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第二章 四季折々の花
一
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教育って何だろう? 同年輩の子供たちを掻き集めて、ひとつの施設にぶち込んで、ぼくみたいな弱い子をぐちゃぐちゃに潰してしまうことが、つまり教育なのだろうか――? 一九八八年の四月に入園した幼稚園は、悠太郎にとってそういう場所であった。それにしてもこの六里ヶ原のいったいどこから、こんなにたくさんの幼稚園児たちが湧いて出たのだろう? 大屋原第三集落の神川直矢くんと出会ったあの日、うすうすは予感したことであったが、薄灰色の園児服のスモックを身に着け、黒いリボンをぐるりと巻いた麦わら帽子を被った園児たちには、やはり悠太郎の言葉はほとんど通じなかった。入園に先立って悠太郎は家族の者から、完璧な敬語を徹底的に叩き込まれていた。「ウッフフ、よその子たちと話すときはねえ、お上品に話すだよ。まわりの奴等に差をつけろ! 先生どもをたまがせ!」と祖母の梅子は、パンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら目を吊り上げて指導したが、ところで梅子はたまげさせることを「たまがす」と言うのであった。しかしこの教えを忠実に守った悠太郎は、たしかに先生方を「たまがす」ことには成功したものの、園児たちからは嘲笑の的にされただけであった。
悠太郎は北軽井沢の駅から――駅といっても草津と軽井沢を結んでいた、カブトムシの角のようなパンタグラフを押し立てた軽便鉄道が廃線となって以来、ただの広いバス停と化していた北軽井沢の駅から草軽バスに乗り込んで、北軽井沢地域から国道を北上し、つまりその分浅間山から遠ざかって、鷹繋山や浅間隠の連山を東に、白根山や四阿山を遥か北西に見渡しながら応桑地域の幼稚園へ通うのだが、そのバスの車内の騒々しさは、悠太郎に眩しい湖の乱反射を思わせた。直矢をはじめ大屋原集落の子供たちは北軽井沢駅からバスに乗らず、家族に送られて別の道を幼稚園まで直行したほうが近かった。北軽井沢の駅については、券売所と待合室を兼ねた簡素な建物があるにはあって、園児たちは毎月ここで乗車のための定期券を買ってもらうのだが、みんなが一様に定期券のことを「定期」と略すのが、悠太郎にはひどく不快であった。それはみんなが歯磨き粉のことを「歯磨き」と略すのを聞いても同様であった。すぐ近くの麗峰というスナックは、信州の善光寺を模した屋根を持つ、和洋折衷様式の立派な建物であるが、これこそ草軽電鉄時代の北軽井沢の駅舎だったのである。しかしそんな歴史など、悠太郎をはじめとする幼稚園児たちの知ったことではなかった。
北軽井沢駅から乗車するのは、例えば栗平の芹沢カイくんで、彼は悠太郎と同じ月に同じ産婦人科医院で二日だけ早く生まれた。カイは草軽バスの整備士の息子であったが未熟児として誕生し、保育器のなかで生死の境をさまよった。カイの母親は富山訛りの独特なイントネーションで「私が悪かったんだよ。私が悪かったんだよ」と同じ病室で泣いていたと、悠太郎は母の秀子から聞いていた。しかしカイは一命を取り留め、園児たちの誰より身長が低かったとはいえ旺盛な活動力を示し、雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせながら、園庭にある白い滑り台のドームや、お山と呼ばれる高台に生えている樹々に、身も軽くするすると登った。麦わら帽子の顎のゴムを口にくわえたり、手足を力ませ関節を奇矯な格好に曲げたりするようなとぼけた真似をしても、カイの目許には静かな知性がいつも光っていた。鍵盤ハーモニカに白いホースで息をふうふう吹き込みながら、ファミコンとかいうものの《スーパーマリオブラザーズ》の音楽を再現しようと、ああでもないこうでもないと白や黒の鍵盤を押してみるときや、野鳥の声を聞き分けようと耳を澄ませるときには、カイの目はいっそう注意深く光った。
