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第九章 左手の小指
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ところで奇跡といえば、佐藤留夏子が小学校三年生にして六里ヶ原の奇跡と謳われていることは、ワープロの比ではなかった。勉強も運動も留夏子はどんな児童よりよくできた。よく本を読んで多くの言葉を憶え、読む者に深い精神性を感じさせる日記や作文を書いた。計算をさせればふた桁の数ふたつの掛け算を電光石火の暗算でやってのけたし、自然への関心も深く観察は細やかであった。緑の唐松林を吹き渡る朝風のように軽やかに走り、淡く美しい色彩の水彩画を描き、芯の強い澄んだ声で歌った。リコーダーを吹かせれば、ソプラノの楽器で出せるすべての音の指遣いを、教わりもせずに習得してしまった。母の陽奈子先生はそんな娘の様子を見て、みんなが吹くジャーマン式の楽器ではないバロック式の楽器を新たに与えた。ジャーマン式のリコーダーはハ長調、つまりピアノで言えば白い鍵盤ばかりの音階を吹きやすくするために、低いファの音の指遣いを簡単にしてあるが、その分ほかの調の音の安定を犠牲にしていることや、バロック式でソプラノを吹いておけば、中学校で習うアルトの指遣いと同じだから先々有利であることを、陽奈子先生は留夏子に教えた。まわりのみんなと異なることを恐れない留夏子は、このバロック式のリコーダーを大いに好み、生活の折々に聞こえてくる様々なメロディーを再現して吹いては楽しんでいた。そんな留夏子であってみれば、職員室の教師たちや児童の父兄たちから、六里ヶ原の奇跡と謳われるのはもっともなことであった。
留夏子の感覚と精神の深さを窺わせる出来事として、ある音楽の時間のことが教師たちに記憶された。ピンク色の絨毯が敷かれ、吸音のための多孔質ボードが壁全体に貼られた音楽室で、そのとき三年生のみんなは〈おお牧場はみどり〉を歌っていた。いつも切れ長の目を輝かせて情熱的なまでに歌に打ち込む留夏子は、そのときも手にした歌集から顔を上げたよい姿勢で、深い喜びに充ち溢れながら、芯の強い澄んだ声を響かせていた。感嘆詞は爆発的に歌い出され、付点リズムは正確で躍動感に溢れ、上行した先にある助詞ではさり気なく力が抜かれ、下降するところでは一音節ずつに快いアクセントが乗せられた。雪融け水が流れるくだりでは、二音節からなる名詞の第一音節にスタッカートをつけて同一のリズムを強調することで、光り輝きながら流れる水が目に見えるような歌いぶりを示したし、名詞の母音から助詞の「を」を明確に分離するために声門閉鎖音を使いさえしたので、遥かに広がる浅間牧場の牧草地や開拓地の畑が、聴く者の目の当たりに浮かぶほどであった。留夏子がこれほどの表現力を見せたので、声を合わせて歌っているまわりの児童たちも朗らかな喜びに満たされたし、ピアノで伴奏をしていた担任の竹内ひろみ先生も、屈託のない目をぱっちりと見開きながら、膨らんだ髪の頭を後ろへ反らせて笑みを浮かべた。ところが留夏子は結びの歌詞で、突然驚愕したように黙り込み、手にした歌集を取り落とした。最後の言葉が歌えなかった留夏子は、二番になっても再び歌い始めることなく、黙ったまま体をこわばらせ、ピンク色の絨毯に落ちた歌集を拾うこともせず、がくがくとふるえていたのである。異変に気づいた竹内先生が、伴奏を弾き終えた後で理由を問い質しても、留夏子は何ひとつ答えることができなかった。
翌日になって次のように書かれた日記が、留夏子から竹内先生に提出されたという。あのとき私は「わたし」が存在することを、いかにも余計で邪魔なことだと考えたのです。きらきら光りながら流れる雪融け水や、山や谷や野原や畑がこんなにも美しいのに、そこへわざわざ呼びかけられる「わたし」が出てこなければならないとは、どういうことでしょう。「わたし」などというものは、世界にとってなんと不純なものでしょう。こんな「わたし」がいなくなったとき、川も山も谷も野原も畑も、初めて完全に美しくなるのだと思いました。「わたし」が存在することを、私は許せなくなりました。それで何も歌えなくなってしまったのです――。驚きのあまりぱっちりした目を見開いて白黒させた竹内先生ではあったが、気を取り直してページの余白に赤いボールペンで書き込んだ。あなたの「わたし」がなかったら、川や山や谷や野原や畑の美しさを、あなたは知ることができません。「わたし」はそんなに悪いものではありませんよ――。職員室はしばらくこの話で持ちきりであった。若い教師も年長けた教師も、これほどのことを考える小学校三年生を見たことがなかったのである。悠太郎はそんな話を噂に聞いた。
