一途なエリート騎士の指先はご多忙。もはや暴走は時間の問題か?

はなまる

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1えっ嫁げと言われました?

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 「シエル悪いがオーナンド国に嫁いでくれ」

 シエルはいきなり悪夢を見ているのかと思う。

 「お父様、今何と?」

 「お前がもう嫁ぐ気がないことは重々承知している。だが、これは国王からの命令だと思ってくれ」

 訳の分からないまま倒れそうになる。

 慌ててシエルの身体に手を伸ばす気配がした。


 その身体をそっと支える手は、一緒に国王の執務室に呼ばれた騎士団内の諜報部に所属するボルクだった。

 彼とは10歳の頃からの知り合いでいわゆる幼なじみのような仲だった。ただし彼は5歳年上だが。

 ボルクはウィスコンティン男爵家の次男で、15歳から騎士団に所属していた。

 元々騎士を目指していたボルクの身体能力は素晴らしく18歳になるころには騎士隊長にまで上り詰めていた。


 おまけに元騎士団統轄の治安府にいた父は先に女の子が生まれたせいか、父の警護に就いた彼をことのほか気に入り、以来の屋敷にしょっちゅう出入りすることが多かった。

 父のそばには、諜報部の仕事で王城を離れていない時はしょっちゅうボルクがいることが多い。

 だから今日もこうして彼がそばにいるのだろう。

 ちなみに弟のランドールは遅くに出来た子供で14歳になったばかりだ。


 「ありがとうボルク」

 「いえ、仕事ですので」

 きりりとした顔立ちは崩れることはなかった。

 いつの間にか幼いころの彼とは比べ物にならないほど、彼は男らしいたくましい体つきになっていた。

 おまけにナジュール海の紺碧の色をした碧眼の周りに長いまつ毛を纏い、髪は美しい黄金色で見目麗しい男性になった。


 「お父様いきなり過ぎます。そもそもオーナンド国のどなたに嫁げと言うのです?」

 シエルは3年目に婚約していた。だが、夜会である事件が起きて婚約者であったスタンフォース公爵から婚約を破棄された身である。

 夜会で男性を誘ったとか、はしたない女だとか、尻軽とまで酷評された。

 でも、それももう過去の事だったが…

 今では父親の治安府の手伝いをしながら結婚はする気もなかった。

 なのに、だ。


 全ての始まりは2か月前国王が急に亡くなったからだ。

 国王は父の兄でありすこぶる女好きな人だったのだが…

 事の発端は国王がオーランド国から来た若い女性に熱を上げたせいだ。その女性はオーランド国王ギエロ・オーランドからの贈り物で、名前は確か…そう、ビアンカ!

 ちなみにオーランド国との関係は良好だった。オーランドは鉱石も採れるし、広大な農業国でもあった。


 その女性と事の最中に腹上死を遂げたのだ。

 王城は大変な騒ぎになり、最初は暗殺かと騒がれたが…

 ああ…ヨハン国王やってしまいましたねって感じで、誰もが今にそんな事もあるのではと心配していた矢先の事だった。

 何しろこの頃では一晩に数人と関係を持つというらしいという噂もあったほどで…あの年で?ちょっとやばい人なのではとも思いますけど…


 それでそんな国王が亡くなり、まだ王太子リノベロは12歳という年齢で王弟であるシエルの父がリノベロが20歳になるまで代わりを務めることになったのだ。

 まあ、それはいいとしても、どうしてシエルが嫁がなければならないのだろう?