開拓の子では甘楽集落の戸井田一輝くんも、国道沿いの甘楽のバス停より北軽井沢駅のほうが家から近かったので、そこからバスに乗った。むっちりと発育のよい体つきをしたカズくんは、いくらか鳥の嘴めいた上唇をからかわれて大泣きすることもあったが、それでも総じて見れば健康的に笑い転げる元気な子であった。指しゃぶりの癖とシイタケ嫌いは克服するのにいくらかの時間を要したが、後々に禍根を残すような問題ではなかった。ところが死ということについては、一輝は早くからちょっと進んだ感じ方を持っていた。一輝はマリオが非命に斃れるときの音楽を、しきりとカイに鍵盤ハーモニカで再現させようとした。それがどうやらうまくいったときには、カズくんは哀れなマリオの死を悼んで抱腹絶倒するのであった。
四つの厳めしい石碑がある甘楽のバス停から乗車する同級生で、とりわけ悠太郎に強い印象を残したのは、同じく開拓の子で甘楽第二集落の金谷涼子ちゃんであった。豪胆な涼子はお化けなど少しも怖くなかったから、ましてや人間の幼児たちなど恐れるに足りなかった。林檎のように赤い頬を膨らませ、黒曜石のように光る黒目がちな目で睨み据えながら腰に両手を当ててみせれば、乱暴な男の子たちもその堂々たる存在感に圧倒されて、ちょっかいが出せなくなるのであった。涼子ちゃんは畑の土から掘り起こしたミミズを平気でつまみ上げたり、作物の葉にたかるアブラムシを情け容赦なく片端から潰したりしては、嬉々として笑っているという噂であった。
やがてバスが牛乳工場のあるミルク村や、自動車店や地蔵川を通り過ぎて応桑地域に入ると、これも頼朝の伝説にちなむ地名である御所平のバス停から、獣医の息子の大柴映二くんが乗車してくる。彼の目は細長く、口のまわりにはしばしばコップを吸い着けて円い跡を拵えていたが、その口から出る言葉の発音にはやや難があった。靴のことを「くちゅ」と発音する映二は、不慣れな環境に投げ込まれていっそう気弱になっている悠太郎を嘲るのに「弱いくせに! 弱いくせに!」と言いたいのだが、「よわいくしぇに! よわいくしぇに!」としか言えないのであった。完璧な敬語を明瞭かつ物静かに話せる悠太郎に、どうやら映二は強い敵意を持っているらしかった。
これらの園児たちは、悠太郎の同級生となった年少組のほんの一部である。一級上の年長組も加わるのだから、バスの車内の騒々しさといったらひどいものであった。園児たちの話し声があまりうるさくなるようなとき、強面の運転手のダイちゃんは、「おいおまえら、静かにしろ! さもなきゃ応桑の幼稚園を通り越して、中央幼稚園へ連れてっちまうぞ!」と一喝するのだが、すると今度は中央幼稚園を恐怖する叫び声が車内に溢れ返るばかりだったので、沈静化の効果はほぼ皆無であった。しかし悠太郎だけはほとんど誰とも話をすることなく、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開きながら、車窓の外を流れてゆく景色を眺めては、しきりと物思いに耽っていた。中学校に近づけば幼稚園までもうすぐなのだが、その手前に農業協同組合が出している「美容と健康のために牛乳を」という大きな看板があった。その上部に描かれた牛の絵を囲んで「Health & Beauty MILK」と書かれていた。あの漢字は何と読むのだろう。あの英語はどういう意味なのだろう――。悠太郎が考えていたのは、例えばそうしたことであった。
