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第四章 白詰草の冠
一
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バッタのオートバイが来た! バッタのオートバイが来た! 仮面ライダーBLACKの愛車は、赤い目をした緑のバッタの形のオートバイは、どこから来た? その小さなフィギュアは、新宿の伊勢丹から来た! 東京の田無から、お盆休みに六里ヶ原へ帰省した正子伯母様が、少し早い誕生日プレゼントにと買ってきてくれた! 憧れのオートバイと、大好きな正子伯母様の出現がもたらした二重の喜びに、幼い悠太郎の小さな胸は、はち切れんばかりであった。正子は秀子の三歳年長の姉だが、同じように豊かな黒髪を頭の後ろでお団子にまとめていても、秀子にはあまり似ていないと悠太郎は感じていた。顔の輪郭は秀子のように下膨れではなくすっきりと整っているし、目つきは秀子のように投げやりではなく聡明そうだし、歯並びだって秀子よりよほど美しいし、いちいちの言葉や声の出し方や挙措が洗練されていて知的なのである。薬科大学を出て薬剤師となり、荻窪の病院で働いているだけあって、正子は昔から理数系の科目に強かった。日本史を専攻して教員免許まで取得しながら学校の先生にはならず、激情に駆られて結婚し離婚した秀子とは、まったくの好対照であった。梅子は常日頃からパンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら目を吊り上げて「ウッフフ、出来のいい正子に、出来損ないの秀子!」と口癖のように言っていた。悠太郎にしてみれば、実の母親が貶されるのは気分のよいものではなかったが、そう言わずにはいられない祖母の気持ちも分からないではなかった。
その梅子や秀子はいま夏の繁忙期の真っ盛りとて、観光ホテル明鏡閣から帰宅するのは夜遅くなった。幼稚園が夏休みに入り、祖父の千代次とふたりきりで過ごす気詰まりな時間が長くなった悠太郎にとって、正子の到来は願ってもない救いであった。正子が暮らしている田無のアパートの名前が、第二サンテラスであることを悠太郎は知っていた。万緑輝く夏の六里ヶ原に現れた正子は、悠太郎にとっては太陽の女神にも等しかった。それもバッタのオートバイを贈ってくれたのだ! オートバイのフィギュアを走らせる真似をしながら悠太郎は、黒々と見開いた二重瞼の大きな目を輝かせつつ、このオートバイはライダーがピンチのときに呼べばすぐさま駆けつけてくれることや、悪路での走行能力に秀でていることや、寄生虫に乗っ取られたが正気に戻ったことを夢中で話した。騒音停止期間の学芸村は静かであった。真壁の家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴っていた。正子はそうした話を注意深く聞きながら、悠太郎の子供らしさを否定することなく、随所に科学的な知見を織り込んだ受け答えをしては、母親になったような気持ちで甥を喜ばせた。正子は結婚していたが、子宝に恵まれなかったのである。
正子の夫である森山英久伯父様も、一緒に妻の実家を訪れていた。英久伯父様の父親は、あの水道屋の森山サダム爺さんと従兄弟同士であった。梅子はヒデヒサと発音できず、いつも「ヒデッサ」と言っていたが、このヒデッサ伯父様は航空自衛隊の飛行機乗りであったから、千代次も梅子も優秀な長女の結婚相手として相応しいことを疑っていなかった。もっとも千代次は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、また梅子はパンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら、英久が所属する組織を必ず「空軍」と呼ぶのであった。その飛行機乗りの伯父様は、のっぺりとした顔に人の好さそうな笑いを浮かべながら、イラン・イラク戦争の経過やアフガニスタンの情勢や、殉職自衛官の靖国神社合祀をめぐる最高裁判所の判決や、国連平和維持軍の活動に日本の自衛隊が協力することの是非について、どこか上滑りするような声で千代次と話し合っていた。悠太郎は笑顔の伯父の目許に漂う酷薄さを、どうしても好きになれなかった。
