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 目が覚めると柔らかいマットレスの上だった。窓から柔らかい日差しが差し込んでいる。

 ソファで寝た俺を、わざわざベッドに運んでくれたようだ。別にそのままにしてくれてもよかったのに。

 寝室も大きなベッドしかなくて、本当に生活感がない。ビジネスホテルの方がまだ人が住んでる雰囲気がある。

 寝室を出てリビングへ入ると、徹さんはソファで伸びて寝ていた。申し訳ないことをしたな。

 時計を見ると時刻はすでに午前十時を過ぎていた。ほぼ丸一日寝ていたことになる。

 そろそろとソファに近付いていくと、徹さんがハッと目を見開いて飛び起きた。

「ごめん、起こした?」
「いやぁこの部屋に人がいるのが久しぶり過ぎて驚いただけだよ。そのうち慣れる。悪い」

 ふぁあ、と大きく伸びをして、起き上がった徹さんはそのままキッチンへ向かって行った。ヤカンに水を入れて火にかけ、棚をいくつか開けてマグカップを二つ出す。

「適当に座ってくれ。椅子でもソファでもどうぞ」
「……うん」

 俺は素直にソファに座った。でもなんだか変な感じがする。いつも冷たいフローリングの上か、檻の中で膝を抱えているから、ソファなんて人間が座るところに乗っても良いのか?なんて考えてしまう。

 しばらくして徹さんが、湯気の立つマグカップを持ってきて俺の前のローテーブルに置いた。コーヒーの匂いがする。

「勝手に淹れちまったが、コーヒーは平気か?」
「うん……ありがと」

 熱いカップを手にして、少し口をつけた。やっぱり味がしない。

「よし、今日こそ何か食ってもらうぞ」

 と、隣に腰を落ち着けた徹さんが意気込んで宣言する。俺はコーヒーを吹き出しそうになった。

「フフッ、なんでそんなに食べさせたがるんだよ?」
「お忘れかもしれないがオレもDomなんだぜ。可愛いSubの世話を焼くのは本能だろ。で?何が食いたい?」

 そんなこと言われても、だ。空腹も感じないし、味もわからないし、用意してもらうのはなんだか気が引ける。

「別に、特に希望はないんだけど、」
「と!言うだろうと思って勝手に頼んどいた!もうすぐ届く!」

 思わずキョトンとしてしまった。徹さんはあれだ、強引に好意を押し付ける面倒くさい世話焼きタイプのDomだ。こういうDomは口出しせず好きにさせておくと、勝手に満足するのだ。俺の経験上は。

 しばらく味のないコーヒーを啜っていると、玄関のドアが開く音がした。ドタドタと騒がしい足音も。

「ッス!!徹さん、言われた通り買ってきたっす!!」

 一瞬で部屋中に油っぽい匂いが広がった。匂いの元は、部屋に入ってきた若い男が手にした大量のビニール袋からだ。誰もがよく知るハンバーガーチェーン店のマークが描いてある。

「はあ?お前、オレはお前と同い年の男子が好きな食いもん買ってこいって言ったろ?」
「え?みんな好きでしょ、ハンバーガー。おれ三食これで満足っすよ」
「だからオレは、お客様にお出しするったろうが!?それがなんでやっすいバーガーになんだよ?オレがケチな奴みたいじゃねぇか!!」
「だから大量に買ってきたんすよ!やっぱおれくらいの年代は、質より量っすからね!」
「それはお前だけだろ!!」

 ええ?と本気で首を傾げる男と目が合った。ニッと人懐っこく笑ってくれる。なんだか、ゴールデン・レトリバーみたいな大型犬に微笑みかけられた気分になった。

「まあいい。領収書出しとけよ」
「了解っす!」
「悪い、侑李くん。コイツアホなんだ。でも良い奴なのは確かだ。オレは事務所に行ってくるから、ちょっとコイツを遊んでやってくれ」
「ちょ、おれガキみたいじゃないっすか」
「ハタチは十分ガキだろ」
「それは俺もお子様扱いしてるってこと?売人の割り出ししてあげたのに?」
「悪い!侑李くんは十分大人だ!でも朱音はガキだ!じゃあな!」

 今度は徹さんがドタドタと足音を立てて出て行った。廊下の方でしばらくドタドタやって、慌ただしく玄関を出る。俺が遅くまで寝ていたせいで急いだのかもしれない。やっぱり迷惑ばかりかけている。

「初めまして、だな。おれは狭山 朱音さやま あかね。君と同い年ってことで、徹さんから仲良くしてやれって言われてさ」

 改めて顔を見ると、中性的で大きな瞳の青年だった。少し長めの明るい茶髪で、控えめなシルバーのアクセサリーが良く似合っている。ちょっと徹さんっぽいセンスだ。照れたような笑みは、幼い印象がある。

 服装も誰もがイメージする極道っぽい派手なものじゃなくて、黒いスキニーパンツに丸襟のジャケットという、普通の大学生に見えた。

「知ってると思うけど秋川侑李です」
「知ってるよ。よろしくな、侑李!」

 ニカッ、とこれまた大型犬みたいに笑う。髪色も相まってもうレトリバーにしか見えない。

 俺はなんだか申し訳なくなった。

「あの、ごめん。俺の世話係的なことだろ?別に放っておいてもらっても逃げないんだけどさ」
「そんなつもりじゃないよ!おもてなし係ってことで!とりあえずハンバーガー食おうぜ」

 ソファにどかっと腰を下ろし、そう言いながらもすでに紙袋からハンバーガーを取り出して、ローテーブルに並べ始める。一体何個買った?