幼稚園に着いてから過ごす時間も、初めは悠太郎にとって全然楽しいものではなかった。砂場で山を築いたり崩したり、溝を掘って水を流したりする遊びが、いつしか必ずパイプのなかで一本しかない長いパイプを奪い合う熾烈な争いとなり、乱暴が働かれ、泣き出す子供がいるなどということは、悠太郎にとってはおよそ馬鹿げたことにしか思われなかったから、そうした砂場遊びの狂乱に加わることはなかった。お山に登って遊ぶのにも、ほかの園児たちは向かって左側の急な坂道を勢いよく駆け上がるのだが、悠太郎はいつも向かって右側の緩やかな坂道からゆっくりと登ったので、その動作が年寄りじみているとからかわれた。チャボ小屋の当番ではひどい目に遭った。チャボやインコが食べた餌の殻をアルミの容器から吹いて飛ばそうとしたら、舞い上がった殻がしたたか悠太郎の大きな目に入ってしまったのである。みんなはそれを見て大笑いしたが、悠太郎にしてみれば、初めての作業を器用にできるみんなのほうがよほど奇妙に思えた。部屋のなかでお絵描きをする時間さえ、平和なものではなかった。白目の冴えた面白がるような小さな目の直矢が絡んできて、円を描く競争になってしまうことがしばしばだったからである。「マルがきれいに描ける奴は絵がうめえんだぜ。ばあちゃんが言ってた」と直矢は、師範学校を出た立派なお祖母様の教えを悠太郎に受け売りしては、なかなかに美しい円を次々と落書き帳に、赤や青や黄色のクレヨンで描いてみせた。悠太郎も照月湖に映る満月を思い浮かべながら負けじと描いてみるのだが、なぜか水面が揺らめくような歪んだ円しか描けなかった。それを見て直矢はいちいち機関銃のように高笑いするのだから、悠太郎にはたまったものではなかった。そして極めつけの苦痛は、園庭での鳩ぽっぽ体操であった。自分にとっての右側は、向かい合った相手にとっては左側だということがよく分からない悠太郎は、前に出て手本を見せている先生方と鏡合わせのような動きしかできなかったから、園児たちみんなの動きとは左右が反対になってしまって、やいのやいのと非難されるのであった。
そうしたわけで悠太郎は多くの園児たちとは距離を置いて、桃組の担任である弦巻恵子先生と大人びた話をするほかは、ほとんどひとりでいるようになった。弦巻先生はややずんぐりした体つきの、少しきつい目をした女性だったが、石油はあと何十年で枯渇するのでしょうとか、中東の和平と平和はどう違うのでしょうとか、ご病気の天皇陛下の容態はどうなのでしょうとか言う悠太郎に忍耐強く付き合いながら、予め把握しておいたこの奇妙な園児の生い立ちに思いを致していた。過疎化が進む町の小さな幼稚園のことゆえ、受け持ちの園児以外の子供たちの事情も先生方はあらかた知っていたが、それにしてもこの真壁悠太郎くんの家庭環境の複雑さは、ちょっと類を見ないようなものであった。悠太郎くん本人は知らないだろうけど――と弦巻先生は考えた。ご両親の結婚と離婚のいきさつには、あまりにも凄まじいものがある。母親が大学で日本史を専攻して教員免許まで取っているという事実からも、それなりに厄介な教育ママであろうことは想像できた。その歴史への興味が、これまた厄介な結婚相手との出会いにつながったのだろうか? 悠太郎の父親は小さな眼鏡会社にいったん就職しながら、秋田藩の武家の末裔の誇りにかけて猛勉強し、なんと外務省に入ってしまったというではないか。両家の猛反対を押し切っての結婚と悠太郎の誕生も異常であったが、その父親は外務省勤務の重圧に耐えかねて精神に異常を来たし酒に溺れ、通勤電車をひと駅ごとに駆け降りて下痢をするようになり、妻に見限られたというからなおさら異常であった。