英久との難しい話が一段落した千代次は、悠太郎が楽しそうに弄ぶ玩具を見て、極度に細い近視の目を機嫌よさそうに笑わせた。「オートバイといえば、あれを思い出すのう」と誰にともなく呟く千代次に、正子は洗練された動作でお茶を淹れながら「ああ、浅間牧場のレースのことね?」と応じた。「うっすらと憶えているわ。あれはもうずいぶん昔ね。私がユウちゃんよりちょっと大きいくらいの頃じゃなかったかしら。東京のほうからオートバイをたくさん運んでくるんだって、お祖父様とっても張り切っていたわね」と記憶をたどる正子に、「そうともよ。浅間牧場のサーキットで第一回のクラブマンレースがあったのは、俺が浅間観光に入社したその年でな。増田ケンポウの命令一下、わけも分からずオートバイ運びの手配に右往左往したものよ」と往時を述懐した。英久がのっぺりとした人の好さそうな笑顔で、「でも何だってお義父さんがそんな仕事まで? 浅間牧場のレースと浅間観光はどう結びつくんですか?」と疑問を呈した。千代次は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、「実は俺にも詳しいことはよく分からねえんだ。あんまり昔のことだから、細かいことは忘れっちまった。だがケンポウは工業立国のためなら何でもやる男だった。あのレースはアマチュアライダーの走る喜びのためでもあったが、同時に国産オートバイの性能を高めるちゅう意図もあった。その趣旨に賛同した増田ケンポウが、どうせ豪快な恵比寿顔で大金をポンと出してやって、一枚噛んでいたんだんべえ」と所見を述べた。それから四人はテーブルでお茶を飲みながら、奇妙に不揃いの一家団欒を始めた。悠太郎は木目の美しい円い茶盆を見ながら、いつか秀子に言われたことを思い出していた。あるとき茶盆の円い形に心を惹かれた悠太郎が、高い食器棚の上からそれを取ろうと椅子に登ってよろめいたとき、秀子はぶるぶるとふるえながら物凄い剣幕で「何してるの! 危ないでしょう! 危ないことをすると死んじゃうのよ! 死ねばお墓の下よ!」と叫んだのである。そのことがあって以来、悠太郎はその円い茶盆を密かに「お墓の下」と名づけていた。円い形は魅惑であると同時に、死を思わせるものとなったのである。騒音停止期間の学芸村は静かであった。真壁の家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴るなかで、悠太郎は祖父からかつて六里ヶ原で行なわれたオートレースや、浅間牧場に造られたサーキットの話を聞かされることになった。しかし夏鳥たちは別のことを歌い交わし、蝉たちは今を限りと鳴きしきっていた。
そもそもこの六里ヶ原で、第一回浅間高原レースが開催されたのは、秀子が生まれた一九五五年、冷蔵庫と洗濯機とテレビが三種の神器として流行した頃のことであったという。国産自動二輪車の技術向上と輸出振興を旗印に掲げた画期的な催しではあったが、いかんせん国内には専用のサーキットもテストコースもなかったものだから、やむなく一般公道を封鎖して行なうことになった。北軽井沢の交差点から、国道を三百メートルほど南に下ったあたりをスタート地点に、軽井沢方面へとさらに南下し浅間牧場を走り抜け、また国道を北上して奇岩累々たる鬼押出しの方面へと西進し、北軽井沢市街地の北西の外れに出て、また国道に戻る一周十九キロ余りのコースであったというが、千代次がこの地方と関わりを持つ以前のことゆえ、後から伝え聞いたことしか知らないという。だが一万人近い観衆を集めながら、レースタイムは未発表という結果に終わったことを、千代次は極度に細い近視の目をしばたたきながら残念そうに話した。一般公道でスピード違反の速度を競うことなど、当局が許すはずもなかったのである。ヒデッサ伯父様はのっぺりとした顔に人の好さそうな笑いを浮かべながら、「お上というのは頭が固くて、融通がきかないものですよ」と言ったが、国家権力の意を体する自衛官でありながら、そんなことを言うのが悠太郎にはおかしかった。ともあれ大いに注目を集めたこのレースで勝ったメーカーは売り上げを伸ばし、負けたメーカーは失敗を教訓として製品改良に励んだのみならず、業界団体は社会的責任も考慮して、日本初の本格的サーキットである浅間高原自動車テストコースを、浅間牧場内に建設することを決断したのである。