そうした留夏子の思い詰めたような一途さや、自棄的なまでの情の激しさは、また別の事件と結びつけても語られるようになった。ある日の昼休みに四年生の中島猛夫が野球部の男子を何人か引き連れて、廊下の片隅で隼平を囲んでいた。猛夫が鼻の穴を広げながら粗野な声で、「おい隼平、おまえどうして野球部を辞めたんだ?」と喚けば、それを合図に隼平を囲んだ男子たちは「体力の限界っす! 体力の限界っす!」と声を合わせて囃し立てた。猛夫たちの顔に広がる下卑た笑いに囲まれて、隼平はひょろ長い手足を縮こまらせ、恐怖と屈辱のあまりうなだれながらふるえていた。たしかに隼平は入部して早々に野球部を辞めていたし、その理由を部員たちの粗野なことに帰するよりは自分自身の問題として、「体力の限界っす」とぶっきら棒に説明してもいた。引退するプロ野球選手のようなその言葉が、禍いを招いたわけであった。「体力の限界っす! 体力の限界っす!」と卑劣な男子たちは、隼平自身の言葉を真似て隼平をなおも辱め続けた。
そこへ風のように留夏子が現れて「やめなさい! あなたたち、弟から離れなさい!」と芯の強い澄んだ声で叱りつけたので、予期せぬ事態に男子たちはたじろいだ。猛夫はしかし眉間に皺を寄せて、産毛だらけの猿めいた顔を歪めながら、「何だコラァ、このアマ! てめえの高慢ちきなツラをぶん殴ってやるぞ!」と凄んだ。留夏子は粗野な相手を憐れむように切れ長の目をすがめ、「面白そうじゃない。やってみれば? きっと痛くも痒くもないわよ。あなたなんかよりよっぽど強い大人の男に、私はいつも殴られ慣れているんだから。その代わり殴られっぱなしでは済まさないわよ」と応じた。かくてあまりにも相異なった児童同士の殴り合いが始まった。猛夫は留夏子の顔面を握り拳で殴りつけることに少しも躊躇しなかったが、留夏子は唇から血を流しながらも果敢に応戦して猛夫に鼻血を出させた。その光景のあまりの壮絶さに、猛夫の取り巻きの男子たちはうろたえて手を出しかねた。戦いは教師たちが駆けつけてふたりを引き離すまで続いた。「憶えてろ、このクソアマ! いつかてめえをぶっ殺す!」と猛夫が鼻を押さえていないほうの手の中指を突き上げて凄めば、「そっちこそ憶えていなさい。私たちに今度ちょっかいを出したら、あなたにバネットをけしかけるわよ。凶暴なうちの犬が、あなたの喉を噛み裂くわよ!」と留夏子は手の甲で唇の血を拭いながら言い返した。保健室の横沢さやか先生は、消毒液を染み込ませたガーゼでその傷を手当しながら、細面で色白の若い顔を曇らせた。縁なし眼鏡の奥の怜悧な目が見たのは、とても子供同士の喧嘩ではできそうもないほどの怪我であった。それは明白な殺意であるか、少なくともその萌芽であった。だが手当てを受ける少女は泰然として「こんなのは日常茶飯事です」と言ってのけた。そのこともまた職員室の話題とならざるを得なかった。悠太郎はその場に居合わせなかったが、噂話に一部始終を伝え聞いたとき、自分には留夏子を助けて戦うだけの度胸があっただろうかと自問しては、暗い思いに沈むほかなかったのである。
暗いといえば、あれも暗いなと〈ロング・ロング・アゴー〉を弾きながら悠太郎は考えた。ソヴィエト連邦が崩壊して年が明け、新しく始まったNHK大河ドラマ《信長》は、お話も画面も音楽も暗い――。幼稚園の頃夢中になった《武田信玄》と同じ脚本家だとは聞いたが、前作とは打って変わって《信長》はひたすら暗いのである。その暗さと虚無感に悠太郎は強く惹かれていた。母親の愛を得られない信長の淋しさや虚しさは、そのまま悠太郎自身の淋しさや虚しさであった。病気で死にそうなふりをして、見舞いに来た弟の信行を刺し殺すときの信長の声が、悠太郎には忘れられなかった。母親に可愛がられた弟を信長は少年の頃から憎み、いつか殺すと予め告げていたのである。太陽や月を背景に流れるあの主題曲は、そういう暗いドラマに相応しいと悠太郎には思われた。壮大なオーケストラが恐るべき不協和音を積み重ねる冒頭に始まり、器楽の暗い流れのなかにやがて合唱が歌詞をうたいながら加わり、ついにその歌詞は朗々たるバリトン独唱によって明確な姿を現すのである。
あるとき悠太郎はこの独唱を、陽奈子先生の前で真似してみせたことがあった。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの視点から語られるドラマを、カトリック教徒の陽奈子先生は興味を持って観ていたから、か細くはあるがよく澄んだ悠太郎の歌声が、テレビから流れるバリトン歌手の独唱を、一オクターヴ高く正確に再現していることを聴き取って驚いた。それをきっかけにして、すぐさま『子供のためのソルフェージュ』の勉強が始まった。それは音符を見てドレミの階名で歌をうたう訓練であった。またあるとき悠太郎は《信長》の劇中で流れる虚無的な楽曲を、陽奈子先生のピアノで再現してみせたことがあった。弦楽のユニゾンで奏でられるその曲を、悠太郎は特に好んで「虚しさのテーマ」と名づけていたのである。陽奈子先生はまた驚いた。そのことをきっかけにして、今度は聴音の勉強が始まった。先生が鳴らすピアノの音を聴き取って、五線紙ノートに音符として書き取る訓練であった。いつの頃からかソファに座って、眩しいものでも見るようにレッスンの様子を見守るようになっていた留夏子は、悠太郎が記す音符をお団子のようだと評した。初めのうちこそ陽奈子先生は「ちょっとルカ、ここにいたらユウくんの気が散るでしょう」と娘をたしなめたが、「ぼくはちっとも構いませんよ。むしろ背筋が伸びる思いです」と悠太郎が言うので、留夏子の同席は結局そのままになったのである。