まだ一歳にもなっていなかった悠太郎が、母親に連れられてこの六里ヶ原に身を寄せた成りゆきについて、弦巻先生が掴んでいた確からしい情報は、だいたいそういったところであった。その身を寄せた先の母親の実家が、また大変なところなのだ。母親の父つまり悠太郎の祖父は、あの浅間観光から永久名誉顧問の称号を贈られているひとかどの人物で、祖母のほうもまたかつての新成人代表の自負が猛烈であった。そんな祖父母の唯一の孫である悠太郎にどれほどの期待がかけられているか、彼をめぐって家庭内でどんな複雑な感情が飛び交っているか、弦巻先生は想像してみただけで目眩を覚えるのであった。
幼稚園の先生を何年も務めていると、園児たちがそれぞれどんな運命を持っているのか、あらかた見通せるようになってしまうものである。三つ子の魂百までの諺はあながち嘘ではないというのが、弦巻先生の職業上の実感であった。人間の魂の形などというものは、幼稚園に上がる頃にはもう刻まれてしまっている。園児たちは多かれ少なかれ、この幼稚園で生きたように小学校でも生き、中学校でも生き、大人の社会でも生きるのである。それならば教育とはいったい何か? とりわけ幼児教育には何ができるのか? それは無限に連続する血の流れのなかから、個体としての園児を救い上げることだと、弦巻先生は漠然とながら考えていた。誰の子であり誰の孫であるということとは別個に、自分というものがあり自分たちというものがあるのだという感覚を、何よりもまず引き出して育てることが重要であり、そのために同年輩の集団生活が必要なのだ。たくさんの自分たちのなかで強められた自分が、物事を多少とも自分で決めてゆけるという感覚を培うことが肝要なのだ。自分などという感覚がたとえ錯覚にすぎないとしても、それは生きてゆくためにどうしても必要な錯覚なのだ。しかし弦巻先生のそんな考えは、悠太郎にはとても通用しそうになかった。弦巻先生が少しきつい目をどんなに凝らしても、悠太郎のなかには破滅しか見えなかった。祖父母と母の重圧のもとで、悠太郎は記憶にない父の生き様をそっくりそのまま繰り返すだろう。ことによると、生きてこの六里ヶ原から巣立つことはできないかもしれない。いま園児たちの集団を離れ、ひとりこの桃組の部屋の窓辺に立って、二重瞼の大きな目を夢見るように黒々と見開きながら、濃いピンクのゼラニウムの花びらをティッシュペーパーに挟んでいるこの子は、遠からずきっと破滅するだろう。それは弦巻先生ひとりの見解ではなく、廊下を隔てた向かい側にある職員室の先生方の一致した意見だったのである。
悠太郎は北軽井沢の駅から――駅といっても草津と軽井沢を結んでいた、カブトムシの角のようなパンタグラフを押し立てた軽便鉄道が廃線となって以来、ただの広いバス停と化していた北軽井沢の駅から草軽バスに乗り込んで、北軽井沢地域から国道を北上し、つまりその分浅間山から遠ざかって、鷹繋山や浅間隠の連山を東に、白根山や四阿山を遥か北西に見渡しながら応桑地域の幼稚園へ通うのだが、そのバスの車内の騒々しさは、悠太郎に眩しい湖の乱反射を思わせた。直矢をはじめ大屋原集落の子供たちは北軽井沢駅からバスに乗らず、家族に送られて別の道を幼稚園まで直行したほうが近かった。北軽井沢の駅については、券売所と待合室を兼ねた簡素な建物があるにはあって、園児たちは毎月ここで乗車のための定期券を買ってもらうのだが、みんなが一様に定期券のことを「定期」と略すのが、悠太郎にはひどく不快であった。それはみんなが歯磨き粉のことを「歯磨き」と略すのを聞いても同様であった。すぐ近くの麗峰というスナックは、信州の善光寺を模した屋根を持つ、和洋折衷様式の立派な建物であるが、これこそ草軽電鉄時代の北軽井沢の駅舎だったのである。しかしそんな歴史など、悠太郎をはじめとする幼稚園児たちの知ったことではなかった。