火山灰地の土壌を整地して固めた一周九キロ余りのダートサーキットが、六里ヶ原を取り巻く山々をぐるりと見晴るかす標高千三百メートルの浅間牧場に完成し、第二回浅間高原レース改め浅間火山レースが盛大に開催されたのは、一九五七年のことであった。日本経済の浮き沈みが激しく、バイクメーカーの経営も安定しない時代のこととて、企業戦争としてのレースを毎年のように開催することは困難であった。そこでレースの主体はアマチュアライダーたちに移った。レースへの出場を望むライダーたちを集め、バイク愛好家と業界の双方に利益を還元しようと考えた人がいたのだという。そうした趣旨で開催されたのが第一回のクラブマンレースで、千代次が浅間観光に入社した一九五八年のことであった。八月下旬のレース当日には台風が本土を直撃し、浅間北麓も暴風雨に見舞われたが、全国各地から集結した熱意あるクラブマンたちにとっては、中止など考えられなかった。二万人もの観衆が見守るなか、四十五チームの選手団が掲げる色とりどりのクラブ旗が嵐に激しくはためき、いくつものアドバルーンは大揺れに揺れていた。泥の海と化した火山灰地のダートサーキットを、黒ずくめの革ツナギに身を包んだライダーたちが搭乗する百台超のオートバイが、盛大に泥飛沫を上げながら疾走した。「あの台風の年に目覚ましかったのは、何とかちゅう十八歳かそこらの若者だったぞ。三分前にスタートした五〇〇ccの連中を、次から次へと追い抜いた三五〇ccのあのオートバイは、たしかゴールドスターちゅうやつだった」と千代次は極度に細い近視の目をしばたたきながら、湯呑みからお茶を飲み飲み、思い出し思い出し話した。悠太郎は二重瞼の物問いたげな目を夢見るように見開きながら、「ゴールドスター……黄金の星……嵐のなかの黄金の星……」と口にした。それを聞いた正子は、一瞬驚きに目を瞠った。幼い甥に早くも現れている語学力と詩的感受性の片鱗を、正子は妹のかつての結婚相手と結びつけて考えずにはいられなかった。この子の父親は、かつて短い期間とはいえ外務省に勤めていたのだ。そのまた父親は売れない文筆家として、不遇を託っていたというではないか――。だが悠太郎は、暴風雨のなか泥の海をオートバイで疾駆するヒーローを想像しながら、全身黒ずくめのライダーが現実の六里ヶ原にいたことの意味を考えていた。千代次が《仮面ライダーBLACK》に難癖をつけて視聴をやめさせることをしないのは、もしかすると浅間牧場のレースの思い出ゆえかもしれなかった。
その浅間牧場のサーキットが全盛を迎えたのは、翌一九五九年のことであった。この年はアマチュアライダー最大の祭典であるクラブマンレースの第二回と、メーカー対抗の行事である浅間火山レースの第三回が共催となったから、その盛り上がりたるや前年までとは比較にならなかった。前年と同じく八月下旬の、しかし前年とは打って変わった晴天のもとで三日間にわたって開催されたレースは、七万人もの観衆を集めたという。はや秋めき始めた青空の下には、前年よりもいっそう多くのクラブ旗が、眩しい光を受けて色とりどりに輝きながら、爽やかな風にはためいていた。県警のブラスバンドが勇壮な音楽を吹き鳴らすなかを、三百名を超える選手たちが入場した。火山灰土の砂埃を濛々と巻き上げながら、様々な排気量のオートバイが、次々と緑の牧場を疾走した。しかし爆音や大歓声もどこ吹く風とススキの穂波は白く静かに揺れ、山々は泰然としてあるべきところにあり続けていた。そしてレースファンたちが残した「来年また浅間で会おう」という合言葉は、それきり叶えられることはなかった。浅間牧場のサーキットでレースが行なわれることは、もはやなかったのである。マシンのスピードアップに伴う安全上の懸念から、ダートサーキットの借用が不可能になったというのが表向きの理由であったが、大観衆を高原に動員するモータースポーツの祭典を、一般のマスメディアが必ずしも好意的に取り上げなかったことも影響したという。さらに千代次は極度に細い近視の目で、そのまた裏の事情をも見抜かずにはいなかった。「学芸村の連中だよ。古株の村民どもが文句を垂れおったんだ。オートバイの音がうるせえ、うるせえってな。そりゃあ自分たちはいいさ。普段は東京あたりの大学ででも教えるか本でも書くかして、夏のあいだは涼みがてらこの六里ヶ原の別荘で、静かに過ごせりゃあいいんだからな。だが俺たちは一年じゅうここで暮らすんだ。ここにはここのいろいろな人間の生活があるんだ。工業だって観光だって盛んにしなけりゃあ、やってられねえ。それを何だあの連中は、やれオートバイがうるせえの、キャンプファイアーがうるせえの、ボート場がうるせえのと、お高くとまって文句ばかり垂れやがる。今だって騒音停止期間だから、芝刈り機のエンジンだって動かすことは許されねえ。まったく何だっちゅうんだ偉そうに。そもそも枢密顧問官の家が財政難で傾いたとき、増田ケンポウが土地を買ってやらなけりゃあ、学芸村だって瓦解していてもおかしくなかったんだ。それをあの連中め、なんちゅう忘恩だ。なんちゅう忘恩だ……」と千代次は顔を苦渋に歪めるのであった。
