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10-2ラクダは揺れるんです
しおりを挟む隊列は国境の街を出て砂漠に入ったのは、それからしばらくたってからだろうか。
シエルは最初は戸惑いながらも街を出るころには何とかラクダの背に揺られる事にも慣れた気がした。
「シエル姫どうですか?不都合はありませんか。これから砂漠に入ります。何かあればすぐにおっしゃって下さって結構ですので」
ボルクの他人行儀な態度や言葉使いはシエルに彼との距離ばかりを感じさせた。
「ええ、大丈夫です。思ったよりラクダの乗り心地は良さそうですわ」
本当はすごく神経を使って握っている手綱はびっしょりと汗で濡れているというのに…
砂漠に入り照り返しや熱い日光を浴びているうちにシエルは次第に気分が悪くなり始めた。
だめ。ここで弱音を吐いたらボルクに迷惑が掛かる。
こんな時にさえ彼に甘えてはいけないと思う。
そう思っている矢先ボルクが声を掛けてくる。
隊列は少し速度を落とす。
「もう少し行けそうですか?行程よりかなり遅れましたので、シエル姫さえお疲れでなければもう少し進みたいのですが」
「ええ、もちろんよ。さあ、急ぎましょう」
そう言ったシエルの顔を見た。ボルクの濃い青色の瞳が揺れている。
何よ。これくらい平気よ。
この人は私をオーランド国に連れて行くのが使命なんだから。
皇帝に差し出すために…
胸の奥で焼け付くような痛みが襲う。
それでもそんな気持ちを気づかれなくて彼に微笑んで見せる。
すると今度はボルクが顔を背けた。
「では…このまま進むぞ」隊列に声を掛けるとラクダたちは少し速度を上げ始める。
シエルもそれに習ってラクダの手綱を取った。
砂漠は大きなうねりとなりその先に砂の山が現れた。
まさか砂漠に山が?
シエルは驚きながらもラクダの手綱を引く。
砂地を歩くラクダは身体を大きく揺らして、山を登り始めるとさらに傾斜が傾いてシエルの身体はもう限界に近かった。
うぐっ、気持ち悪い。だめ!こんな所で吐くなんて、絶対にだめ。
だが、いくら強がった所で慣れないラクダの背に揺られ、ましてこんな長い時間馬にだって乗った事もなく、おまけに病み上がりで。
でも、そんな事は理由にはならない。
シエルは極限まで吐き気をこらえた。
胃液はもう喉の手前までせり上がっていて。
その時だった。
べルールが異変に気付いて声を掛けた。
「シエル様お顔の色がすぐれませんがご気分でもお悪いのですか?」
シエルがべルールの声を聞いた途端だった。
ラクダの上から身を乗り出すと無様な姿で嘔吐してしまった。
シエルは、その瞬間恥ずかしさで身体を縮こませた。
顔を伏せて目を閉じる。
気分も悪かったがそんな事より、こんな姿を多くの男の前で晒したことに参ってしまう。
「シエル?」
声の主はボルクだと分かった。心配そうな優しい声が…
シエルは顔を背ける。
その瞬間身体が宙に浮いた。
ボルクはシエルをラクダから持ち上げて抱き抱えていた。
「やっ…」
彼から離れようと身体をよじる。するとまた吐き気が襲って来た。
「うぐっ…やめて」
「いいからじっとしていて下さい」
ボルクは急いでシエルを近くにある灌木の陰に連れて行くと木陰にシエルを下ろした。
「ったく…砂漠でそのようなものを付けておられるとは…」
ボルクは怒っているのか低い声でそう言った。
どうしてわかったのだろうか。あっ、今抱かれた時に…そう思うと羞恥に肌が粟立つ。
「さあ、少し緩めたほうがいい」
彼はシエルの着ていた服のボタンを外すとコルセットの紐を解いていく。
「な、何するんです。やめて」
彼の手を振りほどこうとするがまだ吐き気がしてシエルはそれどころではなくなる。
コルセットの下はシュミーズだけで薄っすらと乳房の形さえわかるのに。
「さあ、これで少しは良くなる」
シエルはそのままの姿で息を吸い込む。締め付けていたコルセットをゆるめたせいで随分息が楽になるが、吐き気はまだ収まる気配はない。
「ぅう、はぁ、はぁ…」
下を向いたまま首を振る。
「全部出した方がいいな」
ボルクはいきなりシエルの後ろから胸の下に手を回すと彼女を抱き前にかがませる。
ぐっと胃の下を押し上げられ、シエルは灌木の近くに勢いよく胃の中のものを吐き出した。
「どうだ、少しはましになったか?」
ボルクの大きな手は今度はシエルの背中を優しくさすっている。
シエルはちっとも大丈夫ではなかった。
こんな恥ずかしい姿をさらけ出してしまって、今さらどんな顔をすればいいのかも分からない。
それなのに優しく背中までさすられていて気づけば涙が溢れていた。
「優しくしないで」
シエルは首を激しく振る。
「あなたを守ると誓った。俺の責任だ。あなたは初めてラクダに乗った。ラクダは馬より揺れると分かっていたのに、それに病み上がりで体調も万全ではなかったのに、すまん。気づいてやれなくて」
「そんなことないわ。私が…」
シエルの身体は震える。
そう言うと彼はシエルを後ろからそっと抱きしめた。
彼の硬い胸板が背中に押し付けられて、ばくばく心臓の鼓動さえ直に伝わって来る。
優しくしないで、あなたに優しくされるとどうしようもなく辛いの。
ああ…ボルクあなたが好き。
シエルは俯いたまま向きを変える。
どうしようもない衝動に彼の胸に顔を押し付けていた。
彼は汗とほこりとそしてあのナジュール海の潮風のような香りがした。
涙はボルクの隊服にしみ込んでいくが、そんなあとさえ高い気温のせいかすぐに乾いてしまう。
まるで私たちの間には何もないみたいに跡形もなく消えてしまう。
シエルは大きくため息をつくと顔を上げてボルクを見た。
その瞳は心配しているようにも見える。
瞳の中には確かにシエルが映り込んでいて、もう大丈夫かと問いかけているようにも思えた。
そこにべルールが駆け付けた。
「シエル様大丈夫ですか?ご気分が悪かったならおっしゃって下されば良かったのです」
「ええ、そうしようと思っていたのよ。ごめんなさいべルール。心配かけて、ウィスコンティン様がきちんと処置して下さったおかげでかなり気分は良くなったわ。あっ、ウィスコンティン様もう大丈夫です。ありがとうございます」
シエルはボルクから距離を取った。
ボルクは立ち上がった。
「いえ、当然のことをしたまでです。少し休憩にしましょう。おい、ここで休憩にする」
彼は隊列に声を掛けた。
ああ、やっぱりこれは彼の仕事なんですもの。
シエルは少し上向いた気持が一気にしぼんでいくのが分かった。
そんなのわかりきった事です。
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