北軽井沢駅から乗車するのは、例えば栗平の芹沢カイくんで、彼は悠太郎と同じ月に同じ産婦人科医院で二日だけ早く生まれた。カイは草軽バスの整備士の息子であったが未熟児として誕生し、保育器のなかで生死の境をさまよった。カイの母親は富山訛りの独特なイントネーションで「私が悪かったんだよ。私が悪かったんだよ」と同じ病室で泣いていたと、悠太郎は母の秀子から聞いていた。しかしカイは一命を取り留め、園児たちの誰より身長が低かったとはいえ旺盛な活動力を示し、雀斑の散った小さな顔をニヤリと笑わせながら、園庭にある白い滑り台のドームや、お山と呼ばれる高台に生えている樹々に、身も軽くするすると登った。麦わら帽子の顎のゴムを口にくわえたり、手足を力ませ関節を奇矯な格好に曲げたりするようなとぼけた真似をしても、カイの目許には静かな知性がいつも光っていた。鍵盤ハーモニカに白いホースで息をふうふう吹き込みながら、ファミコンとかいうものの《スーパーマリオブラザーズ》の音楽を再現しようと、ああでもないこうでもないと白や黒の鍵盤を押してみるときや、野鳥の声を聞き分けようと耳を澄ませるときには、カイの目はいっそう注意深く光った。
開拓の子では甘楽集落の戸井田一輝くんも、国道沿いの甘楽のバス停より北軽井沢駅のほうが家から近かったので、そこからバスに乗った。むっちりと発育のよい体つきをしたカズくんは、いくらか鳥の嘴めいた上唇をからかわれて大泣きすることもあったが、それでも総じて見れば健康的に笑い転げる元気な子であった。指しゃぶりの癖とシイタケ嫌いは克服するのにいくらかの時間を要したが、後々に禍根を残すような問題ではなかった。ところが死ということについては、一輝は早くからちょっと進んだ感じ方を持っていた。一輝はマリオが非命に斃れるときの音楽を、しきりとカイに鍵盤ハーモニカで再現させようとした。それがどうやらうまくいったときには、カズくんは哀れなマリオの死を悼んで抱腹絶倒するのであった。
四つの厳めしい石碑がある甘楽のバス停から乗車する同級生で、とりわけ悠太郎に強い印象を残したのは、同じく開拓の子で甘楽第二集落の金谷涼子ちゃんであった。豪胆な涼子はお化けなど少しも怖くなかったから、ましてや人間の幼児たちなど恐れるに足りなかった。林檎のように赤い頬を膨らませ、黒曜石のように光る黒目がちな目で睨み据えながら腰に両手を当ててみせれば、乱暴な男の子たちもその堂々たる存在感に圧倒されて、ちょっかいが出せなくなるのであった。涼子ちゃんは畑の土から掘り起こしたミミズを平気でつまみ上げたり、作物の葉にたかるアブラムシを情け容赦なく片端から潰したりしては、嬉々として笑っているという噂であった。
やがてバスが牛乳工場のあるミルク村や、自動車店や地蔵川を通り過ぎて応桑地域に入ると、これも頼朝の伝説にちなむ地名である御所平のバス停から、獣医の息子の大柴映二くんが乗車してくる。彼の目は細長く、口のまわりにはしばしばコップを吸い着けて円い跡を拵えていたが、その口から出る言葉の発音にはやや難があった。靴のことを「くちゅ」と発音する映二は、不慣れな環境に投げ込まれていっそう気弱になっている悠太郎を嘲るのに「弱いくせに! 弱いくせに!」と言いたいのだが、「よわいくしぇに! よわいくしぇに!」としか言えないのであった。完璧な敬語を明瞭かつ物静かに話せる悠太郎に、どうやら映二は強い敵意を持っているらしかった。