静かな家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴り、歌い交わす鳥たちのさえずりや鳴きしきる蝉の声が、一段と高まったように聞こえた。祖父の不機嫌を恐れた悠太郎は、睫毛の長い目を伏せてオートバイのフィギュアを見つめていた。そんな悠太郎を、正子は聡明な目で気遣わしげに見守っていた。ややあって千代次は思い出したように「そうだユウ、空軍の伯父様にあの歌をうたって聞かせろ」と命じた。千代次が言うのは飛行機「命倍」増産の歌に違いなかった。軍事工業の新聞社が作らせた増田ケンポウゆかりの歌を聞いて、不機嫌を散じようというのであろう。悠太郎は気が進まなかったが、祖父に逆らえばまたどんな目に遭わされるか知れなかったから、バッタのオートバイよ力を貸してくれと心に念じてお茶で喉を潤すと、椅子から立って姿勢を正し、深々と息を吸い込んで、か細くはあるがよく澄んだボーイソプラノの声で歌った。
正子は悠太郎の歌のうまさに一瞬また目を瞠ったが、幼稚園児にこのような歌を教え込んで歌わせることに疑問を感じた。悠太郎の純粋で優しい心根が、粗暴な軍歌によって踏みにじられてしまうことを案じたのである。そしてヒデッサ伯父様は、のっぺり顔の目許に酷薄さを漂わせたまま表情ひとつ変えることなく、悠太郎の奮闘にひと言の感想もなかった。この人に子供がいなくてよかったのかもしれないと、悠太郎は思わずにいられなかった。ともあれ千代次の機嫌はいくらか直ったようであった。「敗戦からこの八月で四十三年だ。たったこれだけの年月のあいだに、焼け野原だった日本がこれほどの復興を遂げようとはのう。この景気のよさはどうだ。この豊かさはどうだ。増田ケンポウや俺たちの働きが、無駄でなかったちゅうことさな」と千代次は極度に細い目に笑いを取り戻した。
千代次の機嫌が好転したのを見て取った正子は、かねて考えていた意見をここぞとばかり父親に具申した。「例の件ですけどね、大丈夫ですよお祖父様、心配は要りません。ユウちゃんには優れた資質がありますよ。その資質を早く伸ばそうと焦るお祖父様の気持ちも分からないではないけれど、むしろあまり特別なことをしないほうがいいんじゃないかしら。優れたものはどこにいたって、きっと現れて輝かずにはいません。台風のなかでゴールドスターが抜きん出るようなものだわ。急がば回れの諺もあります。のどかなこの六里ヶ原でゆっくりと育ったほうが、結局は近道ということになりますよ。きっといつかはよそへ行かなければならないんですから、広々としたふるさとの思い出を心に深く持たせてあげることが、何より将来への備えになるはずです」と話す出来のよい長女の言葉に、千代次は少なからず動かされたようであった。たしかに正子だってこの高原で育ったのだ。熊川のほとりの浅間観光ホテル別館から、誰もが通う小学校や中学校へ通ったのだ。北軽井沢市街地や開拓集落の子供たちと一緒に、バレーボールなどやっていたのだ。それでも渋川の女子高校から薬科大学に合格して、薬剤師になれたではないか。幼少期に特別な英才教育など施してはいなくても、空軍の亭主に嫁ぐほどの立派な者になれたではないか――。千代次は細い目をしばたたきながらそうした事実を思い起こして、正子の意見をもっともだと考えようとした。しかし出来損ないの次女はどうなのだという思いが、再び千代次を疑念の泥の海へと突き返さずにはおかなかった。バレーボールと卓球の違いこそあれ、進学先の高校まで次女は長女と同じ道を歩んだはずではないか。それがどうしてこんなことになったのか。この失敗を教訓として、悠太郎にはやはり特別な手を打っておくべきではないのか。男子に恵まれなかった俺の家に、思いも寄らず現れた跡取りたるべき唯一の孫は、しかし父方に禍々しい血を引いている。この孫が吉と出るか凶と出るかは、皆目見当がつかない。唐松の樹は幹が伸びれば、下枝は枯れ落ちてゆく。俺という枝が落ちた後にもこの真壁の家が伸びてゆくために、この愚図な孫は果たして役立ってくれるのか? いや、是が非でも役立てなければならない。なぜなら俺にはほかに手駒がないからだ。今さら廃嫡して養子を迎えるなど、世間体が悪すぎる。武田信玄の時代でもあるまいにと陰口を叩かれるに決まっている。忌々しい孫でも孫は孫なのだ。何とかしなければならない。何とかしなければならない――。
