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しおりを挟む数日後、陽介は警視庁捜査一課に出勤した。
陽介は今は品田警察署に殺人事件で出向いていて、本庁に出向くのは週に一回程度だった。
「おはようございます。胡桃沢管理官」
「おはよう桐生警部。昨日は済まなかった。はつねの事助かったよ」
「いえ、ちょうど通りがかって良かったです。事件の事ですが俺も捜査に入りたいんですが」
「でも、品田の事件はどうする?」
「はい、あの事件はもう本星が上がりそうなので、じきに片が付くと思います」
「そうか、でも暴行未遂事件だ。本庁が出るほどじゃないだろう」
「ですが、あの犯人の手口は6年前にあった事件と酷似していまして…」
「桐生警部、もしかしてはつねから聞いたのか?6年前のことを」
「じゃあ、やっぱりあの話は本当だったんですか?そんなことをはつねさんが話してましたが先日のような状態では意識が混濁することもあるかと思って事実を確認しようと思っていたところなんです」
「いや、身内の事で実は訴えを取り下げたんだ。両親から強く頼まれて…警察官がと思われるだろうが…それで犯人はどうなんだ?」
「はい、はつねさんの被害写真を見ていただければわかると思いますが、柔道の落とし技の手口、後ろからいきなり襲う事、そしてはつねさんが犯人に同じことを言われたと、それが決め手です」
「あの時はつねはそんな事言っていなかったが」
「昨日の件で当時の記憶が蘇ったらしいです」
「そうか、ではしばらく捜査に当たってくれるか」
「はい了解です。今日にでも所轄に行ってきます。それで犯人のDNAの判定を急ぐよう科捜研に頼んでありますので、そろそろ鑑定結果が出たかもしれません」
「科捜所…ああ、海斗の所か,DNAと言うことは犯人の?」
「はい、はつねさんは犯人の腕をひっかいて、爪に皮膚片が残っていました」
「それは…はつねの奴。危険なことを…」
「ですがはつねさんはすごいです」
「だが、もし犯人がそれを知ったら…悪いがはつねにしばらく警護を付けてくれないか。あいつに結婚話が来てるんだ。まったく。海斗の奴、そんなつもりだったなんて気づかなかったが‥‥」
胡桃沢管理官は嬉しそうに話した。
「えっ?今なんて‥‥彼が結婚を申し込んだんですか?はつねさんに?」
陽介は胸に穴が開いたみたいに体が震えた。
もしかしてあの後ふたりは…じゃあ、俺は完全にからかわれたって事か‥‥ったく!
「彼女の警護には、所轄の警察官をつけるよう手配しておきます。では失礼します」
これで切りが付いたじゃないか。はつねさんは結婚する。
もうじきあのマンションからもいなくなるだろう。
俺は今まで通り仕事に没頭すればいいだけだ。
陽介は何度もそう言い聞かせた。
でも、心は嘘をつけない。はつねさんがあんな奴と結婚するなんて‥‥彼女は彼を愛してるのか?
じゃあ、どうして俺にあんなことを言ったんだ?
馬鹿、あれは襲われた時で、近くにいた奴なら誰でも良かったんだ。
それにご飯を誘われたのも偶然で、ピー助を見つけたのも偶然じゃないか。
彼女にそんなつもりはなかったんだ。
それなのに、俺は一方的に熱を上げていた。
ようするに片思いってやつだ。
陽介は警視庁出の仕事を終えると久しぶりに早めに自宅に帰れた。
地下鉄で最寄りの駅で降りて歩いてマンションに帰る。
道すがらやわらぎ保育園はあった。
保育園の園庭で声がしてどうしても彼女の姿を探してしまう自分がいた。
あっ!はつねさん‥‥彼女は子供たちと鬼ごっこでもしているのか、楽しそうに走り回っている。
子供たちに追いかけられて振り向きながら走る。
ああ…彼女のあの笑顔はとても純真で天使のようなのに。
ぐさりと心に悪魔の声がする。
他の男に渡してもいいのか?彼女は俺のものだろう?彼女は言ったじゃないか。わたしを離さないで…そばにいてほしいと、約束したじゃないか!
