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  それから数日が過ぎた。

 陽介さんからはあれっきりメールも来なくなった。

 はつねは自分からメールしていいかもわからず悶々としていた。

 だって、こんな事初めてだし…陽介さんが嫌がっていたら?

 仕事から帰っても、彼の部屋のドアの音がするとチャイムを鳴らしてみようかとも思ったりしたが、そんな勇気も出なかった。

 何よ。あれくらいの事でなにも連絡よこさなくなるなんて…

 所詮、彼に取ったらわたしなんかただのちょっとした暇つぶし程度だったんだわ。



 初めての恋はあっけなく幕を遂げたみたい。わたしの恋は終わってしまった。

 ロマンチックじゃないし、口数は少ないけど、なんだか頼りがいがある感じ好きだったのに…

 それにキスまでしたくせに!

 陽介さんなんか!

 はつねは、やりきれない気持ちになり、むしゃくしゃもした。

 こんな気持ち初めてだ。海斗さんに憧れてはいた頃は、彼に会えないからと言ってこんな気持ちになったことはなかったのに…

 でもわたしはもう大人なのよ。

 なのに今日だって子供たちの前でピアノを間違えて笑われてしまった。

 しっかりしなくっちゃ。仕事には責任を持ちたいし余計なことを考えて子供たちが怪我でもしたら大変だもの。

 いいから、もう彼のことは考えずに前向きにやらなくちゃ!

 それにもっといい出会いがあるかもしれないじゃない。

 あんな無愛想な人じゃなくってもっと楽しくて積極的な人が‥‥

 そう思ってはつねは仕事に励むことに。





 毎日遅くまで保育園に残ることも多くなってコンビニで夕食を買って帰ることが多くなった。

 それでつい最近コンビニの近くから細い路地を通るとマンションに近いことを発見した。 

 その路地は公園沿いにあって外灯もないが、真っ直ぐ行けばマンションの前の通りに出る事がわかった。

 その日も保育園の発表会が来月にありその準備で遅くなった。

 今日はコンビニのおでんにしよう。はつねはコンビニでおでんを買うと、ふと路地を通って帰ろうと思った。



 わたしだって、いつまでも恐がったりしないから…もう大人なんだから。

 こんな路地くらい平気よ。

 はつねは、コンビニの袋を持つとその路地を歩き始めた。

 昼間ならきっとこの公園も子供たちでにぎやかなんだろうな、そんなことを考える。明かりはほとんどなく公園のトイレの明かりがぼんやりを見える。路地の向こうには表通りの明かりが漏れて、薄っすらと道路を照らす。

 はつねは、歩幅を大きく取りながら路地を進んでいく。

 やっぱり恐い。

 誰も通らない暗い路地なんてやめておけばよかったかも…‥

 そう思い始めた時だった。



 いきなり背後から誰かに抱きつかれた。

 「キャー…」

 はつねは声を上げた。

 男が慌てて手で口をふさぐ。

 はつねの脳裏にあの夜の事が一気に蘇り体が強張った。

 はつねは、首を左右に振る。嫌だ。あんな事は二度と嫌だ。

 手に持ったコンビニの袋を振り回す。

 だが、力の強い男に締め付けられた体は思うようには動かなかった。

 コンビニのおでんは地面に放り出された。



 「悪い子にはお仕置きが必要だ」

 後ろから男が耳元でささやいた。

 ぞくりと背筋が凍る。

 「んんん…うううう‥‥」

 首をふってふさがれた口から何度も声を出そうとする。

 だが、男は力をゆるめようとはしない。次第にはつねの気力を奪っていく。

 はつねの体から力が抜けて行くと、男はそれをわかったかのように締め付けた腕を首に回す。

 首を絞めつけられてはつねは意識を失いそうになる。

 何とかして‥‥

 はつねは、最後の力を振り絞るように男の腕にめがけて思いっきり爪を立てた。

 「うっ!クッソ!」

 男の腕が緩んで、ふさがれていた口が離された。

 はつねはひじを思いっきり後ろに突き出すと男がよろめいた。

 そして男から逃れるようとして地面に転がった。

 今よ!はつねは声を出そうとした。



 「……」

 でも、恐怖で声帯が締め付けられているせいなのか声が出ない。

 地面にお尻をついたまま、じりじりと後ろに下がる。

 男が腕をさすりながらはつねに襲い掛かる。

 男はめざし帽のようなものをかぶっていて顔はわからない。

 はつねは激しく手を振り脚をバタバタをさせる。

 そんなものは何でもないとでもいうように男ははつねの頬をバシッと殴りつけると上にまたがった。

 そしてまた首に手をかけた。

 誰か…誰か…お願い。助けて…‥ああ…もうだめ息が出来ない。

 はつねはぎゅっと目を閉じた。

 

 「おい!なにをしている」

 いきなり低い声が聞こえた。

 男は驚いてはつねの首を離した。そして一目散に反対方向に逃げて行った。

 「大丈夫か?」

 誰かが走って来る。



 はつねはまだ道路に転がったままでその人を見た。

 よ。よう‥‥すけさん?