千代次はうつむいて黙り込み考え込み、家と庭を取り巻く緑の樹々は明るい夏の午後の風にさわさわと鳴り、鳥たちのさえずりや蝉の声は響き続けた。正子はこの高原で過ごした日々を懐かしみながら、いま弱い立場にある幼い甥から、平穏が奪い去られることがないようにと願っていた。ヒデッサ伯父様は甥にあまり関わり合いたくなかったから、正子の言う「例の件」とやらが、自分に厄介をもたらさないように落着すればそれでよいと考えていた。正子の言葉を聞いた悠太郎は、ひょっとすると夏休みが終わっても、あの幼稚園にまた戻れるかもしれないと一縷の望みを抱きながら、夏休み前に起こったことを思い出していた。とりわけ浅間牧場のサーキットの話は、同じその牧場で悠太郎が見たことを思い起こさせずにはおかなかった。
その梅子や秀子はいま夏の繁忙期の真っ盛りとて、観光ホテル明鏡閣から帰宅するのは夜遅くなった。幼稚園が夏休みに入り、祖父の千代次とふたりきりで過ごす気詰まりな時間が長くなった悠太郎にとって、正子の到来は願ってもない救いであった。正子が暮らしている田無のアパートの名前が、第二サンテラスであることを悠太郎は知っていた。万緑輝く夏の六里ヶ原に現れた正子は、悠太郎にとっては太陽の女神にも等しかった。それもバッタのオートバイを贈ってくれたのだ! オートバイのフィギュアを走らせる真似をしながら悠太郎は、黒々と見開いた二重瞼の大きな目を輝かせつつ、このオートバイはライダーがピンチのときに呼べばすぐさま駆けつけてくれることや、悪路での走行能力に秀でていることや、寄生虫に乗っ取られたが正気に戻ったことを夢中で話した。騒音停止期間の学芸村は静かであった。真壁の家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴っていた。正子はそうした話を注意深く聞きながら、悠太郎の子供らしさを否定することなく、随所に科学的な知見を織り込んだ受け答えをしては、母親になったような気持ちで甥を喜ばせた。正子は結婚していたが、子宝に恵まれなかったのである。
正子の夫である森山英久伯父様も、一緒に妻の実家を訪れていた。英久伯父様の父親は、あの水道屋の森山サダム爺さんと従兄弟同士であった。梅子はヒデヒサと発音できず、いつも「ヒデッサ」と言っていたが、このヒデッサ伯父様は航空自衛隊の飛行機乗りであったから、千代次も梅子も優秀な長女の結婚相手として相応しいことを疑っていなかった。もっとも千代次は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、また梅子はパンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら、英久が所属する組織を必ず「空軍」と呼ぶのであった。その飛行機乗りの伯父様は、のっぺりとした顔に人の好さそうな笑いを浮かべながら、イラン・イラク戦争の経過やアフガニスタンの情勢や、殉職自衛官の靖国神社合祀をめぐる最高裁判所の判決や、国連平和維持軍の活動に日本の自衛隊が協力することの是非について、どこか上滑りするような声で千代次と話し合っていた。悠太郎は笑顔の伯父の目許に漂う酷薄さを、どうしても好きになれなかった。
英久との難しい話が一段落した千代次は、悠太郎が楽しそうに弄ぶ玩具を見て、極度に細い近視の目を機嫌よさそうに笑わせた。「オートバイといえば、あれを思い出すのう」と誰にともなく呟く千代次に、正子は洗練された動作でお茶を淹れながら「ああ、浅間牧場のレースのことね?」と応じた。「うっすらと憶えているわ。あれはもうずいぶん昔ね。私がユウちゃんよりちょっと大きいくらいの頃じゃなかったかしら。東京のほうからオートバイをたくさん運んでくるんだって、お祖父様とっても張り切っていたわね」と記憶をたどる正子に、「そうともよ。浅間牧場のサーキットで第一回のクラブマンレースがあったのは、俺が浅間観光に入社したその年でな。増田ケンポウの命令一下、わけも分からずオートバイ運びの手配に右往左往したものよ」と往時を述懐した。英久がのっぺりとした人の好さそうな笑顔で、「でも何だってお義父さんがそんな仕事まで? 浅間牧場のレースと浅間観光はどう結びつくんですか?」と疑問を呈した。千代次は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、「実は俺にも詳しいことはよく分からねえんだ。