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4麗しの君は
しおりを挟むシエルはアドゥールで人々に温かい声を掛けられ見送られて王都を後にした。
やがて王都を過ぎると後は森や農地が広がる景色ばかりで整地されていない道は馬車の乗り心地をひどく悪くした。
「シエル姫」
いきなり外から声を掛けられる。
声の主はすぐにわかった。ボルクだわ。そう思うとほっと安堵する自分がいた。
「はい、何でしょうか?」
馬車の扉についている窓から少し顔を出す。
冷たい空気が肌をかすめたがそれも気持ちがいい。
ボルクは紺碧色の騎士隊服を着ていてその上に黒い旅用のマントを羽織っている。
紺碧色は他国では作れない染料で、この色はセルべーラ国の証ともいえる色だった。
出掛けるときにも見たはずの姿だったのに、気がせいていたのか今その姿に改めて声を上げそうになる。
なんて素敵なのかしら…これから輿入れをしようという女性が考えてはいけないことだとわかってはいてもシエルだってまだ20歳の女性だ。
見惚れるほどの美形の持ち主の騎士隊の姿にため息を漏らすのは無理もなかった。
「お疲れではありませんか?」
柔らかな声音が聞こえる。
「はい、大丈夫です」
ボルクは安堵したような表情を浮かべる。確かに揺れは酷いし少し疲れてもいたが他の者に比べればこれくらいは我慢できる。
「何かあったらすぐに合図をして下さい」
「ありがとうウィスコンティン様」
シエルは柔らかな微笑みを彼に向けた。そうするとボルクが顔を背けた。そして馬の手綱を引いて一目散に先頭に駆けて行った。
手綱と引いていては指先を擦るなんて無理ね。彼がどんな気持ちなのかすぐに気になる癖が付いてしまったのか、ついつい彼の指先に目が行ってしまう。
そうやって幾度となくボルクはシエルの様子を探りにやって来ては、シエルに優しく声を掛けて、そしてシエルが微笑むとまた顔を背けて先頭に駆け戻った。
途中で森の木陰で休憩を取るときも、ゆったりと食事が出来るよう手配してくれた。
「シエル姫ご気分はいかがです?」
「ええ、こんな所で食事なんてすごくいい気分だわ。ウィスコンティン様お食事は?」
「私たちは遠征などで慣れていますから、簡単な食事ですませますので、どうぞお気遣いなく」
ボルクは親指と中指を擦りあわせていた。
えっ?ボルクうれしいの?
思わず彼に微笑みを返した。
でも、彼の態度はいつものように冷静で指揮官らしい振る舞いだった。
「そう、でもあなたも少し休んでね。ありがとう」
シエルはそんな態度でもうれしかった。だから彼に優しく声をかけた。
ボルクが顔を背けて唇を噛んだ。きっと笑みをこらえているんだ。
そう思うとうれしさが心の中で弾けた。
「さあ、べルールもアマルもしっかり食べてね。まだ先は長いわよ」
「はい、シエル様ありがとうございます」
シエルはサンドイッチを摘まむと口にほおばった。
最初の日はセルベーラ国の辺境伯の屋敷で過ごすことになっていた。
辺境伯のジルナンド・カッペン伯爵だった。
シエルや侍女のべルールやアマルは屋敷の部屋でゆっくり夜を過ごした。
騎士隊の護衛隊は屋敷の周りで天幕を張って野営した。
シエルは皆も屋敷で過ごすようにと言うが誰もそうする者はいなかった。
シエルは思う。貴族だけがこんな贅沢な暮らしをしているなんておかしいわ。
誰もが豊かで幸せになってほしいと思う。
そして貴族がいくら煌びやかな生活をしていたとしても、それが幸せとは限らないことも痛切に感じた。
だって私はいわば人質としてオーランド国に行くようなもの。もし私が不都合なことをすれば作物の取引はどうなるかわからないんだから。
父はそんな事は一言だって言わなかった。でもそれくらいの分別はシエルにだってある。
カッペン伯爵家の美しい内装に囲まれた寝室のベッドの上で漏らすため息は、とても重くとても憂鬱なため息だった。
翌日は国境近くの宿で宿泊することになって、シエルは疲れた体をベッドに横たえようとした時べルールが声をかけた。
「シエル様、ボルク様がお話があるそうですが、よろしいですか?」
「ええ、急ぎの用かしら?」
「明日からの国境超えの事で、何でも砂漠の天候が思わしくないようで出発が遅れるようなことをおっしゃっています」