 「もちろん皇帝陛下のところに決まっておる。まあ、皇妃はいらっしゃるから側妃ということになるが…」

 シエルは思った。

 オーランド国の皇帝も色好きと聞いた事がある。何でも側妃を十数人囲っているらしいとか、皇妃はどんな気持ちなのだろう。

 我がセルべーラ国でも、王妃マルグリット様に子が出来なかったため側妃を設けたと聞いているがそれでも3人ほどだ。

 ちなみに王太子を産んだのは側妃のルチアナという女性だったはず…

 あっ、でも貢物として扱われた女性とのご関係は星の数ほどとか伺いましたけど…

 まあどちらもどちらです。


 そんな事が脳を駆け巡った。

 「お父様。側妃って事は…」

 そこで一気に意気消沈でした。大きなため息が漏れたのが父上に聞こえたようで…

 「聞いてくれシエル、わが国は今年も天候不順で作物が不足している。昨年もその一昨年の不足もあって今年はどうしても食料を他国に頼らざる得ない状況だ。オーランド国は広い農地を持ち作物も充分にあると聞いた。だから取引をしたいと話を持ち掛けたんだ」

 父の目はすがるような視線で思わず心が痛い。

 でも、でも結婚ならばいざ知らず側妃としてというのは…


 「ええ、そう、ですね‥コホン」

 強張る頬のせいで一度咳をしてみる。そしてやっと話の続きを。

 「もちろん食べ物に困るのを見過ごすわけにはいきません。でも…そのお話にどうして側妃が必要なのでしょうか?」

 「我が国は牧羊も盛んだし海に面していて他国との取引もたくさんある。お金も充分あるし作物を買う事は困らないんだが、皇帝陛下がどうしても王族の女性を一人欲しいとおっしゃってな…」

 父が歯を嚙みしめたのか、ギリリと音が聞こえた。

 そうだ。我が国は毛織物や装飾品や調度品などの生産が盛んで他国との取引も多く豊かな国だが、農業に関してはオーランド国の広大な農地にはかなわなかった。


 「王族の女性?王女ですか?でも、私は王女ではありませんが」

 「ああ、わかっておる。だが、王女はまだ14歳のいたいけな少女だ。そんな事が出来るはずもない。だから…シエル。お前しかいないんだ」

 父はそれだけ言うと自分のデスクの椅子にどさりと座り込んだ。

 きっとそのことで夜も眠れなかったのだろう。目の下には隈が出来ていて瞳は落ち込んでいるように見えた。

 国王の王女は14歳をかわきりに3人いるのだが、何しろ皇妃が側妃に子供を産ませたくないとごねたばかりに最初の子供が生まれた時には我が家の弟も生まれた。

 それも国王の子供は女の子で王弟の子供は男の子だった。

 そんな事もあって国王のまた側妃を抱えるようになったらしい。



 「父上。どうしてもと言われれば私も貴族の家に生まれた身です。それにこの国のためとあれば仕方がありません。でも、側妃と言ってもあの皇帝にはすでにたくさんの女性がいらっしゃるはず。そうとなれば一応の形だけで済むかもしれませんわ」

 シエルはありもしない希望を漏らした。

 「ああ、皇帝陛下がお前に気を向けないことを祈るしか…それにこの取引がうまく行って時が過ぎればまたこちらに帰れるやもしれん」

 「いえ、そんな期待はしない方がいいですわ」

 オーランド国の皇帝がわたしの噂を知ったら…

 シエルは両腕をぎゅっと身体に巻き付けた。


 「だが…」

 父上は首を垂れる。

 他国に側妃として行った女性が出戻って結婚などできるはずもない。

 おまけに私は一度婚約破棄までされた女ですもの。


 執務室にはどんよりとした空気が漂う。


 「陛下、私もシエル様にお供させてください。あちらでも護衛は必要でしょう。それならば私がシエル様の護衛兵としてお仕えしたく存じます」

 「ボルク、だがお前には任務があるだろう?」

 「はい、オーランド国の諜報部員として働くこともできるかと、ちょうどあちらに入っている諜報部の者を知っていますし、皇城で何かあればすぐにお知らせが出来ると思いますので適任でもあるはずです」

 「だめ。駄目よボルク!私の為にそんな事する必要はないわ。あなたはこの国にとって必要な人。父上が治安府を引退した今、あなた達がこの国の安全を守って行かなくてはならないのよ!」