あんまり昔のことだから、細かいことは忘れっちまった。だがケンポウは工業立国のためなら何でもやる男だった。あのレースはアマチュアライダーの走る喜びのためでもあったが、同時に国産オートバイの性能を高めるちゅう意図もあった。その趣旨に賛同した増田ケンポウが、どうせ豪快な恵比寿顔で大金をポンと出してやって、一枚噛んでいたんだんべえ」と所見を述べた。それから四人はテーブルでお茶を飲みながら、奇妙に不揃いの一家団欒を始めた。悠太郎は木目の美しい円い茶盆を見ながら、いつか秀子に言われたことを思い出していた。あるとき茶盆の円い形に心を惹かれた悠太郎が、高い食器棚の上からそれを取ろうと椅子に登ってよろめいたとき、秀子はぶるぶるとふるえながら物凄い剣幕で「何してるの! 危ないでしょう! 危ないことをすると死んじゃうのよ! 死ねばお墓の下よ!」と叫んだのである。そのことがあって以来、悠太郎はその円い茶盆を密かに「お墓の下」と名づけていた。円い形は魅惑であると同時に、死を思わせるものとなったのである。騒音停止期間の学芸村は静かであった。真壁の家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴るなかで、悠太郎は祖父からかつて六里ヶ原で行なわれたオートレースや、浅間牧場に造られたサーキットの話を聞かされることになった。しかし夏鳥たちは別のことを歌い交わし、蝉たちは今を限りと鳴きしきっていた。
そもそもこの六里ヶ原で、第一回浅間高原レースが開催されたのは、秀子が生まれた一九五五年、冷蔵庫と洗濯機とテレビが三種の神器として流行した頃のことであったという。国産自動二輪車の技術向上と輸出振興を旗印に掲げた画期的な催しではあったが、いかんせん国内には専用のサーキットもテストコースもなかったものだから、やむなく一般公道を封鎖して行なうことになった。北軽井沢の交差点から、国道を三百メートルほど南に下ったあたりをスタート地点に、軽井沢方面へとさらに南下し浅間牧場を走り抜け、また国道を北上して奇岩累々たる鬼押出しの方面へと西進し、北軽井沢市街地の北西の外れに出て、また国道に戻る一周十九キロ余りのコースであったというが、千代次がこの地方と関わりを持つ以前のことゆえ、後から伝え聞いたことしか知らないという。だが一万人近い観衆を集めながら、レースタイムは未発表という結果に終わったことを、千代次は極度に細い近視の目をしばたたきながら残念そうに話した。一般公道でスピード違反の速度を競うことなど、当局が許すはずもなかったのである。ヒデッサ伯父様はのっぺりとした顔に人の好さそうな笑いを浮かべながら、「お上というのは頭が固くて、融通がきかないものですよ」と言ったが、国家権力の意を体する自衛官でありながら、そんなことを言うのが悠太郎にはおかしかった。ともあれ大いに注目を集めたこのレースで勝ったメーカーは売り上げを伸ばし、負けたメーカーは失敗を教訓として製品改良に励んだのみならず、業界団体は社会的責任も考慮して、日本初の本格的サーキットである浅間高原自動車テストコースを、浅間牧場内に建設することを決断したのである。
火山灰地の土壌を整地して固めた一周九キロ余りのダートサーキットが、六里ヶ原を取り巻く山々をぐるりと見晴るかす標高千三百メートルの浅間牧場に完成し、第二回浅間高原レース改め浅間火山レースが盛大に開催されたのは、一九五七年のことであった。日本経済の浮き沈みが激しく、バイクメーカーの経営も安定しない時代のこととて、企業戦争としてのレースを毎年のように開催することは困難であった。そこでレースの主体はアマチュアライダーたちに移った。レースへの出場を望むライダーたちを集め、バイク愛好家と業界の双方に利益を還元しようと考えた人がいたのだという。そうした趣旨で開催されたのが第一回のクラブマンレースで、千代次が浅間観光に入社した一九五八年のことであった。八月下旬のレース当日には台風が本土を直撃し、浅間北麓も暴風雨に見舞われたが、全国各地から集結した熱意あるクラブマンたちにとっては、中止など考えられなかった。二万人もの観衆が見守るなか、四十五チームの選手団が掲げる色とりどりのクラブ旗が嵐に激しくはためき、いくつものアドバルーンは大揺れに揺れていた。泥の海と化した火山灰地のダートサーキットを、黒ずくめの革ツナギに身を包んだライダーたちが搭乗する百台超のオートバイが、盛大に泥飛沫を上げながら疾走した。