そうこうしているうちに、ピアノのほうは左手の練習に移り、両手の練習に移り、レッスンを受け始めて一年経つ頃には、黄色い表紙の『子供のバイエル』下巻に入っていた。悠太郎は全音符から派生する様々な音符の長さを記憶し、ト音記号のみならずヘ音記号の譜面も読めるようになった。バイエル併用の練習曲集として、オレンジ色の表紙も鮮やかな『夢みるピアニスト』も使われ始めた。〈ロング・ロング・アゴー〉という懐かしさを呼び起こす題名の曲が、そのなかにはあった。ドソミソ・ドソミソ・ドソミソ・ドソミソ――左手に出てくる音型を指して陽奈子先生は、「これはアルベルティ・バスというの。イタリアの作曲家ドメニコ・アルベルティが好んで用いたから、そう呼ばれているのよ」と教え、左手の5の指つまり小指で弾くいちばん低い音に、ほかの三つの音が従属するようバランスに注意せねばならないと付け加えた。いちばん低いバスの音は、音楽全体の支えだというのである。「左手の小指がですか?」と悠太郎は驚いたように、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開くと、それから毛深いながら美しい手の指に視線を落とした。「なんだか不思議ですね。左手の小指はいちばん力がなくて弱い指なのに、そんなに重たい役目を負わされるなんて。左手の小指が可哀想です。これは楽器を考え出した人の設計ミスではないのですか?」
悠太郎のこの言葉に陽奈子先生はまた驚いた。そんな疑問を持った子供を、ひとりとして見たことがなかったからである。だがこの子の言うことももっともだ。そこには何かしらの真理がありそうな気がする――。ふと陽奈子先生は聖書の一節を思い出して、切れ長の目を眩しそうに細めた。旧約の詩篇に預言として歌われ、新約の福音書でイエスによって引用され、ついにはその死と復活によって成就されたあの一節のことを、陽奈子先生は悠太郎に語らずにはいられなかった。「ユウくんは隅の親石って聞いたことがある? 聖書に出てくる言葉よ。家を建てる人が役に立たないと思って捨てた石が、新しい建物の土台になったのよ。それは神様がなさった不思議なことなの。ピアノを弾く人の左手の小指って、きっと音楽にとっては隅の親石なんだわ」と陽奈子先生が言うと、悠太郎は睫毛の長い目を伏せながら、「役に立たない、捨てられた石……。そうか、弱いものでも支えることができるんだ、別の世界を」と、自分自身に言い聞かせるかのようであった。あの大地の鼓動のように連打される田園ソナタの深い低音も、左手の小指が弾いていたのだ――。
ソファに座った留夏子はそんな悠太郎を面白そうに見守っていたし、戸外では猛犬バネットが疲れを知らずに吠えまくっていた。広いトウモロコシの畑が風にざわざわ鳴る音を三人は遠くに聞いた。こんな生徒を教えるのは、後にも先にもこれきりかもしれないと陽奈子先生は思った。小手先でもっと上手にピアノを弾ける子はいくらもいるだろう。だがこれほどの精神を持った子には、またと出会えないのではないか――。さて悠太郎は夏休みのその日の日記に、左手の小指と隅の親石のことを書いた。二学期が始まれば、悠太郎たち三年生の担任になった竹内ひろみ先生がそれを読んで、目をぱっちりと見開きながら驚きのあまり白黒させ、この子は去年担任した留夏子にも劣らないかもしれないと思いながら、膨らんだ髪の頭を後ろへ反らすことになるだろう。
またそんな夏休みのある日を悠太郎は、招かれて学芸村にある三池光子さんの家で過ごした。緑濃い葉叢のあいだから青空がのぞく楢林のなかに、その小さな家はあった。そこでは浅間観光を定年退職した背の高い光子さんが、九十歳に近いらしい老母と一緒に暮らしていた。ババさんと呼ばれていたその母親は、真っ白な髪をタンポポの綿毛のように頭に戴き、籐椅子に座って満面の笑みを浮かべていた。アンティークの足踏みミシンが置かれた、木目調の落ち着いた内装の居間で、光子さんは切り分けたスイカとメロンを悠太郎に出してくれた。「ユウちゃんはスイカが好き? それともメロンが好き?」と、艶のある低音の声で光子さんが訊くときの「スイカ」のイントネーションは、いつかの「水仙」と同じく、いちばん高い「ス」の音から流れ落ちるようであった。冷たいスイカの豊かな汁気と、口のなかでとろけるようなメロンの果肉の甘みを、悠太郎は喜びに満ちて味わった。光子さんはひと口大に切ったメロンをフォークに刺し「ほらババさん、召し上がれ」と言って母親に勧めた。甘い果肉を味わったババさんはおもむろに両腕を上げ、やがて白髪頭の上で指先を合わせて大きな丸を作ると、物言わず満面の笑みを浮かべた。
