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 Subとしての欲求の問題ともうひとつ、非常に困ったことが起きていた。

 輝利哉と朔から二度目に逃げ出してしばらく、大学周りやアパート周辺で時折朔の黒塗りの高級車を見かけるようになったのだ。

 俺は自動車のナンバープレートを覚えるクセがあり、従ってひとめでそれが朔のだということはわかった。

 アイツ、もしかして張り込んでいるのか?なんてしつこさだ!!

 気付いてから俺は毎日通学経路を変えた。アパートには帰らず、大学の最寄駅前の漫喫やカプセルホテルを転々としている。

 どうしても大学の周辺に行動範囲が限定される。その狭い範囲で捕まるのは時間の問題といえた。唯一自由なのは、部外者が入りにくい大学敷地内だけだった。

 まるで逃亡者のような生活をしつつ、その中で葉一先輩と過ごす時間は癒しと言えた。

 なぜなら昼食をくれるからだ。厚かましくも会うたびに弁当をねだり、一週間も経つと、おかずのリクエストまでするようになっていた。

「お前な……本当に野良猫みたいなヤツだな」

 先輩は呆れているようだ。俺も自分に呆れている。先輩は可愛く猫と言ってくれたが、俺にはわかる。これは乞食という。

「餌付けしたのは先輩だから、俺は悪くないよね?」

 可愛くニッコリ笑ってやると、大抵の相手はすぐに絆されてくれる。だけど先輩は違う。本気で嫌な顔をしつつ、でもなんだかんだ許してくれるのだ。

「おれの周りのSubはみんなお前みたいなのばっかりだ……兄さんも、その友達も」
「どういう意味?」
「やたらと見てくれがいい。そんでそれをわかってて利用してる」
「Subの必須技能みたいなもんだよ」

 またまた呆れた表情を浮かべつつ、先輩は購買で買ってきたおにぎりを齧った。俺は有り難く先輩の弁当を食べる。一日のなかで唯一の食事だ。パパ活が出来ないので深刻な金欠状態に陥っている。

 先輩にお金貸してくれって言ったら、ものすごく嫌顔をされるだろうな。まあ、笑顔で金貸してくれるやつなんてそういないが。

 でも俺の財政状況は深刻で、そろそろ野宿するしかないのも確かだ。

 クソ、輝利哉も朔も俺を追いかけ回して何がしたいんだよ。このままじゃマジでホームレスになってしまう。

「先輩、お願いがあるんだけど」
「嫌だ」
「まだ何にも言ってないのに!」
「金は貸さない。あと、うちは兄弟が多いから家にも泊めてやれない」
「なんでわかるんだよぉ!?」
「冗談で言ったつもりだったんだけどな」

 アッハッハと、珍しく先輩が声を出して笑った。

「誰か頼れる人はいないのか?」
「母親は死んでるし、父親は蒸発したし、兄はどうなったかわからないなぁ」

 そう答えつつ、頭にあとふたり、輝利哉と朔の顔が浮かんだが気のせいだったと思うことにした。というかこうなったのはアイツらの所為だ。

「ごめん、嫌なこと聞いた」
「先輩はお弁当をくれるから許してあげる。ご馳走様でした!先輩、またね」

 手を振って先輩と別れ、講義室へ向かう。あのまま一緒にいたら、先輩がまた変な同情心を発揮してしまいそうだったから。

 本気で頼み込んだらなんでもやってくれそうだ。先輩はとても優しい。こんなクズな俺が、ちょっと罪悪感を抱くくらいには。

 だけどその日の帰り道、俺は後悔するのだ。何がなんでも先輩について回って、守ってもらうべきだった。

 その日の講義を全て終えて、今日はどこから帰ろうかと歩きながら考えていた。大学には四つ門がある。駅に行くなら正門を出るのが早いが、俺は毎日違う出入口を使うようにしていた。

 東側の門から出ようと決め、一応警戒しつつ大学を後にする。こっちは住宅街に続く道と、近くの川へ繋がる道がある。その川沿いに迂回して、かなり遠回りになるが駅前まで出ることができる。