なにを馬鹿な…あれは彼女が混乱していったことだ。
本心じゃない。決まってるだろう。
陽介は保育園を後にして一旦マンションに帰る。
でも、どうしても彼女が心配になる。もしまた犯人が‥‥そうだ。証拠が出れば犯人が特定されるかもしれない。
そしたらはつねさんは狙われるかもしれない。
色々な可能性を考えているうちに心配でたまらなくなる。
陽介はシャツとジーンズに着替えるとまたやわらぎ保育園に出向く。
彼女の仕事はもうすぐ終わるはずだった。
陽介は見えない路地に身を潜めて彼女をそっと見守ることにする。
はつねはそんな事も知らずに仕事が終わるとコンビニによっていつものようにマンション帰って行く。
セキュリティの整ったエントランスを入って行く。
そこで卵を買うのを忘れたことに気が付く。
はつねは慌ててまた表に引き返そうとした。
そこで陽介とぶつかった。
「痛っーい…もう危ないじゃない!」
「君こそいきなりなんだ?」
「陽介さん?早いのね。最近見かけなかったから、仕事が忙しいのかと思ってたけど…」
「ああ、今日はかかっていた事件が片付いてそれで早かったんだ」
「そう言えばあの事件の事で何かわかった?」
「いや、まだ」
「もう海斗さんったら何してるのかしら、DNA鑑定ってそんな時間がかかるものなの?わたしに結婚の話を持ってくる暇があったら仕事としなさいよって感じですね」
「やっぱり、そうなのか?あいつと結婚するのか?」
聞かずにはいられなかった。
陽介は難しい顔をしていた。
「もう、陽介さんまでやめてもらえません。わたし彼と結婚する気なんてないですから、確かに彼の事は兄みたいに好きですけど、結婚なんてとんでもありませんから…父にもはっきり言いました。断ってちょうだいって!」
「そうか。断ったのか。あいつはお兄さんみたいなのか‥‥」
陽介の顔が、驚くほどふやけた顔になった。
「やっぱり陽介さん、わたし達の事誤解したでしょう?あの日何だかすごく機嫌悪そうに帰って行きましたもんね」
「当たり前だろう。君はそばにいて欲しいって言ったのに、あんな奴と抱きついて嬉しそうに話して…勘違いするなって方が無理だろう」
陽介の顔は眉間にしわが寄って唇はゆがんだ。
「陽介さん、その顔ふてくされてるんですよね?」
「悪いか?」
「それってわたしの事好きって事ですか?」
はつねはあれからずっと一人で悶々と悩んでいた。自分でも驚くような言葉を言っている。
切れ長の陽介の目が泳ぐ。
「好きで悪いか?ああ、たまらなく好きだ。はつねさんこそどうなんだ?」
「わたしだって陽介さんの事好きです」
はつねは言った途端はっとする。
ふたりは顔を見合わせて固まった。
呼吸が乱れる。心臓がばこんばこんと脈を打ち胸が上下に波打つみたいに暴れている。
こら!暴れるなと言いたくなる。
やっとふたりの強張りがほぐれていく。
「じゃあ、今までお互いに同じ思いだったって事か?」
「そうみたいです…ね」
「ったく…今から俺の家に来ないか?」
陽介の瞳が見開かれてはつねを見つめる。
「それって…」
はつねのまつげのひとつひとつが花開くように上向いていく。
「もう離さない。約束しただろう?」
陽介の唇から嘘のような言葉が‥‥
ようすけさん。それって反則ですよ~。
あっ…そういえばわたしコンビニの帰りに襲われた日もそんなことを言った気が‥‥
彼の見たこともないほどの真剣なまなざしが突き刺さる。
うっそ!
彼の言葉が胸の奥までずぶずぶと突き刺さり熱く震える。
ああ…陽介さんそんな事を言うのはもっとロマンチックな場所にしてもらえませんか‥‥
でも心がフルフルと震えるのはどうしてなの?
こんなに気持ちが高揚して幸せな気分になるのはどうしてなのよ?
わたし‥‥こんな告白認めたくないのに…もっと場所と言い方があるはずなのに…
例えばどんな風に?
デートで映画に行ってアイスクリームでも分け合って食べて公園の暗がりでキスされていきなりの恋人宣言とか?
それよりも遊園地に行って観覧車の中で愛の告白とか?
ううん、高級レストランで高価な指輪を差しだされて?
ひざまずいて手を取ってあなたを愛していますなんて?
でも陽介さんならどんな場所でも、彼がわたしを好きって言ってくれるだけで、こんなマンションのエントランスの前だって、どんなところだって許してしまえる。
彼の言葉ははつねをとろっとろっにさせてしまうのだ。
「陽介さん‥‥わたしのそばにいてもう離さないで…」
はつねは魔法にかかったように彼にその言葉を言った。
陽介さんの口角がグーンと上がり、大きな手がわたしの手を握りしめると、わたしたちは真っ直ぐにエレベーターに向かっていた。
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