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  近くの救急病院に着くとはつねは診察を受けた。

 その間も陽介さんはずっとわたしのそばを離れずにいてくれた。

 何も言わなくても彼が繋いでいてくれた手は大きくて温かくて安心できた。

 幸い頬を殴られてはいたが少し腫れている程度だったし、首に少し赤い跡があったが、数日もすれば後は消えると言われて病院を後にする。



 それから所轄の警察に行った。

 母に連絡が行ったらしく、母が警察に来ていた。



 はつねは母を見つけると駆け寄った。

 「ママ?…恐かったよ~‥‥」

 「はつねちゃん、大丈夫なの?怪我は?」

 「うん、ママ怪我は大丈夫。今、病院に行ってきたから」

 「そう、良かった。もうほんとに驚いたわ。またこんなことが…」

 母が涙ぐんだ。

 「はつねさんのお母さんですね。しばらく彼女に事情を伺いたいので待っていただけますか?」警察官がそう言ってはつねを取調室に案内した。



 部屋には陽介さんも付いてきてくれた。

 事情聴取には刑事らしき人が入ってきて陽介さんが警察手帳を見せる。

 「桐生警部ご苦労様です。いや、あなたがいて彼女は運が良かった」

 「いえ、彼女が無事で何よりでした」



 事情を聞かれはつねは、最初からあったことを話す。

 そして男に爪を立てたことを話すとすぐに鑑識の人が来て爪の中の皮膚組織を採取して、首のあざなどもカメラに撮られた。

 陽介さんは何度もはつねに問いただす。

 「はつねさん、そいつは後ろから襲い掛かって、そして君の首を絞めたんだな?君の首にははっきりと跡が残っている。そこは柔道の締技で落とすときに使う場所で、もしもう少し遅かったら‥‥」

 陽介が顔をこわばらせる。

 そして考え込むように話す。

 「とにかく良かった。もしかしたら‥‥今夜君を襲った男は妹を襲った犯人かも知れない。手口がそっくりだ。でももう6年も事件を起こしていないのに、今頃になってどうして…?」


 それを聞いていたはつねは思い出した。

 今夜襲われた時、男が6年前の犯人と同じことを言ったのだ。

 「陽介さん…わたし…話していない事があるの」

 はつねは考えなしにそう言った。

 「犯人の事何か思い出したのか?」

 はつねは大きくため息をつく。

 この話をすれば陽介さんわたしを嫌いになるかも…でも陽介さんがどんなにあの犯人を捕まえたいかって思うと胸が痛くなった。



 はつねは決心する。全部話そう。それで彼に嫌われたなら仕方ないじゃない。

 「実は…わたし…」

 そう言ったが次の言葉が出てこない。

 「すまん。辛いだろう?あんな恐い目に遭ったのに…いいんだ。はつねさんが落ち着いてからで」

 陽介さんははつねの手をそっと撫ぜるとぎゅっと握りしめてくれた。

 その温かいぬくもりに今夜どれほど救われたか思い出す。

 わたしったら自分のことばっかり。



 「違うんです。わたし6年前に暴行に会ったんです。さっき思い出したんですけどあの時男が言った言葉と同じことを今回の男も言ったんです。だからわたし…あの時と同じ男じゃないかって‥‥」



 嫌な記憶がよみがえり体がぶるっと震えた。

 「はつねさんも暴行をされたのか?何てことだ。くっそ、あいつ!…でも君の被害届はなかった気がするが…いや、そんなことはあとでもいい。とにかく教えてくれ、男は何て言ったんだ?」

 陽介さんはわたしの身体をぎゅっと抱きしめた。

 俺が付いてるから大丈夫だって言うみたいに…‥



 はつねは陽介から離れると大きく息を吸い込んだ。

 「‥‥男は‥‥悪い子にはお仕置きが必要だ。確かにそう言ったの。6年前にも…わたしあの時の事ほとんど記憶がなくて今まで思い出さなかった。でも今日言われて思い出したの。あの時も男は確かにそう言った。それに今日と同じところを絞められた。首のここをぎゅうって、そして意識がなくなって気が付いたらわたし…トイレのコンクリートの上で…それでママが探しに来て‥‥」



 はつねは机に突っ伏して泣き始めた。

 思い出せば思い出すほど、悔しくて、恐くて、悲しくて、そのせいでどんなに苦しんだか…陽介さんの妹もきっと苦しんだに違いない。



 警官が母親にはつねの6年前の事を問いただした。

 母はそれは事実だが警察への訴えは取り下げたのだと説明した。そんなことが公になることは娘の為にならないとはっきり言った。今回も事情を聞いたら帰らせて欲しいと言われた。