光子さんが「ピアノ」と言うときのイントネーションも「水仙」や「スイカ」と同じであった。「ピ」の音がいちばん高く、そこから流れ落ちるように発音されたのである。「ユウちゃんはピアノのお稽古をしているのよね。どう? ピアノは楽しい? ピアノの先生はどんな人?」と光子さんは、アイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら悠太郎に問うた。悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開きながら、「とても楽しいです。初めは右手だけだったのが、そのうち左手でも弾けるようになって、もう両手で弾き始めました」と嬉しそうに答えた。「バイエルも一曲また一曲と花丸がついて、赤いほうが終わって、もう黄色いほうに入りました。先生はバイエルを一曲も飛ばさずに勉強させるんです。先生はとても素敵な人です。ソルフェージュも聴音も教えてくれます。毎週レッスンの日が待ち遠しいくらいです。家ではおもちゃみたいなキーボードで練習しますが、先生はなるべく本物のピアノに触れるようにと言います。それで明鏡閣の大食堂へ、ピアノを弾かせてもらいに行くんです。とても楽しいです。でも……」
樹々の葉叢が風にさやぐ窓の外で、ふと日が翳ったようであった。遠からぬ枝で鳴いていたカッコウが、やかましく羽ばたいて飛び立った。悠太郎は睫毛の長い目を伏せながら言葉を継いだ。「でも、ぼくはなんだか怖いんです。この幸せは、あまりにも重たいんです。ぼくはきっと恵まれているのでしょう。お祖父様は浅間観光の永久名誉顧問だし、お母様は明鏡閣で働いているから、ぼくはピアノを習わせてもらえるし、大食堂の楽器を使わせてもらえます。それだけじゃありません。家族で行けば、照月湖温泉にだってお金を払わずに入れてもらえます。ぼくは恵まれています。でも誰もが真壁の家の子じゃないんです。もちろん真壁の家の子だからこそ、つらいこともたくさんあります。どこまでが楽しいことでどこからがつらいことなのか、どこまでが幸せでどこからが不幸せなのか、ぼくにはほとんど区別がつかないんです。ただ幸せも不幸せもひっくるめて、ぼくにはあまりにも重たいんです。この重たいものはこれまでにどんどん重たくなってきたし、これからもどんどん重たくなってゆくんです。どこまで支え切れるだろうと思うと、怖くなります。左手の小指が砕けてしまったら、ベートーヴェンの田園ソナタは、どういうことになるでしょう……」
光子さんはアイシャドウの濃い目で、痛ましそうに悠太郎を見た。樹々の葉叢が風にさやぐ音や、蝉の声や夏鳥たちの歌が沈黙を満たしていた。「そうね、たしかにユウちゃんのうちは、よそとはちょっと違うわね。思えばうんと小さな頃から、とても大変そうだったわ」と光子さんは静かに言った。悠太郎が目を上げると、光子さんは棚に置かれた暗い青緑色のブロンズ像を見ていた。真壁の家で靴箱の上に飾ってあるのとよく似た少女の像であった。「兄が常務をやっている浅間観光に、私が務めることになったのも、思えば主人に死に別れたからだわ。昼休みにはみんなしてお茶を飲んだり、煙草を吸ったり麻雀をしたり、まあなんて楽しい職場だったことでしょう。あそこでユウちゃんにも出会えたわけだし。不幸せから幸せを、時間が彫り出してくれたんだわ」と光子さんは思い出をたどるように言った。「私の主人は彫刻家だったけど、よく言っていたわ。芸術家にとっては、禍いも恵みも区別がないんだって。いいことも悪いことも全部ひっくるめて受け取って、この世界への贈り物として形にするんだって。そういう人は、普通の人が思いも及ばないような重荷を背負いながら、普通の人が思いも及ばないような時間をかけて成熟するものなんだって。ユウちゃんは、そういう人かもしれないわね。いずれにせよ時間は必要よ。ユウちゃんに与えられた物事の意味が明らかになるにも、ユウちゃんが力をつけるにも、時間がかかるんだわ。ひとりで背負う重荷が長い時間をかけて、いつかたくさんの人にとっての贈り物になるのよ。恵まれたものはたっぷり受け取って、たっぷり時間をかけて力をつけて、いつかたっぷり与える人になればいいわ。選ばれる人は、ちょっと弱い人なのよ。ユウちゃんはきっと、左手の小指みたいな人ね」
光子さんが話し終えると、樹々の葉叢が風にさやぐ音や、蝉の声や夏鳥たちの歌が満たしている沈黙のなかで、籐椅子に座ったババさんがおもむろに両腕を上げ始めた。光子さんと悠太郎がそちらを見れば、ババさんは白髪頭の上で指先を合わせて大きな丸を作ると、物言わず満面の笑みを浮かべた。その仕草は光子さんの言葉の正しさを保証しているようでもあり、また非常な老齢に達するまで歳月を経てきたひとりの人が、幸せと不幸せで織り成された人生をまるごと肯定する印にも見えた。悠太郎は厳粛でありながら、それでいて笑い出したいような気持ちになった。幸せも不幸せもひっくるめて、すべてはよいのだと思えるまで、悠太郎は生きてみたいと思った。その日のこともまた、竹内ひろみ先生を驚かせるような言葉で日記に書き留められた。