「ええ、すぐに行きます」
シエルは寝間着を着ていたので、その上に厚い生地のガウンを羽織ると胸元をしっかりと合わせて寝室を出た。
リビングルームに当たる部屋にボルクがもう来ていて寝室の扉を開けるとボルクと目が合う。
「あっ、申し訳ありません。こんなに遅く。つい今しがた連絡があったので…」
ボルクは顔を赤らめてしどろもどろになる。
「いいのよ。あなたも大変なんですもの」
ボルクが数日この街でゆっくり過ごして砂嵐が去るのを待ってから出発すると言った。それに水などの調達もあって少し余裕が持てたことはちょうど良かったらしい。
それに砂漠になれた国境騎士団の騎士隊員を案内に付けるつもりだとも話してくれた。
ボルクもマントや騎士隊の服を脱いでいて、シャツとフラットなパンツという簡単な服装だった。
ソファーに座っていてシエルも向かいに座る。
「何だかいつもと違う雰囲気ですね。ウィスコンティン様」
シエルは何気なくそんな事を口にする。
「あっ、すみません。姫に会うのにこんな姿で‥このような時くらいボルクとお呼びください」
彼はとっさに立ちあがってどうしようかと言った顔で…
「ボルク、あなたでもそんな顔するのね…うふっ」
シエルが嬉しそうに顔をほころばせた。
「っつ!そんな…いけません姫。そのようなお顔をされては…では私はこれで」
ボルクは慌てて部屋を出て行く。
その指先は親指と薬指が摺りあわされていて。
そんな紳士的で少し恥ずかしがり屋の彼がとても好きだと思う。
いけないこんな事。こんな気持ちだって誰かに知れたらボルクに迷惑がかかるんだもの。
大きなため息がまた一つ出た。
それに背中が寒くなって身体がぶるりと震えた。
いけない。いけない。早く休まなきゃ…
そしてシエルは寝室に戻るとベッドに入って休むことにした。
シエルが目を覚ますと真夜中だった。
辺りはしーんとしていて誰も起きてはいないらしかった。
何だか身体が重くてそれに熱もあるようでシエルは声を出してみる。
「…べ……ァマ…」
喉の奥が痛くてうまく声が出せない。
隣室で休んでいる侍女を呼ぼうとした。
起き上がろうとするが身体じゅうが重だるい。やっと起き上がって胸に手を当てた。
やっぱり身体が熱いわ…
ふとその時ボルク見渡された笛に触れた。
そうだわ。ボルクを呼べばいいのでは?
「………」音の出ない笛を何度か吹いた。
しばらく待つが何の変化もなかった。もう、ボルクったらこの笛を拭いたらいつでもすぐに来るって言ったのに!
人間は身体の調子が悪いと気持ちまで余裕がなくなるらしい。
来るはずもないと思っていてもあんな風に言われたら期待してしまうじゃない。
いや、むしろ来てもらうと困るのはシエルの方なのに…
突然暗い闇の中から声がした。
「シエル姫呼ばれましたか?ボルクです」
えっ?ウソ!まさかほんとに来るなんて思っていなかったのに…
うそうそ。ほんとは来て欲しくて笛を吹いたはずだった。
でも、こうしてボルクが来たと分かるとどうしていいかわからなくなってしまう。
「姫?もしや何者かが?すみません、入ります!」
ボルクはそれだけ言うと寝室の扉を開いた。
彼は手にランプを持っていて、そのランプをベッドの方にかざした。
「きゃっ…」声にならない声が出る。
「シエル姫ご無事ですか?良かった。すみませんお返事がなかったので」
ボルクはすぐにベッドの近くで跪いた。
「あ…こ、え、が…」シエルは喉に手を当てて声が出ない事を伝える。
「どうして?何があったんです」
跪いていたボルクは立ち上がるとシエルに近づいた。
シエルは額に手を当てて唇を歪めて見せる。頭が痛いと伝えたかった。
ボルクはすぐに分かったらしく、シエルの額に手を乗せた。
「熱があるようです。喉も痛いんですね?」
シエルはうなずく。
「疲れでしょうか。すぐに侍女を呼びます。安心して下さい。でも、早速笛が役に立ってよかったです」
ボルクは優しく上掛をかけ直すと部屋を出て行く。
シエルがその後ろ姿を見ると、なぜか彼の指は親指と中指を擦り合わせていた。
もう、ボルク私が辛いのにうれしいって?
そんな思考もすぐに言えてしまうほどシエルの熱は高かった。
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