これらの園児たちは、悠太郎の同級生となった年少組のほんの一部である。一級上の年長組も加わるのだから、バスの車内の騒々しさといったらひどいものであった。園児たちの話し声があまりうるさくなるようなとき、強面の運転手のダイちゃんは、「おいおまえら、静かにしろ! さもなきゃ応桑の幼稚園を通り越して、中央幼稚園へ連れてっちまうぞ!」と一喝するのだが、すると今度は中央幼稚園を恐怖する叫び声が車内に溢れ返るばかりだったので、沈静化の効果はほぼ皆無であった。しかし悠太郎だけはほとんど誰とも話をすることなく、二重瞼の物問いたげな大きな目を黒々と見開きながら、車窓の外を流れてゆく景色を眺めては、しきりと物思いに耽っていた。中学校に近づけば幼稚園までもうすぐなのだが、その手前に農業協同組合が出している「美容と健康のために牛乳を」という大きな看板があった。その上部に描かれた牛の絵を囲んで「Health & Beauty MILK」と書かれていた。あの漢字は何と読むのだろう。あの英語はどういう意味なのだろう――。悠太郎が考えていたのは、例えばそうしたことであった。
幼稚園に着いてから過ごす時間も、初めは悠太郎にとって全然楽しいものではなかった。砂場で山を築いたり崩したり、溝を掘って水を流したりする遊びが、いつしか必ずパイプのなかで一本しかない長いパイプを奪い合う熾烈な争いとなり、乱暴が働かれ、泣き出す子供がいるなどということは、悠太郎にとってはおよそ馬鹿げたことにしか思われなかったから、そうした砂場遊びの狂乱に加わることはなかった。お山に登って遊ぶのにも、ほかの園児たちは向かって左側の急な坂道を勢いよく駆け上がるのだが、悠太郎はいつも向かって右側の緩やかな坂道からゆっくりと登ったので、その動作が年寄りじみているとからかわれた。チャボ小屋の当番ではひどい目に遭った。チャボやインコが食べた餌の殻をアルミの容器から吹いて飛ばそうとしたら、舞い上がった殻がしたたか悠太郎の大きな目に入ってしまったのである。みんなはそれを見て大笑いしたが、悠太郎にしてみれば、初めての作業を器用にできるみんなのほうがよほど奇妙に思えた。部屋のなかでお絵描きをする時間さえ、平和なものではなかった。白目の冴えた面白がるような小さな目の直矢が絡んできて、円を描く競争になってしまうことがしばしばだったからである。「マルがきれいに描ける奴は絵がうめえんだぜ。ばあちゃんが言ってた」と直矢は、師範学校を出た立派なお祖母様の教えを悠太郎に受け売りしては、なかなかに美しい円を次々と落書き帳に、赤や青や黄色のクレヨンで描いてみせた。悠太郎も照月湖に映る満月を思い浮かべながら負けじと描いてみるのだが、なぜか水面が揺らめくような歪んだ円しか描けなかった。それを見て直矢はいちいち機関銃のように高笑いするのだから、悠太郎にはたまったものではなかった。そして極めつけの苦痛は、園庭での鳩ぽっぽ体操であった。自分にとっての右側は、向かい合った相手にとっては左側だということがよく分からない悠太郎は、前に出て手本を見せている先生方と鏡合わせのような動きしかできなかったから、園児たちみんなの動きとは左右が反対になってしまって、やいのやいのと非難されるのであった。
そうしたわけで悠太郎は多くの園児たちとは距離を置いて、桃組の担任である弦巻恵子先生と大人びた話をするほかは、ほとんどひとりでいるようになった。弦巻先生はややずんぐりした体つきの、少しきつい目をした女性だったが、石油はあと何十年で枯渇するのでしょうとか、中東の和平と平和はどう違うのでしょうとか、ご病気の天皇陛下の容態はどうなのでしょうとか言う悠太郎に忍耐強く付き合いながら、予め把握しておいたこの奇妙な園児の生い立ちに思いを致していた。