そんなことを思い出しながら悠太郎が、観光ホテル明鏡閣の大食堂のピアノで、何度目にか〈ロング・ロング・アゴー〉を弾き終えたとき、不意にクラッカーの弾ける音がした。驚いて振り向いた悠太郎に、薄黒いサングラスをかけた黒岩サカエさんは「ユウくん、九歳のお誕生日おめでとう!」とお祝いを言った。橋爪進吉さんはゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせながら、「キューサイの青汁! まずい、もう一杯!」と言ってクラッカーを鳴らした。頭を四角く刈り込んだ南塚亮平支配人も、バイク好きの若い林浩一さんも、紫色の三角巾を被ったおロク婆さんも、白い三角巾を被ったおタキ婆さんも、ギョロ目のライサク老人も、次々にクラッカーを爆発させると、縮れたカラフルな紙テープが夢のように緩やかに舞い落ちた。大きな目を見開いて驚く悠太郎に、「なあに、クリスマスパーティーで余った分の在庫処分だよ。去年はちょっと人の集まりが悪かったが、いつまで倉庫に置いといたっておめえ、しけっちまうものを。今年は今年でまた仕入れるだよ」とサカエさんが、七三に分けたふさふさの髪を掻き上げながら言った。実はこれはアイデアおじさんたるサカエさんが思いつき、秀子に黙って同僚たちと示し合わせたことであった。だが秀子は悠太郎よりももっと驚いていた。あろうことかこの悩み多き母親は、ひとり息子の誕生日をすっかり忘れていたのである。
留夏子の感覚と精神の深さを窺わせる出来事として、ある音楽の時間のことが教師たちに記憶された。ピンク色の絨毯が敷かれ、吸音のための多孔質ボードが壁全体に貼られた音楽室で、そのとき三年生のみんなは〈おお牧場はみどり〉を歌っていた。いつも切れ長の目を輝かせて情熱的なまでに歌に打ち込む留夏子は、そのときも手にした歌集から顔を上げたよい姿勢で、深い喜びに充ち溢れながら、芯の強い澄んだ声を響かせていた。感嘆詞は爆発的に歌い出され、付点リズムは正確で躍動感に溢れ、上行した先にある助詞ではさり気なく力が抜かれ、下降するところでは一音節ずつに快いアクセントが乗せられた。雪融け水が流れるくだりでは、二音節からなる名詞の第一音節にスタッカートをつけて同一のリズムを強調することで、光り輝きながら流れる水が目に見えるような歌いぶりを示したし、名詞の母音から助詞の「を」を明確に分離するために声門閉鎖音を使いさえしたので、遥かに広がる浅間牧場の牧草地や開拓地の畑が、聴く者の目の当たりに浮かぶほどであった。留夏子がこれほどの表現力を見せたので、声を合わせて歌っているまわりの児童たちも朗らかな喜びに満たされたし、ピアノで伴奏をしていた担任の竹内ひろみ先生も、屈託のない目をぱっちりと見開きながら、膨らんだ髪の頭を後ろへ反らせて笑みを浮かべた。ところが留夏子は結びの歌詞で、突然驚愕したように黙り込み、手にした歌集を取り落とした。最後の言葉が歌えなかった留夏子は、二番になっても再び歌い始めることなく、黙ったまま体をこわばらせ、ピンク色の絨毯に落ちた歌集を拾うこともせず、がくがくとふるえていたのである。異変に気づいた竹内先生が、伴奏を弾き終えた後で理由を問い質しても、留夏子は何ひとつ答えることができなかった。
翌日になって次のように書かれた日記が、留夏子から竹内先生に提出されたという。あのとき私は「わたし」が存在することを、いかにも余計で邪魔なことだと考えたのです。きらきら光りながら流れる雪融け水や、山や谷や野原や畑がこんなにも美しいのに、そこへわざわざ呼びかけられる「わたし」が出てこなければならないとは、どういうことでしょう。「わたし」などというものは、世界にとってなんと不純なものでしょう。こんな「わたし」がいなくなったとき、川も山も谷も野原も畑も、初めて完全に美しくなるのだと思いました。「わたし」が存在することを、私は許せなくなりました。それで何も歌えなくなってしまったのです――。驚きのあまりぱっちりした目を見開いて白黒させた竹内先生ではあったが、気を取り直してページの余白に赤いボールペンで書き込んだ。あなたの「わたし」がなかったら、川や山や谷や野原や畑の美しさを、あなたは知ることができません。「わたし」はそんなに悪いものではありませんよ――。職員室はしばらくこの話で持ちきりであった。若い教師も年長けた教師も、これほどのことを考える小学校三年生を見たことがなかったのである。悠太郎はそんな話を噂に聞いた。
そうした留夏子の思い詰めたような一途さや、自棄的なまでの情の激しさは、また別の事件と結びつけても語られるようになった。ある日の昼休みに四年生の中島猛夫が野球部の男子を何人か引き連れて、廊下の片隅で隼平を囲んでいた。猛夫が鼻の穴を広げながら粗野な声で、「おい隼平、おまえどうして野球部を辞めたんだ?」と喚けば、それを合図に隼平を囲んだ男子たちは「体力の限界っす! 体力の限界っす!」と声を合わせて囃し立てた。猛夫たちの顔に広がる下卑た笑いに囲まれて、隼平はひょろ長い手足を縮こまらせ、恐怖と屈辱のあまりうなだれながらふるえていた。たしかに隼平は入部して早々に野球部を辞めていたし、その理由を部員たちの粗野なことに帰するよりは自分自身の問題として、「体力の限界っす」とぶっきら棒に説明してもいた。引退するプロ野球選手のようなその言葉が、禍いを招いたわけであった。「体力の限界っす! 体力の限界っす!」と卑劣な男子たちは、隼平自身の言葉を真似て隼平をなおも辱め続けた。
