのう……」と独りごちては、雨滴が次々と波紋の環を広げる水面を見つめていた。紫色の三角巾のおロク婆さんと、白い三角巾のおタキ婆さんは、照月湖モビレージから観光ホテル明鏡閣の社員食堂へえっちらおっちら歩いてきて、こんなに暇な夏はなかったとお茶を飲みながら言い合った。新たな支配人になっていたサカエさんこと黒岩栄作さんが、溜息とともに煙草の煙を口から吐き出しながら、「ホテルの宿泊もおめえ、さっぱりだものを。この夏はわが社にとって大打撃だよ」とこぼして、薄黒いサングラスの奥の目を曇らせつつ、七三に分けたふさふさの黒髪を搔き乱した。そのとき窓の向かいにやや前傾して取りつけられた長方形の鏡は、ヒマワリとサルビアが咲く円形の花壇のある駐車場に、ハイエースが入ってくる様を映していた。浮かない顔つきをしていた橋爪進吉さんは、「西軽の兄貴だんべえ。愉快な話のひとつも聞かせてくれるかのう」と言って、ゲジゲジ眉毛の顔を少しだけひしゃげたように笑わせた。
「へえ、へえ、へえ、どうもどうも」と言いながら入ってきた西軽井沢物産流通の営業の兄貴であったが、その声は沈んでいた。「こちらさんも景気はよかああんめえね? おかげさんでおめえ、うちもいっこう駄目なんさあ。この冬はおめえ、記録的な暖冬だったものを。野沢菜の出来がよくねえつうこと! 霜に当たらなけりゃあおめえ、野沢菜はうまくねえつうこと! うまくねえ野沢菜はおめえ、いっこう売れねえつうこと!」と浅間山の北麓と南麓の方言をチャンポンにして西軽の兄貴は、キャップから盛大にはみ出したもみあげをぼりぼりと掻きながら痛嘆しつつ、造作の大きな顔を破壊的に歪めた。「まあまあ兄貴。これでも食べて元気を出してくださいよ」と林浩一さんが平たい顔をにこやかに笑わせながら、冷たい月見うどんを盛った器を素早く調理場から運んでくると、「まあず照月湖さんはいつもありがてえつうこと! しかしこの世界はどうなっちまうだい? まあず嫌な予感がするつうこと!」と西軽の兄貴は言って、ぐちゃぐちゃに潰した卵の黄身を絡めた麺を、盛大な音を立てて啜った。「愉快な話はいずこにもなし、ちゅうわけか」と橋爪さんは丸椅子から立ち上がって、痒い背中をぎざぎざの柱に熊のようにこすりつけた。
するとそこへ売店前の廊下を社員食堂に向かって、体を左右に揺らしながら大儀そうに歩いてきた小柄な老婦人が、入口のドアを開けて姿を現した。ブロッコリーのような髪型をした森山伸代さんは、相変わらず愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負っていた。学芸村の水道屋たる森山サダム爺さんの奥方は、甘ったるい声で「皆さん、おこんにちは。ねえ今日はなさらない?」と言いながら、手で何かを掻き回すような仕草をした。しかし黒岩サカエ支配人はサングラスの奥の目を据えて、「麻雀どころじゃねえだよ」と低い声で素っ気なく告げた。伸代さんは「あら、まあ!」と驚いたようだったが、やがて思い出したように「そうだ、サカエさん。馬肉は入荷したかしら? ちょっぴり分けてくださらない? うちのアンちゃんは馬刺しが大好物なの」と言った。サカエさんは苦々しげな声をやや荒らげて「それどころじゃねえだよ!」と突き放した。気まずい沈黙が社員食堂という名の従業員詰所に訪れると、一同には強まってくる雨の音がよく聞こえた。袋のなかのポメラニアンは、困惑したようにあたりを見回していた。やがて西軽の兄貴が「へえ、へえ、へえ、まあずこりゃ不景気だつうこと。カオスだった昔の活気がおめえ、懐かしいつうこと」と力ない声で言った。壁に飾られた増田ケンポウ社長の写真は、片えくぼを浮かべた豪快な恵比寿顔でそんな光景を見守っていた。これらのことを悠太郎は母の秀子から聞かされていた。観光ホテル明鏡閣から帰宅し、激しく叩きつけるように自動車のドアを閉め、玄関のドアをがばと開けバタンと閉め、廊下をドスン・ドスン・ドスン・ドスン・ドスンと五歩踏み鳴らし、居間への引き戸をガラガラと開けると、秀子は何よりもまず職場で起こったことを、悠太郎に吐き出してしまうことを常としたのである。
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