 その河川敷を歩いている時だった。近くに大型のバンが停まったかと思うと、後部ドアがガラガラと開いた。そこから、笑顔の輝利哉が飛び出してきたかと思うと、俺を軽々と担ぎ上げてバンの中へ引き込んだのだ。

 突然過ぎて声も出なかった。これが誘拐事件なら悲鳴をあげるべきなんだろうけど、人間はあまりにも驚き過ぎると声が出なくなるらしい。

「お、お、お前らァ!!マジでビビったじゃねぇか!!」
「アッハッハ!侑李、逃げるの上手いねぇ」
「何呑気に笑ってんだよこの野郎!?こんなの犯罪じゃねぇか!!」
「犯罪者みたく逃げ回っていたヤツが何を言ってるんだ?」

 バックミラー越しに朔が溜息をついた。

「クソッ、なんで俺の居場所がわかったんだよ?」
「犯罪心理学というのを知っているか?犯人が犯行後にとると考えられる行動を予測し、潜伏先を割り出すという手法があるのだが、それに基づいてお前の行動パターンや思考過程を分析し、次にどの場所へ向かうのかを予測することができる」
「わかった!もうわかりました!」

 本当に犯罪者になった気分だ。朔はまだ説明したりないというようにムッとした顔をしたが、もう十分意味不明なのでそれ以上聞いていらそうにない。

 わかるのは、ふたりとも執着心が強すぎるってことだけだ。

「今回は逃がさないからね」

 優しげに微笑む輝利哉だけど、俺が感じたのはただの恐怖だけだった。

 三度目に訪れた豪邸は、少し外観が変わっていた。敷地をぐるりと囲む柵は、前回来た時よりも高いツルツルの塀になっていた。これでは自力でよじ登るのは不可能だ。

 正面の門扉やガレージ横の小さな戸口には、某セキュリティ会社のステッカーが貼られている。勝手に開けると警報がなるシステムでも取り入れたようだ。

 俺のためになんて手厚いセキュリティなのだろう。ただしこれは、外からの侵入ではなく、内からの逃走予防だと思うと笑えてくる。

 リビングダイニングへ押し入れられると、これまた前回とは違った。

「正直に気持ちを伝えてもわかってもらえないから、胃袋を掴むことにしたんだよ」

 と輝利哉が言い、俺は目の前の光景に困惑した。

 まるでどこかの高級レストランにでも連れてこられたと勘違いしそうな、オシャレで豪華な料理がテーブルに並んでいたのだ。

 思わず腹の虫が鳴り、生唾をごくりと飲み込んだ。

「侑李のために練習したんだ」

 練習したというレベルじゃない。本職の人か?と疑いたくなる腕前に、正直ドン引きした。

「食事の前にお風呂にする?温め直せばいいし、どっちでもいいよ」
「しばらくシャワーしか浴びてないだろう?ゆっくり湯船につかってくればいい」

 朔がニヤッとして付け足した。漫喫やカプセルホテルを転々としていたこともバレバレなようだ。

「じ、じゃあ先に風呂に入るよ……」

 そそくさとリビングダイニングを出る。ドン引きしつつ風呂場を目指すついでに、どこか逃げられるところはないかと思案する。

 窓が開かないわけじゃない、が、外の塀を越える方法が思いつかない。

 しばらく大人しくしていよう。そう決意して、風呂場に足を踏み入れる。風呂場の窓ははめ殺しに変わっていた。

 なんだかんだでしっかりと湯船に浸かり、いつのまにか用意されていた着替えと新品の下着を身につけ、再び輝利哉と朔の前に舞い戻る。

 整えられた食卓につくと、またぐうううと腹が鳴って恥ずかしくなった。

「お腹いっぱい食べてね」
「味は悪くないぞ」
「そんな言い方するくらいならお前は食べなくてもいいよ」
「は?悪くないって言ったんだ、貶したわけじゃないだろう」
「素直に美味しいって言ってくれればいいじゃん。そしたらオレだって良い気分になれる」
「なんでお前のご機嫌を取るために、おれが言葉を選ぶ必要がある?」
「はー、朔のそういうところが嫌だよね、侑李もそう思わない?」
「ちょっと待て、今おれはお前と話してるんだ。侑李を巻き込むな」