そこへ風のように留夏子が現れて「やめなさい! あなたたち、弟から離れなさい!」と芯の強い澄んだ声で叱りつけたので、予期せぬ事態に男子たちはたじろいだ。猛夫はしかし眉間に皺を寄せて、産毛だらけの猿めいた顔を歪めながら、「何だコラァ、このアマ! てめえの高慢ちきなツラをぶん殴ってやるぞ!」と凄んだ。留夏子は粗野な相手を憐れむように切れ長の目をすがめ、「面白そうじゃない。やってみれば? きっと痛くも痒くもないわよ。あなたなんかよりよっぽど強い大人の男に、私はいつも殴られ慣れているんだから。その代わり殴られっぱなしでは済まさないわよ」と応じた。かくてあまりにも相異なった児童同士の殴り合いが始まった。猛夫は留夏子の顔面を握り拳で殴りつけることに少しも躊躇しなかったが、留夏子は唇から血を流しながらも果敢に応戦して猛夫に鼻血を出させた。その光景のあまりの壮絶さに、猛夫の取り巻きの男子たちはうろたえて手を出しかねた。戦いは教師たちが駆けつけてふたりを引き離すまで続いた。「憶えてろ、このクソアマ! いつかてめえをぶっ殺す!」と猛夫が鼻を押さえていないほうの手の中指を突き上げて凄めば、「そっちこそ憶えていなさい。私たちに今度ちょっかいを出したら、あなたにバネットをけしかけるわよ。凶暴なうちの犬が、あなたの喉を噛み裂くわよ!」と留夏子は手の甲で唇の血を拭いながら言い返した。保健室の横沢さやか先生は、消毒液を染み込ませたガーゼでその傷を手当しながら、細面で色白の若い顔を曇らせた。縁なし眼鏡の奥の怜悧な目が見たのは、とても子供同士の喧嘩ではできそうもないほどの怪我であった。それは明白な殺意であるか、少なくともその萌芽であった。だが手当てを受ける少女は泰然として「こんなのは日常茶飯事です」と言ってのけた。そのこともまた職員室の話題とならざるを得なかった。悠太郎はその場に居合わせなかったが、噂話に一部始終を伝え聞いたとき、自分には留夏子を助けて戦うだけの度胸があっただろうかと自問しては、暗い思いに沈むほかなかったのである。
暗いといえば、あれも暗いなと〈ロング・ロング・アゴー〉を弾きながら悠太郎は考えた。ソヴィエト連邦が崩壊して年が明け、新しく始まったNHK大河ドラマ《信長》は、お話も画面も音楽も暗い――。幼稚園の頃夢中になった《武田信玄》と同じ脚本家だとは聞いたが、前作とは打って変わって《信長》はひたすら暗いのである。その暗さと虚無感に悠太郎は強く惹かれていた。母親の愛を得られない信長の淋しさや虚しさは、そのまま悠太郎自身の淋しさや虚しさであった。病気で死にそうなふりをして、見舞いに来た弟の信行を刺し殺すときの信長の声が、悠太郎には忘れられなかった。母親に可愛がられた弟を信長は少年の頃から憎み、いつか殺すと予め告げていたのである。太陽や月を背景に流れるあの主題曲は、そういう暗いドラマに相応しいと悠太郎には思われた。壮大なオーケストラが恐るべき不協和音を積み重ねる冒頭に始まり、器楽の暗い流れのなかにやがて合唱が歌詞をうたいながら加わり、ついにその歌詞は朗々たるバリトン独唱によって明確な姿を現すのである。
あるとき悠太郎はこの独唱を、陽奈子先生の前で真似してみせたことがあった。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの視点から語られるドラマを、カトリック教徒の陽奈子先生は興味を持って観ていたから、か細くはあるがよく澄んだ悠太郎の歌声が、テレビから流れるバリトン歌手の独唱を、一オクターヴ高く正確に再現していることを聴き取って驚いた。それをきっかけにして、すぐさま『子供のためのソルフェージュ』の勉強が始まった。それは音符を見てドレミの階名で歌をうたう訓練であった。またあるとき悠太郎は《信長》の劇中で流れる虚無的な楽曲を、陽奈子先生のピアノで再現してみせたことがあった。弦楽のユニゾンで奏でられるその曲を、悠太郎は特に好んで「虚しさのテーマ」と名づけていたのである。陽奈子先生はまた驚いた。そのことをきっかけにして、今度は聴音の勉強が始まった。先生が鳴らすピアノの音を聴き取って、五線紙ノートに音符として書き取る訓練であった。いつの頃からかソファに座って、眩しいものでも見るようにレッスンの様子を見守るようになっていた留夏子は、悠太郎が記す音符をお団子のようだと評した。初めのうちこそ陽奈子先生は「ちょっとルカ、ここにいたらユウくんの気が散るでしょう」と娘をたしなめたが、「ぼくはちっとも構いませんよ。むしろ背筋が伸びる思いです」と悠太郎が言うので、留夏子の同席は結局そのままになったのである。
そうこうしているうちに、ピアノのほうは左手の練習に移り、両手の練習に移り、レッスンを受け始めて一年経つ頃には、黄色い表紙の『子供のバイエル』下巻に入っていた。悠太郎は全音符から派生する様々な音符の長さを記憶し、ト音記号のみならずヘ音記号の譜面も読めるようになった。バイエル併用の練習曲集として、オレンジ色の表紙も鮮やかな『夢みるピアニスト』も使われ始めた。〈ロング・ロング・アゴー〉という懐かしさを呼び起こす題名の曲が、そのなかにはあった。ドソミソ・ドソミソ・ドソミソ・ドソミソ――左手に出てくる音型を指して陽奈子先生は、「これはアルベルティ・バスというの。イタリアの作曲家ドメニコ・アルベルティが好んで用いたから、そう呼ばれているのよ」と教え、左手の5の指つまり小指で弾くいちばん低い音に、ほかの三つの音が従属するようバランスに注意せねばならないと付け加えた。いちばん低いバスの音は、音楽全体の支えだというのである。「左手の小指がですか?」と悠太郎は驚いたように、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開くと、それから毛深いながら美しい手の指に視線を落とした。「なんだか不思議ですね。左手の小指はいちばん力がなくて弱い指なのに、そんなに重たい役目を負わされるなんて。左手の小指が可哀想です。これは楽器を考え出した人の設計ミスではないのですか?」