「それ食べ切れる?」
「もちろん。侑李が三つ食ったとしても、おれには足りないくらいかも」

 と、今度はポテトやナゲットなんかのサイドメニューを大量に並べ出す。大食い企画やってる?

「三つも食べられないよ……」
「えっ!?ウソだろ…?」
「というか朱音こそ細いのにどこに詰め込む気だよ?」

 体格は俺と変わらない。というか雰囲気は華奢で可愛らしいSubみたいだ。俺と同じで。でも多分Domだ。

「よく言われるんだけど、これが不思議と胃に収まるんだ。でもおれんとこの風俗店のオーナーのが食うんだぜ!普通体型の中年のオッサンなんだけどさ。よく飯連れてってもらうんだけど、回転寿司なら二人で余裕で百はいける」

 思わず顔を顰めた。考えただけで吐き気がした。もういっそ本気で、ヤクザ配信者大食いチャレンジ企画とかやればいいのに、と思った。

「まあ食えるだけ食ってくれ。どうせ残らないから」
「ありがとう……」

 適当に目の前のハンバーガーを手に取った。絶妙に温い。

「初対面で不躾だとわかってんだけどさ、侑李、まともなもん食わせてもらってないんだろ?」
「ああ、まあ……でも何もないよりはマシ、なんだと思う」
「犬の餌でもか?事務所の先輩達にチラッと聞いたんだけどさ」

 それでも、本気で一人ぼっちにされるよりも、ちゃんとお世話してもらってるって安心感がある。

「別になんでもいいんだ。犬の餌でも、貰える間は捨てられたわけじゃないから」

 朱音は拳でも飲み込めそうな程大口をあけて、ハンバーガーを齧りながら肩をすくめた。いや、ちょっと待った。三口でバーガー食うってどうなってんだ?

「おれも閉じ込められたことあるぜ!っても、トイレの個室だけど」

 二つ目のバーガーを手にしながら言う。

「トイレ?なんで?」

 俺もハンバーガーを齧りつつ聞いた。やっぱりおかしい。全然なんの味もしない。パンとパテとチーズとなんかのソースの食感はあるし、ハンバーガーだってわかってるのに、一体何を食べてるのかわからなくて気持ち悪い。

「おれさ、高校の時イジメられてたんだよ。見た目のせいでさ。おれDomなんだ、こう見えて。でもどっちかって言うとSubっぽいだろ?」
「ちょっと思った。それでなんでイジメに?」
「よくあるだろ、男みせろよ!みたいなノリでひ弱な男子のズボン脱がしたりする、みたいなの」

 小学生かよ?と思ったけど、朱音は至って真剣な顔で、ハンバーガーに齧り付きながら続ける。

「高一のダイナミクス検査の後にさ、当然自分がなんだったかって話題になるだろ。そこで大半はnormalだったってホッとしたり残念がったりする。Subだってわかった奴は当たり障りなくその話題に触れないようにするし、Domだった奴は、まるで王様みたいな態度をとりだす」

 俺はちょっと笑った。その通りだと思った。突然、今まで隠してきたが、実はお前はこの国の王様の息子で第一王子なのです!とでも言われ担ぎ上げられた庶民の子ども、みたいな設定でもあるのかよ?と言わんばかりに、Domという優位性を得たガキは威張り出すのが常だ。

「大体はひとクラスに一人か二人はDomがいる。そんでお互いに付かず離れずで、相淹れないから別々にグループを作ったりしがちだろ?でもおれのクラスは、おれ意外に二人Domがいた」

 支配的で独善的なDomは、確かにDom同士反発し合うのを避けて、自然と別のコミュニティを築いたりする。それにDomってだけでnormalからも一目置かれるから、コミュニティのリーダーになりがちだ。

「クラスに三人もDomがいるとさ、すごく窮屈なんだよな。絶対に反発し合ってケンカになる。そこで目をつけられたのがおれで。簡単に言えば、二人のDomが結託してコミュニティを築いて、弱そうなDomのおれを排除しようとした。そんな見た目で本当にDomだって言うなら、今この教室でCommandを言って証明しろよ!ってさ。クラスにはSubの子がひとりくらいはいるもんだろ?そんなとこで、Commandなんて言えるかよ、なあ?」