 彼の紺碧色の瞳とシエルの茜色の瞳がぶつかる。

 黄金色の髪は後ろで一つに束ねられていて凛々しさがさらに上がっている。

 シエルの緑色の髪は突然吹き付けた風が窓から入り舞い上がった。

 その髪をそっと撫ぜつけながら彼を見つめた。

 

 彼は”何があってもついて行く”と言いたげに瞳を大きく見開いて唇はぎゅっと引き結んでいる。

 そして何よりボルクの指先は親指と人差し指をこすり合わせている。

 えっ、ボルク怒ってるの?どうして?

 ほんとは嫌なの?

 でも、あなたのその顔はそんな風には見えない。

 そうなのね。あなたはこんな不条理な話だから怒って…だから私の護衛兵として一緒に行くと言ってくれたのね。

 シエルの内心はうれしさで震えた。

 ずっとそばにいてくれたボルク。

 危ないときはいつでも彼が手を差し伸べてくれた。



 その手が今またシエルに差しだされた。

 彼はシエルの前に跪いて首を垂れた。

 途端にシエルの胸は狂ったように激しく打ち始める。


 「シエル様、どうか私にあなたに忠誠を誓うことをお許しください。私はいつでもシエル様の為にこの身を捧げる覚悟です」

 「……」

 このようなことをされたことのないシエルはどうしていいかわからなくなる。

 ただ、胸の内が熱くなり訳の分からない感情が込み上げて来る。

 呆然としているシエルの手をそっと取るとその手の指先に唇が触れるか触れないかのキスを落とした。

 シエルはまだ声も出せないままで…

 ボルクが目を伏せたまま手を放そうとした。その時シエルの指がボルクの指先を咄嗟に掴んだ。

 「本当にいいのですか?私のようなものの為に?」

 その声は上ずり震えている。

 心の内には喜びが駆け巡ている。

 「もちろんです。あなたのそばにお仕えできる事が私の幸せなのですから」

 そう言ってボルクは顔を上げた。

 ほぉとため息が出そうなほどの美しい碧色の瞳には嘘偽りなどないと物語っている。


 「ありがとう。あなたがいてくれればどんなに心強いか…本当にありがとう」

 ボルクは嬉しそうに笑うと目がしらにしわが出来た。

 互いに顔を見合わせれば微笑みがこぼれた。

 そしてボルクは立ち上がると先に退室して行った。

 その後ろ姿を見てふっと笑みがこぼれた。ボルクの指は親指と中指がこすりあわされていた。

 それはうれしいという事。

 シエルはいつの頃からかボルクのある癖に気づいた。

 親指と人差し指をすり合わせる時は怒ったりイライラしている時。

 親指と中指の時はうれしい時。

 親指と薬指の時は恥ずかしいとか照れている、または言いにくい話がある時。

 ボルクは自分でも気づいていないらしく無意識にそんな事をしているらしいのだ。

 だからシエルには彼の気持ちが手に取るようにわかるのだった。でもこの事は誰にも話していない。シエルだけの秘密なのだ。



 「シエルすまん」

 いきなり父にそう言われて振り返った。

 頭を下げてそう言う父を見て急いで父に駆け寄った。

 そうでなくても国王の代わりを務めている父は大変なのに。

 「そんな事、お父様は国の為を思っての事です。私の事は心配しないで無理しないで下さい」

 「ああ、シエルも無理をするなよ」

 「ええ、でもボルクが付いてきてくれるなんて思わなかったわ」

 「ああ、私も驚いた。だが、あいつがいてくれれば安心だ」

 「でも、お父様は寂しくなりますね」



 シエルは優しく微笑むと執務室を出て治安府のデスクに戻って来た。

 思うのはたった今騎士の誓いをしてくれたボルクの事だった。

 彼はいつも私を守ってくれた…

 シエルはおもむろに目を閉じる。

 あの夜会の日の事が昨日の事のように蘇った。



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