悠太郎のこの言葉に陽奈子先生はまた驚いた。そんな疑問を持った子供を、ひとりとして見たことがなかったからである。だがこの子の言うことももっともだ。そこには何かしらの真理がありそうな気がする――。ふと陽奈子先生は聖書の一節を思い出して、切れ長の目を眩しそうに細めた。旧約の詩篇に預言として歌われ、新約の福音書でイエスによって引用され、ついにはその死と復活によって成就されたあの一節のことを、陽奈子先生は悠太郎に語らずにはいられなかった。「ユウくんは隅の親石って聞いたことがある? 聖書に出てくる言葉よ。家を建てる人が役に立たないと思って捨てた石が、新しい建物の土台になったのよ。それは神様がなさった不思議なことなの。ピアノを弾く人の左手の小指って、きっと音楽にとっては隅の親石なんだわ」と陽奈子先生が言うと、悠太郎は睫毛の長い目を伏せながら、「役に立たない、捨てられた石……。そうか、弱いものでも支えることができるんだ、別の世界を」と、自分自身に言い聞かせるかのようであった。あの大地の鼓動のように連打される田園ソナタの深い低音も、左手の小指が弾いていたのだ――。
ソファに座った留夏子はそんな悠太郎を面白そうに見守っていたし、戸外では猛犬バネットが疲れを知らずに吠えまくっていた。広いトウモロコシの畑が風にざわざわ鳴る音を三人は遠くに聞いた。こんな生徒を教えるのは、後にも先にもこれきりかもしれないと陽奈子先生は思った。小手先でもっと上手にピアノを弾ける子はいくらもいるだろう。だがこれほどの精神を持った子には、またと出会えないのではないか――。さて悠太郎は夏休みのその日の日記に、左手の小指と隅の親石のことを書いた。二学期が始まれば、悠太郎たち三年生の担任になった竹内ひろみ先生がそれを読んで、目をぱっちりと見開きながら驚きのあまり白黒させ、この子は去年担任した留夏子にも劣らないかもしれないと思いながら、膨らんだ髪の頭を後ろへ反らすことになるだろう。
またそんな夏休みのある日を悠太郎は、招かれて学芸村にある三池光子さんの家で過ごした。緑濃い葉叢のあいだから青空がのぞく楢林のなかに、その小さな家はあった。そこでは浅間観光を定年退職した背の高い光子さんが、九十歳に近いらしい老母と一緒に暮らしていた。ババさんと呼ばれていたその母親は、真っ白な髪をタンポポの綿毛のように頭に戴き、籐椅子に座って満面の笑みを浮かべていた。アンティークの足踏みミシンが置かれた、木目調の落ち着いた内装の居間で、光子さんは切り分けたスイカとメロンを悠太郎に出してくれた。「ユウちゃんはスイカが好き? それともメロンが好き?」と、艶のある低音の声で光子さんが訊くときの「スイカ」のイントネーションは、いつかの「水仙」と同じく、いちばん高い「ス」の音から流れ落ちるようであった。冷たいスイカの豊かな汁気と、口のなかでとろけるようなメロンの果肉の甘みを、悠太郎は喜びに満ちて味わった。光子さんはひと口大に切ったメロンをフォークに刺し「ほらババさん、召し上がれ」と言って母親に勧めた。甘い果肉を味わったババさんはおもむろに両腕を上げ、やがて白髪頭の上で指先を合わせて大きな丸を作ると、物言わず満面の笑みを浮かべた。
光子さんが「ピアノ」と言うときのイントネーションも「水仙」や「スイカ」と同じであった。「ピ」の音がいちばん高く、そこから流れ落ちるように発音されたのである。「ユウちゃんはピアノのお稽古をしているのよね。どう? ピアノは楽しい? ピアノの先生はどんな人?」と光子さんは、アイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら悠太郎に問うた。悠太郎は二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開きながら、「とても楽しいです。初めは右手だけだったのが、そのうち左手でも弾けるようになって、もう両手で弾き始めました」と嬉しそうに答えた。「バイエルも一曲また一曲と花丸がついて、赤いほうが終わって、もう黄色いほうに入りました。先生はバイエルを一曲も飛ばさずに勉強させるんです。先生はとても素敵な人です。ソルフェージュも聴音も教えてくれます。毎週レッスンの日が待ち遠しいくらいです。家ではおもちゃみたいなキーボードで練習しますが、先生はなるべく本物のピアノに触れるようにと言います。それで明鏡閣の大食堂へ、ピアノを弾かせてもらいに行くんです。とても楽しいです。でも……」