「あの台風の年に目覚ましかったのは、何とかちゅう十八歳かそこらの若者だったぞ。三分前にスタートした五〇〇ccの連中を、次から次へと追い抜いた三五〇ccのあのオートバイは、たしかゴールドスターちゅうやつだった」と千代次は極度に細い近視の目をしばたたきながら、湯呑みからお茶を飲み飲み、思い出し思い出し話した。悠太郎は二重瞼の物問いたげな目を夢見るように見開きながら、「ゴールドスター……黄金の星……嵐のなかの黄金の星……」と口にした。それを聞いた正子は、一瞬驚きに目を瞠った。幼い甥に早くも現れている語学力と詩的感受性の片鱗を、正子は妹のかつての結婚相手と結びつけて考えずにはいられなかった。この子の父親は、かつて短い期間とはいえ外務省に勤めていたのだ。そのまた父親は売れない文筆家として、不遇を託っていたというではないか――。だが悠太郎は、暴風雨のなか泥の海をオートバイで疾駆するヒーローを想像しながら、全身黒ずくめのライダーが現実の六里ヶ原にいたことの意味を考えていた。千代次が《仮面ライダーBLACK》に難癖をつけて視聴をやめさせることをしないのは、もしかすると浅間牧場のレースの思い出ゆえかもしれなかった。
その浅間牧場のサーキットが全盛を迎えたのは、翌一九五九年のことであった。この年はアマチュアライダー最大の祭典であるクラブマンレースの第二回と、メーカー対抗の行事である浅間火山レースの第三回が共催となったから、その盛り上がりたるや前年までとは比較にならなかった。前年と同じく八月下旬の、しかし前年とは打って変わった晴天のもとで三日間にわたって開催されたレースは、七万人もの観衆を集めたという。はや秋めき始めた青空の下には、前年よりもいっそう多くのクラブ旗が、眩しい光を受けて色とりどりに輝きながら、爽やかな風にはためいていた。県警のブラスバンドが勇壮な音楽を吹き鳴らすなかを、三百名を超える選手たちが入場した。火山灰土の砂埃を濛々と巻き上げながら、様々な排気量のオートバイが、次々と緑の牧場を疾走した。しかし爆音や大歓声もどこ吹く風とススキの穂波は白く静かに揺れ、山々は泰然としてあるべきところにあり続けていた。そしてレースファンたちが残した「来年また浅間で会おう」という合言葉は、それきり叶えられることはなかった。浅間牧場のサーキットでレースが行なわれることは、もはやなかったのである。マシンのスピードアップに伴う安全上の懸念から、ダートサーキットの借用が不可能になったというのが表向きの理由であったが、大観衆を高原に動員するモータースポーツの祭典を、一般のマスメディアが必ずしも好意的に取り上げなかったことも影響したという。さらに千代次は極度に細い近視の目で、そのまた裏の事情をも見抜かずにはいなかった。「学芸村の連中だよ。古株の村民どもが文句を垂れおったんだ。オートバイの音がうるせえ、うるせえってな。そりゃあ自分たちはいいさ。普段は東京あたりの大学ででも教えるか本でも書くかして、夏のあいだは涼みがてらこの六里ヶ原の別荘で、静かに過ごせりゃあいいんだからな。だが俺たちは一年じゅうここで暮らすんだ。ここにはここのいろいろな人間の生活があるんだ。工業だって観光だって盛んにしなけりゃあ、やってられねえ。それを何だあの連中は、やれオートバイがうるせえの、キャンプファイアーがうるせえの、ボート場がうるせえのと、お高くとまって文句ばかり垂れやがる。今だって騒音停止期間だから、芝刈り機のエンジンだって動かすことは許されねえ。まったく何だっちゅうんだ偉そうに。そもそも枢密顧問官の家が財政難で傾いたとき、増田ケンポウが土地を買ってやらなけりゃあ、学芸村だって瓦解していてもおかしくなかったんだ。それをあの連中め、なんちゅう忘恩だ。なんちゅう忘恩だ……」と千代次は顔を苦渋に歪めるのであった。
静かな家と庭を取り巻く鬱蒼たる緑の樹々が、明るい夏の午後の風にさわさわと鳴り、歌い交わす鳥たちのさえずりや鳴きしきる蝉の声が、一段と高まったように聞こえた。祖父の不機嫌を恐れた悠太郎は、睫毛の長い目を伏せてオートバイのフィギュアを見つめていた。そんな悠太郎を、正子は聡明な目で気遣わしげに見守っていた。ややあって千代次は思い出したように「そうだユウ、空軍の伯父様にあの歌をうたって聞かせろ」と命じた。千代次が言うのは飛行機「命倍」増産の歌に違いなかった。軍事工業の新聞社が作らせた増田ケンポウゆかりの歌を聞いて、不機嫌を散じようというのであろう。悠太郎は気が進まなかったが、祖父に逆らえばまたどんな目に遭わされるか知れなかったから、バッタのオートバイよ力を貸してくれと心に念じてお茶で喉を潤すと、椅子から立って姿勢を正し、深々と息を吸い込んで、か細くはあるがよく澄んだボーイソプラノの声で歌った。