 えっ?陽介さんがさかさまに見える?どうして…‥わたしおかしくなった?

 陽介さんがしゃがみこんではつねを見た。

 「はつねさん?はつねさん、おい、大丈夫か…怪我は?」

 やっとこれは現実だと思う。

 「…よお…す、けさん‥‥こ、わっ…かった…‥‥」

 はつねは声を喉から絞り出す。とんでもなくおかしな声だった。



 はつねは無我夢中で陽介にすがりついていた。

 陽介さんが腕をまわしてはつねを包み込んだ。

 彼の温かい体温が首や背中に伝わって来ると身体の強張りがほどけて行く。

 すごく安心できた。彼がいればもう心配ないって心から思えた。

 陽介さんが向き合ってはつねの顔を覗き込む。

 「どこか痛いところなはいか?」

 「ううん‥‥」

 きっと今はアドレナリンが大量発生していてとてもそんなことわからないだろう。



 「一体何があった?」

 「男がいきなり後ろから…口をふさがれて…首を絞められて…ぐすっ‥‥ずる…んぐっ…‥」

 「もう大丈夫だ!」

 陽介さんの腕の力がギュッと強くなった。

 「うん…陽介さん、そばにいて、わたしを離さないで…お願い」

 はつねは無意識に彼のスーツの袖をつかむ。

 「ああ、どこにも行かない」

 「ほんとに?ほんとにどこにも行かない?約束してくれる」

 はつねは陽介の顔をじっと見つめて彼の答えを待つ。

 眦から膨れ上がった涙は決壊を超えて流れ落ちる。



 彼の目線がさまよい何を考えているかもわからない。

 「ねぇお願い陽介さん、わたしのそばに…いて‥‥」

 はつねはすがるようにさらに言葉を重ねた。



 陽介さんは何かを考えこむようにしていたが、やっと口を開いた。

 「約束する。ずっと君のそばにいるから」

 「約束よ‥‥」

 そう言い終わらないうちに陽介さんはわたしを抱きしめた。

 やっぱりわたしはどうかしている。

 でも今は何も考えれないから…

 その後は涙で話せなくなった。



 陽介さんはすぐに電話をかけた。

 「…‥ああ、すぐにパトカーと警官を頼む…」

 あっ…そうだった。陽介さん警部でそれで警察の人を‥‥

 はつねは恐怖からかまだ震えが止まらない。陽介さんが上着を肩にかけてくれてずっと抱きしめていてくれた。

 警官がきた。

 陽介さんは立ちあがり警察手帳を見せる。

 「桐生警部ご苦労様です。パトカーはあちらに待機しています」

 「ありがとう。彼女を連れて病院に行く」

 「了解です」

 警官がはつねを連れて行こうとした。

 「彼女は俺が連れて行く」

 「はい失礼しました」

 警官は先に立って歩き始めた。



 「はつねさん立てそうか?」

 はつねは、彼に支えてもらって立ちあがろうとするがうまく行かない。

 いきなりふわりと体が浮いた。

 陽介がはつねをお姫様のように抱き上げた。

 「えっ?あ、あの!…」

 「無理はしない方がいい」

 「あ、でも…」

 「ほら、つかまれ」

 はつねは真っ赤になって彼にしがみつくしかなかった。

 陽介ははつねをパトカーまで抱いて運んだ。

 パトカーの後部ドアを警官が開けてくれる。

 はつねは後部座席にそっと下ろされそのとなりに陽介が乗り込んだ。

 はつねは陽介にしがみついたままだった。

 「もう大丈夫だから、安心して」彼がそう言ってくれる。

 まだ恐怖がこみあげてきて震えが収まらない。

 はつねは彼のスーツの襟をぎゅっと掴んだままだった。



 恐かった。恐かった。あんなところ通らなければよかった。

 自立する事と不用心な事をすることはまったく違うってことを気づかないなんてばかだった。

 「陽介さんごめんなさい。あんなところ通ったわたしがばかだった」

 「君が無事でよかった。実を言うとコンビニで君を見かけて…それで後を追った」

 「それって…わたしを心配して?」

 「ああ、あんな暗い道を一人で歩いて行くから心配になった」

 「陽介さんがいてくれなかったら今頃わたし…‥」

 「もう何も考えない方がいい」

 はつねの手は震えていた。身体もずっと…



 陽介さんはずっと手を握っていてくれた。

 ずっとあなたに会いたかった。

 陽介さん、わたしはあなたが好き。

 あなたは今日、わたしのスーパーヒーローになりました。

 わたしの大好きな陽介さん。

 

 
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