樹々の葉叢が風にさやぐ窓の外で、ふと日が翳ったようであった。遠からぬ枝で鳴いていたカッコウが、やかましく羽ばたいて飛び立った。悠太郎は睫毛の長い目を伏せながら言葉を継いだ。「でも、ぼくはなんだか怖いんです。この幸せは、あまりにも重たいんです。ぼくはきっと恵まれているのでしょう。お祖父様は浅間観光の永久名誉顧問だし、お母様は明鏡閣で働いているから、ぼくはピアノを習わせてもらえるし、大食堂の楽器を使わせてもらえます。それだけじゃありません。家族で行けば、照月湖温泉にだってお金を払わずに入れてもらえます。ぼくは恵まれています。でも誰もが真壁の家の子じゃないんです。もちろん真壁の家の子だからこそ、つらいこともたくさんあります。どこまでが楽しいことでどこからがつらいことなのか、どこまでが幸せでどこからが不幸せなのか、ぼくにはほとんど区別がつかないんです。ただ幸せも不幸せもひっくるめて、ぼくにはあまりにも重たいんです。この重たいものはこれまでにどんどん重たくなってきたし、これからもどんどん重たくなってゆくんです。どこまで支え切れるだろうと思うと、怖くなります。左手の小指が砕けてしまったら、ベートーヴェンの田園ソナタは、どういうことになるでしょう……」
光子さんはアイシャドウの濃い目で、痛ましそうに悠太郎を見た。樹々の葉叢が風にさやぐ音や、蝉の声や夏鳥たちの歌が沈黙を満たしていた。「そうね、たしかにユウちゃんのうちは、よそとはちょっと違うわね。思えばうんと小さな頃から、とても大変そうだったわ」と光子さんは静かに言った。悠太郎が目を上げると、光子さんは棚に置かれた暗い青緑色のブロンズ像を見ていた。真壁の家で靴箱の上に飾ってあるのとよく似た少女の像であった。「兄が常務をやっている浅間観光に、私が務めることになったのも、思えば主人に死に別れたからだわ。昼休みにはみんなしてお茶を飲んだり、煙草を吸ったり麻雀をしたり、まあなんて楽しい職場だったことでしょう。あそこでユウちゃんにも出会えたわけだし。不幸せから幸せを、時間が彫り出してくれたんだわ」と光子さんは思い出をたどるように言った。「私の主人は彫刻家だったけど、よく言っていたわ。芸術家にとっては、禍いも恵みも区別がないんだって。いいことも悪いことも全部ひっくるめて受け取って、この世界への贈り物として形にするんだって。そういう人は、普通の人が思いも及ばないような重荷を背負いながら、普通の人が思いも及ばないような時間をかけて成熟するものなんだって。ユウちゃんは、そういう人かもしれないわね。いずれにせよ時間は必要よ。ユウちゃんに与えられた物事の意味が明らかになるにも、ユウちゃんが力をつけるにも、時間がかかるんだわ。ひとりで背負う重荷が長い時間をかけて、いつかたくさんの人にとっての贈り物になるのよ。恵まれたものはたっぷり受け取って、たっぷり時間をかけて力をつけて、いつかたっぷり与える人になればいいわ。選ばれる人は、ちょっと弱い人なのよ。ユウちゃんはきっと、左手の小指みたいな人ね」
光子さんが話し終えると、樹々の葉叢が風にさやぐ音や、蝉の声や夏鳥たちの歌が満たしている沈黙のなかで、籐椅子に座ったババさんがおもむろに両腕を上げ始めた。光子さんと悠太郎がそちらを見れば、ババさんは白髪頭の上で指先を合わせて大きな丸を作ると、物言わず満面の笑みを浮かべた。その仕草は光子さんの言葉の正しさを保証しているようでもあり、また非常な老齢に達するまで歳月を経てきたひとりの人が、幸せと不幸せで織り成された人生をまるごと肯定する印にも見えた。悠太郎は厳粛でありながら、それでいて笑い出したいような気持ちになった。幸せも不幸せもひっくるめて、すべてはよいのだと思えるまで、悠太郎は生きてみたいと思った。その日のこともまた、竹内ひろみ先生を驚かせるような言葉で日記に書き留められた。
そんなことを思い出しながら悠太郎が、観光ホテル明鏡閣の大食堂のピアノで、何度目にか〈ロング・ロング・アゴー〉を弾き終えたとき、不意にクラッカーの弾ける音がした。驚いて振り向いた悠太郎に、薄黒いサングラスをかけた黒岩サカエさんは「ユウくん、九歳のお誕生日おめでとう!」とお祝いを言った。橋爪進吉さんはゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせながら、「キューサイの青汁! まずい、もう一杯!」と言ってクラッカーを鳴らした。頭を四角く刈り込んだ南塚亮平支配人も、バイク好きの若い林浩一さんも、紫色の三角巾を被ったおロク婆さんも、白い三角巾を被ったおタキ婆さんも、ギョロ目のライサク老人も、次々にクラッカーを爆発させると、縮れたカラフルな紙テープが夢のように緩やかに舞い落ちた。大きな目を見開いて驚く悠太郎に、「なあに、クリスマスパーティーで余った分の在庫処分だよ。去年はちょっと人の集まりが悪かったが、いつまで倉庫に置いといたっておめえ、しけっちまうものを。今年は今年でまた仕入れるだよ」とサカエさんが、七三に分けたふさふさの髪を掻き上げながら言った。実はこれはアイデアおじさんたるサカエさんが思いつき、秀子に黙って同僚たちと示し合わせたことであった。だが秀子は悠太郎よりももっと驚いていた。あろうことかこの悩み多き母親は、ひとり息子の誕生日をすっかり忘れていたのである。
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