正子は悠太郎の歌のうまさに一瞬また目を瞠ったが、幼稚園児にこのような歌を教え込んで歌わせることに疑問を感じた。悠太郎の純粋で優しい心根が、粗暴な軍歌によって踏みにじられてしまうことを案じたのである。そしてヒデッサ伯父様は、のっぺり顔の目許に酷薄さを漂わせたまま表情ひとつ変えることなく、悠太郎の奮闘にひと言の感想もなかった。この人に子供がいなくてよかったのかもしれないと、悠太郎は思わずにいられなかった。ともあれ千代次の機嫌はいくらか直ったようであった。「敗戦からこの八月で四十三年だ。たったこれだけの年月のあいだに、焼け野原だった日本がこれほどの復興を遂げようとはのう。この景気のよさはどうだ。この豊かさはどうだ。増田ケンポウや俺たちの働きが、無駄でなかったちゅうことさな」と千代次は極度に細い目に笑いを取り戻した。
千代次の機嫌が好転したのを見て取った正子は、かねて考えていた意見をここぞとばかり父親に具申した。「例の件ですけどね、大丈夫ですよお祖父様、心配は要りません。ユウちゃんには優れた資質がありますよ。その資質を早く伸ばそうと焦るお祖父様の気持ちも分からないではないけれど、むしろあまり特別なことをしないほうがいいんじゃないかしら。優れたものはどこにいたって、きっと現れて輝かずにはいません。台風のなかでゴールドスターが抜きん出るようなものだわ。急がば回れの諺もあります。のどかなこの六里ヶ原でゆっくりと育ったほうが、結局は近道ということになりますよ。きっといつかはよそへ行かなければならないんですから、広々としたふるさとの思い出を心に深く持たせてあげることが、何より将来への備えになるはずです」と話す出来のよい長女の言葉に、千代次は少なからず動かされたようであった。たしかに正子だってこの高原で育ったのだ。熊川のほとりの浅間観光ホテル別館から、誰もが通う小学校や中学校へ通ったのだ。北軽井沢市街地や開拓集落の子供たちと一緒に、バレーボールなどやっていたのだ。それでも渋川の女子高校から薬科大学に合格して、薬剤師になれたではないか。幼少期に特別な英才教育など施してはいなくても、空軍の亭主に嫁ぐほどの立派な者になれたではないか――。千代次は細い目をしばたたきながらそうした事実を思い起こして、正子の意見をもっともだと考えようとした。しかし出来損ないの次女はどうなのだという思いが、再び千代次を疑念の泥の海へと突き返さずにはおかなかった。バレーボールと卓球の違いこそあれ、進学先の高校まで次女は長女と同じ道を歩んだはずではないか。それがどうしてこんなことになったのか。この失敗を教訓として、悠太郎にはやはり特別な手を打っておくべきではないのか。男子に恵まれなかった俺の家に、思いも寄らず現れた跡取りたるべき唯一の孫は、しかし父方に禍々しい血を引いている。この孫が吉と出るか凶と出るかは、皆目見当がつかない。唐松の樹は幹が伸びれば、下枝は枯れ落ちてゆく。俺という枝が落ちた後にもこの真壁の家が伸びてゆくために、この愚図な孫は果たして役立ってくれるのか? いや、是が非でも役立てなければならない。なぜなら俺にはほかに手駒がないからだ。今さら廃嫡して養子を迎えるなど、世間体が悪すぎる。武田信玄の時代でもあるまいにと陰口を叩かれるに決まっている。忌々しい孫でも孫は孫なのだ。何とかしなければならない。何とかしなければならない――。
千代次はうつむいて黙り込み考え込み、家と庭を取り巻く緑の樹々は明るい夏の午後の風にさわさわと鳴り、鳥たちのさえずりや蝉の声は響き続けた。正子はこの高原で過ごした日々を懐かしみながら、いま弱い立場にある幼い甥から、平穏が奪い去られることがないようにと願っていた。ヒデッサ伯父様は甥にあまり関わり合いたくなかったから、正子の言う「例の件」とやらが、自分に厄介をもたらさないように落着すればそれでよいと考えていた。正子の言葉を聞いた悠太郎は、ひょっとすると夏休みが終わっても、あの幼稚園にまた戻れるかもしれないと一縷の望みを抱きながら、夏休み前に起こったことを思い出していた。とりわけ浅間牧場のサーキットの話は、同じその牧場で悠太郎が見たことを思い起こさせずにはおかなかった。
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