過疎化が進む町の小さな幼稚園のことゆえ、受け持ちの園児以外の子供たちの事情も先生方はあらかた知っていたが、それにしてもこの真壁悠太郎くんの家庭環境の複雑さは、ちょっと類を見ないようなものであった。悠太郎くん本人は知らないだろうけど――と弦巻先生は考えた。ご両親の結婚と離婚のいきさつには、あまりにも凄まじいものがある。母親が大学で日本史を専攻して教員免許まで取っているという事実からも、それなりに厄介な教育ママであろうことは想像できた。その歴史への興味が、これまた厄介な結婚相手との出会いにつながったのだろうか? 悠太郎の父親は小さな眼鏡会社にいったん就職しながら、秋田藩の武家の末裔の誇りにかけて猛勉強し、なんと外務省に入ってしまったというではないか。両家の猛反対を押し切っての結婚と悠太郎の誕生も異常であったが、その父親は外務省勤務の重圧に耐えかねて精神に異常を来たし酒に溺れ、通勤電車をひと駅ごとに駆け降りて下痢をするようになり、妻に見限られたというからなおさら異常であった。まだ一歳にもなっていなかった悠太郎が、母親に連れられてこの六里ヶ原に身を寄せた成りゆきについて、弦巻先生が掴んでいた確からしい情報は、だいたいそういったところであった。その身を寄せた先の母親の実家が、また大変なところなのだ。母親の父つまり悠太郎の祖父は、あの浅間観光から永久名誉顧問の称号を贈られているひとかどの人物で、祖母のほうもまたかつての新成人代表の自負が猛烈であった。そんな祖父母の唯一の孫である悠太郎にどれほどの期待がかけられているか、彼をめぐって家庭内でどんな複雑な感情が飛び交っているか、弦巻先生は想像してみただけで目眩を覚えるのであった。
幼稚園の先生を何年も務めていると、園児たちがそれぞれどんな運命を持っているのか、あらかた見通せるようになってしまうものである。三つ子の魂百までの諺はあながち嘘ではないというのが、弦巻先生の職業上の実感であった。人間の魂の形などというものは、幼稚園に上がる頃にはもう刻まれてしまっている。園児たちは多かれ少なかれ、この幼稚園で生きたように小学校でも生き、中学校でも生き、大人の社会でも生きるのである。それならば教育とはいったい何か? とりわけ幼児教育には何ができるのか? それは無限に連続する血の流れのなかから、個体としての園児を救い上げることだと、弦巻先生は漠然とながら考えていた。誰の子であり誰の孫であるということとは別個に、自分というものがあり自分たちというものがあるのだという感覚を、何よりもまず引き出して育てることが重要であり、そのために同年輩の集団生活が必要なのだ。たくさんの自分たちのなかで強められた自分が、物事を多少とも自分で決めてゆけるという感覚を培うことが肝要なのだ。自分などという感覚がたとえ錯覚にすぎないとしても、それは生きてゆくためにどうしても必要な錯覚なのだ。しかし弦巻先生のそんな考えは、悠太郎にはとても通用しそうになかった。弦巻先生が少しきつい目をどんなに凝らしても、悠太郎のなかには破滅しか見えなかった。祖父母と母の重圧のもとで、悠太郎は記憶にない父の生き様をそっくりそのまま繰り返すだろう。ことによると、生きてこの六里ヶ原から巣立つことはできないかもしれない。いま園児たちの集団を離れ、ひとりこの桃組の部屋の窓辺に立って、二重瞼の大きな目を夢見るように黒々と見開きながら、濃いピンクのゼラニウムの花びらをティッシュペーパーに挟んでいるこの子は、遠からずきっと破滅するだろう。それは弦巻先生ひとりの見解ではなく、廊下を隔てた向かい側にある職員室の先生方の一致した意見だったのである。
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