 実際にその時の朱音のクラスにSubがいたかはわからない。いないかもしれない。でも危険を理解して、朱音は耐えたのだ。そして、弱虫とか度胸のないヘタレだとか言われて、それがイジメに発展した。

 Dom二人は、本能的な支配欲求を満たす捌け口を手にした。Sub相手じゃなくても、気は晴れるし優越感を抱くことはできる。学校という狭い空間の中で、本当にSubと playする快楽なんて知らない子どもなのだ。

 思い出し怒りでもしてるのか、朱音はソースにナゲットをぶち込んで口に入れ、思いっきり噛み締めた。

「んで、高校三年間はずっとイジメられてた。一度ついたイメージって消えないんだよな。トイレの個室に閉じ込められた時は、上から水までかけられてさ。典型的すぎて笑えたよ。しかもおれ、頭悪くて余計にDomらしくないって言われてさ」
「個人的な能力には関係ないもんな。俺も本当は勉強だけはできるんだけど、誰も信じてくれないよ。頭が悪いのは本当だけど」

 主に考え無しという意味で、俺は勉強のできるアホなのだ。自覚してるくらいには。

「オマケに家庭環境もヤバくてな。両親はそれぞれに不倫して、借金作っておれを置き去りにして消えた。高校卒業してすぐ、SubのAVの男優にされそうになってさ。Domってそっちの業界でも需要があるんだけど、でも、相手の事情がわからないのに命令して従わせるのってすごく嫌だったんだ。おれも無理矢理従わされる立場を味わったから。でもその頃、偶然徹さんと知り合って、事情を知って借金肩代わりして、おれを自分の組に引き入れてくれた。すごく感謝してる」
「徹さんってお人好しなんだね。あ、いや、悪い意味ではないんだけど、こんな俺のことも気にかけてくれたから」

 朱音の格好は徹さんのマネだってことがわかった。それくらい憧れてるんだろう。だから朱音も優しいんだと思う。

 側にいてくれる人の影響は大きい。

 そういう意味で、やっぱり俺には光貴の影響が大きい。輝利哉と朔といる時間が長かったとしても、ふとしたときに、自分は光貴と同じだと思うことが多々ある。

 朱音はニッコリ笑ってハンバーガーを齧った。

「でもおれ、こんな見た目で得した事もあるぜ。女の子のSubにめっちゃモテる。怖くないとか、オスっぽくないって」
「確かに如何にもなDomってちょっと怖いよな。朱音みたいな職業にもDomは多いし。Domってちょっと威圧的というか粗暴な人が多いのは確かだよね」
「侑李も怖い?その、事情はなんとなく聞いたけど、さ……ごめん、多分徹さんがおれに侑李のこと任せてくれたのは、同い年ってのもあるけど、見た目がそれっぽくないからだとも思うんだよな」

 なるほど。徹さんの気遣いは嬉しい。でも別に、今更Domを怖いとは思わない。

「慣れちゃって怖いとは思わないな。俺が怖いのは兄だけだよ」
「お兄さんか。実はおれ、一回だけ光貴さんと話した事があるんだ。徹さんに同行してた時に家に寄ったんだけどさ、ものすごく普通の、優しいお兄さんに見えた。どこにでもいそうなnormalの。美味しい紅茶とケーキを用意してくれて、紳士的だったんだ。この人がなんでうちの組で金稼ぎに加担してんだろう?って不思議に思うほどにさ」

 それが光貴の恐ろしいところなのだ。絶対にみんな騙される。誰も、表の顔を信じて疑わない。

「兄ちゃんは昔からそうだよ。すごく良い人の皮を被った狂人だ。俺は兄ちゃんに、笑顔で死ねと言われたことが何度もある。その度に病院に運ばれる事態に陥った。でもさ、離れられないんだ。犬扱いされても、俺はもう光貴からは離れられないんだ」

 早く兄ちゃんのところに帰りたいな。

 唐突にそう思った。

「いや、でも、侑李は、」

 朱音が真剣な顔で何か話している。ハンバーガーもそっちのけで、真っ直ぐ俺を見て、何か言ってる。

 でもなぜか何一つ聞こえなかった。

 水の中から外の音を聞いているような感じだ。音がくぐもったり、反響したりで、全然聞き取れない。

「ちょっと待って、何?聞こえないよ?」

 そう言うと、朱音は口を閉じて不思議そうな顔をした。

「え、聞こえない?」
「あ……大丈夫、今は聞こえる……で、なんて?」

 朱音は真っ直ぐ俺を見て、それから徐に笑顔を浮かべた。

「いや、なんでもない……さて!侑李、手も口も止まってる。もっと食えよ?」
「そんなに食べられないよ!でも前はさ、収入が不安定だったから、食べられる時に食い溜めしようとはしてた。大盛りカレーと唐揚げ定食とか食べられたな」
「人のこと言えないじゃん!!」
「アハハッ、確かに!!」

 それで俺は、朱音と結構楽しく時間を過ごした。

 明るくて面白い朱音とは、良い友達になれると思った。
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