 だが、はつねは覚悟を決めた。

 陽介さんの妹のためにも、この犯人を放っておくわけにはいかないと決心した。



 しばらくして警視庁にいる兄の流星から、警察署に電話がかかって来た。

 兄は母に頼まれて今夜の事は事件として扱わないようにと言って来たのだった。

 それを聞いて怒ったのは陽介だった。

 「お母さん、おっしゃりたいことはよくわかります。ですが犯人をこのまま野放しには出来ません。お嬢さんの被害届を出していただけませんか?」

 「いえ、うちの主人はこれでも公的機関で官僚をしていまして、こう言うスキャンダルは困るんです。幸いはつねに被害もなかったことですしこれで失礼させていただきます。さあ、はつねちゃん帰りましょう。しばらく家にいなさい。そうすればあなたも安心でしょうから」

 はつねの母は、彼女を連れて帰ろうとする。



 「しかしお母さん。はつねさんはどうなんだ?」

 「あなたお名前は?この件は警視庁管理官の胡桃沢から話が言っているはずでしょう?これ以上引き留めるなら胡桃沢を通してちょうだい!」

 母親はしつこい陽介に苛立ちを隠せない。



 「わたしは捜査一課の桐生と言います。失礼ですが胡桃沢管理官とどんなご関係でしょうか?」

 「あなた捜査一課なの?まあ、胡桃沢はわたしの息子です」

 「そうだったんですか。これは失礼しました。ですが犯人を逮捕するためにもどうかご協力していただけませんか?」

 「あなた‥‥はつねちゃんいいから帰りましょう。さあ、立てる?」

 「ですがお母さん、何とか考え直していただけませんか?」

 「桐生さんとかおっしゃったわね。あなたまさかキャリア組?」

 「いいえ、俺はノンキャリアです」

 「でしょうね。悪いけど失礼するわ。さあ、はつねちゃん行きましょう」

 母ははつねの手を引いて連れて帰ろうとする。



 「ママ…お願い待って。わたし6年前みたいに引き下がったりしたくない。このままじゃあの犯人また女の人を襲うかもしれないのよ。そんなの許せないから、それに桐生さんの妹さんもあの犯人の被害者なの。だから、お願いママ…」

 「でも、パパがなんていうか…それにスキャンダルにでもなったらあなたが辛い思いをすることになるのよ。ありもしない事やひどいことを書き立てられるかもしれない。そうなったらどうするの?仕事だって出来なくなるわよ。買い物にだって出れなくなるかもしれないじゃない。ママはそれを心配しているのよ。さあ、いいから帰りましょう」

 母は、はつねの手を引っ張る。

 「ママ、わたしはもう大人よ。どうするかは自分で判断する。いいからもう帰って、事情聴取を受けてあの男を訴えるから…」

 「そんな事言わないで…さあ…」

 「わたしの決心は変わらないから。ママからパパに伝えて、パパにとったらわたしは落ちこぼれの役立たずだろうけど、わたしだって人の役に立てるって事を示したいの。だからもう帰って頂戴。来てくれてありがとうママ。じゃあね」

 はつねは陽介の手を取ると取調室に入ってしまった。

 母はため息をついていたがしばらくするとどこかに電話をして帰って行った。



 きっとパパに言いつけたに違いない。いいの、どうせわたしは落ちこぼれなんだから。パパにあるのは見栄とプライドだけだもの!



 「はつねさん?あんなことを言ってお母さんはあんな事を言っても君を心配しているんだ…」

 「いいんです。あんな人たちの事は、さあ、わたし被害届だしますから書類お願いします」

 「ああ、とにかく被害届は出しておいた方がいい。ちょっと待ってろ!」

 陽介が書類を取りに出て行った。

 はつねはまだ興奮が収まらなかったが、少し時間が経つとやっと頭が冷めて来た。



 そう言えば陽介さんってお兄さんの部下になるのよね。

 それにお兄さんこの件は表沙汰にするなって言ったのよね。どうせまたパパに頼まれたんだわ。もうお兄さんったら‥‥

 でも、そうなったら陽介さんが困ることになるんじゃない?上司の命令に背くなんて‥‥ううん、当事者のわたしが被害届を出すって言ってるんだから、それは大丈夫じゃない?



 その時陽介が部屋に戻って来た。

 「はつねさん。もう一度聞くけど本当にいいんだな?」

 「ええ、もちろんよ。犯人を捕まえたいって気持ちは変わらないから」

 はつねは被害届に署名をすると陽介が一緒に帰ろうと言った。



 彼は帰る間もずっとはつねのそばを離れようとはしなかった。

 ピタリと張り付くように彼の体が近づく。

 陽介さん、これってちょっと近すぎませんか?

 唐突に彼の腕はぴたりとはつねの肩にまわされてはつねは、そのまま彼につかまれて…これってゲームセンターにあるクレーンゲームみたいじゃないでしょうか?わたしはぬいぐるみかフィギュアなのでしょうか?

 タクシーに乗っても彼の腕はわたしから離れることはなかった。



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