 また始まったな、と俺は無視してフォークを掴んだ。昔からふたりはこうしてどうでもいいことで長々と言い合いする。

 正反対な性格だけど、案外似ているのかも。

 バカバカしい会話を聞くともなく聞きながら食べる食事は美味しかった。

 ただ腹を満たせればそれでいいと思っていた食事だけど、先輩の弁当しかり、輝利哉の料理しかり、誰かの手料理っていうのは、腹だけじゃなく心も満たされる気がする。

 しばし食事を堪能していると、輝利哉がキッチンからワインボトルを持ってきた。

「昔約束したよねぇ。侑李が二十歳超えたら一緒に飲もうって」
「そんなこともあったな……というか、侑李は二十歳こえても童顔だな」
「うるさいな!それは今どうでもいいだろ!」

 地味に気にしているのに!俺だって、二十歳くらいになれば、輝利哉や朔みたいな落ち着いた大人になっていて、もう少し見た目も垢抜けていると思っていた。

 でも輝利哉と朔と再会して、さらに大人になったふたりに負けた気がしているのだ。輝利哉はなんだか大人の色気が増している気がするし、朔はビジネススーツをきっちり着こなしている。追いつくどころか、そこには一生越えられそうにない溝が出来ている。

「ほら、いっぱい飲んでいいよ。まだ違うお酒もあるから」
「お前の経営するバーは酒の趣味だけはいい」
「とか言って、昔はウイスキー一杯でベロベロになってたくせに」
「いつの話だ?」
「オレが初めて自分のバーを開いた時だよ」
「四年も前の話を永遠と擦り続けるお前のその性格、そろそろ治した方がいいんじゃないか」
「しつこさで言えばオレは朔の方が上だと思うよ。リモコンの位置が違うとか、食器の片付け方ががどうとか、いちいち細かいところまで指摘してさ、まるで母親みたいじゃん」

 ああ、うるさい。頭がおかしくなりそう。俺からすればお前らふたりとも充分にしつこい性格だよ。

 やれやれ、と溜息をつきつつ、輝利哉が注いでくれたワインを飲む。俺には酒の味なんてよくわからないし、気分良く酔っぱらえるならなんでもいいと思ってる。そんなだから、このワインの値段も味もわからない。さっぱりした甘さと渋みがあるなぁ、くらいの感想しか浮かばない。

 しかし久しぶりのアルコールは、少なくとも気分を良くはしてくれた。ふたりがどうでもいいことを言い合っている間に、俺は続けて三杯おかわりした。

「あれ、侑李って強いんだね。もう一本開けようか」

 そう言って輝利哉が嬉しそうな顔をする。

 何本かボトルを用意して、どれがいい?と聞いてくる。そうやって、次から次におかわりをしていると、次第に頭がフワフワして、思考がまとまらなくなっていく。

 あれ、俺、なんでコイツらと呑気に飯なんか食ってんだっけ?

「侑李、眠そうだね」
「そりゃここ最近おれたちから逃げ回ってたんだ、精神的に疲労しているんだろう。逃亡生活というのはかなり気付かれすると聞いた」
「誰に?」
「この前逮捕した連続強盗犯」
「ああ、そう」

 おい、俺を犯罪者と一緒にするなよ!と言いたかったけど、ほとんど寝かけているせいで口には出せなかった。

 豪華な料理とアルコールで腹一杯になり、不本意ながら朔の言う通り疲れてもいたし、俺はあっさり眠気に負けた。

 逃げるのは、ちょっと寝てからにしようかな、とバカな俺は気楽に考えていた。

 まあ、これが完全に間違いだったんだけど。
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